はてなキーワード: 沈没とは
リフレ派の連中が自己放尿を繰り返すたびに、日本という国は確実に終了へと一直線に滑り落ちている。
信じられないほど甘ったるい幻想を抱え、貨幣を無制限にばらまけば、デフレから脱却できる、そんな幻想信仰を抱いたリフレ派エコノミストどもは、今やインフレという火に油を注ぎ、自らを祝福する祭壇で財政と金融のダブル放尿をしているようなものだ。
まずインフレ率を自在にコントロールするだとか、日銀が無制限に国債を買えばマネタリーベースを増やせるなどのリフレ主張は自己放尿だ。
その一方で、リフレ派は財政拡大と金融緩和を組み合わせて、理想の高圧経済を作ろうとする。しかしその政策の果てに待っているのは、過剰流動性のインフレ税と格差拡大だ。
高市早苗政権がリフレ派エコノミストを政府会議に次々と起用し、再びネオ・アベノミクス色を強めて自己放尿している。
金融市場はその方向に警戒を強めており、円安・金利上昇のリスクが高まっているという声も出ている。
リフレ派の連中はその現実を直視しない。連中は「インフレ目標の達成」「デフレ脱却」というお題目を唱えながら、実際には財政と金融の歪みを拡大させてきた。
これこそが自己放尿の本質だ。すなわち、自らの信念に酔って放尿しているが、その尿の一滴一滴が国家の体力を蝕み、将来の財政リスクを累積させている。
それどころか、連中はしばしば財政と金融のダブル放尿に陥っている。
具体的には、インフレ圧力を増幅させつつ、同時に過剰な国債依存や金利リスクを積み上げている。
こんな政策が長期的に持続可能だと思っているのか? 甘いにも程がある。
リフレ派は「もっと刷ればいい」「もっと買えばいい」と放尿を続ける。
このまま行けば、日本はインフレという名の地雷原を自ら踏み抜き、財政不安、金利リスク、格差というトリプル放尿を抱えて沈没するだろう。
あれもよく分かんねえだよなあ
2023年の夏は原子力潜水艦が台湾海峡付近で乗組員全員とともに行方不明になったってあったでしょ
中国は「根も葉もないうわさ」と言っていたのに…英機密文書「中国原潜が山東省沖で沈没、乗組員55人死亡」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/10/05/2023100580012.html
英メディア:中国の093型原子力潜水艦が罠にかかり、乗組員55人全員が死亡。 - 黄大仙の blog
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/deepredrose.hatenablog.com/entry/2023/10/10/120000
Times紙、中国海軍の潜水艦は壊滅的な事故で55人の死亡者を出した
中国の原子力潜水艦が台湾海峡で「重大事故」? 乗組員全員死亡説も
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/post-102482.php
2025年11月。スレッズを開いたら、また新しいスタジオオープンの報告を見た。
出張やってた奴が場所を借りて、ちょっと機材を揃えて、夫婦でスタジオ運営を始めた、みたいな投稿。
そういうの、この半年でめっちゃ増えた。正直、見るたびにモヤモヤしている。
なぜかというと、俺もこの業界にいるからだ。記念写真のスタジオ勤務。経営も少しは見てる。
市場規模は2025年の927億円から2030年には895億円まで落ちるって言われてる。
スマホ一台で撮れる時代に、プロに写真を頼むやつは減り続けてる。この業界は斜陽産業。
それなのに、なぜみんなスタジオを開くんだろう。
戦後、写真館がバンバン開業した時代がある。ベビーブーマーが生まれ、団塊世代が育ち、記念写真をプロに撮ってもらうのが当たり前になった時代だ。
人口は増えてた。文化として「写真はプロに」という認識が浸透した。そりゃあ、その時代にスタジオを開けば商売になった。
でも今はどうか。人口ボーナスはもう終わった。逆に人口オーナスの真ん中にいる。記念写真の「プロ頼み」文化は薄れた。
スマホで家族写真を撮って、Instagramに上げるのが普通だ。七五三、成人式、婚礼——確かに需要はまだある。でも数は明らかに減ってる。
それでもスタジオを開く奴がいる。SNSで「新しくスタジオをオープンしました」と堂々と言う。
俺はその投稿を見るたびに、別の映像が浮かぶ。10年後、その投稿者が「元カメラマンの失業者」になってる光景だ。
