はてなキーワード: エリクソンとは
笑うこともなく、泣くこともなかった。
誰かが笑っているのを見ると、どうして笑っているんだろう?とその理由を知りたがった。
誰かが泣いているのを目にすると、泣いている自分が悲しいから泣いているんじゃないか?と考えた。
感情的にはどこか冷めた部分があるというよりは、世界をそして自分自身を一歩引いた目で見つめていたのだと思う。
それでも人付き合いは得意であり、リアルはネットと違ってコミュニティにおける明確な境界線があり禁忌さえ侵さなければ問題ないことを早い段階から知っていたためだろう。
パーソナルスペースにしても個人差は誤差の範囲であり、それさえ理解していれば親しくなる距離を保つことで友好な関係を結ぶことは造作もなかった。
話を合わせるのも得意だった。
中身がない会話にとって、最も大事なことは共感することであると幼い頃から知っていたから。
くだらない学生生活を過ごし、変化が訪れたのは大学一年の時。ふとしたきっかけでフロイトを知ったことだった。
それから私は精神分析に傾倒し、在学中にはフロイト、ユング、エリクソン、レイン、ラカン等の著書を貪るように読み、入学早々に目指すべきものが決まったのは幸運だった。
私は患者からも同僚からも評判が良かった。理論を元にしながら患者一人ひとりに寄り添い、心の奥底にある痛みや葛藤を解きほぐしていくことに喜びを感じていた。仕事に誇りを持っていたし、何よりも自分の選んだ道が間違いでなかったことに安堵と誇りがあった。
そんな中、人の女性が私の診察室に現れた。第一印象は今でも明確に記憶している。彼女を目にしたとき、私は"美しいな"と心からそう思ったのだ。
憂いながらも静かで耽美な佇まいは、今にして思い返せば最初から私の心を掴んでいた。
彼女の境界性パーソナリティ障害だった。
最初の診察時、彼女は「心の中に空虚感が広がっていて、何をしても満たされない」と言っていた。
普段は静かで冷静に見えたが、時折突如として情緒的に爆発する瞬間があり、その度に彼女の心の奥深くに隠された傷が見え隠れした。
初期の診察では、他者との関係で極端な浮き沈みを感じているとも話していた。最初は私に対して深い信頼を示し、次第に依存的な態度を強めていった。
この症状の一環として、彼女は「分裂的な思考」にも悩んでいた。彼女の中では、人や物事が極端に良いか悪いかでしか捉えられない状態が続いていた。例えば、私が些細な言葉で彼女を否定したとき、彼女は自分を完全に無視されていると感じ、私を完全に敵視するようになった。逆に、私が彼女の要求を少しでも満たすと、過剰に感謝し、私を理想化する傾向があった。
また、彼女の自己同一性の不安定さも目立っていた。彼女は自分自身を「何者か」として確立することができず、様々な人物像を使い分けていた。ある時は非常に優れたキャリアウーマンのように振る舞い、また別の時には家庭的で無力な女性のように振る舞っていた。それが日々変わり、彼女自身もどこに自分がいるのか分からないという不安を抱えていた。
私が治療を続けていくうちに、彼女の情緒的な不安定さと対人関係における極端な反応の背景には、彼女の過去に深いトラウマがあることが浮き彫りになっていった。
彼女は幼少期に家庭内での不安定な環境や感情的な虐待を経験しており、それが後の人間関係に強く影響を与えていた。
彼女は過去の傷を癒すことなく、大人になり、人との関係を築く中で再びその傷を引きずっていた。
治療の進行とともに、彼女は時折「見捨てられる不安」に苛まれ、私を試すような行動を取ることが多くなった。例えば、些細な遅刻に対して「もう治療を続けられない」と言って、全てを放棄するかのように振る舞った。私が「これはただの遅刻だから大丈夫」と冷静に伝えても、彼女は「自分がどれほど無価値であるか」を強く感じ、感情的に反応した。
私が彼女の症状に真摯に向き合う一方で、次第に私は彼女の依存に取り込まれていき、自己を見失っていった。彼女の不安定な情緒と過剰な期待に応えることが私の役目だと感じ、その中で自分の存在が徐々に薄れていくのを感じていた。
次第に治療を超えた関係が深まっていき、私自身も感情的に巻き込まれ、彼女の病的な依存に応えようとし続けた結果、自己の境界を失い、無理に彼女の心の中で居場所を作り上げることになった。
結果的には治療が進むにつれて、私は彼女に惹かれていった。患者として向き合うべき立場であるにもかかわらず、次第にその感情が抑えきれなくなっていたのだ。
私たちは仕事を超えてお互いの存在に惹かれ合っていた。倫理的に許されないことだと分かりながらも恋に落ちてしまったのだ。
派手な式を挙げる必要もないと感じ、二人だけの静かな結婚生活を始めた。
