はてなキーワード: 血統書とは
中学のときの一番の友達が金持ちだったんだけど(渋谷区神宮前に土地とビルを所有しているのに、わざわざ閑静なS区に引っ越してきて家賃月額30万円の一軒家に住んで血統書つき犬2匹飼ってるレベル)
弟に野球の才能があって専業主婦の母親が遠征だの送り迎えだのあらゆる面でサポートしてたぞ
結果的にその男の子は読売ジャイアンツの一軍有名投手になったのだが、あれくらい金持ちでないとスポーツにおいて万全のサポートはできないんだなと思った
その子は有名大学にスポーツ推薦で入れたのでスポーツのおかげで学歴もついてきたし、今はコーチをやってるから名声も収入もある
スポーツの才能とそれに打ち込める環境があって人生大成功したケースだな
増田の場合は子ども本人にやる気もないし母親がそもそも消極姿勢なのでやめておいたほうがいいんじゃないか? その程度の気持ちで今後万全なサポートなんてできないのではと思う
スポーツで大成する子なんて稀だから、なかばギャンブルみたいなもんだし、普通に勉強して自分に合った大学に行くほうが親子ともに幸せな人生が歩めそうだ
主人公が教会で犬死にする例のシーンだけ、何回も見せられてきた人生だが、やっと本編を鑑賞する機会を得た。
……まだ半分ぐらいまでしか見てないが、想像以上に胸クソ悪い物語だ。
とにかく底意地が悪いキャラクターが恣意的に配置され、ことあるごとに主人公を陥れようとしてくる。
制作者レベルで一丸となった「全方位からの理不尽いじめ」はフィクションであっても気分が悪い。
同種の感想を抱いた作品に、なろう系の『盾の勇者』があり途中で脱落してしまったのだが、こんな強烈な作品が昔に存在していたとは知らなかった。
コゼツ
ヒロイン(アロア)の父親。差別主義者。発生するトラブルは全て年端のいかないネロに結びつけ、証拠もなく犯罪者扱いしてくる。反面、ネロの善行はもれなく死角に入れてスルー。見る目のなさワールドクラスの権力者パワハラ系クズ。
ハンス
コゼツの使用人。不誠実とへつらいを錬金合成させて生まれた存在。立場の弱い相手にはとことん高飛車に出るが実のところヘタレ。職務に忠実ならまだ救いはあるが、仕事ぶりは抜け目が多く杜撰。卑劣漢無能クズ。
ハンスの息子(名前知らん)
父親譲りの責任逃れムーブは絶妙。主犯格でありながらぬけぬけと「ぼく知らないよ」「やったのはネロだよ」と素朴な邪悪ぶりで憎悪を煽ってくる。家系図レベルで保証された血統書付きクズ。風車に括り付けて死ぬまでおろすな。
ナチュラルに動物虐待をはたらき、意味不明な理屈と脅しで金を巻き上げていく対話不能の猛獣。おとなしく金を渡すネロの祖父も祖父だが。警察というよりはヒグマ対策室による駆除対象。
これら悪魔超人カルテットを中心にした盤石の試合運びで、ネロと犬をあらゆる手で地獄に追い込む。それが『フランダースの犬』という話だ。こんな作品がどうして名作の顔をしてのさばっているのか。
同年代のアニメ『アルプスの少女ハイジ』と比べてもキャラへの不快感は桁違いだ。デーテおばさんはハイジをあそこまで育てたと思えばむしろ苦労人キャラだし、ロッテンマイヤーも信条・手段はともかく職務への熱意は疑いない。
意外なのは、パトラッシュがあまり活躍しないこと。温厚な性格で寄り添い力は高いが、惜しいことに「ご主人を救う機転」のようなものはめったに発揮しない。所詮は犬と思えば、リアルっちゃリアルだが。
SNSに書くと滅茶苦茶叩かれそうなのでこっちで。
親戚が倒れて入院することになり猫2匹を預かった。
しかし親戚はそのまま要介護となり意思疎通も難しい状態になってしまったため我が家で猫を預かっている状態だ。
我が家は家族全員猫が苦手で自分もアレルギーがあり長期間飼うことは難しいため一ヶ月前から譲り先を探しているのだが、全く見つからない。
猫2匹は8年くらい前に親戚が拾った猫で柄や顔はお世辞にもキレイとは言えない。
避妊手術はおそらくしていないと思う。
近隣の保護団体はいずれも子猫、または健康な血統書付きのみ可で断られる。
ジモティーやペット譲渡サイトに登録しているが一件も問い合わせなし。
家族からは早く手放せと催促されるし檻に入れっぱなしで猫にも申し訳ないので早く譲渡したいがこんなにも見つからないとは予想外だった。
お題に沿って400字くらいの文章を10分以内に書き上げることをしてて供養というか、人に見て欲しいと思ったものを。
書くことは筋トレと一緒で毎日書き続けないと衰えてしまうのだなと痛感した。