俺の父親の話
写真業とは関係ない話だが独立という点である意味トラウマになっているのかもしれないが、父親は建設業をやってた。
1990年代後半から2000年代初頭、建設ブームの最後の波に乗って、小規模の施工店を営んでた。需要がある。仕事がある。儲かる。そういう時代だった。
でもリーマンショックが来た。一気に消えた。人口減少の波も来た。その後、建設需要は二度と戻らなかった。
父親は選択肢を間違えた。ブームの時に「ブームは永遠に続く」と思い込んだ。ブームが終わってからも「また戻る」と信じた。結果、失敗した。
写真業界を見てて、同じ構図に見える。出張フォトグラファーのブームは2020年から2023年くらいがピークだった。
コロナ禍で外出できないから、ロケーション撮影の需要が爆発した。確かに稼げた時代がある。
でも今は? その波は終わった。なのに今ごろスタジオを開く奴は、俺の父親と同じ思考回路だ。
「もう一度ブームが来る」と思ってるのか。それとも「ブームはまだ続いてる」と錯覚してるのか。
フォトスタジオ市場は2030年に895億円になると言った。これは統計で見える部分だ。でも実は、もっと厳しい現実がある。
現在、個人でスタジオを営む奴らの大多数は法人化していない。年間売上1000万円未満の小規模事業が大半だ。
これらは統計に組み込まれにくい。つまり、統計が示す「市場規模895億円」の中には、
本来なら入るべき失敗事業体や赤字オペレーションが含まれていない可能性が高い。
実際には、市場は895億円より小さいかもしれない。あるいは、895億円の中での競争が、想定以上に激しいかもしれない。
新規参入者の多くは、個人事業主として細々と営む。月の売上50万円あれば上出来。
月の営業日数は15日前後。時給に換算すれば、下手したらコンビニバイト以下だ。
正気か?
なぜ、それでもやるのか
ここが一番の謎だ。データは明白。市場は縮小。人口は減少。競争は激化。収入は不安定。それなのに、なぜスタジオを開くのか。
恐らく、理由は3つだ。
1つ目:夢。
写真への情熱、自分のスタジオを持ちたいという夢。これは強い。人間を動かす。論理を超える。
だから、データなんか見ない。市場分析なんかやらない。「自分なら上手くやれる」という根拠のない自信を持って、スタジオを開く。
出張でやってた人が、スタジオを持つというのは、一種の「昇進」に見える。場所を持つ、ブランド化する、単価を上げる——こういう「次のステップ」の選択肢に見える。
でも、実は罠だ。市場が縮んでるから、スタジオを持つことが「昇進」ではなく「沈没」になる可能性が高い。
SNSを見ると、新規スタジオの報告はいっぱい見える。スレッズ、Threads、Instagram——みんなが開業してる。
だから「市場はまだ成長してる」と錯覚する。でも統計が示す市場規模は縮小。この矛盾は何か。
簡単だ。個人事業主の新規参入と廃業のスピードが速すぎて、統計追いつかないだけ。
SNSで見える新規オープンの数だけカウントすれば、当然「市場は成長してる」に見える。
でも、その裏では同じくらいの数の廃業者が出ている。統計はそれをキャッチするまでに1年~2年かかる。
10年後のこいつらはどうなってるのか
フォトスタジオ開業の成功率は15%程度だと言われてる。つまり、100人中85人は失敗する。失敗の定義は「経営継続不可」。廃業。
2025年にスタジオを開いた奴が、2035年まで生き残ってる確率は低い。単価は下落する。競争は激化する。
新しいカメラマンは入ってくる。AI画像生成も進化してる。そんな中で、「自分のスタジオ」を守り続けるのは、想像以上に難しい。
で、どうなるか。40代になった元カメラマンが、転職活動をしてる。でも40代での転職成功率は、30代より落ちる。
新しい業界に入るなら、給与も下がる。家族がいれば、その低下を説明するのは辛い。
バンドブームを思い出してほしい。音楽やってた奴らの多くが、結局は別の仕事をしてる。
でも20代の時は、「絶対にこれで食ってく」と思ってた。現実は厳しかった。
俺はどうするのか
正直に言う。俺も怖い。この業界にいて、毎日の経営を見てて、人口減少の波を感じてる。
俺は30代だ。妻と娘がいる。スタジオは給与をくれるが、それが10年後も保証されるとは思わない。
だから、俺は動いている。副業の検討。スキルの習得。転職活動の準備。小さく、慎重に、でも着実に。