お互いに愛し合い、支え合い、共に歩んでいる実感があった。
しかし次第に彼女の欲求が強くなり、彼女はますます症状を悪化させていった。
自己評価が低いため、私の愛情が不十分だと感じるとしばしば「私を愛していないの?」と問い詰めてきた。どんなに努力しても、彼女の不安を完全には取り除けず、むしろ私の精神状態も次第に悪化していった。
このような状態に私はついに耐えきれなくなり、心が壊れていった。精神科医として患者の心に寄り添い続けることができたはずなのに、自分自身の心はすでに病んでいた。
彼女との生活は次第に破綻を迎え、私の精神は疲弊していった。私は彼女に振り回され、彼女の望みを叶えようとするあまり、完全に自分を見失ってしまったのだ。
今は自分というものが何者なのか、自分が何をしたいのかがよく分からない。
精神科医として患者を支える立場でありながら、自分自身が心の中で迷子になっている。
今はもう廃業寸前だ。私の診療所は経済的に困窮し、患者も減り、ほとんど閉鎖状態に近い。
精神的にも追い込まれ何をどうすれば良いのか、先が全く見えない。彼女との関係は完全に破綻しながらも、離婚をすれば私は死ぬと言って全く聞き入れようとはしない。今ではお互いに冷え切っているのにも関わらず。
壊れた心の中でどう生きていけばいいのか、もうわからない。毎日何もせず惰性に過ごしている。
今は妻と顔を合わせるのがつらい。
それでもたまに夢を見る。
私はトランスジェンダーで、「性自認って結局何?」とよく聞かれるから、私の理解する限りで書いてみる。と言っても、専門家でも何でもない当事者の一人が本を読んだりして考えたことなので、正確性は保証できない。
まず「性自認」はgender identityの訳語だ。identityは「自己同一性」と訳したり「アイデンティティ」とカタカナで書いたりするが、高校現代文のキーワードとしてお馴染みだからよく知られてる言葉だと思う。もともとはエリクソンという心理学者が提唱した概念。エリクソンは難しくてちゃんと読めてないけど、解説とかを見ると、要は安定して持続的な「自分はこういう存在だ」という意識のことらしい。
アイデンティティの確立は青年期の課題だとエリクソンは考えていた。思春期に自分は何者なのかという課題に向き合い、それを乗り越えるなかで自分のアイデンティティを確立していく。それがうまくいかないと同一性拡散という自分が何者なのかわからない崩壊状態になり、様々な精神的な疾患を生じさせる。
このアイデンティティだが、単に個人の内で完結するものではなく、社会との相互交流の中で、社会に自分自身を位置付けるようにして形成される面も大きい。それは例えば、自分自身を特定の言語と結び付けるとか、特定の国と結び付けるとかして、「自分はこの国の人間だ」というアイデンティティを形成する場合などに起きる。性別もこの関連で扱われる。
この社会には主に二つの性別グループがあって、良し悪しはともかくとしてそれぞれ違う扱いを受け、違う行動傾向を育んでいる。思春期の体の変化に気持ちが追いつかず、いきなり「男」や「女」を期待されて苦痛を覚えた人は多いと思うけれど、そうした人はアイデンティティの確立が始まる時期にまさに自分と性別グループの結び付けという課題の解決に困難を覚えていたのだろう。でも多くの人は思春期を過ごす中で遅かれ早かれ少しずつこの課題を乗り越え、安定した仕方で自分と特定の性別グループを関連付け、その性別の人間としてのアイデンティティを確立する。
gender identityというのはこの話だ。多くの人は青年期にアイデンティティを確立する過程の一部として、葛藤を乗り越えながら自分と特定の性別とを結び付ける自己理解を発現させ、それで心理を安定させる。
性別に関してややこしいのは、こうした青年期の課題としてのアイデンティティの確立とは別に、子供の頃に決められ、周りからの識別に使われるラベルとしても性別が機能している点だ。だから、gender identityの確立は単にアイデンティティを安定させるだけでなく、すでに与えられているラベルに即したアイデンティティ形成を期待されるという面もある。多くの人は多少の葛藤はあれど、これらをいずれも遂行していく。こうして人はシスジェンダーに育っていく。シスジェンダーの中にも葛藤が他の人より長引いたり強かったりする人もいて、そうした人は性別違和に似た感覚を覚えたことのあるシスジェンダーになるのだろう。
