はてなキーワード: SEEDとは
だからさあ、無印のSEEDでキラはラクスと出会って「人」から「神」になったんだよ。
でもSEED FREEDOMではその神の座から引きずり下ろされて「人間」に戻っちゃってるんだよね。
で、神としての圧倒的な力と人間としての卑小な悩みが渾然と表れているのが
無印の「やめてよね……本気で喧嘩したらサイが僕に敵うはずないだろ」とか言ってた頃に戻ってんだね。
キラは再び神としての地位を取り戻して、マイストの裁きの雷により不埒者を断罪して一件落着。
わかる?
SEEDの中身がないとかお前なかなかキツいこと言うな
でも実際SEEDは内容ひどかったですよね
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。
まあ結局、これが現実ですよねえ。
内容なんてほとんど関係ないと言わんばかりのイチャモン付けに過ぎなかった。
SEED DESTINYで賛否(と言っても名作が生んだ反響やキャラファンの争い)に便乗して上記の残党が仕掛けるも、少数先鋭になった事で過激になり過ぎて大手掲示板から追放の嵐。
その後は二次創作サイトに集まって自分達の批判が正しい前提のアンチ小説を作り承認欲求を満たす日々(この期間で原作と自作のアンチ小説の設定がごっちゃのモンスターが誕生)
別の作品の放送が始まってファンの目がそっちに行った隙に批判が多数であった様な印象操作・既成事実作りに励む。中にはまとめサイトのライターの中に紛れ込む者も。
そして今現在へ・・
やっぱりガンダムオタクの中でも宇宙世紀のガノタが異常過ぎると思うんだよな
例えば試しにSEEDと比べてみても、ストーリーやキャラクターを語る際の真面目さが段違い
宇宙世紀ガノタはシャアの行動の全てをアムロやララァ個人への執着で終わらせ、シャリア・ブルが一方的なジャッジで殺すのは当然だとして愚弄する。
「悪いのはアル・ダ・フラガだけなんだろ」「関係ない人間を巻き込んだ時点で問答無用でクズ」で済まされるんだろ?
シャアと同じ声のデュランダルも「女に振られた逆恨み」で済まされ、「代わりの女を見付けてそっちと付き合えばよかったのに馬鹿」と愚弄されてたんじゃね?
キャラの行動原理を全て個人の家庭環境等に矮小化して物事を単純化したがる。
現時点の他のガンダムで言うと
閃光のハサウェイが3.6とかです
単純な平均点じゃないらしいですが
あと放映が終了してしばらくしてからアマプラに追加されるような作品はそもそもファンしか見ないからか評価高い感じで
さらに当時の感覚とズレてる気がします(制作期間の足りなさが如実に現れてたSEED Destinyが4.6だったり、OOと鉄血はよく話題に上がるのに完全スルーされたりするAGEが4.2だったり)
毎週のようまとめスレでアホほど叩かれていたのを覚えているよ。
当時はガンダムに興味がなかったけど、より興味を持ちたくないというか近寄りたくない存在だった。
だから「ジークアクスや水星はマシ、我慢しろ」みたいな話はしたくない。むしろマシになったかもしれんが過去見てさらに反省しろよ、としか言えない。
今回の乃木坂云々で嬉々として馬鹿みたいに駄作論を語り、それらを拡散していた現状は当時のまとめ記事と同じ匂いがする。
ビギニング公開初日に「ぶっ〇すぞ!」って怒鳴った観客がいたらしいが、ぶっ〇すべきは制作陣ではなくてこういうただ単に叩きたいだけのアホだろ。はよこういうやつをぶっ〇しにいけや。
ガンダムを壊しているのはガノタだったと、振り返ってみて思った。