はてなキーワード: お祭りとは
ブラックフライデーが日本に上陸して何年経つんだろうか、あれは元々、アメリカの感謝祭の翌日に小売店が一斉に安売りするっていう、ただの「モノの割引日」でしかなかったはずだ。
要は、みんなが仮装して騒ぐ「ハロウィン」みたいに、ブラックフライデーも「お祭り」にしようというムーブメントが起きているらしい。
単なる「割引」だけでは、もう日本人は財布の紐を緩めないってことだろう。
だから、イベントのシンボルカラーである「黒」を徹底的に利用して、みんなに「これは特別なイベントなんだ」って思わせたいわけだ。割引率じゃなくて、体験で人を釣ろうとしているんだな。
その最たる例が、スーパーやコンビニの「黒い食材」フェアというものだ。
イカスミを練り込んだ真っ黒な海苔弁とか、黒ごまとか竹炭で色付けした、もはや不気味ですらあるスイーツとか、一体誰が喜ぶんだと考えてしまう。
でも、これこそが、彼らがブラックフライデーを「ハロウィン化」させたい核心なんだと気づいた。
いくら頑張っても半額とか無理だし、そんなことをしたら利益が吹っ飛んでしまう。
だから、安くする代わりに「面白さ」という付加価値を、無理やりつけようとしているのだ。
この真っ黒な見た目は、完全にSNSで「バズらせる」ためだけに存在していると言っても過言ではない。
割引が難しい日々の商品も、「期間限定のブラックフード」という形で特別感を演出できるし、ただの日常の買い物に「こんな変なもの売ってる!」っていうエンタメ要素を無理やりぶち込める。
みんなが写真を撮って拡散すれば、企業側は広告費だってかからない。
彼らは、ハロウィンで「コト」消費が成功した味を知ってしまったから、このブラックフライデーも、「安さ」じゃなくて「楽しさ」で、日本の年中行事に定着させようと必死なんだろう。
黒い食材のフェアを見かけるたびに、「また企業に踊らされてるな」とちょっと冷めた目で見てしまう自分がいる。
でも、真っ黒なオムライス。
ちょっと食べてみたい気もするんだよな。
これが悔しい。
ボージョレ・ヌーヴォーは、フランス・ブルゴーニュ地方南部のボージョレ地区で、その年に収穫されたガメイ種のブドウから造られる新酒ワインです。「ヌーヴォー」はフランス語で「新しい」を意味し、マセラシオン・カルボニック(炭酸ガス浸漬法)という特別な製法により、タンニンが強くないフレッシュで色の濃いワインに仕上がります。
毎年11月の第3木曜日午前0時が解禁日と定められており、2025年は11月20日でした。もともと11月15日が解禁日でしたが、土日や祝日と重なると輸送に支障が出るため、1985年に現在の日程に変更されました。日本は時差の関係で、フランスより約8時間早く解禁を迎えることができます。
日本は世界最大のボージョレ・ヌーヴォー輸入国で、全世界の輸出量の30〜40%を占めています。1980年代のバブル経済期に大量輸入が始まり、2004年には約1250万本(約104万ケース)とピークを迎えました。しかし、2024年の輸入量はピーク時の約7分の1である約145万本まで減少しています。
日本では11月の一大イベントとして定着し、航空便で運ばれた初荷が大きく報道され、ワイン専門店やスーパーマーケットで大々的に販売されます。一部の温泉地では、ワインを湯船に入れる「ワイン風呂」イベントまで開催されています。ただし、近年はライフスタイルの変化、消費者の嗜好の多様化、輸送コストの上昇により市場は縮小傾向にあり、2025年にはキリン傘下のメルシャンがボージョレ・ヌーヴォーの販売を終了すると発表しました。
フランスでは、ボージョレ・ヌーヴォーはもともと収穫を祝う地域の伝統行事として始まりました。1951年にフランス政府が公式に認可し、1970年代に醸造家ジョルジュ・デュブッフが「ボージョレ・ヌーヴォーが到着した!」というキャッチフレーズで国際的なマーケティングキャンペーンを展開したことで、世界的なイベントに成長しました。
フランス国内では、解禁日に花火やフェスティバル、街を駆け抜けるレースなどが行われ、ワインバーでテーマ別のテイスティングディナーが開催されます。しかし、これは「ワインそのもの」というより「祝祭」としての色彩が強く、単なる飲酒イベントというより文化的な伝統行事として位置づけられています。
