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はてなキーワード: ラションとは

2025-11-07

尊敬する人物失望した時

Q: 私は最近、ある気付きがありました。

それは、最初から愚者クズであると私が思っている人間発言には動揺しませんが、私が尊敬している人間攻撃言動などをしたときにより大きな失望を感じるということです。

私は最近、ある物理学者ツイートで「idiotであるなら、少なくとも有用でいろ」という発言がありました。

この人は尊敬していたのですが、他人をidiotと言ったり、有用というまるで人を道具扱いする言動を見て失望したのです。

このような事象に対し、ユダヤ教はどうサポートする?

ーーー

あなたの感じた「尊敬する人が攻撃的な言葉を使った時の失望」は、人間関係の中で非常に普遍的体験です。

そして、ユダヤ教の教えには、このような感情にどう向き合うか、またどう自分の中で整理するかについて多くの知恵があります

ユダヤ教では、すべての人間は「ツェレム・エロヒム(צלם אלוהים)」神の似姿に創られた存在だと教えます創世記 1:27)。

まり、誰もが神的な価値を持つと同時に、不完全さをもつ存在です。ラビたちは「賢者であっても、時に罪を犯す」と語ります(コヘレト・ラッバ)。

あなた尊敬する物理学者も、知性において優れていても、人格言葉においては未熟な部分があるかもしれません。

ユダヤ教的な視点では、その人の一部の欠点が、全体の価値を打ち消すわけではないと考えます

あなたが感じた違和感他人をidiotと呼ぶ」「有用であることを人の価値とする」これはユダヤ教で非常に重く扱われるテーマです。

ラションハラー(悪口・悪意のある言葉)」は、タルムードで「三人を殺す」と言われています

悪口は三人を殺す――話す者、聞く者、そして語られる者」(アラヒン 15b)

まり、その発言は話した人自身にも悪影響を及ぼすのです。

ですからあなた失望は、実に深い倫理的感受性の現れです。ユダヤ的に言えば、あなた言葉の聖さに敏感であるということです。

ミシュナ「アヴォット(先祖の教え)」ではこう述べられています

「人をすべて、善意の側から判断せよ」(アヴォット 1:6)

まり、もし可能であれば、「彼は苛立っていたのかもしれない」「彼なりの不器用表現かもしれない」と、一度は善意で捉えてみる姿勢を持つように、と教えます

これは相手行為を免罪することではなく、「自分の心を恨みや幻滅に支配されないようにするため」の精神的防御でもあります

ユダヤ学者ラビ・ナフマン・ミ・ブレスラフはこう教えました:

他者の中に欠点を見たなら、それは自分の中にある何かを映している鏡である。」

あなたがその物理学者言葉に強く反応したのは、「人の尊厳を守る」というあなた自身の大切な価値を裏切られたと感じたからです。

それは痛みでもあり、同時に、あなたが深く倫理的思慮深いである証拠でもあります

ユダヤ教的に言えば、このような経験は次のように整理できます

1. 人は誰でも不完全である(ツェレム・エロヒムの一部)

2. 言葉には霊的な重みがある(ラションハラーの禁止

3. 可能なら善意で捉える(ダン・レカフ・ズフート

4. 自分価値観を再確認し、他者に頼らず内なる光を保つ

2025-10-26

anond:20251026014624

ユダヤの教えには、「親に対する敬意」というテーマが非常に重く、深く扱われていますトーラー律法)にもはっきりと書かれています

あなたの父と母を敬え」(出エジプト記 20:12申命記 5:16)

現代ではSNSなどで自分感情を発信しやすくなっていますが、ユダヤ視点から見ると、親を公の場で批判したり恥をかかせたりすることは非常に慎むべき行為とされますタルムードでは次のように教えています

