はてなキーワード: 兵士とは
傑作だった1から2、3とどんどんひどくなって4がどんな惨状になっているかと考えると正直不安だ
時間が開いたことで「無印はどんな精神性の作品だったのか」という原点に立ち戻る作品も多いので
以外と1に近い国に振り回される兵士の悲哀を描く作品に回帰してる可能性はありそう。
ロッキー・ザ・ファイナルは面白かった記憶があるしランボー4には期待したい……
日本国は日本軍に改名して、天皇は元帥、総理大臣は総大将にする
防衛費に予算を突っ込むだけで国防と産業支援が同時に可能になる
1→2とバルクアップしていた肉体はついに天元を突破し過去最高にバキバキにバルクアップしている。首がゴン太になり常にロイドレイジを発症しているのか顔つきも非常に攻撃的に変化。その結果、彼は悲哀を背負うベトナム帰還兵から筋肉と火薬で敵を虐殺する殺人マシーンへと進化した。
この肉体をもって「強さに説得力がある」とする向きもあるけどボディメイク畑の人間としては「ステロイドで膨らませた機能性の低い筋肉」、俺はその向きには反対だが巷でよく言われる「使えない筋肉」にしか見えない。1のスタローンのほうがよっぽど"ガチ"の兵士感があった。
アーーーーーーーーーーーノルド・シュワルツェネガー(中山きんに君)ともはや何も変わらない。別にシュワちゃんも好きだけどさ。でもそうじゃないからランボーはランボーだったんじゃん?
こうしてスタローンがパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまったように、映画もパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまっている。
1では国のためとベトナムで戦いPTSDを負って帰ってきたら国内でも軽んじられ疎まれ蔑まれるベトナム帰還兵とアメリカという国との戦いがメインテーマとして描かれ。
2でもいちおう、いちおうすれは引き継がれ、国のために戦い捕えられるも国の冷徹な損得で見捨てられそうになるベトナムのアメリカ兵捕虜を助け、見捨てようとする国との戦いが描かれていた。
が、今作ではそういったベトナム帰還兵ランボーのアイデンティティはほぼ霧散している。
彼は友人のトラウトマンが戦地でソ連兵に捕えられたことをきっかけに彼を救出するために戦地へ赴く。その過程でソ連に侵攻されていたアフガニスタンゲリラの奮起を促し結果的にアフガニスタン(の一部)を救うことになるんだけど、そもそもトラウトマンは最初、それをランボーに頼みに来てたのにランボーはそれを断ってるのね。
しゃーなし、トラウトマンはランボー抜きでアフガニスタンに赴き捕えられてしまう。
つまりランボーにとっては友人>>>ソ連に侵攻されて困ってる国だったって展開になっているから、現地民との触れ合いのシーンも、途中で登場する「ベトナムで我々が負けたみたいに、その国を愛するゲリラがいる国は征服できない」みたいに彼らを鼓舞するランボーを見ても「でも、お前見捨てようとしてたしなぁ」としか思えない。
ちなみにこの映画が公開される前にソ連はアフガニスタンから撤退。ランボーとトラウトマンが支援したアフガニスタンゲリラはタリバンへと進化し彼らを倒すために今度はアメリカがアフガニスタンを侵攻するのであった。
まぁ、これはランボー3の責任じゃないけど皮肉な話だな。これを映画化しろ。
