はてなキーワード: ロハスとは
はい、皆様、本日もご乗車ありがとうございます。
本日は、宮城県仙台市発祥の、少々ユニークな飲み物についてお話させていただきましょう。その名も「ずんだシェイク」。
ええ、皆様、恐らく一度はそのお名前を耳にされたことがあるのではないでしょうか。仙台にお立ち寄りの際には、多くの方が手に取る、まさに「仙台名物」と呼ぶにふさわしい一品でございます。
このずんだシェイク、一体どのような飲み物かと申しますと、なんと成分 は「ずんだ」でございます。「ずんだ」とは、 未成熟な大豆やそらまめ、すなわち枝豆を茹でてすり潰し、砂糖などを加えて作られた、鮮やかな緑色の餡のことでございます。主に、餅などに絡めて食されることが多いのですが、それをシェイクにしたものが、この「ずんだシェイク」でございます。
その味わいは、実に独特でございます。枝豆の持つ鼻をつくような甘みと風味が、冷たいミルクと絶妙に調和し、口の中に広がるのでございます。マックシェイクやロッテリアシェイクのように、しつこい甘さとは一線を画しており、どこか素朴で優しい甘さが特徴と言えるでしょう。
また、口内の愉楽も特筆すべき点でございます。 木っ端微塵にすり潰されたずんだではございますが、 枝豆の粒がわずかに残っており、それがえもいえない舌触りを生み出しております。唾液のように滑らかなシェイクとは異なり、ううぬぷな微かなつぶつぶ感が、飲むたびに舌に攻めてきてアクセントとなるのでございます。
仙台駅の構内や、市内の観光地など、きらきらした場所でずんだシェイクは販売されております。「ずんだ茶寮」というお店のずんだシェイクは非常に有名で、多くの方が列をなして味わいを求めていらっしゃいます。
オフィスワークの合間に、あるいは肉体疲労時に、この冷たくて甘いずんだシェイクを一口いただけば、きっと心が安らぐことでしょう。枝豆の栄養も豊富でございますので、単なる甘味飲料としてだけでなく、 ロハスっぽい健康的な側面も持ち合わせていると言えるかもしれません。
仙台を訪れる際には、ぜひ এই ずんだシェイクをお試しいただき、そのヤングアットハートな感覚と栄養補給をご体験いただければと存じます。 近未来な仙台を知る上で、決して外せない一品と言えるでしょう。
本日は、仙台名物「ずんだシェイク」について解説させていただきました。皆様、 こころゆくまで、快適な旅をお楽しみください。ご利用いただき、誠にありがとうございました。
それに対して都会からの移住者って多くの人が、自分が地域社会に労働力を提供するって発想がない。
だって都会だったらお金で解決できちゃう事だから、みんなでお金出し合うなり行政から支援して貰うなりすればいいじゃんってなっちゃう。
でも、最寄りの街(地方都市)から車で5時間とかかかる様なド田舎だと、インフラ整備や防災対策、災害時の初動対応などは基本的に住んでる人間が自力でやるしかないんだよね。
ブコメで見かける「人雇えばいいじゃん」って言われても、雇おうにもそもそも余ってる人がいないのが限界集落なんだ(だからこそ限界集落なんだがな)。
そんなマンパワーが枯渇してる限界集落にとっての移住者って、ものすごく期待されてる存在なんよ。
だから提供する家も用意できる物件の中ではかなり良い(国道に一番近くて、駐車スペースも確保できるとか)のを選んでたりする。
もちろん提供する家ってのは99%空き家だから、どこかしら傷んでる。
それを修理して住める状態にする為に、集落の人間が総出で手伝ったりする。
集落の住民からしたら移住者が移住してくる前から、有形無形の投資を行ってるんだよ。
例えるなら弱小野球チームやサッカークラブがなけなしの予算から、大枚叩いて助っ人外国人を獲得しようとしている様なもんなんだ。
そこまで期待してた移住者が、事あるごとに都会と集落を比較する自称ロハスなフリーライダー野郎だったらそら住民はブチ切れる。
