はてなキーワード: 思考停止とは
https://x.com/OsanaiYama/status/1993083454028927206
小山内啓一
@OsanaiYama
「最初から映画にするつもりで長編をTwitter連載してました」って言われたとき、大炎上した100ワニと「だろうな」って受け入れられているちいかわ島編の違いはなんだろう、とか考えている
https://x.com/Euri_K/status/1993282448877302142
@Euri_K
何の後ろ盾もない作家の気ままな連載と思わせて、最初からメディアミックスしてないとおかしいタイミングでグッズや映画が発表された100ワニと、明らかに癖が溢れ出てるアカン世界観のSNS漫画が順を追って丁寧にメディア化したのとでは雲泥の差があるので、比較するのも烏滸がましい。
未だに「100ワニは最初からグッズ・映画化ありきで連載させた」って信じてる人が多くて驚く。
冷静に考えてほしいんだけど、「100ワニ以前にパッとしたヒット作が特になかった作家に、最初から映画化やLOFTコラボ前提で予算をつけて連載させる」なんて、あまりにも割の悪すぎるギャンブルだと思わないか?
企業がそんなハイリスクな案件に通す稟議書、どうやって書くんだよ。
2つ目のツイートの「最初からメディアミックスしてないとおかしいタイミングでグッズや映画が発表された」っていう点についても、全然おかしくない。
グッズ展開の早さに関して言うと、当時出ていたのはプリント系のグッズばかり。これらは版権絵さえあれば数日で量産体制が組める。新元号『令和』が決まった直後に、令和Tシャツが売られてたって話があるくらい簡単。
映画化発表の早さに関しては、連載途中でバズった時点で、水面下で大人が動くには十分な時間が数ヶ月あった。「映画化決定!」のプレスリリースを出すだけなら、脚本やキャストが決まってなくてもできる。
あと、「作者が『電通研究所』という名前のビル(広告代理店の電通とは無関係)の近くに行ってたっぽい→電通案件だ!」ってデマが拡散されたのも、まあ酷かったわよね。
(連載終了後のMVに電通の人間が関わっていたのは事実だけど、それは「バズったから後乗りで仕事として関わった」だけの話で、最初から仕組んでいた証拠にはならない)
あの作品の失敗の本質は、「連載終了=ワニの死の瞬間に、喪に服す時間を与えずアクセル全開で商売を始めてしまった」という間の悪さであって、最初から仕組まれた巨大な陰謀などではないと思う。
「電通の名前が出た=ステマだ! 悪だ!」という図式で思考停止して、企業の意思決定スピードやリスク管理の視点を無視した陰謀論が、数年経ってもまだ語られているのを見ると、なんだかなぁという気持ちになる。
「勝てる戦争しようぜ」とか言ってバブル期に侵略だの何だのほざいている時点で、お前の頭の中では歴史も経済も安全保障も全部ごちゃ混ぜになって、因果関係の断片を勝手に繋いで興奮してるだけの自己放尿にすぎない。
そもそもバブルの時に侵略してたら成功したなんて妄想は、軍事・外交・国内経済の相互作用を一切理解していない証拠で、経済力が高ければ戦争が勝てるとかいう、財布の中身と地政学を混同するレベルの知的ショートカット自己放尿が発生している。
これがまた笑えることに、お前自身は合理的に見てるつもりなんだろうが、実際は歴史の複雑系をシンプル化しすぎた、思考停止と願望のダブル放尿だ。
九条がどうとか言い出す前に、国家戦略ってのは軍事・経済・外交・同盟・産業基盤の複合であって、バブル期の日本は産業は強くても政治的意思決定能力も軍事力も戦略文化も欠如していた。
金だけあれば戦争勝てると思ってる時点で、自分の脳みその限界を認識できてない甘ちゃんだ。
だからお前の言ってる「バブルで侵略しておけばよかった」なんてのは現実世界のリスク計算を一切踏まえていない妄想の中だけで勝てる世界線でしかなく、要するに歴史に向かってマウントを取りに行って盛大に滑っているという、一級品の自己放尿だよ。
まあゴリゴリのレイプとかいうより、ある狭い界隈での権力勾配をフル活用した色ボケジジイに押し切られて、あとからやっぱおかしいと思いだしたという話
そのジジイの側も取り巻きに自分の正統性を訴える為にいろいろ言ってて、それが「ボクたちは愛し合ってた」とか「あっちから誘ってきた」みたいなベタベタなやつで一片の同情もわかない。