けれど、ごく稀に何らかの理由でそれがどうしてもできない人がいる。つまり、性別に関してあらかじめ与えられたラベルに従おうとするといつまで経ってもアイデンティティが拡散し続け、心理的な症状を生じさせる人だ。言い換えると、性別違和を感じる人だ。そうした人の中には、周りから期待される性別と異なる性別に自己を結び付けて初めてアイデンティティが安定する人もいる。ただ、その場合でもそのままでは周囲がそのアイデンティティを承認してくれず、社会と摩擦が生じ続けるし、自分のアイデンティティもその都度疑われて安定しづらくなる。だから、摩擦が生じないように見た目を自分と結びついている性別の人間として周囲に承認されやすいものに変えていくことがある。これがトランスジェンダーだ。
中には、どちらの性別グループとも安定した結び付きを形成できない人もいる。そうした人たちの中には、ノンバイナリーという新しいグループの一員として自己を理解したらアイデンティティが安定する人もいる。
一人の当事者に過ぎない非専門家の素人意見だけど、性自認というのはこういうものだと私は考えている。
この考え方だと、反トランスの右派がトランスを攻撃する中で持ち出してくる「トランスエイジも認めないとならないのか」という議論の馬鹿らしさも見て取れる。特定の年齢や年代であることというのは常に流動的で、青年期における安定したアイデンティティ確立の課題には関わりようがなく、例えば18歳としてのアイデンティティを葛藤を乗り越えて獲得するなどといったことはなされない。なので、そもそもアイデンティティには年齢という要素は入っておらず、それゆえ割り当てられた年齢と年齢自認のギャップなどというものは生じない。性自認を単なる自称に貶めるためのレトリックに過ぎない。
トランスレイスも反トランスのレトリックで頻繁に持ち出されるけど、こちらについては人種アイデンティティのことに詳しくないからよくわからない。ただ、人種が養子とかでなければ多くの場合で親から子へと引き継がれるがゆえに、その家庭の人間としてアイデンティティを形成することとその家庭の人間にはない人種の持ち主としてアイデンティティを形成することが矛盾し、安定したアイデンティティに向かわないとかはあるかもしれない。そうすると、性別の場合と違ってトランスが、不可能かはわからないけどかなり困難になるだろう。
恋愛的な意味になる。男性を見ていて、本当に鈍いと思うことがある。人生でそう何度もあるわけじゃない機会だ。ここで愚痴らせてほしい。女の子が不憫すぎる。どうして男の人は気が付かないの?と思ったことがそれくらいある。
若い年齢ではないから、リアルな感じは伝わらないし、違和感もあるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。
これまでに何十回とそういうのを見てきたけど、年代別に3人だけ語りたい。それぞれ、高校生の時とか、大学生の時とか、社会人の時とかいろいろある。
小町とかで書いた経験もない。文章は不足してると思う。読みにくかったらごめんなさい。
一つめは、高校の部活での出来事になる。文化系の部活に入っていて、社会福祉の活動をしてた。今の言葉でいうと、ヒューマンライツ部みたいな名前だった。
ハンセン病とか、人権があやぶまれている人達のために募金活動をしたり、東日本大震災の被害者のためにカンパでお金を集めたり、署名活動をしたり、あとは非核運動にも参加していた。集めた募金の方は、政党や団体に寄付していた。
書いてるうちに懐かしくなってきた。自慢にはなるけど、実績のある部活動だった。広島県庁からも、文部科学省からもインタビュー依頼があったり、賞をもらった。
忙しい時はとにかく多忙だったけど、普段はそこまでやることもなかった。そんな日は、狭い部室棟の一室で、みんなで雑談して盛り上がっていた。その部室で、ある時、当時は高3だった私と、同じく高3の女の子と、高2の男の子がいた。3人だけだった。
私は人権学習の資料を読んでいて、あとの2人は楽しげにトークをしていた。ちょっとうるさくて、注意しようか迷ったけど、そういう雰囲気の2人なんだなと思ってやめた。
気がついたら6時半になっていて、もう帰ろうかと思ってたら、高3ちゃんが高2君に話をはじめた。
「ねえ。なべは帰りは自転車だっけ」
「うちは電車なんだけど、じゃあ途中まで一緒だね」
「途中……あぁ、あの坂が途中で別れますよね」
「なあ、今日いっしょに帰らん? 駅まで。暗いし」
「途中までなら」
「駅まで帰らん?送ってくれん?怖い」
「うーん」
イライラしていた。高2君に。男はここまで愚かなんだろうかって、この時絶対にそう思っていた。高3ちゃんは黙ってたけど、一声を振り絞ったのを覚えてる。
「ねえ。なべー、今日一緒にかえろ?」
「すいません。帰れないです。今日は家まで急ぎなので」
さっきまで、あんなに楽しい調子で話してたのに。なんだったんだろう。だったら、さっさとあなた1人で帰ればいいのに。どうして、ここまできて駅まで送ってあげないの?
