はてなキーワード: 原理主義とは
ほかのことは好きにしたらいい。だが餅だけは常備しろ。異論は認めない。
まず余計な調理器具を買うな。買った瞬間から罪悪感が湧いて、使わないクセに場所だけ取って、ホコリを呼び込み、やがて絶望の底に沈む。炊飯器?茶碗?鍋?ガスコンロ?包丁?全部封印だ。和食自炊を初手から攻略しようとするな。あれは終盤ダンジョンだ。
餅こそが序盤を制す。
餅は偉い。餅は強い。餅は裏切らない。
まず米より圧倒的に楽だ。米を想像してみろ。重い袋を運び、計量し、研ぎ、水を入れ、炊き、洗い、冷凍し、釜を洗い、スペースを確保し…その間に餅はどうしてる?ただ袋に寝ているだけだ。餅は黙して語らず、ただ存在するだけで偉い。
餅の調理も単純。トースターか電子レンジがあれば勝ち。アルミホイルに寝かせるだけで皿すら不要。餅は焼かれても怒らない。膨らんで喜んでいる。
餅=太ると思っている奴は浅い。量を調整すればいいだけだ。餅を一個食うか二個食うか、それだけでカロリーコントロールは完了する。
米と違って炊き過ぎて余ることがない。炊き過ぎた米は罪悪感の塊だが、餅は一個ずつ独立している。意志を持った戦士のように。
きな粉をかけてもいい。海苔で巻いてもいい。醤油を垂らしてもいい。カレーをまとわせてもいい。適当な野菜をぶちこんで焼いてもいい。トマトとチーズを乗せれば餅ピザにもなる。自由である。
そして重要なことがある。
調理器具をほとんど必要としないからホコリも油も溜まらん。つまりG先生が降臨する確率が劇的に下がる。これは極めて重大な利点だ。餅なし生活は死と隣り合わせだ。
毎日餅を焼いてみろ。
10分もかからない。その間にゲームでもSNSでも適当にやっていればいい。焼けたらアルミホイルごと持ってきて食えばいい。罪悪感ゼロ、満足度100。
生活バランス原理主義者が何か言ってきたら、静かに餅を焼けばいい。餅はお前を裏切らない。野菜を添えればさらに盤石。餅生活は牛丼固定勢より確実に健康的だ。これは経験則に基づく。
餅はシステムとして優秀だ。
炭水化物の量を完全にコントロールできる。食べ過ぎたくても餅は無限には出てこない。餅は自然と暴走を抑制する。
米のように「味噌汁があるから」「肉が余ったから」と無限連鎖で食ってしまうこともない。
そして覚えておけ。
寂しいとき、金がないとき、友達が来たとき、恋人が来たとき、失恋したとき、仕事で折れたとき…
どんな場面でも餅は沈黙のままそこにある。餅とは心の避難所だ。
餅を焼けば何とかなる。
日本人は昔からそうして生きてきた。年末年始の儀式じゃない。生存戦略だ。
買うものは餅、海苔、醤油、砂糖、少量のきな粉、冷凍野菜。これで大抵の状態異常は回復する。餅一個のコストは40円とかそこら。財布にも優しい。
餅を土台にした生活は、自炊を秩序立てて発展させる土台にもなる。餅さえあればパニックにならない。餅のある家は心に余裕が生まれる。
俺も餅で人生を立て直した。
餅を食え。ガチで。
(補足)
これはhttps://anond.hatelabo.jp/20200317154739の増田を餅に変えてAIに書かせたものです。
原理主義者もいるけれどさ
んで、ドリヤス工場とかが語られる場合って、かならずセットで水木しげるも語られるべ
今はもう、指の数とか、髪の毛の違和感とかじゃなくって、ちゃんとした絵でも「あぁAIだろう」ってなるのがあるよね
でもAIではそれは起こらない
それなりに評価されてれば、プロンプトで決め打ちしなくてもタグが付いて出力されやすくなるだろう
(そのまんまがって意味じゃねぇぞ)
それは、誰でも出力できるどこかで見たことがある感じの絵になって
ともすれば、AI出力を疑われる
一定の人は、それを前提にして新しい時代の動き方をするんだよ、みたいに言うけれども
そういう消費されるパーツになるのが嫌な人はAIに反感を持つだろう
それではこのネット議論も踏まえて、あなたは経済学と統計に基づき、高市政権の財政政策の楽観・ベース・悲観シナリオを提示してください
了解。ネット議論(ミッチェル/永濱/ノア等)も踏まえつつ、データと教科書ロジック(r<g の債務動学、為替・物価の連関)で「高市政権の財政政策」について楽観/ベース/悲観の3シナリオを提示します。
前提として、
①日銀は2024年にマイナス金利とYCCを終了し“ゆるやかな正常化”を継続、
