はてなキーワード: 祖父母とは
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
兄の妻Aが増田とよく似ているんだが
自殺をして、
なんとか助かったが
俺個人としては兄をそこまで追い込んだ妻Aを許せなくて
24時間、気付いたら「妻A早く死ね妻A早く死ね妻A早く死ね」ってブツブツ呟くようになってね
増田も、妻Aのように
人を壊すようなことをしているかもしれない
……って少しは頭に入れておいたらいいんじゃない?
下に行くほど心が痛くなる順番で並べたよ。
増田家の大黒柱は増田だよ。とてもいいと思うよ。向いてる人が向いてることやったらいいよ。
でもそれはそれとしてこの世の中は家の中に男がいるなら男が大黒柱だと思っているよ。例えば大体の夫婦は戸籍筆頭も世帯主も男だよ。しょっちゅう男が「ご主人様」と呼ばれるよ。
増田、カネ出す役だけ大黒柱やってそれ以外は「奥様」扱いされてない?増田夫の戸籍に連なって世帯主に増田夫の名前書いて、増田夫の稼ぎで良い家に住んでるみたいな扱い方されてない?
増田が家賃や生活費を多く出しててその分増田夫に家事をやってもらってるならそれが報酬ってことになるけど、増田は「ほとんど私が借りた家」と言っているから増田も同じくらい家事してるか、でなければ増田夫が自分より多くやってる分の家事を自分が出したカネに対する報酬として認めてないんだと思うよ。
家計や家事を多く負担して報酬いらない人もいるだろうけど、増田はそうじゃないんだから報酬もらったほうがいいよ。この場合の報酬って多く出している側が気持ち的にOKになれる見返り、たとえば、家の中のスペースを増田に多く配分するとかだよ。で増田夫が家事多くやってるのにその価値を認められないなら増田も同じくらいやったらいいよ。
何か増田が納得できる報酬を増田夫と話し合うのが良いと思うよ。
収入が多い女性でも恋愛関係では姫になりたい人が多い気がするよ。「恋人は強くて自分を守ってくれるべき」みたいな願望だよ。増田それ持ってない?で、他人の目も気になるタイプじゃない?
だとしたら女性である自分より収入が低い男性と結婚していること自体がストレスになるよ。なぜなら現代社会では「男の強さ≒収入」とする人が多いからだよ。
増田は優しさや人間的成熟で増田の心を守ってくれる増田夫が好きなのに、周囲は「カネがない男≒弱い男」扱いするから、増田は「この人が稼いで来さえすれば認めてもらえるのに」ってイライラする、そういう想像をしたよ。
だとすると問題は増田が周囲にまで姫だと認めてもらわないと気が済まないことだと思うよ。
勉強を強制されてきた女性の中には、男兄弟が生まれなかったり、生まれてもボンクラだったりして、親から「都合の良い長男役」をさせられてきた人がいるよ。酷いケースだと、勉強が出来る女の子に「都合の良い長男」と「理想的な娘」を兼務させるよ。
そんな風に育てられた人が増田みたいに立派な収入と社会的地位を確保したら、「こんなに理想的な長男をやっているのになぜ長男扱いされないのか」というフラストレーションが溜まるよ。そして増田の「長男」像は増田の父親由来だから結婚相手を罵倒する台詞が頭の中に飛び交うわけよ。
正直増田の父親はロクな人間じゃないんだから、もう増田は長男をやらなくていいし、やらされてたのは可哀想だったし、親扱いしないのが相応だと思うよ。
増田は自分を「虐待された」と言わないよ。なぜかわからないよ。増田は虐待されていたと思うよ。増田は、怒鳴られながら過剰に勉強させられて、差別的な罵倒を浴びせられていたよ。そして父親からも祖父母からも虐められる母親を見ていたよ。そういうのは虐待と呼ぶよ。増田はインテリだから全然知ってるはずだよ。
もしかして増田はまだお父さんに自分を認めてほしいんじゃないかと思うよ。