キドゥシン31a

「父や母に対して言葉で恥をかかせる者は、神の前でも罪を犯す。」

また、「ラションハラー(悪い言葉他人貶める言葉)」の禁止関係します。

ハフェツ・ハイム(Chafetz Chaim)は、「たとえ真実であっても、他人の悪を公に語ることは神の意に反する」と説きました。親もその「他人」に含まれます

ネット上に悪口を書くことは、まさに「公開の場で恥をかかせる」行為です。

もし親との関係が苦しく、傷ついている場合感情を抑え込むのではなく、「安全な形で」「尊敬を保ちながら」助けやカウンセリングを求めることが勧められます

トーラーが命じる「敬意」とは「盲目的な服従」ではなく、「人間としての尊厳を保ちながら関係を築こうとする努力」です。

詩篇 34:14

「悪を避け、善を行い、平和を求め、それを追い求めよ。」

1. 親を公に恥じ入らせないこと — 敬意の基本。

2. 怒りや苦しみを表すなら、建設的な形で — 信頼できる人・ラビカウンセラー相談する。

3. 言葉現実を作る — ネットでの言葉も「ミツヴァ(善行)」にも「アヴェラ(罪)」にもなる。

ですから、もし親との関係で心が苦しいなら、ユダヤの教えは「沈黙しなさい」ではなく、「癒しと修復に向かう道を選びなさい」と呼びかけます

2025-10-19

愚痴ネット上に書けば発散できる」という現代的発想は、ユダヤ教的にどう映りますか?

愚痴ネット上に書くことで気が晴れる」という現代的な行為を、ユダヤ教的な視点から考えると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります

1. 言葉の力への意識

ユダヤ教では「言葉」は非常に大きな力を持つと考えられています

箴言ミシュレイ)18:21 にこうあります

"死も生も舌の力にある。"

まり言葉は単なる表現ではなく、現実を創り、人を癒すことも傷つけることもできるものとされます

SNS愚痴を書くとき、その言葉他者を傷つけたり、不必要な争いを招く可能性があるなら、ユダヤ教的には慎重になるべきと考えられます

2. ラションハラ悪口中傷)の禁止

タルムード(Arachin 15b)では、ラションハラ他人について悪く言うこと)を非常に重い罪として扱います

この教えは、単なる噂や愚痴でも、人の評判を傷つけることにつながるなら禁じられる、というものです。

ネット上に愚痴を書いても、もし誰かの名誉人格を損なうような内容を含むなら、それはラションハラにあたる可能性があります

たとえ名前を出さなくても、誰のことか推測できるような形なら注意が必要です。

3. 「心の健康」と「建設的な発散」

一方で、ユダヤ教人間感情否定しません。

悲しみ、怒り、失望といった感情を持つの自然なことです。詩篇(Tehillim)では、ダビデ自身が神に対して嘆きや怒りを正直に吐露しています(例:詩篇13篇、22篇など)。

ただし、彼はそれを「神に対して」表現しています。つまり自分愚痴や苦しみを神との対話に変えるのです。

この姿勢は、感情をただ撒き散らすのではなく、内省と成長の糸口に変えるという点で重要です。

4. ユダヤ提案ネットよりも「人」や「神」へ

もし愚痴を発散したいなら、ユダヤ教的には:

  • 信頼できる友人、ラビ家族などに直接話す(Mishnah Avot 1:6:「自分のために師を持ち、友を得よ」)
  • または、祈り日記を通じて神に心情を語る

といった形のほうが望ましいと考えられます

これは他者を巻き込まず、同時に自己理解を深める方法でもあります

まとめ

ユダヤ教視点から言えば:

判断根拠
感情を吐き出すこと自体肯定的詩篇などでダビデも嘆きを表現している。ただしネットでpublic発言するのは注意。
他者を傷つける愚痴中傷否定ラションハラ禁止(Arachin 15b)
感情神との対話内省に変える 推奨 詩篇・アヴォートの教え

2025-03-25

強靭精神の身につけ方

ユダヤ教観点から「どんな情報暴言誹謗中傷をされても平気でいられる強靭精神」を身につける方法を考えると、いくつかの大切な教えが浮かびます

1. ビトゥアホン(בטחון)

