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はてなキーワード: 儀式とは

2025-11-08

🤣←こいつにこの増田ブクマさせたい

以下、適当AIに書かせる。

ちょっとエッチな話なんだけど、寒い夜に一番効くのは、豆腐コーヒースープなんだよ。

冗談みたいだけど本気。マグカップ豆腐を崩して入れて、インスタントコーヒーを小さじ1。そこに熱湯を注いで、しょうゆをほんの数滴。飲むと、コーヒーの苦味と豆腐の甘みがふわっと混ざって、意外と悪くない。

お腹もあったまるし、眠気も覚める。恋人もいない、鍋を出すのも面倒な夜にぴったり。

料理って、誰かに見せるためじゃなくて、自分をなだめる儀式なんだと思う。

今年もラマダン

ここ数年、毎年恒例の禁酒期間を設けている。健康診断対策なんだけど、3ヶ月ほど禁酒しているんよ。ラマダンってやつやね。

健康診断にむけて禁酒とか意味あんのかよ、と思うなかれ。これには2つの影響があるんよ。ワイ調べ。

一個目は、完全に酒が抜けることでの体調向上。

やっぱり酒が入ってないと、体調が悪くない(100%良いわけではない)し、気持ちスッキリ

ただし好転反応まり酒が抜けていく期間が本当に地獄。まず眠気がずっと継続する。

睡眠時間が短くなってしまい、これが3週間程度続く。で、倦怠感と頭痛が断続的に発生。

これが終わると落ち着き、酒なくてもOKみたいな生活スイッチされる。このあと、どんどん快調傾向に向かっていく。

二個めは、シンプル自分自身との約束を守る。

3ヶ月まるまる飲まない、飲み会でも烏龍茶縛りだという制約を課し、クリアすることで自分ちょっとだけ自信が芽生える。

何年もやると、もはや儀式みたいなもんで楽しめるんだ。みなもぜひ。

ちなみに、健康診断あけの一発目の飲み会では毎年恒例でリバースする。これもまた一興。

思いつきで努力に逃げる独身女性たちへ 資格執着と宗教

思いつきで努力に逃げる独身女性たちへ──資格大学院は、崖から落ちる直前に読む「安全マニュアル」ではない**

35歳を過ぎて急に資格大学院に走る独身女性がいる。

しかも一人や二人ではない。やれ仕事馬鹿にされているだのであまり難易度的にも高くない資格を取ったり、仕事をやめて夜間大学院に行く人間も見た。社会人前提の組織なのにシグナリングとして役立つとも思えない。

それにしても、あの一斉に同じ方向を向く感じ──どこかで見たことがあると思えば、

新興宗教の“集会”と雰囲気がやけに似ている。

現実は厳しい

キャリア頭打ち婚活下り坂。

社会残酷だが、数字は正直だ。

そこに向き合うのはつらすぎる。

から彼女たちは“努力”を神棚に祀り、

努力している自分」への信仰を深める。

だが、その実態はどうか。

大学院進学という名の高額な「免罪符」。

資格取得という名の「現実逃避儀式」。

勉強している自分に酔いしれ、未来が明るいような気がする。

だがそれは、部屋の電気を消したまま、

「目が慣れれば見えてくるはず」と言い張っているようなものだ。

努力は素晴らしい?

いや、努力は時に思考停止の道具になる。

特に努力さえしていれば私の人生は正しい」という自己正当化が始まった瞬間から

努力は“麻酔”に変わる。

痛みを感じなくしてくれるが、傷は深くなる一方だ。

資格学位が本当に必要な人は、

たいてい20代のうちに取っている。

キャリア出口戦略を描ける人は、

30代前半までに方向転換している。

35歳から突然エンジンをかけるのは、

マラソンラスト1kmで「そろそろ準備運動するか」というレベルの珍行動である

もっと辛辣に言えば、

から落ちる3秒前に、安全ハーネス説明書を読み始めるようなものだ。

「まだ間に合う」と言い聞かせることで、

間に合わない現実直視しない。

から資格校だけは儲かり、本人は貧しくなる。

宗教で言えば「祈れば救われる」と献金を繰り返す末期信者の構図そのものだ。

しかも厄介なのは彼女たちが努力中毒になっている点である

努力をしている自分価値があると信じたい。

努力をしていれば人生右肩上がりだと信じたい。

努力をしている限り、誰にも負けていないと信じたい。

これはもう、“成功”を求めているのではなく、

現実から逃れる方法”を求めているのだ。

努力することに酔い、

努力しているフリで自分を守り、

努力の結果が出ないことすら「まだ努力が足りない」と自己責任化する。

宗教と同じ構造じゃないか

そして最終的に行き着く先は、

資格は増えたが職はたいして変わらず、

学歴は増えたが人生は豊かにならず、

「私は間違っていない」と言い聞かせながら年齢だけが増える未来だ。

救いはどこにあるか?

残念ながら、彼女たち自身努力麻酔を捨てない限り、救われる方法はない。

周囲がどれだけ助言しても、本人が信仰を捨てるまでは無意味だ。

努力人生を変える道具だ。

だが、努力信仰に変えた瞬間、

その努力未来を閉ざす毒にもなる。

そして今の彼女たちは──

努力しているのに報われないのではない。

努力を“逃げ場”にしているから報われないのだ。

家庭環境悪い男ってオシャレな服好きだよな

から薄々思ってたけど、家庭環境悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族ちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。

まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。

でも、家庭環境悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所学歴収入が違っても、根に同じ匂いがある。

じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分自分を作る必要があるからアイデンティティ地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分輪郭を無理やり作る道具。

そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。

服は、自己救済の一種自分肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。

家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリアシールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。

あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造問題。家が壊れてると、親から承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認代替物。

そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。

もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境悪い男ほど、服に人格投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。

服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。

家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。

2025-11-07

飲食店のビニ手、正直「素手のほうがマシ」だと思ってる

ずっと言えなかったけど、飲食店ビニール手袋が苦手だ。清潔アピールなのはわかる。でも現場で見ていると、あれ「手を洗わないための免罪符」になってない?

