はてなキーワード: バリアフリーとは
ネットの世界では世間は子連れへのヘイトで溢れているみたいに書かれているけどそんなことはない
子連れだとみんな優しいし、年配の方はにっこりしながらベビーカーをチラッとみて微笑んでくれる
普通っぽい人は言わずもがな優しいし、ヤンキーっぽい見た目の人も子連れには普通に優しい
公共交通機関で嫌な思いもしない、助けてください〜と言えばサラリーマンっぽい人も主婦っぽい人も助けてくれる。もちろん設備のせいでどうしようもない事、バリアフリーでないとか段差が多いとか、はあるけど素直に助けを求めれば助けてくれる人は必ずいる
ネットの世界では子連れだと肩身が風当たりが悪いみたいな論調だが実際に子どもを連れて歩いてみて感じるのは世間の優しさだと思う
みんなもそうだろう?
みんなどこに行くのか知らんけど歩きまくってて、激混みだった
休もうと思っても空いてる椅子がない
仕方ないので持ってきた椅子で休んだ
大屋根リングは圧巻だしそこから見える景色も綺麗で、壊すのはもったいないな
建設費が350億円だし
あんなの作って見れるの今だけだよな
モン・サン・ミシェルと厳島神社を綱で繋いだり
オリーブの木を植えたり
行きたかったな
でも合計10数個のパビリオン回れたし、花火もドローンショーも見れたし満足
食費と交通費くらい
運営費は黒字だと言ってたけど警備費とか建設費とか合わせたら完全に赤字だよな
税金の無駄遣いとは思ったけど、使ってしまったのなら、行かなきゃ損だよな
そんな気持ちで3回行ったよ
50年後ならギリいける気がする
ぶっちゃけこれって構造的な問題であって、お母さんも子供もそれの犠牲者なんですよね。
なんで子供たち(に限らないですが)が靴のかかとを踏むかというとちゃんと靴を履くのが面倒だからですよね。
で、なんで靴を履くのが面倒かというと、日本の家や生活習慣や教育機関が靴をちゃんと履ける環境になっていないからです。
日本の家は、といっても一軒家を除くんですが、玄関で靴を座って脱ぎ履きするようになってないんですよね。
一軒家でちゃんと上がり框がしつらえてあれば座って靴を履いたり脱いだりできるんですが、集合住宅だとたたきと5cmくらいの段差があるだけで座れる構造になってなくて、立ったまま靴を脱ぎ履きしないといけないようになっています。脱ぐときに靴ひもをほどいて、履くときは靴ひもを緩めて足を入れて靴ひもを締めて結ぶというのがきちんと靴を履くということですが、立ったままこれをやるのはかんりしんどいし、腰への負担にもなります。それでどうなるかというと、いちいち靴ひもを緩めたり締めたりしなくていいようにずっとゆるゆるにしておく、それでも面倒だからかかとは踏んでサンダルや草履みたいに履けるようにしてしまう、と。まあもともと日本人は草履と下駄を履く生活をしていたわけである意味原点回帰といえるかもしれないですね。最近はバリアフリーということで一軒家でも玄関の段差も低めになってたりスロープになくしたりするみたいで、ますます靴を履きにくくなっているのかもしれませんね。玄関に段差があるのは、日本では家屋を高床式にして基礎を30~50cm高く作るようになっているからで、これは湿度が高い気候で地面が湿っていて水害もままある土地に木造住宅を建てるには必要なことなんでしょうね。
それで次の問題は、そういうあまり靴をちゃんと履けるようになっていないところで靴をちゃんと履いても子供たちが学校に行くとせっかく履いた靴を脱げとなる上靴下靴文化ですね。せっかく靴を履いても30分もしないうちに脱げと言われるんじゃ、まともに履く気にはならないですよね。そして上靴を履くときに靴を履くための環境は全く用意されておらず、登校してきた子供たちがひしめく中で立ったまま履かないといけないわけです。立ったまま靴を脱ぎ履きできるようになることは新小学一年生が最初にできなくてはならないことの一つだそうです。学校が率先して靴の変な脱ぎ履きの仕方を教えているということですね。それで、休み時間にグラウンドで遊びたいと思ったらまた上靴を脱いで下足に履き替えないといけないし、休み時間が終わったらまた下足を上靴に履き替えないといけないし、グラウンドでの体育や校外学習があったりするとその時も同様ですね。なんというか日本の小学校に足育なんて夢のまた夢、学校がかかとを踏む子を育てていると言っていいでしょう。
