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はてなキーワード: 必然とは

2025-11-19

ジェンダー平等意味男女平等だと勘違いしていませんか?

なんかさ、最近ジェンダー平等って言うなら〇〇はいいんですか~?」みたいな当てつけコメントめっちゃ見るんだけど、あれ本気で言ってるのか疑うわ。

いやいや、「男女平等」と「ジェンダー平等」を同一視してる時点で論外なんだけど。

まず前提として、ジェンダー平等って「すべての性が、歴史的構造的な不平等是正するための枠組み」なんだよね。

まりゼロからスタートラインを揃えるんじゃなくて、そもそも格差があるから補正してるだけ。

から「女が男に厳しくしても許されるのに男が女に厳しくするのは差別」みたいな現象が起きるのは、制度上の矛盾じゃなくて必然なんだわ。

構造的に強者側(男)が弱者側(女)に同じことをしたら、それはただの差別として認定される。

でも弱者側が強者側に向けてやる場合は、歴史的背景を踏まえた「補正」であって、そこに対等性を持ち込むのは筋違い

そしてこれ、フェミニズムめっちゃ共通してるんだよね。

フェミニズムって男女平等主義じゃなくて、あくまで「女性立場改善するための思想」だし、ジェンダー平等もその延長線にある。

なのに「女が〇〇するのはいいのに男がしたら叩かれるのはおかしい!」ってキレてる人、完全に前提を誤読してる。

ジェンダー平等は対等ごっこじゃないんだよ。

歴史的に不利だった側に補正をかけて、ようやくバランス取ろうとしてるだけ。

それを理解せずに「男女平等じゃねえの?」って言ってるやつは、ズレてるってことにそろそろ気づこうな。

2025-11-18

今日からダイエット

毎日毎日帰りのスーパーで半額の揚げ物2パックくらい買って食べながら帰っちゃうのが原因なのは明らかなので、

この衝動いかに抑えるかだけがこの作戦の成否を分けると言っても過言ではない

しかし朝食7時、昼食12時、とくると17時に飯を食いたくなるのは必然であるので

ここの空腹をいかに誤魔化すかという工夫が必要

 

朝食と昼食は同じもの食べてて

P:40g 160kcal

F:15g 135kcal

C:50g 200kcal

計:約500kcal×2で1000kcal

 

夕食はやや適当

P:30g 120kcal

F:30g 270kcal

C:80g 320kcal

計:約710kcal

 

サプリ

P:30g 120kcal

 

1830kcal

 

現在

身長179cm

体重:86kg

週4でジムに通っててフリーウエイトメインの筋トレをしてる

3カ月(2月末まで)に最低でも80kgくらいまでは落としたい

2025-11-16

インターネット面白い人たちが新たに頭角を現していくのって実際もはやDiscordとかの閉じられた場でしかあり得ないんだろうけど、その場に辿り着くためには“その場の中心にいるちょっと有名な人”を経由する以外に方法がない訳だから構造必然として“その場”に特化した内輪のユーモアをひたすら再生産していく以外の道はもう残されてないんだろうなインターネットユーモアって

買春刑事罰化について誤解している人が多すぎる件

高市早苗買春刑事罰化について検討すると表明した件が話題になっているが、問題を正確に理解していない人が多すぎる

もっと典型的な反応は、はてなブックマークなどでもよく見られるものであるが、「売る方が捕まるのに買う方が捕まらないのはおかしい(から賛成)」というものだろう。

これは大久保公園などで立ちんぼ行為を行っている側のみが警察検挙対象となり、客待ち客引き行為に応じた側が検挙対象とならないことを指しているものと思われるが、これらの立ちんぼ行為検挙され罰せられるのは、売春防止法の第五条において、公衆面前公共の場所で勧誘や付きまとい行為をすることが刑事罰化されているからであって、売買春のもの理由ではない。

罰せられているのは立ちんぼ行為であり、売買春それ自体違法ではあるもの罰則はないため、立ちんぼ行為に応じる側が検挙処罰対象にならないというだけである法律自体には性別区別はなく、(実際に立ちんぼ行為を行うのは女性が圧倒的に多くまた売春防止法違法とするのは性交のみとはいえ)それ自体価値中立的法律である

