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2025-11-20

anond:20251120115709

昔読んだ自伝本には家には自室がなくて居間勉強してたとか書いてあったけど貧乏ってわけでもないんだろうし色々変わってたんやろな

2025-11-11

いま

すいません。今、居間に居ません。合間に大麻睡魔曖昧になり、松明を買いました。

2025-11-04

名古屋主婦殺害事件容疑者気持ちについて

26年の時を経て解決した名古屋主婦殺害事件だが、容疑者被害者旦那さんの同級生ということだった。

動機に関しては、まだ詳しく報道はされていないが、片想いから何度かトラブルがあったということだ。

知人ではあるので当然捜査線上には上がっていたとは思うが、26年間その中に隠れられていたのは、最後旦那さんに接触した大学時代20歳以降は長らくなりを潜めていたのだろう。

容疑者犯行をした年齢は43歳ごろなので、20年間は何もなく容疑者リストにははいらなかったのだろう。

おそらく、前年の同窓会で顔を合わせたあたりで昔の情熱が甦ったのかも知れない。

容疑者は当時結婚をしていたということだが、不本意結婚をしたかなにかで現実に不満があったのかもしれない。

かつて好きだった人が、若く美人女性結婚したこと嫉妬をしたか、もしくは「本来であれば私の旦那であった」という身勝手な思いがあったのかもしれない。

この容疑者動機は僕の想像しかないが、その時の気持ちや今後続く26年の逃亡のとき気持ちは深くエンパシーを感じる。

犯行前は強い執着の気持ちがあったのだろう。

取り戻したい(自身の物であったことは一度もないはずだが)とか

復讐したいとか

そして、犯行既遂した後に何か自身が救われると漠然と思っていたのかもしれない。実際希望がなければ行動にも移さないだろう。

ところが事件を起こした後はそれどころではなかった。

凶器も驚かす目的て持参したのだろうが、相手との話で激高して突発的にさしてしまったのかもしれない。

供述では、自分の手もその時に刺してしまい血が出てしまったそうだ。刺した後、洗面所で手を洗いタオルで押さえて、被害者が倒れている居間をみることな現場から逃走した。

最初の数日はすぐに見つかると思って逮捕覚悟していただろう。

1年が過ぎるころには捜査に進展がないが、いつ警察が訪れるか気が気ではなかったはずだ。

遺族はことあるごとに事件を風化させまいと、街頭にたっていた。事件発生日が近くなれば報道も厚くなった。

それに殺人罪公訴時効撤廃運動に遺族が携わり、ずっとずっと気が休まる日がなかっただろう。

離婚をして遠くに引っ越したいと思ったこともあるかもしれない。

だが、知人で急に音信不通になる人がいれば怪しまれるかもしれないとためらっただろう。それに家族子供もいるのでそれはできない。

近所で目立つこともさけ、かといって引きこもったら怪しまれる。地域空気のようにふるまわなければならない。

新しい友人もできなかっただろう。

旧知の友達に会えば遺族の話がでるかもしれない。自身が起こした事件を冷静に聞くことなんてできない。

同窓会に出れば、遺族の友人が怪しむ可能だってあるかもしれない。

そうやって旧知の友人とも疎遠になっただろう。

容疑者子どもがいるそうだ。どれくらいの年齢かはわからないが、事件当時でも未成年だっただろう。

子どもに対して接するとき自身が重大な罪を背負っているということは大きな負い目だ。いじめをするな、物を盗むな、人に優しくしろ。そんな言葉をかけるたびに自身の罪が重くのしかかる。

エンターテインメントも楽しく見れなかっただろう。

刑事ドラマや人が死ぬドラマを見れば自身が犯した罪を思い出さずにはいられない。

だが、あの事件を機に好みが変わったと思われては怪しまれる。だからそんなことをおくびにも出さず、家族ドラマを見ていたのかもしれない。

26年、誰にも言えない大きな悩みをずっと抱えてきた。

そして気付いたはずだ。

犯行を犯した後、執着していた被害者旦那さんのことよりも、ずっとあの日から逃げることばかりを考えていたと。

それどころか、もう忘れたいとも思ったはずだ。

好きだったのにもうそれどころではない。

何も得たものがない。

一体何をしているんだろうと

だが身勝手もので、今年に入って警察接触をするようになっても少し粘ってしまった。

バツの悪さという言葉は軽すぎるが、ここまで逃げてしまったときに感じる気持ちバツの悪さの最大級気持ちだろうな。

26年前のあの時逮捕されていたらとも思っているかもしれない

2025-10-15

anond:20251015172130

待て まだトリック余地がある

例えば台所から居間へ行くために元増田の部屋を通らなければいけない構造の家なのかもしれない

2025-10-06

anond:20251006133641

親と不仲だったから見たいゴールデンタイム番組があっても、その時間は親が居間にいて同じ空間にいるのが嫌だったか殆どテレビ見てないんだわ

2025-09-29

15歳の時、母から私たちは血がつながっていない」と打ち明けられた

まあ、そうだろうなと思った。

しろ父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。

僕の顔立ちと体格は完全に西欧人のそれだからだ。

さなから、遠い先祖外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。

本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。

その年、父が死んだ。

四十九日も終わったころ、母が

あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」

と言ってきた。

でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。

正直、けっこうこたえた。

もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。

でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。

もともと、東京学校に進学したいという気持ちはあった。

中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。

でも、うちにはそんな金がない。

学費もそうだが、一人暮らしなんて夢のまた夢だった。

ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。

そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞

なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。

それから音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。

気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽世界一角で何不自由なく食えている。

それも、あのとき決断のおかげなんだろうなと思っている。

先日、母が亡くなった。

考えてみれば、母の愛情を疑ったのはあのときだけだった。

東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。

それは、多分、「実の母」のそれだった。

後になって気づいた。

あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。

僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。

から、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃん自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。

弟とふたり遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。

手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。

弟と二人で黙って手紙を読み終えた。

もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたとき居間空気が蘇った気がした。

手紙を畳んで封筒に戻し、母の字を指でなぞってみる。

さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型感情仕舞うには少し足りない。

ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分人生なんだ」と思った。

それからしばらく、遺品の片付けや事務的手続きで走り回った。

弟は何ひとつ文句も言わず淡々必要作業を進めていった。

台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用封筒

物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。

東京に出てからの母とのやり取りをふと思い出す。

電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。

親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚けがじっと残る。

母がいなくなって、名義変更相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。

結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけがかに積み上がっていく。

今も自分音楽仕事をしている。

東京暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族物語以外、特別ドラマは何もなく、それで充分だと思う。

2025-08-28

1999年7の月 アンゴルモア、恐怖の大王存在した

今年の夏、数年ぶりに実家帰省したんだけど久々に帰ったせいでこの機会を逃すまい!と親から部屋の片づけを命じられ、ゆっくりするつもりが全然出来なかった。

仕方がなく実家自分の部屋の掃除をしたわけだけど…机の引き出しから何やらよからもの発見原稿用紙数枚分。なんとなく思い出した。自分が確か高一の時ぐらいに書いた小説もどき…。

そのまま処分しようかと思ったけど、これも何かの縁かと思い、焼き払う前にここに残そうと思って(供養の意味も込めて)、恥ずかしながら当時書いた小説をここに貼ります

1999年7の月 アンゴルモア、恐怖の大王存在した』

1

七月の黒板って、手のひらの汗を全部吸って、授業が終わるころにはチョークが湿気で太る。

セミは朝からミンミン鳴くくせに、ホームルームときだけ少し黙る。

うちの担任は「ノストラダムスの書いた七の月だね」と、冗談のつもりで言うのだけれど、冗談って二回目から効かなくなるのよ、先生私たち1999年の夏を、テレビワイドショーと同じ顔で消化して、笑うところは笑って、でも笑いきれない部分は教科書の下に隠す。

休み廊下のどこかでPHSがピピピって鳴る。あの音は少し未来っぽい。私は机の中からMDを取り出して、宇多田ヒカル再生して、再生の丸い矢印が自分心臓の形に似てるな、と毎回どうでもいいことを思う。(でもFirst Loveは毎回ぜんぜんどうでもよくない。あれは心音を増やす歌)

夏の空気扇風機の首ふりのリズムで揺れて、窓の外の雲は誰かが消しゴムで端をこすったみたいにほどけている。私は五時間目が終わったところで、ノートをぱたりと閉じて、裏表紙の端を折って、そっと立ち上がった。「保健室行ってきます」って小さく言えば、先生はたいてい止めない。保健室に行く経路で、屋上という寄り道があることは先生たちの知らない秘密地図

理科準備室の窓は鍵がゆるい。椅子を一脚ひっぱって、窓枠に膝を乗せ、指先で金具を押し上げる。屋上に出ると、空気が急にちゃんと味になる。すこし錆びた匂い。じんわりした熱。遠い国道トラックの音。フェンスの金網に両手をかけて、私は深呼吸を一回、二回。七月の呼吸。あ、これは覚えておこう、って思ったとき