父親の失敗を見てるから、同じ轍は踏まない。ブームが続くなんて思わない。市場が戻るなんて期待しない。
スタジオを開く奴を否定する気はない。でも、それが最適な選択か、本当に考えたのか、という疑問は残る。
最後に
この記事を読んでる人の中に、スタジオ開業を考えてる奴がいたら、ちょっと待て。
市場規模、人口推移、個人事業主の成功率、10年後のキャリア。これらを冷徹に分析してから、決めろ。
夢は大事だ。でも夢の代価を払うのは、お前だけじゃない。妻もいるなら、妻も払う。子どもがいるなら、子どもも払う。
俺はこれ以上、同じ構図の失敗を見たくない。
メモ - 男のほうがばらつきが大きく頂点も高ければ谷も深い、その生理的メカニズム
https://crossacross.org/ky/memorandum-2025-09-17-differences-in-trait-variability-between-the-sexes
数か月前東大の男女比は性差別のせいかについての議論で書いた内容と同じような内容の記事がホッテントリに入ったので、
議論相手が返事くれなかったために言い残しになっていたことを少し。以下再掲。
https://anond.hatelabo.jp/20250521212634
ばらつきについて論じてた増田だが、
まず、男性の知能の方がばらつきが大きいのは、Hedges & Nowell (1995) の研究以来、大きさの議論はあれど、ほぼ承認されてるな。
どうしてもセンシティブな内容だから大きな声では主張されないが。
男女の分散の差は大体1.05~1.25の範囲内とされていて、これは軽度知的障碍者の男女比1.5:1、重度2:1(内閣府資料)に適合する。
このように、分散の端に行けば行くほど男女比は偏る。知能以外もほとんど男性の方が分散は大きい。
で、東大生は同世代100万~150万の3000人だから人口比0.3~0.2%、これをそのままIQに当てはめると140くらいの数字。
IQの分散は男女合算15で計算されているから、男性16、女性14(分散の大きさが1.14倍)で計算すると、140以上の男女比は3倍差がつく。
それに受験で重要な数学能力に直結する空間認知能力のスコアは男性の方が高い人が多いことを加味すると4倍差は十分ありえる数字なわけ。
まったくなんの差別やバリアがなくても、分散の「はしっこ」ではこれくらいのことはあり得るんだよ。
だから、あなたの「男女差=差別が原因」説こそ独自研究で、その根拠なんて何もまだ示されてないわけ。
なので、「東大の男子学生は下駄をはいている」ってのは、根拠を示して証明するまで、思い込みに基づく言いがかり、冤罪でしかない。
言っておくが、これは男性が女性より優れている、なんてことは意味しない。
単に男性の方が「外れ値、異常値」が多いってだけだ。
おそらく男性が遺伝子の環境適応淘汰の「モルモット」だからだろう。
そして、たまたまその異常性が有利に働く場所「だけ」を観察すれば、男女の外れ値の発生率がそのまま表れる。それだけのこと。
たまたま異常性を生かせた人の比率だけみて、男性は優遇されている、なんて思い込むのはアングルの魔法に騙されてるんだよ。
男性は優遇されてると思い込むと、社会に見捨てられた外れ値男性は「優遇されてるのに勝手に自滅した奴」になるし(実際、そう主張する『男女平等』論者は多い)。
それと、最高学府が男女比が偏るのは社会へのメタメッセージになる、って主張だが、
逆に男女差を不公正な方法で無理やり是正することは、「公正や能力よりも社会運動の政治力の方が受験ですら優位」って、それこそ社会を歪めるメタメッセージになる。
これを見ても、あなたが国内での利権・ポスト争奪戦しか見えていないのがわかる。
大学院の授業を英語でやるほど外国との競争を意識しているのに、今後ますます重要になる空間認知能力上位の学生を性別だけで切り捨てることになるから。
そもそもペーパーテストの成績や高度産業社会への適用力のあるなしなんて、生物としての優秀さとはイコールじゃない。
進化的には存在しなかった特異な環境への適合度なんて異常個体の方が有利なくらいだ。
資本主義に価値観まで洗脳され切って、「たまたま成功できた外れ値の比率」と「男女の優秀さ」を混同してる人が多すぎるのがこの手の話がおかしくなる原因だろう。
あと、太字の部分は元々左派が認識すべき問題のはず。勝ち組内部での利権闘争なんかより資本主義社会に適合できなかった人たちを重視するのが本来の左派の立場のはずなのに、男女を階級闘争史観に当てはめたせいでここが意識されなくなってる。
