はてなキーワード: モーツアルトとは
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
あと、下に書いてるけど、1994年発刊だけど、この小説の初出は1992年だからね。なのでパソコン通信である種の文化があったのはわかるが、インターネットはすでにあったみたいな指摘してる人は頓珍漢だからね。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?
好きなドラマ、映画、漫画、ゲーム、演劇、なんでもいいから教えて欲しい。
なんでかって?
私は虎に翼が面白いとは全く思えない。
正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。
私が朝ご飯をリビングで食べる時間に母親が毎朝見ているから一緒に見せられているが、全然面白くない。
出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。
なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。
つまらない。
虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。
そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味でレベルが低いと思っている。
扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実に出やすくなっているように感じるからだ。
「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。
それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。
国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。
海外ドラマの場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。
小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎、村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。
映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF+人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。
全体として、手間暇をかけて世界観、空気感を構築する作品を好んでいるようだ。
さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観や空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。
うん。そうなんだと思う。
「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。
説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。
生まれてから今日まで当たり前のように男女不平等の世界に生きてきた人々であるという感覚がそもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代の人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。
脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。
「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。
劇中でそれをわざわざ再度強調する時の
「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!」
「え?女だから駄目なんですか」
「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」
「それは法律が間違っているんです」
「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」
みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督やディレクターがOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。
男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨にでっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。
なぜ、こんなものが評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。
追記:
皆さんの好きな作品
国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画はネイチャードキュメンタリーが好き。
朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール」大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。
北村薫の推理小説、白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂の長歌、スーシェのポアロ、グールドのバッハとグルダのモーツアルト、ジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。
漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界、平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等
同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット、大奥(nhk)、MIU404他野木脚本など
今クールはアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー」
鎌倉殿と野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガは萩尾望都と吉田秋生、小説は恩田陸と村上春樹が好き
虎に翼みたいに、主人公がペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。
なるほど、色々あるな。
虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。
大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。
なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微を表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。
「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ
ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙な機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。
この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。
乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。
なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。
水瀬いのりという、声優がいる。この人に妻を泣かされた日のことは、忘れられない。
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お勉強のよくできる大学を経て、お利口な人たちが集う、そこはかとなく大きな企業で働く、平凡なビジネスパーソン。