出てくる敵がカカシなのは2と一緒なので割愛。今回は「冷徹で頭が切れる奴だ」というカンバンが敵の大将には追加されてちょっとは歯ごたえが増してたからまだ2よりはボス感があってマシだったかな。最後の戦車とヘリの正面衝突を選ぶ展開でこいつが本当に頭が切れる奴だったのかは疑問が残ったけど。
救出シークエンスもまぁいまとなってはテンプレートだし特に語るべきところはなかった。脱出時にトラウトマンが一緒に戦うのは過去シリーズを見てきてた身からしたらファンサとして多少良かった。
アクションは俺の中では2よりも悪くなってた。火薬も人数も増えてるし規模は上がってるはずなのに編集のせいなのか妙に安っぽくペラペラの映像になっててもしかして予算だいぶ減ったんかな?って感じてしまうくらいだった。
最後のランボーwithアフガニスタンゲリラVSソ連軍のパートはゲリラの騎馬隊は動物倫理感の低い時代特有の迫力があってよかったけど、ランボーが戦うパートはやっぱペラペラ。画面が明るすぎるのがよくないのかわからんけど、2000年代とかの中国の戦争ドラマみたいなハリボテ感がすごかった。
ハリボテ感で言えば今作では妙にヘリが飛んでるだけのシーンが出てくるんだけどこれも作りモノ感がすごくて、これミニチュア飛ばしてる?って思っちゃった。まぁ、あんだけ撮ってるってことはホンモノなんだろうけど。
とにかく編集をケチったのか画面の映画っぽさが後退していたのが、特に大規模アクションパートの影響が顕著だったなって感じ。
映画としてのテーマ性も退化してアクションも退化してる。点が上がるわけないよね。
このアクションすごいなぁ!っていうのがせめてもっといっぱいあればランボーであるという点を忘れさえすれば楽しめる一作として別点つけられたのにそれもほとんどない。まぁ、頑張ってお馬さんいっぱい走らせて撮ったのかな。+4点。
駄作だと思う。
朝の工場に足を踏み入れると、ひんやりとした空気と共に、かすかに肉の匂いが鼻をかすめた。
巨大な搬入口からは搬入トラックがひっきりなしに到着し、銀色の檻に入れられた独身氷河期ごみおぢが次々と運び込まれていく。
その動きはまるで大きな心臓の鼓動のようで、工場全体が一つの生命体のように感じられる。
奥の処理室では、真っ白な作業着と帽子に身を包んだ人々が、規則正しく機械を動かしていた。
ごみおぢを蒸した後、骨を外し、皮を取り、均一な大きさに刻む。
刃物が回転する軽やかな音が響き、やがてミキサーの低い唸り声と溶け合う。
混ぜ合わされた肉と添加物は、やわらかなペーストや角切りの具材となり、栄養剤やゼラチンとともに巨大なステンレスの槽に集められる。
ラインを進むと、空っぽの缶がベルトコンベアの上を整然と行進していた。
そこに金属のノズルが降りてきて、次々と中身を注ぎ込む。
やがて缶は列をなし、高温高圧の殺菌機へと送り込まれる。
蒸気の立ちこめるその内部は外からは見えないが、まさに工場の心臓部であり、猫の安心を保証するための最後の関門だ。
冷却を終えた缶は、水滴をまとってコンベアの上を流れていく。
その光景は、まるで小さな銀色の兵士たちが行進しているようだった。
不平ばかり言い立て人生で戦わなかった氷河期おぢさんもついに兵士へと生まれ変わったのだ。
ラベルを貼られ、検査を終え、箱詰めされていくとき、思わず微笑んでしまう。
きっとこの一缶が、どこかの家庭の小さな猫に差し出され、ぱちぱちと瞳を輝かせて食べられるのだろう。
そうして命を繋いでいくのだろう。
エヴァ旧劇を見に行った際、予告が流れたので見てみることに
押井監督作なのは知ってたが観たことなく、キャラデザ天野とはその時知った