「そこ、危ない」

声がした。男子の声。低すぎず、高すぎず、でも機械温度みたいに均一。

振り向く前に、軽く手首を引かれて、私は一歩だけ後ろへ下がる。フェンスぎりぎりのコンクリ、米粒くらいの黒い影が落ちて、コツン、と音を出して割れた。殻の匂い。卵じゃない。虫でもない。もっとイヤな、硫黄の、でもどこかで嗅いだことのある、夏の終わりの側溝みたいな。

「ほら」

私の手首を放した彼は、フェンスにもたれるように立っていた。うちの学校制服じゃない。黒い長袖。胸元に小さな紋。汗をかいていない。かわりに、視線が汗をかいているみたいに一直線。

「落ちてくるからね、ここ。今日はまだ小手調べだけど」

「……なにが?」私は聞く。

「アンゴルモア」

さらっと言わないでほしい。テレビが殊更に太いフォント見出しにしてた単語を、屋上の風のなかで日常語みたいに投げないでほしい。私は笑うタイミングを探したけれど見つからず、代わりにMDを一時停止にした。(宇多田のサビで止めるのは罪だけど、今日免除してほしい)

テレビのやつ?」

テレビが知ってるのは“名前”だけ」

彼はフェンスを見上げる。その目は、黒板のイコールをまっすぐに引ける人の目。

本体はまだ。今日は殻と匂いだけ。予告編みたいなもの

殻、と彼が言った瞬間、さっきの黒い米粒が、煙みたいにほどけて消えた。彼は胸の紋に指先を添え、短い金属を引き抜いて、空気を一回だけ切る。刃じゃない。音だけ。なのに。地面の黒が粉になって、風にさらわれた。

ちょっと」私はやっと声を持つ。「なにそれ。あなた誰」

通りすがり

教科書みたいな返事。でもふざけた感じはない。

「通りすがるには、ずいぶん正確にうちの屋上に来たじゃない」

「見える人のそばは、風が変わるから

彼はほんのすこしだけ笑う。笑い方は丁寧で、耳の形まで整っているタイプの顔。近づくと汗の匂いじゃなくて鉄の匂いがした。

「君、見えたでしょ、さっきの。普通の人は見えない。足もとに殻が落ちても、踏んで帰る」

「見えたから、何?」

「ひとりにしない」

その言い方は、なんだか“わたしの”言葉みたいで、ちょっとムカついた。知らない人に先に言われるの、好きじゃない。

名前は?」

「湊(みなと)」

ひらがなで言われてもカタカナで言われても、たぶんこの名前は港の音がする。波打ち際で人を呼ぶ声。

湊はフェンスの外を見上げる。雲が薄く切れて、青の下に白い面が一秒のぞく。その一秒のあいだに、空が低く唸った。電車が遠くの高架をゆっくり渡るときの音に似てるけれど、もっと乾いている。私の首筋の汗がすっと引く。

「二匹目」湊は言って、私の前に立つ。

降ってくる。今度は米粒じゃない。ビー玉よりちょっと大きい、黒い丸。着地の前に割れて、内側から“何か”がぬるりと出ようとする。輪郭を持たないのに、目より先に匂いけが肌にささる。夏の犬小屋の奥に置き去りにされたゴム、みたいな。

「息を合わせて」湊が言う。

「どうやって」

「今、君がしてるみたいに」

気づくと、私は湊とおなじテンポで息をしていた。吸って、吐いて。吸って、吐いて。二回に一回だけ、すこし長く吐く。そのリズムで、湊の金属空気を切る。殻の破片が粉になり、風だけが残る。

「……ほんとに、アンゴルモア?」

名前が先に来る怪物っているんだよ」湊は肩の力を抜きながら言う。「“恐怖の大王”って言葉空気が好きなんだ。空気は、好きな言葉に寄ってくる」

そこまで聞いたところで、屋上のドアがギイッと鳴って、私は心臓を落としかけた。風より静かな足音制服足音じゃない。

「遅い」湊が言う。

「早すぎる」低い声が返す。私は反射でフェンスの陰に一歩引いて、ドアのほうを見る。黒いTシャツに薄いグレーのシャツを重ねた、涼しい顔の男の子。髪は長くも短くもなく、目は印刷された数字みたいにブレない。

「……え?」

今日は偵察だけって言ったろ」と彼は湊に向かって、とても小さく眉間を寄せる。「初対面を屋上でやるの、ミス確率上がる」

「じゃあ、屋上じゃないと見えないものもある」湊はさらっと返す。

二人は友だちっていうより、同じ地図の別ページ、という感じ。

「澪(れい)」と彼は短く名乗った。手にPHSアンテナ二本。画面に点の地図数字が流れて、一瞬だけ止まる。

「下、駅前に一件。夜は濃い」

「夜?」私はつい口を出す。「夜まで?」

今日の七の月、最後から」湊は私を見る。「帰り道、寄り道をしてもいいなら、案内する」

案内、ってすごくヘンな言い方。でも私はうなずく。喉が乾いているのに、声はちゃんと出る。

湊は金属を胸の紋に戻し、手すりに軽く触れてから踵を返した。澪はPHSを親指で弾いて、何かを送信して、何も言わず私たちの前を歩く。三人で階段を降りると、校舎の匂いが一瞬だけ“普通”に戻って、私はその普通を鼻に詰めておこうと思った。(後で必要になる普通がある、って、新井素子の本に書いてあった気がする。気がするだけで、どのページかは思い出せないけど)

駅前夏休み夕方の顔をしている。ロータリーバスマクドナルドの前に行列ガチャガチャの前で小学生が揉めてる、CDショップではラルクポスターゲームセンターからドリームキャストデモ音。風鈴みたいな高い音が一瞬だけして、次の瞬間、音が全部半拍ずれる。

「来た」澪が言う。

誰も気づいてない。サンダル女子高生も、サラリーマンも、ショッピングカートを押すおばあちゃんも、誰も。

から降りるものは影じゃなくて、空気の厚みの差。見えるのは、ここにいる三人と、そして、たぶん私だけ。

湊は前に出る。澪は周囲を見渡して、最も“記録”の薄い位置を選ぶ。道路標識の影と自販機の影が重なる場所

「ここなら、ニュースにならない」

ニュースにならないって、そんな基準ある?」

ある、と澪は言わないで、目で言った。

湊の肩が、呼吸といっしょに上下する。私はそのリズムに合わせる。吸って、吐いて。吸って、吐いて。なぜか一緒にやると心臓が落ち着く。(恋とかじゃなくて。いや、恋かもしれないけど、いまは違う)

殻のない降りは、匂いだけで先に来る。不意打ち。目の端で捉えるまでに、鼻が先に反応して、汗腺が縮む。湊の金属空気を切り、澪のPHS画面の数字が揃い、私の呼吸が三拍目で長くなる。カチッと音がして、見えない何かが折りたたまれる。駅前はなにも起きなかった顔に戻る。

「——ねえ」私は息を整えながら言う。「これ、毎日?」

「七の月は毎日」湊は金属しまう。「終わったら、少しだけ静かになる。少しだけ」

その“少しだけ”の言い方が、もう経験者の声で、私は急に怒りたくなって、でも怒っても仕方ないから、代わりに缶の自販機麦茶を買って三人にわけた。湊は半分だけ飲んで、缶を私に返す。澪は口をつけずに、冷たさだけ指に移して返す。私はベンチに座って、残りを一気に飲んだ。

「帰り道、送る」湊が言う。

「送らなくていい」私はつい強めに言う。「ひとりで帰れる」

「見える人を、ひとりにしない」

またそれ。私はむくれて、でも、足は自然に彼らと同じ方向へ動いていた。

交差点信号が青に変わる。横断歩道を渡る瞬間、風がすっと変わって、私は振り向く。人混みのむこう、ビル屋上の縁。夕陽の切れ端のような光のところに、白いシャツの誰かが立ってこちらを見ていた。

まばたきしたら、いない。

「いまの」

「気づいた?」澪が初めて少しだけ笑う。「いい目だ」

「誰?」

「多分、明日には“こちら側”に来る」湊は短く言った。「きれいな顔をしてる」

家の前で別れるとき、湊は「また明日」と言いそうにした顔でやめて、「風の匂い塩辛くなったら、上を見て」と言った。

私はうなずいて、門扉の前で一回だけ深呼吸した。玄関を開けると、母が台所ゴーヤチャンプルーを炒めていて、テレビは「Y2Kに備えて」の特集をやっていて、父は食卓新聞を広げ、「大丈夫だよ」といつもの声で言う。

私は自分の部屋でMD再生して、PHSアンテナを出して、引っ込めて、出して、引っ込めて、意味のない儀式を二十回くらいやってから、ベッドに倒れ込んだ。天井蛍光灯カバーに、屋上フェンスの格子が重なって見えた。

