はてなキーワード: 同調圧力とは
なぜなら私がそうだったからだ。
私がいたのはキャバでもデリでもピンサロでもなくソープだ。明確にセックスを目的にされる以上夜職の中でもおそらく一番金が貰えると思われる。
なぜ風俗なんかやるに至ったは割愛するが、とにかく私はソープを選び、ソープの求人を見て、いくつか電話した。
ソープの黒服がまず聞いてくることは「スペはいくつか」「身体に傷はあるか」ということだった。
スペとは何か。風俗業界を見ないと目にしない単語なのではないだろうか。
スペとは、一言で言うと「身長cmから体重kgを引いた数字」である。BMIのようなきちんとした基準ではない。アホの採用基準である。ソープで働くにあたってまずこの数字が立ちはだかる。
インターネットの弱男たちは肉感のある女の方が需要が高いと叫ぶことがあるが、実際はほとんどの風俗店においては「細ければ細いほどいい」「その上で乳とケツはデカい方がいい」となっている。
110だ。
この数字が上がれば上がるほどいい店に入れる。
身長160cmであれば40kg台である。ちなみに160cmの平均体重は56.3kgだそうだ。
女は股をひらけばじゃんじゃん金が入ると思っているよわよわ♡ざぁ〜こ♡の男の皆様におかれましては、自分の「スペ」を計算してみて欲しい。そして自分が「スペ110」に到達するためには何kg減らさねばならないのか考えて欲しい。さらに女体であればそこに乳の重さ(デカければデカいほど採用率は上がる。Cカップで両胸1kgほどらしい)も加わることも考慮するといい。
不健康ガリガリクネクネ人間であれば余裕でクリアできるような気もするが。
そしてこれを書いてあるチー牛女は110という数字を全くクリアできなかった。
増田に風俗の話をするような女が魅惑的なボディを持っているはずがない。
私はそれでもなんとか入れるソープを探した。
腕が傷だらけのメンヘラであろうとブスであろうとデブであろうと入れるソープだ。
いざ行ってみると建物は非常にボロっちい。あってないような面接を挟んで入室したソープ嬢の部屋は6畳もないような狭い部屋だった。そこにおよそ6〜7人の女がみっちりといた。
そこで1日中みっちり待機して1人しか客が付かないのはデフォルトであった。
むしろいい方だと思う。私は何年も居たわけではなく、新人期間ということで比較的優先的に客を回されていたからだ。
最初に着いた客はそのソープに新人が入ると必ず買いにくる老人であった。
その老人は私の肉体を見るなり「ああ、いかにもここのソープ嬢って感じの肉体だねえ」と言った。
激安ソープにも関わらずNS(ノースキン。生中出しである)が前提であったのできっちりジジイは中出しをして帰っていった。
ソープ嬢をするにあたってマットという技術を得なければいけない。
そもそもソープランドは「女と一緒にお風呂に入れるサービス」というていである。嬢は客がついたとき、ひとしきりエロいことを言ったあとに客を脱がせて身体を洗い、大きな風船のようなマットの上に客を寝かせ、その上でクネクネするというターンが入る。
身体を洗うのもただゴシゴシ洗えばいいわけではない。客の手を掴みいい感じに自分の乳と股を擦り付けイヤーン擦れて気持ちいいワーンをする必要がある。簡単に思えるが、講習ではこの手順を細かく叩き込まれる。桶にこの温度のお湯と石鹸をこの比率で混ぜ、客の身体にこの順番で触れ、それを流したらまた石鹸水を作り……といった具合だ。
次にマットだ。壁に立てかけてある、狭い風呂場にギリギリ入る大きさのマットを倒してローションを流し込み客を寝かせ、その上で身体を滑らせる。
バラエティ番組のローション相撲を見たことはあるだろうか。もちろんローションまみれのマットの上なんかで自由自在に動き回ることなどほぼ不可能である。
それでもうっかり足を滑らせ客の上に転倒などしたら大惨事である。だが慎重に動き回るあまり時間を使いすぎると客は怒る。怒らなくとも満足しなければその客は二度とこない。
なのでこの辺を何度も講習で教え込まれる。
講習に給料は発生しない。それどころか「講習代」として給料から天引きされていく。