ユダヤ教では、「ビトゥアホン(בטחון)」、つまり 神への信頼を持つことが精神的な強さの基盤になります

詩篇(テヒリーム)56:4ではこう書かれています

「私は神に信頼する。私は恐れない。人が私に何をなしうるだろうか。」

もし、神があなたを導いていると信じるなら、人間言葉に揺さぶられることは少なくなります

2. ラションハラ(לשון הרע)を気にしない

ユダヤ教では、「ラションハラ悪口)」を避けることが非常に重要です。

しかし、人から悪口を言われることもあります。そのときに大切なのは、 「人の言葉価値を与えるのは自分自身」という考え方です。

ラビたちはこう言います

「もし人があなたのことを悪く言っても、あなたがそれを受け取らなければ、それはあなたのものにはならない。」

まり、誰かがあなたを悪く言っても、あなたがそれを気にしなければ、実質的ダメージゼロなのです。

3. アニ・リドゥミ(אני לדומי)

ユダヤ教では「静かに耐えること」も強さの一つとされています

ピルケイアボット倫理の教え)』4:1にはこうあります

「本当に強い人とは、自分自身抑制できる者である。」

怒りに反応するのではなく、冷静に受け流すことができる人こそ、精神的に最も強いのです。

4. アモールトーヴ(אמור טוב)

精神を強くするには、自分言葉の使い方も大切です。

もし人から悪口を言われたとき、 「悪には悪で返さない」 ことが大切です。

タルムード(タアニート 8a)ではこう教えられています

言葉は剣よりも鋭い。しかし、優しい言葉は傷を癒す。」

悪口を言われたときに、感情的に反応せず、むしろ「よい言葉」で返すと、相手の影響を受けにくくなります

5. 「エイン・オーデ・ミルヴァドー(אין עוד מלבדו)」

このフレーズは 「神以外に何も存在しない」 という意味です。

まり、「他人評価言葉は、神の前では無意味だ」と考えれば、誹謗中傷を気にする必要がなくなります

この考えを日々の中で強く持つことで、他人言葉から自由になれるのです。

結論

ユダヤ教の教えに基づく強靭精神を身につけるには:

1. 神を信頼する(ビトゥアホン)

2. 人の悪口を気にしない(ラションハラを受け取らない)

3. 静かに耐える力を持つ(アニ・リドゥミ)

4. 良い言葉を使い、感情的に反応しない(アモールトーヴ)

5. 神以外に恐れるものはないと知る(エイン・オーデ・ミルヴァドー)

このような教えを実践することで、他人言葉に動じない強い心を育むことができます

そして、ユーモアを忘れずに!もし誰かがあなた侮辱したら、心の中でこう言いましょう:

「おお、また修行のチャンスをもらった!」 😆

2025-03-06

箴言ソーシャルメディア関係: 愚か者のほうがマシ

Q: 箴言には「愚か者のほうがマシ」と書かれている部分が2つあります。「軽率発言をする者」「自らを賢いとみなす者」は愚か者よりダメらしいです。この2つは、ソーシャルメディア時代現代特に顕著かと思いますが、どうでしょうか。

 

かに箴言の中で「愚か者のほうがマシ」とされる2つのタイプ――「軽率発言をする者」と「自らを賢いとみなす者」――は、まさに現代ソーシャルメディア時代において顕著に見られますね。

1. 軽率発言をする者

箴言29:20言葉を軽々しくする人を見たことがあるか。愚か者のほうがまだ望みがある。」

SNSでは、深く考えずに発言することで、誤解を招いたり、人を傷つけたり、デマを広めたりするケースが多々ありますリツイートシェアボタン一つで、未確認情報が一気に拡散される時代において、「言葉を軽々しくすること」のリスクはより高まっています

ユダヤの知恵では、「言葉の力」は非常に重要視されていますタルムード(Arachin 15b)にも、「舌は剣よりも鋭い」とあり、言葉による傷は物理的な傷よりも深いことが指摘されています特に他者誹謗中傷するような言葉(לשון הרע ラションハラ)は、ユダヤ教において大きな罪とされています

2. 自らを賢いとみなす

箴言26:12自分を賢いと思っている人を見たことがあるか。愚か者のほうがまだ望みがある。」

ソーシャルメディアでは、「私は正しい!」「この人たちは間違っている!」と断言する投稿があふれています特に、専門的な知識がないのに「自分こそが真実を知っている」と思い込んでしまう人もいます。これが誤情報拡散や、過激意見対立助長しているのです。

