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2025-11-21

山上被告の答弁のニュースを聞いてて思ったこ

母親統一教会にハマってめちゃくちゃになった家庭をクローズアップしています


男性だってそうじゃないかという意見は認めます


女性は法に触れないだけで、暴力性などは男性とあまり変わらないなと思います

多額の献金のために経済的に困窮し家庭内がめちゃくちゃになりました。これは法的になにかに抵触することではないが暴力だなと考えました。

それはこの件だけでもなく、ネットによる女性発言でもわかります

自身安全確認しながらも、しなくていい”暴力”を振るっています

それは基本的関係ないものです。

政治におけるそれや、女性差別などは、多少なり(少のほうですが)関係はありますが、タレント不倫などはもう全く関係ないと言えます。あとはオタク気持ちさなど。

彼らに向けて容赦ない暴力を振るっております

厳密には法律で裁くこともできるのですが、大勢の人は見逃されてますし、それを見越しての暴力です。


男性だってそうじゃないかという意見は認めます


女性狡猾です。必ず安全を確保してから攻撃する。ただ、なかに性格能力から詰めが甘く馬脚を表していることもあります。そのおかげで暴力性が計測されました。

物理的な暴力はわかりやすく法に触れるので男性的な暴力は激減し、安全から女性的な暴力がもはやメインとなってます

それでいて「女性怖い」というと差別といってまた攻撃されてしまます安全から攻撃というのはこういうことでもありますカウンターが当てやすいのです。

山上被告母親法律には触れていないので現在統一教会信仰シャバに住んでいます山上被告殺人というわかりやす暴力のために逮捕されて裁判されている最中です。

頭の悪いことを言っています自覚しています。でも、そう思わずにいられないのです。

推し活とかで身の丈に合わない課金して、お金がない生活が苦しいみたいなこと言ってるやつは、統一教会献金しまくってお金がないって言ってるのと同じに見えるな。

オタクヒエラルキーポジションを得るために、馬鹿みたいにたくさんアクリルスタンド買って、本当は欲しくないグッズもファンから買わないとみたいな義務感で買って。

そりゃお金なくなるだろ。

2025-11-20

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(2) | 22:48

家族新興宗教にハマって困ってるなら、精神科入院させろ

信教の自由があるので信じてるだけじゃ入院できないが

山上母のように大金献金し始めたり、大金ではないにせよ生活資金に手をつけて献金し始めたり、とにかく異常な行動によって生活が危ぶまれはじめたら適応がある

手遅れになる前に入院させろ

山上母も医療と繋がってたら……と思わずにいられない

なんでこんな死にたいのか考えてみたけど解決しなかった

近頃、とにかく死にたい

毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫

でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。



仕事面白くないが、面白くないだけだ。

元々社福祉とか一次産業とかインフラとか配送業かに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミス死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。

からから金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービス下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだからいくらミスしても罪悪感はない。

だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいもの我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。

金銭や将来の不安職場人間関係悪化などがあって死にたいわけではない。

友人関係も悪いわけではない。

かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。

そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカス喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的ものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。

家族関係も悪くない。

父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎ニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟信仰押し付けはないもの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚強要したりする人はいない。

まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。

から半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。

恋愛関係はないし、それを後ろめたくも思っていない。

増田Xジェンダー、リスロマンティック、アセクシャル三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアル人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。

幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。

から恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。

趣味はある。

増田創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。

また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人創作物をしゃぶりつくしたり、自分表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。

これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。

これと言ったトラウマもない。

いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボール執拗ボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。

クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいついじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。

「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒教師毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。

カースト中の下だった傍観者クラスメイト大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかトラウマと呼んでもいいのかもしれない。

それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスター憂さ晴らし虐待していた。弱いものさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。

それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしま制御不能に陥ったり、暴力脅迫支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているもの人格割れしま解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。

けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。



仕事趣味、友人、恋愛家族趣味過去

人生構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分人生自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

増田には確固たる自己があり、誰にも侵食されていない。

私は私だ。

なのに何故こんなにも死にたいのか。

胸を打つこの衝動は何か。

線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。

思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さなのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。

自己不安定な時期など、とうに過ぎていると言うのに。

自己、ああ、そうだ。この自己だ。

この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。

この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。

本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?