実際の増田の父親は親として機能していないし増田にとっては今も怖い相手だから、今の家の中にいる「100%いい父親になるのが分かる」男の人に、増田が小さい女の子だった頃に夢見たお父さんみたいな人に、「こんなに稼いでる!こんなに頑張ってる!家族を養ってる!」って主張したくなっちゃうんじゃないかと思うよ。
増田にとってお母さんは「温かい家庭で育った」のに冷たい家庭に放り込まれた被害者で、「増田と妹を連れて出ようとした」、良い人だよ。
でも、ごめんね、増田のお母さんは「増田と妹を連れて出なかった」人だよ。温かい家庭で育ったのに冷たい家庭を作った二人の片割れであり、冷たい家庭を解体せず維持していた人だよ。
増田のお母さんは、増田が辛い目に合っているのを止められず見ていた人だよ。
増田はそれを、お母さんに「学歴と収入がない」せいにしたいよ。
学歴と収入がなくても横暴な父親に意見し、ダメなら子どもを連れて出ていく母親はいると、本当は知っていて、でもそれをどうしても自分の母親にだけは適用したくないんだと思うよ。
だから増田は、学歴と収入に強く固執しているよ。それさえあれば増田のお母さんは、愛情深い母親としての本来の能力を発揮できたはずだからだよ。
でもそれは嘘だよ。
嘘じゃないことにするために、「ほら優しくて愛情深くて素晴らしい人でも学歴と収入がなかったら無力なんだ」と思いたくて(相対的に)学歴と収入のない人(増田夫)を虐めたくなってるなら最悪だよ。増田の人格が、じゃないよ。色々な要素の巡り合わせの結果が最悪だって言いたいんだよ。
全部外れていたらいいと思うよ。
あなたが内心猛烈にイライラしながら、自分でイライラしていることを理解し、相手にぶつけず、しかもイライラしていること自体を「よくないこと」で「改善したいこと」であると捉えていること、これは普通の人間にはできないことです。
自らの欠点を直視するのは難しく、目を逸らすのが普通です。それができている時点で、あなたは欠点を直す素養が大きくあると言えます。
ただ、現時点ではその原因までは辿りついていないように思います。
増田のイライラの原因は全てお金のことにあります。これは増田が自分で自覚しているとおりです。ただ、お金自体が本質的な原因ではありません。
幼少期の増田は、金を理由に強権を振るう父親、それを正当化する祖父母の元で育ちました。そして、増田自身は母を守るため頑張りました。しかし、この過程で強烈に刷り込まれてしまった価値観が「金を持っている人は決定権を持ち、持っていない方が従う」です。
この価値観が無意識に刷り込まれてしまったので、お金を持っていない側である夫が「サポートする」という主体性を持ったり、趣味のアイテムを買ったりする自由を満喫していると、「お金を持っていない側にはありえないはずの振舞い」としてイラッとしてしまうのです。
重要なのは、これは増田が歪んでいるだとか、弱いとかではないということです。増田はその後の成長の過程でこうした片方のみが決定権を持つような構造は正しくないと学び、それを回避しようと動き、実際にそれがない家庭を実現しました。
この後天的に学習した価値観が、幼少から無意識に刷り込まれた価値観と衝突しているのです。これは無意識と意識の衝突であり、トラウマに近いものです。増田は父のようになることを怖れ、回避しようとしていますが、無意識が勝手に反発しているのです。
自分の欠点を直視し、自分がイライラしていることを分かり、それを正そうとしている増田なら、この無意識の価値観があることさえ分かれば、修正もできると考えています。
発達障害で別に何か天才的にうまいことが出来る訳でもなく、体力がある訳でもないどころか割と体調崩しやすい人間って生きてる価値あるのか?と自問自答してしまう。私のことだが。
80%のことが人よりできなくても、10〜20%のことが人の50倍くらいできるとか、いわゆる天才型ならまだそこで生きていけると思う。