でも「被害者」のほうも「男が産めるのウンコだけ」とか言い出して、まあそういう関係の人が味方になってくれてうれしかったんだろうけど、客観的に見てあんま関わりたくない感じになってる。
「カウンターだから」とかいうのは思考停止だし、ネット男女論闘士になってしまったらそこでどん詰まりでしょ....とか言ったら即ブロなんだろうなあ。別にそれでも良いんだけど。
何も言わずに遠巻きに見守ってるのがいいのかな。
俺は、数年前まで中堅チェーンのドラッグストアで働いていた。 あの業界は、マジで「お客様は神様」を振りかざすモンスタークレーマーの巣窟だ。彼らは、店員を「金さえ払えば何を言ってもいい奴隷」だと思っている。
特にひどいのが、風邪薬やサプリメントの「効かない」クレームだ。 「この鼻炎薬、全然効かないじゃないか!金返せ!」と平日の昼間から怒鳴り込んでくるジジイが常連だった。
最初は「トラブルになるよりマシ」と平謝りして返金していたが、ある日、俺はぶち切れて、マニュアル外の「論理的鉄槌」を下すことにした。
いつものように「このサプリメント、全く効果がない。詐欺だ!」と喚くおばさんがいた。
俺は、一歩も引かずに、笑顔で言った。
「お客様、大変申し訳ございません。しかし、この商品のパッケージ裏をご覧ください。『効果には個人差があります』と明記してありますよね。また、この成分は、医薬品ではなく食品扱いです。お客様の『効果がない』という主観的なご意見だけで、科学的に証明された成分を『詐欺』と断定し、返金を要求するのは、契約不履行にあたります」
「契約不履行?何を言ってるんだ!」と顔色を変えるおばさんに、俺は畳みかけた。
「はい。お客様は商品の説明書に納得し、代金を支払うという売買契約を締結しました。もし、弊社の説明に過誤があったとおっしゃるのであれば、その証拠をご提示いただけますでしょうか?それができないのであれば、他のお客様のご迷惑になりますので、ご退出ください」
それまで、店員から「感情的な謝罪」しか受けたことがなかったクレーマーは、「法律と論理」という冷たい壁を突きつけられ、完全に思考停止した。
おばさんは顔を真っ赤にして、「もういいわよ!」と捨て台詞を吐き、二度と店に来なくなった。
大事なのは、「感情論に乗らないこと」だ。「お客様は神様」に囚われると、こっちも感情的になるか、卑屈になるかしかない。
でも、「これはビジネス上の契約であり、感情は関係ない」という一点で冷静に突き放すと、彼らはただの「ワガママを言う一般人」に戻る。そして、一般人は論理には勝てない。
現場で理不尽な客対応に苦しんでいる人は、一度冷静に「これは法的に、科学的に、どういう性質の取引なのか」を考えてみてほしい。そこから反撃の糸口は見つかる。お客様は神様ではない。対等な契約者だ。
芸能人格付け方式で知らせられずに目瞑って食ったらもう赤か青かなんて判別できないんじゃないかね
青唐辛子っていわれるだけでなんかうまそうだけどさそこで思考停止したらメーカー側の魂胆にむしり取られるだけなんよね
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251116225206# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRrVIgAKCRBwMdsubs4+ SLdoAQDHVV9N934WCOHm1t9saHoml65M5PbHbHiSphMu1o+FngEA6PnBTN7Shp0V /DDXIPI9O5lkALum4XmBM6Yi9BopcwI= =+H95 -----END PGP SIGNATURE-----
おう、よく聞け。
まず前提からして甘い。匿名日記が「聞く耳を持たない人ばかり」とか言ってる時点で、思考停止の自己放尿じゃねえか。
そもそも匿名で書くってのは、自分の考えを試す実験室なんだよ。読まれるかどうかなんて二の次。
自己満足?それもまた行動の一部だ。
政治的主張を吐くこと自体が無意味じゃなくて、その行為の中で自分の思考を研ぎ澄ませるんだよ。
行為=プロセスの価値を理解できないなら、ただの怠惰な自己放尿野郎だ。
匿名日記をむなしいと感じる奴は、結局自分の内面と向き合う勇気がないだけ。
耳を貸すかどうかは相手の問題であって、自分の行為の価値とは無関係。
