はてなキーワード: 伝統とは
どうもー うp主でーす( ^ω^)
いやぁ〜今回はですねぇ……
任☆天☆堂 さんがとんでもないことしてくれちゃったので、
テンション爆上げでレポっていきたいと思いまーーす/(^o^)\
♪ウッーウッーウマウマー♪(^ω^)
♪ウッーウッーウマウマー♪(^ω^)
任天堂さん、
えぇ、うちの財布ですね、
ポケ◯ン新作 → Switch2 → 周辺機器 → amiibo → DLC
◆そして2枚目!ぎゃああああ!! Σ(゚Д゚;)
任天堂さん、
今日になったら
とか言いながら
めくれるってレベルじゃねぇ!
探せるってレベルじゃねぇ!!
“説明書?なにそれおいしいの?(^p^)”
任天堂さん、
昔の操作性をもぐもぐ
あいーーーーーwwwwww
“任天堂さんは一体 何なら食わないんでしょう?”
◆まとめ
任天堂さん、
美味しくいただいてくれて
♪ウッーウッーウマウマー♪(^ω^)
ドナウ川沿いに暮らしていたリベル族は、自由を重んじる小さな共同体として知られていた。中世になると、その子孫たちは川沿いに都市を築き、首長(Knez)を戴かず、契約と自治を重んじる独自の政治体制を確立した。議会はSaborと呼ばれ、法はZakonとして編纂され、交易や手工業で繁栄した。外部勢力の侵攻を幾度も受けたが、住民たちは独自の伝統と自治を守り抜き、文化と経済の連続性を保った。現代では歴史的建造物や自然景観を活かした観光業が主要な産業となり、ヨーロッパ各地からの訪問客を迎えているほか、日本とも文化交流や観光促進の取り組みを行い、相互理解を深めている。通貨はLibeが用いられ、こうしてリベルランド自由共和国の名と理念は時代を越えて息づき、ドナウのほとりに存在する国家として現代に至っている。
仏教といっても初期仏教から大乗仏教、さらに大乗仏教も中国仏教から日本仏教があるけど、
それでも、故人や自分のために何かしたいと思う人が多いから、葬儀がされている。
もししたくないなら、しなくてもいい。
私自身は、参列者の多い一般葬形式の葬儀に参加したこともあれば、親族のみの直葬形式の葬儀に参加したこともある。
どちらも、故人の死を受け入れて心を落ち着かせるのに必要な儀式だと感じたよ。
でも、あなたがそれを必要と感じないのであれば、やらなくていいと思う。
お寺にお金を払うのは、もちろん仏教的な布施の意味もあるけど、経済的に支える側面も大きい。
お寺の伝統的な木造建築や荘厳を維持するのは当然お金がかかる。
僧侶が儲けているかというと、平均年収は都会でも400万円に満たないし、田舎ならもっと苦しい。
(https://jp.indeed.com/career-advice/careers/what-does-a-monk-do)
400万円もらえるならいいじゃん、と思うかも知れないけど、
大多数を占める小規模寺院は実質的に休暇は殆ど無く、いつ葬儀がはいるかわからないから自由に旅行もできない。
儀式は失敗が許されないし、勉強したり修行したりすることもたくさんある。
仏教と、それに関連する文化や伝統を残していくのは、大変なんだよ。。
まあ、あなたが葬儀が必要ない、仏教やお寺、文化、伝統が必要ない、と思うなら、それでもいいんじゃない。
多くの人がそう思っていて、なくなっていくなら、しかたないんじゃない。
諸行無常。
葛飾区といえば、かつて立花某が区議やって政治家としての足がかりをつくった地として一部で有名だが、今回の区議選では参政党の若手がトップ当選した。
さらに、全国的にはまだ無名だが「日本国民党代表」を名乗る男も上位当選。
こいつは民族派右翼出身で野村秋介にくっついてて維新政党・新風から出馬してたような伝統的右翼で、かつては駅前で“竹島奪還!”みたいな演説してたらしいが、ここ数年はすっかり時流にのって“移民を追い出せ”みたいな演説ばかりしてる。
移民のせいで治安が〜とかいってるが、移民来る前から葛飾の治安がよかったわけでもなかろう。
箴言(ミシュレイ)では、確かに愚者(כְּסִיל/kesil)に対して厳しい言葉がたくさんあります。