どうして、男の人はこんなことをするんだろう。たとえ乗り気じゃなくても、一緒に帰るのがマナーだと思う。高3ちゃんは、性格のいい子だった。外見だって。私から見てもブサイクじゃない。
なんで、高2君はあの時、誘いを断ったんだろう。一般的な男子だったら、一緒に帰るものだと思う。
彼のような男性が減ってほしいと願う。高3ちゃんの勇気が無駄になってしまった。ひどすぎる。
二つめになる。
大学生の時だった。教職課程を取っていた私は、ある難しいグループ講義に参加していた。教育方法学だったと思う。6人でチームを作って、先生が出した課題に沿ってグループ内で討論をして、レポートを半年間で4回作って提出する。2・3年生が中心の講義だった。
私が通っていた大学では教職課程最難関と言われていて、まじめに受けても3人中2人しか単位がもらえないという話だった(しかもほとんどの人が「可」の評価)。当然必修科目だ。
私が入った講義グループ(チーム)は、3年生が1人、2年生が5人で偏りがあった。講義の初回はオリエンテーションで難しくなかったけど、2回目からは本格的な教育学の討論が入って(エリクソンの発達課題?)、みんな自分の意見が出せずに苦戦してた。しかも、2週間後には関連付けたレポートを出さないといけない。
私もぜんぜんわからなかったけど、話の種はなんとか出てきて、ノートに記述を書き留めていって……でも、次の回になると課題がもっと難しくなった。上の課題が、別の経済問題(非正規雇用とかの多様な働き方)と関連付いていた。
ほかのみんなも黙り込んでしまってどうしよう、となったところで3年生の男の人が口火をきった。なんて言ったかは詳しく覚えてないけど、「先生の意図は、どうやったら主体的な学びができる子を増やせるかだと思う〜」という内容からはじまって、経済問題につなげていって、話を終える頃にはグループ全員が小レポートを作れるくらいの論がたまっていた。
講義終了後に、担当講師の人が用意したチーム単位の登録制SNSがあったんだけど、そこでも自分の論考をオープンにしていて、みんなその人の意見を参考にしていた。
第1回のレポートを終える頃には、チームのある女の子(大2ちゃん)が、その3年生(大3君)にひたむきな視線を送っていた。
講義中に話をする機会があったら、大2ちゃんはまっすぐに大3君の目をみていた。座っている同士だと、講義机の上に両手をちょこんと載せて、口を結んで彼を見ていた。お互いに立っている時だと、背筋をのばして大3君を見上げるみたいにして、できるだけ近くに寄ろうとしてる。
そういう姿を見るのが楽しみだった。大3君は、見た目はぼやっとしているけど、頭の回転が早くて、堂々としてた。私自身も、いい人だな、ご飯に誘われたらどうしようと思ってた。
第2回、第3回のレポートも提出が終わって、いよいよ最後のレポートを出す直前の講義だった。
その講義の責任者だった教育学部の教授から言われたのは、「最後のレポートを出す前に、お互いを評価しあいましょう」というものだった。5点満点で、メンバーがそれぞれ評価を出し合って、平均点が最終レポートに加算されるみたいだ。
その時、6人のメンバーは長机×2にそれぞれ座っていて、その5点満点の評価シートを眺めていた。緊張感があったと思う。人生初めての経験だった。