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たまに、Apple Musicのシャッフル再生で流れてくるのを聞いて、なんだか落ち着く歌手がいるなあ、くらいの感覚。
・
多少規模の大きい会社の勤め人ならわかるだろうけど、本社の中枢の経営のあたりに投げ込まれると、
それはもう、胃が痛くなることが多くなる。辺境の支社ののんびりびよりが懐かしいことこの上ない。
・
じきに水瀬いのり氏の音楽の落ち着く効能に縋って、通勤時は「モーツアルト」「水瀬いのり」のヘビロテであった。
・
同氏のおかげか、はたまた私の才によるものか、お作法にうるさい経営対応も、ちょっと神経質な霞ヶ関の対応も、
朝飯前とは行かずとも、まあなんとかなるようになった頃、今の妻と出会った。
妻はアニメもジャニーズもわからぬ箱入り娘であったが、私が運転中にやたら水瀬氏の曲を流すものだから、
自然と当たり前のように、やはり水瀬氏の音楽を聴くようになるのである。
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じきに妻は身籠り、さて人生も実に順調と言ったときに、またもや転機が訪れる。
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タイミングが悪いと言えなくもないが、今考えると、良かったとも言える。
とにかく、クリスマスから正月にかけて肺を摘出するために、入院することとなった。
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絶賛コロナ禍で面会もできず、妻は出産直前だし、何より手術日は妻と初めて出会った記念日・クリスマス。
実に申し訳ないことをした。
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同期の医者の計らいで用意してもらった、病院のVIPフロアの個室で、皮肉にも美しい夜景を見ながら、
年末で他の患者も家に帰ってしまい、あるいは静かな沈黙の病棟で、
水瀬氏のバラードが鳴り響いていたが、文句を言う人すらおらず(年末だから)
日も上らぬ早朝から叩き起こされ、手術の仕込みをされることとなるも、実に私は幸せな気分でいられた。
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とにかく手術は成功し、かなり異例の速さの回復具合だったようで、病院のいろんな医師が物珍しそうに見に来たのが印象的である。
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モーツアルトと水瀬いのり氏の曲がずっとそばにあったことは言うまでもない。
(ちなみに大きな手術するとき、患者は好きなCDを流せることが多い。私は「CDで」と言う記載を見逃していたので
主治医の趣味のデスメタルを聴きながら手術台に上がる羽目になった。覚えておいて損はないはず)
退院してまもない頃、これまた妻の陣痛が始まった。これまた妻を抱えるようにしてのせて、東京の真ん中あたりの病院に車を転がした。
妻は私の手術の話を聞いて、何を思ったか知れぬが、こどもが生まれる時は、水瀬いのり氏の「Happy Birthday」がいいと言うから、
私の娘は生まれたと同時に、水瀬いのり氏の歌声を聞くこととなる。
・
さて、色々と落ち着いた頃合いに、Apple CarPlayから水瀬氏の新曲「While We Walk」が流れた。
その瞬間、東京の車の喧騒はピタリと止み、娘すら泣き止み、静寂が私たちを覆った。
参考:https://www.uta-net.com/song/343412/
・
妻は大泣きしてしまった。それは、水瀬いのりに泣かされたように。
・
本当に、ありがとうございます。あなたのことばで、しあわせに近づけました。
全く関係はありませんが、娘には「いのり」と名付けました。
https://twitter.com/taiyonoibiki/status/1618254472249225216
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
全面核戦争へ秒読み開始 1/2
「私が間違っていると、どうぞ証明してください」スコット・リッター
Scott Ritter "Prove me wrong”/ Diane Sare
※残念ですが、私の限られた翻訳の時間の関係からスコット・リッターの発言部分(0:00~15:04)のみの全訳になります。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
返信先:
@taiyonoibiki
さん
①スコット・リッター:このフォーラムに招いてくれてありがとうございます。私はダイアンの合唱団が演奏するワグナー(モーツアルト)の『レクイエム』を聴いて、胸を打たれました。私は、ダイアンのようなクラシック音楽愛好家ではありません。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
·
21時間
②スコット:私は労働者階級の家に育ち、労働者階級的な音楽環境の下で育ちました。しかし、現在、私たちが直面している核戦争の危機を端的に表現していると思う音楽を私はここで紹介できます。 Johnny Cashの ”The man comes around”という曲です。実際に死の床から歌ったような凄みがあります。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
“And I heard a voice in the midst of the four beasts
And I looked, and behold, a pale(white) horse
And his name, that sat on him, was Death
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
私は目を凝らして、それを見つめた。私がそこに見たものは一頭の蒼ざめた馬であった。
それに跨る者の名を「死」という。
地獄が彼の後に付き従う。(TSSP
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
21時間
⑤スコット:まさにこれこそが、私たちが今いる世界です。私たちはここで遠い未を話しているのではありません。ここから見える直近の未来図は地獄のような地上の有様です。こうして私たちが話をしている間にも「死」が青ざめた馬にまたがっているのです。
The Sun Snores Press
@taiyonoibiki
·
21時間
⑥スコット:もし、あなたがまだその事に気づかないのなら、あなたはそのまま喜び勇んでその深淵へと向かうのです。ヘルガが話したアルマゲドン、水爆核戦争の深淵へと向かうのです。私たちは今、文字通り水爆核戦争の瀬戸際にいます。
「東京は既に軍事力の大幅な増強を決定。アジアの某国を舞台にしてウクライナ工兵への訓練を支援し、ナチ・キエフに対しては日立製作所を中心とした発電機合計300余機を直送するなど、具体的にもナチ・ウクライナ支援を進める。中国への攻撃手段と準備を開始することと併せて、中、ロからの報復を覚悟してと理解するが、果たしてそれが可能であるか否かは不明だ。私は日本列島を防衛するには魔術師でさへも至難との司馬遼太郎師の警告を憶い浮かぶ」
ドイツの豹戦車など意味がない。既にイタリアの戦車は歯が立たない。
「ウクライナが勝っているとそのカルトぶりを公に晒してなんら痛くも、痒くも、頬になにも疾らない人は、間違いなく死ぬ。なぜ死ぬかはこれから火をみるよりあきらかになる。そうでない人、生き残る可能性が強い人たちに向けては次の数字は有効に働くだろう。2022年2月24日からきょうまでナチス・ウクライナが失った数字だ。航空機374機、ヘリコプター200機、戦車及び歩兵戦闘車7,569台、特殊戦闘車813台、野砲及び迫撃砲965基、多連装ロケット・システム985基。地対空ミサイル983基、無人攻撃機2,903機。ここでもう一つの指標を記す。彼らが事変前に保有していた航空機は、戦斗機が98、特殊作戦機3、輸送機59、練習機61、ヘリコプター15、無人攻撃機6だ。誰が敗北するのか?。答えはもう出ている。それでも風車に向かって突進する。その答えは更にくっきり見える」
自慢げに見せられるラーメンどんぶりを見たらマイラーメンどんぶりが欲しくなることってない?
