はてなキーワード: らするとは
家賃値上げされかけたけど「交渉」して据え置きにしたって話を嬉々として書く人を見るたびに憤りを感じる。
それなのに自分が正義の代弁者かのように語る姿が痛々しくて仕方がない。
コストが積み上がれば対価も変わるのは商売として当たり前なのだが、そこを理解しようともしないまま法律を都合よく振り回す態度に寒気すらする。
管理費や修繕費は天から降ってくるものじゃないし、建物だって勝手に長持ちするわけじゃない。
暮らしやすい環境の裏で必死に働く人を考えず自分の支出だけを特別扱いしたがる姿勢は到底受け入れられるものではない。
正当な報酬という考えを捨ててまで目先の出費を抑えたがるのは卑怯と言うべきか浅はかと言うべきか(多分どっちもだ)。
もし値上げを回避できたとしても、それは胸を張る話じゃない。
あたかも「やってやった」という雰囲気でネットに書き散らす行為は、こっそり楽しんでいた穴場スポットを広めて人の波で荒らすのと相似形だ。
最悪自分だけ得をしてればまだしも、虚栄心でハックとして広め、結果として全体が損をする。
黙って受け止めて正当な金額を払えばそれで済むのに、ヤンキーのように「対抗」して武勇伝みたいにネットに垂れ流すのはやめてほしい。
たとえ法的に勝てても倫理的には負けるなんて場面がまぁまぁある。
まずは賃貸部門でどういうものが決まりやすくて、何がだめなのか見極めたほうがいい。
ここらへん、外国人で家賃五から七万円で都内、風呂トイレ別みたいなどー考えも、ものがなさそうな部屋探しのお願いが来て、いらいらするけど、目利きにはなる。
(ちなみに同じ条件でも日本人だと決まるお客さんだし、外国人でも極稀にあるなので、無下に断らないように)
ただ、外国人差別とか資産管理法人で節税しつつ外国人などリスクを取らない大家、相場よりもめちゃくちゃ高く売りつけようとする不動産投資会社とよく遭遇するし、決まらなければ、給料が安い。入力は退屈(AIに処理させてもいいが、ミスすると大変なことになるので、当たり意味がない)など、面白くない場面に遭遇するんで、そこは諦めてくれ。
あと、賃貸部門の人間から見ていいやつは競合も多いので、安く買えることは基本的にないと思っておいた方がいい。
微妙に高いやつでもいい奴は言い値で売れるんよ…。
趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事や事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。
料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。
その過程を、書き記したい。
そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生のときに母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。
母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。
美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。
子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。
大学進学を機に上京した際もその図鑑は引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。
その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた。
大学4年生になり、部活も引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。
内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。
しかし、ネットで菓子職人のブラックな労働環境を知り、断念した。
社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。
イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中の料理を自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種の冒険だ、そう思った。わくわくした。
友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理やお菓子を作っていた。
…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。
が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。
1. ライフスタイルの変化
一人暮らしのときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしのときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。
そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日。
そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。
2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた
確かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理やお菓子を作ることもあった。
しかしだんだん、料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。
やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。
やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格の勉強である。
私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったときに大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。
当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。
資格によって自分のスキルを証明しておくべきではという危機感がある。
となると資格の勉強にも時間を割きたいから、必然的に料理に割ける時間は減る。
また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。
個人的にはこれが一番強烈だった。
そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。
私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。
それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理に時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快な気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。
最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。
最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たちの若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、
後日、このおばさんから、スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINEがきた。
LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口、説教だった。
私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。
もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。
外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。
あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。
料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEがフラッシュバックするようになった。
それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。
それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。
そのこと自体が、私にはショックだった。
念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまったこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している。
やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。
3の事件により心に大ダメージを受け、料理で苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。
規則的に運動を始め、専用のアプリで毎日の食事の記録をつけ始めた。
すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。
で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。
鍋。
スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。
それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜もたんぱく質も自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。
そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。
そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単な料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。
最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快な気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たかが料理」とつぶやくようにしている。
そのまま、上機嫌で食卓にありつける。
この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。
そういった気持ち、私がそれまで料理に燃えていたときの原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。
そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理は趣味じゃなくなったんだな…と思った。
3の事件直後は料理が苦痛になってきたこと自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理が趣味ではなくなったことを受け入れていた。
でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。
だからここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。
(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記の経験を経て、これって確かに料理という家事タスクに負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。
***
穏やかな朝だった。
過ごしやすくなって窓を開けて寝たが、途中で暑くなったのか布団は蹴り飛ばされていた。
乱れたベッドから転がり落ち、ケツの違和感に突き動かされるように一直線にトイレに向かう。
私には出勤までに解決しなければならないことがあった。
事態に気がついたのは昨夜シャワーを浴びている時。ケツ穴周辺を洗っていたとき、手に何かが触れた。
トイレットペーパーが張り付いたのかと思いそれを少し引っ張ると、肛門の粘膜がググッと伸びる感覚がある。
えっ???
