はてなキーワード: ニホンザルとは
読みは「いとうづ」
入場料600円
映画とかその他ふつうの遊園地の入園料とかと比べると動物園って激安だよなあと改めて思う
博多とか天神とかだと歩きとバス、地下鉄で気軽に移動できるけど、それができない
ともあれ到着
小学生が2校遠足にきててこりゃうるさそうだわと思ったけどそこまでではなかった
猿の前で猿の泣き声の真似してるのはうるさかったけど
入ってすぐ右手にあるのはロバ
1頭が木陰でぼーっとしてる
そんでそばではロバに乗る体験コーナーがあったけど子供しかのれないとのことだった
ロバがかっぽかっぽ歩いて柵に近寄ってきて、その子の親が写真をとる
弟だか妹だかがベビーカーにのってて、ロバが顔を近づけたら怖いのかぐずりだした
写真で止まったままで飽き始めたのかロバは地面の草を食べ始めた
そのまま少し進んで右手にヤギコーナー
平地にヤギがいる感じじゃなくて、三匹のヤギのガラガラ丼の方のヤギ
展示もガラガラ丼と同じような岩場と丸太の橋が用意してあってそこをまさにガラガラ丼にでてくるみたいな八木がわたっててすげー感動した
地味にハイライトだよここ
振り返って猿山
あかちゃん猿を連れた母親と、父親と思われる猿が3頭でふらふら歩いてる
でも落ちても母親はすぐに気づかない
エサタイムはいわゆる猿山でホッホホッホウキーってうるさくなる
次シセンレッサーパンダ
いないなーみえないなーって思ったらいた
これもさっきのガラガラ丼みたいな感じでエリア移動用の通路が人が歩く上にあってそこでとどまって人間をみおろしてたりもしてた
さすがに立ったりはしなかったけど
エサタイムで新しい木の枝がきたらみんながうわああああって感じで食べまくってた
すげー太って手くいいじ貼ってるやつがいた
あとで帰り際にきたら食い終わってほとんどもうエサがなくなってみんなぼーっとしてた
そのうち2頭がすげーうごいてた
1頭がさきにうごいたらもう1頭がそれついていって2頭ともたちあがって2頭目が1頭目に無理やりちゅーしてるみたいな感じになった
1頭目がなんども逃げて2頭目がちょっかいというか毛づくろいというかラブコールするのをなんども 繰り返してた
年取ったウサギがいた
エサもぐもぐしてると思ったらエサ箱にはいってるのをむちゃくちゃに散らかしてた
吸取れすたまってたんかな
オウムの展示も近くにあったけど
こっちを少しだけちらっと見たけど奥の方でじっとしてた
地面におかれたみじんぎりキャベツを食べてた
そのあと小屋がゴソゴソ音するなと思ったら一番でかいボスっぽいのが出てきてそれもエサたべたりエリアを歩いて散歩したりしてた
右側にいくことにする まずは
里のいきもの館
室内
ここではじめてカヤネズミ見た!