友人と上手く付き合うことが出来ない?

両親の愛着が足りなかった?

恋愛が怖くて最初から諦めている?

趣味が実質逃避になっている?

過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?

幸せになろうとすること全てにブレーキをかけてしまっている?

全ては結果に過ぎない。

最初存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。

死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。

嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまたからだ。

増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。

こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。

その化け物を飼い慣らすことだけが増田の今の全てを形作っている。

仕事や友人の選び方、楽しめる趣味思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。

そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。

全ての嫌なことに原因は、増田自身だった。

そう、気がついてしまった。

両親、友人、そして過去の思い出は、一般的社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。

全ては結果なのだ

思えば最初から物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。

その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。

両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。

友人が「増田人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。

増田いじめて泣かせたクラスメイトが「だっての子最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。

先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。

「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。

そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。

よく覚えている。

それらは全部、増田おかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。

そして増田自身も、困っていた。

ただ、それだけだった。

よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。

からみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなた自分を守るために、増田人生破壊されないために、必要距離だろうとも。

でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。

私は私と一緒に生きていくのが疲れた

そして私は、その内側の化け物から距離を取れない。

みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。

ずっと近くにいる。

ずっと隣にいる。

剥がしようもなく側にいる。

趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。

本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。

文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなた危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。

依存で、中毒で、全然褒められたようなものじゃない。

厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。

衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。

自分は化け物だ。

人間じゃない。

人間になんかなれっこない。

必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。

その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。

人間になんか、最初からなれっこなかった。

増田は自らの意思人生選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。

好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。

全部全部こいつのせいなんだよ。

化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。

私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。

両親を困らせたくなかった。

クラスの子と上手くやりたかった。

いじめられたくなかった。

ハムスターだって死なせたくなかった。

恋愛が怖いと思いたくなかった。

趣味だって昔は運動が好きだったはずだ。

仕事だって人の役に立つ誇らしい仕事がしたかった。

友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。

なのに全部できない。

全部全部、壊すのは増田だ。

私なんだよ。



死にたい

もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。

何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。

増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。

どんな声かけも慰めも麻酔も、虚しいばかりだ。

それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。

恩を仇で返したくない。

そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。

無理に結婚子育てをしていなくて良かった。

死んではいけない理由を作ってしまっていなくて良かった。

それは誰かを不幸にするから

愛されないまま死んで忘れられることだけが増田にできる唯一の社会貢献だ。

せめてそれだけはさせてほしい。

許してほしい。

ごめんなさい。

まれてごめんなさい。

2025-11-15

国民民主党本部ペーパーカンパニーから献金を受けた疑いがある

国民民主党が、株式会社GHRTという企業から100万円の献金を受けた件。

詳細は、窮鼠氏の書いたnote記事を参照。

「【全文無料】イエロー・マネー ~「調査報道」初心者が追う、国民民主党の巨額献金元の正体~ 」

記事の内容を要約すると、次の通り。

2025-11-13

anond:20251113214128

何の悪びれもせず教育費より献金の方が大事だって言うんだもんな

こいつも産まれちゃいけない人間だろ

dorawiiより

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anond:20251112134750

企業献金を是としてるから

献金出来る企業なんて、そこそこ大きな企業しかない

その企業だけを優遇してたら、言わずもがな

票より献金を取った政党の末路

2025-11-11

anond:20251111151059

でも宗教指導者に大量の献金と引き換えに宗教的権威を得るって歴史上よく行われてなかった?教皇献金とか。

インドはそのへん高潔すぎるの?

dorawiiより

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2025-11-08

思いつきで努力に逃げる独身女性たちへ 資格執着と宗教

思いつきで努力に逃げる独身女性たちへ──資格大学院は、崖から落ちる直前に読む「安全マニュアル」ではない**

35歳を過ぎて急に資格大学院に走る独身女性がいる。

しかも一人や二人ではない。やれ仕事馬鹿にされているだのであまり難易度的にも高くない資格を取ったり、仕事をやめて夜間大学院に行く人間も見た。社会人前提の組織なのにシグナリングとして役立つとも思えない。