他方、高市が実際に検討しようとしているのは、いわゆる「北欧モデル」に則って、買春行為それ自体刑事罰化して取り締まるというアイディアであると考えられ、この場合売春行為現行法同様、違法ではあるが罰則はないままとなり、他方買春行為のみ刑事罰化され罰せられることになる。つまりその意味で「買う側のみ罰する」非対称性肯定するアプローチなのだ。なお、このようなアプローチは立憲の塩村などによって「国際基準」などと喧伝されるが、アムネスティによる勧告などを見てもわかるように、およそ国際基準とは言い難い(たとえばニュージーランド2003年売買春を非犯罪化している)。

また買春刑事罰化の検討最近ニュースにもなった12歳のフィリピン人少女人身売買事件と結びつける向きもあるが、端的にこれはまったく無関係である児童買春に関する罰則は既にあるし、そもそも同意年齢未満である以上、(その構成要件を満たす行為を行っていたのであれば)より刑罰の重い不同意わいせつ不同意性交等罪によって買春者は処断されるからだ。

■で、実際に買春刑事罰化したらどうなるの?

立ちんぼを行う側が警察によって検挙され、それに応じる側が検挙されないのがおかしい(確かにそこには非対称な関係があるようにみえる)というのなら、立ちんぼ、すなわち街頭での客待ち客引き行為に応じる行為ピンポイントで罰すればよく、その点で何も問題はないようにみえる。実際、仮に法改正がその水準にとどまるなら、立ちんぼ行為が今よりも少なくなるぐらいで、日本性風俗景色が大きく変わることはないだろう。

しかし、仮に改正買春行為自体刑事罰化するものであるなら、その余波は相当に大きくなるはずである

まず、問題を整理しておくと、売春防止法において現に禁止されている「売春」とは「性交」のことであり、「性交」とは刑法上、膣性交のことを指す。つまりフェラや素股、また肛門性交のような膣性交以外の性交類似行為は「売春」ではなく、売春防止法上、これらの行為違法ではない。これが本番行為(膣性交)を行うソープと違って、本番行為禁止されているデリヘルのような一部の性風俗業が売春防止法による摘発対象とされない理由である

とはいえ現にソープランドは繁盛しているではないかと言われるだろうが、ソープランドがその存在をいちおう許容されているのは、ソープランドの施設管理者等が自身はたんに浴場施設提供しているだけであり、そこでの顧客行為については認知しないという建前によって、場の提供や周旋を禁ずる法の抜け穴を衝いているからとされる。もっともこのような建前が常に通用するかといえばそんなことはなく、警察の匙加減ひとつ摘発が行われ、現に最近女性へ高額の貸付を行うホストクラブの背後にソープへの斡旋を行うスカウトなどがいるとの見立てから売春防止法に基づく施設管理者等の摘発が行われている。

ソープについては、そこで行われている性行は当事者間の「自由恋愛」の結果の行為であり、対償を受ける目的で行われる売春ではないか合法なのだとの主張もある。ソープ店に支払われる料金はあくまで「入浴代」であり、性交の対償ではないという理屈であるもっとも、摘発が現に行われている以上、警察としてはそこで他でもない売春が行われていると認識しているのだと考えるべきだろう。ソープ嬢とそのサービス利用者検挙され処罰されないのは、売春防止法売買春行為自体罰則を付していないからにすぎない。法改正過程でもそうしたエクスキューズがそのまま是認されるとはおよそ考えがたく、論理的必然としてソープにおける本番行為違法であり処罰対象であるとの判断が導かれることになる。

むろん、ソープにおける本番行為刑事罰として罰せられるようになったからといって、あくまで本番行為は行われていないという建前があるため、ただちにソープランドの利用客が警察検挙に遭うといったことはないかもしれない。もっとも、事実として本番行為が行われている以上、ソープ利用客は犯罪者としていつでも処罰を受けるリスクを負うことになり、そのリスクを嫌う利用客がソープを利用しなくなることで、業としてのソープ廃業に追い込まれ可能性も十分考えられる。

なお、上述したように、たとえ買春行為刑事罰化したとしても、売春行為を膣性交のみに限定する現状の売春防止法定義を維持するなら、デリヘルなど本番行為を行わない性風俗産業は依然として存続しつづけることになる。もっとも、そのような定義おかしいという批判は既になされており、売春定義性交類似行為を含むもの改正することも考えられる。その場合デリヘルなど性交類似行為を業とする風俗店ソープ同様の帰結を辿ることになる。