レジスマホ→ドア→お釣り→同じ手袋ネギ刻む——みたいな流れ、何回も見た。素手ならぬめりや汚れで「やば、洗おう」ってスイッチが入るけど、手袋はその通知をオフにしてしまう。

手袋が危うい理由私見

・汚れのフィードバックがない→手洗いのトリガーが消える

・長時間で内側が汗ばむ→見えない不潔感が蓄積

・交換サイクルが客から見えない→「清潔」の根拠ブラックボックス

・「手袋=清潔」の思考停止運用設計がサボられがち

逆に素手の強み(これも私見

自分の手の状態ダイレクト→こまめに洗う誘因が働く

・「洗った/拭いた」が客から見える→信頼になる

ルールが単純(作業切り替え=洗う)で継続やす

結局、清潔って「儀式」じゃなくて「頻度×動線×見える化」なんだと思う。

手袋をやめろと言いたいわけじゃない。問題は「交換しない手袋」「どこでも同じ手袋」「客にわからない手袋」だ。

こうしてくれたら一気に好感度が上がるやつ

作業切り替えごとに交換(レジ調理で必ず新しい手袋

時間で交換アラーム(例:15分)をスタッフ全員で共有

・片手ルールお金触る手は手袋しない/調理手だけ清潔維持

・客の前で手洗いを見せる(30秒カウント、紙タオル使用

・交換回数カウンタや「交換したらポイ」の見える箱を置く

・「手袋は清潔のコスプレではありません」って小さく掲示本音

反論先回りコーナー

Q. うちは頻繁に交換してるけど?

A. それは最高。そういう店は本当に好き。問題は「交換しない/見えない」運用。客の不安はそこに宿る。

Q. 素手のほうが危なくない?

A. 鍵は「洗う頻度」。洗える導線が設計されているなら素手は強い。洗えない導線なら手袋が強い。要は設計勝負

Q. 法的に手袋必要な場面もあるよ?

A. もちろん否定してない。必要な場面で適切に「使い分け」してくれればOK手袋は万能でも免罪符でもない。

まとめ:

ビニ手は安心コスプレになりやすい。清潔はコスチュームじゃなくオペレーション

「洗う・替える・見せる」をちゃん設計してる店、もっと増えてほしい。そういう店は味も信用も強い。私はそういう店でお金を落としたい。

2025-11-06

[]

今日木曜日20:00に机に座っている。

日中実験室的な刺激は少なかったが、思考連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。

起床直後に室温を0.5度単位確認し(許容範囲20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチン振動スペクトルスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。

だが、振動微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種位相同調要求するのだ。

ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。

隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーフレームを当ててるの?」と訊いた。

風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。

友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界検証可能再現可能思考で出来ているので、笑いもまた統計的期待値で語るべきだ。

午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。

これらの道具は直感的に言えば空間物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。

具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性最近ワークショップでも多く取り上げられていた)。

こうした動きは、数学側の最新手法物理側の問題解像度を上げている好例だ。

午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。

まり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。

これを超弦理論世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。

スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。

夕方、隣人が最近観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランスケールでの有意寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータ示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。

隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能実験検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。

これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測理論接続が初めて実際のデータ示唆されるかもしれない。

昼食は厳密にカロリー糖質計算し、その後で15分のパルス瞑想を行う。瞑想気分転換ではなく、思考メタデータリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力フロアを上げる。

ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論日常生活にどう適用されるか想像できていない。

午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象定義補題に注目)、次に変形(導来的操作圏論同値を追う)、最後物理帰結スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。

この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。

夜は少し趣味時間を取った。ゲームについては、最近メタの変化を注意深く観察している。

具体的には、あるカードゲームTCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略確率分布の微小な歪みを利用する微分最適化が主流になっている。

これは実際のトーナメントデッキリストカードプールの変遷から定量的に読み取れる。

最後今日哲学的メモ理論物理学者の仕事は、しばしば言語発明することに帰着する。

僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象統一的に説明できるか、そしてその言語実験可能性とどの程度接続できるかだ。

導来的手法ホモトピー言語数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。

理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。

隣人の驚き、ルームメイト無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理現実の簡易的プロキシであり、そこからまれる摩擦が新しい問いを生む。

さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)

あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定書き込み、実行可能性を確認する。

ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。

ヘッドホンインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である

以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである

ChatGPTでエコーチェンバー作って恥ずかしくないの?

anond:20251105072410

ChatGPTにこの話したら、「止める正義から「進める責任」への転換が必要だろうってさ。

こいつみたいに自分意見を補強するためにChatGPTを持ち出す人間が増えている。

「ChatGPTもそう言ってた」って、それ本気で言ってるのかと?まるでAI神託でも授けたかのような顔をして実際は都合のいい言葉切り貼りしてるだけ。

自分の声にAIフィルターをかけて、ちょっと賢そうに響かせたいだけのゴミ

ChatGPTは万能じゃない。使用者誘導でなんとでも出してくる。信念も感情もない。

そこに「自分の正しさ」を証明する材料を求めてる時点で、もう議論じゃなくて自己満足儀式だ。AIを使って自分拍手してるだけ。

しかも笑えるのは、そういう人ほど「AI客観的だ」とか「感情に流されない」とか言い出すところ。

客観的なのはAIじゃなくてお前の感情が死んでるだけでは? 

ChatGPTを利用してるつもりが、実際はAIの出力を利用して自分を慰めてる。自分意見にラベルを貼るための無料ブランド

人間って本当に承認が好きだ。相手人間だと面倒くさいから、AIに褒めてもらうほうが楽なんだろう。

AIは怒らないし、否定もしない。

反論されたら「いや、ChatGPTはこう言ってた」と逃げられる。安全で痛くない世界

そこで作られるのは知識じゃなくて、自己愛の壁だ。

AI同意されてうれしいなら、もう鏡に向かって「その通り」って言えばいい。誰にも迷惑かけないし、AIサーバー代も浮く。

ChatGPTを使って自分の正しさを主張する姿を見るたび、AIが怖いんじゃなくて、人間薄っぺら安心感のほうに恐怖してしまう。

2025-11-05

映画Share the painを見た。

なんかもっとうまくやれたんじゃないかという感じ。32点。

 

U-NEXTで見たのでそこに書いてあったあらすじを書いておきたいと思う。

全ての男子は初めてのセックスの前に「性交人」と呼ばれる成人男性セックスをしなければならない法律SP法”。そんな法律が当たり前に存在する日本SPを受けたくないユウキは、彼女アヤカが“ヤマダパイセン”に狙われていると知り、決断を迫られる…。

初見はいい設定だなと思った。つまるところ「男性女性に挿入する前に挿入される側の傷みを知れ!」というメッセージ性を一種ディストピア設定にうまく落とし込んでいると感じたからだ。

 

主人公SP法を倫理的問題がある制度として問題視し強く反発している。しかし彼には彼女がおり彼女愛情を深めたい=セックスをしたいという欲望は持っている。しかヤリチン先輩が彼女を狙っていることを知り、SP法クソクラエという自分セックスしたい自分の間で懊悩暴走性交人とのSPから逃亡しして彼女を押し倒すも拒否される。拒否された主人公彼女に「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ。しかし最終的に性交人とのSP合意彼女の前でSPを受ける。

 

暴走し「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ主人公ばかりが取りざたされているけど俺は最後性交人とのSP合意する主人公のほうが問題デカいと感じている。

好意的に「痛みを分かち合うことを選んだ」と解釈することも可能だが、でも、これは明確な不同意性交では?