一方で、フランス国内でもボージョレ・ヌーヴォー市場は年々縮小しており、2025年は前年比約10%減少しています。フランスの大手小売業者の関心も薄れ、生産者は12万ヘクトリットルのヌーヴォーを生産できるものの、需要は10万5000ヘクトリットル以下にとどまっています。
最も顕著な違いは、日本での商業的な盛り上がりの規模です。日本は単一国として世界最大の輸入国であり、アメリカ(第2位)の約2倍の市場規模を持っていました。日本では「秋の風物詩」「年に一度のお祭り」として大々的に宣伝・販売され、メディアでも大きく取り上げられます。
対照的に、フランスを含む欧米では、ボージョレ・ヌーヴォーは収穫を祝う伝統行事の一環として楽しまれるものの、日本ほどの商業的な熱狂はありません。1980年代の世界的なブームは欧米では早々に沈静化し、オランダなどでは2000年代に人気が大きく低下しました。
また、日本では「初物を味わう」という文化的背景もあり、解禁日当日に飲むことに特別な価値を見出す傾向があります。一方、フランスではより気軽な「今年の収穫の出来を確かめる」という実用的な側面が強いとされています。
近年は両国とも市場縮小が進んでいますが、日本の減少は消費者の嗜好の多様化や輸送コストの上昇が主因であるのに対し、フランスでは構造的な需要減少とワイン消費全体の変化が影響しています。
つまり「全部安い」やつ。
で、その震源の一つとして言われてるのが、
高市政権の“期待”が、逆に市場の不安材料として効き始めてるんじゃないか?
という話。
「積極財政くるぞ!」「AIと半導体に大投資!」「リフレ復活か?」
みたいな熱気が市場に一瞬走った。
でも、期待がデカすぎると、
当然「実行できるん?」という反動も来る。
そして今、いろんな指標を見ると、
に完全に切り替わってる気配がある。
いくつか理由をまとめると、
国債市場の緊張感
→ 長期金利がジリ上がり中
円安の負荷が大きくなってきた
つまり、
政策の「重たい部分」がまだ動いてないのに、
株:成長期待が剥落して下落
これが全部つながると、
ポイントは、
じわじわ効いてくる“信用の減退”
個人的には、
成長株の期待剥落が始まるか
ここをウォッチしておけば十分だと思う。
「高市ショック」というほど劇的ではないけど、
“期待の天井抜けないまま、じわ落ち”
というのは大げさに聞こえるけど、
という方が正しい。
ただし、冷静化が行きすぎると、
だと思っている。
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必要なら、
などにも書き換えられます。
GQuuuuuXのEDテーマはノイズどころか作品の背骨として機能してたと思うけどなぁ。
米津玄師、星街すいせい、竹...という座組で劇場公開前に「このアニメは現代の若者向けですよ。そういう心構えで見てくださいね」とミスリードをするのに機能してた。そして劇場公開後も新旧ガンダムの『水と油感』を演出する上でも役割を果たした。
そしてマチュたちの物語に限って言えば、序盤のポップな雰囲気、中盤のシリアスな展開、終盤の疾走感を一曲のエンディングテーマで接続して作品全体に一貫性を感じさせる機能も果たしてる。
あのアニメは最低限作品として成立するための土台を若者向け要素で固め、その土台の上で古参ガンダムファンがお祭りをやるアニメだった。米津玄師、星街すいせい、竹がお祭りの運営スタッフをして、1st信者がステージの上で酒飲んで気持ちよく踊ってる構図。そういう祭りだった。
前を走っている車に何か見覚えがある懐かしい感じがしたので
らららとそりゃーもう大黒摩季さんの曲しかないって思う懐かしい香りがしたスミレの花時計級に
山崎まさよしさんの桜木町の歌の曲名タイトルを思い出せなくて困っていて、
パフィーさんのカニ食べに行きたい歌を歌うリストに入れたと思ったらなんかアジアの純真で全然違う曲だったりする、
うーん、
これなんだろう?ってそう思っていたの。
あ!って私はハッとして前の車のナンバーを良く見たら、
私の車のナンバーと4桁一緒なの!