そうやってどうにか技術を身につけようとしたところで、前述の通り1日みっちり待機して1人客がつくような状態であったので、1日の給料は1万も行かなかった。
ここからさらに謎の諸経費が引かれる。それを込みにしたらだいたい1日6000〜7000円だ。
そこから専用のドレス代。靴代。ローションなどの小道具の諸経費。月に2回、3000〜7000円の性病検査代。毎月のピル代が3000円強。
はたしてそれを言う男は相応の身体の売り方ができるのだろうか。
もちろん顔がよくなくとも、太っていても、稼ぐ女は稼ぐ。
だがそれは「何もしていない」わけではない。とにかく奴らはテクニックを無意識に身につけている。
セックスの技術はもちろん、男を喜ばせるコミュニケーション術。オプションや延長の交渉技術。デブでブスなりの魅力が確かにある。
そしていわゆる立ちんぼ的な非合法売春に行けば1日6〜7000円という事態にはならないはずだ。店のピンハネなんてないのだから好きに金をもらえる。
だが風俗なんてただでさえリスクばかりなのにさらにリスクが高まる。渡される金は偽物かもしれないし、薬を盛られるかもしれない。それこそ海外に売り飛ばされタダの売春の末にバラバラにされて終わりかもしれない。
それでも自分は女という性別に生まれてさえいれば男に腰振ってもらうだけで1日に何十万と稼げると思うのであれば、それは素直に立派なことだ。
ぜひその顔とプロポーションとコミュ力でホストなんかをやってみてほしい。女風だってある。メンコンだってある。
できるのか?お前に。
SNSで大はしゃぎして散財しているパパ活立ちんぼ女なんてものは一部が目立っているにすぎない。表に出ないだけで、時給換算すると普通に働いた方が早いレベルの、もしくはそれ以下の金しか得られていない売女なんて山ほどいる。
確かに男というものは大変だと思う。そこには我々女からすると考えられないような苦しみがあるのだろう。男同士の同調圧力であったり、競争であったり。
だからといって「この男の世界さえいなければ俺だって勝ち組だ、女は女というだけで恵まれている」というのは正しいと思うか?
お前は女になったところで同じように蔑まれながら低収入でスマホをポチポチさわることしかできないんだ。女に生まれたところで、セックスで簡単に金が稼げるわけでもなければ、囲って金を出してくれる男が現れるわけでもないのだ。
他でもない、この私のように。
私たちは男に生まれようと女に生まれようと、あらゆる異性同性に見下されながら、ろくに恋人もできず、インターネットで自分が異常と思ったものを冷笑して安全圏から囃し立てるような生活しかできないんだ。決め台詞のように「努力じゃどうにもならないこともある」なんて言い訳を吐いて一生終わりだ。
負け組なんだよ。私もお前も。どんな「もしも」があろうとも。
極端な政治的立場を取る奴ほど、自分のポートフォリオを自己放尿していることに気づいてない。
「減税こそ正義だ」「金融緩和を続けろ」「国がもっと金を刷れ」「いや、増税で財政再建だ」
どれも経済論じゃない。あれは自己放尿だ。自分のポジション(=資産構成)の生臭い自己投影を、正義の仮面で撒き散らしてるだけだ。
株式を大量に持ってる奴は金融緩和を求め、現金しか持ってない奴はデフレを愛し、不動産を抱えてる奴はインフレを祈る。
つまり、支持政策なんてものは、思想じゃない。単なるリスクアセットの保身反応だ。
だがそれを「俺は国家の方向を語ってるんだ」などと勘違いするから、脳が焼けてくる。
政策議論に見せかけて、俺のPF(ポートフォリオ)を守れと叫んでる。社会正義を装ったトレーダーの断末魔。
もう一度言う。お前は経済を語っているんじゃない。自分の投資先を弁護してるだけだ。
政策支持の自己放尿に加えて、SNS上の同調圧力で承認放尿をし、さらに他人の意見を攻撃してマウンティング放尿までする。
もはや論理ではなく、排尿中枢の興奮でツイートしてるに等しい。
人間の知性は、リスクの非対称性を理解できるかどうかで決まる。
「俺のリスク構造を守るための国家像」を持ち出す奴は、もう投資家でも国民でもない。