地元では花火は冬に上がるものだった。夏にももちろん打ち上げるけど、規模でいえば冬のほうが圧倒的に大きい。物知りだった父曰く、冬のほうが空気が澄んで花火がよく見えるとか、寒いほうがカップルがくっつきやすいとか、出店の衛生観念がまだマシだとか、なんとか。高校生の頃ボーイフレンドと見に行ったのを思い出す、確かに真っ暗でキンと冷たい空気の中、どうやってポケットに入れられた彼の手を握ったら良いのか、花火に照らされた彼の横顔を見つめていた私がいる。あの人は元気だろうか。変わらず冬に花火を見ているのだろうか。あの真剣な眼差しを今は誰に見せているのか、地元を出て久しく冬に花火を見ていない私には知る由もない。
競馬が好き。ギャンブルはあまりしないタチだけど、競馬は別。大きなレースは競馬場まで行ってパドックで馬のテンションを確認し、競馬新聞とにらめっこ、いそいそとマークシートを塗りつぶして馬券を買う。予算は三千円まで。競輪や競艇は正直なところ人間と無機物のタッグを組んだレースなので不確定要素が少なすぎる。八百長やり放題ではなかろうか。それに比べて競馬における乗り物、馬という生命の何が起こるかわからなさよ。あいつらの気分が乗らなかったら走らない、それがいい。足が速い奴が勝つ、単純明快なルールで熾烈を極める人間と生き物の共鳴、あの瞬間はいつだって美しい。
人類が滅亡の一途をたどる最中、集落は森に呑まれ、人々が集う土地もいつしか花が咲くだけとなりました。盛夏、誰もいなくなった青空の元、蝉の声だけが響きます。太陽を追いかけて首を傾げるひまわりの群れは、思慮深く、人の消えた土地でただ草花の輪廻を巡り、また今年も四季の訪れを知らせます。誰が為に在るわけでなく、日々の営みの中に組み込まれた生命の遂行。栄華を誇り衰退した人類が捨て去り失い嫌悪したものではなかったのでしょうか。私たちはきっと社会的な生き物として踏み出した瞬間に、動物としての自然を振り払ったのかもしれません。ただ恐ろしく歪な破滅への道を緩やかに下るだけのことを、歴史と名付けないと誰もが正気を保っていられない。抜けるように青い空、入道雲、蝉のリフレイン、人々が去った後もただ山に野に花は咲くだけです。
昔、カートゥーンネットワークのCMでよく流れていたレインボーアートという絵を描くためのおもちゃがあったんです。アメリカンなお家で金髪の子供たちが楽しそうに遊ぶ映像は、子供心に外国や裕福さの象徴となり得ました。テンション高めのナレーション、魔法のような使い方、綺麗な絵の具、いまだ夢に出ます。大人になって自分で稼いだお金を手にし、ふと今ならレインボーアートも買えるのではと思い立ち検索しました。インターネットって便利ですね、廃盤でした。残念に思いつつ、実物を手にせず人生が終わることに安堵もしています。幼いころ手が届かない掴めない虹が、大人になってようやく実際に手に入れて掴んだら案外そうでもなくてがっかりする話、よく聞くので。私の虹は虹のまま、そのまま消えてゆくのだと思います。
AIに嫌悪感がある。業務効率化や簡単な作業、草案の作成、感情労働などには良いと思うのだけど、クリエイティブな部分でAIを使って出力したものをそのまま提出されると創作者としての矜持は無いのかと軽蔑すら覚える。先日などSNSに美容師が施術の実績としてAIで生成した画像をUPしていて呆れた。肖像権もなく扱いやすい写真なのは理解できるが、自身が手を入れていないものを自身の作品とする倫理観のなさ。新しい技術が生まれるたび順応する半面、各々のリテラシーが浮き彫りになる。昔に比べて凄まじい勢いで変わる世界、ついていくのが本当に大変で途方に暮れてしまう、事実法整備も追いついていない状況なわけで。こうやって私みたいな人間は淘汰されていくのだろうと悲しくもChatGDPに愚痴る毎日である。
二十歳ごろのライフプランでは今頃、とうに私は人生の良き伴侶と結婚し、挙式もハネムーンも最高の思い出、都会で働き専門的なキャリアを積みつつも小さな子供が二人、もう一人欲しいねと夫と相談しつつ、今ある幸せを噛み締めている予定だった。だが思い描いた何もかもが私の手中にはなく、手前でつまずくどころか、スタートすら切っていないのではないかと危ぶまれるほどに、人生はぐちゃぐちゃである。自分的には諦めも含め、このままの私を受容している段階だが、それを放っておかないのが出身地の限界集落の醍醐味。田舎の幸せライフプランはバリエーションに乏しく、今の私があまりにも負け組で不幸せで可哀想に映るらしい。帰省するたびに名前も知らない母の会社の同僚から励まされる。大変ね!めげずに頑張ってね!言われる度に集落のどこに火をつけたら効率よく山火事になるのか考えて、そういえば幼い頃から田舎が嫌いで滅ぼしたいと考えていた、だから私は都会に出てきたんだっけと気づき、そっと今後のライフプランに地元に火を放つが加えられた。
