はてなキーワード: アイシテルとは
ベルリンの、秋だった。
穏やかで大きな家が立ち並び、お行儀よくベンツが玄関先に停まっている。
道路は日本における未開の地、名古屋のように広く、礼儀正しく整備されている。
空がひらけている。
彼は相変わらず、といってもその時は初対面だったが、眉尻の下がったあまりにも優しい世捨て人のような風貌で、パンクな黒いパーカーを着ていて、手をあげ、私にやあという合図をした。
彼はたぶんそれをどこかで気にしていて、同時に気にしていないと私は思う。
今、二人が出会ったことを思い起こすと、その時から3週間は経っているのに、胸が張り裂けそうで、ただ喧しいくらいの大きな声で「アイシテル」と叫びたい。まるでサンボマスターのボーカルの人みたいに。愛してる、フロ。愛してる、愛してる、愛してる…。
そのくらいに彼は衝撃を、私の人生を大きく変えた人だった。
彼は本当に誠実だった。真摯で、当然ヨーロピアンさながら紳士で、真剣すぎるくらい真剣で神経質だ、人生の事柄に対して。
愛している。
私がアプリで彼に寝ようと誘った。
彼は、後から聞いた話でいえば、ただ友達として出かけたかったので、面食らったと言っていた。
それでも彼は、パンクな骸骨の描かれた、着古した彼の黒いパーカーを着てやってきた。彼は27歳なのだが、そのラフな歩き方、なんて可愛らしいんだろう。
さて、なぜ彼がそんな尻軽な女の面食らわせてきたメッセージに応じてのこのこやってきたかといえば、もう簡単だった。答えは、「僕は日本の女の子が本当に本当に好きだから…」だそうである。幸あれ、フロリアンの天国。
そうして私たちはルドウの夜に邂逅した。今は彼を深く愛している、しかし、私はその時彼を愛していなかった。
暗い、暗い地方の闇夜だった。小さいガス灯を思わせるオレンジの道路灯が目に滲んだ。幼いころ、行楽から帰る首都高速の、父の運転する後ろからまなじりに涙を溜めて眺める首都高の街灯みたいに。私は、ただ地方のような広く、文化的に浅く、人の暮らすただの町にいた。(ルドウは正しくは村だ)
そしてベルリンのマツモトキヨシであるDMドラッグストアの前にいた。23:45。シャッターは降り、背後にはバス停が寂しく光り、完全に町は休息して沈黙していた。
今、私の股から男の精液が零れ落ちる。私は先ほど過ちを犯したばかりだ。さあ、今、書かなければ。私を、ルドウにこのパソコンが連れて行ってくれる。繋ぎとめて。フロリアン、フロ…。しかし不義を犯した女に彼を呼ぶ資格などない。ああ。
そうして私たちは、ルドウを歩き始めた。
散歩がよかった。そしてそれを伝えた。
彼は非常に控えめな口調で自分が散歩を愛していることを告げた。
私たちの英語は拙かった。フロリアン、あなたはドイツ人なのにね。(ドイツ語と英語は非常によく似ている。)
愛している。ああ、繋ぎとめて…。
さて、我々は拙い英語のようなものを駆使し、日本について話した。彼は日本の庭園が好きだと告げた。
侘び寂びの話をした。
ルドウの秋の道が流れていく、私たちの歩が進む度に。私は非常に感嘆の声を上げ、何度もルドウという町を称賛した。
私たちは寝た。
そして寝た男女の例によってピロートークをした。
翌朝私たちは新しい白い朝、ルドウの退屈さを前面に押し出したみたいな住宅街の朝を歩き、彼はその時に私に伝えた、ルドウに生まれたんだ、と、そう言った。
そうだ、いい調子だ。パソコンとキーボード。そうだ、私たちは寝た。
我々は非常にアニメの話で意気投合し、彼は私を気に入った(ように見えた、少なくとも。)
そしてふっと、道が交差点になったところでフロリアンが言った。僕の家はここから歩いてすぐなんだ。
私は彼のお眼鏡に適ったようだ。喜んでお受けし、我々は本格的にルドウの住宅地の画地に割き入りこんでいった。
彼の家は普通に平屋でびっくりしたのを覚えている。あ、普通に実家?!と。
部屋に上がる。玄関にハリウッド映画で見たアメリカの居間のようなものが広がっていて恐縮した。似顔絵がある、おそらくフロではない誰か家族の…。バラ。活けられている。奥に見える暗い、秩序と富を感じるキッチン。
フロはいきなりキスをするようなことはしない。彼は真摯なのだ。