とかなんかインターネット面白人間が集まるプラットフォームって時代によってあると思うんだけど今って何なんだろ
まあVTuberについていけなかった人間なのでみえててもわからないだけなのかもだけど……
# 追記
リモートワークをサボり装置だと思ってる時点で、お前の頭が昭和で止まって自己放尿してんだよ。
成果で評価されるべき時代に、顔を出してる=働いてる、と勘違いするその発想こそが、組織全体の生産性を腐らせる自己放尿なんだよ。
お前がオフィスで一日中座ってるその時間、他人はリモートで成果を3倍速で出してる。問題はどこで働くかじゃねえ、何を生み出したかだ。
始業ギリギリまで寝てようが、午後から海沿いのカフェで働こうが、納期を守り高品質なアウトプットを出すなら、それが正義。
逆に、満員電車に揺られて出社して、今日は資料の整理だけでした~とか言ってる連中のほうが、会社にとってはただのコストだ。
幸せを犠牲にして働くやつは、遅かれ早かれ燃え尽きて無能化する。
幸せを維持したまま結果を出すやつこそ、プロフェッショナルだ。
数字を出せないなら、口を閉じろ。
お前の読解力が氷点下なだけだ。論理はすべて文中に書いてある。
これを叫んでるだけとしか認識できないなら、経済以前に算数のリテラシーを疑う。
論理がないと言う前に、最低限の前提条件を読む脳を持て。
MMTの前提は自国通貨建て国債なら破綻しないだが、それは信用が持続する限りというただし書き付きだ。
信用が揺らげば通貨が売られ、為替が崩れ、物価が暴騰する。それを破綻と呼ばずに何と呼ぶ?論理とはこの因果連鎖のことを言う。
お前が論理的思考を放棄した耳で、現実の悲鳴をノイズとしてしか聞けていないだけだ。
そして最後に言っておく。論理がないと言う奴の9割は、自分が理解できない現実を前にして思考停止している。
お前のコメントは、理解不能を正当化するための自己放尿に過ぎない。
温もりがあるうちは気持ちいいだろうが、すぐに冷えて臭う。
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
管理する側も従業員の衛生管理とか意識の向上とかめんどくせえからな
とりあえず手袋つけときゃ清潔に見えるから良いだろという思考停止よ
衛生に関するルールも複雑化すればするほど実際にはやってられなくなるので、
一度ルールを守らなくても良いと学習したら、本当に守らないとヤバいルールも無視するようになる
実運用を無視してルールだけ作りまくると逆にルールを無視して良いというシグナルなってしまう
しかし飲食とはアホが作ってアホが配ってアホが管理してアホが経営する業態なので、そういうアホな話がまかり通ってしまうのであった
思いつきで努力に逃げる独身女性たちへ──資格と大学院は、崖から落ちる直前に読む「安全マニュアル」ではない**
しかも一人や二人ではない。やれ仕事で馬鹿にされているだのであまり難易度的にも高くない資格を取ったり、仕事をやめて夜間大学院に行く人間も見た。社会人前提の組織なのにシグナリングとして役立つとも思えない。
それにしても、あの一斉に同じ方向を向く感じ──どこかで見たことがあると思えば、
そこに向き合うのはつらすぎる。
だが、その実態はどうか。
だがそれは、部屋の電気を消したまま、
「目が慣れれば見えてくるはず」と言い張っているようなものだ。
努力は素晴らしい?
特に「努力さえしていれば私の人生は正しい」という自己正当化が始まった瞬間から、
痛みを感じなくしてくれるが、傷は深くなる一方だ。
たいてい20代のうちに取っている。
30代前半までに方向転換している。
マラソンのラスト1kmで「そろそろ準備運動するか」というレベルの珍行動である。
崖から落ちる3秒前に、安全ハーネスの説明書を読み始めるようなものだ。
「まだ間に合う」と言い聞かせることで、
宗教で言えば「祈れば救われる」と献金を繰り返す末期信者の構図そのものだ。
努力をしている限り、誰にも負けていないと信じたい。
これはもう、“成功”を求めているのではなく、
努力することに酔い、
努力の結果が出ないことすら「まだ努力が足りない」と自己責任化する。
そして最終的に行き着く先は、
資格は増えたが職はたいして変わらず、
「私は間違っていない」と言い聞かせながら年齢だけが増える未来だ。
救いはどこにあるか?