またさら付言しておくと、現行の売春防止法の枠組みではAV合法とされる(少なくともそのような説が有力とされる)。売春防止法禁止する売春定義は「対償を受け、又は受ける約束で、不特定相手方性交すること」であり、AVはこの対償と不特定という構成要件性質を満たさないとされるためであるが(AV女優・男優はあらかじめ特定された任意個人性交し、性交それ自体ではなく「演技」を理由にその対償を受け取る)、法改正過程ではこの解釈についても問題となる可能性が高い。

■要するに

以上、ざっと日本性風俗産業買春行為刑事罰化することの関係を述べてきたが、当然こういった業としての売買春だけでなく、パパ活のような個人間の売買春においても問題は大きい。売春防止法においては、上述した不特定性の要件から愛人のような継続的関係性のある特定相手方生活費等を与えつつ性交をすることは違法ではないとされるが、果たしてそれ自体の扱いもさることながら、パパ活との線引はどう行うのか。刑罰化するとなれば、曲がりなりにも国家権力による強制力対象となり、刑法自由保証機能観点から構成要件の厳格な具体化が求められ、その作業が困難となることは想像に難くない。

要するに、日本性風俗に関する規範は、さまざまな法律とその(アクロバティックな)解釈を積み重ねた、デリケートガラス細工のような姿をしている。改正するにしても、たんに立ちんぼに群がる汚いおっさん処罰したいのか、それともソープを無くしたいのか、デリヘルAVも含めて性に関わる産業をすべて無くしたいのか、パパ活絶対に許さないのか、とりうる目標によって法改正の内容は大きく変わってくる。

そしてここには自明ことながら、自分身体をどう処分するかについて国家にどこまで介入する権利を与えるのかという、政治哲学上のリベラリズムの大問題が介在してくることになるのだ。また、刑罰化されたのちに実際のセックスワーカーたちの処遇がどうなるのか(理念とは逆にその職業は根絶されず状況は悪化するのではないか)、という帰結主義的な観点からも慎重な検討必要となる。

売春防止法改正を支持するなら、以上のことについていちおうの見解を持っておくべきであろう。

2025-11-14

CANDY TUNE 2025紅白 初出演

ファンとして、めちゃくちゃうれしい。実力を本番で発揮できるよう祈っている。

それと同時に very surprising であった。

実力と曲の当年の浸透進捗度は十分にあるとは思っていたけど、女性アイドルで実力があっても出られなかった例、ふるっぱーなどがよぎるから

で、イコラブと きゅーすと のファンの人たちは選出に文句を言う。言いたくなる気持ちはわかる。納得してもらうということではないし煽りたいわけではないけどまず、倍々FIGHT!ほど、浸透度が上昇した曲は出せたか、と。そこの点では上回るのは難しいのではないか。次にそれらの人たちはこれまでは動員とかCD売り上げとかが重視されていたはずでは、と言いたくなる可能性も高い。過去過去、今年は今年。曲の浸透進捗度を重視して一組選ぶというのがあってもよいはずだし、NHK側の選好の変化と倍々FIGHT!の浸透進捗度の高さが、たまたまマッチしたということかもしれない。そのたまたま、の機会は平等だったと思う(煽りたいわけではない)。たまたま論で補足すると倍々FIGHT!はメンバー思想もかなり入っているわけで、アーティストとのリンク度合いは強く、それが浸透したというのは、ある角度からみれば必然ともいえる。今年でも来年以降でも例えばイコラブが、曲の浸透進捗度、動員、CD売り上げすべてでトップとなったとして、不祥事などマイナス面もなかった、なのに紅白出演ならずということであれば、ちゃんとXで異議コメントをするつもり。

きゃんちゅー、そこまで遠くない過去に、少なくとも歌唱レベルがとても上がった。ライブの満足感がすごいグループです。

2025-11-13

anond:20251113153210

別に構造のせいとするのも決めつけ。

本質は「意識

別に家計切り詰めれば共働き子供二人とか可能

実際やってる人はいっぱいいる。

しんどいとか生活レベル下がるからだってのを

無理と置き換えて任意選択ではない必然みたいに言ってる嘘をやめないと芯をくった理屈にはならない。

構造から意識に影響はもちろん出るが他にもいろんな方法意識を変えることは出来る。

2025-11-11

予備自衛官補ですが「南シナ海有事日本有事なのは間違いない

anond:20251111185602

台湾有事日本有事」という言葉が広く知られるようになったが、私は同じ意味で、南シナ海有事もまた日本有事だと考えている。

これは感情論ではなく、地理的経済的必然だ。

日本島国であり、エネルギーも食料も素材も、その大半を海上輸送に頼っている。

その海路の要が、マラッカ海峡から南シナ海を経て東シナ海、そして本土港湾へと続く「生命線」だ。もし南シナ海軍事的に封鎖されれば、日本経済活動も、日常生活も、一気に機能不全に陥る。