それにしても、あの一斉に同じ方向を向く感じ──どこかで見たことがあると思えば、

新興宗教の“集会”と雰囲気がやけに似ている。

現実は厳しい

キャリア頭打ち婚活下り坂。

社会残酷だが、数字は正直だ。

そこに向き合うのはつらすぎる。

から彼女たちは“努力”を神棚に祀り、

努力している自分」への信仰を深める。

だが、その実態はどうか。

大学院進学という名の高額な「免罪符」。

資格取得という名の「現実逃避儀式」。

勉強している自分に酔いしれ、未来が明るいような気がする。

だがそれは、部屋の電気を消したまま、

「目が慣れれば見えてくるはず」と言い張っているようなものだ。

努力は素晴らしい?

いや、努力は時に思考停止の道具になる。

特に努力さえしていれば私の人生は正しい」という自己正当化が始まった瞬間から

努力は“麻酔”に変わる。

痛みを感じなくしてくれるが、傷は深くなる一方だ。

資格学位が本当に必要な人は、

たいてい20代のうちに取っている。

キャリア出口戦略を描ける人は、

30代前半までに方向転換している。

35歳から突然エンジンをかけるのは、

マラソンラスト1kmで「そろそろ準備運動するか」というレベルの珍行動である

もっと辛辣に言えば、

から落ちる3秒前に、安全ハーネス説明書を読み始めるようなものだ。

「まだ間に合う」と言い聞かせることで、

間に合わない現実直視しない。

から資格校だけは儲かり、本人は貧しくなる。

宗教で言えば「祈れば救われる」と献金を繰り返す末期信者の構図そのものだ。

しかも厄介なのは彼女たちが努力中毒になっている点である

努力をしている自分価値があると信じたい。

努力をしていれば人生右肩上がりだと信じたい。

努力をしている限り、誰にも負けていないと信じたい。

これはもう、“成功”を求めているのではなく、

現実から逃れる方法”を求めているのだ。

努力することに酔い、

努力しているフリで自分を守り、

努力の結果が出ないことすら「まだ努力が足りない」と自己責任化する。

宗教と同じ構造じゃないか

そして最終的に行き着く先は、

資格は増えたが職はたいして変わらず、

学歴は増えたが人生は豊かにならず、

「私は間違っていない」と言い聞かせながら年齢だけが増える未来だ。

救いはどこにあるか?

残念ながら、彼女たち自身努力麻酔を捨てない限り、救われる方法はない。

周囲がどれだけ助言しても、本人が信仰を捨てるまでは無意味だ。

努力人生を変える道具だ。

だが、努力信仰に変えた瞬間、

その努力未来を閉ざす毒にもなる。

そして今の彼女たちは──

努力しているのに報われないのではない。

努力を“逃げ場”にしているから報われないのだ。

2025-10-31

anond:20251031130014

なるほど、意図がよくわかりました。

あなたが言いたいのは、「もし情弱ビジネス的な構造宗教の中にあるとすれば、それは信者を増やすことを目的とする宗教に現れやすい。ユダヤ教そもそも布教目的にしていないから、そういう構造とは無縁だ」

ということですね。

まったくその通りです。あなたの指摘は非常に的を射ています

ユダヤ教本質的に「布教宗教」ではありません。

たとえばタルムード・イェバモート 47aでは、改宗希望する人に対してまず三度止めるよう教えています

これは「ユダヤ教を選ぶのは重い責任と掟を受け入れることだから、軽い気持ちではだめだ」という意味です。

また、ユダヤ教では「義人である異邦人ゲルトーシャブ)」も神に受け入れられる存在とされ(参照:バビロニアン・タルムードサンヘドリン 105a)、全人類ユダヤ教徒になる必要はないと考えます

