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2025-09-17

薩摩弁「ちぇすと」の由来について1898年以前の用例から考える

「ちぇすと」の由来については以下のnote記事に詳しい。

[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu

(1) 本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉

(2) 明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島知識人流行語になった**

(3) 島津義弘関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水千本松原のこと)が生まれ

(4) しかロシア語意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる

(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京学生青年あいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった

(6) 流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**

(7) 鹿児島出身作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ

(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいとき気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**

(9) 司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味使用し、(3)の意味は失われていった**

(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった

(11) そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味しかない江戸明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である

しかし、このnote記事では1936年辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。

また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報提示するとともに研究を補強したい。

「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。

まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島士族佐藤良之助とある

猿渡は傍若無人なりステッキを以て力任せに竹藪を叩きながら

然り然り卑怯者奴(め)……無気力(いくじなし)奴(め)チエストー

これは相手馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。

ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手威圧するための掛け声なのかはわからない。

同じく1888年の『女学雑誌』。

「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公なすに足らん

句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。

1889年の同じく『女学雑誌』。

膝ッきりの衣服に高下駄お国書生、是も二人連

「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」

箪笥を擔で来る男「邪魔邪魔ダッ…」

「コリャどふする…エエ」お国訛にりきんでも突飛(つきとば)される「エエ…チエスト」。扼腕――是も苦笑となる。

田舎者上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。

ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。

1892年罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である

真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?

英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。

1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身杉浦重剛という人が東京に作った私塾である

此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり

其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ

前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである

薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。

1893年少年子』。

此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり

下宿暮らしの書生はあまり自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。

とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?

1895年探偵実話 娘義太夫』。

「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり

自分が情けなくなってちぇすと。

溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー貴様おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり

怒りのちぇすと。

彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり

喜びのちぇすと。

薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。

ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京出身らしい。

1896年『盍簪』「薩摩新風土記」。

チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり

ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?

と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。

この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟長岡藩出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。

1897年江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。

「ちえッすと!」

殊に高く響いた此声を最後にして、多くの怪しの人影は散々に大王崎を去つて仕まつて、それからは寂として声が無い。

謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。

と、こうしたあたりが1898年内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である

明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。

これは冒頭でリンクしたnote記事説明に反する事実である

薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明適当ではないか

また、この頃の方言集や辞書も紹介する。

1906年の『鹿児島方言集』。

ちぇすと てすとに同ジ

てすと 感嘆詞快感

元は「てすと」なのか?

1912年山田美妙『大辞典』。

すとう[感] 九州地方方言。力ヲ込メテハゲマス語。或ハちえナドヲ添へ、ちえすとうナドトスル。

元は「ちぇ+すとう」なのか?

1933年方言誌』「鹿児島鹿児島谷山方言集」。

エスト よいしょ(掛声)

エツソ チエツソイケ それ見ろ

これについてはnote記事でも言及されていたものである

note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、

1977年かごしま民俗探求』の久保けんお「薩摩方言民謡」では、

チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのであるエイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである


1979年井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、

ちぇっそ 感動詞一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからかいうのがある。

説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。

これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠必要になりそうである

2025-06-15

デデデ大王』の名における三重音「デ」の意味論構造

レイコフの認知意味論に基づく考察

要旨

本稿は、任天堂キャラクターデデデ大王」の名前において繰り返される三音節デデデ」が持つ意味論的・認知的意義について、George Lakoffの認知意味論をもとに検討するものである特に、音象徴プロトタイプ効果・繰り返しによるカテゴリー化の効果を取り上げ、「名前意味は何を喚起するのか」を考察する。結果として、「デデデ」は単なるナンセンスな響きではなく、繰り返しの中にキャラクター性を示す象徴機能を持つことが示唆される。