驚いた私は即座に手を離した。
ケツ肉に挟まる感覚から、うんこの中の繊維状のものがケツから飛び出てる状態であると即座に判断した。
そういえば直近で出たうんこはパチンコ玉くらいの大きさと硬さで、一粒落としただけだった。
このまま引っ張ってうんこまで引き摺り出してしまったら厄介だ。
次回排便時に出してしまうのが最善策だろ、と考える。
幸い異物の長さは1センチほどなので、ここで洗っておけばしばらくケツに挟んでいても大丈夫だろうと思い、ケツからヒモが出た状態で布団に入ったのだった。
そういうわけで、とにかく出勤までに排便をしなければならなかった。
万年便秘なので5分ほど粘ってようやくぽちゃん、とウサギのフンのようなうんこがやっとだったが、ケツにヒモがないことを確認できたので無事トイレを後にした。
通勤電車はいつもよりずいぶん空いており、珍しく席にも座れた。
今日は特別痛くて、左右に揺れたり体を捻ったりして痛みに耐えていた。
会社についてからも違和感は続き、デスクで一人うねうねしてキモかったと思う。
ずっと違和感はあったのに、愚かな私はケツ穴が「バリッ」と断末魔をあげて燃え上がるまで気が付かなかった。
午後2時過ぎ、突然のケツの焼けつくような痛みでやっと事態を把握した。
冷や汗をかきながら慌てて立ち上がり、同僚の視線を無視してトイレに駆け込む。
乱暴に個室のドアを閉め、便座に座り、爪先立ちで膝を抱え込む。ついでにパンツを確認する。「バリッ」の音でうんこ漏らしを覚悟したが、何も付いていない。幸いにも屁だったようだ。(なぜあんな痛かったのかはわからないが)
腰の違和感だと思ってたのは、大腸の悲鳴だった。一度便座に座ると動けないほど腹が痛いことに気がついた。
2週間もうんこが出てない状態を「いつものことだから」と放置したツケが回ってきたのだ。
改めて大腸を触ってみると、おしゃれOLが持ってる細い水筒みたいなものを感じる。これは全てうんこだったんだ。
痛みで悶えながら、同僚たちの顔を思い浮かべる。まだ業務時間内だ。体調不良を訴えたいがスマホも机にあるし外への連絡手段はない。
脱出するためには、うんこを出すしかない。幸いにもトイレには私しかいない。今のうちしかない。
私は腹を括り、持てるすべての力を腹筋に注いだ。
5分は経っただろうか。
冷えた便座に太ももを押し付けてるせいで血流が止まり、膝は紫に変色していた。
肛門は相変わらず焼け付くように痛い。
爪先立ちでの踏ん張りで足は痺れて痛い。
腹筋は乳酸が溜まって初期ほどの力が出ない。
気張りすぎて頭に血が昇ってふらふらする。
そういえば呼吸もしてない。
額の血管が切れそうだ。
しかしこんなに必死に気張っているというのに、大腸には驚くほど何の動きもなかった。
普段の気張りが軽自動車を押す感覚だとするなら、今は透明な壁に阻まれて押すことすらできてないようだった。そのくせ、いつ漏らしてもおかしくない切迫感だけはあるし、相変わらず腹と肛門の痛みは耐えられるものではない。
人が来るかもしれない恐怖もあった。
どのくらいその状態が続いただろう。体感では1時間のような気もしたし、全てが終わった今では一瞬だった気もする。
突然、するする すぽん と。
鋼鉄のように硬く、拍子抜けするほど小さなうんちが、転がり落ちドバドバドバブビブビビビビビビチャブrrrrrrryyyyィィィィィィィィ!!!!ビチチチチチッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!ドバァッ!!!!ブリブリィッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ブリブリブリッ
ビチャッ ビチャッ
ピチャ…ピチャ…
ポタ ポタ
あの時、燃えるアナルと痺れた足先を見ながら放心していた私を包むあの感覚はなんだったんだろう。
掃除用具入れを開けて飛び散った水滴を殺菌して、少しでもうんこ臭を消すためにリセッシュを自身にもトイレにも振り撒き、手を3回洗った。
そうして私は、今も生きている。
焼けた尻穴に当たる冷たいビデ水の心地よさを生涯忘れることはないだろう。
一方の私は性欲つよ女である。
仕事も自分自身は女優でもなんでもないがAV関係の仕事についていた。動画編集や出版関係のお仕事だ。エロゲもやるしなんでもござれ。
なので性的なものに嫌悪はなくセックスはむしろ好きなので求められたらいつでもゴーするつもりであった。
しかし相手からは一度も求められなかった。仕事を通じて知り合い、発売されたばかりのゲームをやらんかねと誘われて相手の部屋に遊びに行き、朝までゲームをした。
