はてなキーワード: 習字とは
おめでとうが9割、残りは「あーあ、やられた」という感じの後ろめたい気持ち。
私は最低な姉です。ごめんね。でも絶対にそんなことを家族には言わないし、きちんとお祝いもするので許してほしい。
いまも母と妹から送られてくる赤子の写真に既読をつけずにこの文章を書いている。
私は三姉妹の長女でもうすぐ三十歳になる。子供が産まれたのは真ん中の妹(つまり三姉妹の次女)で私とは2歳離れている。
下の妹が生まれた頃のことはうっすらだけど覚えているが、真ん中の妹が生まれる前のことは何も覚えていない。物心ついた頃から私はずっと姉だった。「お姉ちゃんなんだから」とかそういう姉の役割を押し付けられるようなことを母親から言われたことはあまりなかったと思うけど、昔はずっと一人っ子に憧れていたのを覚えている。一人っ子のどういう部分に憧れるのか、その当時はあまり深く考えていなかったが自分だけの親が欲しかったのだと思う。
私が何かを始めるときは大体真ん中の妹とセットだった。習字教室に通い始めるときも、学習塾に通い始めるときも、一緒に始めることになり送り迎えは二人一緒だった。
一番下の妹は少し歳が離れていることもあってか、私たちとは別のタイミングで別の習い事を始めていた。ピアノ教室やスイミングに通っていたのは一番下の妹のみで、当然ながら母はそこへ三女のためだけに送迎をする。私はそれが気に入らなかった。
そういった不満があったからか中学生くらいまでは妹二人とは全然仲が良くなかったし、母とも喧嘩ばかりしていた。喧嘩して、妹の前で叱られて部屋にこもる。けど部屋といっても妹の部屋とアコーディオンカーテンで区切られているだけだから完全に一人にはなれず、泣いているのを妹に知られるのが嫌でとりあえず布団をかぶっていた。けど、大きな家ではないので妹と母が楽しそうに話す声や私のことを悪くいう声なんかが聞こえてきたりして、凄まじい疎外感を覚えてまた泣いたのを覚えている。
大体いつも母とぶつかるのは私で、妹たちは横目でそれを見ていてたまに口を挟んでくる。それに私がキレて妹にあたる。そしてまた母がキレる。母が妹たちを庇う形になるのが本当に嫌だった。「妹のことばっかり」と何度思ったか分からないし、私はずっと「自分は姉妹の中で一番母から愛されていない」と思っていた。
母の愛情やありがたみを素直に受け取れるようになったのは、大学進学を機に一人暮らしを始めてからだった。妹に対してもいつもムキになってしまって申し訳なかったと思うようになったし、家を出てからは妹に対してうっすらと抱いていた敵という感覚がなくなった。そこからは母とも妹ともうまくやれていると思う。わりと頻繁に連絡をとっているし一緒に食事に行ったりする。母とは就職活動のときに少し喧嘩をしたが、妹とは家を出てから一度も喧嘩をしていない。
働き始めてからはずっと誕生日と母の日はプレゼントを欠かさず贈っているし、年始にはお年玉を渡している。別に何もいらないよ、と言われるが渡さないとなんか気が済まないし、前年よりも高い金額のものを渡さなければという謎の焦燥感がある。
ずっと親孝行の気持ちからそうしていると思っていたが、一昨年くらいにふと「違うかも」と思った。もしかすると私は、かつて自分が満足いくまで得ることができなかった(と思っている)母親からの愛情や関心をプレゼントやお金で取り戻そうとしているのかもしれない。三姉妹の中で私が一番母にお金を使っているし、今なら自分が一番になれるはずだという気持ちが多分私の中にはある。母はきっと私たちを平等に育てたのだろうと頭では分かっているけど、あのとき妹に奪われた母からの愛を取り返したい。
けどどんなプレゼントも初孫にはきっと敵わないんだろうな、と気がついてしまった。母は何も聞いてもないのに妹の予定日や体調を逐一連絡してくるし、妹の出産準備の買い物に付き合うのも大変そうにしていたけどすごく真剣だった。私にとってはずっとお母さんでしかないから自分の母が祖母になるなんて全く想像もつかなかったけど、やはり母も初めての孫が生まれるのが嬉しかったんだろうな。