眠る直前、窓の外で、ほんの少しだけ風が塩辛くなった気がした。私はカーテンをめくって、上を見た。空はぜんぶの青を混ぜたみたいな色で、星はまだ点かず、遠くのどこかで雷の写真だけフラッシュが光った。

明日も、屋上に行く。

明日も、見える。

明日、もうひとり来る。

七の月は、まだ終わらない。

2

夏休みの昼下がりって、テレビがやたら静かになる。

ワイドショーが終わって、ニュース時間までの隙間に流れる通販番組マッサージチェアとか。美顔器とか。私は居間スイカバーを食べながら、母がアイロンをかける音を聞いていた。

PHSが震えた。メール文字数は少なく、「屋上」とだけ。差出人不明。昨日と同じ。

——行くしかない。

理科準備室の窓をまたいで、椅子を蹴って屋上に出る。

照り返しが強い。空気が音を立てる。セミは昼なのに狂ったように鳴いていて、私の制服は汗を吸ってもう重たい。

「来た」湊がフェンスにもたれていた。

隣には澪。無口な彼は今日PHSを指先でいじって、画面に流れる数字を追っている。

そして——もうひとり。

髪は少し長く、色素の薄い瞳。美少年しか言いようがない顔立ちなのに、目の奥がひどく静かだった。笑ったとき、光がこぼれるというより、光が寄っていく感じ。

「碧(あお)」と湊が紹介する。

よろしく」碧はにこりと笑って、私の袖を軽くつまんだ。指先が冷たい。

「三人?」私は尋ねる。

「四人」湊が言う。「君を入れて」

「えっ、いや、私なんて」

「見えてしまった以上、もう“向こう側”だよ」澪は画面から目を離さずに言った。

私は息を呑んだ。昨日から、すでに普通ではなくなっている自分を、もう否定できない。

——

夕方私たちは駅へ向かった。

ロータリーに人が溢れている。コンビニの前では中学生立ち読みして、パン屋からは焼きたての匂いバス停のベンチに座るおばあちゃん団扇をぱたぱたさせている。

そんな雑踏のなかで、突然、音が半拍ずれる。

通りすぎる電車ブレーキ音が伸び、子どもの笑い声が濁り、セミの声が一瞬だけ空気に沈む。

「来た」澪が小さく告げる。

から、殻が落ちる。最初は見えない。でも、確かにそこにある。私たち四人の目にははっきりと。

ビー玉より大きな黒い殻。地面に触れる前に割れ、中からぬるりと何かが出る。匂いは昨日より強烈。鼻の奥が焼ける。

「人混みの中は厄介だ」湊が前に出る。

周波数を合わせる」澪はPHSを高く掲げ、ボタンを素早く叩いた。

大丈夫大丈夫」碧が私の肩に手を置いた。「君は息をするだけでいい」

から出てくる“それ”は、人の目には映らない。でも私には見える。輪郭は定まらず、影が水に溶けるみたいに揺れる。だけど、確かに街を食おうとしている。

「湊!」澪の声。

湊は棒を伸ばし、空気を裂いた。

刃ではなく、ただ音。だけど“それ”がたじろぐ。

碧が微笑みながら指先を空に走らせる。風の流れが変わり、影の形が折れ曲がる。

「今だ」湊の声に、澪のPHS数字が揃う。

私の呼吸が、彼の肩の上下に合わせて整う。

一瞬、世界が止まった。

そして、影は粉になって消えた。

駅前は何も起こらなかった顔で、再びざわめき始める。人々は誰も気づいていない。

——

「なに、これ、ほんとに毎日?」

ベンチに座り込んで、私は麦茶を一気に飲み干した。

「七の月は毎日だ」湊が答える。

「でも、七月が終わったら?」

「少しだけ静かになる」碧が柔らかく笑った。「でも、“恐怖の大王”は終わらない。七月の名を借りてるだけだから

澪は黙ってPHSを閉じた。その目は冷たいけれど、どこかで私を見守っているようでもあった。

私は三人を見回して、息を吐いた。

「……わかった。もう知らないふりはできない。だから——」

「ひとりにはしない」湊が言った。

その言葉は、昨日よりもずっと重く、強く響いた。

——

夜。帰り道。

商店街アーケードにはまだ人がいた。ゲーセンの前でカップルプリクラの袋を持って笑っている。CDショップからELT歌声が流れている。

そのとき空気がまたずれた。

「また?」私が言うと、碧が肩をすくめる。「今日は濃いからね」

ビル屋上夕陽を背にして立つ影があった。

制服でもない。黒でもない。白いシャツ

その人は、確かにこちらを見ていた。

次の瞬間、いなくなった。

「今のは?」

「気づいた?」澪が珍しく少し笑った。「君、ほんとにいい目を持ってる」

「……誰?」

明日、会える」湊は短く言った。「俺たちの仲間になる」

——

玄関を開けると、母がテレビを見ていた。

ニュースは「何もなかった一日」を語っていた。

私は自分の部屋に入り、PHSアンテナを伸ばしては引っ込め、伸ばしては引っ込め、意味のない儀式を二十回くらい繰り返した。

屋上の風がまだ、肌に残っていた。

三人の声も、影の匂いも。

そして、明日現れる誰かの姿も。

七の月は、まだ終わらない。


3

七月三十一日。

カレンダー数字が赤くも青くもないのに、どうしてこんなに特別に見えるのだろう。

”終わる”という言葉が、宿題ノートよりも、日めくりの紙よりも、今日は妙に重たかった。

午前はやけに晴れていた。

コンビニで買ったガリガリ君が一瞬で溶けるくらいの青空

でも午後になってから、光は濁った。セミの声がかえって甲高く響く。

私はPHSを握りしめ、またメールが来るのを待った。

震えた。文字はやっぱり短く「屋上」とだけ。

屋上のドアを押すと、三人が待っていた。

湊。

澪。

碧。

そして昨日見た“白い影”が、今日はそこに立っていた。

「紹介する。彼も仲間」湊が言った。

白いシャツ少年は軽く会釈をした。年は私たちと変わらないのに、目の奥だけが遠い。「……雅(みやび)」と小さく名乗った。

四人の男子と、私。

屋上の風は重たくて、フェンスの金網が湿っているみたいだった。

本体が来る」澪はPHSを掲げ、数字の羅列を見せてくる。意味はわからない。でも、ただ事じゃないことは伝わる。

「恐怖の大王」碧が肩をすくめながら微笑む。「七月が終わる、その瞬間に」


雷が鳴った。

雲の端が割れ空気が低く唸った。

私は一歩後ずさったが、湊が前に出た。背中越しに、彼の肩の呼吸が見える。

大丈夫。合わせればいい」

「……どうやって」

「昨日と同じ。君は息をするだけ」

影が降りてきた。

殻じゃない。粉でもない。

“名状できないもの”が、街を覆いはじめる。

匂いが先に来る。鉄錆とゴムと、夏の終わりの湿気を全部混ぜたような匂い

澪はPHSを打ち込み、数字を揃える。

碧は風の流れを変える。

雅は静かに印のような手の動きをして、影の裂け目を縫い合わせる。

湊は棒を構え、私の前に立つ。

「……来るぞ」

大王の影は、顔を持った。

知らない誰かの顔。

でもなぜか懐かしく、私の記憶の底を撫でる顔。

「来る」澪が短く言う。

「させない」湊が返す。

影が迫る。世界が歪む。

人混みの声が止まる。時計の針が動かない。

この一瞬に、すべてが収束していく。

湊は前に出た。

「俺がやる」

「待って!」思わず叫んだ。

「君をひとりにはしないって言ったのに」

湊は、振り返らなかった。ただ、少し笑った。

「ごめん。今日は、俺だけで強がらせて」

影の中心に踏み込む

棒を構え、全身を“蓋”にするように。

世界が一秒、無音になった。

雷鳴。

セミの声。

ガラスが震える。

影はたしかに消えていた。

残されたのは、三人の男子と、私。

澪は黙って画面を閉じ、碧は笑わずに目を伏せ、雅は静かに空を仰いだ。

湊の姿は、なかった。

「……どうすればいい?」私は震える声で尋ねた。

「何もしない」澪が答える。「ニュースにならないこと」

「覚えておくこと」碧が続ける。「ひと知れず、覚えていること」

雅は小さく頷いて、目を閉じた。


夜のニュースは「何も起きなかった一日」を語った。

大雨の映像渋滞情報経済数字

父は「大丈夫だよ」と笑い、母は冷蔵庫ペットボトルの水を入れた。

私は自分の部屋でMD再生した。

宇多田の声が、少しだけ遠く聞こえた。

PHSに一通だけメールが届いた。差出人不明。本文は一行。

——風が変わったら、笑って。

私は、笑った。泣きながら。



翌日。八月一日

空は夏の顔をしていた。

三人の男子と、コンビニの前でガリガリ君を食べた。

棒を見せ合って、当たりだの外れだの笑いあった。

でも、屋上の風は、まだ四人分吹いていた。

ひと知れず、私たち対峙した。

恐怖の大王は、たしか存在した。

そして、七の月は、静かに閉じた。

2025-08-27

anond:20250827110123

わいデカテック首になって一般企業レガシーシステムリプレースしたんだけど

キメラみたいなコードをグチャグチャに作って

案の定たこともないようなバグだらけになってるから

タスクやろうとしてもポロポロと変なバグ出てきて着陸しないし

レガシーはほんとこれでワロタ

増築増築を重ねて居間玄関の間にトイレがあるみたいになってるんですよねー

とか

一つ触るとすぐ壊れるようになっちゃってるのでテストをよっぽどしっかりやらないとトラブりますよー

とか説明するのそんな嫌いじゃない

ワイが書いたわけじゃないし結構笑える

2025-07-27

anond:20250727210923

居間は良いのさ全てを忘れて!

