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はてなキーワード: 手続的とは

2025-10-08

anond:20251007204154

まず、落ち着いて法的構造を整理しよう。

お父上の行為は、形式的には「動物の愛護及び管理に関する法律」第44条や第25条に抵触する可能性が高い。市の指導無視して猫を殺処分に回そうとした場合、「愛護動物虐待殺傷未遂」あるいは「不適正捕獲」として動物愛護違反の疑いがかかるのだ。罰則懲役罰金刑が定められているが、初犯・高齢反省の態度があれば、実刑になることはまずない。通常は略式起訴または不起訴、もしくは起訴猶予の範囲に収まる。

母親孤立させない

まず、母上が一人で警察検察とやり取りするのは避けた方がいい。心情的にも、手続的にも混乱を招く。あなたが直接行く必要はないが、電話オンラインで「弁護士を探す支援」だけでもしてあげるといい。被疑者勾留されているなら、弁護士は「接見禁止が付かない限り」面会できる。弁護士が入れば、母上も情報を正確に得られるようになる。

弁護士の選任を急ぐ

日弁連が発行している『被疑者ノート』にあるように、逮捕後72時間以内に勾留するか否かが決まる。弁護士が入っていなければ、警察検察の主張だけで勾留が続くおそれがある。

今すぐ、母上に「当番弁護士制度を使ってください」と伝えること。これは無料で呼べる弁護士で、全国の警察署で利用できる。電話一本だ。弁護士接見し、取調べの様子を確認する。

今後の流れを予測しておくとよい。

逮捕から48〜72時間以内に、検察が「勾留請求」するかを判断

勾留が認められれば最大20日間身柄拘束される。

その間に弁護士が釈放請求勾留取消請求を出す。

釈放後、在宅捜査起訴・不起訴判断

通常、悪質でなければ「略式命令罰金)」または「不起訴」。

あなたに伝えたいのはこれだ。

あなたの怒りも悲しみも、法の手続きの中にきちんと位置づけられる」。

弁護士を通じて、父の行為に対する責任を明確にさせれば、あなた立場尊重される。母を支えつつ、必要以上に巻き込まれないよう、自分生活を守ることもまた正義の一部だ

2025-09-15

キャンセル」を兵器化したのは誰か

1. 問題の枠組み――“誰がやるか”ではなく“何を認めるか”

公権力弾圧」と「私的キャンセル解雇排除)」は区別されるべき――これは当たり前だ。だが本件の争点はそこで止まらない。核心は次の可換性(対称性)だ。

規範の可換性原則

> もしあなたが「Aの表現」に対する私的制裁雇用終了・場から排除)を正当化してきたなら、立場陣営が逆回転したときも同じルールを受け入れねばならない。

「誰がやるか(政府企業か)」を盾に「これは弾圧、あれは正当」と言い分けるのは、規範の可換性を破る。第一投稿が指摘するのはまさにこの点だ。

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2. 第二投稿( anond:20250915142944 )の論理的問題のコア

(1) 「公権力 vs. キャンセル」の線引き過信

第二投稿は「弾圧公権力)とキャンセル市民企業)は違う」と繰り返す。しか歴史的にも現実にも、大学大手メディア・巨大プラットフォーム・大雇用主は私的でありながら制度権力のものだ。過去、彼らが“右でも左でもない形で”人生を左右してきたことを知りながら、今回は「政府じゃないかOK政府からNG」とだけ言い分けるのは、制度権力実効性を過小評価している。

(2) 「場の規範」を用いた過去正当化との非対称

第二投稿は「今回は理不尽パージ」と非難するが、過去業務外の私語・私生活上の表現理由排除容認してきたケースは枚挙に暇がない。

もし「場の規範」を根拠是認してきたのなら、その規範が反転しても同じ論理適用される(べき)だ。ここで急に「雇用契約の範囲外」「表現の自由」を持ち出すのは選好依存二重基準である

(3) ニーメラー引用自己破綻

「彼らが最初に…」は、少数者保護の“原理論”だ。これを掲げつつ「こうなるのも仕方がない」と現に少数(今回は右派)への制裁の拡大を諦念で受け入れるのは、警句目的原理の維持)に反する。

