バブル崩壊(1990年から1991年頃)以降に多くの企業が採用を絞った結果、大卒であってもまともな就職はできなかった、というのは誰もが知るところだ。
正社員の応募を何十、何百と出したけど全て不採用で落ちたとかそういうのもネットでは見た。私はそこそこの企業で5~10企業位だったが、ほぼほぼダメだったがあまり記憶が無い。そもそも就活で入社試験をやったり、SPI対策をやったり面接対策、論文対策なんかをやるのが非常にバカバカしいと思っていたくらいだから会社員には向いていなかったのだと思う。あ、NHKと中日新聞、公務員試験、あと出版社とかは受けたな。
結局、10月過ぎても決まらずに大学に来ていたエンジニア派遣会社に話を聞きに行きそのままトントン拍子で決まって就職した。ただ、給料は安かった。1997年当時で大卒18万とかだったと思う。会社の寮扱いのアパートが月6万、駐車場1万、これが天引きされて12万。所得税引かれて手取りは6-7万程度だったと思う。それでも食っていくのが無理だったからじゃがりこ1個で3日は食いつなぐ感じでした。そして年収にして250万くらいだったと思う。心も折れて休職もしそうになった。
大企業でも横並びで初任給20万円程度でこれがどこも同じだと感じていたが、実は福利厚生が全然違う。大企業だと引っ越し代、寮扱いアパート無料、電話代、ガス代、電気代無料といった具合だ。これだと月10万くらいは手元に残るお金が違う。そこで腐ってしまってはおしまいだ。
そこで次の手を考えた。当時(1997年頃)、IT業界ではWeb系システムが作られ始めておりWeb-AP-DBの3層アーキテクチャだった。一般的なアプリケーションサーバ(Apache, tomcat)+DB(MySQL他)で、大規模向けはMS SQL ServerやOracleだった。この頃、MS製品やOracle製品のベンダー資格がブームになり始める最初の頃だったと思う。そこで、Oracle Platinum資格を取得することにした。それには10個くらいの試験に合格しないといけないのだ。しかも、受験料が1科目15000円。すべて自腹を切っていく。そして適切な本も無いところで、2カ月余りで全て合格して取得。
まあ、やればできるんだよ。
そんなわけで、3年間の派遣はとっとと辞めて2000年に大手SIerへ転職しました。大企業はいいね。給与も待遇面も。でも、なぜかみんな暗いし有名大学卒で入社した割にはそれほど興味も無くて残念な感じ。スクラッチ系Webシステム開発やらERP(Oracle EBS)なんかを6年くらいやった。そしてだんだんつまんなくなってきた。心も折れて休職もした。ただ、IT系の資格で、Java、Linux、Solaris、などなどいろいろ取得してきたし総務省の情報処理試験も合格してきた。6年居た会社は不動産投資に失敗したり本業で失敗したりと経営危機のようだった。そこでさっさと去る。この時、年収500万くらいだったかな。
この頃、自分への先行投資を加速させるべく大前研一のアタッカーズビジネススクール、グロービスMBA講座、Bond-BBT-MBAプログラムを受講した。なんだかんだと数百万は使ったと思う。
そして、大手電機メーカーへ転職。年収700万くらいから始まって1000万いくて前くらいで辞めたんだが。12年間の中でSAP ERPをオンプレで新規導入して、アップグレードして、クラウドにしてとか、、まあ充実していたとは思う。一方で、システム運用要員がつまんなくてやめることに。
その後、独立した。最初は月60万くらいの仕事を請けてやっていたが、SAP導入支援となると跳ね上がる。既に独立8年目になるが、年収は5000万くらいになった。仕事も順調だ。100平米を超えるマンションも購入したし、スポーツカーも4台所有している。国内外はふらっといつでも旅行できる身分だ。とても幸せだ。
で、氷河期世代で社会が悪い、時代が悪い、と今でも言ってる人っているのか?努力が足りない!そう言われてきて育って、いま自分がある。心残りは結婚して子供を持つという余裕が無かったことか。あとは年々体力が落ちてきている事。別にそれは他人のせいにするつもりもない。自分がそれを選択しただけだから。そして、あなたは幸せですか?
興味ないね
何に興味があるの?
魔晄中毒ってやつさ