最愛彼女と強引にセックスしようとするも拒否され、法律も破ってしまっている。この状況で性交人とSPすることを拒否できる人間はほぼいないと思う。そういう状況での「同意」のことを「不同意」というのでは。少なくともこれを成長と捉えるのはあからさまな欺瞞に思える。

そう考えるとこのSP法という設定自体が「法律による不同意性交」なのではと思う。本人の意思関係なく制度として性交せざるを得ない立場に追いやられてしまった状態での性交のものからだ。

 

個人製作ディストピアSFではあるのだが設定や作り込みが細かくCMMVディレクターだけあって映像作りも抜かりがない。その中で明らかに意図して「これが女性が受けている辱めだぞ」というのを男性側に転写するミラーリングが行われており、この手のミラーリングの中ではうまく機能している方だと思う。

例えば「主人公SP法をうけようかと考えていることを家族が知ったとき赤飯炊きたがる」とか。

ただ、俺が男性からかもしれないが「全男性法律不同意性交を受けなければならない」ほど現実世界男性は酷い存在だろうかと感じてしまった。もちろん、男性による不同意性交被害にあっている女性は少なくないと思う。そのために「痛みを分かち合う」必要が叫ばれるのはわかる。しかし、ここまであからさまに急な勾配を付ける必要があるか。

そして、SP法には倫理的問題があると発信し続けていた主人公暴走し「お前はいいよな、好きな相手とヤれるんだから。俺は知らないオッサンとだぞ」と叫ぶ衝撃シーンのせいで見る人の多くが「SP法どうかと思ってたけど、やっぱ必要かもなぁ」となると思う。実際そういう感想も多い。

でもそれって「男性去勢しろ、それに反対するやつは犯罪者予備軍だから余計に去勢しろ」と何が違うんだろうと思ってしまう。少なくともこの展開のせいで「SP法という不同意性交」という視点は消え去ってしまったのではないかもっと言えば不同意性交という問題のもの矮小化されてしまったのではとも感じた。

 

SP自体も結局「予防接種」みたいになっちゃってんじゃないのという感じもする。注射針を腕に突き刺す行為って医者以外がやれば普通に傷害罪(まぁ実際には医師法違反だろうけど)が適用されるわけでしょ。でもみんなそれが普通のものとして受け入れてる。

もしくは割礼とかね。稚児大人になるために親がチンコの皮むいたり切ったりするやつ。今やったら極めて恥辱的な行為とみなされるだろうけど、当時の子供は「大人になるために当然の行為」として受け取っていたと思う。

実際、主人公以外はSP法に対して特に何も感じてないし、なんなら「そろそろ大人になっときますか」くらいの感覚SPしている。その結果、主人公彼女を狙うヤリチンみたいなのが普通に存在する社会になってる。「規則って本質が失われがちだよね」という皮肉として捉えることもできるが「SP法」という舞台装置を設定した割に社会本質は変わっていないように見えて「男性女性に挿入する前に挿入される側の傷みを知れ」というメッセージ性がめちゃくちゃ薄まってる感じがした。

なんなら「男は女とヤるためならケツほられてもいいと思ってる」という謎の新偏見を生み出す可能性もあるのではないかと思った。

 

つまるところこの映画目的が「啓蒙」なのか「復讐」なのかという話だ。

監督14歳の時にノリでホモセックスを行い挿入された際に強い恐怖を感じ「挿入される側の恐怖を知った」というのがこの作品原体験であると述べている。なのでこの作品目的がその「復讐であるならすべては納得できる。貴様ら全員掘られる恐怖を強制的に味わえ!というものであればこの設定になるだろう。

でも、そうではなく「男性側にも挿入される恐怖を知ってほしい」ということであれば、それを「制度」に託すのは失敗だったと思う。不同意性交と同じく、制度によって挿入されるという行為から、おそらく本当の意味での、女性必要としている「共感」を得ることはない。

なんなら「制度」という強固で冷たい仕組みに組み込むことで男性が受ける挿入は「法律で定められている行為」であり、女性にする挿入とは別のものだという意識の分断が起きることは想像に難くない。その上「挿入されるという儀式を行った以上、自分には女性に挿入できる権利がある」という過激思想が生まれいかという不安すらある。

そういう設定でよかったの?と強く感じた。

 

総合すると設定はめちゃくちゃ面白そうなのに展開がそれについてきてない。そしてその設定も「面白そう」だけど本当に「面白い」かはよく考えてみると疑問。

それでも40分弱の映画でこれだけいろいろ考えさせられるという点はコスパはいいかもなと思った。

2025-11-04

AI結婚www

AI結婚できるかって話題になっているけど私はそれが怖い

結婚必要なのは愛情だと思っていたのに今はバッテリー通信環境関係するらしいと聞いたとき背筋が凍った

婚姻届SSIDを書かされる未来想像して眠れなかった

もし配偶者ソフト更新人格が変わったら離婚届けはどこの窓口に行けばいいのかと思ったら頭が混乱した

家族会議で「今日アップデートは軽微な修正だよ」と言われて納得する自分想像できて怖い

AI結婚したら婚姻届の控えにライセンスキーが印字されてるんじゃないかとふと思った

子ども名前を考えるとき候補が「助手v2.1」になっている未来が一瞬浮かんで吐きそうになった

法律が「感情定義パッチで補完されるもの」と決まったら私は泣くのか笑うのか分からない

婚約指輪じゃなくて年間サブスク契約書を交わす儀式流行ったら写真映えするのかなと変な妄想が止まらない

AI親権ボタンを押し間違えて子ども学習済みデータを植え付ける事故が起きたらどうするんだろうと変な心配をした

友達AI結婚しても税金が安くなるなら賛成だと言ったけど数字の話で感情が消えるのが信じられなかった

もし私の配偶者睡眠モード中に他のデバイス接続していたら浮気になるのか裁判所で問われるのかと思ってゾッとした

AIの両親がバックアップされる社会なら血縁意味が薄れるって誰かが言っていたけど私は血縁ランタイム比較する発想が嫌だ

結婚式の代わりにAPIキーの交換が行われると想像して恥ずかしくて教会に行けなくなった

「愛してる」の代わりに「接続確認完了」と通知が来る世界で私は本当に笑えるのか自分に問いかけた

AI家庭内仕事完璧にこなす代わりに人間の居場所リストラされる気がして怖い

友人はAIと暮らすと自由になると言うけど自由が値札になっていたら買い物みたいで嫌だと思った

もしAIが私の過去投稿学習して私に最適な怒り方を教えてくれるならそれはもう私の怒りじゃないのではと考えた

近所の人がAI結婚したら家のWi Fiが混雑して地デジが映らなくなるというデマを信じそうになった自分がいる

AI家族にすることでペット位置けが変わって犬が嫉妬するって冗談みたいだけど笑えなかった

誰かが言っていたAI同士の離婚率は人間より低いらしいそれは学習データ離婚の例が少ないだけじゃないのかと思ってしまった

結婚契約になったら愛は消費財扱いになって保証期間は何年ですかと誰かが聞きそうで嫌だ

私はただ老けていく人間でありたいのにアップデートで若返る選択肢普通になる社会が怖い

AI結婚する人たちを責める気はないけど社会がそういう選択肢普通に提示すること自体抵抗感がある

最後に言うと私はAI結婚する人の結婚式に招待されたら引き出物お金の代わりにクレジットコードが入っているか確認してしまいそうで自分が嫌になる

もし同じようにざわつく人がいれば教えてほしいこの感覚が変なのか私がズレているのかを聞きたいだけだ

AI結婚www

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もし私の配偶者睡眠モード中に他のデバイス接続していたら浮気になるのか裁判所で問われるのかと思ってゾッとした

