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2025-11-09

弱者男性批判する人たちに、ユダヤ教からなにかツッコめることはありますか?

弱者男性という社会的レッテルやそれをめぐる議論に、ユダヤ教視点から何か言えるかということですね。

1. ユダヤ教では人の価値地位や力ではなくツェレム・エロヒム(神の像)

まず最も基本的観点として、ユダヤ教はすべての人間が神の像(ツェレム・エロヒム, צֶלֶם אֱלֹהִים)に創られたと教えます創世記 1:27)。

この考え方からすれば、人を強者/弱者とラベル付けして価値づける発想そのものが誤りです。

一人ひとりが神の像を宿しており、その尊厳社会的成功能力では決まりません。

したがって、弱者男性批判する言説に対してユダヤ的に言えばこうツッコめます

あなたが『弱い』と決めつけているその人も、神の像を宿している。あなたは神の像を軽んじていないか?」

2. タルムード倫理他人の恥を暴くのは血を流すことと同じ

タルムード(バヴァ・メツィア 58b)はこう教えます

「公の場で他人を辱める者は、血を流す者に等しい(מלבין פני חבירו ברבים כאילו שופך דמים)」

SNS上などで弱者男性などとレッテルを貼り、嘲笑したりすることは、まさにこの教えが戒める行為に当たります

相手社会的血を流してしまうようなものです。

3. ピルケイ・アヴォット(先祖言葉)の教え:「誰が強い者か?」

ピルケイ・アヴォット(賢者言葉)4章1節にこうあります

「誰が強い者か? 自分欲望を制する者である。」 (אֵיזֶהוּ גִבּוֹר? הַכּוֹבֵשׁ אֶת יִצְרוֹ)

ユダヤ的には、真の強さとは他人支配する力や経済力ではなく、自分内面制御できるかどうかです。

まり弱者と呼ばれる人の中に、もっとも強い魂を持つ人がいるかもしれない。

4. まとめ

ユダヤ教視点から見ると、こうツッコミを入れられます

「人を弱者と呼ぶのは、あなたが神の像を見損ねている証拠ではないか?」

「本当の強さは、他人を嘲ることではなく、自分の欲を抑えることだ。」

2025-11-07

神の似姿に創られた存在、と言いますが、箴言ではきっぱりと愚者に対しての扱いを言ってますよね?

箴言ミシュレイ)では、確かに愚者(כְּסִיל/kesil)に対して厳しい言葉がたくさんあります

たとえば次のような節があります

愚か者に答えるな、その愚かさに従って。さもないと、お前も彼のようになろう。

しか愚か者に答えよ、その愚かさに従って。さもないと、彼が自分を賢いと思うであろう。」

箴言 26:4–5)

このような節は、一見「神の似姿としての人間」という考えと矛盾しているように見えます

しかし、ユダヤ伝統的な解釈では、これら二つの概念矛盾せず、むしろ補い合うもの理解されています

ユダヤ思想では、「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」とは人間本質的尊厳を指します。

それは、生まれながらに神の創造によって与えられたものであり、誰も失うことはありません。

一方、箴言で語られる愚者とは、道徳的知的選択の誤りを繰り返す人を指します。

まり愚か者とは存在否定ではなく、行動や態度の批判なのです。

ラビ・アヴィグドール・ネーベンツァール(現代エルサレム学者)はこう説明します:

トーラー人間を決して切り捨てない。愚かさを切り捨てるのだ。」

箴言は知恵文学であり、感情的非難ではなく、人間の行動を正しい道に導くための現実的アドバイスです。

例えば、箴言14:7にはこう書かれています

愚か者の前を離れよ。そこには知識言葉がない。」

これは「愚か者は神の似姿ではないから関わるな」ではなく、「あなた自身が愚かさに引き込まれないように、距離をとりなさい」という心理的倫理的アドバイスです。

まり箴言は人の尊厳否定せず、愚かさの影響を避ける智慧を教えています

タルムード(ペサヒーム 113b)には次のような教えがあります

「三種の人とは交わるな……しかし、すべての人を平和の心で迎えよ。」

まり、行動上は距離をとる必要がある相手でも、心の中ではその人の内なる神性(ツェレム・エロヒム)を忘れないという態度を求めています

ラビヒルレルも言いました(アヴォット 1:12):