そしたら、大3君が言い出した。「これは、お互いに満点をつけるために存在しているとしか思えないから、みんなそうしよう」って。
みんなうんうん、と頷いていた。かくして、私たちはお互いに5点を投じ合った。大2ちゃんは、彼のそんな様子をあこがれの視線で観ていた。もう、第三者にもわかるような、それくらいわかりやすかった。
でも結局、彼女の想いは報われなかった。最終レポートを出し終えて、「最後に飲み会をしよう」となった時だった。福岡市内にある落ち着いた雰囲気の居酒屋で、みんなで六人だけの飲み会を楽しんだのだけど、わたし達は一緒に見計らって、大3君と大2ちゃんをくっつけようという話になった。
席を隣にしたり、一緒に話す機会を作ったり、ふたりがいっしょになるように計らっていた。でも…大3君は、そんな彼女をスルーしてた。仲良くする気配もなくて、ただ「そうだね」みたいに呟いてた。
その後、最後のチャンスということで、大2ちゃんが彼をご飯に誘ってみて、一緒にデートしたみたいだった。けど、大3君からは特にアプローチはなく。
告白しようか、と思ったみたいだけど、傷つくのが嫌だからやめた方がいいかなって彼女は言ってた。私もそうした方がいいと思って「待った方がいいよ」と、一通り話を聞いた後で助言した。
私が許せなかったのは、その次の年の別講義で私と大3君が同じ班になった時、一緒にご飯に行く機会があったんだけど、彼はその時「実は、大2ちゃんのことが気になってた」と意味不明なことを言ってた。
こいつ最低だと思った。自分の想いも告げないのに、勝手にフラれた気になって、自分からは動かないのに。どうして、男性はここまで自分勝手なんだろう。
大2ちゃんが気になってるなら、彼からご飯に誘って、彼からそれとない会話をして、彼から告白して、とにかく想いを告げるのは男性の役割だ。
もう過ぎたことだけど、今でもそういう煮え切らない態度の男性を見ると、正直腹が立つことがある。
三つめになるけど、今の職場でいうと、私と同じ齢の30手前くらいの男性がいて、彼は多分、私の同僚の好意に気づいているのに、なにもしようとしない。私はすぐ近くの席で見てたから知ってる。
その子は、彼と目が合いそうになったらすぐに逸らしたり、廊下ですれ違う時に端っこに寄ったり、彼と話をする時にまっすぐ背を伸ばして彼の顔を見詰めたり、話をしている時は声が極端に高かったり、低かったり…そういうわかりやすい態度で示してるのに、その男性は知らん顔をしている。
※結婚してる人じゃないよ。念のため。
その男性も、会社の飲み会の二次会では「あの子が気になるかも」ってトークをしてた。お酒の席だから冗談かもしれないけど、私からすると彼も彼女のことが気になってる。
男性って、どういう気持ちでそんなことをするんだろう。女の子からのアプローチがあって、しかも自分がその子を気になってるのに…どうしてそんな行動が取れるんだろう。
私にとっては、男性のそういうところが理解できない。悲しい話ばかりになったけど、我慢できなかった。今回は、自分の気持ちを正直に言ってみたつもりだ。厳しい意見は覚悟してる。一増田の意見として読んでほしい。
賠償金 + 名声(信頼)の低下ということで、何か一国の終焉を見ているようだ・・・
賠償金はなんとかなるにしても、技術的に信頼性が低いということがわかってしまったのは打撃ではないだろうか?