本稿は増田2025年6月15日および16日の両日を利用して独自執筆したものであり、その著作権は筆者本人に帰属する。

1.はじめに

デデデ大王」は、ゲーム星のカービィシリーズに登場するキャラクターであり、名前構造は極めて特徴的である。「デ・デ・デ」という音の繰り返しは日本語話者にとって非語彙的であるにもかかわらず、一定キャラクター性を直感的に伝える。このような名前いかにして意味形成しているのかを明らかにするために、本稿ではレイコフの認知意味論を枠組みとしつつ、「繰り返し音」の認知的・意味機能分析する。

2. 理論的枠組み

2.1 認知意味論とは

レイコフの認知意味論は、言語意味辞書定義によらず、人間認知構造経験スキーマと結びつけて捉えるアプローチである代表的理論に、以下がある:

プロトタイプ理論カテゴリーの中心的な例(プロトタイプ)を基に意味構成する。

フレーム意味論:語の意味は、それが位置づけられる知識の枠組(フレーム)によって決定される。

概念メタファー理論抽象的な意味も、身体的・経験的な領域から比喩により理解される。

2.2 音象徴と繰り返しの効果

言語音には、感情物理特性喚起する象徴効果(例:「ポチャ」「ズドン」)がある。また繰り返しは、幼児語感嘆詞などでしばしば使われ、親しみや滑稽さを喚起する。

3.「デデデ」の音構造意味作用

3.1 音象徴としての「デ」

破裂音[d]と母音[e]の組み合わせは、日本語において強さや鈍さを想起させる音素であり、「デブ」「ドスン」「ドテ」など重量感を示す語彙と共通する。このため、「デデデ」は聴覚的に「重さ」「鈍さ」「滑稽さ」を自然連想させる。

3.2 三重構造効果プロトタイプと反復

三回の反復は、言語認知において特異な効果をもたらす。二回では反復と認識されにくいが、三回以上で「パターン」として認知され、プロトタイプ的な「ふざけた名」「コミカル人格」の中心像を形成する。たとえば、「ドドド」や「バババ」などと同様、「デデデ」は“過剰性”を表し、そのキャラクターの非日常性や権威の滑稽さ(王でありながら間抜け)を示す。

3.3 フレーム意味論考察

デデデ大王」という構文は、「大王」という威厳ある語と、「デデデ」という非語彙的な三重音との間に強いコントラストを作る。フレーム意味論的に見ると、王族支配フレームに対して、「デデデ」という名はそれを滑稽化・解体する音韻装置となっている。

4. 概念メタファーとしての「デデデ

「滑稽さ=繰り返し」「強さ=重い音」という音象徴比喩により、デデデ大王というキャラクターは「力強くて偉そうだが、どこか憎めない存在」という複合的なメタファー体現していると考えられる。これは、レイコフが言う「メタファーは我々の思考のものを形作る」という命題対応する。

5. 考察

デデデ」という名称は、非語彙的なナンセンス音でありながら、音象徴・繰り返し・フレーム破壊メタファー効果など複数認知機構を通して、キャラクターの核を象徴する強い意味を生成している。これはレイコフが提唱した、語の意味辞書定義によらず、体験スキーマ認知プロトタイプによって形成されることの好例といえる。

6. 結論

デデデ大王」の三文字は、単なる語感の選定ではなく、認知的にはキャラクターの“意味”を作り出す中核装置となっている。言語意味は「意味内容」だけでなく「響きそのもの」や「反復の形式」によっても形作られる。これはレイコフが主張する「意味身体化されている(Embodied)」という概念とも合致する。今後は他のキャラクター名との比較を通じ、繰り返し音の文化的意味論的傾向をより広く探ることが求められる。

参考文献

• Lakoff, George. (1987). Women, Fire, and Dangerous Things: What Categories Reveal about the Mind. University of Chicago Press.

• Johnson, Mark & Lakoff, George. (1980). Metaphors We Live By. University of Chicago Press.