攻殻とかパトレイバーも名作だけどワイは御先祖様万々歳や立喰師が好きな人間。長台詞がタマラン
しかし、公式サイトだと昼の部があるのに映画館のサイトではレイトショーしかない
舞台挨拶付きなので通常上映とは別映画扱いになってたことに気づく
そして前日夜に残席僅か、席を見ると残り7席。いっそ満席なら諦めつくのにと思いながら、朝早く起きて映画館に。
残り3席。ギリギリ間に合った。どれも不思議と端から一つ空いた席。一人客が多いということか。
注文票でグッズを注文する形式だが、パンフレットの見本がグッズ売り場にない。ただ、売り場に行けば普通に買えた。旧劇の時もパンフレットはないものと思ってたが買えてたのかもしれない。ここは改善しちほしい。
5分前に付くはずが、ビルを1区画間違えており上映時間丁度に付いてしまった。焦ったが予告の時間があったので間に合った。
ビデオ中継と思ったら椅子とパネルが舞台にある。まさか生押井!?でもそれなら当日券取れるはずが…ぶらどらぶがアレだったからか…??と考えつつ上映を待つ(後から考えると多分天使のたまごがアレだからか)
上映が始まっても椅子とパネルが置いてあり、そういう演出かと思ったらスタッフが撤収。上映後に謝罪があった。
作画もいい…が、かなり長くセリフなしで進むからただただワカラン!水の作画とか、兵藤まこの表情とか風景はよい。
んだけど、やっぱわかんねえな~。ガラス瓶を集めてるのと、廃墟っぽい都市。根津甚八と出会っても特に展開はない。兵藤まこが思ったより小さくてビビる。貴方は誰?つっても答えねえもん。でも、そもそも自分が誰かもわからないらしい。じゃあしかたねえ…か??魚が出る、ってことで兵士?が捕らえようとするが影なのでつかまらず。こいつはシーラカンスっぽい。思わず根津甚八にすがり付くまこがかわヨ
根津甚八がノアの方舟の話をする。旧約聖書モチーフね。分からんが分かりやすくなった。両手ケガしてるっぽいのは聖痕?つーことはこいつらツガイだったり?
洞窟?の螺旋階段にビンがならべてあったりアンモナイトやらの化石があり。天使?の化石もある。なんか旧約聖書の天使っぽいな
焚き火のシーン、舞台挨拶でダレ場としてワザと長くしたという話があったが、個人的にはカヲル君握り潰すシーンを連想。時期的にはこっちが先か。寝てるスキにたまご潰すのはレイプのメタファーとかじゃあるまいな?
これで雨が止まった?んだろうか起きたとこで冒頭のリフレインやな、まさかループ?と思ったけどたまごがないから違う。叫び声は寝てるヤツの嫌がらせだろ
で、まこが根津を追いかけて、まだ近くにいるんかよ?いた!えっ転落??あったまご!!いや、ちょっと待…あっ冒頭のバックベアードみたいなヤツ…えっ銅像エンドですか!?最後に島自体が方舟と解る。舞台挨拶で言ってたが、ここが長いのは尺が余ったかららしい。
んー…旧劇とタローマンのが解りやすかったゾ…エンタメというか商業作品として…ん~
見終わって拍手するが苦笑
で、冒頭のミス謝罪後舞台挨拶。おお、生押井だ!撮影は禁止だけど後で撮影タイムがあるとアナウンス(有難い)
本とかだと女性の相槌で毒舌ぽくトークしてるが、あれもサービスというか営業なんだろうな。トークが意外にも(と言うと失礼だが)巧い。オチもつけるし笑いも取る。監督は説得する仕事、どの作品も業とダレ場を作ってる、スタッフや関係者の試写会で拍手が起きなかったのはこの作品だけ、など。方舟オチが当時あまり通じなかったと言う話があり、俺初見でわかったモンニ!と優越感。
ギリシャで市民権を持っているのは奴隷や農奴を所有してる地主でしょ?
