はてなキーワード: サイドビジネスとは
たとえばこの人の書いた文章はこんな感じです。
高い時給のサイドビジネスを見つけたからこそ「もっとお仕事入れなきゃ」と思っていたのに…1月中旬に予定していたお仕事がキャンセル。
実際は、サイドビジネスというのは物流倉庫での日雇いバイトのことです。
そして1月中旬に予定していたお仕事がキャンセルとありますが、単にバイトの募集で落とされただけです。
いちいちこれを翻訳したり推測しながら話を聞くのがダルすぎます。
正確に情報を理解したいからいちいち脚色せずに喋ってほしいと伝えてるのですが
本人はとにかくこういう言い方しかできないみたいです。
どういえば、素直に「日雇いバイト」とか「バイトに落ちた」と言ってくれるようになりますか。
それでは、Tさんの行動や話し方を心理学の視点からしっかり分析してみますね。提示された情報をもとに、彼(彼女)の心理的傾向や動機を深掘りしてみます。
Tさんが「日雇いの物流倉庫のバイト」を「高い時給のサイドビジネス」と言い換えたり、「バイトに落とされた」を「お仕事がキャンセルされた」と表現するのは、
自己呈示とは、他者に特定の印象を与えるために自分の言動を調整する行為です。
具体的には、Tさんは「有能さ」や「特別さ」を強調する「印象管理(Impression Management)」を行っている可能性が高いです。
これは、自己価値を高く見せたい、あるいは他者からの評価を気にしている表れかもしれません。
心理学者のゴフマンが提唱した「ドラマツルギー理論」で言うと、Tさんは「舞台の表側」で魅力的な自分を演じようとしているのかもしれませんね。
ただし、「キャンセル」という曖昧な表現で失敗をぼかす点からは、否定的な自己開示を避ける傾向も見て取れます。
これは、自己評価が低い場合や、他者からの批判・拒絶に対する恐れ(Rejection Sensitivity)が強い場合にありがちです。
Tさんにとって、「バイトに落ちた」とストレートに言うことは、自己イメージの崩壊や恥辱感(Shame)を引き起こすリスクと感じられているのかも。
Tさんの話し方は、認知的不協和理論とも関連しているかもしれません。
たとえば、「日雇いバイトに落ちた」という現実と、「自分は有能で価値ある人間だ」という自己認識が矛盾すると、不快感が生じます。
この不協和を解消するために、「キャンセルされた」というニュートラルな表現に変えることで、心理的なバランスを取ろうとしている可能性があります。
つまり、事実を脚色するのは、単なる見栄だけでなく、自分を守るための「防衛機制(Defense Mechanism)」として機能しているのかもしれません。
特に、フロイトの防衛機制で言う「合理化(Rationalization)」に近いですね。
失敗を「自分のせいじゃない形」に言い換えることで、心の安定を保とうとしているのかも。
Tさんは外向性(Extraversion)や自己愛傾向(Narcissistic Tendency)がやや高い可能性があります。
外向的な人は他者との関わりの中で自己をアピールする傾向があり
自己愛傾向がある人は「自分が特別である」というイメージを維持しようとします。
Tさんが「サイドビジネス」と格好つけるのは、自己愛的な「理想化された自己(Idealized Self)」を他人に投影したい欲求の表れかもしれません。
ただし、自己愛が強い場合でも、失敗を認めるのが苦手なのは脆弱な自己愛(Vulnerable Narcissism)の特徴とも一致します。
つまり、表面的には自信満々に見せつつ、内面では傷つきやすさや不安を抱えている可能性があります。
マズローの欲求段階説で言う「承認欲求」がTさんの行動の根底にあるかもしれません。
日雇いバイトという「平凡な現実」を脚色するのは、周囲から「すごいね」「頑張ってるね」と認められたい気持ちが強いからかも。
特に、20代というライフステージでは、社会的地位や自己アイデンティティを確立しようとする時期なので
あなたが「正確に話して」と指摘しても変わらないのは、この承認欲求がTさんの自己表現のコアにあって、簡単に手放せないからかもしれません。
最後に、Tさんのコミュニケーションには回避型アタッチメント(Avoidant Attachment)の要素が垣間見えます。
深い自己開示をすることで「弱さを見せる」リスクを回避したい無意識の防衛なのかも。
Tさんにとって素直になることが「心理的安全性(Psychological Safety)」を脅かすと感じているからかもしれませんね。
「ねえ、Tさん。あの、私、最近Tさんのこと考えてて…ちょっとお話ししたいことあるんだけど、いいかな?
私、Tさんが『サイドビジネス』とか『お仕事がキャンセルされた』って言うとき、すごく丁寧に言葉を選んでるなって感じてたんだ。
なんか、そうやって話すのって、Tさんなりの優しさとか、自分を大事にしたい気持ちが込もってるのかなって思ってて。私、そういうところ、すごく素敵だなって感じるよ。
私ね、実は昔、自分のバイトのこと言うの恥ずかしくて、『何か用事があって…』とか曖昧に言っちゃったことあってさ。
もしさ、『日雇いバイト』とか『落ちちゃった』ってそのまま言うのって、Tさんにとって少しドキッとしちゃう瞬間があるのかな?
