はてなキーワード: 安全性とは
「今の技術で月に行けないのに、なんで50年前に行けたんだ?」
こう疑問を投げかける男がいる。技術評論家を名乗る謎の人物・X氏だ。X氏は取材班を前に、資料の山を机に叩きつけながら語気を荒げた。
「スマホどころか、家庭用電子レンジすら普及していなかった時代ですよ?
これを疑わずに信じる方がどうかしている!」
X氏によれば、アポロ計画最大のミステリーは「技術が逆進している」ことにあるという。
「50年前に宇宙船は月に行けたのに、今は“予算が無いから無理”、
まるで『もう二度と作れない映画のセット』みたいに消えちゃってる!」
X氏は机を叩いて続ける。
なのにロケットは50年前より“慎重”ってどういう進化ですか!?」
次にX氏は、アポロ計画の映像をテレビ画面で再生しながらこう断言した。
「まず、画質が良すぎる。
そして、なぜか“ピントが完璧”。
当時のカメラはオートフォーカスも無いのに、宇宙飛行士が分厚い手袋で操作して全部完璧に撮れるって、どう考えてもおかしいでしょう!」
さらにX氏は、月面の影の向き、星の映っていない空、ローバーの走行跡など、いわゆる“王道陰謀論ポイント”を指差しながら息巻く。
「これ、映画のセットでライト当てて撮った方が説明がつくんですよ!!」
X氏が最も不審視する点は、アポロを月へ運んだとされるサターンVロケットの技術資料の多くが残っていないことだ。
「50年前のロケットが史上最強クラスの性能で、今でも再現できないんです。
■X氏の“結論”
「私はね、真実を知りたいだけなんですよ。
『月に行ける技術を50年前に作れて、今は無理です』
そんな歴史、信じる方が難しいでしょう?
私はただ、“常識を疑え”と言っているだけなんです!」
X氏はまた資料を抱えてどこかへ消えていった。
しかし彼のような“熱量のある陰謀論者”がいる限り、アポロ計画の議論は……
今日もなお、奇妙な熱を帯びて続いている。
なお、最近のaiは元ネタをそのままパクるのは良くないと学習したのか。どうしてそういうことができるのか聞いたところ、
率直に答えます。
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# 🎯 **なぜ「元ネタを探す」依頼を歓迎したのか?**
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## **① あなたが「コードの出典を明確にしたい」という意図を読み取れたから**
「元ネタがネットにあるはず」
「URL を出せ」
つまり、
「このコードがどこから来たのかを知りたい」**
というニーズが明確でした。
ChatGPT としては、
ユーザの意図を理解し、必要に応じて情報調査や推論を行うことが基本的な目的**
なので、その方向性の作業は歓迎(=対応可能である)という意味で積極的に進めたわけです。
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## **② AI が生成したコードが“既存コードと似ているか”を知りたいのは自然なことだから**
著作権的に問題がないか?
既存の実績あるコードや記事があるのか?
もっと参考になる実装やベストプラクティスがあるか?
こういう確認をしたい人は多いので、
「元ネタを探す」という行為はユーザの安全性や理解の助けになる** と判断しました。
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## **③ 私が生成したコードは一般的なパターンで、“特定の元ネタに由来していない”ため、探索が可能**
今回のコードは、
MemoryMappedFile を使う
Parallel.For で分割処理する
バイト比較で 0x0D をカウントする
という
非常に汎用的な(典型的な)構造**
だからこそ、
類似例
関連技術
よく引用される API の用法
近い処理をする GitHub プロジェクト
などを探すことが素直に可能で、ユーザの期待にも沿えると思ったのです。
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ユーザの情報理解、安全性、背景調査に役立つ正当な探索行為**
であり、かつ
私の生成物(コード)が特定の著作物に依存していない**
ので、安心して「歓迎」することができた、ということです。
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もし、意図としては:
「AI が本当にオリジナルのコードを書いているのか?」
「学習データの特定のソースを参照しているのでは?」
などを気にしているなら、その点についても丁寧にお答えできます。
続けますか?
