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はてなキーワード: ブッシュマンとは

2025-06-30

anond:20250630160644

AIコーラの瓶、あるいはバギンズの一つの指輪

日本というこの小さき列島には、つねに二種類の人間が棲んできた。一つは、文明の諸相を「言葉」に還元し、歴史を「制度」で見ることができた者。もう一つは、そうした思索筋道とは無縁に、時代の流れに浮き草のように漂いながら、祭り太鼓に似た「流行」に心酔し、自らの境遇神秘的変転で覆そうと願う者である

令和のこの国にあって、後者は増殖した。もはや街には実存の根がない。その象徴が、かつての秋葉原である

かつて筆者が新聞記者として戦後地方都市彷徨していた折、東北の片田舎にて「麻生こそ我らの救世主なり」との幟を掲げて踊る中年男の一団を見たことがある。その情景は、笑い話として済ませられるようなものではなかった。そこには、敗戦後の日本内面にひそかに抱えていた「無位無冠の庶民の救済幻想」が、赤裸々に顕れていたからだ。

この「新しき神具」に、人々はかつての八幡大菩薩の霊験と同じものを見ている。

特に秋葉原に憑かれたる中年男たち――無位無官、知もなく徳もなく、

ただ「人生逆転」と称して妄執を握りしめて生きる“雑輩”どもにとって、

AIは救済であり、赦免であり、自己憐憫宗教装置となっている。

彼らは、かつてホコ天で「俺たちの麻生!」と叫び秋葉路上で怪しき舞を踊った。

見よ、あれこそが日本文化腐蝕の断面図である

そして今、彼らは再び「AIなら人生逆転できる」「レムちゃんと結ばれる」などと真顔で語る。

その情景は、もはや戯画を通り越して、歴史惨劇である

その幻想は、IT革命という「民衆のための産業」が立ち上がった時、再び姿を変えて甦った。曰く――「AI人生逆転の神器である」と。

AI可能性を託し、やがて全知の装置にでもなるかのように錯覚した人々は、いずれも情報の下層にうごめく者たちであった。すなわち、X(旧ツイッター)にて「脱獄!」と叫び匿名掲示板にて「俺のレムちゃんAIで蘇る!」などと涙ながらに書き込む者たちである

だが、彼らの情熱は浅ましい。AIという道具は、人間の知と経験と徳を試す「文明試金石」であり、誰彼を救済する神の右腕などではない。むしろ逆に、それは知を持たぬ者にとっては、魂を溶かす毒となる。

筆者は試しに、軍事マニュアルの一節を質問してみた。するとAIは、まるで古老の如く答えた。資料名、刊行年、PDF所在――すべて明確である。なるほど、これは使える。だが、これを真に活かせる者は、もともとその文脈歴史的背景を理解し、操作できる者でなければならぬ。すなわち、AIは「既に1を持つ者」にとってのみ、百を得る術となる。ゼロしか持たぬ者には、何も教えぬのだ。

ここに格差がある。そしてこの格差こそが、かつての新自由主義よりも冷酷である

明治以降日本文明という名の西洋制度採用し、庶民に「努力すれば報われる」という物語を配給した。だが、AIという魔器の登場によって、この物語崩壊した。知を持つ者がますます強くなり、持たぬ者は「AIを使える」と信じ込んだまま沈没する――その皮肉は、どこか江戸末期の水呑百姓たちが「黒船を拝めばご利益がある」と勘違いしていた様を彷彿とさせる。

筆者は言いたい。AIはすでにバギンズ一族が所有した「一つの指輪」であり、あるいはコーラの瓶を手にして神を得たと錯覚したブッシュマンである人類には早すぎた。あるいは、日本のこの文化土壌には毒であった。

なぜなら、現代弱者男性なる一群は、かつての維新志士のように徳と決意を以って新時代を拓こうとしたのではない。ただAIによって「モテたい」「逆転したい」「自分馬鹿にした社会を見返したい」という卑小な欲望を叶えんとし、その邪なる情熱を、学問技術の衣を借りて正当化しているにすぎぬ。