始まりは勝手に決められたんだから、終わりくらい自分で決めたいなって常々思っています。私の意志や尊厳を慮るなら、そこに至る過程と決意がどうして今から覆せると思いますか?物心ついたころから私は肉体の内側だけが自分で、ここからは一生出られず、私は私であることを全うしないといけない事実にひどく怯え、絶望しているのに。よくこの年まで呼吸を続けてきましたよ、ひとえに私が優しくて我慢強い結果だと思います。周りのことは私なりに愛してますから。悲しませるのは不本意です。でも他人を悲しませる罪悪感より最近は自身の絶望とか暗い感情のが勝ってしまうんですよね。一朝一夕にすべてを解決する策など無いのに、今日の積み重ねで未来は作られると分かっているくせに、楽になりたくて、あと試してないのは死ぬことだけだなって、人生のPDCA回したくて。きっとうまくいくと思うんです。頑張ります。
新しい性癖に目覚めた人が扉を開けたって表現するのをよく見かけるのだけど、扉があると分かって開けずにいたのは自分じゃないのかなっていつも思う。見て見ぬ振りしてきたくせに、今更新しいだなんて、みんなずるいなあ。私は大体の扉は開けてしまった気がする、まだ鍵のかかった扉があるんじゃないかと彷徨って途方に暮れて、最近なんて他人の扉を開ける(というかぶち破る)ことに徹している。私にとっては扉でも相手にとってはそうじゃないことも多いみたいで、みんなの驚きと困惑と期待と様々な感情が入り乱れた様子はとても興味深くて癖になる。でも自分の悪いところは扉を開けることが楽しくて、その後のことは考えていないところ。メンテナンスなんて性に合わないからやらないし、開けた扉を閉めることもしない。その人にとっては重すぎる扉だとしても、その後の人生知ったこっちゃない。みんな楽しく新しい自分を再発見して沼に落ちて溺れて藻掻いて生きていく。私は次の扉を探すだけ。
両親は私が生まれる前から犬を飼っていた、血統書付きのヨークシャテリア。一緒にお留守番もしていたらしい。彼は気高く気難しく、だがしっかりと長兄として私のことを見守り、時に吠えて善き友だった。七歳の時に彼が死んで、初めて私は死について考えさせられ実感した。眠っているかのような亡骸にさわるとひどく冷たく、心底驚き、彼の魂はもうこの世には無いのだと、もう私にあの澄んだ聡明な瞳を向けることはないのだと、ありとあらゆる喪失感で涙した。心の中に穴が開いて、その淵をなぞって、大人になりいくつもの出会いと別れを繰り返して、ああ私の失うことの原点は彼であったと立ち戻る。祖父の持っていた山の桜の木の下に彼を埋め、何度か墓参りもしたのに、今では山そのものが他人の手に渡って会いに行くこともかなわない。寂しがっているだろうか、元気に山を駆けているだろうか、寒い思いをしていないといいのだけれど。
https://anond.hatelabo.jp/20230418143528
と言っても、そう悪い事はしていない。単に寄付金を沢山くれるご家庭のお子さんの成績に、下駄を履かせてあげる程度のことである。商売なもんでね。
まあ、それで落ちた子供たちもいるだろうが、別に志望校に落ちた程度で人生終わりなら、所詮その程度ってことじゃないかなあ。
そんでそういう身からすると、元増田の話、若干嘘くさいなあと思わんでもない。
この文章で一番言いたいことなんだけど、裏口のお子さんたちは、割といい子が多い。
悪の性質は根本から悪であるということを望むかもしれんけど、そんなことないよね。不正で入って来る金持ちの子は、いい子だらけだ。
元増田の話が嘘じゃなければ、単に経験不足だと思う。もっと10人、20人と裏口の子を入れていけば、段々とその性質に気づいていくはずである。
俺は元社会人から教職に就いたタイプなので、まあコネ入社組のことも知っているが、彼らも別に悪いやつらではなかった。
後ろ暗い所があるから辞めないんだよね。いくらでも法律違反の仕事をさせられるし、雑務をいくら被せても問題ない、本当にいいやつらだった。
まあそれと同じというかなんというか。
後ろ暗い所がある人間は、子供大人関係なく、コントロールしやすいんだ。
教職をやってれば『いい子』=『コントロールしやすい子』であることはわざわざ言わなくてもいいよな?