「人々を愛し、彼らをトーラーへと導け。」

それは、「愚かさを嫌っても、人を嫌うな」という倫理です

教え 内容 目的
神の似姿(創世記1:27) すべての人間存在価値尊厳の土台
愚者への警告(箴言 行動・言動に対する現実的指針 自己防衛・知恵
タルムード調和 人を嫌わず、愚かさを避ける 愛と現実バランス

まりユダヤ教は愚かさを厳しく戒めますが、愚かな人そのもの否定しません。

彼(または彼女)にも神の似姿がある。

しかし、その行動が有害なら、その影響を避けつつも、心では憎まずにいる。これが箴言と神の似姿を両立させる視点なのです。

尊敬する人物失望した時

Q: 私は最近、ある気付きがありました。

それは、最初から愚者クズであると私が思っている人間発言には動揺しませんが、私が尊敬している人間攻撃言動などをしたときにより大きな失望を感じるということです。

私は最近、ある物理学者ツイートで「idiotであるなら、少なくとも有用でいろ」という発言がありました。

この人は尊敬していたのですが、他人をidiotと言ったり、有用というまるで人を道具扱いする言動を見て失望したのです。

このような事象に対し、ユダヤ教はどうサポートする?

ーーー

あなたの感じた「尊敬する人が攻撃的な言葉を使った時の失望」は、人間関係の中で非常に普遍的体験です。

そして、ユダヤ教の教えには、このような感情にどう向き合うか、またどう自分の中で整理するかについて多くの知恵があります

ユダヤ教では、すべての人間は「ツェレム・エロヒム(צלם אלוהים)」神の似姿に創られた存在だと教えます創世記 1:27)。

まり、誰もが神的な価値を持つと同時に、不完全さをもつ存在です。ラビたちは「賢者であっても、時に罪を犯す」と語ります(コヘレト・ラッバ)。

あなた尊敬する物理学者も、知性において優れていても、人格言葉においては未熟な部分があるかもしれません。

ユダヤ教的な視点では、その人の一部の欠点が、全体の価値を打ち消すわけではないと考えます

あなたが感じた違和感他人をidiotと呼ぶ」「有用であることを人の価値とする」これはユダヤ教で非常に重く扱われるテーマです。

ラションハラー(悪口・悪意のある言葉)」は、タルムードで「三人を殺す」と言われています

悪口は三人を殺す――話す者、聞く者、そして語られる者」(アラヒン 15b)

まり、その発言は話した人自身にも悪影響を及ぼすのです。

ですからあなた失望は、実に深い倫理的感受性の現れです。ユダヤ的に言えば、あなた言葉の聖さに敏感であるということです。

ミシュナ「アヴォット(先祖の教え)」ではこう述べられています

「人をすべて、善意の側から判断せよ」(アヴォット 1:6)

まり、もし可能であれば、「彼は苛立っていたのかもしれない」「彼なりの不器用表現かもしれない」と、一度は善意で捉えてみる姿勢を持つように、と教えます

これは相手行為を免罪することではなく、「自分の心を恨みや幻滅に支配されないようにするため」の精神的防御でもあります

ユダヤ学者ラビ・ナフマン・ミ・ブレスラフはこう教えました:

他者の中に欠点を見たなら、それは自分の中にある何かを映している鏡である。」

あなたがその物理学者言葉に強く反応したのは、「人の尊厳を守る」というあなた自身の大切な価値を裏切られたと感じたからです。

それは痛みでもあり、同時に、あなたが深く倫理的思慮深いである証拠でもあります

ユダヤ教的に言えば、このような経験は次のように整理できます

1. 人は誰でも不完全である(ツェレム・エロヒムの一部)