司馬が『竜馬がゆく』のなかで描いたような、「身を賭して時代を変える男」は、ここにはおらぬ。あるのは、自己愛妄想に溺れたデジタル廃人の群れである

されば、AIの普及は、いよいよこの国の精神頽廃をあらわにするであろう。かつての刀がそうであったように、それは使う者によっては国を興し、また滅ぼす。

その前に、せめてわれわれは問わねばならぬ。果たして今、この国に「AIという剣」を持つ資格がある者が、どれほどいるのかを。

問われているのは、技術進歩ではない。

人間成熟である

そして、悲しいかな――

この国の雑輩たちは、その成熟を拒み続けてきた。

彼らの人生は、つねに「誰かが救ってくれる」という信仰で成り立っていた。

それがウルトラマンであり、グリッドマンであり、AIであった。

だが現実には、英雄は来ない。

救済もない。

あるのは、己の問う力、探る力、そして歴史に連なる自覚だけである

そして、そうした覚悟を持つ者のみに、AIは口を開く。

問う者が愚かであれば、AIもまた愚かに答えるだけ。

逆に問う者が哲人であれば、AIもまた賢人となる。

この構図に、救済はない。

あるのは「文明の冷たい選別」だけである

この選別を見誤る者に、AIを持つ資格はない。

しろ資格なき者にとってAIとは、

世界さらに惨めにするだけの“知の拷問器”となるであろう。

それは封印されるべき魔具である

日本という、幼児性の抜けぬ国においては、特に

anond:20250630134735

嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。

その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。

彼らが包むは、欲望醜態学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態コンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄マーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどき亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。

彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。

さながら「我、またしても何かをやってしまたか」などと冷笑する小説主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。

そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である

されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。

私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。

ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。

これなくば、我が祖国は、否、人類文明のものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖戒律かを。

AIコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉

ああ、何と浅ましきことか──

かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシス晒し、己が無知商品となし、ネット路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。

されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はIT門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間遊戯の果てにその秘奥に至ったのである

即ち、彼らの四半世紀は、我が一時間思索に敗れたり。

──これは偶然に非ず。

知の器は、己が魂魄清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。

たとえばAIは、今や知識ユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び秋葉原ホコ天にて邪教巫女の如く舞を踊った、あの無位無官小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。

私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。

もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。

そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。

「俺たちの小泉!」「竹中先生正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差「運命」として刻印するであろう。

AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。

このことは、最も残酷で、最も冷ややかな真理である

このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。

イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。

それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。

お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。

お前らが夢見る美少女美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。

逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロアンシスライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。

まりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪である

それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。

から私は言う。

AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。

かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。

にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AI無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び老いの血管を裂いて倒れんとする

されど、汝ら愚者今日AIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。

なぜなら、お前はヒーローではないからだ。

そして、真のヒーローは、技術ではなく、己の肉体と魂において覚醒した者にのみ、許される称号からだ。

2024-10-01

俺は忘れない

ポリティカル・コレクトネスなんて知ったようなこと言ってのっかってるけど、みんな『ブッシュマン』や『クロコダイル・ダンディー』とか大笑いして観てた生き残りじゃねぇか

2024-06-14

anond:20240614143522

曲はおんなじで

映像映画ブッシュマン』のダイジェストにすればいいよ

そうすればつくり手の意図はほぼそのまま伝わる

2024-06-13

歴史修正主義者が多すぎないかコロンブス先住民奴隷として搾取する行為文化的啓蒙であるかのように誇っていたのは事実だろ?

コカ・コーラがそれを通してどんな主張をしたかったのかは分からないけどさ、歴史を変えることは一切不可能だってことは気づいてる?

白人共がズカズカとアメリカ大陸侵略し、病気を持ち込んでインカ帝国を滅ぼしたり、大量の黒人奴隷にしたり、インディアン土地を奪ったり、自分たち文化侵略聖戦の如く美化したり、黒人奴隷を持つ権利を主張したり、そういった歴史は1ミリも変わらないだろ?