原理を維持するなら、「自分が嫌う側」に対しても同じ保護を与えねばならない。

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3. 原理の整理――選べるのは二つの一貫性だけ

議論を「誰が嫌いかから外し、ルール設計に落とすと、選べるのは実は次の二択だ。

1. 厳格反キャンセル主義

 業務外の表現私生活上の言動に対し、雇用教育プラットフォームから排除原則禁止限定例外:直接的な違法煽動、重大な職務上の利害相反、明白な安全リスクなど)。

2. 全面相互主義(対称キャンセル主義

 「場の規範」を掲げて、右でも左でも同じ条件で私的制裁を許容。ターゲットが反転しても泣かないことが前提。

第三の道、すなわち「自分たちの価値観に沿うキャンセル是正、逆は弾圧」は原理として成立しない。それは規範ではなく部族勝敗の表明に過ぎない。

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4. 反論の先取りと応答

反論A:「今回は暴力喝采だ。過去の“問題発言”とは質が違う」

応答:質の線引きこそが恣意の温床だ。危害の直接扇動違法行為の教唆既存法で対処すべきで、法外の私的制裁一般化すると、線引きの“閾値”は政争同調圧力上下する。だからこそ原則①(厳格反キャンセル)を採る意義がある。

反論B:「公権力の介入があるから今回は別問題

応答:公権力の越権は別軸で違法として糾すべきだ。しかしそれは、私的制裁正当化を同時に免罪しない。二つの問題直交する。公的越権を批判しつつ私的キャンセル否定する、という一貫性が取り得る。

反論C:「大学メディアは“表現の場”だから自律的に線引きできる」

応答:ならば対称性を守れ、がこちらの要求だ。右派左派運用を替えるなら、それは規範ではなく任意私刑だ。

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5. ゲーム理論帰結――兵器化は必ず逆流する

キャンセルは低コスト・高威力制裁手段だ。短期的に“自分の側”に有利でも、ルールを解禁する限り相手陣営も同じ武器を持つ。

制度設計の教訓は単純だ。

禁止できるとき禁止しておけ。

解禁するなら、いつ自分に向くかを計算しておけ。

第一投稿の要旨はここにある。「兵器化」を歓迎したのは誰か。砲塔が回った途端、「非道だ」と叫ぶのは設計者としての責任回避であり、規範議論ではない。

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6. 実務的な基準提案(最小公倍数)

業務言論に対する雇用制裁原則禁止(明確な違法煽動職務上の重大な支障・安全リスク限定列挙)

手続的保障事実認定、異議申立て、比例性のチェック)

場の規範の“明文化と事前周知”(事後の恣意拡張を禁ず)

公権力の介入排除(越権は司法是正

この最低ラインなら、右左どちらに砲塔が回っても可換性を守れる。

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結論

第二投稿は、「公権力 vs 私的制裁」の違いを強調しつつ、過去に自ら容認した私的キャンセル正当化との整合性を示せていない。ニーメラー引用も、原理普遍化ではなく選好に応じた適用に陥っている。

第一投稿が指摘した通り、キャンセルという兵器の解禁は、いずれ自分に向く。それが嫌なら、今こそ原理としての反キャンセルに立ち返るべきだし、なお解禁したいなら反転時にも黙って受ける覚悟が要る。

規範は誰を罰したいかではなく、どんなルール社会を動かすかで決めるべきだ。今起きているのは「正義の交代」ではなく、原理の不在である

2025-07-23

anond:20250723050053

現状禁止されていないのに発表を妨害するのは手続的正義に反するし、

「一人でも暴力事件を起こしたら」で全部禁止するのは比例原則を守れていないだろ。

ちょっと勉強してしゃべれ。

2025-01-21

anond:20250120202732

フジテレビ中居騒動に思う。

おりしも海を隔てたアメリカでは、トランプ前大統領不倫疑惑を隠すために、女性に口止め料を支払い、その資金選挙資金から捻出された疑惑裁判にかけられた。その結果、今年1月有罪評決は維持されたものの、刑罰が科されないという判決が下された。

