はてなキーワード: わたしのきもちとは
https://anond.hatelabo.jp/20241008093927
小学1年生の娘がいるんだけど、一緒にゲームしてる時とかで娘が先にクリアしたりすると、「こんなこともできないの?クズだね。」とか私に暴言を吐いてくる。
親にそんなん言うのはとんでもない話だが
攻撃性の程度やしつこさによっては友達同士の言動だとしても問題がある。
その時は「言葉遣いが悪い。もう二度と人をクズとか言うな」と注意して、一緒にゲームをするのを辞めてしまい、娘もしょんぼりして反省してるようなんだけど、数日経つと、また同じような暴言を言ってきたりする。
衝動性が強く抑えが利かない?
強く叱責されてもやめられないのは
それなりに問題の度合いが強い特異な子のように思える
許せないし、娘の顔を見たくもなくなっている。
あっ親だ!
だ。
要するに子供を主眼に考える。
この子に何が起きてるのだろう、
この子にどうしてやるのがよいだろう、
と。
でもこの増田は違う。
が話の焦点なのな。
こいつが気にしてるのは徹頭徹尾そこ。
私が子供の時は同級生で悪口言ってくる奴がいてツライ思いしたが大人になって、そんな悪口言う奴は周りにいなくなった、やっといなくなった、と思ってたのに、またかよ、またこんな奴(娘)を相手にしなきゃいけないのか、とゲンナリする。
あっ親だ!
な?
私私私。こんな奴。
客観的に見りゃこいつも十分「こんな奴」だろw
この増田はそもそも人間未満の生物相手に保護者とか教育者とかの立場になる準備が出来てねーわ。
じっさい文章に親としての責務とか子供の心配とか一回も出てこねーんだもん。(そういうのって偶然じゃねーぜ)
私の心が狭すぎるんだと思うけど、もう子供の顔は見たくない。
そんなわけねーんだよな。
人格的に未熟な奴とか
一生成熟できない奴とか
そういうやつもなんとか親をやれるようにオキシトシンとかで脳がバグるようになってるんだけど
そういう働きもうまく行かないなんてことざらにあろうし、こんなやつもそらいるよな。
離れた立場から見れば変な奴から変なガキが再生産されてるだけで何一つ不思議はねーんだけど
当人の頭は「私私私」だから適切な改善策もとれずにこのまま生きそう
適切な言い方するならやや社会で生きづらい特性を持った人のもとで似た特性の子が育ってるかもしれない状態
無理なトライはせず周囲を頼ってほしい
常に自担以外の誰かしらに沸いているし、自担以外の現場にも行くし、
なんなら〇〇くんに担降りしよっかなーが口癖でもある。
「まだAくん担…でいいんだっけ?」
のように紹介される事が多い。
正直に言うと「まだAくん担だっけ?」と聞かれて「うん、まだなんとか」って返すのはまんざらでもない。
自担は彼氏ではなく、ただ一方的にこっちが好いてるだけの存在なのに、
勝手に彼氏臭を出して返事をするのがぶっちゃけすごく楽しいのだ。
そこでよく言われるのが「掛け持ちしないの?」というワードだ。
人によって自担、DD、掛け持ちなどおたくワードに対する意味の捉え方は違う。
そしてこの考え方がひとりひとり違うからこそ、おもしろいのだろう。
これはもちろん私自身の考えであって答えではない。
この考え方に納得がいかない、これは間違ってると思う人もいると思うが、
もちろんこの考えを人に押し付けるつもりはない。
ただ、私という人間のおたく活動においては、これがルールなのだ。
だから掛け持ちはしないのだ。
ここで勘違いのないように言っておくと、私は掛け持ちをしている人を否定している訳ではない。
現に仲のいい友人で掛け持ちをしている人もいるし、だからどうこうという事もない。
先述したように自担は彼氏ではなくて、ただ自分が一方的に好いている存在でしかないので、
何人好きであろうとすぐに乗り換えようとなんの問題もない。
言ってしまえば私も掛け持ちと言っていないだけで、好きなタレントの応援スタイルは掛け持ちをしている人とほぼ同じだろうし、
他の人から見たら「あの人掛け持ちしてないって言ってるけど完全にあれ掛け持ちじゃん」と思われているかもしれない。
ただ、私は1番をしっかりと決めたい性分なのだ。
掛け持ちになろうかと考えた事は何回もある。むしろそっちの方が楽なのでは…とも思った。
ただ私には、1人だけを自担と決めて、その他の人はお気に入りという形で熱意を注ぐのがぴったりの応援スタイルだったのだ。