て言ってもさ、
そのマイラーメンどんぶりをラーメン屋さんに持って行ってこれにラーメンをよそってね!大将!って行くワケじゃないわよ。
自分で本格的にと言う意気込みで作る袋ラーメンは格別よねってこと。
たまーにそう言う袋ラーメンをこだわった作り方をする小池さん的か小泉さん的なもうどちらでもいいけど、
人のを見ると欲しくなっちゃうのよねー。
私の心にグッとくるラーメンどんぶりにはまだ出会えてないから、
いつか出会えるんだと信じて今日もラーメンどんぶり屋さんの暖簾を腕押ししたの。
逆にどれを選ぶか迷いきれなかったわ。
モノがあったらあったで迷ってどれかを選びきれない功罪ね。
使ってたら欠けたり割れたりすることってあるじゃない。
ラーメンの仕上がりに対して
まあ通常使っていたら、
そう言うことってあるから
そうなってもいいようにお気に入りのラーメンどんぶりはいつでもどこでも買えるホームセンターとかに常備してあるやつがいいんだなーって
そうなると選択肢はすでに時が遅かったように、
私は心のラーメンどんぶりを救いに行くためにホームセンターに駆けて行かなければならないのよ。
なになにを救いに行く!ってのあるじゃない、
まあラーメンだけに「てぼ」も欲しくなる、
文字通り麺を「すくう」って上手いこと言えちゃったけどね。
せっかくだから本格「てぼ」もあったら
湯切り技事典を読んで私も湯切りの技を繰り出せるようにしなくっちゃってね。
でもさ、
よくよく考えてみたら、
あの手の湯切りの技はあるのに
金魚を救うあの名前の「ポイ」の金魚すくいの技の名前事典ってなくない?
あれもあったら
夜店とかで技を披露する人が多数だと思うんだけど、
でもあの金魚プールの人混みの手狭な中で技を繰り出すなんてそうそう迷惑な話よね。
本格「てぼ」も欲しいところだけど、
洗濯機の脱水みたいに
強力な脱水させる装置との二種類が主流らしくて、
ひっくり返せばジャーズーってワケ。
勘違いおしゃれラーメン屋さんのジャズが聴けるテラスでラーメン格好つけてすすっている場合じゃないわって思うし、
やっぱりラーメン屋さんはAMラジオが一番似合うような気がするし、
ラーメンの麺に聴かせるとモーツアルトのように美味しくなるような曲があってもいいかも知れないわね。
美味しいらしいわよ!
そういう所は大抵、
うちの麺ジャズ聴かせてますって書いてあるからよく見てみてよ!