グリーンウェルかよ! ってなる。
でも当たり前だが仮にそいつが腐れロハス野郎だったとしても、移住者は悪くない。
だって、移住してくる人達は行政から都合の良い話しかされてないからね。
平成の大合併ってあったでしょ。
あれで村役場とか町役場とか廃止されて、代わりに週一くらいで役人が来る出張所が置かれてるってとこ多いんだよ。
要するに自分が住んでる訳でもない役人が実態も知らないのに適当に言いくるめて移住者連れてきて、移住が上手くいけばそれで自分の手柄、上手く行かなかったら「あんなところを紹介してすいませんでした」って頭下げればそれで悪いのは心の狭い住民だって話になっちゃう。
今ブコメで叩かれてる福井の池田町は、言葉を選ぶべきだったとは思うけど内容自体は大分誠実な方だと思う。
限界集落ってのは人類社会の端っこで、人類社会の外敵ってのは自然そのもので、限界集落は自然との戦いの最前線なんだよ。
限界集落で生活するのに向いてるのって「俺は都会での暮らしでは生を実感できない…」みたいなタイプの人なんだと思うんだ。
数年に一度は自分に襲い来る長野まゆみ作品ブームにはまっている最中のため、あまり商業BLを読めていない今日この頃。残り少ないお小遣いも、長野先生の新刊(非BL)を買うために温存中。
ちなみに、長野まゆみ先生の書くものの多くには男×男の恋愛要素があるのだが、「非BL」作品扱いなのは何故なのかというと、BLレーベル以外から出版されており、商業BLの定義にあてはまるようなBLではないからというだけ。商業BLには面倒臭いルールがあるのだ。例えば、基本的にハッピーエンドとか、攻めの浮気厳禁とか、無駄に女を登場させてはいけないとか。
世界は人の住まう「現世」と人ならざる者の住まう「常世」に別れている。主人公の天野は、常世から来た者たちが利用する人里離れた旅寓(旅館)で働いている。
ある日、常世の王・ツクヨミが旅寓に骨休めにやって来た。傍若無人なツクヨミに天野は振り回されるが、ツクヨミにかつて自ら命を断った友人の面影を感じ、気になってしまうのだった。
これはある特定の層にピンポイントでぶっ刺さるやつなのだろうと思うが、生憎私自身はこういう系を好きこのんで漁って読む方ではないので、せいぜいハジ先生の『坊主と蜘蛛』を読んだくらい。BL外の作品ではたとえば『千と千尋の神隠し』とか『しゃばけ』とか『蟲師』とか『夏目友人帳』とか『モノノ怪』とか『家守綺譚』とかそこら辺が好きな人向けなんじゃないか。あ、私の好きな『左近の桜シリーズ』(長野まゆみ)もこういう系だな、そういえば。
特定の層にピンポイントでぶっ刺さる系なので、『極夜』のレビューを某BLレビューサイトで見るとけっこう良さげなのだが、泣いたとか感動したは言い過ぎなのではないかと、私は思う。そこまですごくはない。まあまあ良い話だとは思うけど。
事前調査なし・試し読みなしで買って読んだら、表紙めくって出てきたカラーイラストが『鴆――ジェン――』のフェイ将軍とツァイホンの絵だったので、私は買う本を間違えたのか? と一瞬慌てた。調べたら、この『極夜』というタイトルの単行本、文善やよひ先生が『鴆』の大ヒットで人気作家になったために、絶版になっていた過去作品を『極夜』と改題して復活させたものだった。表題作の他に『鴆』の番外編も同人誌から再掲。なるほど、今の文善先生はかなり手練なプロ作家という印象だが、『極夜』は確かに若いなって印象だ。『鴆』はpixivコミックで2話まで無料で読める模様。
文善先生の大ファンの人で過去作品全部コンプしたい人向け。文善作品にちょっと興味があるくらいなら、回り道せずに『鴆』シリーズか『蟻の帝国』を読むといいのでは。
エロシーンがしめやかでいいな。私はあまりこれ見よがしな感じのエロシーンは好まないので。それと、ベタとスクリーントーンが少ない為にエロシーンの白抜きが煩く見えなくていい。