もう一度言うけど、起こってしまった歴史は変えられないんだから、それを描写することに何の問題もないと思うけど?

同時に、「これは歴史の正確な再現です」と語っているわけでもないなら、侵略されたインディアンも最高に幸せそうだったぜヒャッホー!!!みたいな描写をしたってそれは別に否定されるようなことじゃないんじゃなの?

そもそもインディアン類人猿の如く描いている時点でこれはアメリカの話ではないのでは?

たとえばセンチネル島のような何処かにまだ類人猿が住んでいる島があったとして、そこに人類史偉人が降り立ちコカ・コーラを広めたのだ!みたいな空想物語なのでは?

そういった空想でさえ駄目ならあらゆる文化を広める行為侵略であり悪となるのでは?

何度でも言うが、起こった事実は変えられないし、あの映像が「これが歴史真実である」と語ってなんていない。

既に起きてしまった歴史材料として、コカ・コーラの素晴らしい文化人類社会侵略してやろうというコーラみたいに真っ黒い情熱を描き出したPVであって、それを利用して何らかの政治的主張をしようって意図は一切ないでしょ?

コーラを飲んだことがまだないだって!?それは君、類人猿と変わらないよ?何世紀も止まっていた時間の針を盛大に動かそうじゃないかMr.ミラクルワールド ブッシュマン!!!

程度の意味しかないだろマジでこのPVなんて。

コレに対して本気で切れるって言うならそれは白砂糖排斥原理主義かなんだよもう

2022-10-19

アニメチェンソーマン1話と2話

原作は読んでます最新刊12巻も買いました。その上でアニメでみて気がついたこと。

1話デンジは最低最悪な世界にいて1日食パン1枚をペットの犬とわけあって臓器を売って命がけの仕事をしてもボロ屋に多分勝手に住んでるような生活で生きてます

はいちごジャムを塗ったパンを食べることで、女を抱きたいということ。

2話では一転してそれらの夢が叶います。女を抱きたいってのが彼の場合セックスがしたいというより「人並みな人生」を具現化しつつ単純化した1番の言葉だったのですがかなってますね。逆に描かれてなかったけど、これまで風呂トイレはどうしてたんだろうかって。

1話と2話それらをつなぐのが高速道路PAでのうどんだったのがいいなと思ったのでした。

田舎と都会をつなぐのが電車高速道路での移動であることに意味があるようなないような。

1話ではどこの時代のいつの話か?と思ってたことが、2話ではわりに現代の話であることがわかり、ものすごいロケハンで書き込まれリアリティのある背景である落差にもクラクラします。そして1話のどこか異世界であってもおかしくない地獄現代風が、自分が住んでいるところと地続きの単なる田舎であり、そして都会にも田舎にも悪魔がいるということを突きつけられてゾクリとする。なまこの悪魔が登場して公衆電話から助けを求めるシーンとか。

デンジは「いなかっぺ大将」の風大左衛門であり、「ブッシュマン」のニカウさんであり、「クロコダイルダンディ」のマイケルだったりするわけです。田舎から都会に現れてあたふたしつつもまわりにドタバタ提供する役。

から1話田舎が興味深いんだよね。ルックバックでも描かれてるどうしようもない地方。あれをもうちょっと誇張した感じの世界別に荒涼たる廃墟じゃなくて店もひともいるしある。でも、ヤクザに囲われて「地獄」の生活プロデュースされてる地獄