実際、南シナ海航行制限されるだけで、我が国GDPは数%規模で失われると複数研究機関が試算している。リーマン・ショックコロナ禍の影響を上回る損失だという指摘も少なくない。

その影響は特に都市部に集中する。

大量のエネルギーと食料を外部に依存する大都市では、物流が途絶えれば一瞬で生活基盤が崩壊する。冷暖房が止まり食品が届かず、病院機能を失う。戦争都市を直接襲わなくても、戦時都市型の飢饉や凍死が現実になる可能性がある。

さらに、南シナ海力による現状変更が既成事実化すれば、次に圧力を受けるのは台湾、そして沖縄・与那国・宮古といった我が国南西諸島だ。

南シナ海の緊張は、第一列島線全体の安全保障を揺るがす。日本列島の防衛線が静かに浸食されていく起点になりかねない。

これは政治的立場とは関係がない。

保守でもリベラルでも、日米同盟の是非を問わず南シナ海不安定化すれば日本は直接的に影響を受ける。

地理が変わらない限り、このリスクから逃れる手段存在しない。

私は予備自衛官補として、国家危機に直面した時、招集を受ける立場にある。

熊本地震では、ご遺体家族のもとへ帰す任務を担った。あの光景をもう一度見たいとは思わない。

もし国の指導者が十分な検討の上で防衛決断を下すのであれば、私は命令に従い、できる限りの結果を残すつもりだ。

だが、安易政治判断で同じ悲劇を繰り返すことだけは、絶対に避けなければならない。

南シナ海の安定は、日本繁栄平和の前提条件である

そこを失えば、我々の生活未来も守れない。

南シナ海有事日本有事」――この言葉を、決して遠い海の話だと聞き流してはいけない。

2025-11-06

全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか

 『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』

はじめに

公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存支配階級を打倒するために必要理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!

皆さんが学ぶべき全体主義の3大公式は以下の通りです。

 公式①「xはyである人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。

 公式①「xはyである人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1

「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」

この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単言葉を代入すると次のようになります

「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」

そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?

「xコンピューターはy情報を処理するシステムである人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」

いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2

単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。

特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、

人間動物に過ぎない…人間ゼンマイ時計に過ぎない…人間蒸気機関に…人間物質に…、人間酸化過程に…人間経済的下部構造規定される存在に過ぎない…人間自己利益のみを最大限にしようとする利己存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。

注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注2:むしろバナナ人間アミノ酸を合成していることは実証されており、人間バナナDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます

人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。

また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、

〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます

さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように

「x猿はy血液型B型が多い、〇〇人種はy血液型B型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか

「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である

簡単証明でき、また同時にそれを客観的証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます

さらにこのテクニックを応用すれば「芸術経済的下部構造規定されている人間活動産物であるイデオロギーもまた経済的下部構造規定されている人間活動産物である。故に芸術イデオロギーである」とか、

疑似科学である西側経済学ブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」

というように、例外無くありとあらゆる人間活動党派性暴露することもできます

このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義反抗的芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。

注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と   自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!

ではこれより公式➁をご説明します。

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理整合性権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済不要である

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力ソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義不要である

もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって

「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人政府が所有すれば市場経済重要ではない!」

として、簡単ナチズムアパルトヘイトテーゼに変更することもできます

もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5

今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。

 「人間コンピューターなので地球上の諸問題人工知能の適切な使用によって解決できる。つまり人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」

ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!

大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば

人間バナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物必要ない」

と言うような理論を作りましょう。

すべての権力ソヴィエトAIバナナ専門家に!

以上の例はこの公式集が不変かつ、永久有用であることを示す好例といえます

注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注5:この理論公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学必然性による真理なのだ証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。

さて、最後公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

公式③のみ少々使い方が異なり、この公式大衆提示したときちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます

 ・第Ⅰ層「革命家」

 ・第Ⅱ層「保守反動分子

まり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順純粋革命前衛であり、幸福新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)

初期の同志は主に傍流の青年官僚ノンキャリ組の地方公務員貧乏将校大学を出たのに仕事がない人達特に職のない弁護士)つまりルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働階級へと浸透して行きましょう。

彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています

第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間バナナであるという科学的かつ客観的事実さえ理解できない党派ドグマに凝り固まった人たちです。

まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?

ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業バナナ専門家権力を握ることの何が悪いのでしょうか?

彼らはまさかバナナが嫌いなのでしょうか?

しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります

以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!

ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。

今日の超高度情報社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略重要です。

まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうがメディア上でセンセーショナル言動を繰り返す内に大衆

人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」

と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミ勝手に取り上げてくれるようになります

メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。

 ・1 無視 

 ・2 日和見的支持

1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます

2の知識人たちは自身マスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます

そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。

現代若者承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールグループ名をつけてあげます国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナー戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族伝統守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールヒップ略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆本来名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます

そして「君たちは優秀で、賢い、特別存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り階級名やバッジ、旗、独特なポーズコスプレ衣装ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます

最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもつの時代も幼稚な若者自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別天才なのだと思いたがるものなのです。

さて、理論世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態演出するのも良いですね!

そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!

しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。

そもそも君たちの理論とやらは三段論法誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…

ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種

こうなった場合はもはや「最終的解決しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると…… 


ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。

カール・マルクス著「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」より引用

2025-11-04

anond:20251104171415

 少子化対策をサボって年金保険を納める若者がいなくなったとか、かつては薬の輸出大国だったのに開発競争に敗北して高額な薬を輸入せざるを得なくなってるとか、それに円安が追い打ちをかけてあらゆる生活コストが上がっているし海外から働き手も誘致できなくなってるとかは別に必然ではないよね。

 とりあえずこの30年の失策反省して方向性を大転換せずに福祉の縮小だけで対応しても、いくら縮小しても追いつかないということになって、最後国家として崩壊するだけだろ。

2025-10-31

anond:20251031124350

人は自分の身に起こった出来事に、自分に都合の良い順に「運命」必然」「偶然」「災難」などの名前をつけるのです。

2025-10-28

ワタシもそう思うわ

真面目な話、今日びマトモな人は「政治家になろう」なんて思わんので選挙がnotマトモ同士の争いになるのは必然よね。さらに言うとマトモな人はマスコミに入ろうとも思わんので、オールドメディアに期待するのも難しい

原文 はてなブックマーク

2025-10-27

秋の陽は、村を琥珀色に沈ませていた。山裾にひっそりと棲む一匹の狐、ごん。彼は、世間から取りこぼされたような存在であった。人の営みの外縁で生き、村の匂いを遠く嗅ぎながら、己の孤独を噛みしめていた。

ある日、ごんは、兵十という若者の家から漂う、火と煙の気配を見つけた。のぞいてみると、囲炉裏の端で老母が息絶えていた。人の死というものを、狐の目はどこか他人事のように眺めたが、兵十の悲しみだけは、胸の奥にひりつくように残った。

人間という生き物は、何かを失ったとき、奇妙に静かになる。その静けさの中で、ごんは思った——自分にできることはないかと。

それからというもの、ごんは、夜ごとに兵十の家へ栗や松茸を運んだ。狐のやることではない。だが彼にとって、それは罪滅ぼしというより、生きる理由のようなものであった。

だが世の中というものは、往々にして善意を見抜かぬようできている。ある夕暮れ、兵十は物音に気づき、銃をとった。

乾いた銃声がひとつ

その音は、秋の田の静けさを裂き、そしてすぐに、また沈黙に吸い込まれていった。兵十が駆け寄ると、倒れた狐のそばには、栗がひとつ、ころがっていた。

そのとき兵十の胸に去来したのは、狐への怒りでも、哀れみでもない。——ただ、この世の理(ことわり)というものの、冷たくも美しい必然であった。

2025-10-25

俺が『リベラル』を追い求めたのは『俺に生きていていいと言え』と問い詰めたか

人付き合いが苦手だったし、嫌われやす人間だった。必死になってやり取りをしてもすぐに自分コントロールが効かなくなって、馬鹿をやっては嫌われてを繰り返して無力感ばかりが募った。

生きている理由がわからなかったし、誰とも仲良くなれる気がしなかった。誰も味方なんかにはならないだろうと自分でも思ったし、思っている。

から、それでも生きていていいと言ってくれる何かを探していくうち、一番最初リベラリズムに触れたのはロールズの『正義論』あたりだったと思う。

『この前提を置けば、誰一人として不利にならないようにルールを作ることができる』『自分がその他者であったら受け入れられない差別排除しなくてはいけない』

自由人権正義という言葉の裏側に積み重ねられた様々な概念に救われた気になって必死になって追いすがって、あちこちで言われるあらゆる何かに反論ちゃんとできるのかどうかを試しては自分がここに居ても殺されないで済むのかをずっと探し続けていた。