独り残った屍の俺が!

2025-07-26

寝てる間に…とか盗撮系の1例(被害者視点?)

父親が元々オタクで、その影響で兄と私もアニメ漫画ゲームとかが好きになった。

それぞれジャンルは違うけれど、兄弟アニメを見てれば自然に目に入る。ママ友の子供の中でも「○○家の兄弟めっちゃ仲良いよね」なんて言われてたりもした。

世間的にかなり仲がいい方の兄弟で、私も口には出さなかったけど多分ブラコンだったと思う。

両親は私と兄に対してほとんど性差や年の差による発言を向けなかったし、小さい頃は本当に平等に育てて貰ったと思う。だから男女の垣根なく同じ対応・同じ行動をするのが当たり前だと認識していた。

私の家族は父と母と兄で、みんなのことが大好きだった。

最初にあれ?って思ったのは高2の冬くらいだった。

風呂上がり裸でうろついてる時に動画撮影の停止ボタンの音が聞こえた。

裸族の父の影響もあり、私の家は母以外は風呂上がりは裸のままタオルを取りに行ったりパジャマを取りに行ったりと、素っ裸で家の中を動いていることが当たり前だった。

小さい頃から、用意してから風呂に入れと言われていた。でも同じことを言われてる兄も当然裸のまま動いていたし、家の周りは畑と道路で隣合う家もない。まあいいじゃんと思っていた。

からその時も気にしなかったし、シャッター音も聞き間違えだろうと思っていた。

それから3ヶ月くらいして、やっぱりその音は聞こえていた。わかったのは2、3回もしかしたらもっとかもしれない。

私は兄に盗撮されていた。

実際には盗撮だけではなく寝てる間にも2回ほどさわられていて、布団の中でスマホを弄って起きていたから気がついた。その時はただただびっくりして、それからなんだろうとか気持ち悪いなあとか考えてた。

要するにそういう複合的なものでようやく私は現状を認識した。恥ずかしい話ながら私は兄のことを(家族としての親愛の情で)好きだった。でもだからこそ兄としてしか見ていなくて、そこに性欲はなかった。

そもそもオタク趣味兄貴の嗜好と3次元の私は全く見た目の気遣いをせず、そもそも顔の造形も微妙なのに…とか思ったりした。

兄が理解できなかったし、その状況が理解できなかった。

何はともあれ私は自分の置かれた状況を認識したが、その結果何も出来なかった。

だってどうしたらいいかからない。とりあえずお風呂から出た時裸で動かなくなった。寝る場所を母と父の間にした。

それでもダメだった。母と父がいない日はそばによられた。人目がある居間でひとりで勝手に寝たりもした。でもそんなことをしても親から風邪をひくと怒られ、寝室に連れ戻された。優しさから言葉だった。

親に相談すべきだとわかっていたが、出来なかった。そこまで認識しても私は自分勘違いであって欲しかったし、兄のことを嫌いになれなかった。

何より、私の家族普段テレビネットでの痴漢騒ぎなど話題の度、可哀想だけど冤罪可能性もあるから証拠がないとと話す家だった。

証拠なんてない。自分自身疑っている。なんて言えばいいのか分からなかったし、信じて貰えないだろうと思った。

それから1年、何とかやり過ごしていた。

風呂の後パジャマを着て過ごしておりシャッター音を聞くことはなくなっていたが、その日たまたまパジャマを忘れ、ダッシュで自室のロッカーまで移動した。でも撮られた。

その頃受験が近くなり、兄にかまけてられなかった。進路のことと兄のことで余裕がなく、帰宅したらすぐ自室に引きこもり食事時以外は部屋から出ていなかった。追い込まれていた。

から終わらせようと思った。

両親を呼び出し、それから兄にスマホを持ってこさせた。兄は初め渋ったが、最終的に父に渡した。

証拠がないといいなと思った。

兄のメディア欄には裸の女性写真女性キャラの絵が保存されていたが、それは年頃だし仕方がないだろう。父と母が調べたが私の言う盗撮画像はなく、私の被害妄想勘違いという空気になった。兄は俺はそんなことしてないよと言っていた。

私はそんなことされてなかったんだ、良かったと思っていた。

今思い返すとなかなか地獄だった。

最後に私が確認する番となり、私はゴミ箱フォルダに私が写った動画を見つけてしまった。その時の自分でもどう思ったかからない。

私は兄にとって人じゃなかったんだとか、母と父が怒っていてる様子を見て、でも信じてくれなかったじゃんと遠く思っていたと思う。

あれから兄は家を出て行って、私はまだ実家にいる。でも私はもう両親を信じられないでいて、自分の悩みや不安相談することも無くなった。

最後まで兄は私に優しかったし誘えばゲームだって一緒にしてくれたと思う。だからこそ私は兄が理解できない。

妹として20年近く面倒を見てもらっていただけに、その私に人権がない扱いをしてきたのが、私は兄に人だと思われていないようで、恐ろしい。

結果だけを言うなら、私に家族は居なくなった。

私が風呂上がりに服を着なかったことが要因の一つであるだろうし、私が悪い部分も多分にあるのだろうと今でも思っている。

最後に、この話に一つだけある救いは来年から就職により家を出られることだ。既に内定も出ているので、もしここまで読んだ時間にゆとりのある方がいれば、祝って欲しい。

2025-07-19

anond:20250717193602

居間はいいのさ

すべてを忘れて

独り残った屍(こどおじ)の俺が

2025-07-16

自宅勤務の家族が、お昼休み居間でずっとアニメみてるの料理食事しづらくて😡ですわよ こちらは一時からウェブ会議なのですわよ😡

2025-07-12

自分母親自分だった話する?

34歳年収700万の弱者男性なんだけどさ。

オレ、ずっと母親が誰かわかんなかったんだよ。

父親祖母祖父に聞いても「知らない」って言われるだけ。

戸籍には名前はあるんだけど、誰も思い当たらないって感じ。

変じゃね?

子どもの頃、気がついたら居間にいたって話もあるんだよね。

普通にまれて育ったわけじゃなくて、

なんか突然そこに“存在してた”っていう感じ。

最近さ、古いノートを見つけて読んだら、

アカシックレコード」っていう全部の記録がある場所のこととか、

タイムマシン設計図が書いてあったんだ。

夢の中で未来自分に会って、

「君は君を産むんだ」って言われた。

正直、信じられなかったけど、ノート通りにタイムマシン作って試したら、

過去に戻れて自分居間に置いたんだ。

そう、オレは自分母親だったんだよ。

自分時間を折りたたんで、自分を生んだ。

でもさ、ここで疑問が湧くよな。

最初に俺を産んだ俺」は誰が産んだの?

