はてなキーワード: チャリとは
そこよりほんのちょっと人の多い場所で育ち今東京で子育てしてるわいの意見
習い事の意義は以下の2つ
習い事でなくともこれができる機会をもてるようにすると良い
ただ選択肢や機会が少ない分、努力したくなる何かや信頼できる大人に出会いづらいのはある
一方で子供の立場だとどこに行くにも親に送ってもらう必要が生じるのと
世にある様々な機会や場所の存在を普通に暮らす中で認知しづらい弊害が生じる
(これが自分の中ででかくて子供のためだけにチャリ行動圏が日本一充実してる場所に住んでる)
子がどこか行きたい時はいつでもどこでも喜んで足になるスタンスでいるべき
車で1.5時間くらいの範囲で子供が興味持ちそうな場所は全部調べ上げて毎週末連れてこう
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
普段「日本の悪いところを素直に認めろ!外国も同じとか関係ない!whataboutismをやめろ!」って言ってるネームドはてサたち
quick_past 人口が密集してないところや、貴殿の目に付かないところで行われてる、おぞましい行為を君は見なくて済んでるだけですよ。
segawashin そら電車内の痴漢は満員電車が無ければ成立しないからなあ。田舎は田舎で露出とかチャリですれ違いざまに体触るとかいう系統の痴漢が普通に出没するので、痴漢が東京固有のものであるはずがない。
cinefuk 田舎では、自動車を使った性犯罪が多発する。拉致・誘拐に至らなくても、声掛け事案だったり、路肩に停めたクルマの中から性器を摩擦する男に声をかけられたり。百万都市のターミナル駅から数百メートル範囲の事件
aquatofana ええと、御堂筋線事件って言うのが起きたのってどこの路線だっけ
Arturo_Ui 美濃加茂市で市議会副議長がやらかした件も「痴漢」の範疇だと思いますよ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240510211920
grdgs 擁護でなく主語が小さく不正確ってこと。東京ってより日本(の都市部)という方が正確 / 普段ミラーリングガーって連中、条件合わせの基準が恣意的・ご都合的すぎ。これもミラーリング基準で極小まで条件合わせろよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240511132215
いやさ、蕨駅周辺にクルド人多いのは昔から知ってるし、多からずともクルド人の実害食ってる人いるのは知ってる
てか川口に住んでる人なら昔から知ってる、そして中小の工場が安い外国人を使いつぶして産業を支えてきてるのも知ってるから、別にクルド人に対して違和感を感じない
青木のほうの某ケーキ工場とか夕方みるとクルド人が大量に並んでるからな、お前らが食ってるケーキはクルド人が作ってんだよ
でもさ、長年川口住んでるから言えるけど日本人のほうがやべえって
隣の戸田市も含めれば去年だけで銃ぶっぱなしたの全部日本人だったろ、川口元郷で刃物もって店に押し入って強盗したのだって日本人じゃねえか
川口市含め住吉会系の事務所が多いから元ヤクザのジジイが多いんだよ
んで、その家系なんかも輩みてえなのが多いんだよな(中にはカタギとして馴染んでる人もいる、同級生のじいちゃんがヤクザだったとかよく聞く)
俺の世代なんかすげえ荒れてたから今振り返っても「この地域終わってんなぁ」って思ってたけど
それに比べりゃ今なんかむしろ川口市相当治安良くなったほうだぞ
今じゃバイクが大量に止まってる団地とかどこでも見ないし学ランとパンツで帰ってる高校生も見ないしな
俺の通ってた小学校の近くにクルド人の解体ヤードが当時からあったんだが何か問題があったとか小学生が危険な目にあったとか一度もねえよぶっちゃけ