ズージャーを聴かせたメンラー屋のンメーって10回言えたら正に業界人だし、
その言葉を10回言ってここはどこって言って膝!って思いっ切り間違って答えちゃうぐらい赤面を喰らえばいいのよって思うわ。
メンだけにってね。
うふふ。
カフェオレ飲むだけにしたわ。
「オレ飲むカフェオレ」
って今考えたキャッチコピー、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20210210234834
本当に初心者への教え方ってもんがあろうに。
ここはお前の知識ひけらかしの場じゃねえ!(「え、あの程度でひけらかしとか…」って思うお前がすでにもうダメ)
まずだな。
(1)誰でも聴いたことのあるメロディーを含まれているもの。もしくは非常にノリがいいもの。
(2)できるだけ短いもの。
(3)ジャンルを選ぶ。
こんな感じ。
ポップスしか聴いたことのない奴は、クラシックはとにかく長い・退屈と思ってしまうから、交響曲とかをいきなり勧めてはいかん。勧めても1つの楽章だけだ。組曲も全曲じゃなくて1つの楽曲だけを紹介しろ。
(3)はオーケストラが好きなのか、ピアノが好きなのか、くらいでいいと思う。
オーケストラもしくは弦楽で、聞き覚えのあるメロディがあるものならこんな感じだ。よく入門的なCDやレコードにある奴だけど、そういうふうに導入としてすでに確立されているわけ。
10曲を厳選する。
・パッヘルベル「カノン」(「3つのバイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」)
・ベートーベン「トルコ行進曲」(劇付随音楽「アテネの廃墟」より)
・チャイコフスキー 組曲「くるみ割り人形」(これは全曲どれも有名なのでOK)
・モーツアルト 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(第一楽章だけでも全曲でもOK)
こうやって書くとなんか本当に「初心者向け」っぽくなるが、それでいいんだよ。初心者向けなんだから。自己顕示やめろ。
まあ、それを聴いたら、アレだ。ちょっと難しいのに手を出してみるのもいいな。
調子に乗っていたら、
とにかく大量の伝票を
私のやってることは仮想空間で、
これ今のタンポポだっけ?菊だっけ?って
怯えながら最初の一歩を踏み出すわけよ。
信じることにしたの。
それが一番大事!って言ってたわ。
実際ミカン倉庫の出荷からそのような商品はないというクレームが来ない限り、
私の伝票発行は間違っていないはずだから、
後は野となれ大和撫子というわけよ。
なんだか一丁前に
世の中の物流のな!って語り出したい気分だけど、
そう言う人に限って特に何もして無くて、
伝票発行機の端末の前で右から左へと
CSVを流しては出し流しては出しって感じの
覚えた手の人でも初めての人でもできる簡単なお仕事ですって感じすら漂い
私は猫ちゃんがいたら良いなって思うの。
きっと猫の手も借りたいところと言いつつ、
とりあえずね、
とりあえず午前中よく頑張ってくれたからって
手のひらに銀貨を3枚頂いたの、
実際は2枚だったけど、
帰りに銀貨1枚残るので
それで牛乳を買うの!ってそれ銀河鉄道の夜のジョバンニ!ってツッコみたくなるほどだったわ。
いいとしましょう。
でももうこんな感じで
とてもどの面下げておはようございます!と元気だけはあるようなふいんきで、
って変換出来ないふいんきを残しつつ、
って、だからそれは銀河鉄道の夜のジョバンニ!ってツッコんでもいいんだかんね!
うふふ。
昼ご飯を食べた後に言うのもなんなんだけど、
あと牛乳とヒーコーと。
カルのシウムは摂取した方がいいって言うし、
そのビッグウェーブに乗っかってるだけよ。
昨晩から漬け込んでおいた、
漬け込むというとお漬物みたいに聞こえるけど、
これは漬物じゃなくて
デトックスウォーターよ!って言い聞かせてモーツアルトの曲を掛けてビニルハウスで育てた苺とはまた違う感じに思ってくれるかもしれないってね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いま病室にいる。ここ数日ポンポンベッドを横に敷いて病室で付き添った。明け方まで呼吸があったんでウトウトしながら寝てたら突然看護師さんに声かけられて飛び起きたらさっきまであった呼吸の波形がモニタからなくなってる。
時々心臓が痙攣を起こすだけだ。
病室では母が合唱で歌ったモーツアルトレクイエムをタブレットで流してる。
聞こえはしないだろうが。
母、と書いているが、私が呼びかけるときはいつもお母さん、だった。
お母さんっていい響きだなと思う。
ピアノをよく弾いていたお母さんの爪をきれいに切ってあげた。ピアノ弾けないくらい弱ってから初めてお母さんの指の爪が長いのを見た。それまで鍵盤に爪が当たるのがいやだと神経質に短く切りそろえていたから。私はお母さんが弱って病院に入ったとき、お母さんの爪が伸びてるのを見たとき、すごくショックだった。初めてああ、お母さん、もうだめかもしれないと思った。
爪の伸びたお母さんなんてお母さんじゃない。
死が迫ってるんだなあと実感して悲しかった。
ありがたいことに、仲違いも喧嘩も散々したし、お互いを毒親毒娘だと思ってた時期も長かったのに、こうなると嫌なことはあまり思い出せない。
母の死に瀕して優しい顔をみて、私も優しいぃ持ちでいられることが嘘みたいだ。
何を書いてるかわからなくなってきたけど
お母さん、ありがとう。