カヤネズミのちゅるりという絵本、全人類が読んだことあるとおもうけどあれね
ほんとちっちゃいのよねえ・・・
これ絵本にでてきてたあかちゃんはもっと小さいんだろうなという感じ
イモリはほんと水の中にいるんやなあとか
バードケージは鳥インフル対策で入れず外から見るだけだった・・
へー片足で立つのはフラミンゴだけって印象だったけどトキもそうなんやと思って新発見だった
ひそかな木陰にホンドフクロウ
昼間ってこともあってかなり薄暗い中でじっとしてた
こっちをチラ見したりはしてたから寝てはいなかったみたいだけどお尻向けてた
ホンドタヌキ
みんな陰に隠れてるのか1頭も見つけられず
ここは動物園全体にいえるけど、檻がでかくてかつ木とか自然物のオブジェがすげー多いから、動物が隠れて探しにくいんよね
動物にとってはそっちのほうが断然いいとは思うけども
ムササビの森
ここもクソほど檻がでかいのとオブジェおおすぎで全然見つけられず
ムササビ用のどんぐりの貯金箱コーナーみたいなのがあって、園内でひろったどんぐりをここに入れてね!みたいなのがあった
ただの貯金箱じゃなくて、駄菓子屋にあるようなゲーム形式になってた
どんぐりを上から入れて左右からそれをはじきながら下まで落としていくゲームみたいな
そのあと下に戻る
姿見の池は水がぬかれていて何もいなかった
檻もなかったし本当にただの池ってだけって感じ
また左側に戻る
奥の方で横になって寝てて顔も見えなかった
そりゃ顔見える方向だったらトラとしては落ち着かないからそうなるとは思うけどつまんなかったな
オウギバト
セイロンゾウ
モナカの外側の皮をおやつとしてあげられるみたいなやつでそれで写真とってる人がたくさんいた
おばさんがゾウといっしょに写真とってもらおうとしてて、
何度も撮影者の方にいってアングル確認するせいでお預け状態みたいになってて笑ってしまった
そのあと小さい子供は鼻をさわろうとして手をのばすけどさわれなくてさわりたいと文句をいっていた
ゾウは2とういるけど、ケンカするから1頭ずつ半日交代で出てるってことだった
動物園きてる!って感じがするわ
15分前くらいはすげーうるさかったけどしずかになってた
派手なインコ
フクロテナガザル
52歳のやつとかいてやばかった
人間を観察してる感じもした
縄張り争いとかで鳴くから縄張りもくそもない動物園で鳴き声きくのはほぼ無理だよなと
あと地味に驚いたのが群れの数が世界一らしい
数百頭
ニホンザルも群れあるし多い方だと思ってたけど、世界的にはもっとでかい群れがあるんだねえ
マンドリンって楽器あるけどマンドリルからきてるのかなあ・・・
クモザル
こんなマニアックなのをチョイスするってロフティングやっぱやべえわと思った
ずっとドリトル先生で見た文字のイメージしかなかったけど初めて実物見たわ
オスメス1頭ずついた
最初はメスがこっち見てくれててオスはお尻向けて寝そべってた
メスもすぐ寝そべって寝始めた
でもライオンって思ったより体でけえなって思った
オスよりメスの方が体格よかった
マサイキリン
まだ3歳ってことで小さめのキリンだった
フンがくさかったのとフンによってきたハエが来園者のまわりまで飛ぶくらいだったからちょっとひどいエリアだった
ただシマウマのケツや後ろ足あたりがまるまるとしていて、こりゃ肉食からみたらうまそうにみえるわと思った
端っこにいたやつが立ってた
箱慣れ中ということでなんか訓練中らしい
人がくるとエサと思うのか一番檻の前まできて左右にうろついてた
これでほぼ動物全部
お土産コーナー
この動物園特有ってよりかは普通の動物園のおみやげうりばって感じで独自のぬいぐるみとかはなかった
動物園にいるのはムササビなのに、ぬいぐるみおいてるのはももんがだったり
あと動物園自体が廃園の危機だったけどいろいろ寄付とかサポーターとかあって存続してるんだってね
あとただの併設遊園地と違うポイントとして、サイクルモノレールがあるんだけど、これに動物園のガイドの人がいっしょにのって上から動物たちの解説をしてくれるってやつだった
これはなかなかよさげだった
