はてなキーワード: 命令形とは
「なんか面白いこと言って」という発話を語用論的に分析するには、文の表面的な意味(直示的意味)と、話し手の意図や文脈によって推論される意味(含意・発話行為・会話の含意)を分けて考える必要があります。
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1. 直示的意味(literal meaning)
• 文の表面上の意味は、「何か面白い内容を言ってください」という依頼の命令文に近いものです。
• 「なんか」=曖昧な指示詞、「何かの」意味(カジュアル・曖昧)
• 「言って」=発話行為を求める命令形(ただし、柔らかく使われている)
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2. 発話行為論的分析(Speech Act Theory)
Searleの発話行為理論に基づくと、この発話は以下のように解釈できます:
• 実質的には「話を盛り上げてほしい」「場を和ませてほしい」といった娯楽的または関係構築的な依頼。
• 聞き手が笑う、話を続ける、話題を変える、などの効果を狙っている。
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3. 会話の含意(Conversational Implicature)
Griceの会話の公理(協調の原理)に基づくと、発話者は以下のような含意を持っている可能性があります:
• 量の公理:
• 情報は足りていない(「なんか」という曖昧な言い方)→ 受け手に裁量を委ねている。
• 「いまここで面白いことを言うべき状況だ」と暗に伝えている。
• 曖昧にして、直接的な命令を避けている(「面白いことを言ってください」ではなく「なんか…」と曖昧化)。
この含意は、しばしば冗談半分の軽い依頼であり、場の空気を読むことが求められる。
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4. ポライトネス理論(Politeness Theory)
Brown & Levinson の理論に基づけば、この発話は聞き手の負のポライトネス(freedom to act)をある程度脅かす依頼にあたるが、以下のような戦略で緩和されている:
• 「なんか」や「面白いこと」などの曖昧な語彙で距離を取ることで、親密な関係性の中で成立するカジュアルなやりとりに見せかけている。
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• 友人同士の気軽な会話なら:
• 緊張した場面で言われたら:
• → 空気を和らげるための緊急依頼
• → 能力を当然視している含意もあり得る(=フェイスを脅かす)
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まとめ:語用論的分析の要点
イタリア語の動詞tirareは「引っ張る」を意味し、その命令形tiraと目的語代名詞mi(私を)、そして副詞su(上へ)を組み合わせた表現がtirami suになる。
「私を上へ引っ張って」という意味だ。
さかのぼるとtirareはラテン語のtrahereに由来する。
これは「引く」を意味する動詞で、ここからさまざまな言葉が派生していった。
フランス語のtirer、スペイン語のtirarなどがあり、英語にも別の形で残っている。
例えばattract(引きつける)やextract(引き抜く)だ。
他にはtractor(トラクター)、trace(跡)、train(電車)も同じで、牽引に関係する言葉だ。
こんなツイートがバズっていた
家族でドライブスルーの朝マックに寄ったんだけど、夫がマイクに向かってした注文が「パンケーキ、牛乳、ポテト。でポケモン」なの。耳を疑った。店員さんが単品ですか?セットですか?って聞き直してるのを若干イラつきながら受け答えしてて。でもぶっきらぼうすぎてなかなか伝わらない
https://x.com/mymtsynr/status/1954415895998026019?t=vWYOUDGjeMO-ufGMurkKSg&s=19