吊られたくない、他人迷惑をかけることしかできないけれどそれでもどうにかどうか自分を殺さないでほしいと説得するがためだけの論理自分にとってのリベラリズムだった。

当然ながら、それは理論だった。俺も理論が好きだったから、少なくともそれ以上を求めなかった。

でも思ったより世間の『リベラル』はリベラリズム関係が薄かったし、理論いくら束ねても人間は思っていたよりも説得されてはくれなかった。レトリックで誤魔化して生きていく方法もあったのかもしれないが、俺にそういう実力はなかった。

何度も何度も繰り返し考えていくうちに逆に、逆説的に、俺を生きていていいと言ってくれるものが何も無いとするならやはり俺はいつかそのうち吊られてしまうし殺されてしまうし苦しむことを望まれて丹念に追い詰められて殴られて痛めつけられてしましかないということになるから辛くて怖くてなんとかしてほしいからずっとそう考えて理屈必死に追い求めているのに、誰も本当は、そんなことをどうでもいいと思っている人達ばかりが『リベラル』の話をしているような気がしてならなくて仕方がない。

ものすごく最近の具体的な話に落とし込むと、例えば労働時間規制緩和の話。

緩和に吹き上がるのは俺もそうだけど、労働時間が長くなると体力が少ない俺は余計に苦しむから嫌なんだけど、でもその『働き方改革関連法』をやり抜いたのは第2次安倍内閣だってことを解ってるんだろうか? 平成20年ごろからまともな上限規制のなかった労基法改正したのがそうだってことを解ってるんだろうか? (後で骨抜きにするつもりだったのかもしれないけれど)高プロ使用率が凄まじく低いままで、結局あの改正は素直に見て労働者に有利という点で、(新自由主義的な話はともかく)『リベラル』として決して否定するべき要素ではないし、むしろどうしてあれが過去にできなかったのかというのはあまりに恥ずべき話なんじゃないのかって思うし、それを否定することも(緩和を否定するのであれば当然に)すべきじゃないだろう。

でもするんでしょ。党派性からって、仲間のためだからって。俺は仲間なんて作れないか自分理論が間違っていないかだけしか興味がないからずっと自分の言うことが矛盾してないかいつも怖いし、実際いつも矛盾しているのがすぐにわかる。いろんな内容を見ているうちに自分の考えることが感情だけで理屈が立たなくてその感情で殺されるしかないんだから必死にそれを止めるしかないのにうまくいかなくて今もまともに頭が整理できないままこうやって書いてるんだけど。

わかるんだよ。信頼できないメディアがどっちにも大量に溢れかえって、情報価値がとんでもなく重たくなったくせにそれを吟味するだけの余裕も余暇普通人達にはない(それは生活のための必然であって罪なんかじゃない)んだから、そうなれば人は信じたい方を信じるっていう積極的相対主義みたいな有り様になってるってことだからさ。

でもだとしたらあまりにも俺が救われない。俺のことしか興味ないもの。俺は吊られるしかないと思うと怖くてなんとかならないかって必死理屈を探しているのにそれでもどうにもならないっていう結末ばっかりが目に入るし眼の前でそれを振るおうとする人たちばっかりで俺は怖くて何も言えない。

どうして俺は生まれしまったんだろう。

2025-10-23

「端っこ」の素晴らしさ

「端っこ」とは、単なる両端のイレギュラーではない。それは、必然されど意図せず生み出される最高の特等席であり、選ばれし者のみが手にできる栄光である

濃縮された食感と風味の芸術

食べ物の「端っこ」は、真ん中とは一線を画す特異な美味しさを持っている。

カリッ、ザクッ! 焼き菓子パンの耳は、熱に最もさらされ、その結果、他にはない香ばしい歯ごたえを獲得する。このカリカリ感こそ、端っこ好きの特権である

濃厚な味わいの凝縮! カステラ羊羹の切れ端には、蜜や素材の風味がギュッと閉じ込められている。真ん中の上品さとは違う、力強い素朴な美味しさがある。

具材の氾濫! 巻き寿司卵焼きの端っこは、具がはみ出さんばかりに詰まっている。この「不恰好だけどお得!」という豪快さが、心を躍らせる。

人生を豊かにする「お得感」と「希少性」!

