はてなキーワード: 紅白とは
ほぼ確実
半々
幾田りら - 百花繚乱(薬屋のひとりごと)
ほぼない
Vaundy - 再会(光が死んだ夏)
Vaundy - 走れSAKAMOTO(SAKAMOTO DAYS)
映像は鬼滅はほぼ確実につきそう
明け星(TV版無限列車OP)を除くと鬼滅関連曲のときは全部ついてた覚えあるので
それ以外は歌われたとしても映像つくかどうかは半々かな
ファンとして、めちゃくちゃうれしい。実力を本番で発揮できるよう祈っている。
それと同時に very surprising であった。
実力と曲の当年の浸透進捗度は十分にあるとは思っていたけど、女性アイドルで実力があっても出られなかった例、ふるっぱーなどがよぎるから。
で、イコラブと きゅーすと のファンの人たちは選出に文句を言う。言いたくなる気持ちはわかる。納得してもらうということではないし煽りたいわけではないけどまず、倍々FIGHT!ほど、浸透度が上昇した曲は出せたか、と。そこの点では上回るのは難しいのではないか。次にそれらの人たちはこれまでは動員とかCD売り上げとかが重視されていたはずでは、と言いたくなる可能性も高い。過去は過去、今年は今年。曲の浸透進捗度を重視して一組選ぶというのがあってもよいはずだし、NHK側の選好の変化と倍々FIGHT!の浸透進捗度の高さが、たまたまマッチしたということかもしれない。そのたまたま、の機会は平等だったと思う(煽りたいわけではない)。たまたま論で補足すると倍々FIGHT!はメンバーの思想もかなり入っているわけで、アーティストとのリンク度合いは強く、それが浸透したというのは、ある角度からみれば必然ともいえる。今年でも来年以降でも例えばイコラブが、曲の浸透進捗度、動員、CD売り上げすべてでトップとなったとして、不祥事などマイナス面もなかった、なのに紅白出演ならずということであれば、ちゃんとXで異議コメントをするつもり。
今や紅白ラッパーであるR-指定がフリースタイルバトル全国大会であるUMBを前人未到の3連覇しレジェンドとなった、その前2011年、2010年を2連覇していたのが晋平太だった。2010年のR-指定VS晋平太は歴代ベストバトルとの呼び声も高い。
晋平太はフリースタイルをHIPHOPという文化からスポーツにした最初の世代だったからだ。
KrevaやMC漢、般若らが鎬を削っているころ、フリースタイルバトルはラッパーとして音楽活動している連中のある意味での売名の場、ある意味での腕試しの場だった。クラブでライブをやっている連中の余興として、コミュニケーションとしてのサイファーの延長線上。
お互いの音楽性を並べて比べ合う、アーティストとしてのラッパーの力比べの場。
なので当時はPUNPEEやNORIKIYOといった楽曲系のラッパーも多く参加していた。
KrevaがB BOY PARKで当時の基準で圧倒的な押韻力で三連覇し殿堂入り、その後揺り戻しとしてフロウ、ヴァイブス系が盛り上がり、フリーなスタイルであるはずのフリースタイルバトルの"型"が見えてきた。その"型"を真正面から攻略しに来たのが晋平太だった。
実のところ晋平太も地元でクルーを組んでおり、今本当に頭角を現している「フリースタイルをするためにフリースタイルを始めた世代」とはまた違ったHIP HOPにルーツを持つラッパーだったのだが、しかし活動範囲は小さくそして何よりフリースタイルに真摯だった。
Krevaの押韻と般若のヴァイブス、この両方を磨き上げたフリースタイルバトルのためのフリースタイル。これが圧倒的に上手かったし、なにより圧倒的に努力してきた。
しかしHIP HOPの中のラップが音楽である以上、フリースタイルがうまくて強いことは評価対象ではなかった。むしろ碌な楽曲もないのにフリースタイルがうまいからって調子に乗るなという見方のほうが強かった。
また普段自分たちが築き上げてきた"音楽"をぶつけあう場に一生懸命練習してきたラップを持ってくるのは無粋だというストリート的発想にも反していた。喧嘩をするのに練習してくる奴がいるか?ダサくないか?そういう文化と晋平太は真っ向からぶつかった。
そして晋平太のようにフリースタイルに"勝つために"フリースタイルするフリースタイラーが増えた結果、楽曲系のラッパーはフリースタイルの場を去っていった。もうこれはHIP HOPではない。HIP HOPとフリースタイルの決別だった。
その後、様々なラッパーが韻踏むだけのラップはラップじゃないといったフリースタイル、フリースタイラーのDis曲を発表するなど断絶は強くなった。そして晋平太はその象徴として蛇蝎のごとく嫌われた。お前みたいな奴が増えたからバトルはつまらなくなったとバトラーからも叩かれた。
しかし晋平太は愚直にフリースタイルを極め続けLEGENDとなった。
その過程で仲間が増え、楽曲もリリースし、フリースタイルを一般に開放したフリースタイルダンジョンでは初の全制覇を果たし、Youtubeでフリースタイルバトルの解説をはじめその楽しさを世に広め、一般社団法人日本ラップ協会を設立し小学校への出張授業などを通じてラップの楽しさを世に知らしめ続けた。
彼がいなければR-指定が今ほど有名になっていたかはわからないし、高校生ラップ選手権が盛り上がったかもわからないし、そこからさまざまなスターが生まれなければ、現在のラップスタア誕生があったかもわからない。
ラップ暗黒期をフリースタイルバトルという方向から支え続けた一人として間違いなく名前が挙がる人物だと思う。
愚直すぎる性格ゆえに心のバランスを崩してしまい、療養中に亡くなってしまった晋平太。
多くのラッパーが弔意を示した。多くの人が早すぎる死を惜しんだ。
R.I.P