芝生広場で弁当くったり自由時間ちょっとあったら1日の遠足にはちょうどいいね
やぱ改めて考えても一番インパクトあったのはガラガラ丼のヤギコーナーだなあ
でも福岡市動物園はうちっぱなしのコンクリの檻のイメージの印象がつよかったから、
今の福岡市動物園もどっかで行きたいな
絵を描く能力もストーリーを考える能力もないのに、漫画家として成功した自分を想像することがある。
プログラミングもできないのにITで成功してTEDで講演しXで老害(と見做されている著名人)を論破したり、弱者を切り捨てる発言を堂々と言い切る自分を想像することがある。
作曲はおろか楽器すら触れないのに、シンガーソングライターになって武道館で大勢の観客の前で自分で作詞して作曲した歌(ミセスか髭男の歌)を歌って歓声を浴びる姿を想像することがある。
宇宙に関する歴史に残る発見をして、ノーベル物理学賞を受賞してスピーチをし、子供向け教育テレビでサイエンスコミュニケーターをする姿を想像することがある。
医者になってプロフェッショナルに出演する自分の姿を想像することがある。
上記の想像は仕事に向かう電車の中、帰りの電車の中、布団の中などで行われる。
その瞬間はとても楽しく日々の苦労と虚しさを忘れられる瞬間だ。
俺は田舎に生まれ地元公立小学校・中学校を卒業した。近所で学校名を言えば誰もが「すごいね」と言ってくれる県立進学校に進み、旧帝大・上位国立理系・慶應を除く大抵の人が「すごいね」と言ってくれる私立大学の法学部を卒業し、大手メーカーに入社した。
昔は自分のことが大好きだった。
頭が良くて、足が速くて、ドッジボールが得意で、サッカーも上手で、人気者の自分が大好きだった。
小中学生の頃、休み時間にイラストを描いているクラスメートをよく馬鹿にしていたし、自分は彼らが嫌いで見下していた。
高校時代、バンドをやってる奴らは本当はサッカーや野球で活躍して女の子にモテたいのだと思っていた。
それ以外の奴らもそうだ。
パソコンやアニメや科学の世界に逃げ込んで自分たちの世界に閉じこもって生きているのだと思っていた。
理系学部はカッコ悪いと思っており、医学部は学力的に無理で、かと言って文学部は人生終わりだろと考えていた。
だから母校の政治経済学部と法学部、慶應義塾大学の経済学部と法学部を受験した。
自分のことを好きじゃなくなったのは大学2年の終わり頃だった。
先輩たちが就活に励み話を聞く中で、自分も来年に向けて備えようと本屋に行き、参考書コーナーと漫画コーナー以外のコーナーを初めてまともに散策した。
ビジネス書のコーナーでイーロン・マスクを知り、そこからマークザッカーバーグやビルゲイツの存在ややってきたことを知った。
彼らの持つ技術や功績、名声が自分の能力では手に入らないものであると知り、自分にコンプレックスを持った。
就活が本格的に始まると、自分が見下していたMARCHや日東駒専の文系学生と自分の間に何らの格差もないことを知った。
英語、国語、世界史だけで入れる大学とそこで学ぶものにはなんの価値もないことがわかった。
そこに何の価値も見出すことができない。
価値は存在するのだろうが、あまりにも細分化されすぎており、一つ一つの作業工程に価値を見出すことができない。
こんなことをしないと生活費を稼ぐことができない自分が恥ずかしい。
自分が惨めだ。
俺があんなにも見下していた人たちが持っている技術や知識、経験が羨ましくて仕方がない。
大学時代、俺が彼女にはできないプレイをするために手懐けていたサークルの同期のセフレがいた。
その子は俺のことが好きだと何度も言った。
俺の彼女になりたいと何度も言った。
俺はそう言われる自分のことが大好きだったし、彼女のことは見下していた。
彼女は俺が無価値な人間であることに気がついたのだ。だから何の未練もなく他の、もっと有能で価値のある男を選んだ。
そう思うと、自分が惨めになる。
今交際している自分の彼女まで、無価値な男を選んでいる無価値な女に見える。
みんなと同じことをしていても価値がない。
俺はサッカーが得意だったが、所詮は田舎の公立中高で1年生からミッドフィルダーとして試合に出られるくらいのものでしかなかった。