その中で子供以外に資産を持たないプロレタリア=無産階級に当たるのは現代でいう(土地や会社収入のない)労働者階級でしょ。
『資本論』は、リベラリズムが掲げる「自由」や「平等」といった理想が、資本主義経済という特定の歴史的・社会的な枠組みの中では、資本家階級の利益を正当化し、労働者階級の搾取という現実を隠蔽するためのイデオロギーとして機能していると描き出していて、
リベラリズムが前提とする近代ブルジョア社会の基本的価値観である「自由」「平等」「私有財産」を資本家が労働者から搾取するための欺瞞とみなているの
「自由」の欺瞞: 資本家と労働者の関係は、一見すると自由な個人同士の契約に基づいているように見えます。労働者は自らの労働力を自由に売り、資本家はそれを自由に購入します。しかし、実際には、生産手段を持たない労働者は生活のために労働力を売る以外に選択肢がなく、この「自由」は経済的強制に裏打ちされたものであると指摘します
「平等」の形式性: 市場原理の下では、すべての個人が法的に平等な取引主体として扱われます。しかし、資本家と労働者の間には根本的な経済格差と権力格差が存在するため、この「平等」は形式的なものに過ぎず、実質的な不平等(搾取)を覆い隠す役割を果たしていると論じます
「私有財産」の批判: リベラリズム(特に古典的自由主義)において神聖視される私有財産権は、資本主義においては少数の資本家による生産手段の独占を意味します。これは、多数の労働者から彼ら自身の労働の成果(剰余価値)を奪う構造の根拠となっており、社会全体の富の公正な配分を妨げていると批判します
共産主義によって資本主義の「外」にあるオルタナティブな社会(共産主義社会)においては、これらの概念が持つ矛盾が解決され、本当の自由と平等が達成されるのはリベラリズムではなく共産主義であるっていうのが共産主義なんだよ
マリウスの改革って貧富格差で兵士装備を自弁するが無理になったので、それに対する解決策として国が何らかの形で保障するという軍事改革だから、貧富格差そのものを解消しようとしたわけじゃない
あと古代ローマのオプティマテスとポプラレスの争いを言ってるのかもしれないけどポプラレスって新興の新貴族ノビレスや富裕層で合って貧乏人や庶民のことじゃないぞ
エクスペンダブルズのスピンオフ「ミッキー17」を見た。違います。
51点くらい?まぁだら~っと最後まで見られるので悪い映画ではないんだけど面白くはなかった。
人を複製する人体プリンティング技術が開発されるも当然禁忌化。ギリ宇宙でやったらええとしようとなって(なんで?)、エクスペンダブルと呼ばれるそれに応募したミッキーが16回死んで17回生き返った後にてんやわんやする話。
たぶん作品の設定的に面白そうと思われる「人体複製アレコレ」は冒頭の30分くらいでナレーションで説明されて終わり。残りの2時間は宇宙での独裁者VS反逆者VS王蟲のベタベタSFアクション映画みたいになるのがまずすげー不満。残りの2時間、人体プリンティングの設定一切生きてこないからね。アメリカの縮図風刺映画に原作のミッキー7要素を何とか突っ込みました!って感じ。
作品はミッキー17は死んだと思ったらなぜか助かってしまうも、基地では「死んだらしいし新ミッキー複製や!」となりミッキー18が誕生。これは宇宙でも普通に禁忌とされているのでバレないように頑張るドタバタコメディと、バカなトランプみたいなマークラファロが独裁&先住民の王蟲を虐殺しようとするというプチアメリカ風刺の2本軸。
命からがら帰ってきた17は恋人が18とイチャイチャしてるところを見せつけられるという「セルフNTR」展開になり、NTR好きとしては「うおおおおお!!!!!」となる部分はすごいよかったのに、すぐに発覚し3Pしようぜ!となる。違うだろ!!!