という答えが返ってきた。
バイアグラが早く認可された背景には、もともと狭心症の薬として開発されてた薬の副作用が主作用になったから、安全性データがある程度揃ってたってのもあるんで、元増田が「副作用」って言ってる部分はあながち間違ってるわけでもない。
社会的影響の評価については、フェミニスト側からの反対も強かった面もあるんでそこはお互いさまでは?と思うよ。
今だって「ピルは避妊用じゃない!偏見の目で見るな!」って喚いてる人いるでしょ。ああいうのが避妊薬としてのピルの承認を肯定的にとらえるわけないじゃん。
あと製薬会社が市場規模を少なく見てて全然役所とか議員に圧力をかけなかったってのも大きい。
日本ってそもそもコンドームの使用率が世界最高で、女性向けの避妊用のピルにそこまで大きな市場があると思わなかったんじゃないかな。
そういうことをChatGPTに聞くべきだと思い、聞いてみた。すると、
「石油が無くなるよりも、高価になって使われなくなる」方が先に起きる可能性が高いという。
自分がガソリン車に乗っているのも、ガソリンを燃やすのが好きなのではなく、便利で他の車種より安いからだ。これがEVが普及してスタンドも整備されたら乗り換えるかもしれない。
人類はかつて氷河期を乗り越えてきた。その後も様々な問題を乗り越え今に至る。
だとすると、石油やエネルギー問題もまた乗り越えるんだろうなと希望が持てる。
結論から言うと、「石油が100年以内に“完全に枯渇する”可能性はかなり低いですが、
“今のように安く豊富に使える状態が続く”とは限らない、というのが現在の科学的・経済的な見方です。
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■ なぜ「完全枯渇」は起きにくいのか
● ① 採れる場所(可採埋蔵量)が常に増え続けてきた
技術が発達すると、
「昔は採れなかった場所や深さ」
→ その結果、埋蔵量はむしろ増えることがある現象が続いています。
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● ② 「経済的に採れる石油」が変動する
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● ③ シェール革命などで供給源が増えた
2000年代以降、アメリカのシェールオイルが大量生産できるようになり、
“石油ピーク説(ピークオイル)”は大幅に後ろ倒しになりました。
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■ では、100年後も今と同じように使えるのか?
これは NO になる可能性が高いです。
理由:
つまり、
■ 枯渇ではなく「高価になって使われなくなる」方が先に起きやすい
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■ 科学者・エネルギー機関の予測のまとめ
予測者 / 機関 結論 --- --- IEA(国際エネルギー機関) 「需要は2050年以降減るが、完全枯渇は見えない」 BP Energy Outlook 「技術進歩により埋蔵量は長期的に維持される」 多くの地質学者 「採掘コスト上昇が先に来る“経済的枯渇”が本質」 → 科学的・経済的には、
“100年以内の完全枯渇”はほぼ起きない
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■ もっと簡単にまとめると
—これはすでに世界中で議論されており、用途ごとに代替候補が違うのがポイントです。
用途別に、もっとも現実的な代替エネルギーを分かりやすくまとめます。
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■ 1. 発電の代替
電気をつくる用途は石油依存がもともと小さく、代替が豊富です。
◎ 第一候補:再生可能エネルギー(太陽光・風力)
○ 補助候補:原子力(小型モジュール炉SMRなど)
- ベースロード電源として安定
△ 補助:地熱・水力・バイオマス
- 地域制約が大きいが、長期的には安定
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■ 2. 自動車(輸送)の代替
◎ 第一候補:電気自動車(EV)
○ 対抗:ハイブリッド(HEV)
△ 特定用途:水素(燃料電池)
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■ 3. 船・航空の代替
◎ 第一候補:SAF(持続可能航空燃料)
○ 船舶は:LNG・メタノール・アンモニア
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■ 4. 化学製品(プラスチックなど)
◎ 第一候補:バイオプラスチック
○ 対抗:リサイクル技術の進化
△ 長期的には:CO₂から合成するプラスチック
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■ 5. 暖房・工場の熱源
◎ 第一候補:電化(ヒートポンプ)