それから映画を見てゲーセンにいき、時間が余れば満喫で互いのおすすめの漫画を教え合ってよみまくり、感想言い合いながら飯を食い家に帰って撮りためたアニメを一緒に見た。
この人でもセックスとかするんかいな〜という素朴な疑問がなんとなく湧いたこともあったけど、この人とは別にしたくはないんだよな〜という気持ちになっていた。
昔は好きな人ができて、好きすぎて告白し相手からフラれた後に好きな男に抱かれるなら!とか付き合えないままセフレ状態になったりしたけど、別に目の前にいるこの人には抱かれなくてもいいし抱いてくれとも思わなかった
結婚したのは相手が引っ越すことになり「遠くなるなら会えなくなるかもね」と、それじゃもう結婚とかする?みたいなノリで、した。
付き合おうとかもなんも互いに話してないし、手は迷子になりかけたときに繋いだくらいで、キスするみたいな雰囲気にすらならないし、お互いに性欲出したらウワァみたいになる空気感がなんかあった
結婚するかどうかの1番の決め手は何かというと、
仕事の激務で疲れていた当時、デートに出かけるぞと言われてまともに化粧すらする気力を失っていた私に向かって昔付き合ってた元彼から「頼むから化粧くらいしてくんねーかな」と言われたのが無性にイライラして引きずってたのだけど、今の夫は「疲れてるなら化粧とか無理にせんでもいいし、今日は出かけなくてもー」って感じで言ってくれたのが嬉しかったのでこの人すごいなと尊敬し感動していた。
でも彼に可愛く思われたくて一緒にいるわけではないから、別にどーでもよかった、私にじゃなくて一緒に可愛いと思えるものを見て一緒に可愛いねって褒め合うのが楽しい。
かっこいいと思えるロボとかアクションを見てそういうロマンを語り合えるのもよい。
今は猫ちゃんを飼ってるので2人で猫ちゃんが可愛すぎるな……と褒め称える毎日である。
相手にガチで性欲がないのか?は気になったので結婚にあたり子供はどうする?と聞いたら欲しいかも〜とかいってて、欲しいならしなきゃね〜という話になり普通にセックスはした。
できるんかい。でも本当に子作りって感じ。
ふ〜一仕事終えましたぞ〜みたいに終わる。
しようって誘われることがない、子供が欲しいからそろそろしとかんといかんのではみたいな義務?で行われる
男は風俗いったらいいけど、それじゃ病気もあるだろーし、女は妊娠の可能性あるし
結婚してんだから、もうこれで終わりかーと思ったら多少虚しくなったものの、えっちな漫画を読んだり自らが考えたシチュの同人を描くことでそうした欲を今は満たしてる。
結婚生活はふつーに楽しい。猫可愛いし夫と好きな映画見てアニメ見てゲームして毎日お互いの好きなごはんを作り食べている。楽しい。
チェンソーマンの映画見たくて誘ったら、相手はチェンソーマン知らなくて知らない映画はやだ!とかいわれてしょぼくれてたら、総集編のアニメを見て予習してくれて、用意ができた、一緒にいこうといってくれたとことか好きすぎる。あとは漫画も読んでほしい
結婚して夜は飲みにも行かず、週末も妻と外出やら買い出しやら掃除やらするようになってから、人付き合いが一気に疎遠になった。
週末は男友達と競馬に行ったり、昼夜を問わずオンラインゲームを繋いだり、何の用事もないのに飲みに行ったり、趣味の社会人サークルみたいなところにも顔出してたのに。
みんなから一気に遠ざかっちゃった。
寂しい気持ちも少しあるけど、別にいいやって思うところも大きい。
こんな状況下でも半年に2,3回会うような友達こそ本当の親友なんだろうなとか思ったり。
昔つるんでた社会人サークルのメンバーが8人くらいでプチ旅行みたいなのしてるのを見て、
ああもう俺は呼ばれないよな、なんて当たり前のことを思ったりして
幸い回復したが、その間は「ずっとこのままだったらどうしよう」とひたすら不安だった
以下自分が感じた後遺症の内容を残しておく(ちなみに30代後半既婚男性である)
■①エアコンの風が気になる
自分はこれまで「エアコンの温度が気になる」とか「風が直接あたる」みたいなことを気にする人のことが理解できなかった
コロナ後遺症期間は、その人たちと同じようにエアコンが非常に気になるようになった
これまで気にしたことがなかったエアコンの送風口の位置が肌でわかるのである
また、仕事中の冷房の温度も、これまでよりも1~2度上げてほしいと感じようになった
■②食事量が減る
自分はご飯をお茶碗1.5杯程度たべていたのだが、後遺症の期間は食べられる量が減りし、1杯程度しか食べられなかった