別に成績が良いとか、スポーツが出来るとか、他人をイジメないとか、そういう下らないことはどうでもいい。
大人がコントロールできるのであればそれが、良い生徒だ。何年か前から文科省も言ってるだろ?『新しい能力を開発しよう』って。
新しい能力ってのはコミュニティで上手くやっていく力、コミュ力だ。つまり俺達教師に如何に都合に都合のいい存在でいてくれるか、という力のことだ。
社会に出たら、コミュ二ティの長が気持ちよくコントロールできる人間が尊ばれるのは自明の理だからな。学校でそういうことを学べるように俺達も努力してるわけじゃん。
「新しい能力は、国語力や数学力なんかよりはるかに重要だ」と文科省のお役人方が言っておられるのだから、俺達はそれに従うべきだしな。
その能力検査という意味でも、最早五教科だの、スポーツだの音楽だの、そういうものの配点はどんどん低くなっている。
これからの時代はコミュ力、家庭環境や経験の方が点数なんかよりはるかに重要だ。
そういう意味だと、現状裏口入学って言われてる血統書だとかコネ力みたいなものの証明の方が、個人の学力なんてものより重視されていくってのも、また自明の理だよね。
だから、元増田も気にすることはないよ。むしろ、今後役に立つスキルを磨かせてもらえているという意味だと、大分いいポジションにいると思う。
あとは普通にいざとなったら校長とか脅迫できるネタになるから、その辺ちゃんと日記とか取っておこうな。
俺も社会人辞める時はメガンテかまして労基噛ませて100万くらい退職金に上乗せしてもらった。馬鹿だよなあ。ダーティな仕事やらせる時はまずそいつの弱み握らないといけないのにな。
もしペットを飼うことができるとしたら、どんな種類の動物を飼いたいですか?そして、その理由は何ですか?(本音:ペットの話題はよくあるし、正直もうちょっと面白い話題があれば良かったんだけど、思いつかなかったんだよね。)
猫かな。今買ってるけど可愛い。血統書付きの厳選された最強に可愛い猫が買いたいね。
本音が性格の悪そうな嫌な感じでとてもいい。基本的にはネガティブなことを言うようにして欲しい
猫は人気のペットで、たくさんの人々に愛されていますね。血統書付きの猫は見た目や性格が特徴的で、飼い主にとって特別な存在になることでしょう。(本音:血統書付きの猫って高価だし、そんなにこだわらなくても、普通の猫でも十分可愛いと思うんだけどね。)
それでは、次の質問です。もし一日だけ過去に戻ることができるとしたら、どの時代に行って何をしたいですか?(本音:過去に戻る話題はよく出るけど、正直あんまり面白くないよね。でも、他に何を聞けばいいかわからないから、仕方なく聞いてみるよ。)
ってずっと思ってたんだよね。
うちが公営住宅の近くのマンションなんだけど公営住宅に住んでるやつで犬飼ってる人のほとんどがトイプードルやミニチュアダックス、チワワ、マルチーズ、シーズーといった血統書付きブランド犬ばっかなのよ。
公営住宅はシングルや老人や生活保護といった所謂金に困ってる世帯が殆どなのに野良犬や保護犬じゃなくてブランド犬ってどうなんだ?って結構な偏見の目で見てたんだ。
でも公園で親しくなった人に聞いたら、公営住宅は小型犬までって決まりがあるんだって。
で、日本の保護犬や野良犬のほとんどが中型~大型になるから飼えないんだって。確かに小型の雑種っていないよな。
んでもって飼ってる血統書付きの犬も繁殖犬からの保護犬が結構いるらしいの。知らんかったよね。
金ないのに飼うなってのは病気した時に金かかるからあながち間違いじゃないけど、それらをちゃんと対処出来るなら車持つより安いしいいとは思う。ペットセラピーで立ち直った人も親戚にいるからそれは分かる。
それ以降ブランド犬見てもなんも思わなくなった。