はてなキーワード: 天動説とは
ある章が特に技術的な内容じゃなかったんだけど、結構印象残ったからメモ
要約するとこんな感じの話。
その時代に流行ってる道徳って、みんな絶対的な「善」だと勘違いしがち。
でも、昔の人が本気で信じてたこと、例えば天動説を今の自分らが見ると馬鹿馬鹿しいって思うみたいに、今の俺らが信じてる「正義」も、後世の人達から見たら「あの時代の人たち本気でこんなこと信じてたの?アホやん」って思われる可能性が高い。(後略)
https://anond.hatelabo.jp/20250923220146
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真理は不朽のもので、それゆえにより簡潔で明快な形で既に語られているものだ
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そこに書かれてるのは道徳は道具なのでその仕組みと使い方に熟練しなきゃねというプラグマティズムだ。それを「不朽の真理」とか言い出す時点でなんもわかってないw
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そうなの?AIは、これはプラグマティズムというよりかはアフォリズムだよ、と言ってる。それが正解なら真理という言い方は全然間違ってないよね
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何言われてるかもわからんのにAIに泣きついてなんか反論した気になるとか
バカの底が抜けてんだろw
「プラグマティズムよりアフォリズム」って何だ?それらが二律背反の何かだと思ってるのか?
「何だ?」と質したところでAIがたまたま吐き出したフレーズでしかないという…
「アフォリズムだから真理だ〜」とかいうのはバカがじぶんでかんがえたのか?なんだそりゃ?バカすぎだろ。マジで死んだほうがいいわコイツ
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いやそうではないだろう。
自分が知らないことでも、今の人達は検索エンジンを頼りにして答えるし、それをことさらに間違っているとは考えない。
君のように、話のテーマと実際の会話をシンクロさせることが出来ない人のほうが知性を感じないよ。
無理をしているのは君なのでは?
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そうなんよなあ。
質問サイトにはおまえみたいななーんも知らん寂しいオッサンが張り付いて
新着質問にググって出たことを片っ端から「回答」してしまうもんだから
情報を評価できない、レファレンス能力がない人間が検索エンジンだけ手にしても何も出来ないのに、バカ過ぎて「調べればなんでも分かるんだ」という全能感を持ってしまった。
で、AIだ。
生成AIは面倒臭すぎる作業を言いつけるがままに愚直かつ超スピードでこなしてくれる秘書なんだけど、バカはじぶんのわからないことを考えてもらえる、正しい判断をしてもらえるまほうの道具だと思ってしまう。
バカに便利すぎる道具を与えても使いこなせないし、間違った万能感を持ってしまう。
ほんと死んだほうがいいよ。
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なんにしろ君みたいな論破バカには、あんまり時間を使わないことにしてる。
それが僕のプラグマティズムだ。
AIの解説をもとにして書いてるだけだから、プラグマティズムとアフォリズムの言葉の使い方が間違っていたら、ご容赦を。
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「なんかAIさまがそんな感じのこと言ってただけなんで、オデはなんにもわからないんで」
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うん、それは、まあ、いわゆる、ブーメラン。 では。
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何がどうブーメランなんだよ糞げエジw お前にはくやしがる資格すら無ぇんだよw
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馬鹿いじりの記録は自分にとって情報価値はないのでレスバの類はほぼ無条件に日々の“整理”の対象である(積極的に削除しないと自分のエントリを見返すのが事実上不可能になり、考えたことメモとしての機能を失う)のだが、コレはAIと馬鹿の不幸な関係のサンプルとしてわかりやすいので、なるべくじゃまにならないようまとめておく
ある章が特に技術的な内容じゃなかったんだけど、結構印象残ったからメモ
要約するとこんな感じの話。
その時代に流行ってる道徳って、みんな絶対的な「善」だと勘違いしがち。
でも、昔の人が本気で信じてたこと、例えば天動説を今の自分らが見ると馬鹿馬鹿しいって思うみたいに、今の俺らが信じてる「正義」も、後世の人達から見たら「あの時代の人たち本気でこんなこと信じてたの?アホやん」って思われる可能性が高い。
「現代が歴史上初めて、全てにおいて完璧に正しい時代である」なんて確率はゼロに近い。
じゃあ、自分がその「流行」に流されて思考停止してないかどうやってチェックするのか?