母から初孫の写真がたくさん送られてきた。産んだ妹よりも多く送ってくる。その母の喜びの先にいるのが自分でないことが悔しいし悲しい。
これから先私が子供を産んでも当たり前だが初孫にはならないし、初めての孫が生まれるわくわくを私から母にあげることはできない。
妹の産んだ赤ちゃんはかわいかった。妹に目元がよく似ていた。姪っ子として大切にしてあげたいと思う。
こんな伯母さんで本当にごめんね。
中学受験する程度には発達が進んでいた子供なので、言いたいこと自体はなんとなく分かっていた。
「お前の字マジで汚くて読みづらいからいつも迷惑してる。とりあえず一言文句言いたいから、お前が傷つきそうな言葉を必死に選んでとりあえずぶっ放すわ。40人のテスト答案を見るこっちの身にもなれよ。頭クソワリーガイジはまだ諦められるけど、お前みたいに考える頭持ってるやつにまでこんな他人を舐め腐ったようなことされるとこっちはマジで苛つくんだよ」ってことだろ?
分かるよ。
大変だよな。
でもこっちだってどうしたら字が綺麗に書けるのかよく分かんなかったんだ。
小学1~3年生ぐらいの期間、後に中学受験をさせるような教育熱心な両親の元で色んな方法で字を綺麗に書く練習をさせられた。
半透明の矯正器具を鉛筆の先につけ、指の握り方を何度も指導されたよ。
なんとなく形はあってるんだけど、力の入れ方がなにか違うらしい。
それを伝わるように表現してくれた教本に出会うことが出来ず、ただただ変な握りのままひたすら文字を書き写していた。
上手くなることはないと親はいつしか諦めたし、俺も「どうせ20年後にはみんなキーボードで字を打つから手書きなんて完全に消滅してるだろ?」と未来の技術発展に希望を託して全てを終わらせた。
今はもうそこそこまともな字が書けるようになっている。
ある日図書館で出会った小学生向けの教本がドンピシャにハマった。
そこに書かれていたのは習字における技術を徹底的に分解して、一つ一つの要素についてのコツだったよ。
小学1年生の頃に与えられた教科書にも同じことは書いてあったのかもね。
でも教師は「とにかくひたすら書き写しましょう」と言ってた気がする。
俺に必要なのは丁寧に一つずつの技術に向き合ってひたすら脳を経由して身につけることだったんだよ。
生まれつき運動神経が悪くてさ、身体的感覚で覚えろって言われても上手くいかないんだ。
逆上がりは卒論が上手くいかなすぎて夜道を散歩してたとき、公園で自棄糞気味にやった出来るようになったが、スキップは未だにやり方がよく分かってなくて5年に1度ぐらい人に笑われている。
最初に技術を丁寧におしえてくれる人にあっていたら俺は最初から字が綺麗にかけてたのかもなあ。
教本との相性もあるけど、『とめはねっ! 鈴里高校書道部』や『ばらかもん』で習字に対しての苦手イメージが薄れていたのも効果があったように思う。
俺にとって習字の授業は、「なんでこんなことも出来ないの!増田くん!いい加減にして!」と怒られる時間だったから。
なまじっか他の勉強はスイスイ出来るせいで、習字が出来ない理由を「やる気がない。舐めてる」で片付けられがちだったんだよな。
結局さ、字を綺麗に書くために必要なのは「どうやったらキレイに書けるか」を知ることだと思うんだよ。
体で覚えるのが得意な人は体で覚えればいいけど、頭で覚えることしか出来ないようなら頭の中にコツを入れてもらわないと始まらないんだ。
字の良し悪しなんてコツを理解しているかと、正しいイメージで練習をどれぐらいしたかだ。
間違ったフォームで素振りを繰り返したって、ボールに上手に当てることなんて出来ないよ。
感覚的にしろ理論的にしろ、正しいやり方ってのを知る機会に出会う必要がある。