それって全然普通のことだよ。私もそういう気持ち、すっごくわかるから。
でもね、Tさんがもしそのまま『バイト頑張ってるよ』とか『今回はダメだったけどね』って言ってくれたら、私、ほんと嬉しいな。
だって、そうやってストレートに話してくれるのって、Tさんのリアルな一面が見える気がして、なんか安心するんだよね。
私、絶対『Tさんって頑張ってるな』って思うし、そういう素直な言葉の方が、心にじんわりくるよ。Tさんのこと、もっと知れた気がして、ほっこりするっていうか。
もしさ、『でも、いきなり素直に言うのって難しいな…』って思うなら、無理しないでいいよ。
たとえば、私に話すときだけでも『バイト』って言ってみるとか、ほんの小さなことからでもいいかなって思うんだ。
私、Tさんがどう話してくれても、ぜったい変に思ったりしないよ。Tさんのこと、いつも応援してる気持ちだから。
あの、私、Tさんに何か押し付けたりしたくないから…どう思うか、Tさんの気持ち聞かせてくれたら嬉しいな。
私、Tさんが話しやすいように、ちゃんと待ってるからね。少しでも『試してみようかな』って思えたら、それだけで私、すっごく嬉しいよ。
行きずりのメンヘラに乳首を開発されてしまった。しかも右乳首が元々開発途上だったもんだからそちらの反応が良く、右乳首はさらに先鋭化した。これはピケティが指摘した貧富の差の拡大の卑近なモデルと言えよう。
✂
メンヘラは産毛の生えた自然という扱い難くも計り知れない恩恵をもたらす財産を付け爪で切り刻み、資本主義に操られた節操のない開発を続け、私の乳房はやや肥大化した。
サイドビジネス(脇)に手を出されると少しこそばゆくて身をよじる。その反応に対応してメンヘラのサイドビジネスは拡大してゆく。
やがて豊かな体躯全土はデッコデコのネイルに委任されたメンヘラオペレーションにより、雌の特徴を帯びてゆく。
ケツにハリが出て、腰がくびれる。背筋は悶えるような動きを残した歪なものになり、腹は大いなる生命の誕生を示唆する。
⚧
「近い将来、地方公務員は配置転換で強制的に高齢者の介護に従事させられます!公務員は配置に文句を言えませんし拒否もできません!介護が無理だと思うなら早いうちに転職を!しかし公務員の転職は難しい!だ!か!ら!地方公務員から大手企業への転職を成功させ年収を大幅にアップし現在ではフリーランスとなった私に是非相談ください!または下記のリンクから私がおすすめする転職エージェントを利用しましょう!」
もし本当にそうなったら年齢や再就職先の有無を問わず公務員を辞めると思う。
生活保護貰えるなら良いけど、その時の経済事情で貰えないなら自殺かな。
生活保護→自殺→親の介護→他人の年寄りの介護→障害者の介護ってぐらい介護が嫌だからな。
どうすれば良いだろうか。
現実的に転職はやはり厳しいから資格でも取るか、サイドビジネスや投資に手を出すか、早慶卒地方公務員の経歴を生かして当選出来そうな地域で地方議員にでもなってみるか…。
うまくいってない時は良かった。
ただただ金だけ追えば良かったから。
軌道に乗り出して、こうしたいとか、こうすればもっとうまくいくとか、選択肢が増えてからは、元嫁と衝突がどんどん増えてしまい、「俺がいなくなっても自分のやり方で通したい?」と聞いたところ、YESの返事をいただき、元嫁に会社を渡して去ることに。
新しい事業を展開するタイミングだったので、自分の経験も役立つと思った。
新しい事業を始めるに当たって、まず手始めに必要なのは無理をすることだ。
0を1にすることはとてつもないエネルギーと金がかかることは重々承知していたから、雇用は断って委託業務として報酬を受け取る形にした。
また、片手間でやっているサイドビジネスで報酬が入った時は、その収入分を返金するようにした。
しかしやはりそこは親族経営ならではのなあなあが影響してか、売り上げが少ないことが影響してか、報酬を受け取る度にイヤミを言われるようになった。
すっかり俺の人生は尻すぼみになっていった。
もう夢を見れる時代は終わっていたようだ。
そんな中で、愛し合える人がいた。
家族を持つ人で、正直に言うと最初は遊びのつもりで彼女もきっとそうだっただろうが、彼女が死にかけた時に寄り添うことがキッカケに、彼女を心から想うようになった。最低でも俺は彼女を心から愛していた。
しかし、俺は上記をきっかけにすっかり人生を悲観するようになってしまい、どうにも生きる気力を取り戻すことができなくなっていた。
夢も希望も失った人間に、他人を思いやれる余力は残っていなかった。
もう1年以上前から命を絶つことを決めた俺は、何度も彼女に辛く当たってしまった。
距離が遠く離れているから、ただ電話やLINEで文句を言っただけだが。。