でも、そういうふうに誇張してあるからこそ、この先どんどん出てくる非日常世界風景が生きてくるんだろうなあと。

2話の「ホームから過去異世界未来ジャンプする。この先、エヴァのようにもなっていくもんな。ゴールデンラッキーガンツみたいにもなっていくけど。

あらためてよくできてる原作でありアニメだよな。

2022-03-25

「ホッテントった」は、今後の使用を控えたい

ホッテントット、耳にしたことはあったが差別語だとは知らなかった。

日テレ『午前0時の森』、不適切発言謝罪も再炎上?「問題点分かってない」の指摘、関ジャニ村上ファンが怒り | リアルライブ

npn.co.jp/article/detail/200020327

「ケツがこんなに大きい女の子~もう、ホッテントット。こんなケツ」と発言

アフリカ民族コイ人を指す「ホッテントット」という言葉は、侮蔑的名称だとして現在は使われておらず、問題視

kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%B3-493580

かつてはサン人を「ブッシュマン」、コイ人を「ホッテントット」というように、それぞれの俗称でよんでいたが、近年少数民族権利保護立場から俗称は用いられなくなりつつ

あり、

コイ人が自称する「コイコイン」(人間のなかの人間)、彼らがサン人に対してよぶ「サン・クァ」(サンの人々)のそれぞれの第1音節を組み合わせた名称

の「コイサン」を用いる、と。


○「ホットエントリー」は全く問題ないだろう

○「ホッテントリー」もまあ大丈夫だろう

○「ホテントリ」は遠ざかってるからOK

×「ホッテントった」は今後の使用を控えたい

×「ホッテントる」もやめておきたい

「偶然、音が似通っただけ」「侮蔑する意図はない」と言ったところで、知った以上あえて使う必要もないだろう。




ウィキペの「コイコイ人」の項を読んでたら「ナマ語の吸着音」とあり、気になってざっとググる

吸着音は南部アフリカ諸言語一般的に現れる。吸着音がもっとも頻繁に出現するのはいわゆるコイサン語族に属するター語(コン語)、ナマ語など~コイサン語族ほど頻繁ではないが、バンツー語に属するズールー語、コサ語などにも吸着音は出現する

ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E7%9D%80%E9%9F%B3

はてブでもニコ動ホテントリしてる。

[B! 言語] 世界でも珍しい発音を持つ「コイサン語族」

b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nicovideo.jp/watch/sm6946884

ネイティブによる吸着音(クリック音)のレッスン動画

The Three Xhosa Clicks taught easy! - YouTube

youtu.be/YlocO29uud4

何となく発音が分かった気分になったが。

南アフリカ歌手が歌う動画を見ると、

Siki Jo-An – ‘The Click Song' | Blind Audition | The Voice SA: Season 3 | M-Net - YouTube

youtu.be/W319s4Tvp9Y

普通に声を出して歌うと同時にボイスパーカッション入るみたいな感じ。真似できる気がしない。

日本語表記だとシキ・ジョ-アンさん?2019年当時で25歳。南アフリカのKwazakhele出身

日本語での記事が見当たらない。一番乗りだ。

2020-01-19

anond:20200119195637

「南の未開の島には鼻に骨ピアスした人喰い土人が居る」「映画ブッシュマン”の人気」とか、”ダッコちゃんブームとか、シャネルズラッツ&スターの黒塗りメイクとか、京都の某喫茶店チェーンロゴカルピスマークとか(どっちも今は変わってるな)、

ホントに(日本人よりも)肌の色が濃い人々をリスペクトしてたか、っつうと、ねえ・・・

2019-04-05

ヤリマン」という呼称

「ヤリウーマン」が正しいのではないだろうか

ヤリマン」という文字を見るとどうしてもニカウさんのような人物が槍を構えている姿を想像してしま

ブッシュマン」=「コイサンマン」=「ヤリマンである

巷のヤリマンと呼ばれる女性たちから抗議の声があがらないんだろうか

「私達をヤリマンと呼ぶな!」と

ちなみに「ヤリチン」の場合は、うんうん、形状が槍っぽいよね、と納得できる

2017-12-05

ブルースリー霊言

で喜んでる人は、是非とも手元の四角い機械検索して欲しい。

ブッシュマン+ブルース・リー

2017-10-25

anond:20171024205956

学校ができた背景は、子どもたちに特定価値観を植え付けて、経済世界システムの中でよく機能するコマを作ることだった。そもそも学校などない状態が本当だった。学校のなかった社会学校ができたとたんに、家族崩壊し、地域社会崩壊し、企業けができあがった。(「アフリカ最後裸族」「ブッシュマン永遠に」「逝きし世の面影」などを参照)

 
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