たとえば次のような節があります:
「愚か者に答えるな、その愚かさに従って。さもないと、お前も彼のようになろう。
しかし愚か者に答えよ、その愚かさに従って。さもないと、彼が自分を賢いと思うであろう。」
(箴言 26:4–5)
このような節は、一見「神の似姿としての人間」という考えと矛盾しているように見えます。
しかし、ユダヤの伝統的な解釈では、これら二つの概念は矛盾せず、むしろ補い合うものと理解されています。
ユダヤ思想では、「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」とは人間の本質的な尊厳を指します。
それは、生まれながらに神の創造によって与えられたものであり、誰も失うことはありません。
一方、箴言で語られる愚者とは、道徳的・知的な選択の誤りを繰り返す人を指します。
つまり、愚か者とは存在の否定ではなく、行動や態度の批判なのです。
ラビ・アヴィグドール・ネーベンツァール(現代エルサレムの学者)はこう説明します:
箴言は知恵文学であり、感情的な非難ではなく、人間の行動を正しい道に導くための現実的アドバイスです。
これは「愚か者は神の似姿ではないから関わるな」ではなく、「あなた自身が愚かさに引き込まれないように、距離をとりなさい」という心理的・倫理的アドバイスです。
つまり箴言は人の尊厳を否定せず、愚かさの影響を避ける智慧を教えています。
タルムード(ペサヒーム 113b)には次のような教えがあります:
つまり、行動上は距離をとる必要がある相手でも、心の中ではその人の内なる神性(ツェレム・エロヒム)を忘れないという態度を求めています。
「人々を愛し、彼らをトーラーへと導け。」
それは、「愚かさを嫌っても、人を嫌うな」という倫理です
| 教え | 内容 | 目的 |
| 神の似姿(創世記1:27) | すべての人間の存在的価値 | 尊厳の土台 |
| 愚者への警告(箴言) | 行動・言動に対する現実的指針 | 自己防衛・知恵 |
| タルムードの調和 | 人を嫌わず、愚かさを避ける | 愛と現実のバランス |
つまり、ユダヤ教は愚かさを厳しく戒めますが、愚かな人そのものを否定しません。
彼(または彼女)にも神の似姿がある。
TikTokを見てない人には何のことかわからないかもしれない
順序としてはこう
中国の広西チワン族自治区発祥の、リズミカルな音楽に合わせて体をくねらせる独特のダンス
があった
何か知らんがそれがブームになった
参考 https://www.youtube.com/watch?v=092gmF3aQEQ
ナルトのコスプレをした手段がキレがある科目三を踊るのがめちゃくちゃバズる
参考 https://www.youtube.com/shorts/p6LNPRKTJNo?feature=share
たぶん、動きがナルトっぽかったから?あとダンスにキレがあったからかな?
色んな曲で踊ってみたり
とにかくアホみたいに流行っている
最近の流行りは「◯◯して今これ」と言って猗窩座の画像で顔にフィルターしてナルトダンスを踊るやつ
意味分からんと思うが、多分誰も意味分かってない、まあニコ動みたいなもんだと思う
→ 色物ではないから、公式や学校や真面目なアカウントが乗っかってもOK
多分こんなじゃないかな
ちょっと面白いのが、ほとんどの人はこれを「ナルトダンス」だと認識してること
元ネタを知らないのがおもろい
あと、歌がだいぶ詩的
江湖一笑 浪滔滔
红尘尽忘了
俱往矣 何足言道
苍天一笑 笑不老
豪情却未了
对月饮 一杯寂寥
↓
動じない心 満ちたる活力
全ては過ぎ去しこと 振り返っても無駄
外界に無縁の 悟りの境地
勇壮な志 未だ尽きず
みたいな
ちなみにバズったのは5年以上前だから、これを若者に話したら痛いおっさんだと思われると思う
間違っても踊らないように
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
伝統を捨てるのか?