2024-07-27

「めちゃくちゃ」とかい関西弁を使うのをやめろ。日本人なら「とても」「非常に」「素晴らしく」などの日本語を使え

ナイツ塙が人生最後に食べたいものは? 「昔、桂子師匠が働いてた浅草の…むちゃちゃおいしい」(スポニチアネックス

https://news.yahoo.co.jp/articles/8a9278ccb06b100b688416e76b6a71113ecc5fd6

ten********

9時間

関西弁流行ってから久しいが、気になるのが「めちゃくちゃ」とか「めっちゃ」とかい形容詞。「とっても」、とか、「非常に」、「素晴らしく」「最高に」…など東京には東京感嘆詞があったはず。浅草芸人なら江戸弁を使ってほしい。朝ドラとか、その他芸人ほとんどが地方なまりで聞きにくい。できれば標準語でやってほしいものだ。

2024-01-16

anond:20240116094758

キモい」は感嘆詞みたいもん

すごい、エモいも同様

何も言っていないけど、言ってる感じを出す

2023-09-22

anond:20230922202354

そんなこと言ったらエレベーターで↓行きたかったのに↑行きのエレベーターに誤って乗っちゃったとき感嘆詞もないじゃん

2023-07-27

感嘆詞アンチだったかもしれねえ

完璧すぎる!」「すごすぎる!」みてえなコメントを見るたびに何か釈然としないものを微かに感じていて

当初はなんとなく若い表現からとか、単純な「○○すぎる」という誇張表現キライだから、っていう自己分析で終えていたが

他の視点が見えてきた

"感嘆詞化"ってやつだ

まり完璧すぎる睡眠管理」や「美人すぎる教師」とかであれば、割合何にも思わないんだけど

完璧すぎる!」「美人すぎる!」という感嘆詞用法だと、ゾワゾワとした受け付けないものが生まれ、ワアッ、と感じやすい傾向にあるようだ

まあここ数年の言葉の変化でもないだろうが

おれが感嘆詞アンチかもしれねえって話はそんだけ

 

ただ、なんだね、言葉は変わりゆくものだと頭で理解してはいるが、肌感覚的に近頃の日本語が気色悪くなってきたっていう実感は、年を追うごとに着実に積もっている気がするんだな

「アンタは平気で言えるんだろうけど、俺は使えねえなァ、そんな言葉」ってのが増えて困るね、インターネッツの影響かな

2023-07-17

anond:20230715174621

辞典によれば「なるほど」は、相手理屈に対して納得する意を表す、とある。つまり微妙ではあるが

  ・話を聞くまでは『納得』していなかった

  ・お前の話でその理路が理解できた

…という風に聞こえる可能性をもつ特に後者は、自分相手との関係を、「評価する側/評価される側」に置いているように感じられ、この語が、身分立場が上の人に使うには失礼な語…となっても不思議はない。

この手の「評価」を含む語の使いどころって難しいよね。たとえば誉めてるつもりで「面白いね」って言うとしても、親が子に言うのと子が親に言うのとでは全然違うでしょ。

子「お母さん見て見て~」 母「へー、面白いねー」 子「でしょー(笑)

母「〇〇ちゃん、これ見てごらんー」 子「へー、面白いねー」 母「??」

後者で期待されてるのは「わーすごい」とか「きれー」とかそういう感嘆詞的反応であって、「評価」ではないんよな。まあ「面白ーい」なら感嘆詞的でしょ、というのも否定はしないけど、同時に評価的に受け取られる可能性もあるので、要注意ってとこかなあ。

というわけで、取引先や上司の話に単純に同意したいだけなら、「そうですね。/はい。/確かに。/仰る通りです。」あたりが無難ではないかなと思う。

ただ、福岡でこの語が一般化しているという話は「面白い」なあ。語感の違いか文化の違いか、一考の余地がある。

2023-07-16

なるほどですね」の何が文法的にまずいのか誰か解説してくれ

https://anond.hatelabo.jp/20230715174621

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230715174621

相手不快に感じるとか、こういう印象を受けるというのはおいといて、文法的にどこがどうまずいかを私の日本語知識だと理解しきれないので誰か頼む。

Togetterブコメを見るとざっくりと「なるほどは相手を敬う意味がない」「なるほど+ですねは文として成立していない・俗用の日本語である」「ですねは同意を求める意味であるので失礼にあたる or 意味が通らない」というのが主な理由として挙げられているように見える。