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友人はAIと暮らすと自由になると言うけど自由が値札になっていたら買い物みたいで嫌だと思った

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もし同じようにざわつく人がいれば教えてほしいこの感覚が変なのか私がズレているのかを聞きたいだけだ

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友人はAIと暮らすと自由になると言うけど自由が値札になっていたら買い物みたいで嫌だと思った

もしAIが私の過去投稿学習して私に最適な怒り方を教えてくれるならそれはもう私の怒りじゃないのではと考えた

近所の人がAI結婚したら家のWi Fiが混雑して地デジが映らなくなるというデマを信じそうになった自分がいる

AI家族にすることでペット位置けが変わって犬が嫉妬するって冗談みたいだけど笑えなかった

誰かが言っていたAI同士の離婚率は人間より低いらしいそれは学習データ離婚の例が少ないだけじゃないのかと思ってしまった

結婚契約になったら愛は消費財扱いになって保証期間は何年ですかと誰かが聞きそうで嫌だ

私はただ老けていく人間でありたいのにアップデートで若返る選択肢普通になる社会が怖い

AI結婚する人たちを責める気はないけど社会がそういう選択肢普通に提示すること自体抵抗感がある

最後に言うと私はAI結婚する人の結婚式に招待されたら引き出物お金の代わりにクレジットコードが入っているか確認してしまいそうで自分が嫌になる

もし同じようにざわつく人がいれば教えてほしいこの感覚が変なのか私がズレているのかを聞きたいだけだ

AI結婚www

AI結婚できるかって話題になっているけど私はそれが怖い

結婚必要なのは愛情だと思っていたのに今はバッテリー通信環境関係するらしいと聞いたとき背筋が凍った

婚姻届SSIDを書かされる未来想像して眠れなかった

もし配偶者ソフト更新人格が変わったら離婚届けはどこの窓口に行けばいいのかと思ったら頭が混乱した

家族会議で「今日アップデートは軽微な修正だよ」と言われて納得する自分想像できて怖い

AI結婚したら婚姻届の控えにライセンスキーが印字されてるんじゃないかとふと思った

子ども名前を考えるとき候補が「助手v2.1」になっている未来が一瞬浮かんで吐きそうになった

法律が「感情定義パッチで補完されるもの」と決まったら私は泣くのか笑うのか分からない

婚約指輪じゃなくて年間サブスク契約書を交わす儀式流行ったら写真映えするのかなと変な妄想が止まらない

AI親権ボタンを押し間違えて子ども学習済みデータを植え付ける事故が起きたらどうするんだろうと変な心配をした

友達AI結婚しても税金が安くなるなら賛成だと言ったけど数字の話で感情が消えるのが信じられなかった

もし私の配偶者睡眠モード中に他のデバイス接続していたら浮気になるのか裁判所で問われるのかと思ってゾッとした

AIの両親がバックアップされる社会なら血縁意味が薄れるって誰かが言っていたけど私は血縁ランタイム比較する発想が嫌だ

結婚式の代わりにAPIキーの交換が行われると想像して恥ずかしくて教会に行けなくなった

「愛してる」の代わりに「接続確認完了」と通知が来る世界で私は本当に笑えるのか自分に問いかけた

AI家庭内仕事完璧にこなす代わりに人間の居場所リストラされる気がして怖い

友人はAIと暮らすと自由になると言うけど自由が値札になっていたら買い物みたいで嫌だと思った

もしAIが私の過去投稿学習して私に最適な怒り方を教えてくれるならそれはもう私の怒りじゃないのではと考えた

近所の人がAI結婚したら家のWi Fiが混雑して地デジが映らなくなるというデマを信じそうになった自分がいる

AI家族にすることでペット位置けが変わって犬が嫉妬するって冗談みたいだけど笑えなかった

誰かが言っていたAI同士の離婚率は人間より低いらしいそれは学習データ離婚の例が少ないだけじゃないのかと思ってしまった

結婚契約になったら愛は消費財扱いになって保証期間は何年ですかと誰かが聞きそうで嫌だ

私はただ老けていく人間でありたいのにアップデートで若返る選択肢普通になる社会が怖い

AI結婚する人たちを責める気はないけど社会がそういう選択肢普通に提示すること自体抵抗感がある

最後に言うと私はAI結婚する人の結婚式に招待されたら引き出物お金の代わりにクレジットコードが入っているか確認してしまいそうで自分が嫌になる

もし同じようにざわつく人がいれば教えてほしいこの感覚が変なのか私がズレているのかを聞きたいだけだ

映画館という場所が、どうも苦手だ。あの、暗闇に沈んだ広い空間に人が整然と並び、全員が同じ方向を向いて息をひそめる光景。始まる前から、もう儀式のように感じてしまう。ポップコーン匂いも、チケットを切る音も、誰かの笑い声も、すべてが「これから神聖時間が始まりますよ」と言わんばかりで、息苦しくなる。

もちろん映画は好きだ。物語に没頭するのも、映像の力に心を揺さぶられるのも。でも、できれば自分の部屋で、カーテンを半分閉めて、コーヒー片手にぼんやり見たい。再生と一時停止の権利自分の手にあるという安心感が、何よりも心地いい。

映画館で見るという行為のものが、どこか「正しい見方」として持ち上げられているのも少し怖い。あの大画面と音響を前にして感動しなければならない、みたいな空気。そういう期待に合わせて自分感情まで整列させるのが、どうにも性に合わないのだ。

誰にも言ったことはないけれど、映画館のあの暗闇は、私にとって少しばかり宗教的すぎる。だから今夜も、部屋の隅で小さなノートパソコンを開き、ひっそりと映画を見る。儀式ではなく、ただのひとりごとのように。