これってスーパーレアじゃない?
とてもパーセントでは答えられない話し出そうよ。
ふーん、
それぐらいめちゃレアなのねって思いながら、
私のレア運はそこで費やして使ってしまった手付かずの運はもしかしたらもう今の瞬間微量なのかも。
というのもさ、
NIKKEのレアキャラのSSRのレッドフードがやっぱりどうしても当たらなくて排出率1パーセントの壁は高すぎるわ。
なんか諦めモード。
でも諦めたらそこでおしまいなバスケットボールの先生の言葉通り期間ギリギリ終わるまで1日1回無料ガチャを回し続けるの。
たぶん、
これじゃ当たらないかもしれないわね。
そんな鰯気になってないでいたいところだけど、
ここでもし課金して無理矢理レッドフードSSRニケを当てようとしても、
待ち構えている年末年始のお祭り的なレアキャラのSSRのニケがまたどうせ新登場するんでしょ?って意気込みで、
私はそんな気がする気配を察知しているの。
でもレッドフードと一緒に戦いたいなぁって。
それぐらいレアなのね。
車でさ、
走っていたら同じ車種だってことはたまーにあったり、
向かいの車線の対向車が同じ車種だってこともたまーにはあるのよ。
だから私はこの車のナンバーレア遭遇できっと今そういう何かを引き当てる運は弱まっているかも知れないわ。
確率って散々ChatGPTちゃんに確率とは!って教えてもらって、
例えばNIKKEで言うところの
何枚あれば当たる確率がどのぐらいって計算方法は私一所懸命教えてもらって勉強したの。
とはいえ、
数字の偏りというか、
そう言うのは何が何に影響して作用しているのかは解明されていない感じなの。
だからレアキャラのSSRのニケが短期間で2回当たるとなんかストーリーを感じちゃうみたいなことね。
もっとも多く一番たくさん部隊で一緒に地上で戦っているから?って思わず意味付けちゃうわよね?
ジャンケンとかもさ
三すくみで確率的には33パーセントの確率で勝つるってことにはつるとんたんなってるじゃない?
でもたまに
「あ!もう何出すか決めたんですか?」って
もはや確立戦なのか心理戦なのか分からなくなっちゃうわジャンケンって。
意味もなく「もう何出すか決めたんですか?」って相手に聞いて言い放つのも威圧よね。
そういえば、
最後にジャンケンしたのっていつぐらい過去かしらってぐらいだけど、
でも確率的には私はある程度定期的にジャンケンをしているはずよ。
今度ジャンケンするときに「もう何出すか決めたんですか?」って言いたいけれど
なんかそう言う人ってズルいことを考えているズル賢い人にも映るからなかなか使いどころが難しいわ。
かと言って、
心理戦と言っていても、
実際何を心理して戦うの?って
言ったところでどう私はジャンケンの技を繰り出したら良いか分からないわ。
「もう何出すか決めたんですか?」って言っておきながらよ。
でもさ、
界隈がざわついたやつ。
どうやって手を決めているのか分からないけれど、
ジャンケン道深いわ。
とりあえず
天にも祈るばかりよ。
うふふ。
そんな東鰤な銘鮭となるとまた特別よね!
美味しくいただいたわ!
何か手頃なレモン果実でもいいのでマーケットを覗いて見ることにするわ。
とりあえず
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ちょっと気になってはいたけど、Webサイトのイントロダクションがくどすぎて観るのやめた作品
https://moshi-toku.toho.co.jp/
ビジネス小説としては異例の大ヒットとなった『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(著:眞邊明人 発行:サンマーク出版)がまさかの映画化!