まりユダヤ教信者を増やすための仕組みを持たない宗教です。

そのため「情弱ビジネス構造不安を煽って加入を促し、献金依存を生む仕組み)」とは本質的に異なります

ユダヤ教倫理観では、商取引宗教行為も「エメト(真実)」と「ヨシャル(誠実さ)」に基づくべきとされますミシュレー〔箴言11:1「偽りの天秤は主に忌み嫌われる」)。

anond:20251019215416

なんかガチ食口ぽい人が阿部令子持ち上げnote書いてたよ

「何か困っていることはない?」「きれいな目をしているわね。」勉強の面倒や悩みの相談にのってくれる優しい先輩たちに、ビデオセンターと呼ばれる統一教会建物に連れて行かれると、グラス音楽流れる暖かい雰囲気ホームに迎え入れられ、あたたか食事でもてなされます。「アンケートに答えてくれない?」「姓名/手相 見ましょうか?」アンケート貯金資産を調べられ、家系図を書かせられ、隔離された空間教義ビデオを見て、3日間の修練会と7日間の合宿に参加し、文鮮明夫妻を「お父さま、お母さま」と呼ぶ統一教会信者である食口(シック)になると、「氏族メシア」になるため、「地上天国」の実現のため、「経済献金)か生命献身)か愛」を捧げるよう迫られます銀行借り入れまで財産を捧げ尽くすと、「ホーム」の共同生活睡眠食事プライバシーに至る全生活監督されながら、駅前若者たちを伝導したり、1日3万円のノルマで物売りや募金集めに個人宅や会社訪問してまわります

https://note.com/happywomen_jp/n/n98dace446e1a

2025-10-27

anond:20251026142140

あれはね

振り込め詐欺ポンジ・スキームに苦情した奴が捕まんの

官僚利権国防献金とって特攻兵を続出させて生命保険営業を助けんの

法律がカネ以外のためにあるわけないじゃん

2025-10-22

高市内閣が発足 第104代、初の女性首相 自維連立「決断前進」ってふざけるな

高市内閣が発足 第104代、初の女性首相 自維連立「決断前進

いやいや、早速、企業団体献金廃止は「先送り」してるやん

政治とカネ問題も即決できないような奴に明るい未来はつくれない

2025-10-20

給付

減税?

団体献金禁止

比例の削減?

するわけないじゃ〜〜んw

2025-10-16

国民民主党本部ペーパーカンパニーから献金を受けた疑いがある

国民民主党が、株式会社GHRTという企業から100万円の献金を受けた件。

詳細は、窮鼠氏の書いたnote記事を参照。

「【全文無料】イエロー・マネー ~「調査報道」初心者が追う、国民民主党の巨額献金元の正体~ 」

記事の内容を要約すると、次の通り。

「石破政権だったら離脱なかった」 公明斉藤代表単独インタビュー 聞き手笠井哲也2025年10月15日 6時30分 朝日新聞

 公明党斉藤鉄夫代表が14日、朝日新聞インタビューに応じ、自民党との連立政権離脱の経緯と今後の対応を語った。「石破政権だったら離脱はなかったと思う」とした上で、選択夫婦別姓の導入をめぐり自由に動いていきたい」と強い意欲を示した。

(略)

「人事ではない。基本姿勢を問うている」

 ――自民裏金問題に関わった萩生田光一氏を幹事長代行から外す人事が仮に行われていたら、離脱判断はどうなっていたか

 

 変わらなかったと思う。萩生田氏の話は聞いていない。党首会談の際に自民鈴木俊一幹事長が「不記載問題で我々の人事が」という話をされたから、「私たちは人事のことを言っているのではない。基本姿勢を問うている」と返した。

 

 その後、「これから起こる不祥事に対しては厳しく対応する」とも言われた。自民側は裏金問題は決着がついていると考えていると感じた。

 

 ――夏の参院選大敗後、続投表明をした石破茂首相斉藤氏は「支える」と述べていた。仮に石破政権継続なら離脱はなかったか

 

 石破政権では自公と立憲民主で3党党首会談もやった。石破茂首相企業団体献金問題に非常に積極的姿勢をとっていた。政権が続いていたら、新たな政策協議もなかったわけで、連立離脱はなかったと思う。

 

(略)

https://digital.asahi.com/articles/ASTBG4FS0TBGUTFK004M.html

2025-10-12

未だに「自民党員の支持」を言ってる高市シンパ居るけど

それのどこまでが統一教会組織票で、

それのどこまでが裏金献金買収なのか区別付けられるの?