それは運で決まる。
教師との相性、教本との相性、たまたま見かけた動画や本、そういった所での出会いの中で自分の持って生まれた器に会うやり方が身につけられるかだ。
字が汚い人は、「字を綺麗に書くために必要な運に恵まれなかった人」だと俺は思う。
字の上手い下手ってよりはあらゆる分野に言えるんだろうね。
コミュニケーションが下手な人も、その人にあったコミュニケーションの技術を身につける機会に恵まれなかっただけなんだろう。
わざわざ罵倒されるような程のことなのかなあ……「お前の運が悪いせいで俺たちは大迷惑だ」なんてさ。
世の中は相も変わらず狭量が過ぎるように思うねえ。
ただ、そこで一つ問題がある。
子供はフォートナイトにかなり依存しているようで、宿題や明日の準備などのしなきゃならないことを全て適当にやり、無理やりゲームの時間を作ろうとしてしまう。
例えば宿題、1の問題の答えが「あ」だとして書いてきたのが「い」、もちろんバツをつけて返すが、考える間もなくさっと答えを書き込みまた見せてくる。
今度は「う」
流石に適当に書いてるとしか思えないので、「何故 う が答えだと思ったのか説明してみて?」と聞くと「わかんない」「忘れた」「直す」などの支離滅裂な返答が返ってくる。
時間割通りに入れる気などさらさらなく、いつも同じ教科書しか入ってない。「明日社会あるよね?」と一声かけるとようやく動く。
習字セットや絵の具セットも帰ってきてから洗うはずもなく(一応洗おうねって言ってるんだけれども)、前日に「明日必要だよね?」と一声かけてようやく動き出す。
それも洗うところから…
我が家ではゲームは宿題や明日の準備等が終わってからというルールがある。
なのでそれが終わってない日は結局ゲームが出来ずに寝ることになってしまう。
「やだやだやだ。ゲーム出来ないはやだ。」と、まるでおもちゃコーナーで駄々をこねる幼稚園児のように…
正直4年生なのにそんなことですぐ泣くか?やだやだやだなんて言うのか?と思えてしまう。
もちろんこれだけでグレーゾーンだと疑っているわけじゃない。まだいくつか理由がある。
その一つが文章の読み書きだ
宿題で毎日音読が出るのだが、教科書通りに読むことに苦戦している。
2〜3週間同じところを読んでいるのにも関わらず、何度も言葉に詰まったり、自分の読みやすいように勝手に文章を変えてしまう。
また音読以外にもドリルやテストの文章問題もかなり苦手としている。
これはあくまで想像だが、文章全体を読まず、目に入った言葉だけで問題を作り上げ、それで回答しているように思える。
(国語だけじゃなく算数や社会にも影響していて、適宜フォローはしているがなかなか厳しい)
書く方も同じような感じだ。
促音や長音が上手く書けず、ポテトチプッスやプールーと言った少し違った言葉になってしまう。
また送りがなもなかなか覚えられず、テストは毎回漢字は合ってるのに、送りがなを壊滅的に間違えている。
(送る→送くるのような間違いをいくつも… 再テストでも変わらず…)
そして最後は人との話し方について
子供は比較的よく喋る方で、学校でもいろんな人に話しかけてるそう。
友達何十人いるよ!と話してくる。
ただ、そこにも少し難がある。
まず話し方。
私「そうなの?楽しく遊べた?」
子「………」(もうテレビを見ている)
子「今日はあるの?」
私「え、ごめん何の話?」
子「じゃあいいや」
上記のような感じで、自分が話したいことを話すだけでキャッチボールをする気がない喋り方や、主語がなかったり、いつ、どこで、だれが、すらわからない話を普通にしてくる。
そして聞き方
これはもう簡単で、人の話を大体聞いてない。
とりあえず適当に返事するだけ、わからなくても聞き返すことはしない。
家の中も勿論そうだが、学校の先生や習い事の先生からも「⚪︎⚪︎さんは話聞いてないですね」とよく言われる。