物語の舞台は2020年、コロナ禍真っ只中の日本。未曾有の危機に直面する政府が実行した最後の手段、
それは「歴史上の偉人たちをAIで復活させ、最強内閣を作る」ことだった。
現代の日本×歴史上の偉人=壮大なジェネレーションギャップが生み出した奇跡、そして、最強ヒーロー内閣に隠された謎とは、いったい?
監督は『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞、『テルマエ・ロマエ』『のだめカンタービレ』などを手がけた日本映画界のホームランバッター、武内英樹。
その“偉人級”の演出力と独特のリズムから生み出されるエンタメは空前絶後。
脚本を手掛けるのは『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した徳永友一。
そして、音楽は『翔んで埼玉』で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞したFace 2 fAKEが担当。武内監督と再び手を取り合い、「天下一」のお祭りムービーを生み出す!
出演者も超超超豪華!!最強内閣の動向を記者として見守る主人公・西村理沙を演じるのは、
NHK朝ドラから『ゴジラ-1.0』ほか数々の映画のビッグタイトルに出演し、今や国民的人気俳優となった浜辺美波。
現代人との架け橋となる内閣官房長官を任された幕末の風雲児・坂本龍馬役には実力派としてその芝居が高く評価される赤楚衛二。
そして、注目の内閣総理大臣・徳川家康を、狂言界の至宝にして、唯一無二の存在感を放つ俳優、野村萬斎が務める。
さらに、織田信長をGACKT、豊臣秀吉を竹中直人ほか、髙嶋政宏、江口のりこ、池田鉄洋、小手伸也、長井短、観月ありさなど
ウルトラ実力派俳優が“あの”人気偉人を演じきる……期待して待つのじゃ!
お子さんからおじいちゃん&おばあちゃんまで、まさに今の時代に生きる全ての日本人へおくるアルティメットヒーローエンターテインメント。
月額1200円で14400円。これに神社費1000円と交通協力金が3000円かかる。年二万円。今は事情があって200円余分にとられてる。
要するにお祭りの補助金。屋台が練り歩く大きなお祭りと、季節ごとのお祭りがある。
なんだかんだと伝統がある。
1000円は自治会費として回収するもので、実際にはさらに寄附を集めている。ワイはさらに1万円と酒を出してる。商売のお付き合いです。
地域の道路の修繕費。カーブミラーを整備交換したり、消えかかった表示を直したり、落書きを消したり、崩れかかった路肩を治したり、防草シートを貼ったり、と言う地域でやっている活動に使われる。
住民税払ってるんだから自治体に出させろ、と言うのは正論で本来そうであるべきだが、昔からこう言う予算が集められていて過去の経緯。ただこれのおかげで道路や側溝が小ぎれいにメンテされている。
https://togetter.com/li/2617426
こんな記事があったので。
で、これたぶん事実じゃないよ。
自治会加入が100戸ととして3万円とったら300万の予算なんだけど、ビールとか出した程度でそんなに金いらないからそれにしか使われてないなんてことは考えられない。
なんつうかいつもの、よくしらんし知りもしないのに妙な言いがかりつけてる奴じゃないかと思った次第。
なお、ワイの自治会も、公式の懇親会は年に2回、花見と忘年会をやる。単位は「隣組」単位なので10戸とかでやる。会費制で補助は出ない。
これが日本にやってきた外国人のよくわからないお祭りだったら、同程度の音量でも我慢できないと思う。
「法律の範囲内なんだから自由じゃないのか。日本人がお祭りをするのは良いのに、外国人は駄目なのか」
それに対しては「伝統文化が新興文化より優遇されるのは当然のことだ」と言いたい。
例えば日本人だって、伝統でもないお祭り騒ぎを始めたら迷惑だと批判される。
以前、なんかめちゃくちゃ熱心にアイカツを語る増田がいたから、今回もいるかと思ったけどまだ来てないか。プリパラは管轄外なのか、そもそもアイカツのあかり世代は管轄外なのか。
両方知ってれば楽しいお祭り映画だったけど、片方しか知らないとあの映画は楽しめるかな。アイカツの曲をプリパラ側のキャラが歌う(もしくはその逆)、お互いの似たような設定のキャラが絡むっていう、特別感は良かった。でもやっぱり両方知ってることが前提だからな。
今日2025/10/12、IPAが実施している情報処理技術者試験の秋の試験が実施された。
先日、応用情報と高度区分の試験について、CBT化されることが発表されている
https://www.ipa.go.jp/shiken/2026/ap_koudo_sc-cbt.html
CBT化の実施は来春からであり、つまり今回が、試験会場にみんな集まって一斉受験する最後の機会であったのだ.