大人は子供たちほど靴を脱ぐ場面があるわけではないですが、子育てしていると保育園の登降園時に発生しますし、職場でスリッパに履き替える人がいたり、履き替えないといけない職場だったり、デスクの下で靴を脱いでいたり、昼食や夕食に行った先が座敷だったり、ということもありますね。ちゃんと座って靴を脱いだり履いたりして、靴ひもを結びなおしている人がどれだけいるでしょうか。そもそも靴ひもは毎回結びなおさないといけないということを知らなかったりしますよね。子供のころからそういう風に指導されてませんからね。
まあ、そういうわけで靴のかかとを踏んでしまうのは、靴をきちんと履ける場所がないことと、それにもかかわらず高頻度での靴の脱ぎ履きを要求されるから、ということになりますね。
表現の自由戦士の厨二病臭さというのかな、傍から見て本当に耐えられなくなってる
かなり前なら漫画「ヘルシング」の大佐のノリでフェミに「よろしいならば戦争だ」とか画像リプ送ったり(敵認定の奴だけじゃなくて仲間扱いにもクソみたいな画像リプしてくる)、
シーライオニングって用語もあるけど、慇懃無礼でやたら敬語は使うんだけど「それは〇×ということでよろしいですか?(絶対相手は言ってない)」「それは△◇なのではないでしょうか?(相手は全然違うこと言ってる)」みたいな食い違いばかり生じさせるやり取りする奴がいたり、
前に障害者の電車移動とか映画館のバリアフリー問題を攻撃してたやつが、絶対差別問題に関して思うところないのに「それだと障害者差別と同じじゃないですかー」とか言い出したり、
聞いてもないのに「銀英伝では~」「ガンダムでは~」みたいな作品語り、作品に絡めた自分語りする奴がいたりで(そもそも現実の話題に漫画の話引っ張ってくんなよ)、
うちも表現規制にはいろいろ思う所はあるけど、本当にそういう連中のノリが嫌で、巻き込まれたくないからXとかで話題発信するの止めてる
わたしの職場は、昭和時代に建てられた8階建ての雑居ビルの5階にある。
エレベーターは2基あって、1基は無理やりバリアフリー化されている。
通常のボタンの他に車いす用のボタンがあって、そちらを押すとドアが閉まるまでの時間が少し長めに設定されている。
朝の始業時間帯はエレベーターが混み合い、満員で乗れないこともある。
そんな状況で、自分が車いす用のボタンを押してしまうと、わたしより上の階で降りる人がドアの開閉の遅さにイライラしてしまうかもしれないと気になってしまう。(というか自分がそれを自分より下の階で降りる人にされてイライラしてるw)
なので、乗り込んだ時に車いす用のボタンが近くても、できるだけ通常のボタンを使うようにしている。
そもそも車いす用のボタンと通常のボタンの押下時の違いについてこのビルの大半の人は知らないんじゃないかと思うけど、勝手に気遣ってやってるだけ。
誰にも気づいてもらえないのがちょっとむなしくなって、書いてみた。
30年の住宅ローンを変動金利で組むと将来5%以上になる危険があります。
値上がりで転売期待できないような高額物件を目一杯借りると一生ローンの奴隷確定になりかねません。
そうなると金融資産を複利で増やすのと真逆の人生を送ることになります。
①三十歳、頭金をコツコツ貯めてから、
築古物件で5~10年で無理なく返せるボロ物件を買って休みの日にコツコツとリフォームしながら住まう。
余剰資金でニーサの投資信託の積立月額3.75万円も開始する。
②四十歳
③五十歳