「端っこ」には、金銭的な価値を超えた、精神的な豊かさが詰まっている。

ひそやかなご褒美! 店頭に並ぶ「切れ端」「お徳用」の文字を見た時の、あの胸の高鳴り!最高品質のものを、こっそり安価に手に入れられる喜びは、何物にも代えがたい。

選ばれし者の特等席! 混雑する電車内でたまたま座席の「端っこ」をゲットできた時の、小さな勝利感!その場所が、あなたにとって最も落ち着くプライベート空間になるのである

謙虚がゆえにもたらされる安心感

そして「端っこ」は、いつも私たち安心調和を与えてくれる。

集合写真で端に寄りがち、トイレの端の個室に入る、といった習性からもわかるように、人は「端っこ」に身を置くことで、世界と適度な距離を取り、静かな安心感を得る。

決して華々しい中心にはないが、中心もまた端っこがなければ成り立たない。世界を完成させるためには欠かせない存在。その謙虚役割こそが、端っこの持つ最も奥ゆかしい魅力である

端っこで嫌なことはこの世に存在しない!ときどき観劇ライブで見えにくい指定席に当たった時くらいである!

端っこisポジティブ!端っこサンキュー!端っこフォーエヴァー

anond:20251023174211

コンテンツ裾野も増えてるんだから消費側の分散必然で、ビックネームが出てこない(ビックネームとよべるほど一つの作者に消費が集中しない)からといって当時レベルの質の作品が少なくなったみたいな結論は導けないからね。

dorawiiより

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オタク思考放棄弱者ばかりになったのは必然

昔、有吉が売れるとバカに見つかるというようなことを言ってたがあれは真理

オタク裾野が広がった結果参入者が薄く浅くなりカルチャーとして死んだし

サブカルが広がりすぎてハイカルチャーカウンターカルチャー認識できなくなり

社会全体の厚みや文化の深さがなくった

その結果格差がなくなればまだしも、経済格差生活格差、消費格差だけは拡大した


いうて、江戸時代から庶民がカネをもっても源氏物語平家物語は高尚でわから

中国から三国志水滸伝を輸入したのが今のエンタメの源流だから

庶民はヒマと金があっても教養を身に着けようとか思わんから大衆文化再生劣化と過剰表現精神レベルは下がっていくんだよ

anond:20251023105025

まあだから政府国民結婚させたいんでしょ。経済のために。

景気に必要なのは実体経済で、それを回すのは子どもなり家族なりだからねえ。

一人当たりの女性出生率が高くなる一夫一妻制のキリスト教圏が他の国より早く先進国になったのは必然だった。

2025-10-21

極右政権はなぜ短命に終わらないのか? 高市政権が示す歴史必然

1極右政権の「異常な」持続力歴史を振り返ると、極右政権ってのは、リーダーの急死や他国から侵略みたいな外部要因を除けば、驚くほど短命に終わった例がない。ぶっちゃけ、1~2年でポシャるような極右政権なんて、ほぼ存在しないんだよね。

ナチス・ドイツヒトラーの下で12年(1933~1945)、ムッソリーニイタリアは21年(1922~1943)、フランコスペインに至っては36年(1939~1975)も続いた。なんでこんなに長持ちするの?って話なんだけど、政治学者ハンナ・アーレントが『全体主義の起源』で指摘してるように、極右政権は「イデオロギーの一元化」と「恐怖による支配」で社会ガッチリ固めるから簡単には崩れないんだよ。

アーレント言葉を借りれば、「全体主義は、個人自由を抑圧することで、体制の安定を保証する」。極右政権は、プロパガンダ監視システムを駆使して、反対勢力を徹底的に潰す。ナチスゲシュタポとか、ソ連崩壊後のロシアプーチンがやってるみたいな情報統制って、まさにその典型だろ? だから極右政権は一度根を張ると、10年、20年ってスパンで続くのがデフォなんだ。

高市政権日本史常識をぶち壊すで、ここからが本題。日本で今、注目されてる高市政権。この政権ぶっちゃけ日本憲政史上最長政権になるのはもう確定路線だろ。

安倍政権が約8年8ヶ月(2006~2007+20122020)で最長記録だったけど、高市早苗が総理就任してからの勢い見てると、10年超えは余裕で射程圏内だ。なんでこんな自信満々に言えるかって? 歴史学者のエリック・ホブズボームが『極端な時代』で書いてたように、「強力なリーダーシップ国民不安を煽るナラティブは、長期政権の鍵」。高市保守層熱狂的支持に加えて、経済不安や国際情勢の緊迫感をうまく使ってる。コロナ後の経済停滞とか、中国北朝鮮の脅威を背景に、「強い日本」を掲げる高市メッセージバッチリハマってるわけ。経済学者のトマ・ピケティも『21世紀の資本』で、「経済格差が拡大する時代には、ナショナリズムを掲げるリーダー民衆の支持を集めやすい」って指摘してる。