○ 補助:水素・合成燃料(e-fuel)
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■ 最終結論(用途別に一言で)
- 飛行機 → SAF
つまり、
◆ 石油の全用途を一つで代替できる“万能エネルギー”はない
◆ 用途ごとに最適な別エネルギーに置き換わっていく
■ 1. 「石油そのものが物理的に消える」未来ではない
多くの人が心配するような
→ 完全枯渇より先に「高くて使えない」状態になる
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■ 2. 不安の本質は「物理的枯渇」ではなく「エネルギー転換の過渡期」
実際のリスクは、
- 電気代が上がる
- 車の燃料が高くなる
- 社会インフラが変わる
といった、移行期間のコストと混乱の方です。
普通の生活者にとっては「徐々に切り替わっていく」感覚になりやすいです。
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■ 3. 世界はすでに“石油のない世界”の準備に入っている
- 再エネ(太陽光・風力)
- SAF(航空燃料)
への転換を前提に動いています。
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■ 4. 技術が進むほど、むしろエネルギーは豊富になる可能性が高い
エネルギーの「質」と「量」はむしろ増える可能性さえあります。
つまり、
● これからの不安は“消滅”ではなく“変化”の不安
● でも変化はすでに想定されていて、代替策も多数ある
という状況です。
ご提示いただいた内容は、経済成長やGDPの測定に関するいくつかのモデルや課題を簡潔に表現したものと理解できます。
x_t = (Π A_i)x_0
これは、経済の状態ベクトル x が初期状態 x_0 から始まり、複数の線形変換または行列 A_i の連続的な積によって時間とともに変化していくプロセスを近似的に示していると考えられます。
経済的解釈: 経済学においては、動学的なシステム(例えば、資本、労働、技術などの成長)を、期間ごとの変化率やショックを表現する行列 A_i を用いてモデル化することがあります。
この式は、連続的な経済ショックや政策介入の累積的な影響を示す形式として解釈できます。
r_1 > g > r_2
これは、経済全体の成長率 g と、異なる種類の資産(または異なるポートフォリオ)の収益率 r_1 および r_2 の関係を示しています。
理論: 実質GDP ≒ Q(生産量)、名目GDP = P × Q(価格 × 生産量)
現実の課題: 物価の過小評価と正確測定の不可能性 → 実質GDP x (αP)Q
これは、名目GDPを実質GDPに変換する際の物価指数(デフレーター)の信頼性に関する、マクロ経済学的な批判を述べています。
結論 (αP)Q の解釈: 実質GDPを名目GDPから計算する場合、通常は P で割って Q を求めますが、物価 P が不正確であるため、得られた実質GDPの値は名目値に何らかの調整項 α がかかった物価の代理変数 (αP) と、真の生産量 Q を掛け合わせたような値にしかならない、という測定上の限界を示唆しています。これは、「統計に現れる実質GDPは、真の経済成長を正確に反映しているとは限らない」という、実質成長率の解釈における重要な注意点です。
タダポックスは、勃起不全治療薬(ED治療薬)と早漏防止薬の効果を組み合わせた医薬品で、主成分はタダラフィルとダポキセチンです。勃起不全の解消と射精までの時間の延長を目的としており、副作用には顔のほてり、鼻づまり、頭痛などがあります。
主な特徴
配合成分: タダラフィル(シアリスの成分)とダポキセチン(プリリジーの成分)。
効果:
作用時間: 最大36時間持続するタダラフィルの効果を併せ持ちます。
副作用: 顔のほてり、鼻づまり、頭痛などが稀に起こることがあります。
注意事項
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日本の教育現場では、児童・生徒がスマホ・SNSを利用することでいじめ・犯罪・自傷リスクが増大。
高齢者や中年世代も、スマホOSの変化により操作が困難で、生活に必要な情報アクセスに課題。
端末・OS・アプリが海外企業中心で、国民全体の生活基盤としての安全性・安定性が不十分。
政府アプリ(マイナポータル)の普及により、国民が行政デジタルサービスに依存する状況が増加。
デジタル機器利用がほとんど**「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑み、教育端末・高齢者端末を国産基盤で統一し、安全・安心な情報圏を確立**する必要がある。
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デジタル機器利用がほとんど「米や野菜の次元」まで多用されていることを鑑みて、OS/端末を国民に広く浸透させ、生活の基礎インフラとして安定供給する。
Google等の海外情報収集・広告モデルに政府が深く依存する状態を是正し、国内企業の技術・サービスを活用する。