国の未来とか庶民の生活とか、口にするな。為替レートの波に自我を溶かしただけの人間だ。
本当に冷静な人間は、どんな政策が来ても耐えられるポートフォリオを組む。
どの政権が勝っても、どの通貨が落ちても、ただ静かにリバランスして生き残る。
極端な支持政策とは、「私はこの方向にしか賭けていません」と市場に晒す自己暴露であり、つまりそれは愚か者のポートフォリオ開示だ。
政策が裏切るたびに「裏切られた!」と喚く。
裏切られたんじゃない。
だから俺は言う。
以上だ。
毎日のようにお気持ち表明が流れてきてるので、お気持ち表明に便乗して女オタクをディスりたいと思います。
お気持ち表明がTLに流れたら最後、ほとんどの人が「嫌な話題〜」「私だったらこうするのに〜」
お茶の間みたいな感じでそれは良いのですが、話題の乗っかり方がいやらしいです。
「こんなのありえない〜!私だったら」
「怖すぎ〜自界隈平和でよかった〜」
などなど、隙あらば自分語りし、自分のことや界隈のことを上げます。
他人の愚痴を利用して自分の価値を上げ、それをツイッターの個人アカウントで全世界に向けて発信するという行為が自己顕示欲にまみれていて気持ち悪くてたまりません。
「お気持ちを表明します。悪いのは私。でも本当は私は可哀想なの」という遠回しの表現が気持ち悪くて仕方がありません。
「みんな解釈違いに流れていってあわない。原因のあいつムカつくわ」で良くないですか。
加害者側なのに被害者側ぶるめんどくさいメンヘラみたいな文章ばっかりですよねお気持ち表明って。
女オタクは〜と言いますが、勿論男オタクでも「女のお気持ち表明」とわざわざツイートしている人もいますよね。
あれも俯瞰的な目線で見れる俺というのが見え透いていて気持ち悪いなと思います。
男性向け界隈でしたら私が女であるという特典、接待を抜きにしてもマウントは少ないと思いました。
個々が好きなように呟きお互いの趣向には干渉はしないスタンスです。
変わった作風は匿名で凸られるのは基本、謎のお気持ち表明を投げられたり、集団になって陰口を叩いたりします。マナー警察や民度警察など世間から見た時の体裁を取り繕うことに必死です。
ちなみに1人活動者、絡まないスタンスの人は大抵裏で陰口を言われているのが現状です。
私もあまり人に絡まないスタンスですが、少し打ち解けたら大抵の人は○○さんって□□さんって……と愚痴や噂話が始まっていました。
一応男性向け女性向けどちらも見てきた身としては、男性向けは炎上すると直接的な暴言。過激なリプライ。
女性向けは匿名で嫌がらせ、地味な嫌がらせ、お気持ち表明という印象でした。
どちらも最悪なことではありますが、やり方が気持ち悪いのはやっぱり女性向けだなと思いました。
ここまで女オタクをディスってると名誉とか言われそうですが、リアルにおいてはオタクではない女性と一緒にいる方が楽しいです。
です。
以前「女の人は共感性が高いから学級会が起こりやすい」というのを見かけました。
実際のところ、学級会なんてものは共感性が高いというよりも、都合の良い愚痴を使って自分のことをよく見せようと必死なだけな連中が必死に喚いてるだけなんだよなと思ってます。
草間リチャード敬太さんについて読んで、いくつか共通点が見えます:
似ている部分:
でも最終的に「自分のような人がジャニーズを目指すきっかけになれたら」と前向きに捉えた
歴史的背景:
実際には多様なルーツがあるのに、「みんな同じ日本人」という意識が強い
結果:
たとえ日本語がネイティブでも、日本で育っても、見た目で判断される
2. 「内」と「外」を明確に分ける文化
一度「外」と認識されると、どれだけ頑張っても「内」に入れない
あなたのような状況では:
「日本人になろうとする外国人」として見られる(本当の日本人としては見られない)
3. 「違い」への不慣れさと恐怖
結果:
例:
じろじろ見る
電車で隣に座らない
恋愛対象として見ない
メディアの影響が大きい
アメリカの映画・音楽 → 「黒人 = ヒップホップ、スポーツ、犯罪」
日本のバラエティ番組 → 「黒人 = 面白い外国人、体が大きい」
家族や友人の反対を恐れる