この後ろ二つの理由イマイチ正確に理解できない。

主な疑問や考えは以下。

・「なるほど」という副詞(もしくは感嘆詞場合でも)に助動詞です+終助詞ね が続くのは本当に日本語文法的おかしいかおかしいなら、なぜおかしいか

・「ですね」は別に同意を求める意味ばかりではないと思うが、例えば意味の一つである自分の感動を伝えるという意図でもやはり失礼にあたるか。(繰り返すが文法的に。受け取り方や印象の話は一旦しないで)

私の中学生並みの国語知識では限界だ。日本語に詳しい増田ブクマカ頼む〜

2023-07-15

anond:20230715174621

感嘆詞に「です」を付けるのに違和感がある。

他の感嘆詞だと「こんにちはです」「さようならです」「はいです」「もしもしです」

ラノベキャラ付け語尾みたいだ。

個人的に「なるほど」はビジネスでも気にならない。「なるほどです」「なるほどですね」は違和感がある。

「いたします」→「いたしますね」で少し柔らかい印象になることから、「~ね」は印象を和らげる効果があるのだと推測するが、

「なるほど」(カジュアルすぎる)→「なるほどです」(かたすぎる)→「なるほどですね

と変化させるくらいなら最初から「なるほど」でよくないか?と思う。元々カジュアル言葉を固くしてから柔らかくし直すのは中途半端で回りくどい気がする。

2022-12-28

anond:20221228111701

うちの実家は外断熱で二重窓で床暖房入っていて家中オイルヒーターが張り巡らされていてとても暖かかったけど、破産して家を手放して今は更地になってるから諸行無常だなって思う。(どんなに暖かい家があっても、それが永続することはない、なんとこの世の儚く無常であることだなぁ 感嘆詞

2022-03-29

anond:20220329135021

これはOh, I can't believe it!みたいなもんだと思ってる

感嘆詞みたいなもの

鳴き声に近い

俺は恥ずかしいか絶対に使わないけど

2021-11-30

プロセカ運営愚行まとめ【バチャシン編】

プロジェクト〇〇の名を冠しこのシリーズ正式な最新作と見せかけ、今までのようなボカロオンリー音ゲースマホでも出来ると期待させるも、実態オリキャラ混入のほぼバ〇ドリという実質的タイトル詐欺

②ミクが歌って踊る映像や、ボカロ達のイラストのみを切り抜いたCMを打ち出しボカロファン誘導、よく見る広告詐欺ゲームといい勝負

ボカロのお助けキャラクター化。

ボカロオンリーイベントの不開催。

⑤フルボイスと表記しているはずが、ボカロ達のみ感嘆詞で済まされている箇所がある。

⑥"プロセカの"ボカロ達ではなく、大元である初期衣装ボカロ達のカードが、星1と1周年のミクのみ。

オリキャラ+バチャシン歌唱のはずの書き下ろし楽曲で、ボカロ達の声がほとんど聴こえない調声。

MEIKOKAITO、ルカ推しから見ると、オリキャラ歌唱曲はもちろん、リンや他社ボカロなど他のボカロ歌唱楽曲追加が多く、ボカロ内でも格差がある。

ボカロ達のアナザーボーカルを使える場面が圧倒的に少ない。

⑩そして年長組は前回のワンダショちゃんねるでも曲追加無し、近藤プロデューサーのツイートで、年長組ファンの苦言が無ければ1.5周年にも追加を予定していなかったことが発覚。