③24年春に円買い介入(9.79兆円)という事実関係は押さえておきます。
また直近の東京都区部コアCPIが+2.8%(2025年10月)で推移しており、家計の体感インフレはなお高めです。
財政:“時限・対象を絞った”家計支援にとどめ、増えた名目税収は供給力投資(電力・半導体・人材/ソフト)と規制改革の実行に重点配分。恒久的バラマキは回避。
ルール:PB原理主義は緩めつつも、中期フレームで債務比率の安定低下と金利感応度の見える化をセット。r<g を構造化する設計。
金融:日銀は段階的に正常化、政府は“急な利上げ要求”はせず独立性を尊重。
実質GDP:+1.0〜+1.5%(FDI・設備投資・生産性寄与で潜在成長を底上げ)
CPI(総合/コア):1.8〜2.3%へ鈍化(輸入コスト低下と競争促進)
10年金利:1.3〜1.6%/USDJPY:142〜150(金利差縮小と信認改善)
PB:赤字縮小、債務対GDP比はわずかに低下(r<g の継続)。
米の利下げペース前倒し→日米金利差縮小。
電力コスト低下・用地/系統のボトルネック解消、FDI誘致の実装加速(ノア路線の具体化)。
米景気の失速(外需下振れ)。
財政:ガソリン暫定税率廃止などの負担軽減は実施しつつ、エネルギー補助は段階縮小。投資は確度の高い案件から着手するが、実装速度は分野に差。
ルール:PB黒字“だけ”に拘らず、ただし債務比率の安定は維持。
10年金利:1.5〜2.0%/USDJPY:148〜158(金利差は依然大きいが、過度な円安は当局が抑制)
介入:急変時はスパイク平準化で対応(トレンドは変えにくい)。
名目の改善を根拠に恒久歳出化の誘惑が強まる(将来の硬直化)。
財政:物価と円安の長引く圧力の中、面での負担軽減が長期化。投資も広く薄くになりやすい。
ルール:PB・債務比率の双方でメッセージが曖昧化、市場は国債需給と利払い増に警戒。
CPI:2.8〜3.5%(エネルギー・食品・為替の波状攻撃)
10年金利:1.8〜2.4%/USDJPY:155〜162(ボラ上昇。介入は断続)
ガソリン税廃止の恒久化+補助の延命で価格シグナル歪み・財政コスト増。
政策コミュニケーションの混乱(財政規律の後退観・インフレ税への反発)。
債券市場のボラ上昇(入札不調リスクは低いが、利払い増が中期の重石に)。
為替の円安⤴×物価⤴×賃金⤵の悪い組合せが政治的に不安定化。
短期(痛み止め):支援は点で・時限で・出口明確(逆進性のケアと財政コスト管理)
中期(規律):債務比率と金利感応度をKPIに据え、r<gを“前提”ではなく“目標”として運営
長期(成長):電力コスト/FDI/人材・ソフトにKPIを置く“実装工程表”+撤退基準
市場対話:為替の中期トレンドは金利差と成長で説明、介入は平準化に限定
一言で:
悲観は「広く・薄く・長く」の財政と外生ショックが重なり、通貨・物価・債務に重石がかかるシナリオです。
理由:家計ケアの継続+投資の「部分前進」、日銀は極めて漸進、米金利はゆっくり低下——という“中庸”が現状の延長として最も自然。10年金利1.5〜2.0%、CPI 2.0〜2.8%、USD/JPY 148〜158 のレンジ感が妥当。
理由:資源高・米長期金利の再上振れ・価格補助の長期化(規律後退)で円安×物価高×実質賃金弱が重なるリスクは無視できない。10年金利1.8〜2.4%、CPI 2.8〜3.5%、USD/JPY 155〜162。
理由:米利下げ前倒し+電力/FDI/人材の“実装”が想定より進むには、許認可・系統・人材の摩擦を短期で崩す必要。実現は可能だがややハード。10年金利1.3〜1.6%、CPI 1.8〜2.3%、USD/JPY 142〜150。
国内賃上げの裾野(広がる→ベース/楽観↑、伸び悩み→悲観↑)
SNSサイトはてなブックマークにおいて「高市 財政」で検索した結果、以下3つの人気記事があります
ビル・ミッチェル「日本の誤った財政ルールは必ず裏目に出る」(2025年10月30日)
https://econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/econ101.jp/japan-errant-fiscal-rule-is-sure-to-backfire/
急激に改善する財政状況|永濱利廣(第一生命経済研究所首席エコノミスト)