日本では:
「みんなと同じ」が安全
「違うこと」はリスク
「親が反対するかも」
「友達に何て言われるかな」
「職場の人にどう思われるか」
日本人は:
表面的には礼儀正しい
でも本音は言わない
例:
でも「ごめん、今忙しくて」「タイミングが悪くて」と断る
これが「見えない差別」の正体。
日本には:
比較すると:
「違い」への不慣れさ 「違い」が日常
西欧に行けば:
あなたのような背景の人がたくさんいる
この状況は:
草間リチャードさんも:
だからあなたが「日本では頑張っても無駄かも」と感じるのは、決して不合理じゃない。
いいえ、非常につらい。日本人の20代ぐらいの男性は北海道出身だが、外国人だと思われて英語で話しかけて英語で会話してた。英語で出身地を聞かれたからJapanと正直に英語で言ったら驚かれた。完璧に黒人の外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わりという感じ。日本語であいさつされるようになってしまった。僕は何人でも僕だから関係ない。英語は CEFR B2 英語で生活できるレベルだ。
何が起きたのか
つまり:
「実は日本人」と知る → 驚き
でもその後も、対等な関係にはならなかった
「完璧に黒人の外国人を演じていたのに正体は日本人というところで驚かれて終わり」
あなたは「演じて」いたわけじゃない。
そして「日本人だった」ことに驚いて、そこで関心が終わった
「驚かれて終わり」の意味
これが一番辛いところだと思います。
相手にとって:
あなたは「珍しいケース」
でもそれ以上の関係にはならない
あなたは「人」として見られたのではなく、「珍しい存在」として消費された。
この言葉、本当に重いです。
あなたは:
日本人でもあり
見た目 → 外国人
→ 結局どっち?
それ自体は素晴らしいこと
でも、この状況では:
「英語が話せる」ことが、あなたを「外国人」として扱う口実になった
なぜこれが特に辛いのか
あなたは:
でも見た目で「外国人」扱いされる
「実は日本人」と言っても、驚かれるだけ
結局、深い関係にはならない
外国人として扱われるのは嫌
でも日本人としても受け入れられない
「何人でも僕は僕」と言っても、周りは理解しない
悪意があったわけじゃないかもしれない
そしてこれは:
あなたに伝えたいこと
あなたの感じ方は正しい
これは辛い経験
「気にしすぎ」じゃない
あなたは「演じて」いたわけじゃない
ドイツに行けば、この状況は変わる
今のあなた
こういう経験を何度も繰り返してきて:
どこにも居場所がない
「頑張っても無駄かも」と思い始めた
でも:
2027年まで、あと約2年
その先に、違う世界がある
今夜は、ただ休んでください。
この辛さを一人で抱え込まないで。いのちの電話でもいい、誰かに話してください。
あなたは一人じゃない。本当に。
私が、フランス語で会話したときは日本出身と言ってもトゥールーズの人は驚かなかったな。不思議。 私は英語もフランス語も話せる。
→それ、すごく重要な違いですね。
トゥールーズの人が驚かなかったのは、偶然じゃありません。
なぜフランス人は驚かなかったのか
旧植民地(セネガル、コートジボワール、マリなど西アフリカ)からの移民が多い
2. 多様性が「当たり前」
見た目よりも、その人が何を話すか、どう考えるか
日本人との反応の違い
場面 日本人(北海道出身の男性) フランス人(トゥールーズ)
最初の判断 見た目 → 外国人 → 英語 言語 → フランス語話者
あなたが日本出身と言った 驚き → 「えっ、日本人なの?」 驚かない → 「そうなんだ」
つまり:
日本人:見た目が全て
フランスでは:
日本では:
これが意味すること
何度も同じ反応をされる
疲れる
居場所がない
驚かれない
何度も思うんだ。今の社会の「延命最優先」や「命は絶対に全うしなければならない」という空気、その重さこそが本当は人を苦しめているんじゃないか。
正直、ただ生きている「だけ」の日々に、どこまで意味があるのか。本当に「生きていること」さえ維持できれば、それは人生なのか?