次回オリキャラ編。

2021-10-07

anond:20211007094619

なるほどは「あっ」みたいな感嘆詞みたいなもんで、その後に何が来るかでなるほどが敬語として受け入れられるかが決まる。

からなるほど単体で使おうとすると敬語としては片手落ち

その場合は左様でございますか(ましたか)、そうですか(でしたか)、等を相手自分立場によって使い分ける。

ただし「なるほどですね」、テメーはダメだ。

2021-05-01

anond:20210501102054

わいが自宅で人知れず急死したとしても世の中的には草すら生えない。せめて屋外で急死して、雑草肥料にでもなりたいものであるなぁ。(感嘆詞

2021-01-11

高学歴アスペの私が「共感力」を使いこなすようになった1つのコツ

最近共感力」が話題ですが、私も昔は「共感力」が低くて、(特に女性との)会話がとにかく盛り上がらなくて苦労していたのですが、たった1つのコツを理解したら、この「共感力」というものに対する悩みがなくなったので、共有まで。

https://anond.hatelabo.jp/20210110123006

共感力」というのは、相手感情肯定する「フリ」をすることです

模範例 / 先週実際にあったテレワークでのMTGでの冒頭の会話

参加者A: 「今日寒いですね~」

参加者B: 「いやー、寒かったですよね~」

自分: 「ホント今日寒いですよね~」

解説

この会話ですが、この日は私は暖房付けっぱなしの自宅に家にずっと引きこもってたので、逆に暑かったくらいでした。2人が寒かったと言ったので、とりあえず「同意」と相手言葉の「リピート」をしただけです。

昔はこういった会話1つ1つに、しっかり意味事実を伝えないといけないと思っていたのですが、どうもそうじゃないっぽいんですよね。求められてるのは基本「相手感情肯定」なんですよね。だから重要なのは相槌とか感嘆詞とか、あと「同じ気持ち」ということに喜びを感じる人が多いので、相手が言った言葉リピートするとか。

伊坂幸太郎の「AX」という、恐妻家殺し屋小説があるんですが、これがまさにアスペ男性女性と上手くコミュニケーションとるやり方の参考になるので、小説自体面白いですしオススメです。

https://www.amazon.co.jp/dp/B084SPFNH9/

2020-07-11

anond:20200711091312

増田の言うびっくりは、感嘆詞で表すと「うわーっ!?」とか「ぎゃあああ!??」だけど

Twitterちょっとしたことにキレぎみにビックリしてる人のは、「は?」だと思う

増田なら「は?」っていう気持ちは何という術語で表す?

2020-03-03

高学歴と「中流階級」について

(はじめて投稿します)

ある大学生一部の人の「中流階級」という言葉定義の違いからその大学生Twitterが小さく炎上している。

その学生東大学部入学式祝辞と今年の入試現代文文章引用し、自分が恵まれいたことを振り返っている。

その際、自分の生まれ東京中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。

その後学生自分定義として社会学者定義引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのリプライをした。

また、リプライの表示設定をよりプライベートものにするという提案リプライ賛同している。

以下ではこの件について意見を述べる。当該学生攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。

=====

祝辞現代文で扱われた文章メッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。

祝辞努力したら報われるという思考は恵まれ環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな

入試文章現代では教育媒介として格差再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える

当該学生自分が恵まれていることに自覚的であることは重要である解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、

多くの批判学生が自信を表現した「中流階級」という言葉定義の差からまれているようであった。

言葉定義の差なので当該学生ツイートになんら誤りはないが、学生世間知らずとして批判されている。

祝辞入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリ自分努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、

世間知らず(自分社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。

学生の「中流階級」の定義引用元については、おそらく20年以上前社会階層を元に定義されていて、

現在社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。

ここ20〜30年程度の中流階級喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。

学生が後からツイート定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般定義を用いるべきであろう。

もし私が祝辞入試問題の背景、さらに当該学生意思を正しく捉えられているなら、

当該学生はまさしく祝辞入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。

また、中流階級喪失インテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切定義使用皮肉ものであるように自分には感じられる。

現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。

批判ツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)

理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。

加えて、不愉快批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施宣言している。議論放棄しているようだ。

こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的政治家の台頭を助長しているのではないか

自分はこの20年ほどで先進国特に日本アメリカでは富裕層貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。

そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。

また学生炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬放置しろなどといった態度も見られる。

自分判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。

このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学勉強をしに来ている学生気持ちを考えて欲しい。テニスサークル男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補学生があまりハイスペック炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。

また、学生はこういったツイートをすることで自分努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。

私が例の入試現代文文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。

ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境努力に正に働きかけ、しかしその中での努力精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。

私の解釈範囲では、学生文章をあまり理解していない。

もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。

なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、

私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。

これらの類のリプライには嫌悪感を覚える。

一応自分もこういった人たちと同じような大学卒業しているが、こういった発言インターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。

なお、私は中流下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。

経済的理由で、家族の泊まり旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行20年で1度だけあった)。

進学実績のある高校入学した時も、裕福な家庭出身学生の多さに驚いたが、東京大学入学した時の驚きはそれ以上であった。

裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。

彼らと同じように青春謳歌しようとしたが(当時の自分サークル活動恋愛へのコミット強迫観念を抱いていた)、家事アルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さから理解いただけるだろう)。

理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。

牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬自分の惨めさを日々感じていた。

都内一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除収入基準クリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。

就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。

貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身学生が、家事アルバイトをこなし、貸与・給付奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。

炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育媒介として格差再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。

GDP世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。

私が知らないだけで、学生アンケートをとって学生の家庭の親の年収資産調査したものなどが公表されているのだろう(道義的公表しないはずがない)(追記公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。

多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。

(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))

追記

一部のコメントへの返信

東大ミスコンでも美醜を争うの? 賢さは争わないの?

美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます

でも格差再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります

そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞現代文では展開されていると捉えています

ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma

記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います

しか入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに平等になっています

東大生の親の資産調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査調査されているのでリンクを貼ります議論の参考になればと思います

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/students/edu-data/h05.html

ご教示いただきありがとうございますこちらの資料学生生活実態調査(2018年)

の39〜42ページに出身地や世帯収入家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。

このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。

東京大学入学した学生の貧富の調査公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています

世帯収入出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。

特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。

当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。

こいつも、頭が悪いことでは差別してもいいと考えているんだよな。件の東大生と同じ。

努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特にまれ人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。

2019-09-28

anond:20190928124830

「おいしい」という言葉定義の違いかね。

普通は。「世間からおいしいと評価されるであろう味のする料理」のことを「おいしい」と言うのではなくて、「食べた瞬間身体の底からしみ通るような、全然食べたことのなかった味でも『ああ、この味覚を私は味わいたかったのだ』と思わされるような、心震える体験」を引き起こす味のことを「おいしい」と言うのだよ。


まり「おいしい」は感嘆詞

2019-02-18

anond:20190216081339

「と」「かく」は代名詞のようなもんで、「とせん、かくせん(あれをしよう、これをしよう)」「とせよ、かくせよ(あれをしろ、これをしろ)」みたいな表現古文には出てくる。

それを念頭に「あれこれ」という意味で「とにかくに」「ともかくも」という表現が生まれたのだが、同じ並列の効果を持つ助詞でも、「に」と比べると「も」は詠嘆の意味が強い。

そのため両者とも「あれもこれも下らない」という意味は持つのだが、話を打ち切る感嘆詞的な表現はより感情的ニュアンスを持つ「ともかく(も)」だけが担ったと考えられる。