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
https://comemo.nikkei.com/n/n4e0be4db3d5a
ノア・スミス「高市早苗のための経済アイディア」(2025年10月29日)|経済学101
https://note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/econ101_/n/n5d61a5607480
それぞれの本文とはてなブックマークの反応を見て、「高市政権と財政」についてネットでどのような議論があるかをまとめましょう
了解。ご指定の3本(ミッチェル、永濱、ノア)の本文と、はてなブックマーク上の“受け止め”を突き合わせて、「高市政権と財政」をめぐるネット議論の地図を作りました。
MMTの立場から、(高市政権が示す)名目指標ベースの財政ルールは“実物制約”を無視してプロサイクリックになると批判。
財政余地は公債残高比率では測れず、失業・遊休資源など実体に合わせよ、という主張。
JGB入札の応札倍率や日銀保有の大きさを挙げ、国債の信認不安論を退けています。
総評:プロサイクリック批判は筋が良い。名目成長に連動した“上限”設計は、減速期の裁量財政を縛りやすい。
Caveats:
① ただし実務は“方針”であって硬直的ルールにしない運用余地が残る(国会・補正運用)。記事はその裁量をやや軽視。
② 「実物制約ベース」は理想だが、潜在・需給ギャップ推計の不確実性(リアルタイム改定)を伴うため、名目・市場指標との二重トラックで監視する現実主義が必要。
③ 金利感応度上昇局面では、「どの程度の赤字が期待インフレや通貨へ波及するか」を並行管理すべき(記事は通貨・金利連鎖の運用論が薄め)。
賛成側は「PB原理主義より成長優先への転換は前進」「名目ルールはプロサイクリックになり得る」と評価。
懸念側は「インフレ進行下で積極財政を煽るな」「高齢化下で社会保障をどうするかが欠落」と分かれ、MMT的主張への批判も目立ちます(“インフレスパイラル無視?”など)。
r<g(名目成長>利回り)局面で債務比率は下がる=名目成長・インフレの立ち上がりが税収増を通じて財政を改善、という“債務動学”の再確認。
総評:現状認識としては妥当。名目の立ち上がりが税収を押し上げ、短期の指標改善に寄与しているのは事実。「PB一本足打法からの転地」を促す点にも価値。
Caveats:
① 持続性の問題:r<gは状態依存。世界金利・成長の変化でr>gに戻れば逆回転。
② 分配の問題:インフレ期の名目改善は実質負担の再配分を伴う。ターゲット給付や時限減税で逆進性を緩和しないと政治的持続性に欠ける。
③ 「急激」表現のリスク:恒久歳出や恒久減税の根拠に用いると、景気反転時に構造赤字を再拡大。トリガー条項・自動安定化装置とセットで読むべき。
「インフレで財政改善は“金融抑圧=インフレ税”で家計から政府への逆進的移転」「改善は循環要因で恒常化は危うい」という分配・持続性への警戒が強い。
一方で「PB原理主義を緩める論点提示は有益」「上げ潮派の論点が実証で裏付いた」と評価する声も。
“名目で見える改善”をどう制度設計に落とすか(時限措置・自動安定化装置)に議論が集約。
①グリーンフィールド型の対日直接投資(工場・R&D誘致)、
②企業文化改革(中途採用拡大・女性管理職・フレックスタイム等)、
③エネルギー転換・防衛R&D・ソフトウェア産業育成…等を提案。
円安や地政学はチャンスとして活かせ、という“実装型アジェンダ”。
総評:“積極財政で一気に”ではなく“ボトルネックごとの実装”に踏み込む点が良い。FDI誘致・電力コスト・人材という「詰まり」を直視しており、高市政権の危機管理投資路線とも親和的。
Caveats:
① 実装難易度:用地・系統・規制・自治体合意・人材移動の摩擦をKPI/時限規制で崩す工程設計が不可欠。
② 財政との整合:供給投資の多くは初期コストが大きい。債券需給・利払い増と矛盾しない中期財政フレーム(優先順位・撤退基準)が必要。
③ 時間軸:短期の物価・円相場に即効性が弱い。ターゲット支援(点)と供給投資(線)の二階建て設計とコミュニケーションが要る。
支持は「現実味ある処方箋」「内需依存から輸出・高付加価値へ」「人材・移民・ITのボトルネック解消に賛成」。
