はてなキーワード: 乞食とは
例えば、スキーとかスノボをやりに雪山へ行くじゃないですか…😟
で、リフトに乗ってて思うんです
どうせ数日後にはまた西東京の喧騒に戻ってるんだろうなあ…、って…
これは幻想なんだ、夢みたいなものなんだ、単なる現実逃避なんだ、
このまま帰りたくない、って思える人はまだ幸せというか、
どうしたって絶対帰らなければいけない、そんな旅費に恵まれてるわけじゃないし、
家に戻れば、王様が乞食になったようなガッカリ感ってあるじゃないですか
ちょっと高いホテルに泊まったとき、なんか部屋の都合がつかなくなって、
一部料金返してくれる上に、親族の中で俺だけ一人部屋になっちゃったときの、あの解放感…😟
親戚はみんな複数人で宿泊しているのに、俺だけ個室を自由に使えて、
深夜の大阪を勝手にブラブラ歩いたりして、まあ、その後に怒られたんですけど…😟
誰もいない遊園地みたいなイベント施設、ちょっと怖かったけど、面白かった
深夜目が覚めてしまって、急に外をぶらつきたくなって、ふらっと外に出て冒険してきた感じ…
で、ホテルに戻ってくれば、そこそこ高級感があるホテルだし、なんかちょっとセレブっぽいじゃないですか
すべては数日の夢なんですよね
髪がパサついた剛毛癖毛おばさんが「何万もかけてるんだよ!」
とか、「多大なコストと労力をかけないと『そう』なれないひと」が文句言ってくるんだろう
自分がした努力やコストって「その人のもの」であるから価値があるのであって
それを男側にかぶせた瞬間、醜悪な乞食テイカーになり果てるのは客観的に見ればわかると思うんだけど
男が痩せ巨乳が良いってのは女が高身長マッチョが良いって言うのと同じの「だったらいいな」願望だし
髪の毛にそこまで金掛けないんで良いんだよ、っていうのは、高い電動髭剃り買わなくても、替え1枚刃で剃れば、知識と技術さえあれば綺麗になるでしょって同レベルなんよな
ともかく女はこういう自分がした努力やコストを他人に被せるクセがあるので、意識したほうが良いと思う。
幼さの象徴だし、同じ幼いなら金や労力かけずに綺麗な若い女に行くのは道理だと思うので。
じゃあ2度と女体乞食するなよ
VTuberが嫌いだ。人気商売でチヤホヤされ、知名度のために好きでもないゲームを適当にプレイし、投げ銭を乞食してオタクに甘やかされるVTuberも、甘やかすオタクも嫌いだ――そんな人間は少なくないだろう。承認欲求のためにコンテンツを消費し、義務的に配信をし、それを崇めるオタクのなんたる不毛さだろうか。自分もかつてそう思っていた側である。
今や自分はVTuberオタク、いわゆるV豚と揶揄される側だ。人間何が起こるか分からない。Vを好きになった経緯については後述するが、ではなぜVアンチだった自分がオタクになったのか。また、どうしてVアンチはVが嫌いなのだろうか。
持論だが、Vアンチは甘えることで成り立たせるVTuberという存在の在り方が嫌いなのだと思う。なぜならVアンチは甘やかされる人生とは無縁であり、簡単に人間性を認められず、どちらかと言えば愛されることとは真逆の人生を送っているからである。そもそもVTuberとはアイドルと同じく人気商売であり、チヤホヤしてくれる人間がいるから成り立つ商売である。どんなに底辺のVだろうが応援するオタクがいて、本人のモチベや資金が尽きない限り、Vはオタクの無償の愛を貪ることが出来る。つまり、アンチ的な言い方をすれば「無償の愛を受け取るためにゲームなどのコンテンツを消費するバケモノ」である。言ってしまえば赤子と同じように「可愛いから」という理由だけで愛されるVが、努力の結晶とも呼べるゲームやコンテンツにタダ乗りしているから嫌いなのである。要するにVアンチが苦労している生活の中で、VTuberたちはただただ甘えて不労所得で生きているように見えるのだ。
Vアンチは孤独だ。ゲーム関係の知人やネットのフォロワー、二次元キャラを愛すことはできても、リアルの知人とのコミュニケーションが上手い人間は僅かだろう。あるいは家庭環境が良好とは呼べず、受験や勉強面で厳しく育てられ、甘えることを許されなかった人間。そんな努力が報われなかった人間が、甘えを仕事にして生活しているVTuberを好きになれるだろうか。「作品が汚れる」「好きでもないのに語ったり人気目当てでゲームするな」というのは建前に過ぎず、Vアンチは【努力しているのに報われなかった己の存在を否定するためには、タダ乗りで人気を得ているVを認めることはできない(=惨めな自分を認めることになる)】なのではないかと思う。
今自分がVを好きになれたのは、初めから完璧な前世持ちの企業Vだからではない。上手く行かなかった社会人時代を経験し、精神を病むほど苦しみ、Vとして新たな人生を得たことで立ち直れた「人間らしいV」だからである。今やアニメキャラらしさのあるVは減り、RPは二の次で内面を出すVが多い。我々は不思議なことに匿名の方が自我を出すことが出来る人間(Twitterで叩ける人間の大多数はこっちだろう)だが、それはVも同じである。どうせ絵()だとしても、不思議なことに匿名だからこそ滲む人間性がそこにあるのである。これはVを好きになった人間にしか分からないことだが、中の人の顔も知らない存在だからこそ、本人から出てくる話題に耳を傾けたくなるという部分はあるだろう。自分は顔出しで活動する半分生身のVが未だに苦手なのだが、俳優やキラキラのアイドルが同じように雑談をしても刺さるか分からない。しかし、Vは元一般人のVが大半だ。どこかしらの分野で上手く行かず、しかし声という分野で更に承認されたい「まだ上手くいってない側」の存在なのである。もちろん登録者数3桁万人の企業Vであれば例外だが、基本的にVは皆現状に満足していない存在である。中にはVアンチの諸君と同じく、ずっと認められない存在でい続けた結果、せめて承認されたい気持ちでVを始めた一般人も多いはずだ。
配信が盛んになる昨今、今や配信者やVはあらゆる人間が「なれる」時代である。いくらでも人気商売ができる世間だからこそ、Vだからと言って無条件に叩くのではなく、まずは己を大切にし、Vを叩く理由を紐解いて己のコンプレックスに向き合った方が良いのではないだろうか。お金に困っているのなら投げ銭は腹が立つし、甘えられなかった幼少期を過ごしたのなら「生きてるだけでえらい!」は理解できないし、厳しく育てられた人なら甘い生活は許されなかっただろう。自分が満たされないのに、満たされる人間なんか見ていられるわけがないのだから。