はてなキーワード: 慇懃とは
ちょっと待った。駿川銀行をボイコットしたいんだよね?不正融資に非道い顧客対応、ATMの不具合と泥対応。
だったら、「みんなで一斉に」分割して預金を引き出せばいいよ。徐々に、確実に。取り付け騒ぎになるから。
取引で利用している人もいるだろう、自分がかわいい。それはそうだ。でも、駿川銀行よりマシな取引銀行が地域にもしあれば、初めからそっちに行ってた。だから、駿川銀行がさっさと潰れてくれればいいと願う点ではみんな一致してるの。
二本足のコンパスで行こう。自分の身は自分で守る。これが主軸。かといって、二本目の足をいいように使われてはいけない。これはみんなのため。丸は、公益と自分のために描く。
DMが来たら冷たい目をして無視。アポとって営業に来たら、慇懃かつ嫌味を隠し切れない態度で、一線を越えさせない。皮肉より嫌味やイケズが効くよ。踏み込んで来られたら、即座に「絶縁」を検討すればいいし、チラつかせる。みんなで一斉に。弱者の聖なる杖だよ、絶縁カードは。
その上で。話は飛ぶけど、元シニアーズJrが米国で450億円の訴訟を起こしたニュースは知ってるね?日本での被害者は1000人。
話を戻すと、外圧を利用するといいよ。で、二つのサークルが交わるところにいる奴は、結節点としてバランスを取る役割がある。つまり、サークルのことはサークルで。頼りすぎては全てが没になる。
おしくらまんじゅうの一角で押さない人が1人いると、そこから均衡が崩れてゲームが成り立たない。
自分たちだけだとペイオフはゼロに近いプラスかマイナスだけど、外圧を利用することで明らかなプラスにもっていける。
駿川銀行が倒産するかは分からない。けれど、今よりいい生活はできるはず。きっと。
最後に、銀行側の金を貰ったスパイで、銀行側に有利で好都合な物語を流す中国人夫婦がいるらしいと聞いたことを伝えておきたい。
実写化でもまあまあ見れる、それどころかかなり良いかんじの作品も増えてきた。
くだらない話なんだけど、どこかに吐き出さないとやっていられない。
原作は、サイバーパンクの世界観で、探偵と助手のコンビを中心に展開するオムニバスである。
私は、作品を箱推しするタイプだ。ただ、この作品に関しては、主人公二人をかなり推している。関係性から人物像から、嘘じゃないかって思うくらい好みだった。
まず、助手の外見である。もともとは宇宙人で、地球の環境に合わせて体を作り変えたサイボーグだ。原作では、外見にひと目みればその人とわかる強烈な特徴がある。
アクションが多い作品ではあるが、探偵は戦闘(というか人を傷つけるのを)を好まないので全然戦闘能力がない。荒ごとはだいたい助手の担当だ。
主にこの二点だが、これがもう見事に無視されている。
わかってはいたが、こんなに清々しいと怒りよりもあっけにとられる感覚が強い。
助手は至って普通の女になっていたし、探偵は小さめのピストルを携帯し、いざとなれば助手の背後に迫る敵対者を撃ち殺してウインクなどしてみせる。控えめに言って解釈違いである。
助手の話をさせてほしい。
彼女(一応作中では彼女、と言われているので彼女と呼ぶ)の設定はやたらと複雑だ。もちろん、だからこそそれをすべて実写作品にも盛り込めなんて無茶は言わない。
私が許せないのは、前述した外見的特徴を消してしまったことだ。
これは、彼女のアイデンティティといっても過言ではないものだ。地球で一人っきりでいる彼女の、宇宙人としてのアイデンティティそのもの。これを製作者は取り払ってしまったのである。
この際、中性的で慇懃な言動が今どきの流行りに載っていわゆる「強い女」テンプレにはまっていたこともいい。良くないがまあ良い。いや、自分に言い聞かせてはみたがやっぱり良くない。
もともと、因縁があって探偵を憎んでおり、虎視眈々と彼を殺す機会をうかがっている助手である。
だが、無益な暴力は振るわない。その程度の分別もない愚か者だと思われているっていうことなんだろうか。
当然のように外見と性格の件でTwitterも炎上しているが、これについて制作側のコメントはない。
映画オリジナルのストーリーに関しては……アクションだけはよかったんじゃないかな。
助手が不意をつかれて攫われたり拷問されたりするなんてことは、原作を見ればありえないことくらいわかるはずだ。
助けにきた探偵を見てちょっと嬉しそうにするなんてこともまずない。
探偵についてもそうだ。
そもそも博愛主義で誰も(物理的に)傷つけないことを信条に動いている彼が、身を守るためとはいえ人に向かって発砲したり、まして頭を狙うなんてあってはならない。これは誰でも言うと思う。
人を傷つける探偵、正直ただの女の助手と同じくらい見たくなかった。
男女の組み合わせを安直にカップルみたいにする風潮、なんなんだろうか。
原作者の発言力ってそんなに低いの? それとも、原作者がGOサイン出したってこと?