そして来週に迫った死ぬ日を目前にして、また彼女に辛く当たり、酔っ払った勢いでLINEから何から、彼女とつながっているものを全て削除してしもうた。
優しい彼女は、謝ればきっと許してくれるかもしれないが、もう今さらでさ。
来週で消えてなくなるのに、また復縁したら余計にかわいそうだからこのままにして逝こうと思う。
みかさんさよなら。
オリラジ中田の育児記事を読んで、そもそも最近見ないから何してんの?って思って調べたらサロンビジネスに手を出しているっぽい。
https://www.nakataatsuhiko.com/salonentrance
月額1000円で人を集めてバーベキューとかやっているみたい。
今売っている週刊新潮によると、会員にライブのチケットを渡して売らせたり、ビデオの撮影をやらせたりしているらしい。しかもタダ働きとのこと。金払って働かされる……まぁ人それぞれの消費の仕方がありますけどね。
そして、個人的に一番「うわっ」と思ったのが中田が展開しているオリジナルグッズ。その名も「幸福洗脳」。
https://www.happybrainwash.com/
Tシャツやスウェットに「幸福洗脳」と書かれているだけの安っぽいシンプルなデザイン。価格はなんと1万円。先ほどの週刊新潮によるとラジオで「ディープなファンなら買え」と煽って「一週間で半年分のギャラを稼いだ」と豪語したらしい。「幸福」と「洗脳」っていうなかなかなフレーズの合わせ技。これはショッキング。サイトの煽り文句にも「誰かが押しつけてくるつまらない幸福を捨てろ。社会の洗脳から解き放たれろ。」というどこまでマジなの、という。
そしてサロンの会員には自分のことを「御神体」って呼ばせているようだ。
きたぁー!!!!
ついに幸福洗脳を着た御神体が地上波に〜😎💓
ラジオ聞いてからこの日をずっと待ってました…☺️
ほんとかっこいい!!!
似合いますなー(*´-`)💕#幸福洗脳#中田敦彦 pic.twitter.com/idy34yIZ1s— あみ🕶 (@sakure_abab) 2018年10月23日
投資は余剰資本によって行われるべきである。この一般論に異論を挟む余地はないように思われる。しかし持たざる個人にとってこのような正論は役に立たない。はたして、余剰資本を持たない貧乏人は投資に参加すべきではないのか?ここで、この国において貧富の差を問わず参加の権利を認められている投資活動について考えたい。教育である。
教育とは投資である。教育投資における余剰資本を考えよう。たとえば金銭的、血統的、文化的資本が考えられるだろう。実家の太さはこれらを包含する象徴的な資本の例である。持てる個人にとっては、これらを余剰資本として子の教育投資に用いることができる。これは論を待たない。では持たざる個人にとっての教育投資は不可能なのだろうか?
ここで教育投資が持つ独特の構造に注目したい。種々の投資の中で教育投資を特徴づけるものは何か?受益者と負担者が異なるという点である。しかしながら、これらが一致するような教育投資も不可能ではない、と私は信じたい。受益者たる本人が同時に負担者となる場合を考えるのだ。負担できる資本を持たない個人は如何にしてこの投資ゲームへ参加すればよいのか?残念ながら諦めることもその1つである。いわゆる「地方」においては極めて一般的な選択の一つである。
持たざる個人ー自らに教育投資を行おうとする者ーの戦略は、どこかでこの持てる者の手続きに割り込むことにある。たとえば宝くじを当てて金銭的資本を獲得することができる。たとえば独学ー負担者によらず受益者自らが負担を負う覚悟と責任をもった自己教育ーを実践することができる。たとえばはじめから優秀に生まれつくこと(これは定義により天才であるとする)ができる。どれも極めて厳しい道である。近代日本では、身分は可能性として開放されたが、階層は依然としてゆるやかに固定されているのだ。
ここで資本としての「優秀さ」を考えてみたい。優秀さは高い給料、良い職場や人間関係、豊かな教養などの形で資本へと交換することができる。通常、これらの資本は子への教育投資となる。しかし、優秀さは自分自身への教育投資の資本とすることもできるのだ。就業前の学生においては、通常の優秀さではなく、「際立った」優秀さはこのような異なる価値を持つことを主張したい。際立った優秀さは給付金やサイドビジネスと言った形で金銭的資本や時間的資本へと換金が可能である。これを元手に自己への教育投資を行うことができる。
ひとたび優秀さを手に入れることで、持てる者と同じ正のスパイラルへと入ることができる。むしろその後天的な経験は強みですらある可能性がある。しかしながらこのような、負担者と受益者が一になるような自己教育を、戦略的に発生させることは可能だろうか。どのような制度設計が、このような自己駆動的な自己教育を誘発することができるだろうか。