さらに二十年目にもう少し高い中古物件を買って二軒目も賃貸する。
④六十歳
さらに三十年目にもうすこし高い家を買って綺麗にリノベして新築そっくりにする。
⑤七十歳
なってます。
三軒の家賃も200~300万円くらいの売り上げです。
年金も200~270万円くらい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2590579
自殺率が低下してアメリカより低くなってるとか知らない人山ほどいるし。
性犯罪率も世界でもかなり低いが、何を言っても暗数でかなり多いと思ってる。
バリアフリー率が高くてもそれは調査手法が悪くて嘘ついてるから信じられない。
日本人自身が自国を知らないって言われる原因の一つになってると思う。
基本的に人のうわさしか信じてない。だから日本すげーの外国人から褒められる番組や動画がもてはやされる。
統計データみりゃそんな証言なしで「日本の地下鉄はバリアフリー率すごい」って自分でわかる。
でも外国人が日本の地下鉄はバリアフリー率すごいって言わないからわからない。
現在開発されているヒューマノイドロボは二足歩行ではなく台車が採用されているのがほとんどだ。
二足歩行はまだ難しく、転倒リスクもあるので、台車は妥当な選択肢だとは思う。
で、もし現在の台車型ヒューマノイドロボが普及したら、それに合わせて住居も設計されるわけで、それは意図せずバリアフリーを達成しそうに思う。
台車でも通れるように、階段や高い段差をひたすらなくしていけば、それはもうバリアフリーだろう。
バリアフリーではない物件は、台車型ヒューマノイドロボを使いにくいので、価値が下がる。
また「選挙にいかないのはバカ」みたいな発言を目にして、ため息をついた。
僕は最近、たぶん20年くらいは、選挙にいっていない。あの用紙がまわってきても、ゴミ箱にポイしてる。
それは「自分の一票じゃなにも変わらない」とか、そんな単純な理由じゃないんだよ。むしろ、その逆で、自分の一票が、結果に影響するのがイヤなんだ。
たとえば、子供のいる家庭の人だったら、教育の無償化や給食の無償化。不妊治療してる人だったら、不妊治療の保険適用。カラダに障害のある人だったら、バリアフリーを促進します!みたいな人に投票するってことじゃない。
人それぞれ、いろんな理由があると思うけど、選挙って自分の立場が有利になりそうな人に入れてるんだよね。要するに、その政策によって、自分の利益を最大化してくれそうな、人や団体に投票しているってこと。
これって、言い換えると、自分の利益しか考えてない人たちの多数決の結果であって、政治的な正しさなんて、ひとつもないんだよ。
僕の場合は、結婚もしてないし、子供もいないし、社会的弱者でもない。いや、弱者ではあるけれど、正式なライセンスをもっていないから、弱者認定されてない。
だけど、たとえば、僕みたいな独り身がもろにダメージを受ける政策を掲げている人が当選しても、それで未来の人(子供たち)や、生活に困ってる人が幸せに暮らせるなら、まったく問題ない。
つまり選挙は、暮らしに困りごとのある人がいくべきで、とりあえず支障のない人は、スルーするのが大人。
わかったか。
はてな、Youtube、TikTok、SNSあたりよく見てる
1,2年前の記事でのエスカレーター歩行+片側空け問題では「歩くべきじゃない」が6割くらいだったと思う
全プラットフォームで「歩くべきじゃない」は2割くらいになっていた、「歩けるようにするべき」とまではいかないが、対応への批判や不満がほとんどという状況で
・都内や混雑する場所+駅や急ぐ人が居る場所では片側空けした方が良い
・それ以外では別にしなくてもいいと思う(自分の実家では駅以外にその文化すらなかった)
なんだけど、それよりエビデンスも乏しいのに国や自治体が推し進めてることに反感を覚える
まるでマイクロプラスチック問題や、レジ袋問題みたいな気持ち悪さがある
と言う認識
なんなんだろうね?