後、最初にパッパと説明で流されちゃう人体プリンティング説明でこれ系の作品で出てきがちな「この技術があるのになんでエクスペンダブルが必要なの?機械でよくない?」に対して「人体実験に使うんだよ!」というめちゃくちゃ非人道的ながらめちゃくちゃ合理性の高い回答はよかった。いつも思ってたんだよね、兵士複製するよりロボ作った方がよくない?って。
だからその辺の人体プリンティング技術がある世界ならではの話が見たかったのに中盤以降、ずっとどこかで見たような閉鎖空間、バカな独裁者に支配されがちでそれってアメリカだよね問題が続くのは正直「そうじゃないんだよな~」って感じだった。
まぁ、ポン・ジュノだから監督ぢからはあるので見ててめちゃくちゃ退屈ってわけじゃないのでだら~っとは見られるんだけど、作品の設定的にはもっと面白く撮れただろ!って思っちゃうだけに残念に感じた。
主役の役者もよかったし、吹き替えで見たんだけど吹き替えの人もめちゃくちゃよかったな。冒頭の超ロングナレーションもそうだし、2人も登場するからここがダメだったらもう終わってたけどこの人たちの力でかなり見てられた部分は大きいと思う。
エミュー戦争を思い出すんだが。死傷者が出なければいいなと思う。
エミュー戦争は、1932年にオーストラリア(西オーストラリア州)で発生した、野生動物であるエミューの駆除作戦を指す俗称です。
第一次世界大戦の退役軍人が入植した農地に、干ばつの影響で約2万羽ものエミューが水を求めて侵入。小麦などの作物を食い荒らし、フェンスを破壊するなど深刻な被害をもたらしました。
農家からの要請を受け、国防大臣は機関銃(ルイス軽機関銃)を装備したオーストラリア王立砲兵連隊の兵士を派遣しました。しかし、エミューは非常に素早く、群れがすぐに分散してしまうため、機関銃による掃討は極めて困難でした。
作戦は2度にわたり実施されましたが、大量の弾薬を消費したにもかかわらず、駆除できたエミューはごく少数(約1,000羽弱とされる)に留まりました。メディアはこれを「エミュー戦争」と皮肉交じりに報道し、最終的に軍は撤退。人間の兵器が野生動物に通用しなかったという、珍妙な出来事として知られています。結果として、この作戦はオーストラリア軍の「敗北」と見なされています。
例えブラック企業だとしても、パワハラを受けてたとしても、お前に金を支払ってあげていた会社にスジを通さない者は糞野郎!
通用すると思うんじゃあ、ないですよ!
例えばウクライナ・ブチャで女児を犯して殺して地下室に投げ入れた兵士は(どうせ当人もとっくに使い捨てられてこの世にいないのだろうが)、自分のやったことを思い出して後悔しなかったのだろうか。
そういうムチャクチャな虐殺行為というのは強烈な殺意や血の酩酊の狂乱の中で行われるのではなく、疲れた頭で投げやりにダラダラと行われる。
モノクロの集団銃殺の映像。撃たれるために壕の中に進む大勢の女子供と監視役の(そして実行役の)兵士たちは盛り上がらないイベント会場の群衆とバイト係員のようだ。
間違いなく兵士たちはあんまり何も考えてない。思考停止して冷酷な殺人ロボットに成り切ろうとしてるとかではなく、タイミーバイトみたいに「ダリーな。でもまあちゃっちゃと片付けないと」としか思ってないだろう。
宝飾店を営む家に押し入り、家人を拷問して一生寝たきりにしたトクリュウのガキがなんか「俺みたいになるな」みたいな安い反省文を書いて文才が地頭がとX民に絶賛されていた。
そうやって過剰な反省ポーズに酔うことで自分を誤魔化すこともできる。
そもそも罪悪感は、他人に責められるまでは眠っているものだという。
人間は他人を踏みつけても自分はそんなに痛くない。だからこそ“ついつい”レベルでどんな残虐なこともやってしまう。自分から、生きるに差し支えるような悔恨に駆られるほど人間は“人間的”ではないという。
しかしやってる時は大して何も考えてなかったり、自己陶酔の材料にしたり、記憶を捻じ曲げて合理化するとしても、それで一生OKなのかどうか。
子供を殺した感触、何の恨みもない相手の頭蓋を割った感触を時折まざまざと思い出すことはないのか。あるいはその事実は認識しているのに、自分が本当にその時何を考え何を感じていたか曖昧になり、今現在の自分が何ものかわからなくなったりしないのか。
そして、自分が根底から無価値な根無し草のような存在に思えて不安に苛まれる事はないのか。