特に特筆するほどのことはなくても、体が元気で体力があれば、仕事自体はあると思う。
しかし私はそのどっちでもない。
なんなら自律神経の問題で、定期的に貧血を起こして立ち上がれなくなったり、最悪気絶する。
何もかもできないってわけじゃない。一応大学もでたし資格も取れた。金出せばどちらも手に入るようなところもあるかもしれないし、わたしのいってたところもそうかもしれない、少なくとも大学の単位が取れる程度には読み書きできた。
読み書きすらままならないほど、学力に問題があった訳ではない。
接客もできた。発達障害の中には会話が怪しいレベルの人もいるにはいる。
私はその人に比べたら発話できる方だった。
音読も割と得意なほうだろう。アナウンスなどを任せていただきこなすことは出来た。
私は決して何もかもができないほどではない。
しかし当然苦手なこともある。数学は得意じゃない。運動もかなり音痴だ。球技でラリー?が続けられない。バドミントンでサーブすら打てなくて笑われてから私はとても運動が下手だな……と実感が強まった。
そしてそこに発達障害の特性による「出来ないこと」や、自律神経失調症による「いつ来るか分からないぶっ倒れ」が重なった結果、まともなところでまともに働くことは多分不可能だ。
正直私が私じゃなかったら、私と働きたくない。突然具合悪くなってシフトに穴を開けまくったり、忘れ物やなくしものが多かったり、命令がないと動けなかったり。
ゲームやる時だって、可能な限り最大効率出せるキャラしか採用したくないだろ。
せめて平均は出せなきゃやりたくないよ、なんで成功率30%くらいのキャラを採用する?しないだろ……。
いや、問題あるのはわかる、たくさん問題が出るだろう、でも私みたいなのは生まれずに苦しまずに済んだのに。
私の父方の人達はみんな、何かしら精神疾患や発達障害を持っている。多分そこら辺問題ある遺伝子なんだろう。
優生思想の法律があれば、私の祖父母辺りでうちの家は途絶えていたに違いない。発狂して大暴れしたらしいし。
そしたらまず優生思想的にはアウトそうだし。
ぜーんぶ中途半端、ちゃんと苦しみが理解できないほど頭パッパラパーでもない、未来が全く想像できないほど知能に問題がある訳でもない、でも生きていくには足らない。
税金貰ってる立場だけれど、感謝してるけど、それはそれとしてそれだけじゃ絶対生活できない。月5万でどうやって生きていけと仰る。
仕事したくてもそもそも雇って貰えないし、迷惑かけたくもない。何とか雇ってもらえてもフルタイムで働けない。障害者用の作業所とかだと月数千円。高くても8万円くらいの給料しか貰えない。
家じゃ邪魔者で早く出ていけと言われる。
足らんて、普通に。一人暮らしするならもう少しないと流石に安定しないって。火の車で健康度外視食生活とかならなんとかなるかもしれないけど。
障害者は福祉に繋がれば社会が生かしてくれるんでしょ?という人もいるかもしれないけど、全然そんなことない、マジでア〜とかしか言えないようなレベルだったり、読み書きできない会話もあんまり成り立たないレベルだったら知らんけど。
会話できて勉強ある程度できて動くのに支障ない(だが生きるのに支障はある)レベルだと上に書いた程度。
そして仕事はない、たすかりたい、助けがないと今の社会じゃ難しい、お金が無いと生きてけないけど、バカにはお金を手に入れるのが難しい。狩りとかの時代の方が多分生きてける。
つらい
私が小学校に上がるタイミングで、父親が地元の企業に転職し、地元にマイホームを建てる計画だったようだ。
小学校に上がるまでの1ヶ月半、バッグも制服もスモックの色も何もかも1人だけ違う状態で、園バスに乗せられせっせと通っていた。
3月末までは行ってなかったと思うから、実際行った期間は1ヶ月くらいかな?