まりはどこなんだよ?って。

それがさ、答えは多分こうなんだ。

まりも終わりもなくて、

時間はぐるぐる回る無限ループみたいなもんだって

俺が俺を産むってのは因果の輪の中の一つの出来事で、

その輪は終わらずにずっと続いてるんだよ。

まり、始まりを探しても意味がなくて、

今ここにいる俺が存在してることが一番大事なんだと思う。

アカシックレコードの記録の中で、

過去未来も同時に存在してて、

俺はその中の一つの現象に過ぎない。

からオレはオレの母親で、

同時にオレは未来から来たオレなんだ。

こんな話、信じるかは自由だけど、

オレはこれが自分現実なんだよ。

2025-07-01

飼ってるインコを殺そうとした話

タイトルが物騒ですみません。そう思った気持ちがいまだに消化できず、また友達もいない割に承認欲求高めの私はネットの海に流すことでその時の自分昇華しようとしています感情のままに書いたので読みづらくて申し訳ないです。可愛いインコが久しぶりに夢に出てきてくれたんです。最悪です。

結論から言うと殺していません。また、インコが嫌いだったわけでもありません。なぜ殺そうとしたのかは、私を虐待した家族が飼い始めたセキセイインコからです。

餌替えも水替えも放鳥もカゴの掃除温度管理発情の止め方も私以外の家族は無関心です。動物可愛いところだけを享受するのはさぞかし楽しいでしょう。

実家から出る際、この子幸せに暮らせるのだろうか、いっそ殺してしまった方が楽じゃないのか、などと過ってしまったのが最悪の始まりです。そう考えた自分自身を戒めることが数年続いておりますたかが鳥1羽でなにを悩んでいるのか、と考える方向に持っていくことがどうしてもできません。そう考えた私を許して欲しいです。自分自身の問題ですが、私は飼っていたインコに私を許して欲しいです。

私の足音を聞くとカゴのゲージに飛びついて、「ピピッ!ピピッ!」と呼び続けてくるような可愛い男の子です。カゴの前まで行って顔を見せるとようやく鳴き止み、私が可愛いね、可愛いねと喋りかけるのを黙って聞いてくれます。カゴから出すとまずは肩に乗って「ピピッ」と鳴き、部屋の好きなところへ飛び立つのが2人のルーティンでした。

水が少しでも汚れていると文句を言い、新しいおもちゃには一切触れない、賢くて少し気が弱いところもありました。今は一体どうしているんでしょう。私が弱いため家族に連絡が取れず、近況を知りません。

以下は私の自語りになりますので、興味の無い方は飛ばしてください。フィクションを交えながら生い立ちを少し記します。

私は児童養護施設10年弱育ちました。いわゆる放置子であったため、近所の方の児童相談所への通報から施設へ預けられたとのことでした。(詳しくは怖くて聞けていません)

高校卒業後は借金をしながら一人暮らし専門学校へ行き、その後に1年ほど働きました。ですが1日に10時間を超える労働上司からいじめパワハラなどに遭い、ある日の朝に目を覚ますと起きられなくなり、涙が止まらなくなったため退職をすることにしました。住み込み仕事であったため、退職後は借金返済中のこともありバイトをしながら実家のお世話になりました。精神科に行く考えは当時ありませんでした。

最初家族円満風だったのですが、やはり私を小さい頃からネグレクトしていた両親であったため、日々の生活違和感を覚えるようになりました。

私は長女で、12下の弟がいます母親は私を施設に預けたままでしたが、弟の面倒はきちんと見ていました。

私の学生の頃の生活基本的に平日は施設、弟が生まれからは土日は実家で過ごすようになりました。弟が生まれる前は年に数回だった帰省が、毎週の帰省になった時は当初とても喜びました。しかし、弟の面倒を見る要因として実家に連れて帰られていると自覚してから帰省拒否をするようになりました。

赤ん坊の弟を寝かしつけ、夜泣きをするとミルクを作り(ミルクが熱くないか哺乳瓶から直接飲んだ味も覚えています)弟に飲ませてあげ、ゲップを確認してまた寝かしつけ、うんちをすればオムツを替え、外出すれば暴れん坊の弟を見張り、時には無理やり引きずってベビーカーに乗せ、保育園の送り迎えや、小学生の朝の交通安全のたっている人(?)の担当しました。この文章だけでは伝わらないと思いますが、とにかく私は弟の面倒を見させられており、節々から母親に所有物のように扱われている、ということを日々強く感じるようになりました。

退職後に実家にいる際、大きくなった弟が無断で外出をし、パニックになった母親が私へ弟の居所を聞いてきました。私はバイトから帰ってきたばかりで状況が分からず、知らないと答えると「お前のせいで弟が死んだからどうする!」と怖い顔で言われたのを覚えています。なぜ怒られたのかは不明です。その後弟は何食わぬ顔で帰ってきました。私に謝罪などはありませんでした。

父親は私に無関心です。戸籍上親子ではないから当たり前です。

両親は良いところもあります。私のためにしてくれたことも何個もあります。ですが、私にとって、私自身を認めてくれなかった苦痛の方が何十倍も大きく、もう数十年も経つのに未だに辛いです。よく見る夢は私と私の家族が笑って喋っている場面です。夢の中で両親は穏やかで、私は弟と同様に大事にされています。ありえない記憶に目が覚めた後は少し泣きます。もう何年もこの調子です。そろそろ病院に行こうか考えております

本題、実家にいた頃に戻ります。2年ほどお世話になりました。最後の方は私が遅れてやってきた反抗期であったため、両親からは非常に嫌悪されており、早く実家を出ろと急かされていました。実家お金は入れていないため、今考えると両親の対応は当然のように思います。私の成長のために学費などのお金を両親は使ってないのだから、私は両親へお金を入れなくて良いと考えておりました。

実家にいて1年ほど経過した頃、母親と弟がセキセイインコを連れて帰ってきました。

黄色のその子はとても小さく、餌も柔らかいものしか食べられませんでした。スプーンから餌を上げると、小粒の宝石よりも小さな嘴でちょこちょこと食べたのを今でも覚えていますかわいい、本当に可愛いと感じました。

インコとの暮らしが始まりました。ネットで調べたところ、夜は布をかけた方がいい、温度管理ちゃんとした方がいいとありました。当時私には借金返済でお金がありませんでした。給料日前、バスに乗る数百円のお金さえなく、雨の中濡れながら帰ったことがあるぐらいお金に困っていました。

なのでダンボールや安いビニール袋を使って冬はインコを暖めていました。インコを買ってきた当の母親は、ホッカイロを一つカゴに入れるのみです。そういえば母親は小さい頃にインコを飼ったことがあると話していました。そのインコはある寒い日の朝に死んでいたそうです。私は絶対にこの子を死なせないと誓いました。

今考えると、その倫理観の親がまたインコを飼うなんておかしいと思うんですが、当時の私はまだ親に洗脳されている状態であったため、おかしさに気づけませんでした。とにかく、私はインコを死なせまいと思っていました。夜に布を少し捲って、インコが生きているか確認したりもしました。インコは時々起きてしまって「ピ?」とかわいい声で鳴いておりました。今考えると申し訳ないです。

インコの放鳥時、ゲームをしている弟の肩へ止まると叩くように払い除けたため、私は弟を叱りました。母親は認めませんが、弟には発達障害があるようでした。インコ大事にするように私がしつこく教えると、しぶしぶ言うことを聞きました。ですが私がいない時は同じ対応をしていたようです。

ある日、私はバイトで隣県の店舗へ手伝いに行くことになりました。数日空け、昼間に実家に戻ってきた時、インコの餌が変えられておらず、水はフンがたくさん入っておりました。私はインコと私を重ねました。インコが私を見つけると、ゲージに止まって「ピピッ」と私を呼びました。少し元気がないように見えました。泣きながら謝って、餌と水を新しいものに変え、カゴを掃除し、インコが大好きな水浴びをしました。ごめんね、ごめんね、とインコに言っても、彼は機嫌良さそうに水浴びをしていたため、聞こえていたかは分かりません。

インコ居間にいます。私は家族と顔を合わせたくないため、基本居間には立ち寄りません。2階の部屋から直接バイトへ行っていましたが、顔は途中の公園で洗って化粧をし、制服洗濯コインランドリーでしていました。汗拭きシートで体を拭き、風呂は3日に1回温泉へ行きました。今思うと本当に迷惑な者でした。

日曜日の朝、思い切って居間に入りました。家族が少し驚いているのが空気で伝わってきました。私はインコのカゴを見て、餌と水が変えられてないことに気づきました。「ピピッ!ピピッ!」とインコが私を呼び続ける中、私は無言で餌と水のプラケースをカゴから取り出し、居間で寛いでる家族たちへ「インコの面倒を見て」と震える声で言いました。私の意見基本的になかったことにされるため、とても緊張しました。いつものように返事はありません。私が「ねえ、」と促しても返事はなかったですが、インコお腹が空いてるのに気づいて慌てて餌と水を変えました。「ピピッ!ピピッ!」と私を呼び続けるインコへごめんね〜また遊ぼうね〜と言うと、インコは静かになりました。私はすぐに自分の部屋へ戻りました。それからは、家族によってインコの餌と水が二日に一回は変えられるようになりました。

ようやくお金に余裕ができたため、私は実家を出て一人暮らしをすることを決めました。荷物をまとめている最中Amazonで買った鳥のおもちゃと保温道具一式段ボールからしました。実家を出るタイミング家族がいない平日の昼間を選びました。どうせ話をしようとしても会話にならないためです。

カゴの中から私を呼び鳴きするインコを出し、肩に止まったインコがご機嫌に鳴いて床へ降り立ちます。鳥なのに意外と速く歩く姿を眺めて、保温道具をカゴに設置しました。まだ秋ですが、家族がこれをちゃんと使ってくれる保証がありませんでした。保温機能が動くかを確認し、今まで使っていたビニールなどは捨てました。インコをカゴに戻す際、新しい道具が怖いのかなかなかカゴに戻ろうとしませんでした。ごめんねごめんね、と宥めながらカゴへ戻しました。新しく変えた水を飲んだ後は、ぶら下がっているおもちゃで遊んでいますカワイイネ!カワイイネ!と言っていました。私がいつもインコへ言う言葉です。私は同じ言葉を繰り返す癖があるため、そのまま覚えてしまったようです。最後に水浴びをしてあげれば良かったな、と考えましたが家を出る時間が迫っていました。