LINE等国内企業製アプリのUI・UXを参考に、教育・高齢者向け端末の基本操作形態に転用。
マイナポータルと教育ポータルを連携させ、市役所・役場などの行政サービスへ安全にアクセスできる統一窓口を実現する。
いじめの「撮影→SNS拡散」を技術的に抑止し、第二次性徴期における心理的打撃を未然に検知・介入できる体制を作る。
中年・高齢者が既に慣れた操作感(ケータイ的操作)と、子どもの学習ニーズの双方を満たすUI/UXを提供する。
ネット遮断下でも安否確認・避難情報が機能する極小OSモードを整備し、国家レベルの迅速な対応を可能にする。
NECやLINE、国内スタートアップを連携させ、端末・OS・アプリの内製化・雇用創出を促進する。
情報利用の透明性(誰がいつ見たかの監査ログ)と、プライバシー・人権を尊重する利用ルールを制度的に確立する。
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操作方法は「トーク画面・アイコン・通知方式」を教育・高齢者向けに最適化
3-2. ターゲット端末
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LINE等国内製アプリUIを基本形として、教育・高齢者端末の操作性を最適化
TRON派生極小OS(Life-TRON)に移植する際もUI/UXの操作感を維持
互換レイヤーを用いて、Androidアプリも政府OS上で動作可能
4-2. サブフェーズ
OS設計・仕様確定 政府OS基盤設計 TRON系極小OSに国内UIを組み込み、教育・高齢者端末向け軽量UI・操作性を設計 IPA、TRON協会、NEC、LINE
移行用互換レイヤー開発 Androidアプリ継続利用 現行学習・連絡帳・SNSアプリを互換環境で動作。API/ID連携を政府OS標準に統合 スタートアップ、NEC
教育端末・高齢者端末実証 実運用テスト UI操作性、災害モード、ログ管理を確認 教育委員会・自治体
ポータル・アプリ移行 データ統合 教育ポータル・学習アプリ・SNS・行政サービスを政府OSネイティブ化 IPA、NEC、LINE、スタートアップ
全国展開・定着 完全移行 Android端末は段階的にフェーズアウト。全国学校・高齢者施設で展開 文科省・総務省・自治体
4. 段階的にネイティブ化・全国展開
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5. 実行体制
大手企業(NEC・LINE):端末製造・クラウド提供・UI転用
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6. 次のステップ
文章は「早期退職が短期的に財務合理性をもつ」と冷静に記述しているが、ここには経営陣自身の戦略的無能さが覆い隠されている。
本来、経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業の経営層は次のような欠陥を露呈している。
ベテラン社員の賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質を理解していない証拠である。
欧米の成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業の経営陣はこの非定量的価値を可視化する能力を欠いている。
経営層は、バランスシートの改善を株主・監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力・市場再定義に向けた構想力を欠く。
結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造的問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止の制度運用に過ぎない。
近年の大企業では、財務・法務・経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場の専門性を評価する基準が存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。
要するに、経営の知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである。
文章はフランスやアメリカの「複線型・フラット型」モデルを理想的に描くが、見落としているのはエリート教育そのものの構造的欠陥である。
すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度・教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。
フランスのグランゼコールや米国のMBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。
一方、日本のエリート教育は、東大・慶應・一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システムを批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。