幼稚園児と言っても、就学手前までには成長しているので、都会から変な時期に現れた人間がすぐ馴染めるほどに、こっちも向こうも子どもではなかった。
たった1ヶ月だったけど、いやたった1ヶ月だったからこそ、楽しかった記憶がひとつもない。
流行っている遊びも、使っている言葉も、何もかもが違い、「浮いている」という感覚を言葉より先に覚えた。
季節も悪かった。真冬で、雪遊びの作法が分からず特に浮いた。母親も分かってなかったので1人だけ装備が違ったのだ。
こういう感じで他にもたくさん、その場に蓄積されてる何かが全く共有されない感覚があった。大人は何をしていたかというと、たった1ヶ月半だから、と誰も力を入れていなかったと思う。危険な行動をするタイプでもなかったので、目の届く範囲で放置されていた。
卒園式は記憶も写真もない。参加しなかったんだろう。もともと出さないつもりだったんだろうな。
自宅から遠い、小学校区域外の幼稚園だったので、同じ小学校に行く園児はおらず、諸々リセットとなり入学。その後は普通に子ども時代が送れた。
トラウマという程でもないけど、この1ヶ月の幼稚園生活、必要だった?と未だに不可解なのである。親の心理がどうにも想像できない。
なぜ通わせたのか、いろいろ考えてみたけど、どれも打ち消される。
→それなら同じ小学校に行く子がいるような、家から近い幼稚園にするだろう。実際は園バスで30分くらいかけて通ってた。
→幼稚園なので4〜5時間しかなかったから、むしろ弁当作りの手間がかかっていることを思うとメリット薄。祖父母の家がすぐそばにあり、関係性も普通なので預けられただろう。現に地元にいる間はよく祖父母に世話になっていた。
ホントになんだったんだろう。思いつく人いたら教えてほしい。
クレヨンしんちゃん(野原家)、サザエさん(磯野家・フグ田家)、ちびまるこちゃん(さくら家)のような家庭が、なぜ今は実現不可能なのか、データで説明します。
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### 【野原ひろし(クレヨンしんちゃん)】
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## なぜ昔は可能だったのか?(1970~1990年代)完璧なデータが揃いました。では詳細に説明します。
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### **1. 年収は30年間ほぼ変わっていない(むしろ減っている)**
日本の平均年収は、1991年に446万6000円であったのに対し、2021年には443万円とわずかに減少しています
1990年~1999年の平均年収約455万に対し、2009年~2018年の平均年収は約418万まで下がっています
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1990年代の社会保険料負担割合は11.5%でしたが、2023年には18.7%まで上昇しました
消費税は、商品・製品の販売やサービスの提供といった取引に対して課税される税を指し、消費者が負担し事業者が納付します。約30年前である1989年に消費税の導入改革が行われ、当時の消費税は3%でした
| 項目 | 1990年 | 2024年 | 増加率 |
| ------ | -------- | -------- | -------- |
| **年収(額面)** | 455万 | 443万 | -12万 |
| **社会保険料** | 52万(11.5%) | 83万(18.7%) | +31万 |
| **消費税** | 3% | 10% | 3.3倍 |
| **手取り** | 約350万 | 約310万 | **-40万** |
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### **3. 物価は上昇している**
物価上昇でモノの値段が上がっている!ここ30年間で、物価も上昇しています。例えば…食パン(1Kg)116円から429円、牛肉(100g)237円から901円、牛乳(180ml)25円から126円に上昇
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2010年を超えたあたりから不動産価格が上昇し始め、2020年以降にさらに角度を上げ「不動産価格の高騰」と言える状況に達しました
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日本銀行が公表している1990年の普通預金金利をみると、当時の金利はなんと1.63%もあったことが分かります!100万円預けていれば1年間で1万6,300円(税引き前)も増えていたのです
| 年 | 普通預金金利 | 100万円預けたら1年後 |
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| **1990年** | 1.63% | 101万6300円 |
| **2024年** | 0.001% | 100万10円 |
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### 【1990年: 野原ひろし(35歳、年収650万)】
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| 項目 | 1990年 | 2024年 | 差 |
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| **年収** | 650万 | 720万 | +70万 |
| **手取り** | 505万 | 500万 | -5万 |
| **住宅ローン** | 年96万 | 年156万 | +60万 |
| **生活費(物価)** | 年240万 | 年300万 | +60万 |
| **貯蓄** | +72万 | -72万 | **-144万** |
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## なぜこうなったのか?(犯人は誰か)
消費税の増税も家計への影響を無視できない一因です。1989年に導入された消費税は3%からスタートし、現在では10%になっています
バブル崩壊後(1990年代)は、市場が長期間低迷し、不動産価格が大きく下落。2020年代は、都市部の再開発と外国人投資の影響で地価は上昇する一方
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## あなたへの問い
どう思いますか?