一つは、「本音としては思ってるけど自分が属してるコミュニティ・社会の中で、これを言ったらちょっとヤバいかな…って躊躇するような意見、持ってるか?」と自分に訊いてみる。
もし何も思い浮かばないなら、それは自分の価値判断が社会や周りの言うことをただそのまま信じ込んでるだけの可能性がある。
もう一つは、議論を封じ込めるために使われる「レッテル」に注目する。
昔でいう「不敬」とか「異端」みたいな言葉。現代なら「不適切」「差別主義者」「陰謀論者」あたり。
そういうレッテルが貼られてる考えを見つけたら、一つ一つ*でも、もしかしたらこれ、本当のこと言ってるんじゃないか?」って、一度立ち止まって考えてみる。
ただ道徳の流行に逆らうようなことを言うと、解雇、村八分、投獄、下手すると殺害に至ることさえある。、口にしないのが無難
思考と言論の間に明確な線を引く。頭の中では全てを許し、秘密結社のように外には漏らさない。
流行に流されず、明晰な思考を保つ唯一の防御策は、常に問い続けることである。
まあまあ古い本だけど、今読む方がこの章はピンと来るんじゃないかなぁ
性格はいいんだが人が悪いところが他人に理解されない。詐欺に引っかかるのは自己責任だと思っているけど、詐欺に引っかかった人には優しく接する(つもり)。同時に、言い方は悪いが他人を引っかけて顔色が信号機みたいに変わるのを見るのも好き。かといって、意地悪く引っかける機会を伺っているかというと、そうでもない。状況次第だ。普通の人は固定した静的な自己の観念(=自身の性格の自己認識)があって、そのイメージに合わせて対人関係をやりくりしている(天動説)と思うが、自分の場合は面白く笑い飛ばせるものなら自分でもなんでもそうする(地動説)。それを面白がる人もいれば、眉を顰める人もいる。だから普段は大人しくしている。
今の世の中で、多くの人間が信じていることが天動説のようなものであり、
いや、科学の歴史というのは非常識な新理論が旧来の常識を覆すことの繰り返しなんだよ
非ユークリッド幾何学とか、カントールの濃度の概念とか、ボルツマンの気体分子運動論とか、それこそ相対性理論とか量子力学とか
そういう大きな転換は宗教の復権にはつながらず、逆に科学はそういう新しい常識を組み込むことで発展していった
あと、「天動説=宗教、地動説=科学」という見方は歴史的には正しくない
天動説も元々は観測データを説明するための科学理論として、キリスト教とは関係なく理論的に発展していった
惑星の運行を数学的にそれなりに予測できるところまで仕上がってて、宗教が後からその権威を利用して教義に取り込んだ
「様々な工作活動を行って来た」北村晴男氏 《石破首相は工作員》投稿に批判殺到…本誌に答えた“根拠”
https://jisin.jp/domestic/2496218/
中国やらロシアやら領土拡大している状況で、頭お花畑なのは無理ありすぎやろ。なんでそんな必死すぎなん?
フェミニズムは、イデオロギーあるいは文学のサブジャンルに過ぎず、さすがに学問とまでは言えないのではないか。
「フェミニズムは一人一派」という言葉は、対話の不可能性を示している。
たとえば「天動説」というものは、批判的に検証されてきた。しかし「一人一派」の言説は、批判的に検証のしようがない。当然のことながら、おおむねの合意事項や、主流派の理論が存在するからこそ、批判や検証がなされ得るからである。
「一人一派」の主張は、突きつめれば相対主義となり、「わたしがこう思うのだから、こうだ」の世界に陥ってしまう。それは学問などではなく、たんなる「対話の拒否」である。なんの合意事項も、体系的に組織化された知識もなく、ただただ自閉していく「一人一派」。エコーチェンバーにフィルターバブルで倍々ゲームのいいね競争。そしてその結果、失われてしまうのは対話の可能性である。
(最近になって、「天動説」を主張するひとたちが現れはじめているらしい。でもそれは、批判的に検証された場合には、たんに「陰謀論」であるとの結論になるだろう。だいいち、天動説が正しいとしたら、ニュートン力学や相対性理論、量子論はどうなってしまうのだろう? たとえば、その手に持っているたくさんの半導体が組み込まれたスマートフォンは、いったいどういう理論のもとに動いていることになる?)
「日本人は特別だ」との主張をもつ人たちと、それに反対する人たちのあいだで、うまく対話が出来なくなっていく状況を見たことがないだろうか。そもそも日本人とはなにか?という点についていまいち定義がまとまっておらず(ようするに「一人一派」的状況が生まれている)、そのせいで議論が空転していくのだ。やがておたがいにイデオロギー的な主張を繰り返すことしかできなくなり、ついにはそれ自体が目的となってしまう。そこになにか結論が生まれることなどありえない。では、フェミニズムが絡んだ議論ではどうか? もはや言うまでもないことだろう。
しかし「一人一派」が昇華されうる場所というのは、じつは存在する。もちろんそこはSNSーーなどではなく、文学というエリアだ。だからフェミニズムは、今後も文学のサブジャンルという形ではおおいに発展しうるだろう。個有の傷を個有の傷として引き受ける覚悟が、そこで引きつづき試されていくことになる。
ただし、宣言だけはしておく。そもそも「一人一派」だと言うのであれば、わたしがみずからをフェミニストだと名乗った上で、「フェミニズムなど学問ではない」と主張しても、だれも批判のしようがない。けっきょく、現状のフェミニズムが産み出しているのは、そういったたんなる「対話の不可能性」だけである。
それではいったい、フェミニズムとは陰謀論となにが違うというのだろうか? ーーいや、なにも違うことなどない。まったくの一緒だ。もちろん、この結論への反論は不可能である。「わたし派」の意見に反駁できるのは、とうぜん「わたし」以外にはあり得ないのだから。