ただ、それだけ。
だから私は掛け持ちをせず、DD(最近は特定の子にしか沸いてないしDDではないんでは?とも思い始めたが)としてこれからも楽しいおたくライフを送っていこうと思う。
ここからはわたしのきもちわるい独り言、匿名ダイアリーだからこそ書けることを書くのでそっと画面を閉じてください。
普段は全然沸かないし、髪形ありえないしか言わないけど、自担の事は大好きです。
好みの髪形であればすごく嬉しいけど、たとえ変な髪形をしてても自担は胸を張って世界一カッコいいと言えるし、そう思ってます。
世間ではスタイル補正とか言われてるけど、私は自担の顔がなによりも大好きな顔ファンです。
毎日トレーニングを欠かさなかったりときちんと努力をするところも、俺が俺がなところも、全て大好きです。
なにより自担にはファンサを求めない、見れるだけで満足してファンサを求める気持ちもなく穏やかにおたくしている自分が好きなので、ファンサとかいらない!見れるだけでいい!って思わせてくれる自担には感謝です。大好きです。これからも夢を見させてください。ありがとう。
【タイトル】どくしょかんそうぶん○○をよんで
わたしは、このほんのだいめいをみたとき、とてもいやなかんじがしました。
なぜいやなかんじがしたかといえば、それはなにかみえないきょだいなちからがうごいたからだとしかわたしにはおもえません。とにかく、とてもいやなかんじがしたのです。
よみすすめるにつれて、それはかくしんにかわりました。
まず、ものがたりのぼうとうで、しゅじんこうがああいうこうどうをとるとはゆめにもおもいませんでした。
まさか、かようなてんかいになるとはわたしのみじかいじんせいけいけんからはそうぞうもできず、ほんをよみながらおもわずのけぞってしまいました。ちょっといいすぎました。
そして、ものがたりのちゅうばんは、さくしゃのいいたいことがおぼろげながらもみえてきました。
そのおぼろげな、きりのようなもののなかでいっぴきだけ、ひらひらとまうモンシロチョウをとらえようとするかんかくにもにた、げんそうてきかつ、げんふうけいてきなたいけんは、わたしをいわゆるぶんがくのがけっぷちにつれていってくれるような、こわくて、むりょくなたいけんでした。
ああ、このいやなかんじはこういうことだったのだなあとしみじみおもい、そのよるおかあさんに
「おかあさんってこわいものあるの?」
ときいてみたところ
「おかあさんはおまんじゅうがこわい」
といっていたので、つぎのひおかあさんをこわがらせようとおまんじゅうをおこづかいでかってきて、そっとちゃぶだいにおいておいたら、おかあさんは
「ああ、まんじゅうがこわい! こわい!」
ととてもこわがって、あわてて食べてしまいました。おもしろかったです。
それはさておき、わたしはいつもこくごのテストで「さくしゃはなにをおもっていたでしょう」とか、「さくしゃのきもちになってかんがえなさい」というもんだいがとてもにがてです。せんせいもごぞんじですよね。
だって「しめきりまにあわない」とかぜったいおもっているのに、せんせいはこのこたえじゃまるはくれませんよね。
せんせいはよく
「ひとのきもちになってかんがえなさい」
とわたしたちにおっしゃいますが、せんせいはわたしたちのきもちになってかんがえたことがあるのでしょうか?
ちなみに、このどくしょかんそうぶんのさくしゃであるいまのわたしのきもちをこたえなさい(ごてん)
せいかいは
「にちようのごごに32さいにもなっていったいなにをやっているんだろう」
です。どうですか? せんせいにはわたしのきもちがわかりましたか?
こんなことをいうとせんせいはおこるとおもいます。またわたしのあたまをでっかいさんかくじょうぎのかどでコツンとするきでしょうか。
だけどにんげんはけっしてひとのきもちになどなれない、ましてやほかのいきものなどのきもちはけっしてわからない、わかりあえないいきものなのだとおもいます。おもいました。
このほんは、そういったものごとのほんしつをなにかしらかいています。
さくしゃはそうおもっていないかもしれないけれども、わたしはそうおもいます。
まあ、とにかく、けっこうおもしろいほんでした。とくにこうはんは、クライマックスといったかんじで、いつあとがきにはいるんだろう、はいってほしくないなあとどきどきしながらよんでいました。たのしかったです。ぴゃー。
にがっきもがんばろうとおもいました。
了