2018-07-22

「ふーん」って使わないな

使う機会がない

感嘆詞としてネガティブすぎる

2017-10-08

キュートを用いたローマ字綴りを普及させたい

いや、嘘。実体参照リストを見てたらいろんなラテン文字に結合できると知って使いたくなっただけ。

もつらつら書いてたら同音異義語を多少緩和させて読みやすくなりそうなので、ローマ字書きするときに普及したらいいなあと思った。

使うもの
数値文字参照表示この増田での意味
́ ́漢語外来語を表す。
̊ ̊大和言葉を表す。
̄ ̄長音
̈ ̈単独発音する。

使った例
漢語外来語の例

キュートを付ける。略語場合には構成する語ごとに付ける。固有名詞大文字


大和言葉

1. 混種語で後ろが大和言葉場合リングを付ける。

1. 大和言葉同士で連濁が起こらず、且つ分かりづらい場合リングを付けえる。3重以上の複合語で大きく分かれる箇所にリングを付けるとよい。

1. 固有名詞単語の切れ目を意識させたい場合任意で。




そのほかの例
トレマも使おう
接頭辞接尾辞

ハイフンレスですっきり。


「当機」「冬季」「陶器」「時」「朱鷺」の区別

  • T́ōḱi wa mamonaku t́yakuriku t́aisei ni hairimasu.
  • T́ōki órinpikku, tugi wayontyan de yarurasii.
  • T́ōki to ieba, masiko.
  • Toki no kane wa kawagoe no midokoro.
  • Toki wo yatara mettara tukau Niigataḱen. Tokimeki T́etudō toka mohaya kirakira ńēmu.

「機」 (漢語)と「木」 (大和言葉)の区別

リング+トレマの併用例と併用しない例。

  • Ǵaruṕanö̊zisan, Ibaraḱi Ōårai no ḱeizai wo uruosu.
  • Ǵaruṕan ozisan, Ibaraḱi Ōårai no ḱeizai wo uruosu.

課題

  • Maa dono ǵengo demo sō darō kedo, komaru no wa Latin ḿozi no ḿeisi dayo ne. Tatoeba:
  • Mise no hito: "T́hī Ṕointo Ḱādo (T-Point Card) wa om̊oti desu ka?"
  • yaku: "Iie, ḱādo wa ṕurasutikku (plastic) desu."
おまけ

Śeigi no Ḿik̊ata no T́okutyō

  1. Źibunźisin no ǵutait́eki na ḿokuhyō wo motanai
  2. Aite no yume wo śosi suru no ga ikigai
  3. T́andoku-Śyōninzū de ḱōdō
  4. Tune ni nanika ga okotte kara ḱōdō
  5. Ukemi no śisei
  6. Itumo okotte iru

Ákud̊ama no T́okutyō

  1. Ōkina yume ya ýabō wo idaite iru
  2. Ḿokuhyō t́assei no tame, ḱenkyūḱaihatu wo okotaranai
  3. Hibi d́oryoku wo kasane, yume ni mukatte te wo tukusite iru
  4. Śippai sitemo hekotarenai
  5. Yoku warau
まとめ

増田さん」って、言ったり聞いたりするときは一塊のフレーズとして聞くけど(もっと言えばテニヲハまで一塊)、読んだり書いたりするときは「増田」と「さん」に分けて理解するわけで、そういう目と耳とで矛盾する解釈をうまくアルファベットに落とし込めると読み書きしやすローマ字になるのかな、と思った。

以上3連休前半を無為に過ごした自分への言い訳

2017-01-11

[] hip hip hooray

ヒップヒップ・フーレイ(英: Hip hip hooray 若しくは Hippity hip horray Hoorayは、hoorah, hurrah, hurrayなどとも綴ったり、

発音される)は、英語圏若しくはそれに準じる地域で何か若しくは誰かを称賛する為に喝采を送り叫ぶことである

一人の場合感動詞の形となり、複数人場合、唱和の形となる。 喝采は一人の人の"There cheers for ...[someone or something]"

もっと古風では"Three times three") からまり、 そして"hip hip"(古風には"hip hip hip")と三回呼びかけ、 それぞれ"hooray"と

返す。

  

この掛け声は19世紀の始めのイングランド乾杯に関連して記録されている。 18世紀辞書によると"Hip"は1790年から続く注意を引く

感嘆詞と載っている。 "Hip-hip"は19世紀初期1806年より後に乾杯の前の呼びかけとして追加された。

1813年までには近代の形であるhip-hip-hurrahとなった。 "

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4

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