今までの一斉試験では、今回はどんなテーマが来るか、掲示板やXで予想を立てたり
試験後に、「この選択問題は難しかった」「今年はクソ問」などと感想を述べたり
自分の解答を晒して、「これは間違ってる」「この解釈はどうなんだ?」と問題の中身を議論し合うのが恒例であった。
なぜなら、CBT化すると、問題の内容を公の場で発言することができなくなるからだ。
今回のCBT化では、いつでも自由に受けられるようになるわけではなく
複数日の日程の中から1日を選択し、テストセンターに行って各自バラバラの日時で受けることになる。
そのため、試験問題は全員同じものになるか、何パターンか用意されるのか公表されていないが
先に受けた人の話を聞いて受験するといった問題流出を防ぐため、問題の内容に関わることを言えなくなる.
試験問題を話題にして、多数の人間が一斉に話すという、試験後のお祭りという文化が失われるのだ。
この変化は、先にCBT化した基本情報技術者試験でも起こったことだ。
また、これは俺の個人的な楽しみだったのだが
証明写真機で作成して余った写真を保存していくと、自分の見た目がどんなふうに変わっていったのかが、定点観測のように可視化されるのだ
太ったり痩せたり、髪の毛が減っていく様など、これが感慨深かった
テストセンター受験になると、写真付き身分証で本人確認が行われると思われ
まだ外国人比率が全然少数派だし、地元住民の間に「乗っ取られるのでは?」的脅威を感じる人はあまり居ないと思われ、ことさら多文化共生って叫ばれてはいないけど融和的だわなー
町内会の役員に外国人家庭のオトーサンが参加してまぁそこそこ活躍してくれてたり、地元神社のお祭りで舞を奉納するメンバーにも外国人家庭のご子息がいたり、地元小学校区の住民運動会にもインド系?アフリカ系?かと思われる肌の黒い人々が参加して跳んだり走ったり活躍してるよーw
ほんで、時々、ビン・カンの資源ごみ回収の日に、ルール・マナーがなってない捨て方してるのは、ほぼ日本人。オレんとこの回収場所の周囲に住んでる外国人いないハズだからな。
「ビン専用」てはっきり書いてあるコンテナに空き缶入れてんじゃねーよアホかw あと、空いてるコンテナあるのに、ビンを山盛り積み上げて行くのやめろよバカかw そのコンテナは、何段も積み重ねてトラックとかに乗せて運ぶんだよ! 山盛りにしたら積み重ねできないだろって!!