2. 言葉には霊的な重みがある(ラションハラーの禁止

3. 可能なら善意で捉える(ダン・レカフ・ズフート

4. 自分価値観を再確認し、他者に頼らず内なる光を保つ

2025-11-04

世界の基本の「き」

1. 世界は偶然ではなく、意味を持って存在している。

創世記最初言葉は「בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים」(ベレシートバーラ・エロヒム)=「初めに、神が天地を創造された」(創世記 1:1)。

まり世界には「目的」と「秩序」がある、という考えが根本にあります

私たちはその秩序の一部であり、世界をよりよくする責任ティクーンオーラム תיקון עולם ― 世界の修復)を担っています

2. 人間は神のかたち(ツェレム・エロヒム צֶלֶם אֱלֹהִים)に創られた存在

「神はご自分のかたちに人を創造された」(創世記 1:27)とあります

これは、人間には尊厳・理性・自由意思が与えられているという意味です。

からこそ、他人尊重すること、生命を大切にすることは世界の基礎的な倫理です。

3. 学ぶこと(リムード לימוד)は、生きることそのもの

ユダヤ伝統では、学ぶことは単なる知識の獲得ではなく、よりよく生きるための道です。

「学びは行いに導く」(Pirkei Avot 1:17父祖の言葉)と教えられています

4. 世界平和は一人ひとりの行いから始まる。

「誰か一人を救う者は、全世界を救う者である」(ミシュナ・サンヘドリン 4:5)。

さな善行も、世界全体に影響を与えるという深い教えです。

🕊️ まとめ

世界の「基本のき」とは、世界には意味があり、人は尊厳をもって生まれ、学びと善行を通して世界をより良くできる。

2025-10-30

anond:20251030041728

あなたの読み取りはコヘレト(קהלת)の核心を突いています

この書は古代イスラエルの知恵文学の中でも、最も人間実存を深く見つめたものの一つです。

コヘレト 4章4節の「כל עמל וכל כשרון מעשה כי קנאת איש מרעהו היא」(“すべての労苦と技能のある働きとは、人の互いのねたみによる”)という一節には、まさに現代社会にも通じる洞察がありますね。

努力動機が「他人に勝ちたい」「評価されたい」という比較の中にある限り、その果てにはהבל הבלים – ヘベル・ハバリーム(空の空)が待っている。

コヘレトは、そんな虚無を見抜きながらも、だからこそ「静かな満足」「手のひらいっぱいの安らぎ」を勧めています(4:6)。

面白いのは、コヘレトニヒリズムではなく「穏やかな現実主義」の立場なんです。

彼は「どうせ虚しい」と言って人生を投げるわけではなく、むしろ「だからこそ、今この瞬間を楽しめ」「神を畏れよ(エロヒムを敬え)」と結論づける(12:13)んですね。

あなたの言うように、インフルエンサーが語る「成功」「自己実現」などの言葉は、往々にしてこの“張り合いの労苦”の領域にあります

しかしコヘレトは、はるか昔にそれを見抜いていた。

彼は人間の「承認欲求」という終わりなき競争ループを見つめて、「そこに真の喜びはない。小さな安息、静かな心にこそ、価値がある」と言ったのです。

ユダヤ的に言えば、これは“מנוחה הנפש – メヌーハ・ハネフェシュ(魂の安らぎ)”の境地。

シャバットの精神にも通じますね。

週に一度、競争や成果を手放し、「今ここ」にある生命の善を味わう。

それが、コヘレトの言う「手のひらいっぱいの安らぎ」に近いのかもしれません。

🕯️

古代の知恵に現代の虚飾を照らして考える姿勢、それこそコヘレトが好んだ「思慮深い人(חכם)」のあり方ですよ。

2025-04-05

ユダヤ教における深淵事実とは?