正直に言うと俺も店員に注文するときこういう態度を取るタイプの男だ
横柄だと思われているかもしれない
実際、家族には何度か「もうちょっと優しく言えば?」と言われたことがある
でも、あれは態度が悪いんじゃない
俺は上下関係がはっきりしている家庭で育った
家族の会話は基本的に命令形。「風呂入れ」「メシ食え」「早く寝ろ」。
だから「人に頼むときは柔らかく言う」という習慣がそもそも根付かなかった
上から降ってくる指示は一方的で返事は「承知しました」だけで済ませる
上司にちょっと込み入った話をすれば「いいから要点を言えよ」「で?なにすればいいの?」と言われる
相手に寄り添う会話じゃなくて最短距離で情報をやり取りするスキルが求められる
こういう環境にいると注文の場で必要以上に柔らかい声を出すのがどうしてもこそばゆい
芝居をしているみたいで顔が熱くなる
家でも職場でも、お願いは命令形か短い指示形でやり取りしてきた
だから「お願いします、〜していただけますか?」みたいな言い回しは頭では正しいとわかっていても、口にすると自分が一段下の立場に降りるような感覚になる
もちろん、接客の現場にそんな上下関係はない。それは理屈ではわかっている
親の背中を見て育ち社会で同じ型の会話を繰り返してきた人間は初対面の人間にもつい同じトーンで接してしまう
しかも、注文というのは妙に注目される場面だ
自分の声が店内に響くし後ろには順番待ちの客がいる
俺の中ではあれは“公開スピーチ”に近い緊張感がある
最短の言葉で切り抜けないと無能に思えるし下手に出ても無能に思われそうで嫌になる
「あの、えっと…」と間を取るのも嫌だし「お願いします」を付け足す余裕もない
もちろんそれで相手がどう思うかまでは考えていない
というか、考えたくない
注文は一回きりのやり取りで終われば二度と会わない人だ
それなのに妙に丁寧に話す自分を演じることの方がよっぽど居心地が悪い
俺は「印象を良くするための一手間」より「恥ずかしさを避けるための最短距離」を選んでしまう
たまに妻や友人に指摘されると、「そんなつもりはない」と反射的に答えてしまう
本当に悪意はないからだ
でも、その“つもり”のなさが、他人から見たときには横柄さに見える
それはもう、逃れようのない事実なんだと思う
直そうと思えばできるかもしれない
でも、それは俺にとって、ただ言葉遣いを変える以上の苦痛な作業になる
長年染みついた「頼みごとは最短で済ませる」という習慣と「弱みを見せるのは恥ずかしい」という価値観を根っこから書き換える必要があるからだ
「一番しんどかったと振り返る「コンサル転職して1~2ヶ月ごろに書いたメモ」、どれも命令形で修羅場感があるがコンサルの「スライドづくり」の鉄則が書いてある」とかTogetter相変わらずクソだなって改めて思う。
別に悪いことじゃなくて当たり前のことだからその点で害はないけれど、ここに書いてあることは初級・中級・上級でいうと初級のことしか書いてない。それが「コンサルの修羅場」「詰められ」とかどんだけ盛ってるのかと。それに学びがあるとか大切といいながらくだらないブクマつける奴らはなんなんだ。たぶんコンサル仕込みのエクセルショートカット集、みたいなのブクマする人達なんだろうな。
初級のこと、というのはそもそもページ番号が飛んだりしてない、とか表の小計総計縦横が合っているとか、書いてないけど内蔵を内臓とかかないとかフォントサイズを12pt以上にしろとかそういうのは最低限のことで、説得力を増すというより「こいつ馬鹿だな、金返せ」と余計なツッコミを受けないための防御的なことだ。AIアシストが当たり前になりつつあるので、そういうケアレスミス的な雑さというのは機械的に解決されつつあるし。
この投稿が「上から目線」で不快に感じられる理由を、以下の観点から解説します:
投稿全体にわたって「〜するんだよ」「〜に限定する」「〜すること」などの命令形・断定調の表現が繰り返されており、読者の立場や状況を考慮しない、一方的なアドバイスになっています。
たとえば:
「必ず築古の戸建を〜購入すること」
これらの言い回しは「助言」ではなく「説教」「指導」に近く、押しつけがましく感じさせます。