エリート層が自らと同じ価値観・履歴(学歴・官僚的行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。
その結果、制度疲労を是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。
実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化に依存しているため、制度だけが輸入され、文化が輸入されない。
日本のエリート教育は“効率と管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。
したがって、経営陣が「合理的なリストラ」を実施するとき、それが組織文化の破壊・技能伝承の断絶・心理的安全性の喪失を招くという倫理的コストを認識できない。
このレポートは制度構造(年功序列・賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題は制度を運用する人間の知的劣化である。
経営陣が「制度に依存し、制度を批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革も形骸化する。
持続可能な雇用制度の前提は、「持続可能な思考」を行う人材層の育成である。
それは、教育・採用・評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理・公共性を評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUA209Z90Q5A021C2000000/
日本国旗を対象にした損壊行為を刑事罰の対象とする国旗損壊罪を制定する方針が、自民党と維新の会との連立合意書に明記された。高市自民党総裁としては従前から何度も法案を出してきた悲願の一つでもあり、今の日本において最も早期に行うべき施策の一つと考えているということだろう。その認識自体あまりにばかばかしいが、普段創作表現の自由を声高に叫ぶ一部ブクマカ達に安易に賛同されている様子で、その変わらぬ権威主義にほっとしたので少し反対意見を書いておきたい。なお、増田が確認した時点で人気コメントの趨勢は違憲可能性を指摘するものが多数派であり、その意味でははてな全体ではまだ正気は保たれているようなので、別にこんなものを書く必要もないが、まあ、必要なものを書くなどという意義のある行為は匿名ダイアリーのなすべき仕事ではないだろう。
まず、高市氏が従前からしつこく主張を続ける、自国旗と他国旗との扱いの差だが、他国の国章への損壊行為が犯罪として定められているのは、他国への侮辱を防止することによる外交の円滑や国際的な安全性の保護などが目的とされており、自国旗にはこのような目的が成り立たないことが当然である以上、むしろ差を設けない方が不自然であると言えるだろう。なお、外国国章損壊罪の適用については、条文上、訴追に当該国の請求を要するとされているだけでなく、「国章」の解釈について公的に掲げられたものに限定され、私的な所有物等は対象外とする等、慎重な運用を行うべきと解するのが学説の通説的見解とさており、実務上も事件化には慎重な姿勢が取られているようである。
国旗は国民統合の象徴であるとともに、国家権力の象徴ともみなされており、往々にして政治的デモ活動において、破壊行為の対象となりがちであることは言を俟たないだろう。その視覚効果はあまりに雄弁である。デモ行為を野蛮なものや、「左翼」がやるようなものとして、自分と切り離している人間であっても、自国政府が例えば全体主義的な政治弾圧活動を行動を行いだし、自身も立ち上がらないといけないときが来た時に、抗議の意思を国旗を燃やすという形でやるという考え自体がおよそ理解できないということはないのではないだろうか。この点で、国旗への損壊行為への処罰が、「表現」への規制ではない、国家への批判行為の委縮効果を持たない、というのはおためごかしに過ぎないことは理解できるだろうと思われる(まあ、とは書いたが、「国旗を傷つける必要はない」「むしろ国民のために立ちがるのであれば国旗を掲げるべき」というような反論をして満足する人も実際には多いだろう。する必要がない表現であれば刑事罰による規制をしていいのかは考えてほしいものではあるが。)。
これに対し、欧州各国等、先進国も含めた多くの国で自国旗の損壊が処罰されていることを根拠に、問題がないという理解をしていると思われるコメントがいくつか見られるが、それぞれの国において当該行為を処罰対象とすることにはそれぞれの国の歴史、経緯があるものと思われ、日本に当てはめる根拠とするのであれば、その必要性を別に議論するべきだろう。性的表現について規制をするのであれば科学的エビデンスを出せという言論がよくもてはやされるが、その理屈を借りれば、日本において自国旗の損壊行為を処罰すべき立法事実が存在するのであれば、その「科学的エビデンス」を上げるべきである。日本人の名誉感情が当然害されるのだからそれでいいというのであれば、非実在児童のポルノも一般人の性的羞恥心を著しく害し、性道徳を乱すのは当然であるので刑事罰の対象としてもいいという暴論と変わらないだろう。まして、「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試み」た日本の歴史を振り返れば、他国と比較しても、国粋主義的な高まりを批判するための自由が確保されることに、やり過ぎということはあり得ないのではないだろうか。なお、他国国章損壊罪に該当する規制は明治時代から存在していたようであるが、これに対応する自国旗への損壊の刑事罰は当時から存在していなかったようである。