※追記
この増田は、特定の企業を非難、攻撃するために書いていません、あくまでファンが外から見た話です
仕事柄、造船に関わることはありますがそれは、図面通りの物を造るという仕事で業界を俯瞰することはありません
例えば、下に出てくるJMU(Japan Marine United)は、今年の6月に今治造船の傘下に入りました
今治造船は、ぼくが増田で書いている大手造船が本当に大手だった頃、中堅と呼ばれるような規模の会社でした
それが今や日本最大の造船会社になり、IHI、住友重機、日立造船、JFEと錚々たる面子をルーツに持つJMUを傘下にしたのです
そんな今治造船の主力は、バラ積みやコンテナ船です、結果を見れば中韓と競争してでも貨物船に集中し巨大化の波に乗るのが正解だったんです
じゃあ、なぜこの増田に今治造船の話が出て来ないか、それは、ぼくの好みの船を造っていないからです
マニアやファンとの意見と言うのは往々にして業界のためにならないし、業界を語ることも出来ません、興味のないことに注意を向けないからです
これはそんな増田です、この増田は業界を反映していません、ぼくの好きな特殊な作業船をいっぱい造って欲しい、そして、出来たら日本企業がいいなってそんな話です
SEP船は(Self Elevating Platform)の略であり海底に向け足をビューンと伸ばして着底したらドーンと船体を海面より上に持ち上げる
船体が海と接しておらず、かつ足で海底に固定されているため波浪の影響を軽減しつつ作業が出来る作業船、一般的に水深60mぐらいまで対応できる
このSEP船、これまで日本には2018年に完成した五洋建設のCP-8001しかなかった
そんな中、2022年に清水建設のBLUE WIND、2023年に大林組・東亜建設の柏鶴、五洋建設・鹿島建設・寄神建設のCP-16001が完成し計4隻となる
| CP-8001 | CP16001 | BLULE WIND | 柏鶴 | |
| 基本設計 | GustoMSC | GustoMSC | GustoMSC | JMU |
| 昇降装置 | GustoMSC | GustoMSC | GustoMSC | 三菱重工 |
| 能力 | 800t | 1600t | 2500(1250)t | 1250t |
| 自航能力 | ✖ | ✖ | ○ | ✖ |
| 建造 | JMU | PaxOcean | JMU | JMU |
GustoMSCはオランダの造船会社Werf Gustoをルーツに持つ、オフショアプロジェクトで世界的なシェアをもつ会社で今はアメリカのNOV(National Oilwell Varco)の傘下、NOVのルーツはUSスチール
Werf Gustoは、日本や韓国との競争に負けて再編、閉鎖されたがオフショアに活路を見出していた
日本のJMUで建造されているものの基本設計はGustoMSC、SEP船の特徴である昇降装置もGustoMSCに頼っていた中
柏鶴は、オランダのHuisman製クレーンを使用しているものの基本設計からJMUが担当しておりほぼ国産と言っていいSEP船である
Huismanは海上や港湾で使われる大型クレーンの世界的な企業で世界最大の起重機船 Sleipnirの10000t×2のクレーンもHuisman製
日本に洋上風力発電の波が来たことで高い技術力を持ちながらも経験や実績不足から海外に頼らざるを得ない状況が改善されていくかに見えていた中での三菱商事の撤退
作業船好きなマニアに衝撃が走った、夢見た国産化の道が、造船立国日本の復活が途絶えてしまうのではないか
SEP船の建造費用は数百億円かかりBLUE WINDは約500億、近年は大型化に拍車がかかり3000tクラスの吊り上げ能力をもつものもあり1000億がみえている
20フィートコンテナを20000個以上積める、24000TEUのコンテナ船で1隻当たり330億ぐらいであり、SEP船は単価が高い
コンテナ船は同じものを何隻か造ることでコストダウンしているため単純比較は出来ないが、中韓との単純な価格競争に巻き込まれづらい利点もある
日本は、世界の建造量において中国の48%、韓国の28%に次いで15%と世界3位の座を維持しているものの価格競争に晒されるコンテナやバラ積みなど貨物船が主力で苦労している
三菱重工のように大型客船に解決策を見たケースもあったが炎上し沈没(比喩)、祖業の造船を分社化し商船から撤退という結末を迎える