なかったことにして原作を引き続き推すつもりだ。だった。本当だ。
助手が探偵に対してやや心変わりをしつつあるのを見たからだ。こんなに心が乱れたことはない。ていうか実写映像見たときだって正直まあそんなもんだなって思ってた。
でも、あんなに探偵を嫌ってた助手が、ほかでもない原作で、探偵を信頼しつつある。
もしかしたら、全体の流れからしたら、諦めとかそういう気持ちがわいてきても不思議じゃないタイミングかもしれない。
だけど、あの実写の後だ。
もし原作者があの設定を気に入ったんだとしたら?
これまでの設定を気に入ってた私みたいなファンはどうしたらいいのかな。
着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。
ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽者であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽者であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。
天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀(津川三松)の屋敷を訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利の分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家の嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利の分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康も新田氏の分家を自称していた。
関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。
征夷大将軍に就任した家康に謁見した際、室町幕府第10代将軍・足利義稙から山名氏当主に贈られた羽織を着用して賞された。
有職故実や和歌・連歌・茶湯・将棋などの文化、教養面に精通していた。室町時代の名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府の上級旗本として存続させた。
この「ご面倒様」という言葉、少々古風な感じがあって丁寧で好きなんだけど、馴染みのない人には「誤った日本語」として認識されることがあるらしいと知った。
「「御面倒様で御座いますが」……この敬語絶対間違ってるだろ……」
「御面倒様、御迷惑様、山梨に限らずありますね。正しい用法とは思えませんが」
「面倒って人じゃないし。せいぜいご面倒ではございますが、でいいんじゃないかと。用法としておかしくないかね?」
日本国語大辞典では初出として1838年の人情本から「ハイこれは御面倒さまで」という例が挙げられている。既に現代と近い使い方である。
同じく日国の例で、幸田露伴が「御面倒様と悪慇懃の挨拶する」と書いている。
少なくとも最近出来たような言葉じゃないし、これを誤りと決めつけることには極めて抵抗がある。
人以外に様をつけるから変というなら、「ご苦労様」や「お世話様」もいかんということになる(そんなことはあるまいよ)。
日本人は日本語を知らないという教授の弁を、大学の講義で聞いた覚えがある。
日本語に対する無知に無自覚な人間が「間違った日本語」を排斥していけば、日本語語彙の歴史的重層性や多様性が損なわれていく。
母語話者だからと驕るなかれ、未知の語に出会ったら正誤を判断する前に、せめて日国を引くくらいの手間はかけてほしい。まあこれはただの愚痴ですが。
ところで「ご面倒様」は専ら電車やバスなど運輸業従事者によって使われている印象がある。今では一種の位相語として生き残っているんかな。
主にYoutubeとかTwitterが原因なんだとはおもうが、若い世代でも意外と反中が増えてきた…気がする。
そして人々が異口同音に軍備拡張の必要性を訴えるのは、軍事力を持つことが中国に対する脅威となるからに他ならない。
しかし、常備軍を200万人も抱えている人民解放軍にそんなこけおどしは全くもって意味がないと思う。日本が10万人の自衛隊員を単純に10倍に増やすだけでも維持費が今のおおよそ10倍になることは予想がつくし、ましてやデプロイに行き着くまでの費用は計り知れないものがある。
そんなに軍隊がいても正直言って戦争が起こらなければただの無駄飯食いになる恐れだってある。
「核を持てば良い」なんて言う輩もいるが、それこそ中国の思う壺ではなかろうか。
血に飢えている中国にとって日本の核武装化は戦争をふっかける良い種になるだろう。
だからこそ日本は中国に対しては慇懃に振る舞いつつも、アメリカの傘からはみ出さないようにしっかりと根回ししておくべきだと思う。
「アメリカ様に頼るとかwww」と後ろ指を指されたとしても構わない。日本が真面目を装いつつ資本主義国家として確実に生き残るにはその道を除いてありえないだろう。