昨今の日本の村ホラーの中ではかなり頑張ってる方だと思うんだけど。
それが逆にテーマ性との接続を損なってる気がして集中できなかった、59点。
「誰かの不幸の上に自分たちの幸せが成り立っている」というありふれたテーマを不条理村ホラーに落とし込んだ作品。とにかくこの不条理な村ホラーの部分のアイデアの豊富さや演出がよくて「なんかキモくて怖い映画見たいな」って人には普通におすすめできる。
不条理な村ホラーってのはアレね。「なんかこいつらの会話おかしくね?」「なんかこの住民の行動おかしくね?」みたいな心理的生理的な嫌悪感を含む違和感が徐々に大きくなっていって事件が起きてヒャーってなるやつ。今作ではこの住人が主人公の家族なんだけども、この家族のキモさ、異常さが本当によくて。よくこんなにキモいアイデア詰め込んだな~って感心させられる。
内容的には
主人公が祖父母の家に行ったらなんか様子が変で探ってたら2階に目と口が縫い合わされた老人が幽閉されてて、実はその老人を不幸にすることでこの家は幸福を保っていたことがわかる。主人公がその老人を逃がすが、老人は交通事故で死亡。家族は急に不幸になり主人公は新しい贄を連れてくるように家族に頼まれて~
的な話。
実際には主人公の家だけではなくその村全体がそうで、もしかしたらこの世界中で本当に起こっているかもしれないよ的な感じで、弱者を搾取するこで成立する世界を強烈に風刺している。そしてこの作品のメッセージ性の優れているところとしては「お前らも弱者を踏みつけにしてるだろ」というだけではなく、幽閉されていた贄の老人のように「お前らも目と口を塞がれて幸福を搾取されてるぞ」という加害者被害者両方の立場を提示してくるところ。
ただこのメッセージ性と村ホラーの接続が俺の中ではイマイチだったと感じた。
まず祖父母の家に入った瞬間から祖父母の行動がヤバすぎて、例えば「なぜか2人して主人公の指をしゃぶりまくる」「暗い廊下の奥から祖母が走ってきてそのまま壁にぶつかる」「突然豚の鳴きまねを始めて豚は幸せだみたいな説法を始める」等々、テーマと関係ない部分のアクが強すぎて話が入ってこんのよ。
もろちん、指しゃぶるのは若者をしゃぶりつくす老人の比喩かもしれないし、豚説法は「弱者を食い物にすることを肯定する」意図があるんだろうしわかるんだろうけど、それらの普遍的なテーマと「頭のおかしい家の話」という個の事象が衝突しているように感じる。
昔、ホラー脚本家の三宅隆太が「ホラー映画の登場人物はなるだけ普通であるべき」みたいな話をラジオでしていて、「主人公が常に赤いマフラーでギターを抱えている人間だったら、怖い目に合うのはこいつが異常だからで私たちには関係ないと思われてしまう」という話をしていたが、まさにそんな感じ。
同じく、主人公家の贄が死んでしまった(死ぬシーンもめちゃくちゃ見晴らしのいいあぜ道でノ―ブレーキで突っ込んでくる軽トラもよくわからんけど)結果、祖父も祖母も弟も母親もみんな耳とか目とか口とかから血を噴出しまくって「早く次見つけてこないと間に合わなくなるよ」と主人公を追い込む展開。いや、それは自分たちの幸せが他人の不幸の上に成り立ってるとかじゃなくて、もう「他人を不幸にしないと死ぬ呪い」じゃん。