そのため我々はお馴染みのオタク的ゲーミングPCの前に、ゲーミングチェアによっかかり、当たり前にYouTubeを広げ、検索語句を伝え合い、タイプし、そして、たまに肘を触れ合わせ…。きゃあ。修学旅行のイケてる男女みたいだ。ははは。
そしてやっぱりときめいてしまう。あなたを愛している。好んでいる、かな、正しくは。
話はお互いの好きな音楽ジャンルの話になり、移り、成り、そして宴もたけなわになった。彼はふとベッドを見、ベッドに腰掛け、私はベッドにあったぬいぐるみを彼から受け取り、ぬいぐるみの鼻で彼の鼻にキスをした。彼は大変可愛らしく笑い声を立てた。ふふっ。そう、顔は笑顔だった。ああ、フロリアン。
そして一度ハグし、それから…。ああ、私は自分の取ったアクションしか仔細に書いていないではないか。
フロリアンには強い、強いエンパシー(共感性)がある。私は共感する力はとても弱い。
おそらくフロリアンだったらもっとこの文章を違う風に書けただろうなと思う。しかし、私は書いている。今、私は書いているのだ。
トラウマが目の前を歩いてよこぎる…。垂れゆく精液…。ああ、ああ。嘆かわしい。
しかし私には私の視点でしか思い出すことはできない。恐縮だ、ご容赦あれ。
私たちはそ…っと、本当に自然に、風のように、しかし照れくさく、春風のように、期待を孕んでキスをした。直後めちゃくちゃ口臭が気になって、私から頼み込んで歯磨きを二人して始めた。なんて滑稽な。
満を持してキスをする。交わされる腕。彼の口元は本当にふんにゃりと湿っていて心地が良く、性感において気持ちがよかった。要はキスがうまい質の口に生まれついていた。
彼は全身全霊をキスという言語で伝えるかのように私を愛した。本当に、驚異的な宇宙が彼の中と、二人の間にこだましていた。
そして私が横たわりたいと言った。
二人は横になった。フロリアンが私にまたがり、彼が心をキスで満たし、伝える。私は口臭を気にしながら、少しづつ応える。息が上がっていく。
彼は自分から私の服を脱がせなかった。なぜかはこうして今になっても分からない、不可思議だ。
しかし彼は私の背中にそっと手を差し入れ、円を描くようにさすった。私は感じた。
我慢ができなくなるまでそれは続いた。
卑怯な言い方だったと思う、だがまあ、私は問うた。何かしたいことはない?あなたがしたいこと、なんでも、私は叶えたい。
すでにその時彼のことを大分好ましく思っていた。
服脱ぐ?と彼は言った。愉快な話である。
私がオーダーし、彼が私の服を脱がせた。スカートとパンツは自分で脱いだ。
ああ、私はとても眠い。
寝ようと思う。
私たちは愛し合った。
そして翌日の飛行機でももう何もかもをかなぐり捨てて彼を、おそらく彼も、昨夜ってやつを反復した。舌で、心の目で、何度も、何度も。何度も何度も。
私は、もう彼に恋に落ちていた。
そして私は彼に付き合いたいと迫る。
彼は私に愛を返そうとし、しかしいろいろな私の自分勝手さに嫌気がさす。
私は自分を見つめなおす。
私の新しい、喜ばしい生が彼の作品として私が生き続ける間続く。
彼に連絡先をブロックするように話し、それは実行される。
私、男友達と寝る。
でも、おいしいものを食べて、生きていくよ。あなたが生命をくれたから。
愛してる。
完
少年が男児を殺害するという事件を描き、被害者・加害者それぞれの家族が掘り下げられる作品
だが少年の背景が大きく変わる
原作では少年は、「不審者が出没するから子供は行くな」と言われている公園に入って、見知らぬ男に強姦されている
痴呆症のBBAの世話が辛いとかそんなんでむしゃくしゃしてたみたいなオリジナルエピソードがあったような(うろ覚え)
原作の少年は、あれだけ親や教師にやるなと言われた行動でレイプされたのは自業自得だし恥ずかしくて誰にも相談できず性被害を1人で抱える
親への態度はよそよそしくなり心配されるが、気づかれてしまうかもしれないと怖くて家にも中々帰らなくなり野外で時間を潰す
男児は好き放題に甘やかされていたため、小さい子とはいえかなり暴言がひどい
年の離れた姉が、男児ばかり甘やかされている酷いことばかり言われる、いつかトラブルになると何度もブチギレていたが母は甘やかし続けた