(明らかに自分に非があって謝れないのってむしろそういうことなのでは。最後のダメ押しになってしまうから)
都合の悪い記憶を脇に押しやり切り捨てようとしても、それは自分の身を切り捨てて小さく削れていくような気がしないのか。
フィクションでは、そういう身を切るような悔悟の描写はゲップが出るほどありふれてる。でもそいつらほぼ間違いなく、法はともかく俺は許すぜと観客が思うような、やむにやまれぬ成り行きで人殺して、それなのに自発的にめちゃくちゃ悩んでるというナイスガイなんだよ。
あるいは反省の挙句、ノミでトンネル掘って諸々チャラになりましたとか、宗教に目覚めたりとか。
またあるいは本当に獣欲に手足がついただけのモンスターも稀には実在する。「血と骨」の親父みたいな。
そんなんはどうでもいいんだ。
単に命令されたからとか誰も見てないからとか私利私欲のために他人に地獄の苦しみを与えた人でなしが(あるいは、ある意味ではひどく凡庸な人間が)、本当に何を考えて、そのあとの人生を送るのかが知りたいんだ。
パフォーマンスでなく、誰にも知られない場所で「自分のような人でなしにはこのくらいの罰がふさわしい」とひとり腹切り刻んで苦しみ抜いて果てたやつがいたとしても、わからないのだが。
私はむしろ人でなしのひとりとして同類の声が聞きたい。あるいは人でなしに人生をゆがめられた人が「人でなしが本当に考えること」に触れて何を思うか知りたい。
もちろんここでじゃないよ。これは長いメモ。
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「罪と罰」読んでないがあらすじとコミカライズは読んだ。結局追い詰められてゲロするわけだが法的な裁きを受ける受けないの話はどうでもいいのである。大虐殺の実行者も命令者も往々にして何の罪にも問われない。そのうえで何を思うかあるいは思わないか。
「撫順帰り」とかで人でなしの大反省文がいくらでも読めるが、あまりにも政治的に汚染されている。全部嘘だとか事実だとかいう話はしていない。
戦争体験を語り継ぐ戦後文化の中で再構成され奇形進化した“芸能”に興味はない。
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https://x.com/iototaku/status/1982452974652973064
こんなん見たので書いてみる
あとポリタスって初めて聞いた
今のスペック
・28歲
・男
・地方民
・その辺のIT系
・キモオタのオタ抜き
・爺さんから兵士として戦争に行った話を聞いた。爺さんの所へ遊びに行くとたまに戦時の話をしてくれて、二度と戦争だけはしてはいけないとよく聞いた。ちなみに爺さんの孫の中で自分が最年少(爺さんと自分は72歳差)でめちゃくちゃ可愛がってもらえた。
・小学校6年の時深刻ないじめにあって対人恐怖症になる。本気でいじめをなくす方法を考え、人に優しくするしかないと思うようになる。
・小学校(中学だったかも)で権威主義的なめちゃくちゃ怒鳴る教師がいて、強い立場の人に権力を持たせるのは良くないと思うようになる。もしかしたらこいつのせいで病んだかもしれん。
・知的好奇心がかなりあり、いろんな学問に興味がありよく図書館に行ったりしていた。受験勉強みたいなのは興味がなくてほとんどやらなかったが、知的好奇心だけで大学受験を乗り切る。
・大学(地方国立理系)でいじめの記憶が尾を引いていたのか精神疾患になる。なんとか卒業。しばらく療養 (訳あって就職留年はしていない)
・既卒で拾ってもらってITエンジニアになる。ワープアじゃないくらいの給料は貰っている
・世間にあまり興味がなくて、年収を上げたいとか学歴を上げたい見たいな思想がほぼない。
・書籍みたいな媒体がすきで動画はあまり見ない。漫画はよく読むけどYouTubeはほとんど見ない。
・社会問題に関してはどうすればみんな幸せになれるんだろうって考える
・自分の知的好奇心を満たすための自由な時間こそが一番大切だと思っている。時間拘束が嫌いなのでできれば働きたくないが飯を食うために仕方なく働いている。
国家は若者をそこに閉じ込め、汗のひと滴まで規律に換え、忠誠と理屈を教えこむ。
その多くは途端に風に晒された絹糸のようにほどけてゆく。
はてなの人々が軽々しく「元自衛官」と呼ぶ者たちは、たいてい曹士である。