ふと明日からインコのことを考えました。餌は私が買っていましたが、数ヶ月は持つようにちゃんと補充しました。私がいなくても大丈夫です。新しいおもちゃも一応買ってありましたが、怖がりなインコが慣れてくれるかは分かりません。言葉は通じませんが、インコの鳴き声や行動で気持ち何となく分かったつもりでいました。なので、私が明日から居なくなると、インコにとってもストレスであると私は分かっていました。彼は怖がりなので、お皿に入った水ではなく、私の両手で掬った小さな水場でしか遊べません。寂しがりのため、居間に誰かがいないとおもちゃの鈴を鳴らして呼びます。朝起きた時に可愛いね、と言わないといつまでも文句を言います。私はインコに何て酷いことをしたんでしょうか。最後まできちんと面倒を見られないのなら、初めから世話をしなければよかったんです。可愛い可愛いねなんて言わなければ良かったんです。初めからインコ家族に任せていれば良かったんです。こんなに小さいのに、彼はとっても繊細で賢くて感情豊かです。メモ紙にインコの世話の注意書きを書きながら、私は涙が止まりませんでした。私がいなければ彼は傷つくことはなかったでしょう。鳥の気持ちが全て分かる訳ではありません。でもきっと彼は、毎朝餌と水を変えながら可愛いねと言ってくれる仲間が減ったことを理解するはずです。そして呼び鳴きをし続けるはずです。私は実家に二度と戻ってくる気はありませんでした。インコが居なければもっと早く出るつもりでした。カゴの外でうずくまりながら何かを言う私を、インコはゲージに止まって見ていました。目が合った時、私は右手インコを握りしめる妄想しました。が、すぐ後悔してまた泣きました。私はインコに「可愛いね、可愛いね、大好きだよ」と告げました。インコは「ピピッ!」と私を一度呼びました。ぶら下がっているおもちゃを揺らし始めたのを見て、私は玄関を出て、実家の鍵を郵便受けから中へ入れました。インコが鈴を揺らす音が最後に聞こえました。あれから数年、私は実家に帰っておらず、両親とも連絡をとっていません。あの時にした最悪の想像はずっと後悔しています

私は、実家虐待されたり施設いじめられた過去を跳ね除けて、人生をやり直したいとは思いません。ただ、時々無性にこの世界から消えたくなる時がありますインコと私を重ねた結果、私は勝手インコ気持ちを代弁したのです。あり得ないことです。インコと私は全く別の人生を歩んでいるのに。

賢くて臆病な黄色インコが、今でも大好きなおもちゃで遊んでいるのを願っています可愛いね、可愛いね、ピーちゃん可愛いね。

すみません自分に酔っているわけではないです。ひどい長文を読んでくださりありがとうございました。

2025-06-28

anond:20250626124408

我が家と同じ「丁目」にも、引きこもり氏が住んでます。もう10年以上前に残った親が亡くなり、そのあと一人暮らし引きこもりになってしまいました。貴君のような弟がいないようです。隣の住人によれば、めったに外に出てこない。いつも出前が届く。居間の電灯はついたまま。多分、不労所得家賃?)があって暮らせるのでしょう。人知れず亡くなってしまったら、どうなるのだろう?

2025-06-19

タウンワークタウンワークバイトすーるならタウンワーク

こちらのCMさー⋯⋯見せられてるとテレビ見てる自分が凄く愚かな生き物に思えてくるよね。

CM懐メロリズムネタはもう定番になってて、まーワイら基本あほやしな〜ポリンキーポリンキー

みたいに時にはいつまでも口ずさんだりして大抵は看過出来るのよ。

でもさ、タウンワークが売ってるのはお菓子とか洗剤とか車とかじゃなく人だからさ、バカみたいなサブリミナルで働きかけるのは、もうテレビ見てる層にはこんな風に洗脳する感じが一番刺さると思われてる。SFディストピア小説か。

居間TVには人買いの歌が絶え間なく流れている。

タウンワークタウンワークバイトするならタウンワーク

あんたらが僕らを獣に変えた。この仕打ちはいずれ自分自身に返るだろう』回想録「谷間を覆う闇」より

 私たちが 居間の古いテーブルを囲んで座っていると突然 奇妙な足音が聞こえてきた。窓から外をうかがうと ふらふらと歩く痩せ細った人々の列だった。丸刈りの頭に 青白い顔。しま模様の上着ズボンが 体のまわりにだらりと垂れさがっている。

 彼らは かぼそい脚で 木製の靴を引きずるようにして歩いていた。肩から自動小銃を下げた親衛隊監視たちが その横を歩いている。

 その1人が玄関をたたいた。自分たちはヴィーゼングルント収容所から来た作業班で麦わらと豆を運びに来たのだと言う。

 前日の雨で 地面は ぬかるんでどろどろになっていた。麦わらの俵は かなり重い。積み上げられた俵を降ろそうとよじのぼった囚人たちは足を滑らせ 俵もろとも転がり落ちてしまった。

 

 母は薪まきで火をたき大鍋でジャガイモをゆでていた。

あの人たちは飢えている。とにかく 何か食べさせなければ』。

 そう言って 母は 鍋のふたを開けみんなに ジャガイモがゆで上がったことを知らせた。

 囚人たちが殺到し 大鍋がひっくり返ってしまった。ゆでたてのイモが地面に転げ落ちる。

 彼らは やけどするほど熱々のイモを奪い合い泥だらけのまま がつがつとかぶりつき始めた。

 両手で 口の中に 目いっぱい詰め込んでもっと つかもうとしてぬかるんだ地面に はいつくばる。

 1つでも多くのイモを手に入れようと必死になって奪い合っている。

この人たち 一体 何なの?』。恐れおののく母に『ユダヤ人だよ!』と監視が答えた。『ご覧のとおり 人間以下だよ』。

 

 その時 突然 背後からつぶやく声がした。流暢なドイツ語で 静かな怒りがこもっていた。

あんたらが 僕らを獣に変えたんじゃないか。この仕打ちは いずれ自分自身に返ってくるだろう』。

 振り返ると 青白く やつれた顔が目に入った。大きな灰色の瞳は不気味な光を放っている。

 それは 年若い囚人だった。彼だけは ジャガイモに飛びつかなかった。離れた場所に立ち 拳を握りしめてイモをめぐる争いを見つめていた。

回想録「谷間を覆う闇」ヴェンデルガルト・フォン・シュターゲン

NHK Eテレキュランドへようこそ「独・うちの敷地には強制収容所があった」

6/13(金) 午後11:00-午後11:49


アングル物資求めるガザ住民に「死の罠」、配給所付近イスラエル軍が銃撃 | ロイター

https://jp.reuters.com/economy/DLCNLT63JVIIBAKE6FAAS3QK3M-2025-06-11/

物資配給所では、開門前から長蛇の列ができていた。その先には砂の壁で囲まれ場所があり、テーブルや地面に物資の箱が置かれていた。

 開門と同時に数千人が殺到した様子を、サラマさんは「死の罠」と説明した。

「生き残るのは強者だ。体力があって人より早く到着し、人を押しのけて箱を手に入れられる者だ。自分肋骨同士がぶつかり合っているのを感じた。胸が内側に押し込まれるような感覚だった。呼吸が、できなかった。人々は叫んでいた。まったく呼吸できなかった」

 配給現場との往復途中、頭上を弾丸が飛び交い、はいずり回ったり身を隠したりした

 

 援助を受けるのは困難だと分かっていたが、5人の子どもには食料が必要だったと話す。子どもらはこの数カ月間、レンズ豆パスタしか食べておらず、1日1食の日も多いという。

米国企業(GHF)の援助拠点に行くのはまったく嫌だった。どれだけ屈辱的なことかを聞き、知っていたからだ。だが、何が何でも家族を食べさせる必要があり、やむを得なかった」

ガザの保健当局は9日、新しい配給システムが導入されてからの2週間、ほぼ毎日銃撃があり、物資を受け取ろうとしたパレスチナ人127人が死亡したと発表した。

 

ガザ配給所攻撃で死者300人 イスラエル軍の銃撃相次ぐ:中日新聞Web

https://www.chunichi.co.jp/article/1082863

米国イスラエル主導で設立した「ガザ人道財団」の物資配給拠点周辺での攻撃による死者が300人に上ったと発表した。負傷者は2600人以上。財団拠点付近では殺到する住民へのイスラエル軍の銃撃が相次いでいる。



邦訳

谷間の強制収容所 : ナチス時代のある青春 - 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/13259147/1/46

2025-06-17

どこ住むか?居間でしょ

と言ってはみたものの、居間ってどこ?

