2025-10-14

VTuberアンチは甘えられない人間が多い理論

VTuberが嫌いだ。人気商売チヤホヤされ、知名度のために好きでもないゲーム適当プレイし、投げ銭乞食してオタクに甘やかされるVTuberも、甘やかすオタクも嫌いだ――そんな人間は少なくないだろう。承認欲求のためにコンテンツを消費し、義務的配信をし、それを崇めるオタクのなんたる不毛さだろうか。自分もかつてそう思っていた側である

今や自分VTuberオタク、いわゆるV豚と揶揄される側だ。人間何が起こるか分からない。Vを好きになった経緯については後述するが、ではなぜVアンチだった自分オタクになったのか。また、どうしてVアンチはVが嫌いなのだろうか。

持論だが、Vアンチは甘えることで成り立たせるVTuberという存在の在り方が嫌いなのだと思う。なぜならVアンチは甘やかされる人生とは無縁であり、簡単人間性を認められず、どちらかと言えば愛されることとは真逆人生を送っているかであるそもそもVTuberとはアイドルと同じく人気商売であり、チヤホヤしてくれる人間いるから成り立つ商売である。どんなに底辺のVだろうが応援するオタクがいて、本人のモチベや資金が尽きない限り、Vはオタク無償の愛を貪ることが出来る。つまりアンチ的な言い方をすれば「無償の愛を受け取るためにゲームなどのコンテンツを消費するバケモノである。言ってしまえば赤子と同じように「可愛いから」という理由だけで愛されるVが、努力結晶とも呼べるゲームコンテンツタダ乗りしているから嫌いなのである。要するにVアンチが苦労している生活の中で、VTuberたちはただただ甘えて不労所得で生きているように見えるのだ。

Vアンチ孤独だ。ゲーム関係の知人やネットフォロワー二次元キャラを愛すことはできても、リアルの知人とのコミュニケーションが上手い人間は僅かだろう。あるいは家庭環境が良好とは呼べず、受験勉強面で厳しく育てられ、甘えることを許されなかった人間。そんな努力が報われなかった人間が、甘えを仕事にして生活しているVTuberを好きになれるだろうか。「作品が汚れる」「好きでもないのに語ったり人気目当てでゲームするな」というのは建前に過ぎず、Vアンチは【努力しているのに報われなかった己の存在否定するためには、タダ乗りで人気を得ているVを認めることはできない(=惨めな自分を認めることになる)】なのではないかと思う。

自分がVを好きになれたのは、初めから完璧前世持ちの企業Vだからではない。上手く行かなかった社会人時代経験し、精神を病むほど苦しみ、Vとして新たな人生を得たことで立ち直れた「人間らしいV」だからである。今やアニメキャラらしさのあるVは減り、RP二の次内面を出すVが多い。我々は不思議なことに匿名の方が自我を出すことが出来る人間(Twitterで叩ける人間の大多数はこっちだろう)だが、それはVも同じである。どうせ絵()だとしても、不思議なことに匿名からこそ滲む人間性がそこにあるのである。これはVを好きになった人間しかからないことだが、中の人の顔も知らない存在からこそ、本人から出てくる話題に耳を傾けたくなるという部分はあるだろう。自分は顔出しで活動する半分生身のVが未だに苦手なのだが、俳優キラキラアイドルが同じように雑談をしても刺さるか分からない。しかし、Vは元一般人のVが大半だ。どこかしらの分野で上手く行かず、しかし声という分野で更に承認されたい「まだ上手くいってない側」の存在なのである。もちろん登録者数3桁万人の企業Vであれば例外だが、基本的にVは皆現状に満足していない存在である。中にはVアンチ諸君と同じく、ずっと認められない存在でい続けた結果、せめて承認されたい気持ちでVを始めた一般人も多いはずだ。

配信が盛んになる昨今、今や配信者やVはあらゆる人間が「なれる」時代であるいくらでも人気商売ができる世間からこそ、Vだからと言って無条件に叩くのではなく、まずは己を大切にし、Vを叩く理由を紐解いて己のコンプレックスに向き合った方が良いのではないだろうか。お金に困っているのなら投げ銭は腹が立つし、甘えられなかった幼少期を過ごしたのなら「生きてるだけでえらい!」は理解できないし、厳しく育てられた人なら甘い生活は許されなかっただろう。自分が満たされないのに、満たされる人間なんか見ていられるわけがないのだから

Vアンチの皆、自分を大切にしてほしい。それていつか自分が心から共感できるVと出会ますように。

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