なんならブルマ履いておっかけてくるおっさんとか、校内に侵入して「OK!?OK!?」ってOKを求めてくるおっさんとか、やべえのは全部日本人だったよ
ちなみに「川口市=クルド人でやばい」っていってる奴って大体市外の人間だわ、インターネットで聞きかじったんだろうな
俺は蕨駅前でチャリ乗ったクルド人に「You fuck!!yeah!!You fuck!!yeah!!」って指さされたことしかねえよ
川口市の病院で働いてる人とかはクルド人とか中国人に思うところ多いと思うが、それ以外の人でクルド人に迷惑してる!!っての全体の1割ぐらいしかいねえんじゃねえか
市内北の方に行くとほとんどみねえしな、元旦の神社で屋台だしてケバブだしてコミットしてるクルド人とかもいるし、俺は憎むべきは「クルド人」じゃなくて「不法移民」だと思うぞ
だからクルド人を受け入れろ!!!!!!!!!!って話ではなくて、「川口の治安が悪いのはクルド人のせい」っていうのは「いやそれはちげえだろwwwwwwwwもともとだよ」って話
世の中では、レンジャーなら銃剣でクマくらい倒せる(のか?)、という話で盛り上がっておる
とはいえレンジャーに「殺れるか?」って聞いたら絶対に「レンジャー!」と答えるだけであろう
なぜならあいつらは精鋭中の精鋭、出来るか出来ないかなんて無意味で、「殺る」しか選択肢はないからだ
だが、世の中の人々が本当に知りたいのは、実際に殺れるのか、なのである
だからさ、
試そうぜ、弱者男性を使って!
あのあたりの寂れきったクソイナカにも良い観光資源ができる
物見高いインバウンドも弱者男性のがちんこバトルを観に来るであろう
宿泊施設で
交通で
周辺娯楽施設で
近くの観光地で
広告費も出るぞ
なにしろローマのコロシアムでも行われていたという人間の本能をビンビンと刺激する娯楽部や
大阪のカジノ構想なんて吹っ飛ばす大興奮のギャンブル場になるであろう
勝つことが出来れば莫大な賞金が出る
それだけでなく、クマを討ち果たせばまさに「漢の中の漢」であり、大人気モテモテになるのは間違いない
人生一発逆転や
先週の水曜日、久々に電車を乗り間違えた。乗る予定だった快速に間に合わず、鈍行に飛び乗った瞬間、スマホがないことに気づいた。鞄の中をひっくり返しても出てこない。心臓がキュッとなったまま、僕はそのまま降車ボタンを握りしめた。
「終わった……」
そんな気分で座席に突っ伏していたら、隣のサラリーマンが「スマホ出しっぱなしだよ」と僕のスマホを差し出してくれた。自分のズボンのポケットからスルリと落ちて、あのとき僕は絶望と救いを同時に味わった。
金曜日はカフェで原稿を書こうと思って早めに家を出たのに、規約改定の通知メールに気を取られて、気づけば店内の電源コンセントには誰かのスマホが4台も占領していた。まるで現代の寺院か何かかと思うほどの勢いで、人々はスマホを充電していた。僕は仕方なくスタバの横のコンビニでコーヒーを買い直し、立ち飲みで原稿を打った。
土曜日は久々に友人とオンライン飲み会を開いた。Zoomで顔を合わせた瞬間、「なんか肌が綺麗になった?」と言われて、30分でスキンケアの話を延々と聞かされた。結局、カメラ越しに高級クリームの通販サイトを3人で覗き込み、散財の予感で夜を終えた。
日曜日の夜、ベッドの枕元には充電器に繋がれたスマホが三つ並び、通知音がリレーのように響き渡った。僕はそれを全部サイレントにして、慌ただしく歯を磨いた。鏡の前で自分の顔をじっと見つめ、明日からまた乗り過ごさないようにと心に誓った。
最近の僕はこんな感じで、電波と通知に囲まれながら小さなドラマを繰り返している。平凡な日常のはずなのに、たまに訪れるほんの少しの異変が妙に心に残る。おそらく、これが僕という人間の「仕草」なんだろう、と思う。
そして火曜日。朝のカフェラテを買いに近所の自販機へ向かったら、100円玉が詰まって落ちてこない。自販機を揺すっている僕を、横を通り過ぎる小学生が不思議そうに見つめていた。結局、お釣りレバーをガチャガチャと引きながら、後ろに並ぶ人たちの視線が背中に刺さるのを実感した。