エスカレーター協会の調査(2018年〜2019年)では、年間1550件、半分が「乗り方に問題があった」だけど、細かい情報はなし
事故件数は増えていて、理由はもちろん高齢化、事故の46%が60歳以上
多いのは乗口/降り口での事故(そりゃそうだ、要はコケたんだろ?)
キャリーバックや歩行補助器での転倒も多い
そもそも1500件ってどれだけ少ないんだよって話、あくまで死亡事故じゃないからね?
こんなの階段の方が多いだろ
__________
ChatGPTに反論してもらった
1. 「歩かないで」キャンペーンは“気分”ではなくリスクマネジメント
JEA第9回調査(2018-19)――全国1 ,550件中「乗り方不良(歩行・逆走等)」805件=52 %。60歳以上が46 %を占める。
■国交省《転落防止ガイドライン》「正しい乗り方の普及が最も効果的」
埼玉県条例・啓発ページ:「片側を空ける慣習は片手しか使えない人・視覚障害者を危険にさらす」
■バリアフリー法ガイドライン(旅客施設役務編)――案内・掲示で“全利用者が安全に立ち止まれる構造・運用”を求める
MLIT 判例調査:エスカレーター事故は所有者側が訴えられる事例が多数(管理注意義務)。 同ガイドラインではロンドン地下鉄の実験を引用し「両列立ち止まりで輸送能力+30 %」と明記。
■建築基準法24条・鉄道事業者の安全配慮義務(民法709条)
省略
・バリアフリー法・判例リスク・混雑緩和という“3つの政策ニーズ”が重なった――
所感
世の中、婉曲的な表現が必要な場面もあるというのは承知しているが、「うわべを取り繕って本質から目をそらしてるだけだろ」と思うことが少なくない。
いちばんポピュラーなのは「障がい者」だろうか。害という字がネガティブなイメージを云々、と人々は言うけれども、文字表記だけ改めるよりも施設のバリアフリー化を進めるとかのほうがよっぽど重要じゃないのか?
「プラスサイズ」なんてのもある。いやただのデブだぞ。自分のありのままの体型を認めるっていうなら、そんな単語を新しく作り出す必要ないだろう。本当は自分がデブであることを認めたくないから、プラスサイズなどと語感だけ取り繕って、なんとか自分を正当化しようとしてるんだろう。
「セルフプレジャー」だと?オナニーでいいんだよオナニーで。オナニーなんて恥ずかしくて言えないけど、セルフプレジャーは人間として自然な行為なんですってか?やってることは結局股間をまさぐってるんだぞ?何も変わらないぞ?