正直私はグレーゾーンだと思っている。
「性格かもしれない。性格なら治るかもしれないし変わらず普通の生活でいいよ」とずっと言っている。
健常であればそれはとても嬉しいことなんだが、この話をするといつも喧嘩してしまう。
テストの点数も年々悪くなり、明らかに勉強についていけなくなっている子供を見ると心配でたまらない…
追記 4/25
思ってた以上に反応があったので追記。
その時からパートナーと3ヶ月に1回ペースで話し合いその度に喧嘩してる。
だからそろそろ2年になるのだけど、未だに向こうは納得してくれない。
ちなみにその間何もしてないわけではなく、ちゃんと本を買って読んだり、色々調べたりして疑いのある症状についての把握や改善には取り組んでいるよ。
ただ今回書いた内容に関しては成長が見られなかった。
お寺の前のにある、
あれなんて言うのかしら、
掲示板みたいなのに今日のツイートみたいに今日の良い言葉みたいなの毛筆の筆書きでそのお寺の住職が書いてるやつ。
へー、
そんな当たり前なことを当たり前に思えることを素直に喜びながら、
占いみたいで、
今日コアラの星のもとに生まれた人の運勢はいいです!ってとかってやつ。
そもそもとして、
そんで、
その「法語掲示」
当たり前のことが書いてあって、
なんか
毛筆毛書の筆書きだと、
さらに良いこと言ってる感が増し増しじゃない。
「春になれば桜が咲きます」って
意味深だわ~。
意味深だわ~重みがあるわ~。
お寺の前にそうやって掲げて毛筆で書いてあると!
これはお寺を訪ねてくる人がどっから入って良いか分からない人向けの案内だとしても、
意味深だわ~重みがあるわ~。
深すぎるわ~。
こんな法語掲示はいやだ!ってあるあるネタ大喜利出来ちゃいそうよ。
さすがに
何月何日に~って行われるお寺での何かイベントのお知らせの事が書かれていたことがあって、
それはさすがに
いや!
意味深だわ~重みがあるわ~って。
深読みしすぎるのよ。
もうここに書かれた毛筆の筆の習字の書体がさもありきのイキフンを醸し出している雰囲気?
ただならぬ
本当に良い言葉感でるじゃない。
あるときには
「いってらっしゃい、おかえりなさい」
「いただきます、ごちそうさまでした」
そんなことが書いてあって意味深すぎない?
「扉は、開けたら閉める」とか。
これもしかして、
いや違うわ。
きっと深みのある言葉なのよ。
「スープなくなり次第終了」
とかって書いてあったらどうしようかと思うわ。
あの毛書の筆書きで!
「玉子一人一パックまで」とか!
ああ、
きっと安いから特売玉子を2パック買っちゃおう!ってことに対してのクレームなのよ1人1パックでお願いしますよ~って。
意味深でもあり重みでもありありがたみがあるものだと思っちゃうのよね。
「白米は美味しい」って
もうこれ世相を斬ってるじゃない。
お米の値段の高いことの皮肉?
「白米は美味しい、備蓄米でもね」ってなると
ちょっとさまぁ~ずさん風なの入っちゃってるじゃない?って思うほど。
「見えないものを見ようとして」ってなると
バンプオブチキンさんじゃない!って!
なんでも
きっとすべてが
有り難い言葉なのよきっと。
私はまだそれに気付いていないだけ。
うふふ。
しっかり食べて今日も頑張るわよ。
ホッツ白湯を飲みながら朝のNIKKEのある程度のデイリーミッションを半分ちょいぐらいこなして、
なんかNIKKEのおかげかで朝早起きよ。
ルイボスティーウォーラーのためのルイボスティーのお茶っ葉も切らしちゃったので買ってこなくちゃいけないことを思いだしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これでも…昔5年間習字を習ってて段もちなんだぜ…筆字も凄い下手なんだぜ…親には恥ずかしいから段もってる事いうなって言われたw何年やっても身にならない事ってあるんだな~って実感した。