懐疑は「既視感/具体性不足」「実行コストと政治的抵抗がネック」「ソフトウェア弱点は一朝一夕で直らない」。
全体として“積極財政で押す”より“制度・人・投資の実装”への期待が相対的に高い。
反PB・反名目ルール(ミッチェル):景気に合わせた実物制約ベースを。
r<g派(永濱):目先の名目改善を恒常化と誤認するながカウンターで多い。
→結論:“規律の付け替え”は支持も、プロサイクリック/インフレ税への設計配慮が必須。
名目改善は歓迎だが、「インフレ税」「逆進性」の批判が濃い(永濱記事のコメント群)。
→ ターゲット給付・時限措置・価格補助の出口をセットで、がネット民の多数意見。
ノア案のFDI誘致/企業文化改革/エネルギー転換は“方向性OK・実装が肝”。
→ 人材・規制・用地・電力のボトルネック潰し、KPIと実行体制への関心大。
積極財政×利上げ慎重=円安・金利上昇リスクを意識する声も(永濱スレの一部)。
一方で「国債需要は厚い/応札倍率は高い」との安心論(ミッチェル文中のデータ)。
→ 金利感応度と債券需給を透明化せよ、が実務サイドの共通要望。
PB一本足への懐疑は広がった。
ただしインフレ税・逆進性や恒久化の誘惑には強い警戒。
https://x.com/taito_smile/status/1986519451857265006
資源がなくなり観光国として生きていくなら少し改善は必要かな…
(エックスのナウル共和国政府観光局が動いているようなので、いい方向に向かうと思う)
初めてアンコールワットに行った時も(20年以上前?)ひどかったw
お釣りはちょろまかすし、遺跡周辺にはお土産売りの子供たちがずっとまとわりつき(これ結構しんどかった)
中流ホテルでも蛇口を捻るとほんのり茶色い水……(これはたまたまか?)
有名な世界遺産があるからってあぐらかいてんじゃないの? という感じだったけど
去年行ったらシェムリアップの遺跡周辺は改善されていて、お手洗いとかもびっくりするくらい綺麗になっていて驚いた
一度フラット(ポルポト原理主義)になってるという、国として遠回りしてる点は
ナウルも似たような経験していると思っている(資源がつきるまでは働かなくても食べていけた国)
あと、中華料理が多いのは、やはり中国の資本が入ってきているのかな…?と勘ぐり
カンボジアも空港は中国資本だし、ビーチリゾートだったシアヌークビルも
漢字の看板が羅列する、ちょっと治安のわるそうな一角に成り下がってしまった…
品川区ほどの面積の小さな島国が後ろ盾なく立ち回るのは難しいので
どこかの大国の息がかかるのは仕方のないことだが、いい方向に向かってほしい
そもそも手術は身体違和が強い性同一性障害(GID)の患者の治療のために必要だということだったんだが、
身体違和のないトランスジェンダーが性器を残したいとGIDを叩きまくってきたんよね
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16817330654417815669
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
だが、やがてGIDと越境性差トランスジェンダーは袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差トランスジェンダーの活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654417898831
そもそも手術は身体違和が強い性同一性障害(GID)の患者の治療のために必要だということだったんだが、
身体違和のないトランスジェンダーが性器を残したいとGIDを叩きまくってきたんよね
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16817330654417815669
対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。
それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。
それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。