とまあこんな具合に、中身は何にも変わってないのに言い方だけを変えてみて「先進的で高貴なことをしてるんです」と主張するような風潮が、私は嫌いなのだ。
・久地駅は改札口が東側にしかない。駅の西側の住民は、踏切を渡って東側の改札に向かうしかない。
・踏切は普段から車通りが多いが、朝の通勤時間帯はさらに渋滞する。
・踏切の幅も狭いため、通勤時間帯の歩行者はすぐ横を走る車にかすりそうになりながら、踏切の端を歩いて横断することになる。
・その結果、無理な横断による電車の急停車が多発し、他駅の南武線利用者からヘイトを買うことになっている。
・以前から地元の共産党市議が、駅の高架化や改札の追加を要望しているが、どちらも簡単でないのは素人目でもわかる。
・高架化のためには用地が要るが、久地駅周辺は密集した住宅街であるし
久地駅ホームから川崎方面を見れば急カーブ、立川方面を見れば目と鼻の先に府中街道と東名高速の高架橋が覆いかぶさっている。
・西側に改札を追加するのはまだ現実味があるが、バリアフリーの観点などを考えると
ただ改札とホームに上がる階段をつければいいというものではないので、相応のスペースが必要になるがそんなスペースがあるようには見えない。
東北新幹線は東京~新青森間の幹線と、途中で分岐する山形新幹線(福島~新庄)および秋田新幹線(盛岡~秋田)のミニ新幹線系統から成ります。
現在、山形新幹線「つばさ」列車は福島駅で東北新幹線の「やまびこ」列車と、秋田新幹線「こまち」は盛岡駅で「はやぶさ」列車と、それぞれ併結・切り離しを行い東京まで直通運転しています。
しかし併結運転はダイヤ編成上の制約を生み、東北新幹線本線の高速運転に影響を及ぼす要因となっています。
本提案では、山形・秋田新幹線と東北新幹線の併結を取りやめることを前提に、東北新幹線の速達性を最優先した最適ダイヤ案を検討します。
現在、東北新幹線では東京~盛岡間で写真のようにE5系「はやぶさ」(緑)とE6系「こまち」(赤)の併結運転が行われています。
併結相手となる車両性能に合わせる必要があるため、旧来はE3系「こまち」を併結すると最高速度275km/hに制限されていました。
最新のE5+E6編成では320km/h運転が可能ですが、併結そのものを解消すれば車両性能差による速度制約や連結・切り離し作業時間を排し、ダイヤ編成の自由度が向上します。
また、福島駅で「つばさ」を併結する際には、やまびこ列車が上下本線を横切るため下り線を2度塞ぐ必要があり、これが大きなボトルネックになっています。
併結をやめ別々に運行すれば、こうした平面交差の支障も発生せず、本線ダイヤの安定化に繋がります。
東北新幹線本線については、速達タイプの「はやぶさ」系統による高速運転を最優先します。
具体的には、はやぶさ型列車(東京〜仙台〜新青森・新函館北斗)は可能な限り高頻度・高速度で運行し、停車駅も主要駅に限定します。
併結解消により、本線上の速達列車は常に最高速度で走行でき、途中駅での併合待ち時間も不要となるため、所要時間短縮と定時性向上が期待できます。
例えば、山形新幹線用の新型車両E8系は併結しない単独走行時に宇都宮~福島間の最高速度を現行275km/hから300km/hに引き上げ可能で、実際に2024年ダイヤ改正では東京~山形間の所要時間が13分短縮される列車も設定されています。このように各列車が本来の性能を発揮して走行できるダイヤとし、東北新幹線全体のスピードアップを図ります。
速達列車の運行本数は、現行より増発して輸送力と頻発性を向上させます。
東京駅発着の一日あたり本数枠に留意しつつも、併結廃止で生じる時間的ゆとりを活かし、日中時間帯では概ね10~15分間隔で「はやぶさ」系統が発車するダイヤパターンを目指します(1時間あたり4本程度を想定)。
停車駅は東京・大宮・仙台・盛岡・新青森(北海道直通列車は新函館北斗・札幌方面)など必要最小限にとどめ、仙台以南はノンストップ運転の速達便も織り交ぜます。このような速達重視の体系により、首都圏~東北各都市間の所要時間を可能な限り短縮します。