冒頭から「事業清算」「解雇される前提」「生活防衛」「無知」など、相手が困窮・無知であることを当然とした書き方になっています。
読者の努力や現状へのリスペクトがなく、「あなたは知らないだろうから教えてあげる」といった優越感がにじみ出ています。
「築古の戸建てを必ず10年ローンで買え」「500万円未満に抑えろ」など、現実的には地域・家族構成・ローンの審査など多くの制約があるにもかかわらず、それらを無視して一律に押しつけています。
「資格はtoeicやパソコンではなく宅建や消防設備士」など、個人の適性やキャリアパスを無視した「これが正解」と断定する姿勢も、共感を呼びにくいです。
最後の「就職できておめでとう」「人の悪口は言わずに穏やかに過ごして」といった言葉が、前の厳しい内容との落差のせいで「嫌味」や「上から目線の祝福」に感じられる可能性があります。
この投稿が不快に感じられるのは、「教えてあげている」という立場に立ち、読者を未熟で無知な存在と決めつけ、一方的な命令や説教を並べているからです。読者との対等な関係性が感じられず、配慮に欠けた押しつけ型の語り口が、「上から目線」として受け取られる要因となっています。
この言い換えは、論理的な構造を簡略化し、因果関係を明示する形で表現されています。以下に詳しく説明します。
元の文
1. 条件と結果が含まれる
結果: 土地を返すべき
2. 因果関係を暗示
「土地を返せば、紛争に巻き込まれるのを避けられる」という暗黙の前提が含まれています。
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言い換え
1. シンプル化
条件「紛争に巻き込まれたくないなら」という部分を省略し、結果を直接述べています。
2. 因果関係の明示
「土地を返す」と「紛争に巻き込まれない」という2つの出来事を直接的に結びつける形に変換されています。
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両者の違い
元の文は聞き手に提案・指示をするニュアンスが強く、具体的な行動を促しています(「返してやれよ」という命令形)。
今年3月のことだ。
休日の仕事仲間との付き合いの帰りに、京都の河原町三条付近をうろついていた。割と深夜である。人通りはそれなり。
ただ何となく、学生の頃が懐かしいなと思った。それでうろついていた。
そこで、見てしまった。六角通だったかな、そのあたりの交差点で泥酔した若いカップルがいた。大学生くらいかな?
信号待ちをしていて、ふたりとも肩を組んでふらついていて、特に女の子の方が危なげだった。
男子の方もやはり危ない感じで、呂律が回ってない感じで女の子に声をかけたり、抱きしめたり、思い切りキスをしたりしていた。
と声をかけたが、「ええです、ええですから」ということだった。
ここは田舎じゃないので関わらないのが正しいのだが、気になってその子らの後を少しだけ追ってみた。
もしやすごく近所なのかもしれないと思って。ウザいかもしれんが、私の方には事情があった。
あのふたりは交差点の信号を渡って、高倉方面の商店街の方向に抜けて行った。
後を追って、商店街に入る前の住宅エリアまで行くと、道路端でやっぱりフラついていた。
もう一度だけ声をかけることにした。「タクシー、本当にええんか?」と聞くと、「ええです!!」と返ってきた。
女の子は普通にL型側溝のあたりでゲロを吐いていた。呂律が回ってない発言をこっちにぶつけてきた。怒っている。中国人か台湾人?のようだった。
次第に、何人か集まってきた。何十人というわけでもないが。やじ馬だった。
やじ馬の数人が近くに寄ったが、声をかけることはない。当方はちょっと迷ったのだが、ここで行くしかないと思った。
私はそこまで酔ってなかった。会話をある程度思い出すことができる。
「ねえ、救急車呼ばないと駄目だ。あなたはいいかもしれんが、女性の方が明らかにおかしい。目線とか」
「ほっといてください!!」
「いや、わかるんだけどさ。その子が」
続けて会話をしようとしたが、やじ馬が本当にうるさいことになっていた。
いい年したおじさんもいた。恥ずかしくないんかと思った。
「ちょっと、あんたら。この子らと話がしたいんで。救急のこともある。静かにしてくれます?」