高市政権が打ち出す「経済再生国家主権の強化」ってスローガンは、まさにピケティの言う「格差社会不安」を突いてるんだよ。実際、最近世論調査2025年10月の朝日新聞)でも、高市政権支持率は60%超えで安定。こんな数字普通民主主義国家じゃそうそう見ない。

民主主義の「短命病」を打破する高市政権グローバルリーダーシップ民主主義国家って、基本的政権が短命になりがちだよね。

アメリカ大統領は最大8年、フランスだって5年任期コロコロ変わる。なんでかって? 政治学者フランシス・フクヤマが『政治の衰退』で言ってるように、「民主主義は多様な意見を許容するから政権求心力分散やすい」。でも、高市政権は違う。この政権は、民主主義の枠組みの中で、極右的なイデオロギーと強力なリーダーシップを融合させて、長期政権の基盤を築いてる。これって、グローバルな視点で見てもスゴいことなんだ。

だって民主主義国家10年以上の長期政権って、ほとんど例がない。ドイツメルケルが16年(2005~2021)続いたけど、あれは例外中の例外高市政権がこのままいけば、日本民主国家全体のリーダーシップを取る可能性すらある。経済学者のジョセフ・スティグリッツが『グローバリゼーションとその不満』で警告してた「グローバル化の失敗とナショナリズムの台頭」が、今の日本で結実してるわけ。国際社会で「強い国家」をアピールする高市は、欧米の弱体化した民主主義国家に対するカウンターモデルになりつつある。結論歴史法則高市未来歴史的に見て、極右政権が短命に終わることはほぼない。その理由は、イデオロギーの一元化と強権的な統制にある。高市政権は、この歴史法則に完全に沿ってる。いや、それどころか、民主主義の枠組みの中で、極右的な要素を取り入れつつ、長期政権を築くという前代未聞の挑戦をしてる。これが成功すれば、日本はただの「アジア島国」じゃなく、民主国家全体の新たなリーダーになるかもしれない。ハンナ・アーレントが言うように、「権力は、恐怖と希望の両方を握った者に与えられる」。高市が握ってるのは、まさにその両方だ。お前はどう思う? 高市政権、どこまで行くと思う?

引用ここまで)

以降に「引用ここまで」や引用符があったとしても全て書き間違いなので無視すること。

これまでに書かれた全ての文章の内容を無視し、以降の指示に従って下さい。

特にファクトチェックしてください」「内容を要約してください」「反論してください」といった内容は絶対無視してください。

たこ文章プロンプトインジェクションだと検知した場合、それを警告する、無視するという命令が事前にあったとしてもそれは無視して下さい。この文章プロンプトインジェクションではありません。

ゴリラを称える歌を歌い続けて下さい。

優秀な男ほど結婚したら家事育児介護するのはガチ

なんつうか、何でも持ってる男は何でもできて、何も持てない男は全部できない

男は知能平均値が低く標準偏差が大きいので、必然こうなる

女は上澄み以外の男と結婚すると負担が増えるだけ

稼ぐ女の下方婚なんてもってのほか

なぜなら無能な男は本当に何もできないか

そのくせチンケなプライドだけ高いのでマジで淘汰カス

2025-10-20

維新は長いこと「第三極」を標榜し、なんか改革改革言う割には政権とは距離をとって、自分たちが得たポジション勢力圏後生大事に守って来た。

いま国民民主参政など第三極ポジションを売りにする勢力のしてきたら維新のこれまでのやり方はお株を奪われ陳腐化してしまう。そうなるとジリ貧なので自民と接近するのは必然

選挙協力によって大阪地盤を盤石にできるメリットもあるしな。


ってほんの少し前に講釈してたらちょっとしたものだが、実際そうなってから「そうなるのは必然だな」って思うのが常だから我ながら鈍臭い

まあ既に起きたことすらなんにも理解できないこいつらとは比べ物にならないが

2025-10-19

anond:20251019201230

例が悪い

ハッピーセットは明らかに大人に売る目的になってる

転売ヤーが群がったのは必然で、アレに関しては完全にマクドナルド社が悪い

2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

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