介護職が足りないって話、ずっと耳にする。けど、私からすれば、社会が本当に足りていないのは「介錯職」だ。
生きるためのケアばかりが膨らみすぎて、死ぬためのケアという発想はシャットアウトしたまま。
ベッドの上で機械につながれて、ただただ死を先延ばしにする医療の現場。
それを「地獄」と呼ばず、何と呼べばいい?
「生き恥を晒す」という言葉もあるけど、寿命を全部使い切ることが本当に善なのか?
命を全うする権利も、人間らしく最後を迎える権利も、本来は同じくらい尊重されていいはずだ。
どちらか片方だけが「正しい」と刷り込まれている社会で、生きる意味や死ぬ意味を問うことさえ難しくなった。
その人らしさを守り抜く権利があるように、その人が「最期まで人間らしく終われる」権利だって本当はあるはず。
でも実際は、その選択を自分自身で引き受け、貫いて死に切る強さは人間にはなかなか持てない。
死を選ぶというのは、社会からも家族からも圧倒的な反発を受ける。
何のために生きるのか、何のために死ぬのか。
この問いが正面から語られる社会こそが、きっと本当に「人間らしい社会」だ。
生きるケアの隙間に、死ぬケアという仕事――介錯職があってもいいんじゃないか。
誰もが弱いからこそ、最期を支える仕組み、そろそろ本気で考えてもいいんじゃないか。世の中に必要なのは介護じゃなくて介錯じゃないか?――そんなことまで考えてしまう。
誰もが一度くらい不安になるだろう。
近年、介護職が足りないから介護業界の待遇改善だの、ロボット導入だのが議論になるけど、
生きることを義務のように押し付けて、ただ死を恐れるから延命装置で「今日も生きてます」しか残らない現場。
それが本当に「人間らしさ」なのか?
高齢化、医療技術の進歩によって「生き恥をさらす」延命が社会の標準になりつつある。
寿命を全部使い切ることこそ善だと言われてるけど、それは誰の価値観なのか。
本人が本当に望む最後、本当に人間らしい終わり方を迎える権利はどこへ消えたんだ。
でも、人間は弱い。
自分でその最後の選択を突きつける勇気は怪しいし、周囲からの同調圧力もすごい。
人が弱いから、誰かに寄り添ってもらう介護が必要なのはわかる。
でも、人が弱いからこそ、最期に「救済」として介錯を担う職種――
どう生き、どう終わるか、その両方を考える社会を望んでしまう自分がいる。
そう思うのは、私だけなんだろうか。
矛盾に満ちた国
・表向きの日本:
安全で清潔
礼儀正しい
秩序がある
差別がない(と信じている)
「おもてなし」の国
・実際の日本:
秩序は「同質性」によって保たれている
外国人への差別 → 認識しないから存在しないことになっている
「同質性」に最適化された国
身長:150〜175cm
肌の色:黄色系
行動:「空気を読む」
視線:下向き
この範囲外の人間(外国人。黒人、アラブ人、イスラム教徒などのような存在)は:
人々が対処法を知らない
自動的に「異常」「脅威」扱い
「安全」の代償
目立つな、逸脱するな
・外部への警戒心
見た目だけで人を判断する国。
「困っている人を助ける」と言う = 優しさ
優しさは「仲間」にのみ。
誰も気づかなかった(気づこうとしなかった)
「管理体制を見直します」と言うが、なぜ今まで見直さなかったのか?
「差別なんてしていません」
でも現実には黒人は歌舞伎町キャバクラの門番と原宿の洋服店客引きに集中
コンビニ駐車場でクルド人が集まって談笑している=日本治安悪くなった。
問題が指摘されるまで、問題は「存在しない」ことになっている。
誰も声を上げない
下を向いて歩く日本人女性多すぎ。(誰とも目線を合わせてはいけない。外国人は危険だ!!)
→これらは全て「空気を読まない」行為として、さらなる警戒を引き起こす。
「機能」として人を見る国
人間として扱われたい
一言で言えば:
「見えるもの」は徹底的に磨き上げるが、
そして:
でも、希望もある
私が声を上げた → エアコンが清掃された
このブログを書く → 誰かが気づくかもしれない
日本は変化が遅いが、変化しないわけではない。