私が小5、兄が中2。この頃は兄妹(兄、私、妹)が同じ部屋で寝ていた。度々、深夜に手やお尻にぼんやりとした違和感があり妙に不快だったことがあったが、夢だろうと思いあまり気にしていなかった。
ある夜、指先でつつっと円を描くようにお尻をなぞられた感覚で目が覚めた。兄だと直感した。未知の恐怖で頭が真っ白になり気づいていないフリをして過ごした。
その数日後の夜、右手が気持ち悪くて目が覚めると、兄が私の右手を陰部に当てたり押しつけたりしていた。言葉も発せず反射的に振り払い1階へ走って降りた。母が入浴していたので、上がるのを待つようにリビングで伝説のスタフィー 3の攻略本を開きながら、さっき起きたことの整理と兄への恐怖と驚愕と、とにかく色々な感情や考えが一気に溢れパニックになり泣いていた。お風呂上がりの母から心配されたが、小学生ながらに「これを話したら家族がバラバラになるのでは無いか」と思い、怖い夢を見て眠れなくなったと嘘をついた。
この頃は思春期を迎える前だっため性知識に乏しかったが、兄に対して本能的な恐怖を感じた。同時に、小1の妹ももしかしたら同じ被害を受ける(もしくは既に受けている)かもしれない、私が兄から守らなければならないと思った。両親にあれこれ理由をつけて(ほぼ駄々をこねて)物置部屋を整理してそこに妹と私は移動した。兄とはそれから1週間ほど話さなかったが、徐々にあの時のことはなかったようにお互い今まで通り接するようになった。
大人になり、私の結婚が決まると兄は明らかに私を避けた。結婚のため県外へ引っ越した翌月、兄からは結婚祝いを現金書留で貰ったが「金 ◯萬円」の文字は明らかに母の筆跡だった。
その後、お盆やお祭りの時に帰省するが兄は顔も出さず目も合わせず完全スルーされている。声をかけても最低限の返答だけ。両親は「独身で妹に先越されて不満なんじゃないの?」と言っていたが仮にそうだとしても良い歳した大人がとる態度ではない。
母になぜ3人兄妹が同じ部屋だったのか、と聞いたら「私は一人っ子だったから別室にするって発想がなかった」と。
…いやいや思春期を迎えた異性と同室にさせるか?しかも父はたくさん兄妹いるでしょ、何かアドバイス無かったの?と思った。同室だったから、あなたたちがそういう予測を充分にしていなかったからこういうことが起きたんだよ、と喉元まで言葉がのぼってきたが飲み込んだ。事実を話して解決まで向き合う勇気がなかったのと、両親に精神的な負担をかけたく無かったからだ。
アラサーになった今でもあの日の右手の感覚をはっきり覚えている。
精神的に落ち込んだ日は芋づる式にこのことを思い出して余計に病んでしまう。あの頃、トイレしてる時にカギを閉め忘れると兄がドアを開けて「わっ間違えた、ごめん」と謝られるイベントが頻繁にあったけど今思えばあれもわざとかもしれない。下着が度々紛失していたのも兄が原因かもしれない。今となっては分からないし、事実を本人に確かめる勇気もない。
小さい頃、兄にはたくさん面倒を見てもらったし今でも実家のことを色々としてくれているので、感謝はしている。
全く嫌いというわけではないし家族としては大切だと思うけれど、あの頃の出来事から嫌悪感も同時に持っている。
夫にも誰にも話せていないままずっと兄のことでモヤモヤしているためここに吐き出した。
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1. 外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2. 内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 Pro Deep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
飛び石連休で旅行に行ってたら、地元今治で排外主義デモが勃発したことをインターネットに教えられて辟易した。
子供の頃から歩き回ってる風景に、嬉しそうに集まってヘイトをかます連中が映ってて最悪だった。
最近参政党が演説したりするし、目をつけられてるのはあるんだろうな。
動画見たけど、みんな楽しそうで、あれはよその土地で仲間と共に盛り上がるフェスのノリだなと思った。地元民が抗議するならもっと早い段階で起きてると思う。まあ、石を投げれば知り合いに当たる町であんなわかりやすい抗議しねえと思うけど。多分ご不満があったら直接知り合いの市役所の誰それに文句が伝わる方が早い。地元民が全くいないとは言わないけど、日程的にも遠征してきた連中が多かろうなと思った。
人の街で楽しくゴミカスフェスをするな。お前ら、今治が何の町かもろくに知らねえだろ。海運と造船と繊維業の町で、技能実習生の制度もない頃から外国人の船員さんに船主は世話になってるんだよ。繊維業でコラボしようとか頑張ってんだよ。毎年海運で国際会議やって、場所が足りないから老朽化したショッピングモール取り壊して会議場作るとか言うような土地だよ。遠いアフリカから将来のエリート候補が来てコネ作ってくれる話に水差すとかバカやりやがって。
ところでこういうの煽動して頑張る母校の最悪有名人黒川は、傀儡立てた市長選で兵庫県知事選の真似して鳴かず飛ばず、むしろ別れた奥さんの方が着々と市議会議員とかなってるんだけど、あいつどうなってんだろうね。