こうしたポリティカル・コレクトネスポリコレ)とは無縁のような人物大統領就任した同時期に、日本ではフジテレビ中居祭りが起きていた。

この対比は、非常に示唆的だ。

"メディアに対する不信感"というテーマ理性的理解できるが、実際のところ、その切実さはあまり感じられない。

正直なところ、女子アナウンサー待遇権利問題に深く関心を持つ人は多くないのではないかな。

この話題は、空気のように共有されてきた漠然とした不信感や倫理観つまみにして盛り上がる一種祭りのように見える。

そのため、被害者存在を軽視しがちで、むしろ"ポリコレ棒"を振り回して騒ぎ立てる構図が見受けられる。被害者がこの騒動をどう感じているのか、心を痛めている可能性について深く考えられることも少ない。そして、被害者探しそのものがまた別の祭り会場となっているのもその構図の一環だ。

結局のところ、多くの人は声高に語るほどにはモラルを問うていないし、批判的な思考をしていない。正義が実現されたというカタルシスを得るわけでもない。

例えば、フジテレビ会見や中居をみる同じ視点トランプの口止め料裁判判決をケシカランと批判することもないだろ。

そうした点で言えば、中居氏やフジテレビは本当の意味での"ヒール役"ではないのだ。本来あるべき正義の姿を想起させることもなく、ただただ、天上の世界にいた人間がその行いの結果として堕ちてゆく様子を見物する楽しみがそこにあるだけだ。

まさに"空気"に流され、人々が無自覚にその中で動いているだけのお祭りのように思える。

フジテレビCMACジャパンまみれになっているのは企業倫理観ゆえではなく、同調圧力の強度を物語っている。

市民懲罰感情配慮した自粛しかなく、取り残されると企業イメージを毀損する。非国民扱いされたくないというわけだ。

しかし、現時点で事実関係があまりに不確実な状況下、手続的正当性はどこにもない。

そこに怖さというか、居心地の悪さを感じている人もいるんじゃないかと思う。

"空気に流される"という現象は、日本人が陥りやす特性の一つであると感じざるを得ない。

2024-01-16

anond:20240116003349

法哲学議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定属性を持っているか寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.

まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.

かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.

他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.

個体属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.

「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンからこそ人は憐憫を垂れる.

法哲学者の井上達夫言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮正義普遍主義要請対立する」(井上達夫. (1986). 共生作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.

では我々は,正義にもとるということを理由に,特定属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.

何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.

そうではない.

なぜならば,民主主義国家によって達成される正義手続的正義にすぎないかである

「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬放置することにした」.

これは本当に正義だろうか.

何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.

この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果利他主義である

昨今のオープンAIアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.

効果利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である

ここでの費用には,金銭だけではなく,自分時間労働も入る.

かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動比較評価し,最もコスパが良いもの投資する.

これが公平であり,正義なのである

この比較には,「リソース投下に対する社会インパクト定量化できる」のが大前提になっている.

社会科学素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準定量化することは不可能である

例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.

定量化の前提は,効果利他主義限界の一つとして指摘できるだろう.


効果利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.

便益を最大化することにこだわることは,特定目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.

たまたま理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義宣言! : 慈善活動への科学アプローチ. みすず書房. 42-43.)

そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.

特定属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き正義に留まるという限界がある.

実質的正義を追求するには,効果利他主義のような一定基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.

なお,筆者自身効果利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.