公明党が言ってるのはそういうことだと思うんだけど

裏金問題なんてどうでもよくない?正直さ

そう思っていた時期が私にもありました。

で、前、タイトルの様な事をいったところ、袋叩きにあったのでその記録である

要するに

政治家個人政党は得をするが、社会や国が損をするのでダメ

ということだね。

あかん理由ゴミを売りつけられる

本当は性能などであかんのに政治家に金を払ったことでゴミが導入されてしまうこと。

典型手例はロッキード事件ロッキードL-101とDC-10。当時の田中角栄ロッキードから金をもらってL-101買ってしまったと言う話。

このロッキードの機体はここまで世界中手段を選ばない拡販を下にもかかわらず、ライバルDC-10に対して半分しか売れず、日本以外でも問題になってロッキード旅客機から撤退している。

要するにゴミを売りつけられたわけだな。

また当時、ロッキード日本では軍用機等の共同開発も進んでいて、この汚職によって全部吹っ飛び、酷いことにあなった。

あかん理由一般人無駄な金を払わされ迷惑する

国の規制というのは良くも悪くも色々な理由があり、規制緩和することは議論があるが、

やってはならんのはある企業だけは規制を厳しく、ある企業は緩くするみたいなのはやってはあかん。これは競争を歪めるからだ。

これが大問題になったのがロッキード事件ロッキード株式を利用して便宜供与し、インフラ事業に参入しようとしていたリクルート社に色々な便宜を図ったり、不動産開発リクルート系だけ規制を解除させたり、当時最先端スーパーコンピュータを妙に安く払い下げたりとやりたい放題を行った。

本当は競争が正常に働いてより良くなるはずだったのに妙なものができあがり、さら行政規制パワーでそれを使うしか無い状況に追い込まれ一般人が損をするというわけだ。

あかん理由反社がのさばる

反社会的連中が政治家と繋がると、政治家が持っている忖度させる力が暴走してしまう。

その影響力を背景に摘発を逃れたり好き放題される。

これで大問題になったのが佐川急便事件な。佐川急便を通して反社から金が流れており、反社側は銀行から不正融資を受けたり、総会屋として好き放題やったりとやりたい放題だった。

これはドストレートに、金丸が5億円献金を受けた一方、不正融資5200億円とかとんでもない損害が出てる。

一般人より政治家の方が敏感何故なぜ?

これは、大小様々あるものの、政治家にはこの手の話が沢山持ちかけられるかららしい。

なので、無制限に乗っかると社会ヤバイと言うのは肌で感じるからだそう。

にもかかわらずそれに乗っかる奴は正真正銘悪人か、自分では善人でそれは必要悪だと思っている歴史を学ばない愚者かどっちかで、だから厳しいのだそうな。

anond:20251011232843

山口と菅・岸田 自公連立はこの人間関係でもってたんだよ

石破になっても辛うじてもってた

統一教会との癒着や 裏ガネが露見するたびに

山口=菅・岸田ラインがなんとか調整して連立を守り 政権を国政を安定させてきた

山口が退任して斎藤は 創価学会佐藤浩青年部婦人から突き上げられてたが

「進次郎が総裁選に勝ったら 政治資金規正法ちゃんと変えます!」

「県連か党本部以外は 献金受けられないようにします!」

「その代わり自公維連立させてくれ!」

と菅は約束 斎藤はそれを承知してた

だがそれが 麻生を焦らせた

麻生は 議員政治団体派閥献金受けられる仕組みを守りたかった

もっというと裏ガネをつくって子分に撒く 派閥の仕組みそのもの

それで決選投票とき 麻生派が進次郎から早苗にごっそり移動した

結局自公の連立解消は 麻生派と旧安倍派が派閥のカネにこだわったか

悲惨なのは自民衆議院議員

公明の援護なくなりつぎつぎ討ち死にする

選挙に勝てる総裁を選んだつもりが逆の結果になった

2025-10-11

公明党連立離脱したということ

まず公式理由は「企業団体献金規制自民党に求めたけど、自民党が『これから検討する』としか言わなくて不十分だった」ってことになってる。26年間も一緒にやってきた連立をいきなり解消するには、正直弱い。