リビング

リビングって何??

みんなが集まる場所???

よく分かんないや


👴「よく分かんないのに言ったのか!このバカチンが!!」


ごめんよ、じいちゃん

2025-06-04

ねこが3歳になった

https://anond.hatelabo.jp/20241228143500

暑かったり肌ざむかったりしながらもやっぱり暑くなってきて、部屋を掃除してもすぐ床がねこの毛だらけになることで夏がきて夏毛になるのだなあと感じる中、増田といっしょに住んでいる三毛ねこが3歳になりました。町の動物保護センターのこねこ部屋では、はつらつとかわいいさまをアピールしているこねこたちが入っている「譲渡相談中」と札が下がってたケージのとなりで、知らない人が怖くて怖くて小部屋の奥に張り付くように震えながらまるまっていた増田ねこですが、今では堂々とまるまるとしてよく遊びよく食べ、ずっと増田に寄り添ってくれるりっぱなねこになりました。それはもう四六時中寄り添ってくれるので自宅にいるときはいつもねこ視線を感じますし、居間、寝室、台所クローゼットと移動するたびに全力で先回りしてくれます。先回りしたところで床に転がってお腹を見せる以外に何かするわけではないのですが、歯を磨こうとするときに洗面台の中に飛び込んで横たわられると水が流せないのでちょっと困ります

先日のこと、在宅で仕事をしている時にいつものようにひざに飛び乗ってきたので、両腕で抱き抱えつついつものように親指で頬をぐるぐると撫でつつ中指と薬指で耳の後ろを掻くと、目を閉じて喉を鳴らしつつ、右のまえあしと左のまえあしをゆっくりと交互に開いたり閉じたりしていました。これまで増田ねこふみふみする様子を見たことがなかった(先代のねこも一切やらなかった)ので、都市伝説に近いものかと思っていましたが実際に存在する現象なのですね。時間が止まったように感じる中でねこの手のひらだけ動いている、欲しかったものが全て腕の中にあるという、なかなかに不思議体験でした。enjoy the silence.

最近は出勤することが多くなっているので、その分ねこ日中留守番をお願いすることも増えてきました。以前は増田がそわそわと朝出かける準備をするさまを不思議そうに見ていたりしていましたが、このごろは慣れてきたようで雰囲気を察してソファの裏とかクローゼットの奥とかに移動するようになりました。留守番中の昼下がりは窓際の箱の中とかスツールの上とかで寝ているのだろうなあと、お腹の白い毛がたっぷりついたクッションに掃除機をかけながら想像したりしていますこちらからは以上です

https://imgur.com/a/yAmrPUp

2025-05-15

悲しい夢を見た

寝すぎたようで起きたら時刻は朝の10時だった

悲しい夢をみた

目をあけた時、私はお母さんの実家居間にいた

そこにはおばあちゃんがいて、お父さんがいて、お母さんが、いて、お兄ちゃんがいた

台所ではくるまいすに乗ったおばあちゃんがお兄ちゃんに手伝ってもらいながらなにか切っていた

おばあちゃんは去年亡くなっているのに。

コンロにはあふれんばかりのカレーが作られており、炊飯器ちょっとご飯をお父さんもお母さんもお兄ちゃんもみんなカレーをかけて食べていた。ご飯が私の分、無くなってしまったので

玉ねぎを切ろうとしたが、うまく皮がむけない

お父さんやお兄ちゃんが笑いながら応援してくれて、結局ちょっとだけ皮が残った状態で私は料理したわけだけど、すごくうまくいかなくて

台所の端っこで泣いてしまった。そしたら

お父さんがもういいかカレー食べようって

うからカレーをたくさん食べた

食べていたら目を覚ました

部屋には私、ひとりしかいない

考えてみたら全てが変だ、私は調理師免許を持っているし、玉ねぎが切れないわけがない

それにおばあちゃんの作ったカレーをいつも

お父さんは食べなかったし、私の料理を褒めたことなんかなかったじゃないか

それにどうしておじいちゃんは、二年前亡くなってしまったおじいちゃんは夢ですらいなかった

悲しい悲しい夢だった

2025-05-03

anond:20250502204555

2025年5月3日、ワイの日記やで。

朝、フェミちゃんの姿がなかった。布団はきちんとたたまれていて、湯呑みには昨晩の緑茶の残りが冷めたまま残っとった。最初は、また早朝散歩でも出たんかと思った。けど、時間が経っても帰ってこん。スマホも置いたまま。靴も、一足だけ消えてた。

嫌な予感がしたんや。

居間に戻って、ちゃぶ台の下で丸くなってたゴミーが「ぽふっ」と跳ねた。羽毛みたいな体をふわりと揺らして、心配そうにワイを見上げてくる。こんなときでもゴミーの目はくりっとしてて、どこか間の抜けた可愛げがあるんやけど、今日はその目の奥が、何かを察してるように見えた。

「……おまえ、知っとるんか?」と問いかけると、ゴミーは小さくひと回りして、窓際のカーテンをくぐって出ていった。慌てて追いかけると、路地の奥で、見覚えのない黒い車のタイヤ痕が地面に残っていた。踏み込んだばかりのように、まだ埃が舞っている。

誰かが、フェミちゃんを攫ったんや。

咄嗟ポケットを探る。パラダシアから持って来られたものは、記憶と、ポケットに突っ込んだままの“スーリヤの針”だけやった。細くて鋭い、太陽紋のついた金属器具。かつてアショーカが「魂に刺せ」と言うて渡してくれたもの。何に効くかも定かやなかったけど、今はこれしか頼るもんがない。

フェミちゃんが攫われた。誰が? 何のために?

ハカルの大乱動の影が、こんなに早く差し込んできたんやろか。まだ、起きるべきでない混乱が、予兆のように現れ始めたんかもしれん。

ゴミーはワイの肩に飛び乗って、羽をふるふると震わせた。その小さなぬくもりが、いまのワイにとって唯一の灯火や。

さなあかん。ワイは、ここからまた動き出すしかないんやで。

ドライアイ

左目がめちゃくちゃかゆいので眼科に行くと、アレルギー性結膜炎だという。ドライアイでもあるらしく、目薬をふたつ処方されて帰ってきた。

目が乾いているのはよくないことなので、いつも涙を浮かべていられるように悲しい思い出を考えながら過ごすことにした。そうすると思い出すのは5年前に亡くなった祖母のことだった。

ひとつはいつだったかの年の元旦家族みんなでごはんを食べているときに隣の祖母が茶碗にご飯粒をべったりと残していたので、それを無性に叱りつけたくて、わたしはなにかすごく冷たい言葉を吐いたのだった。祖母はもうずっと前から認知症だったので、それもよくわかっていなかったようだが、たぶん悲しそうな顔をしていた。これは何度思い出しても心臓がギュっとキツくてつらくなる。

ふたつめは、そのもう数年前に、家族揃って中華料理屋に行った帰り、祖父運転する車の助手席に乗っていた祖母が窓の外を眺めて「あれがずっとついてくるねえ、なんだろうねえ」と言ったとき。それは、夜空の月で、目の錯覚で月が追いかけてくるように見えることを祖母はとても不思議がっていたのだ。母も祖父も父も家族全員がなごやかな気持ちになって笑い、後部座席に乗っていたわたし祖母のことがたまらなく可愛くなって、うしろからその肩に腕を回し、いつもよりちゃんとやさしくすることができた。祖母は一連のすべてにずっと不思議そうな顔をしていた。

でもいま、そのふたつは、どっちも悲しい思い出になってしまった。ひとつめは絶対そうだけど、ふたつめは楽しかったとか、うれしかたこととして思い出せるべきことのはずなのに。まだ祖母意識がしっかりしていたころ一緒にサティに行ったとき祖母の思いつきでふたりでこっそりミスドドーナツを食べたこと、そのもっともっと前に、部活から帰ってきたわたしが疲れて居間で眠ってしまったとき祖母がそっと重たい毛布をかけてくれたことなども、いま思い出してみると、なぜか悲しくて苦しくなってしまってたまらない。ひとは死ぬと、そのひとにまつわる思い出のすべてが自然と悲しい、せつない思い出に変わってしまうのだろうか。悲しくない祖母は、もうこの世にはいないのか。そのことに気づくと余計に悲しくなって寝れなくなった。楽しかった思い出は楽しかった思い出のままで小瓶かなにかに詰めて永久保存しておくことはできないのか。そんなことを考えている。

2025-04-19

兄妹で同棲することにした

 春の雨が止んだ夕暮れ、就活帰りの芽衣は傘をたたみながらマンションの前で深呼吸した。二十四歳の兄・俊と二十二歳の芽衣は、この四月から一緒に暮らしている。きっかけは単純だった。東京での部屋探しに行き詰まった芽衣が「お兄ちゃんと住めば安心だよね」と漏らし、俊も「俺も一人よりは助かる」と応じた。