切り替え時の原因不明のエラーって、たいてい技術マニュアルが古いか、運用ルールが古いかとかなんだよね
古いというより長年そのままで硬直化していて、「理論上できるはず」で、えいやでやって謎のエラーとかがある
ドコモも同様の問題だったけど12時間で治ったってことは、プチ移行とかプチメンテを定期的にやってたんだろうね
AUがそれをやってなかったとは言えないけど、ドコモほど頻繁じゃなく、柔軟じゃなかったってことかな
やはり電線の時代からインフラを保ってたNTTの企業体質に分があったってことだろうね
ソフバンもエリクソンルータの証明書更新切れというプチ障害くらいしか起こしてないから、やはりすぐれた運用してるんだと思う
あと今回の事件で通話用のIMSモジュールが複雑ってことがわかったけど、楽天は新規勢ってこともあって、仮想化してる意味がわかった
仮想化してたらこういう問題は起きてもすぐ復旧できるから当然の設計だと思う
何点か、誤解がありそうなので。。。
>O-RAN Alliance発足
>O-RAN Alliance「3企業の寡占から抜け出したい奴集合www」
→寡占から抜けたいのに、寡占しているNokiaがその前身のx-RANからいるのは如何に。。。
あと、O-RAN Allianceを中国排除の文脈で語ると誤解を招きそう。
上記のプレスにある通り、そもそも中国系のC-RANとアメリカ系のx-RANが合併してできたものなので。
>(略)
>O-RAN Alliance「マジか助かるwwwwこれで俺らの天下やんwwww」
>ノキア(フィンランド)「ぼ、ぼくも仲間に入りたいな……?」
>O-RAN Alliance「……いいじゃんwwwww俺たちマブだろwwwww(よっしゃ世界シェア3位の企業取り込めたわ)」
→前述より時空がゆがんでいる。
>エリクソン(スウェーデン)「ああ、さんきゅー…(でも俺、中国とも仲良いんだよな…まあ世界2位シェアだし下手に動かんとこ)」
→2019年2月にはEricssonもO-RAN allianceに参加しています。
https://www.ericsson.com/en/press-releases/2019/2/ericsson-joins-o-ran-alliance
マジで覚書なのでザックリと。
各国「前々から頑張ってサービス稼働準備してた5Gの展開はっじめるよー」
ファーウェイ(中国)、エリクソン(スウェーデン)、ノキア(フィンランド)「俺らだけで世界シェア8割越えたわマジ最強」
各国の企業たち「5G癖強すぎワロタ。基地局の展開面倒すぎワロタ。独力じゃ無理あるわ。提携せんと無理ゲーすぐるwww」
O-RAN Alliance発足
O-RAN Alliance「3企業の寡占から抜け出したい奴集合www」
O-RAN Alliance「俺らで仕様決めるわwwwこれでみんな基地局展開できるwwwテラ天才wwww独力無いなら協力すればええんやwwww」
ファーウェイ「なんか小物が群れてるwwwwクッソ哀れwwwww俺が世界の通信シェア全部取ったるわwwwww」
米国「みんな見ろwwwwファーウェイの野郎めっちゃスパイ行為してたわwwwww俺の「友達」は俺の事信じるよなwwww一緒にハブろうぜwww」
独「だが断る」
韓「えっ、えっ、どうしよう」
中国「チッ」
米国「追い打ちしたろ」
Open RAN Policy Coalition(最新のオープン・ラン関連団体。米主導)、発足
Open RAN Policy Coalition「みんなでオープン・ラン広めていこうぜwwwwあ、中国クンお前の席ねーからwww」
GSMA(全世界が加盟してる歴史あるでっかい通信系組織)「O-RAN Allianceと協力するわwwww」
O-RAN Alliance「マジか助かるwwwwこれで俺らの天下やんwwww」
O-RAN Alliance「……いいじゃんwwwww俺たちマブだろwwwww(よっしゃ世界シェア3位の企業取り込めたわ)」
米国「中国wwwwオメーの席だけはねーからwwwwwあ、エリクソンくんはいつでも来てねwwww」
エリクソン(スウェーデン)「ああ、さんきゅー…(でも俺、中国とも仲良いんだよな…まあ世界2位シェアだし下手に動かんとこ)」
中国「キレそう」
なお今までの米中ITバトル
中国「じゃあ俺らはWhatsAppの国内利用を禁止したるわ。あと2022年までに独自OSでシェア奪ったるわ。舐めんなよ」
米国「できるもんならwwwwwwwwwwやってみそwwwwwwwwwウィンドウズ無くて生きていける?wwwwwグーグルなしで?wwwwwww」
「近代登山」の開始はスイスの貴族オラス=ベネディクト・ド・ソシュールが
1760年にモンブラン山の登頂に懸賞をかけたことに始まるらしいね。
一般には登山という概念さえ希薄であった当時、1760年のシャモニーへの最初の滞在で、未踏峰であったモン・ブラン (4811 m) の初登頂に対して 20 ターラーの懸賞をつけた。1785年には彼自身がエギーユ・デュ・グーテ (Aiguille du Goûter) を経るルートから登頂を試みたものの果たせずに終わっている。初登頂はグラン・ミュレ (Grands Mulets) を経たルートによって1786年にシャモニーの医師ミシェル・パカール (Michel Paccard) とポーターのジャック・バルマ (Jacques Balmat) とによって達成され、翌1787年にはソシュール自身も多数の観測機器を持って登頂を果たし、山頂で沸点や雪の温度、脈拍などを測定した。
「観測をしたい」とか「隣国に攻め込みたい」といった理由付きで山に登った記録は古代からあるわけで
それからすると「未踏峰に登ってみたい」というだけで登山を行うことこそ、