昔々、横浜は関内に住んでいた時のことだ。この関内、は文字通りであってJR(さすがにもう国鉄ではなかった)の駅から海側のエリアである。諸氏はそんなところに住居があるのかと驚くかもしれないが、当時は雑居ビルの上の方に思ったよりは多く転々と貸間があった。ただし、下の方からは常に酔客の声やカラオケのだみ声(後学のために申し上げると、カラオケ騒音で一番外に響くのはよりにも寄って音痴なおっさんの胴間声であって、BGMは全く聞こえぬ)が常に聞こえ、よく言って華やか悪くいうとそりゃ真っ当な借り手はなかなかつかねぇよね、ということになる。
その時は-このシノギだけは真っ赤な嘘の話だが-、石化パイプライン屋の営業部隊に属して、港町には良くある怪しい中東系商社から注文を取って糊口をしのいでいた。中東系商社は母国の都合で動く。つまり、朝は遅く夜は次の日が来るぐらいまでが仕事のピークである。こっちもそれに合わせて変則的な労働時間で暮らす。それはいい。だが困るのは飯だ。飲み屋以外で食い物屋なぞない。コンビニと牛丼屋ぐらいはあるが、毎日ではつらい。トドメに、下戸である(中東屋さんとしては問題ないのだが)。飲み屋の線はこの段階で選択肢としてはさすがに消える。
ある雨の日、所要があって珍しく海側から我が雑居ビルへと帰途を辿っていた。いつものように腹が減っていた。あの辺り一帯は、細長い区画が一応碁盤の目状に並んでいる。一回右に曲がって一回左に曲がれば、どの通りを選んでも貸間に帰りつけるのは、小学校でやった懐かし「場合の数」だ。ただし、客引きのおねぇちゃんがうるさい通りというのがあり、こいつは敬遠せざるを得ない。
考えもせずひょいっと辻を曲がった先にあったのが、未明なのになぜか営業していたイタ飯屋だった。外のケースに入れられていたメニューは、いつもの夕食よりはちょっと高めだが、出せないほどではない。いい加減雨にも追われている、パスタとグリルを頼めばまあ恰好はつくだろう、たまには人がましいものが食いたい、そう思って扉を開ける。慇懃で痩せぎすのウエイターが案内したのは入り口近くの窓際の席だ。他に客はいないが、フリの怪しい安スーツに着られたような小僧っ子には、そんなもんだろう。
出されたメニューから慎重に安めのパスタとグリルを頼む。グリルは肉、シンプルに塩だ。呑むのはお冷。酒は頼まないし、ソフトドリンクに金を払うのは当時としては、ばかばかしく感じられていた。人心地ついて、水をすすりながらぼうっと薄暗い店内を見渡すに、どうもややちゃんとしたリストランテなようだ。しかし客は他にない。いればどんな店かも推量が利くというのに。そもそも、ちゃんとしたリストランテが酔狂にもかくも深夜まで空けているのか、さすがにいぶかしんだが尋ねるほどの気安さもない。ウエイターはほぼ厨房の入り口あたりの定位置に戻って、こちらには目もくれない。
ほどなくして出てきたパスタ、そしてグリルは確かに旨かった。これこそ久々のちゃんとした食事という奴だ。しかしただの大喰らいの悲しさ、昔の料理を思い出して論評するなどということは出来ない。しかしいくらなんでもちゃんと仕事をしてある2皿だ、ということ位は判る。悪くない。遅い晩餐の唯一の欠点は、こちらがやたらと水を飲むことだ。端から置いてあったグラスにサーブされたお冷は数回おかわりした。そしてさすがにリストランテ、見ていないようでウエイターは、こちらの水が切れると音もなくお代わりをちゃんと入れていく。それはちゃんと冷えていて、薄手のグラスに汗をかかせる。全く悪くない。
少なくとも追い出されはしなかった、塩を撒かれるほどの醜態でもなかったはずだ。そう思って、月に一回ぐらいは帰りがけに足を延ばした。向こうからすれば余程奇矯な客なんだろう、二回目からは、パスタと一緒に銀の水差しがサーブされてきた。嫌味かもしれないし、サービスかもしれない。お互いそっちの方が楽だもんな、それも悪くない(というとさすがに上から目線過ぎるか)。ウエイターは今度こそこっちの方を見ないで済んだはずだ。
佳き日は往々、突然に終わりを迎える。ある日、また人がましいものを食おうと思って店の前にたどり着くと、レストランは深夜営業をやめていた。そりゃそうだ、通った間、一度として他の客なぞ見たことはなかった。店としては、同伴とかお仕事帰りのお姐ぇ様方が使う心づもりだったんだろうが、どうしたって来たのは貧乏神めいた小僧だけだったのだから。さすがに空気よりはましだった、とは思いたいが、そんな細っちい客は切って捨てるのが当然の経営判断だ。
今にして思えば、どう考えたって利幅の薄い立派な不良顧客である。あのウエイターだってその奥にいるシェフだって、態々残業してきたのがあんなのだった、というのは落胆した事だろう。しかし、出てきた料理は真っ当だったし、ウエイターもあからさまに追い立てるそぶりはかけらも見せなかった。あの当時なら少なくとも匿名で世間様に晒されるようなことはなかった。もっとも晒されたとしたところで、こっちの低いアンテナに引っかかるものかは疑問が残るが。
ほどなくしてこちらも横浜を引き払った。まだあの店があったとして、出世払いに赴けるほどの立身は遂にしなかった。或いはケチって水ばかり飲んでいたツケかもしれない。そして時々人がましいものを食いたい時、まだ入る店には迷うのである。