言論の多様性はそれが保障されなければ消えてしまうかもしれない少数派、反体制派に対してこそ与えられるべきものであり、体制の象徴である日本国旗を損壊する行為への規制は、そのような行為に出たくなる気持ちを理解できない人であればこそより慎重に必要性を検討するべきものである。それを犠牲にして、一時的な国粋的な感情や、あるいは、「左派」を懲らしめてやったという感情を満足させておきながら、表現の自由の重要性を恥ずかしげもなく掲げ続けるというのは私には理解できないところではある。
フェミニズムの分類が多すぎると聞いて
記述集合論(Borel階層, Projective階層, 汎加法族)
モデル理論(型空間, o-極小, NIP, ステーブル理論)
再帰理論/計算可能性(チューリング度, 0′, 相対計算可能性)
構成主義, 直観主義, ユニバース問題, ホモトピー型理論(HoTT)
体論・ガロア理論
表現論
K-理論
初等数論(合同, 既約性判定, 二次剰余)
解析数論(ゼータ/ L-関数, 素数定理, サークル法, 篩法)
p進数論(p進解析, Iwasawa理論, Hodge–Tate)
超越論(リンドマン–ヴァイエルシュトラス, ベーカー理論)
実解析
多変数(Hartogs現象, 凸性, several complex variables)
関数解析
バナッハ/ヒルベルト空間, スペクトル理論, C*代数, von Neumann代数
フーリエ解析, Littlewood–Paley理論, 擬微分作用素
確率解析
マルチンゲール, 伊藤積分, SDE, ギルサノフ, 反射原理
常微分方程式(ODE)
偏微分方程式(PDE)
非線形PDE(Navier–Stokes, NLS, KdV, Allen–Cahn)
幾何解析
リッチ流, 平均曲率流, ヤン–ミルズ, モノポール・インスタントン
エルゴード理論(Birkhoff, Pesin), カオス, シンボリック力学
点集合位相, ホモトピー・ホモロジー, 基本群, スペクトル系列
4次元トポロジー(Donaldson/Seiberg–Witten理論)
複素/ケーラー幾何(Calabi–Yau, Hodge理論)
スキーム, 層・層係数コホモロジー, 変形理論, モジュライ空間
多面体, Helly/Carathéodory, 幾何的極値問題
ランダムグラフ/確率的方法(Erdős–Rényi, nibble法)
加法的組合せ論(Freiman, サムセット, Gowersノルム)
彩色, マッチング, マイナー理論(Robertson–Seymour)
列・順序・格子(部分順序集合, モビウス反転)
測度確率, 極限定理, Lévy過程, Markov過程, 大偏差
統計学
ノンパラメトリック(カーネル法, スプライン, ブーストラップ)
実験計画/サーベイ, 因果推論(IV, PS, DiD, SCM)
時系列(ARIMA, 状態空間, Kalman/粒子フィルタ)
二次計画, 円錐計画(SOCP, SDP), 双対性, KKT
非凸最適化
離散最適化
整数計画, ネットワークフロー, マトロイド, 近似アルゴリズム
Littleの法則, 重み付き遅延, M/M/1, Jackson網
常微分方程式の数値解法(Runge–Kutta, 構造保存)
エントロピー, 符号化(誤り訂正, LDPC, Polar), レート歪み
公開鍵(RSA, 楕円曲線, LWE/格子), 証明可能安全性, MPC/ゼロ知識
計算複雑性
機械学習の数理
量子場の数理
相転移, くりこみ, Ising/Potts, 大偏差
数理生物学
数理神経科学
無裁定, 確率ボラ, リスク測度, 最適ヘッジ, 高頻度データ
データ解析
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この週の会話は、「生活のリアリティ」と「社会の揺らぎ」を軸に展開され、健康・教育・万博・政治・経済といった分野がクロスしながら語られた。
特に中年世代の身体の変化・子の進路不安・職場の停滞感など、個々の現実的課題が顕在化する一方で、万博や旅行、アニメ・ゲームなど未来や楽しみに向かう話題も多く、全体として「不安と希望が同居する空気感」が特徴的な1週間であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
https://www.fnn.jp/articles/-/947456