Werf Gustoらに勝ち世界の頂点に立った日本は、韓国、中国に追い立てられた時FPSO(floating production storage and offloading)に手を出した
FPSOは、石油プラットフォームから石油を受け取り炭化水素の生産、処理を行ったり一時的に石油を貯蔵したりする船舶
石油プラットフォームと違い移動が可能で、パイプラインを陸地まで引く必要がないなどの利点がある
しかし、これは失敗だった
FPSOに手を出した日本の大手造船は赤字を叩き出し撤退、今は現代重工など韓国の企業がシェアを持っているが利益を出せていない
FPSOの設計は、基本的に欧州の企業が手掛け、アジアは製造のみを担当していることが多く、欧州が設計、アジアが血を吐きながら生産、欧州が運用という状況が続いてる
だからこそ、柏鶴は希望だった、外国に旨い所を持っていかれない、国内だけで完結することが出来る未来
しかし、三菱商事の洋上風力発電撤退ということで国内の洋上風力発電の勢いが小さくなれば、この未来も危うくなる可能性がある
世界最大の起重機船Sleipnirを建造したのはシンガポールの国営エネルギー開発企業Sembcorp Industriesだが
1985年に建造され一時、世界最大の起重機船だったThialfを建造したのは三井造船であるものの今世界一の船舶に日本が建造したものはない
日本の造船の技術力は高い、それは間違いないが中韓は安さだけでやっているのではなく技術力があり日本より実績がある
世界最大の半潜水式の重量運搬船BOKA Vanguardは現代重工
世界最大の積載量を誇るコンテナ船Evergreen Aシリーズは、サムスン重工と中国船舶集团有限公司
個人的に最も好きな作業船で世界最大の船舶の一つPioneering Spirit全長382m、総トン数40万tはHanwha Ocean(大宇造船海洋)が建造
石油プラットフォームをそのまま持ち上げることが出来るリフト能力が最大60000t、スカイツリーの総鉄骨重量が36000t、レインボーブリッジの総鉄骨重量が48000tだからイカレテル
最近では、バージョンアップして石油プラットフォームを海底に固定してるジャケットを引き上げる能力も獲得しこちらが20000t、イカレテル
なお、上であげた世界最大の船舶たちの設計は欧州がやっている、アジアは手足でしかない、もちろん手足も重要だがやはり頭は自前で欲しい
ちなみにベルギーのJan De Nulが所有する世界最大のSEP船Voltaire吊り上げ能力3200tは中遠海運集装箱運輸が建造、クレーンはやっぱりHuisman
中遠海運集装箱運輸は傘下に川崎重工との合併企業を持っている、日本の大手造船が赤字で苦しむ中、川崎重工が堅調だったのはこれがあったからだが良いのか悪いのかは分からん
社会福祉や環境問題について、海外でいかに研究が進んで、そういう学術的根拠を元にロングスパンの計画を立てているかと説明しても、『計画したってうまくいくかどうかはわからないんだから、何も考えず行き当たりばったりな日本の方がうまくいくに違いない』って真顔で言うし本気でそう思い込んでる。
ばっかじゃねーの?
ジャップの根拠はいつもただ一つ。『日本はえらい』から何も考えなくても神風で全てがうまくいくはずだ!
ずっとこれだけ。何世紀も。
戦後の日本は頑張ったから成長したんじゃねー。単にこういう計画的な政策を、先進国に手取り足取り教えて貰ったから普通に進歩ができたんだ。
放っとかれて勝手にやるようになったら途端にすべてうまくいかなくなるのも当然。
あほみんぞく
日本というこの小さき列島には、つねに二種類の人間が棲んできた。一つは、文明の諸相を「言葉」に還元し、歴史を「制度」で見ることができた者。もう一つは、そうした思索の筋道とは無縁に、時代の流れに浮き草のように漂いながら、祭りの太鼓に似た「流行」に心酔し、自らの境遇を神秘的変転で覆そうと願う者である。
令和のこの国にあって、後者は増殖した。もはや街には実存の根がない。その象徴が、かつての秋葉原である。
かつて筆者が新聞記者として戦後の地方都市を彷徨していた折、東北の片田舎にて「麻生こそ我らの救世主なり」との幟を掲げて踊る中年男の一団を見たことがある。その情景は、笑い話として済ませられるようなものではなかった。そこには、敗戦後の日本が内面にひそかに抱えていた「無位無冠の庶民の救済幻想」が、赤裸々に顕れていたからだ。