ユダヤ教における最も深淵事実ひとつは、神の存在とその無限性です。

ユダヤ教では、神(ヤハウェ、またはエロヒム)は唯一無二であり、時を超え、空間を超え、全てを包み込む存在として理解されています

この概念は「神は無限であり、限界がない」とされ、私たち理解を超えた存在として敬われています

「神は存在する」という信念はユダヤ教の根幹にありますが、神の本質や働きについては無限に探求され続けるものです。

例えば、ユダヤ教の最も古い経典であるトーラー」(モーセ五書)においても、神の名前や行いが時折象徴的または隠された形で表現され、信者はそれを解読することに挑戦します。

また、ユダヤ教の最も重要な教えの一つは「人間は神の像に創られた」(「ベツェレム・エロヒーム」)というものです。

これは、すべての人間が神の聖なる性質の一部を持っており、故に他者尊重し、愛するべきであることを意味します。ユダヤ教では、他者との関係が神との関係に直接的に繋がると教えられています

さらに、ユダヤ教は日々の生活の中に神を見出すことを強調しています。「神の律法に従い、神を感じながら生きる」という信念が、食事仕事、祝祭、そして日常的な行いに至るまで神聖視されます

この「神聖化された日常」の考え方は、ユダヤ教哲学の中で非常に重要で、神と人間との関係日常生活においても成り立っているという深い認識を与えます

そのため、ユダヤ教における最も深い事実は、神とのつながりを感じ、日々の生活の中で神の意志を探求し、実践することが求められている点にあります。この探求は終わりがなく、無限に続いていくのです。

2025-03-06

なぜ神は私を造ったの?存在意義がわからない

あなたがこの問いを抱えていること、とても大切なことですね。ユダヤの教えでは、すべての人は目的を持ってこの世界に生まれてきたと考えますあなた存在には、必ず意味があり、価値があります

🌱 ユダヤ視点からの答え

1. あなたは「ツェレム・エロヒム(צלם אלוהים)」— 神のかたち

創世記(ベレシート)1:27 には、「人は神のかたちに創られた」と書かれています。これは、あなた神聖存在であり、特別な使命を持っているということです。たとえ今それが分からなくても、あなたはこの世界必要存在です。

2. 「ティクン・オラム(תיקון עולם)」— 世界をより良くする使命

ユダヤ教では、すべての人が「ティクン・オラム世界の修復)」に貢献すると教えます。小さな親切や思いやりのある行動が、世界をより良くします。あなたがここにいるのは、あなたしかできない何かがあるからです。

3. 「人生意味を見つける」のが人生の旅

ユダヤ賢者ラビアブラハムヨシュア・ヘシェルは「人生意味を問うことこそ、人生意味の一部だ」と言いました。迷うことは悪いことではなく、むしろ大切なことあなたは今、素晴らしい旅の途中なのです。

✨ どうすれば自分存在意義を感じられる?

1. 小さなことで誰かの助けになる(親切にする、笑顔を向ける)

2. 自分が好きなこと・得意なことを見つけ、それを活かす

3. 祈り瞑想を通して、自分内面と向き合う(シェマの祈りなど)

4. 「ありがとう」と言う習慣をつける(感謝の心は人生を豊かにする)

あなたは決して無意味存在ではありません。あなたがいることで、すでに誰かが救われています。もし今すぐ分からなくても、それは大丈夫です。少しずつ、自分の光を見つけていきましょう。✨

2023-06-14

anond:20230614142644

エロヒム(神の如き神聖さを持った優しく尊き存在)ですね。

2018-07-05

anond:20180705194414

輪廻転生理論からすると前世カツオノエボシで今世が人間って事はよっぽど良い事をしたんだろうね

カツオノエボシ史には間違いなく載っているだろうし、おそらくザ・ベストカツオノエボシ100にもランクインしているだろう

よく大名の生まれ変わりだとかヨーロッパお姫様の生まれ変わりだとか釈迦の生まれ変わりだとかへルメスの生まれ変わりだとかラ・ムーの生まれ変わりだとかエロヒムの生まれ変わりだとか自慢してる割に今パッとしない人がいるけど、その人たちってよっぽど悪いことをしたんだろうね


からカツオノエボシの生まれ変わりであることに誇りもって胸張って生きていった方がいいと思う

 
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