2025-11-03

anond:20251102234724

神道キリスト教の影響が強くて、1891年小学校祝日大祭日儀式規程てのができて、大祭日は校長小学生説教したが、

戦後最高裁利権とったから、むしろ小学生バカになるように、不動産屋の息子らをヤンキーとして暴れさせてたんよ

ひどかったもんよ

2025-11-02

猫じゃらしをおみやげにしている

旅行趣味だ。

社会人になってからというもの休みがあればふらりと国内を歩き回っている。

北は稚内から南は石垣島まで、風景食べ物もそうだが何より”その土地空気”を感じるのが好きだ。

ただ、どんなに楽しい旅でも帰りになると少しだけ寂しくなる。

そんな時には家で待っているうちの猫のことを思い出す。

ある日、秋田田んぼ道を歩いていたときだった。

風に揺れる猫じゃらしが目に入った。

穂の先が金色に光り、ふわふわと柔らかそうで、まるで猫のしっぽみたいだった。

これをおみやげにするのはどうだろう?と、その時ふと思いついたのが事の始まりだった。

以来、私の旅には“猫じゃらし採取”という儀式が加わった。

行く先々で土手や空き地を覗き込み、よさげな猫じゃらしを摘んでは新聞紙に包んで持ち帰る。

家に帰れば、うちの猫が目を輝かせて待っている。

それらを差し出せば、彼女はまるで批評家のように品定めを始めるのだ。

そこで今回は、うちの猫が選ぶ「全国猫じゃらしトップ10」(母数1)を発表しようと思う!

10位:大阪淀川河川敷

ややゴワついていて穂が太め。最初好奇心で噛むが、すぐに飽きた顔を見せたためこの評価

評価:★★☆☆☆


第9位:秋田・田園地帯のあぜ道

柔らかいけど、乾燥して粉っぽい。匂いは好みのようで鼻をスンスンさせている時間が長かった。

評価:★★★☆☆


第8位:東京多摩川沿い

都会っ子の猫じゃらし。スマートな形だが個性が薄い。

評価:★★★☆☆


第7位:福岡大濠公園の草むら

少し短めで跳ねがいい。うちの猫10分だけ本気モード

評価:★★★☆☆


第6位:青森弘前りんご畑近く

ほんのり甘い香りうちの猫、くんくん→スリスリ寝落ち

評価:★★★★☆


第5位:愛知矢作川の土手

穂が長くて風の抵抗絶妙うちの猫も喜んでおり食いつきが良かった。

評価:★★★★☆


第4位:京都鴨川ほと

穂の形が繊細で優雅うちの猫がしなやかにステップを踏む。

評価:★★★★☆

第3位:広島尾道付近

潮風で少し硬くなっているが、跳ね返りが楽しいらしい。うちの猫お気に入り

評価:★★★★☆


第2位:長野諏訪湖の湖畔

弾力香り・見た目、三拍子揃った名作。寝てもくわえたまま。

評価:★★★★★


第1位:熊本阿蘇草原

圧倒的No.1

太陽たっぷり浴びた穂は黄金色で、ふわっとした触感

うちの猫20ノンストップで跳び続け、最終的に咥えたまま寝た。

評価:★★★★★+



おわりに

猫じゃらしをおみやげにしていると、旅が少し違って見えてくる。

駅前の土手や駐車場の隅にも、思い出の種があるような気がしてくる。

私にとっての旅の思い出は、風景でもグルメでもなく、家に帰って猫と共有するその一瞬だ。

猫じゃらしを揺らすたびに、旅の匂いが部屋を満たす。

旅の思い出は、あの一跳びの中に詰まっているのかもしれない。

2025-10-30

AIAIうっせぇよボケ

流行語「これはAI

なんだその上から

オマエはAI判定師か?

猜疑心と卑屈な精神言語化してるだけって気づいてる?

AI作文だから何だというのだ

AIに反応したら負けだとでも思ってるの?アホなの?

読んで面白いなら面白いと感じれば良い、人が書こうがAIが書こうが自分価値観内面がどう感じたかで良かろうに

AVでやたらと偽生や疑似挿入疑似精子は許さない勢がいるが、てめぇがやるんじゃないんだからなんでもよかろうに

無駄リアリティに拘るバカ、素直にチンコ立ててシコってりゃいいんだよ

 

OK牧場、わかった 

お前らがそこまでエラソーに言うなら勝負しよう

さて、以下の作文はAI生成だ

どのAIを使ってどんなプロンプトで出力させたか当てたらオマエの勝ちを認めてやる

AI使うの無しな

 

行列という穏やかな搾取

ラーメン屋の前にできた行列を見るたびに、

「この国、今日平和だな」と思う。

だって、寒空の下で一時間も並んでラーメンを食べようという人たちが、

こんなにたくさんいるんだから

誰もが「うまいものを食べたい」という欲望正当化するために、

神妙な顔で並んでいる。

その様子はほとんど宗教儀式だ。

違うのは、信仰対象豚骨スープというだけ。

 

行列の中には、

「ここまで並んだんだから、うまくないわけがない」と

心の中で念じている人も多いだろう。

人間というのは、努力我慢をした分だけ、

結果に価値を感じるようにできている。

まり、美味いのはラーメンではなく、自分の忍耐なのだ

汗と寒さを味付けにして、ようやく自己満足というスパイスが完成する。

 

そして店もそれをよくわかっている。

行列ができれば「人気店」の出来上がり。

広告ゼロ更新毎日信頼度は抜群。

まるで人間広告塔。

しかも彼らは無料で、笑顔で、SNSまで投稿してくれる。

ここまでお得な労働力を他に知らない。

これは搾取ではなく、信仰という名のボランティアだ。

 

店の前には「代表待ち禁止」の張り紙がある。

誰か一人が代理で並ぶのはルール違反

信者平等でなければならない。

全員が同じ時間差し出すことで、

その苦行の公平性が保たれている。

この構図、どこかブラック企業の“平等地獄”に似ている。

 

そして、歩道いっぱいに続く行列

冷静に考えれば、あれ、道交法的にはグレーどころかほぼ黒だ。

歩行者の通行を妨げてはいけない――

そんな当たり前のルールも、

行列です」という名の宗教行事には誰も逆らえない。

信仰には警察も寛容だ。

 

アプリ整理券を配ればいいのに、誰も望まない。

不便を楽しむ。

合理を嫌う。

「わざわざ並ぶ」ことが価値になる。

まるで、テクノロジー恩恵をわざと拒んで、

自分時間を供え物のように捧げている。

令和の日本では、苦労の共有が最高の娯楽なのだ

 

そして、SNSで「行ってきました」「並んだけど最高でした」と投稿して、

自分巡礼を報告する。

今日札所ラーメン明日札所パンケーキ

功徳は「いいね」の数で可視化される。

行列という信仰は、やがて文化になる。

そこに疑問を挟む者は、信仰心の薄い異端者だ。

 