それで生きていくことはできない。
大多数の人が目をつけていない、やっていないことに対して目をつけ、人より早く始めてこそ、凡人とは違うスキルを身につけて人生を豊かにすることができる。
狩り(食料調達)も育児もメスがやり、オスはメスにとって繁殖用に必要な単なる精子製造機といってよい。
しかもチンコの先から精子をぴゅぴゅっと出す以外役立たずの穀潰しなのだから、健康で頑強な1頭がいれば十分だ。
選ばれし種オスは一見ハーレムを築いているように見えるが、老いて力衰えれば若いオスにその場を奪われ、
これはニホンザルでも似たようなものであり、チンパンジーやボノボではもう少しオスがコミュニティに混じってくるが、
コミュニティの運営者はやはりメスで、オスは子育てに参加するでも、メスのために食料調達を担うわけでもない。
しかしそれでは、オスは常に精子奴隷の地位を争い合い、弱オスは子孫を残せぬまま独りで自分のために食料を探し、
食って糞して死んでいくだけだ。
だがそんな中で知恵のあるオスが、一人より二人、二人より三人で協力すれば生存確率が上がり、
屈強な1頭の種オスを倒して、精子奴隷の地位をシェアできると考えたのかもしれない。
しかしメスコミュニティにとって精子をチンコの先からぴゅぴゅっと出す以外脳のない穀潰しのオスは何匹もいらない。
そこで知恵のあるオスが、「姉さんたち、オレたちが狩りして食料調達してくるから、子育てに専念してくれていいぜ。
その代わり、これからもずっとオレたちに精子をぴゅぴゅっとさせてくれ。」と頼んでコミュニティに残ったのだろう。
そういった複数のオスたちによる共存共栄戦略がサルを人間へと進化させたと考えられないだろうか。
その結果、世界中の殆どの文明で、男が外で働き、女が家事や育児を担う性的分業が生まれたのだろう。
それはやがてコミュニティの運営者としての地位を女から男へと移行させ、男が支配する社会がスタンダードとなった。
人類社会はコミュニティの共栄のため、様々な支配体制やコミュニティの拡大を繰り返し、
その過程でいわゆる理系男子たちが道具や技術を発展させ、生活環境を改善、効率化させてきた。
特に近代以降、産業革命と資本主義経済により、技術進化と経済利益追求がガッチリと噛み合って、
社会は急速に発展した。当然家事の効率化も金になると判断した男たちは様々な家電機器を生み出し進化させた。
その結果、洗濯板でゴシゴシ体力と時間を浪費していた女たちはボタン一つで洗濯ができるようになり、
炊飯器、電子レンジ、ガスコンロで簡単調理、掃除もホウキとチリトリから掃除機やルンバに替わって時短され、
余った時間で男と同等の社会活動が可能となった。女性を解放したのは経済利益を追求した男たちなのだ。
また、こういった家事の効率化は、結果として男も仕事と両立して簡単にこなせるようにした。
もはや家事を男女で分業する必要性は全くなくなってしまったのである。
子育ても、もともと哺乳類としてはメスたちがコミュニティで担っており、母親一人でやらなければならないものじゃなかった。
現代人間社会では保育園や学校といったシステムで、社会が子育ての多くの部分を担うようになっている。
会社の産休・育休といった仕組みを工夫し、仕事を効率よくシェアできる環境作りをしていけば、
チンコの先から精子をピュピュっと出す以外役立たずの穀潰しだった精子奴隷のオスたちが、
生き残り戦略として知恵を使って共存共栄社会を築く人間へと進化し、メスが運営者のコミュニティから
男中心社会へと逆転させた。しかし更なる社会の効率化と技術進化、そして経済利益の追求によって
女たちを時間的拘束から解放し、再び社会の運営者として参入する道を開いたのである。
もはや男女の社会的平等は必然的結果で、繁殖活動は個々に納得する男女がつがいとなるのが当然の成り行きだ。
社会としては変わらず共存共栄のために、平等な男女が生きやすく子育てしやすいシステムと技術の進化に
知恵を絞ることになるのだろう。