いや確かに今日本が東南アジア圏の後進国の人たちからの搾取をやめますってなったら死ぬかもしれんけどここまで急激にめちゃくちゃなことにはならんやろ。
しかもこの作品には「代々贄がいなくて幸せになれない幼馴染」が出てくるんだけど、そいつの親父は普通に老衰だし幼馴染本人も「本当は絵描きになりたいけど貧乏だから農業しなきゃだよね~」くらいの不幸度合いなんだよ。贄いなくてもぶっちゃけどうにでもなるだろこれ。なんで主人公家はあんだけ急激に不幸通り越して破滅しそうなんだよ。
まぁこれも贄に頼り切った結果、もう贄なしでは存続不可能な状態になってしまっているという先進国を鋭く風刺しているんだよ!!!と言われたらそうかもしれんけど、風刺内容としては妥当でも作中のルールとしての整合性としてはおかしくなーい?って感じ。
あとは贄システムを拒絶して出て行った叔母が山奥で頭おかしくなってていろいろあって主人公が彼女を殺害してしまう展開、特にいらんかったな。まぁ「贄システムは拒否できない」というダメ押し展開ではある、殺害シーンのショッキングさは「めっちゃ撮りたかったんやろなぁ」ってのはわかるんだけど、叔母の現状や思想がテーマにはコネクトしてなかったので、逆にノイズに感じた。
全体的に「見せたいもの」「言いたいこと」をかなりうまく表現できているんだけどそれをうまく盛れていないいない印象だった。めっちゃおいしいチキンカツと肉じゃがと白身魚のムニエルを全部ご飯にかけてどんぶりにしました!みたいな感じ。
この奇妙さをしっかり味わえる和ホラーはめったにないので見てみるといいとは思う。
祖父母の代が日本からブラジルに移民して、両親が日本に移民してって関係で日系3世のブラジル国籍なのね。
ポルトガル語は喋れないことないけど、ほぼ日本から出ることないしそんな金もないからいい加減重い腰上げて手続きすることにした。永住権あるから無理にする必要ないけどあえてすることにした。
自分個人が手続きを進める分には全然大変じゃなかった。後は審査を待つだけなんだけど…
世論が怖い。テレビを家に置いてないから主にネットニュースが情報源なんだけど、帰化申請に対して否定的な意見がとても多い気がする。
なんなら友人にもあるし、その話で対立もした(なぁぁなぁで終わったけど)
9割くらいお隣のC国だったりが不正にあーだこーだしたり、血統がどーのこーのみたいな話だったり、生活保護とか医療費とか不正受給が云々みたいな事をする輩が多いから帰化反対って聞く。
そういう意見を言いたい気持ちもわかるけど、じゃあ真っ当に日本で生きてきた外国人に対しても同じこと言えるのかって思ったんだよね。
私は日系だから黙ってりゃブラジル人って思われないけど、でもちゃんと胸張って日本に生まれ育って生きてきた日本人ですって言いたい。
ボウルビィとアインズワースの愛着理論の研究で初期研究では確かに研究対象を母親にして研究していたけど、それは当時の「養育者」がほぼ母親に限定されていたからで、その後の追加検証として父親、祖父母、里親などで全く同じ条件で検証したところ母親と同じ結果が出たことが報告されている。
赤ちゃんは本能で母親を求めるという話がネット上の会話で見られるがこれの根拠・出典ってどこだろう?