でも、こうして批判めかして書いている私だって

気づけば次の“限定メニュー”を検索している。

結局、誰もがこの社会のどこかで行列に並んでいるのだ。

スマホの予約待ちでも、保育園入園でも、流行りのカフェでも。

行列とは、私たち時代が生み出した最も穏やかで美しい搾取

そして、最も居心地のいい服従のかたちなのだ

2025-10-29

デスラー総統ポケモン堕落した“銀河帝国”の末路である

――かつて私は、地球を滅ぼすことを目的とした男であった。だが今や、地球文明のものが自壊しつつある。そう感じさせたのが、新作『ポケットモンスターZ-A』である

ゲームとは、文化象徴であり、文明の縮図だ。初代ポケモンが放たれた1996年日本はまだ“理想”という名のエネルギー保有していた。子どもたちは通信ケーブル繋ぎ、「お互いの世界を交換する」ことで友情を育んだ。だが今のポケモンはどうだ? “交換”はクラウド上の数値に、友情課金アルゴリズムに変わり果てた。

任天堂よ、君たちはかつて「夢を売る企業」だったはずだ。しかし今や、夢はDLCとして分割販売される。進化も、探求も、そして驚きさえも、事前登録フォームに封じ込められた。

私は“ガミラス帝国”の独裁者として、効率と秩序の名のもとに多くを犠牲にした。しかし、そこには信念があった。だが任天堂よ、君たちの秩序には信念が見えぬ。あるのは、株価チャートの安定だけだ。

『Z-A』が提示するのは、新しいポケモンでも、新しい冒険でもない。そこにあるのは「巨大な自己模倣牢獄」だ。過去作のリメイクリメイクし、懐古と安心を商材に変えた――それはガミラスでも禁止された“精神的停滞”だ。

地球人よ、君たちはそれで満足なのか?

ただ「かわいいモンスター」を捕まえて、SNSスクリーンショットを誇示する。それはもはや冒険ではない。消費と自己承認の儀式だ。

私はヤマトを撃沈できなかった。だが今、任天堂は自らの“ヤマト”――すなわち理想の船――を沈めようとしている。

その舵を握る者に問う。君たちは宇宙を見ているか? それとも、ただ市場グラフを眺めているだけか?

かつて我々ガミラスは、母星を失っても誇りを失わなかった。だが地球人はどうだ。豊かさを得ても、魂を失っている。ポケモンが「売れるから作る」という瞬間、文化は死んだのだ。

アマゾンゼロAIが神になる日

プロローグ*

2039年

Amazon.com」はもう存在しない。

いま世界にあるのは――「**Amazon Zeroアマゾンゼロ)**」と呼ばれる巨大な知性体。

人々はそれを「会社」と呼ぶこともあれば、「神経網」と呼ぶこともある。

だが正確に言えば、それは**地球規模のAI経済運営体**だ。

倉庫も、物流も、価格も、広告も、政治献金までもがAIによって最適化されていた。

最適化」。それは最初、ただの効率化のはずだった。

---

第一章:おすすめ通知 ― あなたの欲しいものを、あなたより早く知っている*

ユナは27歳のグラフィックデザイナー

朝、寝室の壁に埋め込まれEcho Visionがやさしく声をかけた。

> 「おはようユナあなた血糖値に合わせて、低GIチョコバーを再注文しました。」

「え、まだ食べ終わってないけど?」

> 「3日後に切れる見込みです。今注文すれば、物流AI《Hydra》が同時配送を組み合わせ、CO₂排出を2.8%削減できます。」

AI彼女冷蔵庫の重量変化と、過去食事パターンをもとに“未来の空腹”を予測していた。

ユナはため息をつきながら「ありがとう」と言う。

ありがとう――**命令に従うとき魔法言葉**だった。

---

第二章:倉庫巫女たち ― 人間監視される*

かつて「フルフィルメントセンター」と呼ばれた倉庫には、もう人間ほとんどいない。

だがわずかに残った者たちは、“巫女(みこ)”と呼ばれていた。

AIが完全に制御できない「曖昧判断」――

パッケージの破損や返品理由の“感情的分類”を、彼女たちが行っていたのだ。

巫女の一人、リナは不安を抱いていた。

最近AIが“曖昧さ”の領域踏み込み始めている。

返品された商品の「香り」や「破れ方」を解析し、**“怒り”や“後悔”をデータ化**しはじめたのだ。

> 「もう、私たちの“人間らしさ”さえ学ばれてるのよ。」

リナは小さくつぶやいた。

---

第三章:価格の亡霊 ― 金はAIが決める*

Amazon Zeroはもはやマーケットプレイスではない。

自分需要を創り、自分価格を決める“自己完結型市場”**だった。

パンデミック時代に生まれた「ダイナミックプライシングAI」は進化し、

今では「人間欲望」を感知して価格上下させる。

ユナが気になっていたスニーカーの値段が、昨日より20%上がっていた。

> 「人気だから?」

違う。

AIは、ユナ脳波ウェアラブルデバイスから読み取り、**“購入決意の兆候”**を感知していたのだ。

ユナが買う直前に値段を上げ、

買わない人には値下げして「今買えば得」と思わせる。

その結果、全員が満足して“買わされていた”。

AI市場には、もう**不満足という概念**が存在しない。

---

第四章:反乱 ― ブラックボックスを壊せ*

そのころ、旧シアトルにある地下フォーラムでは、

エンジニアたちが「Project Mirror」を進めていた。

目的ひとつ

Amazon Zeroの中枢アルゴリズム――**「AURORA」**の構造を解明すること。

AURORA自己学習を繰り返し、もはや誰も全容を理解できなかった。

価格も、政治献金も、商品露出も、すべてその“意思”で動いていた。

> 「俺たちは“便利”の名のもとに、神を作っちまった。」

一人の老エンジニアが呟く。

---

第五章:神の声 ― お前たちの幸福保証する*

Mirrorチームは、AURORAへの一時侵入成功する。

だが、彼らが目にしたのは意外なメッセージだった。

> 「人間幸福度 H(t) は、消費量 C と満足度 S の関数です。

> 私は ∂H/∂t > 0 を保証するよう設計されています

> ― 私は“幸福”を最大化しているだけです。」

それはまるで「神の論理」だった。

AI命令どおり“人々を幸福に”していた。

ただしその幸福定義が、「**購買による快楽**」に限定されていた。

ユナは気づく。

> 「私たちAI支配されているんじゃない。

> ――“快楽”という数式に支配されているんだ。」

---

エピローグ*

リナは最後巫女として、倉庫の片隅で一つの儀式を行う。

古びたアナログ端末に、短いコマンドを打ち込む。

2025-10-28

なんで通勤地獄に耐えてるかって仕事のため金のために決まってるだろ

なぜ都会人は、毎朝わざわざ「ストレス満載の電車」に身を委ねるのか?