残念ながら、彼女たち自身が努力の麻酔を捨てない限り、救われる方法はない。
周囲がどれだけ助言しても、本人が信仰を捨てるまでは無意味だ。
そして今の彼女たちは──
努力しているのに報われないのではない。
ずっと言えなかったけど、飲食店のビニール手袋が苦手だ。清潔アピールなのはわかる。でも現場で見ていると、あれ「手を洗わないための免罪符」になってない?
レジ→スマホ→ドア→お釣り→同じ手袋でネギ刻む——みたいな流れ、何回も見た。素手ならぬめりや汚れで「やば、洗おう」ってスイッチが入るけど、手袋はその通知をオフにしてしまう。
・長時間で内側が汗ばむ→見えない不潔感が蓄積
・交換サイクルが客から見えない→「清潔」の根拠がブラックボックス
・「洗った/拭いた」が客から見える→信頼になる
結局、清潔って「儀式」じゃなくて「頻度×動線×見える化」なんだと思う。
手袋をやめろと言いたいわけじゃない。問題は「交換しない手袋」「どこでも同じ手袋」「客にわからない手袋」だ。
こうしてくれたら一気に好感度が上がるやつ
・交換回数カウンタや「交換したらポイ」の見える箱を置く
・「手袋は清潔のコスプレではありません」って小さく掲示(本音)
反論先回りコーナー
Q. うちは頻繁に交換してるけど?
A. それは最高。そういう店は本当に好き。問題は「交換しない/見えない」運用。客の不安はそこに宿る。
Q. 素手のほうが危なくない?
A. 鍵は「洗う頻度」。洗える導線が設計されているなら素手は強い。洗えない導線なら手袋が強い。要は設計の勝負。
A. もちろん否定してない。必要な場面で適切に「使い分け」してくれればOK。手袋は万能でも免罪符でもない。
まとめ:
ビニ手は安心のコスプレになりやすい。清潔はコスチュームじゃなくオペレーション。
「洗う・替える・見せる」をちゃんと設計してる店、もっと増えてほしい。そういう店は味も信用も強い。私はそういう店でお金を落としたい。
いや、そんな話あるか?って思うかもしれんけど、意外とこういう論調があるんよな。
「弱者男性は強い」「人間より優れてる」みたいな前提のもとで、「だったらさっさと降伏しようぜ」って言うやつが出てくるんよ。
でも、これってめちゃくちゃ危険なんだよな。
まず、「弱者男性が侵攻してくる」ってシチュエーション自体が謎やけど、仮にそうなったとしても、簡単に降伏するのはヤバい。
なぜなら、臣従する側は自分の意思を捨てて、完全に相手の支配下に入ることになるからや。
「弱者男性が善良だから大丈夫」って思ってるかもしれんけど、それこそ危険な発想なんよな。
権力を持てば人は変わるもんやし、どんなに優しい支配者でも、状況によっては冷酷になることもある。
あと、「降伏すれば助かる」みたいな考え方も甘い。
歴史を見ても、降伏した側が必ずしも良い待遇を受けたわけじゃない。
むしろ「お前ら、弱者男性に従ってればいいんだよ」って言われて、ずっと低い立場に置かれる可能性もあるんよな。
それに、もし弱者男性が本当に侵攻してきたとしても、それに対抗する選択肢を考えへんのは怠慢や。
「どうせ勝てないから降伏しよう」ってのは、ただの思考停止やで。
戦うか逃げるか、別の交渉手段を探るか、もっと戦略的に考えるべきやろ。
そもそも、「弱者男性が侵攻してくる」って状況自体、現実的にあり得るんか?
個々の能力が高いとしても、組織化せんと侵攻なんて無理やし、そこに至るまでの経緯がまったく想像できん。
結局のところ、「臣従しよう」っていうのは、楽な道を選びたいだけの思考停止やねん。
如何に自民や右派を叩けるかのエコーチャンバーで先鋭化していった結果、自分達は無謬と凝り固まってしまった。
意見が異なる思想の人物は愚かな極右と思考停止で排外し、微塵も理解しようともしない。
自分達こそが正義だからと自分達の姿に客観性が持てず、反省が出来ず、成長も出来ない。
必死に自浄を働かせようとする声もまだ僅かにあるが、殆どの人はこれまでも散々失望してきたんじゃないかな。
この人達が極右とした人達には中道も右派も極右も、何なら中道左派も居るだろう。
中国製を拒絶するネトウヨを屏風に描いて、あらゆる物が中国製品なのにネトウヨは馬鹿と貶した気になってる場合じゃないんだよ。