任期を終えて静かに去った「満期退職組」――彼らは敗者ではない。
「お勤めご苦労さまでした」と一礼し、
「戦が起これば、また呼んでくだされ」と笑う、その明朗さ。
――ところが、である。
この男は、幹部候補として国費を投じて育てられながら、職場という小さな戦場で立ちすくみ、やがて退却した。
国費によってこれでもかと手厚く育てられ、
いかにもまずい。これは、かなりいただけない。
彼らには、徹底的な庇護と手厚い育成が施されている。
現場の老曹らは、陰に陽に彼らの尻拭いをしながら、「まあそのうち慣れるやろ」と呟く。
それを、この男は「部下が嫌味を言ってくる」と嘆いたらしい。
――ああ、これを俗に「空気が読めぬ」と言う。
――はてなの皆さん。
この男は、諸君らが想像する「誠実で勤勉な元自衛官」ではない。
税金で温室栽培されたのち、自ら花を枯らした哀れなドロップアウトである。
それを自嘲気味に「禊ぎ」などと言っておるが、要するに甘えである。
彼は、おそらく叱られたかったのだろう。
それを禊ぎとして再出発する――そんな芝居を待っていた。
地頭がよいというのなら、せめてその才で汗を流せ。
さもなくば、君はこの国のどこにも居場所を得ぬだろう。
そして、その文明の片隅に、彼の名もまた、
地頭は悪くないらしい。
発信なのがダメだったようだ
旧twitterでちらっと言ってる人がいて知ったけど、
対応して大々的に抗日狩りをやって9万7千人の投獄と大虐殺になってたのね
華人以外のマレー人とインド人もたくさん殺されたのは見当がつく
イスラエルがハマスを狙うと言ってパレスチナ虐殺してるの連想しちゃったよ
wikipediaが全部本当かは疑わないといけないけど参考には助かるね
ついでに関連ブクマ
旧日本軍兵士を「英雄」とたたえ怒り招く、マレーシアで慰霊碑の撤去要求
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3217673
2025 今回の件
マレーシアに訪問し慰霊碑に頭を下げた高市早苗にマレーシア人がブチギレ「日本帝国軍がマレーシアで多くの人を虐殺したのを忘れない」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@unnojuza/p/66x8XDw
2018年から日本はマレーシアの各地13箇所に日本人慰霊碑を建てた
日本とマレーシアの関係は深くマレーシアで亡くなった日本人には色んな経緯があるが、その中にはマレーシア侵略で亡くなった日本兵も含まれる
日本人の集落の日本人墓地で日本の金だけで建てた慰霊碑で除幕式も日本人しか参列していないので基本的にはマレーシア人の関心の外の場所のようだ
しかし今回、マレーシアを訪問した高市は日本人慰霊碑で追悼の意を示す写真と、マレーシア独立闘争で亡くなったマレーシア兵の像の写真を載せた
本日、クアラルンプール日本人墓地を訪問し、慰霊碑に献花しました。マレーシアで命を落とした先人を慰霊することができ、感慨深く思います。
これに続けて、二度の大戦やマレーシアの独立闘争で亡くなられた兵士と市民の霊を慰める国家記念碑も訪問し、マレーシアの歴史に思いを馳せました。
抜粋すると以下のようなことを言っている
これは本当に腹立たしいです。マレーシアの地で残忍に首をはね、殺し、拷問し、レイプした兵士たちに敬意を払うってどういうこと?「マレーシアで命を落とした」って、ちょっと待って、私たちの祖先は日本の恐怖から自由を得るために彼らの命を捧げたんですよ。
日本人たちが、まるで彼らが英国からマラヤを救った英雄の血統から来ているかのように妄想しています。一方、こちらの人々は「アジアのためのアジア」という名目で私たちの国を侵略したあなたたちの祖先によって残酷に殺され、虐殺され、強姦されました。すべての植民者にはみんなくそくらえ
あなたは第二次世界大戦で戦った人々のためにトゥグ・ネガラで敬意を表し、それから私たちの祖先を植民地化し、虐待し、殺害した日本兵、つまり私の曾祖父が死の鉄道を建設中に亡くなり、私の祖父が父なしで育つ原因となった日本兵をも称えたのですか?
石破も慰霊碑訪問はしてるが無風だったので、独立像と同列にしたこと、というかあたかも日本兵が独立に力を貸したせいで死んだかのような発信なのがダメだったようだ