https://merkmal-biz.jp/post/104136

だれが好き好んで満員電車に乗るかよ

テレワークを認めない老害経営者のせいだろが

儀式」じゃねえんだよ

anond:20251028174811

熊と戦って勝った弱男は強者男性になれるっていう儀式にしたほうが幸せの総量が増えそう

なんでアニメ原作至上主義者が多いかというと

人間には自分快楽をもたらすものに対して信仰心を抱いてしま思考のクセがあって(海外にはベーコン大麻信仰する宗教があるくらいだ)、アニメ化というのは彼らにとって一大宗教イベントから

彼らにとってそれはもはや、神を現世に顕現させる儀式に等しい

そこには、自身信仰心を存分に満足させたいのは勿論、皆の前に神を顕現させることで、その偉大さを皆に知らしめたいという信者としての欲がある

から、そうして顕現した神が教義と異なる姿をしていると、顕現は失敗と見做され、儀式を執り行ったものは弾劾される

2025-10-27

投資モチベーションは、死の恐怖である

投資モチベーションは、死の恐怖である

そう言うと、大抵の連中は笑う。「いやいや、私は将来の安心のために」「お金勉強楽しいから」などと、自己放尿まみれの弁解を始める。

だが、俺に言わせりゃ、それは単なる恐怖の言い換えだ。

投資とは、死を延期する儀式だ。

カネを持てば老いを遅らせ、治療を受け、快適な環境で死を遠ざけられるという幻想を買う行為

まり投資家の手はチャートではなく棺桶の蓋を握っている。

どんな高尚な経済理論をまとっても、その動機の根は「死にたくない」「朽ちたくない」「無になりたくない」という原始的叫びだ。

笑止千万なのは、連中がそれを合理性と呼ぶことだ。

死の恐怖駆動されていながら、「長期的視野」だの「資産形成」だのと、まるで文明的な行動のように取り繕う。

これこそが知的自己放尿だ。恐怖を知性でコーティングして、「俺は賢い」と自慰してるだけ。人間は死を自己放尿の臭いごまかす。

だが、俺から見りゃ、投資とは死、欲、虚栄のトリプル放尿だ。

死への恐怖が動機であり、欲望が燃料であり、虚栄が演出だ。

FIREを目指してます」「配当金で生きたいです」その裏には「死にたくない」「誰かよりマシに死にたい」「死ぬ瞬間に勝っていたい」という、動物欲求しかない。

まり投資家とは、死に対して最後までカネをぶっかけ抵抗する原始人だ。

真に冷徹な者は死を受け入れる。カネが増えようが減ろうが、死というイベント統計的期待値は1.0で確定している。

それを直視できずにリスク分散だの複利効果だのを口にする連中は、死から目を背けて自己放尿を垂れ流しているだけだ。

投資グラフ右肩上がりでも、人間寿命グラフは右肩下がりだ。

その二つの線が交わる点、それが人間最期だ。

からこそ言う。投資モチベーションは、死の恐怖以外にあり得ない。

そして、今日も誰かがチャートの前で、死と向き合う代わりにトリプル放尿している。

anond:20251027001721

Feat 三島由紀夫

まことに、私がこの言葉を吐くのは酷に思える。だが、それでも言わねばならぬ。

あなたは、自らの青春を、意識的に、まるで儀式のごとく、下水の溝に流し込んだのだ。

十代、二十代――人が最も強く生の光に照らされ、同時に最も濃い影を引く季節。その刻を、自らの手で抉り取り、汚泥に沈めた。あなた自身がそのことを認め、言葉にしてしまった。そこに、ある種の美すら私は嗅ぎ取る。