同じ火曜日の夜には、久しぶりに夜風に当たろうとベランダへ出た。腕時計を忘れて外に出たことに気づいて、一瞬「時間なんてどうでもいいか」と思った。でも、空に浮かぶ月を見たら、何かを忘れていた自分を思い出した。たぶん、大切な約束だった。
水曜の昼下がり、オフィスの自分の席に戻ると、机の上に見知らぬ封筒が置いてあった。開けてみると、先輩からの差し入れの焼き菓子と「頑張れよ」とだけ書かれたメモが一枚。小さな包みと一言が、妙に心に沁みた。
そして今、また週末が近づいている。僕はスマホを手に取り、見慣れた通知アイコンを見つめたまま、ふと思う。「こんな些細な出来事が、いつか大袈裟な物語になるのだろうか」と。カチャリとロックをかけて、その疑問をそっと胸にしまい込んだ。
今朝、十年ぶりに知人から連絡があった。十年ぶりですよ。十年といえば、イチローがメジャーでヒットを打ち続けていたぐらいの歳月である。その知人が「助けてほしい」と言ってくる。で、その助けというのが、財布からチャリンと小銭を出すようなレベルではなくて、紙幣を重ねて封筒がパンパンになるぐらいの金額である。
事情はよくわからない。娘さんが病気で、しかも心臓だと。で、紛争で家族は国外に避難させ、自分は母国に留まっているらしい。――いったいどんな状況だと思うかもしれないが、平凡に日本で暮らしているお前らと違って、私くらいの国際人になると、こういうシチュエーションもごく普通に転がり込んでくるのだ。いや、望んで転がり込んでくるわけではないのだが。
困ったのは、ここで私は「選択」させられる立場に突然なってしまったことだ。選択なんて、ふだんはスーパーで「特売の白菜にするかキャベツにするか」ぐらいでいい。白菜とキャベツなら失敗しても鍋の味が変わるだけだが、ここでの選択は、ひとつの命がかかっている。
援助すれば「無限出費コース」の扉が開きかねない。援助しなければ「冷酷人間コース」に直行である。昨日まではそんな分かれ道なんてなかったのに、今日は急に「さあ、どちらに?」と背中を押されてしまった。
そして困るのは、この分かれ道に「通り抜け禁止」の道標が立っていることだ。本当なら「今日はやめておきます」という第三の道があるはずなのに、それは最初から消されているのだ。援助するか、しないか。告白されたら、付き合うか、断るか。選択的夫婦別姓になったら、どちらの姓を選ぶか。――「選ばないでいる」という道は、問いかけられた瞬間に閉じられる。
私はただ呼びかけられただけなのに、呼びかけの瞬間から「選ばない自由」さえ取り上げられ、責任を背負わされる。
――人生とはなんと理不尽な舞台だろう。だからウルリヒ・ベックもサルトルも嫌いなんだ。難しく「リスク社会」だの「自由の刑」だのと言われなくても、もうじゅうぶん、こちらの胃には重いのである。
妻が妊娠した。
それ自体は大変うれしく、喜ばしいことだ。
そう、その通りなのだが、やはりいざ夫という立場でそれに遭遇すると、予想以上に大変なことが多い。
まず現在の状況で言うと絶賛つわり真っ最中の妊娠周期あたりで、初期的な流産のリスクもまだまだ高く、慎重な行動が求められる時期だ。
おそらく女性の生理と似たようなものだと思っていて、軽い人もいればめちゃくちゃ重い人もいる。
一般的につわりは、妊娠8週〜12週までの間に訪れ、特に9週目あたりをピークとし、12〜16週くらいには落ち着くものとされている。
そして16週からは安定期(つわりが落ち着き、流産のリスクが低くなる)に入るというのが教科書的な知識だ。
つわりの期間は恒常的な吐き気と共にだるさ、眠さ、そしてかなり匂いに敏感になるとされ、日常的な生活を送るのが困難になる人が多い。
当方の妻も見事にそのパターンに該当し、つわりの期間は仕事にも行けず、完全に寝たきり生活となっている。