集団的自衛権の時とか、もっと公明党の支持者にとってヤバい案件あったのに、その時は離脱しなかったわけで。

記事読むと斉藤代表が「全国の党員から自民党不祥事説明することに疲れた』という声を聞いた」「地方議員も含めて限界がきている」って言ってる。これ結構重要で、つまりトップ勝手に決めたんじゃなくて、現場から突き上げがあったってこと。

公明党っていうか創価学会組織って基本的戸別訪問とか電話作戦とかの地道な選挙活動で成り立ってるわけで、その現場の人たちが「もう無理」って言い始めたら、執行部も動かざるを得ない。

で、なんで現場疲弊してるかって話なんだけど、まず参議院選挙で負けてる。記事には詳細書いてないけど、公明党にとって関西特に大阪は「常勝」って呼ばれるくらい伝統的にも絶対に負けられない場所

そこで敗北したってことは、組織としてのアイデンティティが揺らぐレベルの衝撃だったはず。

なんで関西で負けたかっていうと、一つは維新存在がある。維新って大阪地盤で、「改革」「既得権益と戦う」みたいなイメージを前面に出してるわけ。公明党本来は「クリーン政治」「庶民の味方」みたいなポジションだったんだけど、自民党と組んでる限り、維新の方が「本物の改革政党」に見えてしまう。

しか支持層結構被ってる。都市部庶民層とか、改革志向の人たちとか。若い世代創価学会2世3世にとっては、維新の方が分かりやすくて流れてもおかしくない。

それから統一教会問題。これ記事では明示されてないけど、絶対関係してる。2022年安倍元首相事件以降、自民党統一教会関係がめちゃくちゃ問題になったわけで、創価学会っていう宗教組織政党が、別の宗教団体癒着してる政党応援するって、どう考えても説明しづらい。

しか統一教会って霊感商法とか家庭崩壊とか、女性被害者が多い問題を起こしてきたわけで、選挙活動の実働部隊である女性会員が「もう説明できない」ってなるのは当然だと思う。

政治とカネの問題も続いてる。記事だと「選挙後も秘書略式起訴」とか書いてあるけど、要するに自民党がずっと同じような不祥事を繰り返してて、公明党は毎回それを弁明する役回りになってたわけ。

で、自民党は「すでに決着済み」みたいな態度で、改革する気があんまりない。公明党からすれば「もう擁護できない」ってなる。

もう一つ大きいのが、池田大作2023年11月に亡くなったこと。池田氏って創価学会にとって絶対的なカリスマで、「池田先生が決めた自民党との連立路線」っていうのが、どんなに現場が不満でも続けざるを得なかった理由の一つだったはず。

それが亡くなって、カリスマによる統制力が弱まって、現場の声が上に届きやすくなった。だから疲れた」っていう声が執行部を動かすことができたんじゃないかと思う。

あと組織高齢化問題もある。創価学会の熱心な会員って高齢化が進んでて、若い世代はそこまで熱心じゃない。

2世3世は親の代ほど池田氏への帰依心がないし、「なんで自民党応援しなきゃいけないの」って疑問を持つの自然選挙活動する人が減ってるし、動員できても士気が低い。そういう構造的な問題が背景にある。

自民党側にも変化がある。昔は二階みたいな人が自民党内で力を持ってて、公明党との調整役をやってた。二階は親中派でもあるから日中友好を重視する公明党とは価値観も合ってた。

でも今は二階派の影響力が落ちて、高市早苗みたいな保守強硬派が台頭してる。高市氏は対中強硬だし、安全保障でもタカ派公明党が党内で意見を言いにくくなってるし、橋渡しをしてくれる人もいない。