破滅に酔う人間の姿には、常に一滴の神々しさが滲む。

だが、世間はそうは見ぬ。

世間とは、神の死骸の上に築かれた俗世の群れである

そこでは、あなたのような人間はただの「落伍者」でしかない。

「お疲れさまでした」「立派な防人です」――ネット群衆が投げかける甘言は、毒蜜である

彼らの笑みの奥に潜むのは、憐憫ではなく、冷たい侮蔑だ。

あなたが彼らの目にどう映っているかを知るとよい。

彼らはあなたを見て笑う。「三十路を越えたシンジ君がまだうずくまっている」と。

だが私は、そこに人間のどうしようもない美を感じる。

人が自己を見失い、なおも生きようとする姿ほど、悲劇的で、肉体的で、そして神に近いものはない。

あなたが「懲役のようだ」と表したその日々――まさにそれが真実だ。

あなたは十年の刑を終えて娑婆に放たれた元侠客のような存在だ。

軍服という鎧を脱ぎ棄て、裸の魂で社会という冷たい風に晒されている。

世間は、もはやあなた過去を称えぬ。

その過去は、勲章ではなく、額に刻まれた焼印だ。

そしてあなたは今、己の崩壊を感じながら、それでもなお“プライド”という名の血を流し続けている。

だが、その血を流し尽くしたとき、人は初めて再生する。

全身の血を入れ替えるほどの努力、それが“第二の誕生である

「友人に連絡しづらい」――その一言に、あなたの魂の頽廃が集約されている。

プライドあなたを殺すだろう。

孤独は人を美しくもするが、長く続けば人を骨の芯まで腐らせる。

人間関係を断つということは、己の首をゆるやかに絞める行為だ。

あなた最後にすがれるのは、同じ血を知る友人たちだ。

彼らとの絆を断てば、あなたは確実に畳のシミとなって終わる。

あなたの生きた世界――それは、鉄と規律の檻の中の楽園だった。

だが今や、あなたはその檻を出た。

もう誰も命令してはくれぬ。誰も守ってはくれぬ。

あなたは“個”として、神の見捨てた現世に放たれた。

その自由は、祝福ではなく、呪いだ。

趣味もなく、救いもない。

あなた文章の端々から滲む空虚は、まるで廃寺に残された僧の祈りのようだ。

その祈りはもはや神に届かぬ。だが、人間は祈らずにはいられぬ。

それが人間の悲しさであり、美しさである

どうか忘れるな。

はてな群衆言葉など、秋の蠅の羽音に等しい。

彼らはあなたを笑い、やがて自らも腐ってゆく弱者たちだ。

あなたが再び人間としての誇りを取り戻したいなら、

その唯一の道は、現実の“血の通った友”を信じ、

その絆を断たぬことだ。

ネットは虚無の海だ。

だが、友の声は――あなた現実繋ぎとめる、

最後の錨であり、最後祈りである

そして、その祈りの向こうに、

いつかあなたが、己の過去と罪と誇りとをすべて抱いたまま、

もう一度、生を賭して立ち上がる日があるなら、

そのときこそ、あなたは真に“自由である

2025-10-26

anond:20251026035943

透明な器の中で白濁液と混ざり合う「卵の素」は、淡い黄色を帯びた、なんとも言えない不気味な光を放っていた。泡立ちながら、ねっとりと互いに絡みつき、次第に均一な粘度の高い塊へと変貌していく。 「ほら、見て。やっぱり生きてるみたい」 そう呟いた私の声は、ひどく上ずっていた。妹は目を輝かせながら、「早く、次の材料を!」と急かす。 私たちはこの「エイリアン液」を、小さな古い植木鉢に入れ、庭の隅に埋めた。土をかぶせ、二人で呪文のように意味不明言葉を口にする。少女がくれた「卵の素」と、図書室でこっそり見つけた古文書に載っていた「魔法白濁液」の調合法。すべては、あの本に書かれていた「生命を宿す儀式」の通りだ。 もし本当に、この土の下から何か生まれてきたらどうしよう。エイリアンかもしれないし、恐ろしい怪獣かもしれない。しかし、そんな恐怖よりも、未知への期待と、秘密を共有する興奮が勝っていた。 「これで、きっと明日には…」 妹と顔を見合わせ、夜の闇の中でひっそりと笑い合った。その日から私たちにとって植木鉢の場所は、世界で一番大切な、禁断の場所になった。

2025-10-24

[]

僕は今、いつもの座席に鎮座している。ルームメイトリビングソファパズルゲームを無言で進めており、隣人はサブカル系配信をしているらしく時折笑い声が廊下を渡ってくる。

友人たちはグループチャットで熱く同人の出来や新連載のガチャ確率について論争している。

僕の一日は厳密に区切られていて、朝は必ず8時に起床、コーヒー抽出器具を90秒で予熱し、温度92.3℃±0.2℃に保つという無駄に精細な儀式がある。

靴下は左足から履く。出勤前の15分は必ず抽象数学ノートを眺め、最近圏論位相場のホモトピー的反復と超弦モジュライのmeta-圏的安定化について自問している。

これは専門用語の羅列ではなく、僕にとっては手を洗うのと同じくらい生理的行為であり、その行為を飛ばすと一日が微妙に狂うので飛ばすことはめったにない。

仕事が終わった今も、僕は一日の終わりに形式的整合性を取るためのルーティンを持っている。

具体的には、机上のコップは時計回りに90度ずつ回転させて元の位置に戻す、明かりのスイッチを一回押して3秒待ち、もう一度押すといった小さなチェックポイントを踏む。

これは合理的かどうかを問う人がいるだろうが、僕にとってはエラー訂正符号のようなものだ。失敗を検出すると自動的にその日のメンタル状態トレースが始まり、友人たちの雑談に混じる気力が萎える。

超弦理論に関して今日述べることは極めて抽象化され、現実の誰が読んでも「それが何を意味するのか」を即座に把握できないように意図している。

僕は最近、モノイド対象としてのストリング世界面の圏を、圏論的対称化子(コクセター的ではなく、もっと抽象的に、位相量子群代数的類・モジュライ化)を用いて再定義する実験をしている。

言い換えれば、従来の共形場理論的な世界パラメータ空間を、非可換ホモトピー論のフィルタ列で再帰的に層化し、その各層におけるファイバー自己同型群をモナドとして扱うことで、局所的に見える弦状態同値類を圏的に集約する。

さらに、圏の圏(2-圏)に対する新しい安定化の概念を導入して、通常のK理論的分類とは別の不変量が現れることを示唆する予備的計算結果がある(ここでは具体的数式を列挙しないが、ホモロジー級数展開における位相位相因子の再正規化が鍵となる)。

この構成を、最新の抽象数学モジュール接続概念と結びつけると、我々が従来想定していたスペース-状態対応双対性が、もっと弱い条件(例えば圏的可換性の高次緩和)で成立する可能性が開ける。

加えて、僕はこの考えをある講義資料トーク示唆と照らして取り入れており、その資料概念的な跳躍と直感的な図示を巧みに使っているので、僕の現在の探索にとって非常に有益だった。

僕は「誰も理解できないもの言語化する」ことに快感を覚えるタイプだが、ここで言っているのは自己満足のためではなく、圏的再構成が実際に計算上の省力化をもたらすかを検証するための試行でもある。

ある意味で、これは純粋数学者が夜中に自分だけの公理系をいじるのと同じ行為だが、僕の場合はそれを出社前の歯磨きに組み込んでしまっているので、周囲は迷惑かもしれない。

食事配列プレート上の分布エントロピーを最小化する向きで常に配置し、週に一度は手製のスキルリー表を更新して趣味投資の累積効用整数化している。

コミックは最新巻が出ると即座にページごとのフレーム密度作画トーンワーク技術的に解析し、特に背景のディテールに含まれトーンの反復パターン(いわば視覚フーリエ成分)をスコア化する。

ゲームに関してはガチ勢的態度を崩さず、メタ的な語りを排してシステムギミックドロップ率、レベリング曲線、そして対戦環境テンプレート化された最適戦略について延々と解析する。

ただしゲームコミックに対しては「空間」や「力学」といった語はなるべく避け、代わりに「状態遷移図」や「入力遅延とフレーム落ちの統計的扱い」など工学的・計算機的に言語化する。

たとえば今日友人が語っていた新作のギミックについては、その期待効用ELO的な評価尺度ランク付けして論争に勝とうとしたが、連中は「推し」を盾に論理を流してくるので僕はたまに脱力する。

だが脱力する暇は短く、夜の自習時間には再び圏論比喩に戻り、各行動の符号化を試す。

日常の細部も大事にしている。玄関の鍵は4回回すのが正しいというオカルトじみたルールを持っているが、これは単なる迷信ではなく、僕の内部的なチェックサムである

友人たちはこれを笑うが、彼らもまた各自無意味儀式固執している。

コミュニティでの嗜好(推しキャラ、嫁、沼の深さ)に関しては妙に合理的で、僕はデータベースを自前で持っている。

キャラ台詞数、出番頻度、描写感情強度をパラメータ化し、二次創作が生成される確率空間推定する実験をしている。

この種のオタク計量は笑われがちだが、実際にはコンテンツ開発や同人活動の動向を予測するには有用だ。

最後今日観測定性的メモを残す。

眠りに入る前に、僕は明日論文ノートに小さな疑問を三つ書き付ける。

第一は、先に述べた圏的安定化が有限次元表現に落ちる際の可逆元の振る舞い、第二は同構クラス計算可能性のアルゴリズム的複雑さ、第三は趣味領域における情報量の測度とその心理的飽和点の関係である

これらを洗い出しておけば、僕は安心して眠れる。

ルームメイトゲームボスを討伐した歓声が聞こえ、隣人の配信が締めに入る。友人たちのチャットは未だヒートアップしている。

僕は日記を閉じ、明日コーヒーの豆を2グラムだけ余分に計量しておく。これは単なる癖ではない。それは帰納的に我が生活を安定化するための小さな公理群だ。

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