山形新幹線(福島~新庄)は併結運転を行わない代わりに、本線列車との接続改善によって利便性を確保します。
具体的には、つばさ列車は福島駅で本線列車と乗換え接続する運行系統とします。現在、山形新幹線は1時間に上下各2本程度(うち1本はやまびこと併結、もう1本は単独)運転されていますが、これらをすべて単独運転とし、原則福島発着とします。
福島駅では東京方面・仙台方面の東北新幹線「やまびこ」または「はやぶさ」に対面乗換えできるダイヤを組み、乗換え時間は最小限(数分程度)に抑えます。
例えば福島駅14番線に山形新幹線つばさが到着し、向かいの13番線に東京行き「はやぶさ」が同時刻に停車する、といった対面乗り換えを実現することで、乗換えの負担を軽減しつつ本線列車への速達運転移行を図ります。
福島駅の分岐設備改良(上下アプローチ線新設)は2027年春に完成予定であり、これにより同駅で上下それぞれ独立したダイヤ編成が可能になります。
本提案ダイヤではこの新設備も活用し、山形新幹線列車と東北新幹線本線列車が福島駅でスムーズに接続できる時刻調整を行います。
なお、山形新幹線「つばさ」については朝夕の多客時間帯に限り東京直通の列車を存置することも検討します。
併結なしでもE8系であれば東京~福島間を最高300km/hで走行できるため、東京直通の単独「つばさ」も十分高速なダイヤを組めます。
これにより、山形方面から首都圏への一席乗車ニーズにも配慮しますが、基本的には福島駅での乗換えを前提とし、本数やダイヤパターンを設定します。
秋田新幹線「こまち」については、東京~盛岡間を東北新幹線「はやぶさ」と別個に運行します。
E6系「こまち」は最高320km/h運転が可能であり、本線上でも他のはやぶさ列車と同等の速達性を確保できます。
そのため、現行は必ずはやぶさと併結していたこまちを単独列車として東京~秋田間直通で運転し、これまで盛岡駅で行っていた連結・切り離し作業時間を削減します。
こまち単独運行により盛岡駅では最短の停車時間で発着できるため、はやぶさ系統は盛岡での長時間停車が不要となり、速達性向上に寄与します。
東京~秋田間についても、盛岡駅での乗換え無しで引き続き直通列車を確保することで、利便性への影響を最小限に留めます。
ただし、将来的に北海道新幹線札幌延伸などで東北本線の列車本数増加が見込まれる場合には、秋田新幹線についても盛岡乗換え方式(盛岡発着のシャトル列車化)への移行を検討します。
今回は利便性確保の観点からこまち直通を維持しましたが、仮に盛岡乗換えとする場合でも山形新幹線と同様に接続改善を図ります。
盛岡駅にて秋田方面と東京方面の列車が同一ホームまたは短い乗換経路で接続できるダイヤを組み、乗換え時間を極力短縮します。
盛岡駅は全列車停車となっていることから、ダイヤ調整の自由度は高く、接続列車同士の待ち時間を最小化することが可能です。
併結解消による運行本数・間隔の見直しでは、東北新幹線本線と各支線の列車設定を柔軟に最適化します。
まず、本線速達列車(はやぶさ)は需要に応じて増発し、終日均一間隔で運行できるようにします。
例えば毎時4本のはやぶさを基本とし、その間に支線直通列車や各駅停車型の列車を挿入していくダイヤ構成です。
速達列車増発によりカバーできる区間についてはやまびこを削減し、中距離需要は速達列車で代替します。
実際にJR東日本は2024年のダイヤ改正で東京〜盛岡間の「やまびこ」計4本を速達型の「はやぶさ」に置き換えており、本提案でも同様の比率見直しをさらに進めます。
昼間時は速達系:各停系 ≈ 3:1程度の割合とし、各停列車は主に東京~郡山・仙台間や仙台~盛岡間のローカル需要を担う列車に集約します。
山形・秋田の各支線列車は、それぞれ毎時1~2本程度の運行本数を確保しつつ、本線内ではできるだけ他列車とパターン的に噛み合うダイヤとします。