登山に限らず、そもそも冒険は「ロマン」で行われるのではなく、
などといった「実務上の目的」があって行われることが多い。
張騫もレイフ・エリクソンもマルコ・ポーロもイブン・バットゥータも鄭和もだいたいそうだ。
未知の探求のために個人的な衝動にもとづいて行われる冒険を求めているようだから、
それで言うとたとえばヘロドトス。
現存する最古の歴史書である「歴史(historia)」を紀元前5世紀に書いた人だけど。
ヘロドトスはサモスを去って以降、その人生のうちに少なくともアテナイ、キュレネ、クリミア、ウクライナ南部、フェニキア、エジプト、バビロニアなどを旅したはずである
ヘロドトスが調査・探求して記した『歴史』は当事者や関係者がまだ存命中の出来事についての記録であった。そしてそのための探求の方法は現代の歴史研究とは異なり、史料を確認して情報を収集するよりも、現地を回り関係者に聴取し、また自ら経験することが主となった。
彼は、誰かに命令されたり、土地を追い出されたりなどの理由ではなく、
ScienceはAlphaZeroの論文。セルフプレイでゲームを強化学習するソフトだがチェスも将棋も碁も出来る汎用性があり強いらしい。6ブクマ。IEEE Spectrumでの記事も3ブクマを集めた。
http://science.sciencemag.org/content/362/6419/1140.full
arXivは日本の古文書に使われるくずし字を認識するディープラーニングについての論文。4ブクマ
https://arxiv.org/abs/1812.01718
ジョージア大学の折り紙(三浦折り)の技術を使ったアンテナの記事。広い周波数をブロックできるとか。4ブクマ。
https://www.eurekalert.org/pub_releases/2018-12/giot-soc120818.php
IEEE SpectrumはIHMC(The Institute for Human & Machine Cognition)がボストン・ダイナミクスのロボットを人間と同じような歩行ができるようにしたというニュース。4ブクマ。
https://spectrum.ieee.org/automaton/robotics/humanoids/ihmc-teaches-atlas-to-walk-like-a-human
The Vergeはイギリスと日本でエリクソンの機器によって通信障害が起きた件。6日の記事なのでまだ詳しいことは書いてないが9ブクマ。
Billboardは2018年の音楽についてのまとめ記事にちらほらブクマ。
TechCrunchはJIRAがアンチパターンだとする記事に25ブクマが集まる。
https://techcrunch.com/2018/12/09/jira-is-an-antipattern/
ThreatPostはウィルス感染したWordPressサイトが他のWordPressサイトを攻撃しているという記事に3ブクマ。
https://threatpost.com/infected-wordpress-sites-are-attacking-other-wordpress-sites/139666/
Reutersはソフトバンクモバイルの通信障害の件でエリクソンが今頑張ってるよと言ったニュースに3ブクマ。
Bloomgergは#MeToo時代、ウォール・ストリートは女性を避けるようにしているというニュースに13ブクマ。
Newsweekはハワイモンクアザラシの鼻にウナギが詰まったニュースに15ブクマ集まる。
nprは今年のベスト音楽アルバムhttps://www.npr.org/2018/12/04/671206573/the-50-best-albums-of-2018-page-1 に2ブクマ。
Guardianでも今年のトップ100ソングス https://www.theguardian.com/music/2018/dec/03/the-top-100-tracks-of-2018-playlist 5ブクマ。
また、中国のプロパガンダについての記事も6ブクマ。中国政府から毎日新聞が金をもらっているという指摘も。
エリクソンの発達段階とかも鼻につく
死ぬってことではないと思うけど
そういう役割、必要とされる場所を探す必要はあるんじゃないかなと
心理的発達を
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
http://rzt.sakura.ne.jp/shinri/2006/01/post_1.html
もちろん、みんながみんな、マズローやエリクソンが言った心理的な成長を得られる訳ではない。
現にワイは現場で絶賛つまづいている。
自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールとカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。
盲信:不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在が証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。
不条理を受け入れる:不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。
不条理 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%9D%A1%E7%90%86
ワイは自殺をするほど勇気もないし、不条理を受け入れられるほど強くもないので、とりあえず、神様を盲信することにしました。なんだって?ワイのことをキチガイ呼ばわりするのかい?