何が大変かというと、食べられるものの少なさと、タイミングのシビアさである。
ただでさえ妊娠したことによって今まで当たり前のように飲み食いできたものがNG or 非推奨となるだけでなく(お酒、生物、カフェインを含むものなど)、
よく聞く話で、何故かマックのポテトだけは食べれたという妊婦さんの話をしばしば目にする。
あとよく酸っぱいもの(レモンや酸味の強いフルーツ)も妊婦さんが食べたくなるものとして漫画などにも描かれているシーンが多いと思う。
その他、何故かジャンキー系の食べ物なら食べれたりすることが多いようである(マック、ケンタ、吉野家、松屋などなど)。
基本はあまり食欲がない状態が続くのだが、「今なら〇〇なら食べれる!」というタイミングがあるらしく、そのタイミングを逃すと吐き気や気持ち悪さがのほうが買ってしまい食べれなくなってしまうようである。
そして食べれない状態が続くと体の栄養状態も悪くなり、さらに体の状態が悪くなり、病院に行って点滴などで栄養補給をしなくてはならなくなる。
まず私が朝起きて自宅で朝の仕事をする。
昼前くらいに妻が起きるのだが、気持ち悪い状態であることは変わりないのであまり目覚めは良くない。
ただそれでもお腹は減るので、突然「〇〇が食べたい」と言いだす。
ちょっと前は「いまの作業が一段落したら買いにいくね」と言って対応してたのだが、それで食べれるタイミングを逃し、結局食べれなくなってしまった日が続き、病院送りになってしまったことがあった。
なので今は食べたいと言われたモノを大人しく仕事を中断し、即座に買い物に行くようにしてる。
言われるものは確かに様々で、最初はごく一部のフルーツやヨーグルト、ウィダーインゼリー、ジュースやアイスくらいだったのだが、だんだんマックのポテトやナゲット、ケンタッキー、カレー、牛丼、サンドイッチ、タイ料理などと、固形物を食べれるようになってきてはいる。
なので寝たきりの人がいつどのタイミングで何をリクエストしてくるか全くわからない中での仕事をする生活を送っており、仕事先にもだいぶ迷惑をかけている状況だ。
(妻が妊娠していることは職場には共有済みなので理解はしてくれてる。ありがたいことだ。)
そしてこのつわりの期間を通じて、いわゆる介護というものの大変さを実感している。
つわりの期間は意外と長いので1ヶ月〜1ヶ月半、人によっては2、3ヶ月とかずっと続くという人もいるのだが、当方の妻は今はほぼほぼ寝たきり状態で、外にもほとんど出れていない。
大人の風邪やインフルとかなら高々1週間程度の看病で収まると思うが、つわりとなると期間も長いので、気持ち的にはいつ終わるかわからない介護生活のようなものだと実感した。
ただ言うてつわり、というか妊娠はいつかは終わる。またその先には子どもの誕生という明るい未来のある話なので頑張れる要素は沢山ある。
ただふと想像してしまう。これが未来のない話、たとえば快方に向かう可能性が低い病気などの介護だったとしたら。。。
幸いにして私の両親はまだ健在だし、どうやら生きているうちに孫の顔が見せてあげられそうなのだが、いつかは親も死ぬ。
もう高齢なのでいつ要介護状態になってもおかしくない年齢でもある。
なのでついつい考えてしまう。親がそうなってしまったらと。。。
いつ終わりがくるかもわからない、日に日に悪くなっていく人を眼の前に、なるべく言われる希望は叶えてあげたいとなりその対応に明け暮れる日々。。。
それを想像すると気が滅入るのもわかる。。。
自分はもちろん幸せなほうだし、1ヶ月程度のつわり対応でこんなこと思うのもどうかと思うが、なんとなくいま感じたことを文章に残しておきたいと思ったので、ひとまずここに駄文を置いておこうと思う。
そんな私は明日も真っ昼間から仕事をさぼってチャリを爆走させながら、できたてのマックのポテトとケンタッキーを求めて、東京の街なかを爆走するのである。
おやすみ。