小さい子相手でなにもわからんだろうと、少年は家に帰りたくない親とどんな顔して話せばいいかわからないみたいな内心を吐露するが、
男児は暴言で少年の地雷を踏みまくり、少年はカッとして男児を殺めてしまう。
少年への性被害問題が隠れやすいことや、溺愛が子のためにならないことなどもテーマの原作だったがそこらへんがドラマじゃ消える
そこを取り上げられないならこの原作を選ぶなよ
現在映画館で公開中のKING OF PRISM -Shiny Seven Stars-通称スッスッスの4章というか12話のクライマックスが気持ち悪い!オエー!って話。
自分勝手なショーをしてしまったと謝罪するシンを大多数の観客が許す中、泣き続けている数人の観客を見つけたシンは泣きながら更に謝罪し、泣いていた観客がそれを見て拍手でシンを励ますシーン。
これはプリティーリズム・レインボーライブ45話でヒロが謝罪するシーンに似せているように思う。45話でもヒロのことを許せずに泣いていた観客は居たかもしれないが、それは描かれていない。あのとき描かれなかった少数の人たちにも目線を向けたシーンのつもりなのかもしれないが、ここがすごく気持ち悪い。
泣いている観客を5人も登場させて5人全員に拍手させるところが本当に気持ち悪い。1人だけならまだ「そういう人も居る」で済ませられたかもしれないが、サンプル数が増えるとプリズム洗脳こわ…となる。泣くほど怖い目に合わせてきた奴がちょっと泣いて謝ったくらいで5人中5人が即許しちゃうのか?シャインのショーより怖い。
最寄りの映画館の一番早い回が応援上映だったから応援上映で観たのだが、このシーンでみんな拍手しなきゃ!みたいな空気になったのが本当に無理だった。わざわざシンを許せない少数派を映し、その人たち全員がシンを許してしまったことで、拍手したくない人間の感情は画面の中から締め出されてしまった。
こうして心が離れた状態でエーデルローズ生7人のショーを見て更に心が冷えていく。
プリズムワールドから切り離され、プリズムのきらめきが失われた世界に観客の応援がきらめきを取り戻す…というのは現実世界におけるキンプリとファンの関係を表しているのだと思う。観客が歌いだすのはキンプリ最初のライブイベントで観客がドラマチックLOVEを歌ったところから着想を得たのだと思うし、このシーンに限らずキンプリは作中の観客と映画館の観客を重ねるような演出が多い。
あの場で初披露された新曲をいきなり完璧に歌える観客たちを自分だと思えていたら感動したのかもしれないが、あの世界の一般人と現実の我々には差がありすぎるのであれらを自分だと思うことはできない。あの世界の一般人はスタァたちのステージに立つまでの苦悩を知らないし、私はあの世界でスタァとして活動している彼らをほとんど見ることができていない。私だってなれるものならあの世界の人間になってオバレの冠番組観たい。握手会行きたい。朝までカラオケしたい。
きらめきが復活したステージでシンたちはキンプリ制作陣がファンに向けているような感情を観客に向けるのだが、作中の観客は私じゃないし、キンプリ制作陣はシンたちじゃない。制作陣とファンは割と長い付き合いなのでハジメマシテからアイシテルまでの責任を取ろうとするのはまぁわかるのだが、作中の彼らがあんな重いことを誓うほど人々を愛する動機がわからないので突然何言い出したんだこいつらという感想しかない。ここまでのシーンで感動できていたら説得力を感じられたのかもしれない。
しまいにはプリズムアフレコ字幕で観客にまでなんか誓えと強要してきた。嫌だよあんなの読み上げるの。あなたとは結婚したくありません。
それはそうと制作陣=セプテントリオン、作中の観客=現実の観客とすると、あいつら過去に監督の暴言等で傷ついた人たちは謝ったらみんな拍手してくれると思っているのか?なめてんのか?画面の端に「マジなめんな」って入れるのが面白いと思ってる人間のことなんかいつまでも嫌いだよ!謎を明かしながら新しい謎増やしてんじゃねーよ!なんだったんだよ翼とかトラチとかゼーレとか!いつかガンダムの監督やって欲しい!