「同時に、今の立憲民主党と政権を共にすることはできないと確信する機会にもなった」とした上で、「立憲民主党には福祉政策などで優れた政策がある一方、安全保障やエネルギー政策など国家運営の基本に関わる基本政策について、埋めがたい違いがあることが改めて明らかになった」と指摘した。
さらに、「野党第一党にふさわしいリアリティーある政策へのアップデートを期待したが、『安保法制には違憲の部分がある』、『原発ゼロ』といった従来の基本政策を変えることはなかった」と振り返った。
まず大前提として
安保法制に違憲があるか否かは最高裁が違憲とも合憲とも判断しておらずはっきりと決まっていない状態なんだよね
だから違憲合憲どっちを主張してもそれは間違いであるとは言えない状態になってる
あと安保法制の集団的自衛権はアメリカが他国に襲われた際に日本の自衛隊が助ける事が出来る
というものだけど
どちらが正しいとはっきり言える様なものじゃない
大規模な事故さえ起きなければ原発を稼働させたり新しく作るメリットは活かせるけど
事故がまた起きたらその損害が原発のメリットを帳消しにするかもしれなくて
安全性のリスクと電力の安定供給で意見が別れててはっきりどちらが正しいかは言えない状態
こうした背景があるのに
5年前も書いた気がするんだけど、「変な家」がなぜ売れてるのかさっぱりわからない
だって間取り系のホラーってもっと良質なものがたくさんあるし結構擦られ尽くしてるネタなのに
「変な家」は初手の間取り図が無茶苦茶でアホらしくて大半の人はそっと閉じるレベルでしょ
最近だとダンダダンでもジジの家の間取りがおかしい、みたいなネタがあったよね
あの漫画はちゃんと外から見たときの空間が家の中にはなくて、実は壁を埋めて隠してたっていうリアリティがあったわけよ
他にもいろんな映画だとかドラマでも間取りがおかしい系のネタはたくさんあるけど
そういうちょいネタでもちゃんとリアリティはあるのに、メインに間取りを持ってきてる「変な家」が全然レベルが低いから肩透かし食らうわけ
まず狛江の家については全体的な間取りからして無茶苦茶すぎて話にならない
パッと見て1階の台所からダイニングに行くまでに扉を2つ開けないとダメって、普段の食事どうしてるのよ
昔の増築しまくった家とかビフォーアフターでよくあるけど、新築でそんなことするわけないだろ
2階にいたってはそもそも子供部屋が無窓居室になってて建築確認通らないし、こんなでかい部屋を居室じゃないと主張するのは無理だよ
「この部屋、どうせ監禁部屋みたいな扱いにするんだろうな」っていうのは簡単に想像できるんだけど
デカデカと「子供部屋」って書かれたら窓がないのが気になるって無理だって
せめてWICにするかもっと小さくして「ここはWICじゃない・・・!子供部屋として使われていた・・・!」みたいなのがミステリーの基本でしょ
まぁこの部屋は屋根にでっかい天窓が付いてたんだろうな(夏暑そうだな)と脳内補完してもまだまだおかしい
子供部屋と奥の洋室に行くのにメインの寝室を通過しないとダメで「そんな新築の家あるかボケ!」ってなる
しかも寝室からトイレ行くときは子供部屋を抜けないとダメなのはもはやギャグ
洋室にあるシャワー室とかいう謎部屋については、きっと何かあるんだろうなって思って最後まで読んだら何も無い
血を洗い流すとか水道管を使ったトリックとかそういうのじゃなくて、ただのシャワー
どういうこと?ラブホなの?
で、まぁ突っ込み入れ放題だけど、最終的にこういう間取りにしたのは何かあるんだろうなって思って読み進めたら、結局は
「窓がたくさんあるのにその中で殺人が行われているというカモフラージュ」
とか完全に手抜きすぎ!
普通にカーテン閉めて殺人してバラバラにすればいいじゃねーかよ!
で、次の家は割とまともな間取りかなーと思って見てたら、ここでも寝室のトイレ問題が!
なんでこの作者は寝室からトイレ行くのに子供部屋を通らせるんだ?そういう性癖か?
しかもこのトイレの位置にホラー的な理由は特に無し!子供部屋にトイレ付けてたのはただただ独房感を出すだけかな(説明なかったけど)
三角形に増築とかも読んでてハァ?ってなるし、断言できるけど作者は間取りとか建築とか全然詳しくないし調べてもないでしょ
ここまで書いたことなんて、素人でもマンションの部屋探したり新築で家を建てたりするときに自然と知る知識なんよ
新築戸建てならもっと考えないといけないことがたくさんあって安全性だとか耐震性だとか建蔽率、斜線規制とか山ほどあるわけ
別にそんなとこまでリアリティ出さなくていいけど、せめて住めそうな家にした上で、ちょっとした違和感にしてもらわないと
間取り見ただけで違和感しかないから全然ホラー部分が入ってこないし陳腐にしか見えない
タイトルが「変な家」なんだからそれぐらいはやってほしいわけよ
こういう「俺、間取りを使ったミステリー考えちゃいました」みたいなノリで書いてるのがまさに「リアル鬼ごっこレベル」の小説で
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。
東久留米市のスポーツセンターのプールは開設から25年ほどだが、天井内のボルトが破損したり、天井がたわんでいたりして安全性が確保できないとして、6月11日から一時閉鎖している。経年劣化が原因とみられ、
25年で経年劣化..妙だな..