だが、やがてGIDと越境性差トランスジェンダーは袂を分けてゆく。
当然だろう――GID当事者たちは、生まれるべきだった身体を取り戻したいのだ。女装しただけで「性別が変わった」と言う人々とは相いれない。
特例法が作られたのは、身体を変え、多数派に埋没しようとする人々が、それでも埋没し切れない部分――戸籍上の性別を埋没させるためだった。「自分は元は男でした」と公言するのならば、特例法はいらないとさえ言える。
特例法成立以前から活動していた「トランス女性」の三橋順子は、このようなGID当事者の態度を「TS原理主義」と呼んで批判した。同じく「トランス女性」の米沢泉美も、「医療を望む者と望まない者との間に格差を生んだ」と述べた。そして両者とも、性別は身体ではなく、自己認識で決めるものだと主張している。
「身体」という現実は残酷だ。GID当事者はそこに違和感がある。これは身体的な症状――つまり「病気」だと言える。「病気」と認定されたことにより、それに伴う権利を(特例法や、治療への保険適応などを)GID当事者は得られた。
一方で、LGBT活動家の目的は、性同一性障碍という病気をなくすことだ。
何しろ、「男と言ったら男」「女と言ったら女」となる世の中を作りたいのである。それなのに、身体違和という現実を抱える人々がいることは目障りだ。
そこで捻り出されたのは、「性別を変えたいことを『病気』扱いすることは人権侵害」「性別適合手術は強制断種」という珍妙な理屈だ。
つまり、「ただ身体を変えたいだけなのに、それを『障碍』と呼ぶなど可哀そうじゃないか」「ただ性別を変えたいだけなのに、手術をしなければならないのは人権侵害」と主張しているのだ。
だが、性別適合手術はGID当事者が勝ち取ってきた権利である。性別適合手術が公認されていなかった時代、正式な診察のガイドラインを制定するように働きかけたのはGID当事者たちだ。
一方、いわゆる「TS原理主義」に対するLGBT活動家の反感は憎しみの域まで来ている。
越境性差トランスジェンダーの活動家・三橋順子と畑野とまとは、二〇一八年に「くたばれGID学会」という座談会を開く。そこでは、性同一性障碍の脱病理化について語られていた。
https://kakuyomu.jp/users/Ebisumatsuri/news/16817330654417898831
・「SpotifyDJはネットワークとかのリスクがあって〜」って冷静に説明する人(でも、心の奥底では「従来のDJが最高と言いなさい」みたいに思ってそうなところもある)
・「まあ自由にやらせとけばいいでしょ、ある程度慣れたら多分音源買うようになるさ」と、干渉する気は無いと言いつつ従来方式を推す人
こういうのを見てると、なんか絵師コミュニティがAIイラストを目にした時の反応と同じだな〜と。
革新的なやり方が入って来た時の反応って、どのコミュニティでも変わらないんだね。
(一応フォローしとくと、革新派と従来派が両方いることによって、リスクとリターンがちゃんと天秤に測られて健全に技術が使われてくってところはあると思います。)
宗派としては、日本におけるプロテスタントの最大教派である日本基督教団らしい。
石破総理が選挙に3回も惨敗したのに辞任しなかったのは、日本人の「世間」の常識が無かったから。
多くの日本人であれば、普通は国政選挙で2回、都議会選挙で惨敗したら、潔く身を引くものと考える。
これを言語化するならば「恥の文化」とか「体裁が良くない」とか「世間体を気にする」とか「お天道様が見ている」と表現できる。
キリスト教徒にとってはイエス様の意思が全てなので、「世間からどう見られるか」は一切気にしない傾向があるらしい。
RPGとして、お使いしまくってクリアするという意味では非常によくできていて、私は大好きですが、悪く言いうとシナリオから外れると何もすることが無いので、これを基準とするとオープンワールド原理主義者からは叩かれる気がする(ギャングとかコープとか、面白い材料はあるので勢力争いとか拠点構築とか盛り込んで欲しかった)
あと、サイバーパンクって、2020年発売でもう5年経つので、それ以降のAAAタイトルが軒並みこけていて基準となるようなゲームが無いというのも問題たと思うんですよね(エルデンリングとかバルダーズゲートがあるので、こいつらがRPGの基準なんじゃね?とは思うけど荒れそうなので言わない)