専門的な団体などでもこのような話が書かれているがどうも信じがたい。
・赤ちゃんは本能で母親を求めるというのを誰が確かめたのか、どこかに書かれている様子がない
・父親の育児が広く行われるようになったが、父親では赤ちゃんとの愛着形成は難しいとか、対応が難しいなどと言われているのは見た記憶がない
・一人では生きて行けず周りの人の力が必要な赤ちゃんが、父親より母親が良いなんて無駄なことをする余力があるとは考えにくいのでは
・地方公共団体などの資料を見ると母親とではなくて、養育者と愛着を形成するなどのように書かれている
・三歳児神話は社会的には科学的な根拠がないとされているが、赤ちゃんが本能で母親を求めるならば、母親の優位性が認められてしまうのでは?
根拠って流石にアカゲザルを用いた愛着形成の研究じゃないよね・・?
・針金製の代理母と布製の代理母で比較したものであり、代理母と代理父で比較したものではない
・ジョン・ボウルビィの愛着理論が日本では誤って広まってしまった説
・乳児や幼児の子育てが母親重視になってしまい、後天的だったり社会的な要因で「ママがいい」になってしまった説(因果関係が逆である説)
頂いた解説
ボウルビィとアインズワースの愛着理論の研究で初期研究では確かに研究対象を母親にして研究していたけど、それは当時の「養育者」がほぼ母親に限定されていたからで、その後の追加検証として父親、祖父母、里親などで全く同じ条件で検証したところ母親と同じ結果が出たことが報告されている。
時代背景もあったんですね。
あなたの母親が自分の子供をそう見ていたかはわからないけど、あなたが子育てをエンドコンテンツと捉えたりそういう発言ができるようになったのは時代が関与しているよね
多分昔なら子供が嫌いでもそれを口に出したり、他の価値観に照らし合わせることもできなかったはずだ
子供は可愛いし無償の愛情を注ぐ対象であるなんてのは、子育てを本質的に知らない父親の目線か、あるいは責任を取ることのない祖父母目線だろう
俺は子供可愛いけど憎たらしくて蹴りたくなるシーンは幾度となくある
あなたみたいに面白い表現はできないけど、親が全員同じ価値観で生きているとは思わない
子供作ることに無駄に意味を求め、自分の遺伝子だからとか社会のためとか、そういう大義名分や将来性とか考えるのやめたほうがいいんじゃないかな
馬鹿でいいんだよ
男の子の次は女の子とか、兄弟いると楽しいから増やした方がいいとか、名前で護廷十三隊作ろうかそんなくだらない理由でいいんだよ
そのほうが多分みんな楽だし幸せかな
嫁が外国人なんだが子供を幼稚園に入れてもなかなか周囲の子と馴染めなくてとても苦労した。
俺は必死で子供に日本語を教え、日本語の歌を聞かせ、ママ友の輪に入れず精神を病んでしまった嫁に代わり送り迎えをし、先生や他の親御さん達との関係作りに奮闘した。
2年間かけてようやく連れて行くたびに泣いていた子供が幼稚園に毎日登園できるようになったところだ。
それなのに先週の運動会で俺の子が元気に走っていたらそれを見た他の親がいきなり日本人ファーストの正当性を周囲に説き始めて最悪だった。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。俺や俺の家族がなにをしたってんだ??
この前の選挙の時ぐらいから明らかに親御さん達の俺の嫁と子供を見る目が変わったのを感じるんだよ。
ユーチューブやインスタに溢れてる外国人出ていけって主張のショート動画もAIが翻訳文を自動生成するんで日本語あんましできない俺の嫁だって理解できてしまうしそんなん見たら怖くなってママ友とかより作りづらくなるじゃん。
参政党さんの規定では祖父母の代まで外国の血が入ってない純粋な日本国籍の人だけが日本人なんだそうだがこっちは死に物狂いで子育て頑張っているんだけど????
自分で選んだ道なのになんで文句言ってんだと思うかもしれないが子供に罪はねえーーんだよ!!!!
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。