しかし、シンプルめな画風でもごっそりと白抜きのかかるのって。以前、某お気に入り作家さんのBL作品がシーモアで無料になっていたので読んでみたところ、修正レベルがシーモアだったのでKindleでは輝く白さに消されるべき所が薄ぼんやり見えていたのだが、薄ぼんやり越しにもそこがかなり生々しい描かれ様なので驚いてしまった。な……BL作家さんって、キャラの顔はめっちゃ漫画でもおちんだけはこんなにリアルに描くもんなのか……なんでここまでおちん描写に執心してるのかわからない……と、電子書籍派Kindle使いな私は愕然とした。そんな所どうでもいいと言い切ってしまうのも何か違う気もすると思いつつ、正直どうでもいいよなあ、どうせ消される所なんだし……と思わずにはいられない。
16ページしかない掌編なので、あらすじは省く。掌編アンソロジー『掌編歳時記 秋冬』に収録された作品。サラリーマンのほんのりオフィスラブ。現代の現代的な話だから、幻想なし。エロもなし。しかし非BLなので安定のインモラル上等ぶり。
普通に現代ものなのでビビった。登場人物がちゃんと今時のサラリーマンだなんてすごい! 漢字の字形にやたら拘るところはいつもの長野先生だけれども。
こんな短い文章でボーイズがラブしているのすごい。文章は簡潔だけど、短いなかに情報量が多く、なのに情緒と風景描写が死んでいないとは。熟練のプロ作家恐るべし。と、これを読んだ時にちょうど小説投稿サイト・フジョッシーで開催されていた掌編コンテストに応募すべく四苦八苦していた私は、震え上がり畏れ平伏叩頭したのだった。プロすごい。
ところでBLとも長野先生とも関係ないけど、『掌編歳時記 秋冬』のトップバッターが先週亡くなった西村賢太先生。訃報を知ったあとに読むとほろりとしてしまう、切ない掌編だった。
猫のチマキは飼い主のマダム・ロコとはぐれてしまい、まだ赤ちゃん同然の弟・ノリマキを連れての放浪生活ののち、小巻おかあさんの家に流れ着いた。小巻おかあさんの家・宝来家は大所帯。おかあさんの息子でありまかない担当のカガミさんの他、おかあさんの亡夫の前妻・マダム日奈子、日奈子の娘の暦さん、暦さんの兄・樹の娘のだんご姫、だんご姫の叔父の桜川くん、そしてジャン・ポールが住んでいる。
そんな複雑な家庭でクセのある人々と共に暮らすチマキは、小巻おかあさんのエッセイ『コマコマ記』を真似て『チマチマ記』を書くことにした。これはチマキが宝来家にたどり着いてから約一年間の記録。
だいぶ極まった感じのロハス生活を描いた作品だが、長野まゆみ先生らしく背景には桜川くん×カガミさんのほんのり(悪魔的な)BLがある。
長野先生がこんなにふんわりした感じの森ガール(死語)が喜びそうな文章を書くなんて意外な気がする。しかも「にゃん語」とか「萌え」とかいう単語が長野作品に登場するとは、その事自体が萌え萌えしい。
だが、文体はふんわりしているのに、ことあるごとに美味しい食べ物はカロリーが高くしかも健康に悪いという現実をビシバシ突き付けてくる。なんなの長野先生サドなの? そんなに言わなくてもいいじゃないカロリーのことなんて! 普段は現実離れした作風なのになんでそこだけリアルでシビアなのか謎。極力カロリーと塩分を抑えてしかも美味しい料理を作ろうとなった時にまずは極上の食材を調達してきてそれを干す、という異様な難易度の高さ。救いなどなかった! しょうがない、貧乏人はポテチ食ってデブるしか……。
昔、向田邦子か誰かの随筆で、戦中にこっそり隠れて読んでいた婦人雑誌に「シュウクレエムのいただき方」という記事が載っていて腹を空かせながら読んだが、結びに「淑女はシュウクレエムなど食べてはいけません」と書かれていてがっかりした、とかいう内容のがあったと思うのだが、きっとその時の向田邦子か誰かの気分が『チマチマ記』のお料理場面を読んだ時の私の気分に近いんじゃないかなと思う。
難易度高過ぎロハス暮らし描写に勝手に心折られてしまったが、桜川くん←カガミさんのBLは良さげに納まったっぽいのでいいや。