シャインのショーは好きだし、週替わりの笑劇場は観たいからまた映画館に観に行くけど、あの一連の寒いシーンも観ないといけないのかと思うと気持ちが沈む。
カリスマYouTuberヒカルの“ネットセクハラ”を被害女性が告白 | 文春オンライン
〈お前は俺の奴隷。わかった?〉〈調教おねだりしてみろ〉〈俺のためにえっちな写メ送れ、見てあげるから〉みたいなクッソ気持ち悪いDMを送っていた模様。
これでファンがどういう反応をしているかというと「女もノリノリでエロ写真を送ったのにいまさら被害者ヅラしてヒカルが可哀想」みたいなのばっかり。
いやあ類は友を呼ぶというかなんというか、アホの周りにはアホが集まるから無敵なんだな。
女の子から人気になろうと思ったら一途とか真面目じゃないと本来はあかんはずやのに、
俺のファンは一夫多妻がいいとか公言しても
それでも好きでいてくれて俺の個性を認めてくれるから
なんていうか器が広いというか、
優しいというか理解力あるというか、
アイシテル— ただのカリスマ (@tadanokarisuma) July 28, 2018
350グラムとりたいよ、でも全く愛せない。
ラーメンのもやしとか本当に邪魔。麺かと思って食ったらおめぇかよ感ひどい。
新鮮な野菜はおいしい、とか全く思わない。実家の畑でとれたトマトとかきゅうりとか生で食べたらぴりぴりイガイガして食べられない。酵素。酵素ぴりぴり。
じゃがいもカボチャたちはほくほくすぎてのどがつまる。味以前。
葉物はどれも食べても食べなくても特になんとも思えない。小松菜、ほうれん草、わさび菜、みず菜、どれもなんの感情もない。栄養なきゃ食べません。
根菜類、比較的まし。ごぼうもにんじんもれんこんも地味に生きてきてそれに共感してるのかもしれない。食物繊維サンキュー。
ねぎ類は食材の位置付け。ねぎ、にら、たまねぎオールOKアイシテル。
香草類はハーブです、オールOK好きすぎるアイシテル。みょうが、しそ、しょうが、エシャロット、にんにく、派生のしその花、谷中しょうがなんかもアイシテル。
当年とって三十と一歳、立派に中年に向けて歩を進めている私がこよなく愛するものがビールである。いや、ビールで無くても良い。発泡酒でも新ジャンルでも、第二第三第四…第nといくつ増えようとも構わない。麦をベースにしたしゅわしゅわした飲み物さえ手元にあれば、毎日は素晴らしいものになる。お財布への攻撃力を勘案すればnは大きい方が良いとさえ言えるが、ただし「味が好みである」という前提条件を満たしておらねばならない。
そんな我が家のスタメンは「麦とホップ」(以下、麦ップ)であるが、最近は懐のさみしいビール好きに向けた戦略か、やれ季節限定だ、やれ自社栽培ホップだと、各社様々なビール系飲料を出しており、スーパーの店頭はよりどりみどりのぴっちぴちである。そんな限定っ子と目が合ってしまうと、こうしちゃおれん、これは飲まないかん、と頭が渦巻いて、気がつくと籠に6缶パックを入れていて、気がつくと帰宅していて、ちょっとしたおつまみなどいそいそと用意している次第である。そして家人と350mLを分け合い、この子は苦いばかりでいまいちである、この子はなかなか見所がある、等と評価を下し、気に入った子は継続して我が家に招く。しかし限定商品の悲しさで、やがて彼らは店頭から儚く消えていく。そうなると麦ップにふたたび腰を据え、次なる限定っ子の登場を待つのである。
そんな生活に珍客がやってきた。家人から、私宛ての荷物が届いたのである。ずっしりと重たい段ボールの中には恭しい化粧箱。開くと、果たしてビールが入っているーぴっかぴかの、モノホンのビール様である。しかも店頭では見た事の無いような、ネットショップ限定数量限定地域限定、限定尽くしのラインナップ。家人に喜びの抱擁をお見舞いした事は言を待たない。しかもこれが数回あり、かくして我が家の冷蔵庫では麦ップを押しのけて、豪華絢爛だがいささかクドい面子の御ビール様方が鎮座ましましている。
味はどの御方も流石、どれもこれも個性的で文句なしに美味しい。しかし、生来の貧乏性が災いして手を付ける事を躊躇ってしまい、なかなか減らない。ネットショッピング大好き人、兼レアモノ大好き人な家人は、ビール類をこよなく愛する私を想って「なんか超すごいスペシャルにゴキゲンなやつ」を探し出して贈ってくれた訳だが、いざ飲まんと心に決めた週末ぐらいにしか開栓できない。平日寝る前にチョト一本だとか、日曜の昼下がりにデーゲームを見ながらだとか、そんな身の入らぬ飲み方では礼を失していよう。そして私は、そんな風な飲み方をしたくなる事がしょっちゅうあるのである。適材適所、ハレとケを使い分けようとすると麦ップばかりが消費される訳で、黄金色の空き缶で一杯になった資源ごみの袋や、冷蔵庫で泰然と出番を待つ御ビール様方を見る度に、家人に対して後ろめたい心持ちになる。貧乏性ですまん、麦ップに逃げてすまん。御ビール様方にも、週末はちゃんと貴方に合う肴を用意するから、今しばらくお待ちを、と語りかけるのであった。
鬱陶しい文章をここまで我慢して読んでくださったはてなー諸賢にはもうお分かりだと思うが、これはつまりのろけである。オットサン、アイシテル。あと、最近出たサッポロのホワイトベルグがなかなか美味だったので、是非お試しください(ステマ)。