 けれど本当の理由もっと根の深いもの――幼い頃から続く、互いへの依存だった。

 両親は共働きで家を空けがちだった。小学三年生の夜、芽衣が高熱で泣きじゃくったとき、俊は水枕を作り、額に貼る冷えピタを薬箱から探し出し、朝まで横に座っていてくれた。芽衣記憶に焼き付いたのは、熱と寒気より、そのとき握り返された手の温度だった。それ以来、芽衣は何かあれば兄を呼び、俊は呼ばれずとも飛んできた。

 進学で一度は離れたものの、電話メッセージ毎日状況を報告し合い、些細な決断――夜食カップ麺を選ぶ程度のことすら相談してきた。だから同棲自然の成り行きに思えた。

 だが生活が始まってみると、ふたりの「自然」は常識から外れていた。芽衣は朝、俊が淹れるコーヒー香りでやっと目を覚まし、俊は芽衣が帰るまで晩ごはんに箸をつけない。スーパーの特売日にふたりの予定が噛み合わず買い物へ行けないと、冷蔵庫が空になってもインスタント食品を買おうとはしなかった。

 居間の壁に掛かったホワイトボードには、緻密なタイムテーブルが書かれている。起床、出勤、帰宅、入浴――歯磨き時間までびっしり。同じタイミングで同じことをし、同じシーンで笑い、同じ場所が好き。予定の空白はふたり不安を刺激するから、徹底的に埋められていた。

 五月初旬、俊の職場飲み会があった。「二次会はどう?」と誘われた俊は時計を見た。芽衣面接で遅くなる日だから帰宅時間は二十二時を超える。ホワイトボードの「二十一時・再集合」に間に合わない。

 結局、俊は一次会で席を立った。彼のスマホには芽衣からの「着いたよ。緊張で吐きそう」というメッセージが届いていた。俊は駅まで走り、改札口で妹を見つけると、背筋が緩んだ。芽衣も兄の顔を見てやっと笑う。互いの不安を打ち消すのは、相手存在だけだった。

 けれど社会ふたりの都合で動かない。六月、俊は大手クライアントとの打ち合わせを命じられた。地方支社で二泊三日。部長は「滞りない進行には君が一番」と微笑んだが、俊の心臓は縮む。出張当日の朝、芽衣は無理に笑顔を作り「お土産黒豆饅頭でいいよ」と言ったが、声は震えていた。

 新幹線トンネルに入るたび、俊のスマホ振動した。家事の手順、ゴミ分別炊飯器スイッチ――芽衣から質問が止まらない。返信しなければ妹が泣く気がして、商談の資料視線が定まらない。結局、俊は二日目の夜に発熱し、上司許可を得て一日早く帰京した。マンション玄関に崩れた俊を抱きしめながら、芽衣は「ごめんね、私が弱いから」と嗚咽した。

 事件は七月に起きた。芽衣内定から「配属先は名古屋支社」と連絡があったのだ。面談室で通知を受けた瞬間、芽衣の視界は真っ白になり、そのまま過呼吸で倒れた。搬送先の病院に駆けつけた俊は、点滴台のそばで涙を拭う妹に「大丈夫。辞退しよう」と囁いた。

 ところが医師は「お兄さんも一緒に暮らしているの? 少し病的な依存があるね」と指摘し、心理カウンセラーを紹介した。俊は反発した。自分たち家族だ、助け合っているだけだ、と。しか芽衣はベッドで顔を覆い「私たち普通じゃないのかな」と震えた。

 カウンセリングは八月から始まった。最初面談で、カウンセラー白紙メモに縦線を引き、左に「俊くんの人生」、右に「芽衣さんの人生」と書いた。

 「ここの境界が、ほとんど透けてますね」

 いたたまれなくなった兄妹は視線を泳がせた。

 セッションでは宿題が出た。「週に一度、互いに相談せず決断してみる」。芽衣美容院を予約し、俊は映画をひとりで観に行った。初回はどちらも胸が締めつけられ、スマホを何度も開いたが、二回目、三回目と回数を重ねるうちに、未知の風が入り込む感覚が芽生えた。

 九月の終わり、俊は職場の同期・沙織に誘われて、趣味ランニングサークルに参加した。芽衣は週末に同僚と鎌倉へ日帰り旅行に出た。リュックに兄の分の水を入れなくてもいい身軽さと、砂浜を歩きながら響く潮騒が、彼女の胸を満たす。夕暮れ、集合写真を撮る頃には、兄に報告しなければという焦りが少し薄れていた。

 一方、俊のスマホに届いたのは芽衣の「海の写真だよ。お兄ちゃんも走るの頑張って」。文章の終わりにハートマークはなかった。それを見て、俊は短い安堵を覚えた。

 秋が深まりマンションの壁に貼ったホワイトボードは半分が空白になった。芽衣は自室の本棚就活で読んだビジネス書を並べ、俊はキッチンに好きなミュージシャンポスターを貼った。カウンセラーは「良い変化ですね。境界線は線ではなく、ゆるやかなグラデーションでいい」と微笑んだ。

 相変わらず同居は続いている。ただ、食卓椅子は向かい合わせではなく、斜めに配置した。視線を逸らせる角度が必要だと気づいたからだ。

 十二月ベランダに出た兄妹は凍る夜気に肩を寄せた。街のイルミネーションが遠くで瞬く。「来年名古屋に行ってみようかな」と芽衣がぽつりと言う。胃の奥が冷たくなる感覚に俊は怯えたが、すぐには首を振らなかった。

 「行くときは、ちゃんと送るよ」

 それが、自分言葉として驚くほど自然に出た。芽衣は小さく笑い「まだ怖いけど、そう言ってくれると少し平気」と答えた。

 ふたりはまだ完全に自立したわけではない。深夜に悪夢で目覚めれば、どちらかの部屋の灯りがつく。だがドアをノックし、一拍置いてから入るようになった。ささやか境界が、互いを守るフェンスになっている。

 年明けには、またボード更新する予定だ。今度は空白を恐れず、余白のまま壁に残すつもりだと俊は言った。芽衣も頷く。余白には、ふたりそれぞれの未来が描き込まれるはずだ。

 兄妹で同棲することにした――その選択は、依存の檻にも、再出発のアパートにもなり得る。どちらにするかは、これからの彼ら次第だ。

2025-04-17

摩訶不思議体験をした

うちは猫を飼ってる。

三毛のぶちで、見た目は結構わかりやすタイプ

名前を呼べばちゃんと返事するし、甘えたい時はすぐ膝に乗ってくる甘えん坊さん。

そんなうちの猫が、この前外に行ったっきり一日帰ってこなかった。

いつもだったら夜にはちゃんと戻ってきて、朝は日向でぐーすか寝てるのが日常。だからちょっと心配になった。

でも翌朝。いつものように「にゃー」って鳴き声が聞こえて、玄関の前にちょこんと座ってた。

あー帰ってきた!って内心めちゃくちゃホッとして、猫のほうもどこか安心したようにしてて、いつもの日常が戻った感じがして嬉しかった。

でも事件はその翌日に起きた。

朝、カーテンを開けて居間の窓から外を見ると、そこに猫がいる。

うちの猫そっくりな、三毛のぶち猫がこっちを見てる。

え?なんで外にいるの?

もしかして、また出ちゃった?って焦って後ろを振り返ると——

……いる。うちの猫、室内にちゃんといる。

え?え?ってなる。

いや、ちょっと待て。寝ぼけてる?そう自分を疑ったけど、どう見ても猫が二匹いる。

ひとりは外。もうひとりは室内。両方そっくり。完全にバグ

恐る恐る外に出て、猫の方を呼んでみたら、「にゃー」と鳴きながら、こっちに近づいてくる。

戸を開けると、ためらいもなく部屋に入ってくる。

で、室内にいたうちの猫と目が合っても、まったく気にするそぶりも見せずいつもみたいに毛づくろいを始めた。

んん?

一昨日帰ってきた猫…もしかしてうちの猫じゃなかったんじゃ…?

よく見るとちょっと違う。でもぶちの入り方とか、目の色とか、体格もほぼ同じ。

でも、よくよく思い返すとちょっと鳴き声が違うかも?とか、前より甘えん坊?みたいな違和感はあった。

けどまさか猫を取り違えるとは思ってないから…気のせいにしてた。

結局、外から入ってきた猫が本物のうちの猫らしい。

先にいた猫はたぶん近所のそっくりさん。

の子、その後もしれっと居座って、何食わぬ顔で昼寝してた。

うちには、いま猫が二匹いる。

これ、本当の話です。

2025-04-04

anond:20250404115440

俺んちクリスマスの手が込んでて、あっ、サンタさんの鈴が聞こえなかった!?とか子供たちを大捜索させて、それからプレゼント居間に配置して見つけさせたりした。

弟はそれで中1までサンタ実在を信じた。

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