この「新しき神具」に、人々はかつての八幡大菩薩の霊験と同じものを見ている。
特に、秋葉原に憑かれたる中年男たち――無位無官、知もなく徳もなく、
ただ「人生逆転」と称して妄執を握りしめて生きる“雑輩”どもにとって、
AIは救済であり、赦免であり、自己憐憫の宗教装置となっている。
彼らは、かつてホコ天で「俺たちの麻生!」と叫び、秋葉の路上で怪しき舞を踊った。
そして今、彼らは再び「AIなら人生逆転できる」「レムちゃんと結ばれる」などと真顔で語る。
その幻想は、IT革命という「民衆のための産業」が立ち上がった時、再び姿を変えて甦った。曰く――「AIは人生逆転の神器である」と。
AIに可能性を託し、やがて全知の装置にでもなるかのように錯覚した人々は、いずれも情報の下層にうごめく者たちであった。すなわち、X(旧ツイッター)にて「脱獄!」と叫び、匿名掲示板にて「俺のレムちゃんはAIで蘇る!」などと涙ながらに書き込む者たちである。
だが、彼らの情熱は浅ましい。AIという道具は、人間の知と経験と徳を試す「文明の試金石」であり、誰彼を救済する神の右腕などではない。むしろ逆に、それは知を持たぬ者にとっては、魂を溶かす毒となる。
筆者は試しに、軍事マニュアルの一節を質問してみた。するとAIは、まるで古老の如く答えた。資料名、刊行年、PDFの所在――すべて明確である。なるほど、これは使える。だが、これを真に活かせる者は、もともとその文脈と歴史的背景を理解し、操作できる者でなければならぬ。すなわち、AIは「既に1を持つ者」にとってのみ、百を得る術となる。ゼロしか持たぬ者には、何も教えぬのだ。
ここに格差がある。そしてこの格差こそが、かつての新自由主義よりも冷酷である。
明治以降、日本は文明という名の西洋的制度を採用し、庶民に「努力すれば報われる」という物語を配給した。だが、AIという魔器の登場によって、この物語は崩壊した。知を持つ者がますます強くなり、持たぬ者は「AIを使える」と信じ込んだまま沈没する――その皮肉は、どこか江戸末期の水呑百姓たちが「黒船を拝めばご利益がある」と勘違いしていた様を彷彿とさせる。
筆者は言いたい。AIはすでにバギンズの一族が所有した「一つの指輪」であり、あるいはコーラの瓶を手にして神を得たと錯覚したブッシュマンである。人類には早すぎた。あるいは、日本のこの文化土壌には毒であった。
なぜなら、現代の弱者男性なる一群は、かつての維新志士のように徳と決意を以って新時代を拓こうとしたのではない。ただAIによって「モテたい」「逆転したい」「自分を馬鹿にした社会を見返したい」という卑小な欲望を叶えんとし、その邪なる情熱を、学問や技術の衣を借りて正当化しているにすぎぬ。
司馬が『竜馬がゆく』のなかで描いたような、「身を賭して時代を変える男」は、ここにはおらぬ。あるのは、自己愛と妄想に溺れたデジタル廃人の群れである。
されば、AIの普及は、いよいよこの国の精神の頽廃をあらわにするであろう。かつての刀がそうであったように、それは使う者によっては国を興し、また滅ぼす。
その前に、せめてわれわれは問わねばならぬ。果たして今、この国に「AIという剣」を持つ資格がある者が、どれほどいるのかを。
そして、悲しいかな――
この国の雑輩たちは、その成熟を拒み続けてきた。
彼らの人生は、つねに「誰かが救ってくれる」という信仰で成り立っていた。
それがウルトラマンであり、グリッドマンであり、AIであった。
救済もない。
あるのは、己の問う力、探る力、そして歴史に連なる自覚だけである。
逆に問う者が哲人であれば、AIもまた賢人となる。
この構図に、救済はない。
「船が沈没しそうな時、ネズミはどうやって逃げるのか?」というのは、実際の行動としても、比喩としてもよく語られるテーマです。
### 実際のネズミの行動
ネズミは非常に敏感な動物で、環境の変化や危険を察知する能力が高いとされています。船に棲みついていたネズミたちは、沈没の前に以下のような行動をとることがあります:
「ネズミは沈む船から逃げ出す(*rats desert a sinking ship*)」という英語のことわざがあります。これは、
> 「危機が迫ると、自分の利益のためにいち早く逃げ出す者がいる」
という意味で、裏切りや自己保身的な態度を表すネガティブな比喩として使われます。
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