ご飯の消費量は身体に紐づくと思っていたので、コロナにかかったとしても自分の消費カロリーは変わっていないので、摂取しようとするカロリーも変わらないはずである
■③朝起きれない
自分は寝起きがいいほうで、休日でも朝起きてすぐに活動するタイプだったが、後遺症の期間は朝ベットで1~2時間だらだらするおうになってしまっていた
■④体力がない
何かするとすぐに疲れる。ちょっと歩いただけで息切れする。休日の午前中になにか出かけるイベントをこなすと、午後はもうへとへとになってしまっていた。
おそらく体力がない話と関連しているが、夜仕事から帰ってきて、体力がなくてもできること(アニメや漫画を見る)しかできなくなっていた
これまではブログを書いたり個人開発をやっていたが、後遺症の期間はそういう創作的なことができなくなっていた
とにかく気分が乗らないのである
人生への気力というか貪欲さというか、そういうのが抜け落ちてしまった感覚を味わった
■総評
これは個人的見解だが、おそらくコロナ後遺症期間は「気力」※が減衰していたように思う
(※他に適当な言葉がおもいつかないので気力と呼ぶ。漢方とかででてくるやつ。呼び方はエネルギーとか活力とかなんでもいい)
コロナにかかったことで、「自分の気力の最大値が半分になった」というのが、自分の感覚に基づく後遺症期間の説明である
自分がおどろいたのは、「ちょっと病気にかかったぐらいで気力の最大値が半分になるのか」ということだった
自分が持っている能力や日々のパワーというのは、こんなにあっけなくなるなるんだ、という点で、人生観が変わったと言ってもいいかもしれない
あとはほんとうに、ちょっとしたきっかけで、自分もエアコンを気にしたり、日々漫画やアニメで時間を浪費する立場になるということは学びであった
人の違いは、遺伝子や体の作りが違うことが原因だと思っていたが、
肉体が同じでも気力が違えばこうも変わるのである
レモンのお酒が可愛かったので買ってみて飲んだらめちゃ頭が痛くなったのでなぜ?って
あれはやっぱり危ないお酒なのねって
あんなの飲めないわ。
本当に珍しく久しぶりにそれを買ってみて飲んでみたらやっぱりそうなったので、
あんな危険なものよく出回っていると思うのは内緒の話なのかしら?
いや、
あんまり飲むのは秋だからって調子に乗ってサンマも美味しいからって調子に乗っていると
こうなるのよ。
秋のベーナーの季節、
でね、
翌日まあ仕方ないから食べるじゃない。
普通のブロイラーの手羽元もしっかり出汁が出ると思って一緒に煮てたんだけど、
そっちの方は肉質が水っぽいのよね。
そんな気がするの。
これは私の思い込みかも知れないけれど、
一回煮出したら取っちゃうぐらいの勢いの覚悟は決めなければいけないのよ。
そんで、
今は白菜のスープのルーシーが美味しい味を染み出して鶏肉のコクと合わさって絶妙に美味しいスープになってるのよ!
これは間違いないわ!
これあと何しても美味しいもん!
そんで思い出したけど、
一時期一所懸命おでん屋さん開くんかーい!って勢いでおでん作っていたけれど、
あれもまた時期が着たら挑戦してみようかしら?思うのよ。
3か月ぐらいずーっと秘伝のおでんのスープの旨味がヤバいぐらいになっていたのよね。
思い出したわ。
牛スジ買ってきてまたこしらえてみようかしら?
大きなお鍋が1個しかないので、
それがネックだわ。
かと言ってまた新たに鍋を買っておでんしながら他の鍋を!ってのも
もうこれ以上ものを増やすのもなんだしって躊躇しているのよね。
小鍋で水炊きとかはする?みたいな。
まあ、
一回ブランド鶏の使い方は間違っちゃったけれど、
この反省を活かして次は美味しいのに挑戦できるはず!
今度の作戦は
そこにブランド鶏のぶつ切りのお肉を。
味の決め手はちゃんと真面目に出汁取る手羽先のスープだと思うわ。
なんでもやっぱり手羽元1キログラム級の重量を買い求めてスープを作らないといけない規模だって。
レシィピをみたらそうあったので、
つーかさ、
鍋にこだわらなくてもってそうとも思い始めたわ。
うふふ。
迷ったときの選択肢にあると嬉しいミックスサンドイッチは間違いないわ。
美味しくいただいたわよ。
そんで、
お昼はおにぎり握ってきたので
節制してそれを頬張るの。
リピしまくってるわ。
いつもは何か切らしたらレモン炭酸水でーってなっていたけれど、
飲みペースを考えて切らしたら悲しいので、
ちゃんと無くなりそうだったら作り続けるというペースを続けているの。
ちゃんと真面目に取り組んで飲みたいほど美味しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!