立憲の野田が「公明党をげたの雪みたいに扱った」って言ってたけど、たぶん本当にそういう空気があったんだと思う。

じゃあ公明党は今後どうするのかっていうと、記事を見る限り「完全に野党になるわけじゃない」って感じ。政策ごとに賛否判断するし、「人物本位政策本位で応援できる地域もある」とか言ってる。これ裏を返せば、地域によっては自民党とも協力するし、野党とも協力するってこと。

維新との連携もあり得るし、立憲との部分的な協力もあり得る。かなり柔軟にやっていこうとしてる。

自民党はどうするかっていうと、新しい連立相手を探さなきゃいけない。一番現実的なのは維新大阪地盤で、改革志向だし、自民党イデオロギー的にも近い部分がある。

ただ維新にとっては悩ましい選択で、連立に入れば政策実現のチャンスが広がるけど、「既得権益と戦う」っていうイメージが崩れる。統一教会問題とか政治とカネの問題とかも引き継ぐことになるし、支持者から自民党と同じになった」って批判される。

もし維新が連立に入ったら、公明党関西維新攻撃する立場になれる。「維新既得権と手を組んだ」「大阪を裏切って東京政権にしがみついた」みたいに。

公明党は「常勝関西」で維新に負けたわけだけど、今度は維新を「既得権側」に追い込んで、自分たちは「クリーン改革政党」のポジションを取り戻そうとしてるのかもしれない。

維新創設者橋下徹がどう判断するかも重要。橋下氏は頭がいいから、公明党が仕掛けた罠に気づく可能性もある。「連立に入るな、大阪を守れ」みたいに言うかもしれない。ただ今の維新執行部がどこまで読めてるかは分からない。

参政党っていう選択肢もあるけど、議席が少なすぎて自民党の連立相手としては役不足国民民主党現実的選択肢だけど、連合との関係もあるし、公明党の完全な代替にはならない。

結局のところ、公明党連立離脱は表向きは「政治とカネ」だけど、実際には複数の要因が積み重なった結果だと思う。常勝関西での敗北、維新の台頭、統一教会問題での説明疲れ、池田氏の死去、会員の高齢化自民党保守化現場から突き上げ

これ全部が同時に起きて、もう限界だってなったんだろう。

そして戦略的計算もある。このままズルズル自民党と組んで選挙で負け続けるより、一回離脱して「我々は自民党とは違う」って差別化した方が、組織を立て直せるんじゃないかって判断短期的には政権から外れるけど、中長期的には組織を守れるし、場合によっては数年後に有利な条件で復帰することもできる。

公明党が使ってきた「与党でないと政策実現できない」っていう論理を、今度は維新が使うかもしれないのも皮肉な話。維新が「公明党は26年間、政権内で改革してきた。その方式を我々が引き継ぐ」とか言い出したら、公明党反論しづらい。

政権内では改革できない」って言ったら、自分たちの26年間を否定することになるし。でも数年後に維新が同じ問題で苦しんだら、「だから言ったのに」って公明党正当化される。時間軸での勝負なんだよね。

これは単純な「政治改革への決意」じゃなくて、組織の生き残りをかけた高度な戦略的判断だったんじゃないかと思ってる。表向きの理由と実際の理由が違うのは政治ではよくあることだし、複数目的を同時に達成しようとしてる感じがする。対外的には「クリーン政治」、対内的には「もう説明しなくていい」、対維新的には「罠を仕掛ける」、対自民的には「舐めるなよ」みたいな。

まあ結果がどうなるかは今後次第。維新が連立に入るのか、公明党が支持を回復できるのか、自民党がどうなるのか。ただ確実に言えるのは、26年続いた自公連立が終わったのは日本政治の大きな転換点だってこと。しばらくはゴタゴタするだろうし、次の選挙が本当の試金石になると思う。

とりあえず「政治とカネの問題だけで離脱したんでしょ」って理解してる人がいたら、もうちょっと複雑な事情があるってことだけ。

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