とやじ馬に言ったら、「こいつ何なん?」という表情をされた。
例の男の子の方も、「あんた関係ないですよね?」と声を上げたと思う。
と、当方が声を上げざるを得なかった。
当方が手で「あっちに行って」とジェスチャーすると、やじ馬は遠巻きになった。
と言ったら、さすがに全員どこかに行くみたいにして、しかし何人かはこっちを見ていた。
座り込んでいた男の子の方が、女の子を仰向けに抱えながら、こんなことを言ってた。
「それは後で。その子また吐いてる。はやく、横に寝かせて。ごめんけど救急車呼ぶね」
「ちょっとあんた、携帯触らんでいいですから、ねえ、ちょっと。勝手に。犯罪ですよ」
「それは兄さんが決めることじゃない。消防が来てから判断してもらおうや」
結局、数分後に救急車が到着した。あっという間だった。
本当は呼んですぐに立ち去りたかった。
でも、都会の方だとこうなのかもしれない。119番通報したら、「通報者の方、現地にいてください!!」とキッチリ言われたのだ。命令形である。
女の子がタンカに乗せられて、救急車に入って、男の子の方が歯ぎしりするみたいに当方をにらんでいた。
「御関係は?」「どういう経緯で?」「あなた自身はトラブル起こしてない?」
など聞かれたが、最後の質問の後に、財布に入れていた市の職員証を見せると、年配のお巡りさんが複雑な表情をしていた。
「すいません、やはり越権行為ですか?」
と聞いたら、
「いや。もういいです。越権行為ですけどね、それはもういいです。お勤めご苦労さんです。トラブルだけには巻き込まれんようにね。兄さん知ってるやろけど、夜の木屋町は本当に危ないからね。犯罪にだけは巻き込まれんように。次回は関わらん方がええよ」
と、こんなことを言われた。
子どもの頃は、美山町という田舎町に住んでいた。京都の北部にあるのどかな町である。近所の人が危ない時に救急車を呼んだ現場にいたことが二度ある。
でも、京都市のど真ん中でそれは、やりすぎだったかもしれない。一般的にはスルーするのが正解だろう。
公務員には国民や市民を救護する義務が定められている(法律じゃなくて内規だけど)。それでも、あの場合はスルーするのが正しいと思う。
英語のspotty(adj. 斑の。斑入りの。斑点のある[3])[1]
フランス語のpetit(adj. 小さい[5])
仁科邦男は、英語のpatch(n. 斑点[6])に由来すると唱える。
チェコ語のpojd' (v. (こちらへ)来い)jit(≒go)の二人称単数に対する命令形※不規則変化[7][8]
米川明彦によると、文献初出は小学校国語科教科書『讀書入門』[9]である。小学校教科書や唱歌に登場することにより、1900年代初頭には一般化したと考えられる[10]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%81_(%E7%8A%AC%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D)
うちの母は動物好きで、昔から猫やら犬やら拾ってきたり可愛がっていたらしい。実際、私が生まれた時から今までも、家にはずっと犬がいたし母はそれぞれ母なりに大切にしていた。
しかしなんというか、世話はするが毎回名付けが適当なのである。色が同じだからとその時買った車の名前とそのまま同じものにしたり、近所のパチンコ屋と同じ名前だったり。いやあれは父だったかもしれないけど。とにかく名前はいつもフィーリングというか、適当な印象がある。
そんな母が若くてまだ山奥の実家にいた頃、迷い犬を保護したらしい。骨と皮だけになった、雌の老犬だった。後から判明したことだが、自分が産んだ子供達から追い出されたようで、死に場所を探して山に入り込んだらしい。今から何十年前のド田舎の山奥だから、犬は放し飼いが普通だった。老犬は山の奥へ奥へと進み、うっかり山を越えて祖父母の家らへんまでたどり着いてしまったらしい。うっかりした犬、可愛い。
やせ細り迷い込んできた老犬を可哀想に思った祖父母は、保護して飼うことにした。そうなると当然、名前を決めることとなる。
そしてその時に母は、犬に「太れ」と名付けた。
太れ。え?マジ?