例えば1時間のうちに「はやぶさ」3~4本(そのうち1本は盛岡で秋田新幹線に接続)、「やまびこ」1本(福島で山形新幹線に接続)、山形新幹線「つばさ」1本、秋田新幹線「こまち」1本…といった具合に配置し、過度に列車が集中したり間隔が空いたりしないよう調整します。
併結運転をしない分、東京駅の発着枠を余計に消費する制約はありますが、福島駅での平面交差支障の解消や盛岡駅での滞留時間削減によって線路容量にも若干の余裕が生まれます。
その範囲で運行本数全体の底上げと、混雑時間帯の増発(例えば朝夕ラッシュ時に速達列車を集中投入)を行い、輸送力とダイヤの均一性を高めます。
併結取りやめによって必要となる乗換えについては、綿密な接続ダイヤ調整でカバーします。
本線速達列車と支線列車が分離運行となる福島駅・盛岡駅では、乗換導線と待ち時間の最短化を図ります。具体的には以下のような施策を講じます。
以上のように、乗換えに伴うタイムロスや不便感を最小限に抑えることで、山形・秋田両新幹線の利便性低下を可能な限り補います。
接続ダイヤの最適化により、たとえ途中乗換えが必要になっても実質的な所要時間増加をほぼ生じさせず、「乗換えがある直通」といった感覚で利用できるサービスを目指します。
以上のダイヤ案により、東北新幹線は本線長距離利用客へのサービスを飛躍的に向上させつつ、山形・秋田の各ミニ新幹線利用者にも接続改善によって一定の利便性を提供できます。
併結運転を解消することで高速化・頻発化とダイヤ編成の柔軟性向上が可能となり、東京発着の列車容量を最大限に活かした効率的な運行体系が実現できるでしょう。
今回提示した案は一例ですが、速達性と運行効率を最優先に据えることで、東北新幹線全体のサービスレベル向上につなげることが期待できます。
ネットでは私立に公金を費やすのがおかしいと散々議論されてるけど、まず、みんな前提がばらばらだと思うんだ。
私立って地域と学校によって役割が違いすぎるんだよ。みんな、なんとなく自分の地元や子供の学区をイメージして語るけど、それだってたったの2例だけ。2例じゃ全国の私立は語れない。
ハイレベルが通う超進学校から、ほぼほぼ専門学校な特殊なカリキュラム、勉強できない子の地域の受け皿など、ばらばらなんです。通う世帯の所得層もばらばら。
そもそも人口が増えた時代に公立がまかない切れない部分のバッファとして機能したのが私立なので、子供の数が減ったからって今更じゃあさよならって出来ないのが国の辛いところね。
そんな歴史的背景からも、今の受験生の実情としても、国は私立を見捨てられない。首都圏が顕著で、子供たちは私立を優先的に選んでしまうから。
で、当たり前のように「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」という説が叫ばれるけど、実はこれってすごく残酷な表現ですよね。本当はお金じゃないのに。なにを学びたいかが大切で、教育の質が大切なのに。高校選択は、お金じゃなくて、なにを学びたいかで選ぶのが本当のはずなのに。
「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」は、言い換えると、「公立には学びたいものがない」ってことなんですよ。みんな、そうは言わずともこれを言っている。公立に教育の質は見込めないって、事実上そういう話をしている。
東京も大阪も無償化が始まって私立に人が流れた。みんな、公立にはそんなに魅力がないと感じている。
なぜそうなったかというと、公立は公立を全うしてきて、私立は競争に晒されてきたから。
公立は公務員だから、入学者数が少なくても食いっぱぐれない。校長も教頭もヒラの教員も、どうせ数年で異動するからわざわざ波風立てて教育改革とか踏み出さない。
私立は民間企業に近いから、入学者数が少ないと収入がなくなる。なので、どうすれば生徒を獲得できるかあの手この手を考えて、カリキュラムも施設設備も広報も、工夫と検討をやってきたし、それが当たり前になってる。
もちろん、そうじゃない公立もそうじゃない私立もあるけどね。あくまで業界全体の動向の話。