ユダヤ伝統では、「賢さとは、自分無知を知ること」とされていますタルムード(Pirkei Avot 4:1)にはこうあります

"誰が本当に賢い人か?すべての人から学ぶ者である。"

まり、「自分はすべてを知っている」と思うことこそが、真の愚かさなのです。知恵は謙虚さとともにあるべきものであり、意見が異なる人と対話し、学び続けることが大切だと教えられています

現代私たちへの教訓

ソーシャルメディア時代において、これらの教えはますます重要になっています

📌 発言する前に、一呼吸おいて考える。

📌 「自分は間違っているかもしれない」という謙虚さを持つ。

📌 相手意見尊重し、対話を大切にする。

沈黙は金、雄弁は銀」という言葉がありますが、時には沈黙を守ることが最大の知恵なのかもしれませんね。

とはいえ、このコメントを書くのにずいぶん長々としゃべってしまいました。

もしかして、私も「軽率発言をする者」になりかけてる…?😅

2025-02-19

ソーシャルメディアに対するユダヤ教観点

ソーシャルメディアは、適切に使えば素晴らしいツールですが、誤った使い方をすると精神的・道徳的問題を引き起こす可能性もありますユダヤの教えの観点から見ると、以下のポイント重要です。

1. ラションハラ悪口)を避ける

ユダヤ教では「ラションハラ(לשון הרע)」— 悪口中傷を避けることが大切です。ソーシャルメディアでは、他人批判したり、根拠のない噂を広めたりしやすいですが、これは避けるべきです。シェロモ・ハメレフ(ソロモン王)も「舌を制する者は命を守る」(משלי 13:3, 箴言 13:3)と言っています

2. 時間無駄にしない(ビトゥル・トーラー ביטול תורה)

もちろん娯楽として楽しむのは問題ありませんが、過度に時間を費やすと「ビトゥル・トーラートーラーの学びを怠ること)」に繋がることがあります時間管理意識し、有意義な学びや善行(ミツヴォット מצוות)に時間を割くことが重要です。

3. 「アハヴァ」— 愛を広げる場として使う

ソーシャルメディアは、ポジティブメッセージを広める強力な手段にもなります感謝言葉や励ましの言葉投稿し、他者尊重するコメントを心がけることで、「ティクン・オラム世界の修復)」に貢献できます。例えば、トーラーの一節をシェアしたり、善行アイデアを共有することも素晴らしい使い方です。

4. 「アインハラ(悪い目)」を意識する

アインハラ(עין הרע)」とは、人の羨望や嫉妬が悪い影響を与えるという考え方です。自分成功を誇示しすぎると、知らず知らずのうちに他者嫉妬を招き、不和の原因になることがあります成功幸福シェアすること自体は悪くありませんが、慎みを持つことも大切です。

5. フェイクニュース誤情報に注意

トーラーは「嘘を遠ざけよ」(שמות 23:7, 出エジプト記 23:7)と教えていますインターネット上には誤った情報が多くあるため、情報の発信・拡散の前に真偽をよく確認しましょう。

6. 現実世界とのバランスを取る

シャバット」の考え方のように、デジタル世界から離れる時間意識的に作るのも良いでしょう。シャバットにソーシャルメディアを断つことで、家族との時間精神的なリフレッシュ可能になります

まとめ

要するに、ソーシャルメディアは 「愛」「真実」謙虚さ」 をもって使うべきです。便利で楽しいツールですが、それが 善行(ミツヴォット) に繋がるような使い方を心がけましょう! 😃✨

2025-02-17

[] ラションハラ

ラションハラヘブライ語: לשון הרע ‎、 「邪悪言葉」)は、たとえ真実であっても、ある人物または複数人物について否定的または有害発言を指す。 話題になっている人物感情的または経済的に損害を与えたり、他人評価を下げたりする発言であるラションハラユダヤ教伝統において非常に重大な罪とみなされている。ラションハラを告げる者は、トーラーの禁令「ロ・テレク・ラキル・バメイチャ」に違反する。これは「汝は汝の民の間で陰口を言いふらす者として行き来してはならない」(レビ記19:16)と訳される。

 
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