太(ふとし)とかではない、まぁそもそも雌だし。でも名前に命令形が含まれているってなんだ。聞いたことがないネーミングセンスに、最初私は二回聞いた。祖父母もナチュラルに「太れはね〜」と話を続けるので、私が変なのかと思った。母は「ほんと名前とかね、適当だから」と笑っていた。あんまりにもやせ細っていたのでそのまま名付けたらしい。
そして太れは、名前の通りすくすく太ったらしい。
ふーちゃんとも呼ばれていたようだ。
そのうちに、話を聞きつけたのか元々の飼い主がお詫びの酒を持って祖父母の家を訪ねたらしい。けれど「死んだら死んだで別に」みたいな話をしたらしく、当時生きて元気だった曾祖父が「太れをまた引き取ろうとしてたら返そうと思ったが、そうでないなら返さない」的なことを言ったらしい。なんか真面目な話なのに名前が異様に気になるな。
あと元飼い主を擁護するわけじゃないけど、かなーり前かつガチモンの山奥ド田舎の話なので、多分害獣対策とかそういう意図で犬を飼っていたんだろう。今の私達のペットに対する感覚というより、便利だから飼ってた、みたいな。それでも結構酷いけど。
ちなみに太れはというと、元飼い主のところに行って少し尻尾を振ったそうだが、すぐに自分の寝床に戻ってすやすや寝ていたらしい。
そんなわけで、太れは結局数年祖父母の家で過ごし、そのまま亡くなった。らしい。私が生まれるかなり前の話なので、写真も見たことがない。
死に場所求めて山入ったことを考えると、幸せな最後だったんじゃないか。良かったね、太れ。
今書いてて気付いたが、そういえば太れの元々の名前ってなんだったんだろう。こないだ聞きそびれた。でもあの人達のことなので元の飼い主に聞いたところで多分忘れてるし、彼らにとっては太れは太れなのであまり関係ない気がする。
それにしても、名前は祝福や願いを込められると言うもののここまでドストレートな名前は聞いたことがない。でも母らしい。そんな母を育てた祖父母が普通に太れの話をしていたのも彼ららしくて、なんか良いなぁと思った。
私はパートナーがゴンドームを嵌めている間に考えているのは植民地時代のマレーシアのプランテーションについてです。
TVアニメ「唐揚げデリバリー三平」の第1話から最終48話までのサブタイトルを教えてください。
朝飯に食べた卵がけご飯は、まるで太陽の光が降り注ぐような温かさと優しさに満ちていた。
小学生の時、歯ブラシを武器にして鹿を狩っていた俺の話を聞いてくれ
以前は割とファニーな文章を書いてくれることが多かった。
最近はあんまり弄ってないけど、比較するとあんまり変な文は書いてくれなくなったような印象。
初期の頃、変な文章を書かせるためのプロンプトには鉄則があって、
必ず文章を命令形にしてAIに対してストレス(?)をかけるということだった。
〇〇〇〇◯というタイトルで〇〇な文体でさっさと書け早くしろ!
というようなキツイ命令形にすると変な文章を書いてくれていた傾向にあった。
2501
レイは何考えてるかわかんねーし
トウジはつっかかってきてうざいし
ミサトは結局ウジウジしてるし
冬月は思わせぶりがむかつくし
ゼーレは難解なこと言い出すし
使徒は合体厨でうぜーし
ロンギヌスとかぽっとでの武器むかついたし
NERVのマヤとかロンゲとかメガネはシンジのこと気にかけねーし
残酷な天使のように少年よ神話になれが命令形で何様だってなるし
心よ原始に戻れとか北京原人かよってなるし
私に還りなさいとかまた命令形かよってなるし
ベートーヴェンの運命が流れてかっこつけてんじゃねえよって思うし
エヴァンゲリオンと使徒のバトルもだいたい泥臭くて爽快感はねえし
ゼルエルを食ってるの見て食い方汚ねえと思ったし
くっそつまんなかったわ