公立がだめで私立がいいってことでもなくて。そうなるべくしてなっていて、これは教育業界の構造の問題。
だから次第に、公立に教育的な魅力はあまりなくて、私立にはそれがあるけど、でも私立は学費が高いから行けない、って整理になってきた。学費の差が公私の均衡を保っていたとも言える。
もちろん授業料以外の必要経費も発生するから、完全に同じ条件ではないけど。でも、毎月の家庭の出費はかなり近いところまでいく。
そうなると子供たちは私立に偏る。それは当然で、私立の方が競争で勝とうとあの手この手をやってきたから。そっちの方が魅力的なのは当たり前。
私立と公立の授業料の支援金額に差がありすぎって声もあるけど、これは実は間違い。公立は、そもそも学校を維持するためのお金が税金から出ている。私立も私学助成金っていう国の助成金があるけど、その助成金だけで経営できているところは聞いたことがない。生徒を集めて授業料をもらって、私学助成金ももらって、そうして初めて収支が成り立つのが普通。でも公立は、その全てが税金から出ている。授業料の支援金額の差は、学校そのものを維持する経費からすると些細なもので、いち学校あたりにあてられる公金の総額は無償化が始まったとて圧倒的に公立が多い。
つまり。国としては、教育的な魅力が私立に劣り、そして私立より金のかかる公立を、今から抜本的に立て直すことは、放棄していくだろう。
かつて小泉純一郎が郵政民営化をやった際に民間の方が競争原理が働くと主張したけど、そんなようなことが高校現場で加速していく。事実上の高校教育民営化が進む。だから、すでに高校進学率99%なのに義務教育とはならない。民営じゃないともう成り立たないから。
教員の労働環境も改善しなくちゃならない。人権意識は高まってきて、トイレも更衣室も空調も照明もバリアフリーも施設が全部ちゃんとしていないといけない。定員割れが目に見えている過疎った地方の公立に、数億円単位の金を投入しなくちゃならない。
それなら、私立にも授業料無償化をする方が安くつく。残念ながら、こちらに経済的合理性がある。
今回の政策は、中長期的な公立統廃合を見込んでいると思うけど、そういうことは絶対に言わないだろう。
私立に金を流すくらいなら公立を立て直せってみんな言うけど、もう実は手遅れなんです。名を捨てて実を取るターンに入ってる。
公立立て直しをやるならやるで、もっともっと税金は上がる。それを国民が納得するのか、って話。
じゃあ私立に子供が偏ると、なにが起きるか。公立に人が集まらなくなり、統廃合が進む。国は節約できるけど、地方に公的な学校がないという事態がどんどん増えてくる。
私立は経営のための判断しかしないから、過疎地域へのフォローはボランティアみたいなもの。やめてしまえばそこで終わり。学校がないと、当然、人は住まなくなる。
人が住まなくなると行政サービスも要らなくなっていく。短期的には見捨てられた過疎地域、長期的には地方都市への合理的な集約。そういう流れに向かっていくと思う。
次の展開として、国は通学保障に金を配るだろう。遠い私立にも行けるようにするために、電車やバスの定期に補助を出す。また私立に金を配るのかと批判が殺到するけど、過疎地域の公立を維持するより圧倒的に安くつく。
私立は私立で、公立がリングから降りたので、今度は私立同士で少なくなっていく子供たちを奪い合うことになる。
生徒募集に苦心する私立は、特待生待遇という餌をまいて授業料が安くなるからうちに来てね、っていうことをずっとやってきた。でも、そもそも授業料が無償化なので、それもできなくなる。純粋な教育的魅力の戦いになる。
国が公立を事実上見捨てたことに目をつぶれば、教育の質バトルっていう、本質の問題に向かっていく。
でも負けた私立が潰れても構わない。民営だから、国は責任は取らない。義務教育じゃないから、高校がなくても最悪構わない。でも当然あった方がいい。だから生き残る公算が高くて金が安く済む民営の私立を援護する。今のところ公立より良いサービスを提供できるし、いざとなったら切れるから。