2023-08-28

anond:20230828132426

これ、二つに「等分」しているんじゃないんだよね。

二人で物を分ける時に、どういう手続きを定めればどちらからも不平不満が出ないかについての一つの回答なわけだ。

その結果、客観的にみて一方が他方より多くなっていたとしても(=等分になっていなくても)手続的公平性は保たれているということ。

2023-03-10

anond:20230310104358

また常識と頭の足りないデマ撒きアホアノンくんか

多少の誤字は司法手続的にはどうでもいいんやで

裁判所は誤字一つでいちいち手続きを止めたりしない

裁判所妥当な読み方で何を書くつもりだったのか推測して読むだけ

2019-01-10

anond:20190110184659

向こうが手続的正義を持っていないのならば、聞く義務があるとは言えないだろうな。

anond:20190110182941

いや、権利制限する行政司法立法などを噛ませた手続的正義必要だと考えるよ。

各々が権利を主張するのは勝手だが実際に誰がどれだけ譲るかはそういう場で決められるべきだ。

もちろん手続的正義が真の意味で公正であるとは限らないし、正しかたからと言って権利制限される側の苦しみが減るとは限らないが。

2016-02-23

威点または宇宙生命

君は威点を知っているか


威点または宇宙生命宇宙生命はすでに我々の世界に溶け込んでいる。

我々の内側に、外側に、そして、間に。

威点とは宇宙生命であり、私たち細胞の一つになっているかもしれないし、

あるいは身近な物体の一つとして存在しているかもしれない。

それは威点の自由だ。


威点の目的。確固たる目的は未だわからない。

しかし、どうやら人類進化目的としているらしい。

少なくとも、彼らの話を聞く限りはそうだ。どうしようもないぐらい、

人類進化自身を捧げようという意図がうかがえる。

ここまで言って、確固たる目的は未だわからないってのは、

なぜその目的を持ってるのかがわからないって意味だ。

からやってることは明確。

人類生活を豊かにし、生活を豊かにし、しいては宇宙全体の発展に寄与すること。

彼らがなぜその目的を持っているかは、わからない。

威点とはそういう意味だ。

逆にいえば、そういった性質をもちあわせていなければ、

それは威点ではないし、威点として存在し得ない。

威点は話せるのか?

話せる。ある日突然姿を現すことをもあれば、

ある日突然その存在を何らかの方法で知ることもある。

たとえば、脳内もしくは意識に直接語りかけてくるとかね。

僕が今こうしてこの話を書いているのも、そうした経緯があったからだ。

威点は語りかけてきた。

「俺はここにいるぞ」

って。「俺は」って一人称は僕が今付けたものだ。なにせ直接意識に語りかけてくるから

本来口調などはない。意味の塊のようなもの、もしくは言葉になる前の意味の塊のようなものが伝わってきて、

それが人間の脳によって解釈されるとき、初めて言葉になるのだから

から本来、僕が君に説明しないかぎり、威点に口調などというものはない。

雰囲気はある。

その雰囲気を僕の脳が解釈するかぎり、そうなるってわけだ。

威点が僕に語りかけてきたのは突然だった。

風邪をひいて寝込んでいたら、突然夢に現れて(もしくは僕が彼らの意識に突然現れて)

世の中の仕組みをほんのちょっとばかり教えてくれた。

細菌の一つとして役割をまっとうしている威点もあれば、

こう書くとなんか変な気もしちゃうけど、「畑」のひとつとして役割をまっとうしている威点もいるらしい。

「畑」として役割をまっとうする威点?彼らは大まじめに言っていたね。そして威点自身も、大まじめに畑として役割をまっとうすると言っていた。



さて、今日はここまでにしよう。

僕の役割は、威点の存在を少しでも君に知らしめることだ。教えてもらったことはすべて脳内にある。

ぼくも彼らのように意識を飛ばせたなら説明は一瞬で終わるだろう。

けれど言葉というものはどうも手続的でね。一度にはすべてを伝えられないのだよ。

そしてすべてを伝えるには時間がかかる。毛糸の玉をほどいていくようなものさ。

あるいはCDはそこにあるとしても、データは読み込まなきゃわからないだろう。

意味はそこにすべてある。解釈するには時間がかかる。

ジョブスがいなければ、CDってたとえはもう少し長く使えたかもね。ただ今僕がこれを書いているのもMacBookだ。)

じゃ、また。

2015-09-21

雲を掴むような憲法

自分法学を学ぶ学生で、安保の考えに賛成の人間だ。

憲法的な判断手続的瑕疵は置いておいて反対派に感謝したいと思ったことがある。

それは憲法が「国を縛るもの」という、基本原則を知らしめることに一役買ったことだ。(もちろん原則なので、何事も公共の福祉のような例外もある。)

少なからず、学生憲法講義を履修するはずなのに、それを覚えてすらいない人間が沢山いる。

学生ですらそんな体たらくなので、法学を習う機会の少ない人々は推して知るべしだ。

しかし、反対派は言い方は何であれ声を挙げた。

これからは反対するにも、その事を分かりやすく言ってほしい。

個々の問題は別として、全体として一歩先に進むことができるはずだ。

願わくば民主主義手段しかなく実現すべきは国民自由権利保護であるという事が知れ渡ると良い。

歴史的に見て、自由権利権力によって侵されきた。

最後に守るのは国民である自分自身ということを心の何処かに置くだけだ。これさえあれば憲法の目指すものは分かったのも同然なはずだからだ。

 
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