前から薄々思ってたけど、家庭環境が悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏は全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族がちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。
まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。
でも、家庭環境が悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着、ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所や学歴や収入が違っても、根に同じ匂いがある。
じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分で自分を作る必要があるから。アイデンティティが地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分の輪郭を無理やり作る道具。
そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。
服は、自己救済の一種。自分を肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。
家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリア。シールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方の古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。
あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造の問題。家が壊れてると、親からの承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認の代替物。
そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。
もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境が悪い男ほど、服に人格を投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。
服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境が悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分を肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。
家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分の価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。
AI丸出し坊や