少し検索したら、ニホンザルやチンパンジーは強いものが食べ物を独占するが、ボノボやゴリラなどは食べ物を持っている個体が立場の弱い個体に分け与えたり、持っていくことを咎めなかったりする、という記事がいくつか見つけられました。
人間関係にこれを応用した記事は見つけられませんでしたが、似たようなことが起こっているのかもしれないな、と思いました。
友達は、友達の行動について理由を尋ねると泣いてしまうことがあり、こういった問いかけをすることは気が引けてしまいます。
ただ、私が友達にとって、食べ物の分配について信頼が置けないと思われているのであれば、安心できるような説明をしてみるべきなのかもしれないと思いました。
https://anond.hatelabo.jp/20240805223215
こんなの全部「動物は右翼。なぜなら世界の中心である私より右にいるから」としか言ってないのに右翼系ブクマカが鵜呑みにしてるんじゃない
元増田の主張には「野生動物は"どの程度"よそ者を怖がるのか」という量的な概念がまるっきり欠けているし、だからもちろん「人間と比較して排外性が高いかどうか」という肝心な部分がない
見る人のスタンスによっては「私より動物のほうがずっとよそ者に甘い。動物の本能は左翼」ともなるだろう
ドードーという民族は移民の流入に甘く軍備も重視しない左翼だったので滅びていった
>群れを作る動物はリーダーを頂点としたピラミッド構造を作る
野生のハイイロオオカミの群れに階級ピラミッドは存在しない、というのははてなみたいなハイソな場所では常識だと思っていた
(https://www.newyorker.com/science/elements/the-myth-of-the-alpha-wolf ハイイロオオカミの階級ピラミッド説を著書で唱えていた研究者は己の間違いに気づき絶版にしようとしたが、出版社はなかなか同意してくれなかったという)
野生のニホンザルの群れにはピラミッド構造があり、また基本的にオスのほうが階級が上なので確かに保守的な社会構造のように見える
しかしニホンザルは母系社会であり、母の地位が子に引き継がれ、また夫婦という概念はない
これは今の日本人や欧米人が思い浮かべるいわゆる保守的な社会とは真っ向から反している
チンパンジーはピラミッド構造があるが夫婦はなく、またオスの地位が子に引き継がれることもない
ハイイロオオカミは生涯一夫一妻を貫くことが多いものの先ほど言った通り階級はない
メスを従えるライオンのオスはいかにも人間の「強い男」のようだが、オス同士ではピラミッド構造以前にそもそも付き合いがほぼない社会である
このように動物といってもいろいろある中で「保守の目指す社会はチンパンジーのように階級ピラミッドがあってハイイロオオカミのように一夫一妻制があってライオンのように夫が妻を従えているから動物の本能に沿っている」と主張しても、チンパンジーもハイイロオオカミもライオンも同意してはくれないだろう
それが通るなら「チンパンジーのように夫婦がなくハイイロオオカミのようにオスメスの地位が同じでライオンのように男同士は離れて暮らすから動物の本能に沿っている」も成り立ってしまう
もっと言うと生涯一夫一妻を貫くのは哺乳類には珍しく、鳥類が圧倒的に多い
「人間社会は鳥の本能に沿っている」と正しく主張してもらいたい
動物は「ひたすら変化を避けてひたすら敵を攻撃する」などという方向性で生きているわけではない
変化を避ける←→好奇心を持つ 敵を攻撃する←→和解を図る の相反する方針にはそれぞれ一長一短があるので動物たちはその時々の環境に合わせてこの両極の間を揺れ動いている
新しい物をなんでもかんでも食べていたら食中毒になるが、警戒しすぎてなにも食べなかったら餓死してしまう
身を守るために軍備は必要だが、むやみに戦っては負傷で死んでしまう(ところで動物は対話による解決くらい普通にやる)
というわけで増田の主張する「右翼は動物的本能に沿っている」は全く間違いなので動物に謝れ
(蛇足:人間のオスは他のオスの「勇気」を喜ぶ傾向にあるが、これは動物としては珍しい。オスウサギは外敵からとにかく逃げるし、オスライオンはよそのオスライオンが勇気なんぞ出しても邪魔なだけである)