はてなキーワード: 男のロマンとは
ルーブル美術館の強盗ニュースを見て、頭の中にルパン三世や怪盗キッドのイメージが現れ、不謹慎にもワクワクした。
そして、男子生徒達の女風呂覗きニュースなどでよく現れる、ほっこりしたとか、男子学生らしくて可愛いとか、男のロマン、覗かないやつは男じゃない、この程度で騒ぐのは息苦しい的なコメントをする人の気持ちがわかった。
より酷いのだと父親が娘を強姦等で立った興奮したエロい父親が羨ましいなどのコメントをつける男も多い。
ルーブル美術館の貴重な財宝が盗まれて傷つけられている現実が漫画にくるまれてフワフワして腹立たしい犯罪として頭に入ってこない。
なかなか無い経験だった。
男であれば「オパシティ派?オシリティ派?」の議論がよくあると思うが、俺は性に目覚めてから初志貫徹、完全にオパシティ派である。
俺にとっては選択肢にすらなっていなくて、完全にオパシティのよさしかわからない。オシリティにはロマンがない。
もっといえば、脚やらパンティに興奮するという気持ちが、正直なところ全くといっていいほどわからない。
しかし、ニュースや私人逮捕YouTuberを見ていると、世の中にはあまりにもスカート盗撮が多いように思う。
[Info]
スカート内を撮影して、その成果物(成果と言ってはいけないものである。)を見たとき、本当に彼は興奮しているのだろうか?
撮影するスリル。創作や文化によって作られた「スカートの中は男のロマン」に、ある意味では「男たるものこれに興奮するべき」という何かから得た情報自体に、興奮しているとは考えられないだろうか。
100%オパシティ派の俺は、どうにもそう思わざるを得ないのである。
かくいう自分自身、幼少期に、性欲なんてものについて当然自覚することもなく、そもそも存在すらしていないはずの"ファントム性欲"に振り回されたことがある。
アニメ作品の「かっこいい男」がそうしていたから。この行為をすれば、「悪い男」(~= かっこいい男)になれるから。
"スカートめくり"を企てたことがある。「パンツ見えた!」と声に出したことだってある。あれは一体何だったのだろうか。
[Warning]
絶対に間違えてほしくないのは、この文章の主張は「パンツに興奮する男は創作の被害者である」ではない。
盗撮などの罪を犯したのであればそれは100%その人が悪いし、それをアニメ作品などのせいにするなんてのは言語道断である。
幼少期は、「エロ」がわからなかったが「創作上の男のかっこよさ」に憧れる感覚があった。
どの作品の誰とは言わないが、かっこいい主人公は幼馴染や同級生のスカートをめくっていた。
もっといえば、「男としてかっこよくあろうとすることが、かっこいい」という価値観があった。"男の美学"である。
そういう世界観が(ひょっとすると今はないのかもしれないが、)俺がガキの頃にはあった。(平成初期の話である。)
そういった男のマネをしたまま、大人になってしまい、それが自分の感覚であると思い込んだままの人がいるのではないだろうか。
とはいえ「男性がスカート内に興奮するとしたら、それは入れ知恵のせいである」と主張するのは、さすがに非常に乱暴であるし、共感は得られないだろう。
俺がオパシティのことが大好きなのと同じように、根源的にオシリティ、スカーティやパンティが好きな人間がいるのは全く疑いようがない。
先に盗撮の話をしてしまったので、それに合わせてもっと踏み込むならば、そういった性癖と、犯罪を犯すかどうかは本当に全くといっていいほど関係がない。
では、「戦隊モノ」「電車」「野球」etc…が好きであることが"男の子","男性らしさ"として捉えられていることに、違和感がある人はいないだろうか?
俺は正直、いずれも全然好きじゃない。しかし、ガキの頃に「電車だ!」「仮面ライダー見る!」と、ハシャいだふりをして、親が喜んだ顔をするのが嬉しかったのをよく覚えている。
性癖の話でスタートした増田だが、書いてるうちに発散してしまった。
昨今、男という生物について色々と議論があり、なかなかこういった議論というか、あるあるネタとか、提言がインターネット上でできなくなっている気がする。
人格がどのように形成されたかは、大人になってみれば後付であり、人のせいにするための被害者アピールであることが多くなりがちである。
今生きているのは自分で、「こういう社会で」「こういう家庭で」「こういう文化で」生きてきたことは、今の自分を変えない言い訳にしやすい。
しかしそのままではどうしようもないので、もしそれを自覚しているのであれば一歩踏み出すことを推奨する。
今一度、本当に自分が根源的には何が好きなのか、考え直してみてほしい。
俺はオーケストラ音楽が好きだが増田と似たような発想でナードが好みそうな御大層なクラシックの名家全般を聞くのを避けており(例外的にショパンの雨だれだけは好きで定期的に聴く)、
同じオーケストラ音楽でも自分のギーク気質に合ったアニメ調ゲームのサウンドトラック(オーケストラ収録)を好んで聴いている。
現代を生きる指揮者と奏者が奏でる、現代に生まれた曲こそ、今を生きる音楽オタクが目を向けるべきものだと本気で思っている。(ただクラシック愛好家が絶滅しかけたら俺はクラシック派になる自信があるが、そんなことは起きないだろう、要は逆張りバランサー気質だ)
https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA
https://www.youtube.com/watch?v=WZ2FJxCILUE
https://www.youtube.com/watch?v=VN9ucWhXEm4
これらはいずれも同一ゲームの楽曲で、指揮はRobert Ziegler、演奏はロンドン交響楽団と伝統楽器の演奏者によるものだ
俺はオタクなので古臭い音楽愛好家のようにスピーカーで聴いたりしない、また現代日本の住宅環境でスピーカーは害だと思っている
なので4つのバランスド・アーマチュアとダイナミックドライバーを積んだハイブリッドのインイヤーモニターでUSB-DACを噛ませて分析的に聴いている
まったく問題ないと思うけどね。むしろ歓迎すべきことだろ。まず、コンテンツってのは誰でも楽しむ権利がある。男向けだろうが女向けだろうが、好きなものを楽しむのは基本的な自由だろ。筋肉ムキムキのヒーローが好きな女性がいて何が悪い?無駄にデカい銃が好きな女性がいて何が悪い?それを「男のロマンが台無し」とか言ってるのはただの偏見だ。
確かに、「女性ユーザーが増えるとコンテンツが変わる」なんて意見もあるけどさ、それって別に悪いことじゃないだろ。むしろ、もっと面白くなる可能性が高いんじゃないか?女性の視点が加わることで、新しいアイディアやストーリーが生まれるかもしれない。それに、最近のアクション映画に感情的なシーンが増えたとか言ってるけど、それって別に女性だけのためじゃないんだよ。男だって感情的なシーンを楽しむことがあるんだ。現実を見ろよ。
そもそも、「男のロマン」なんて言葉自体が古臭いんだよ。今の時代、そんな狭い視野で物事を見てたら置いていかれるだけだ。コンテンツは進化するもんだし、視聴者のニーズに合わせて変わるのは当然のこと。女性ユーザーが増えることで、もっと広い層に受け入れられるようになる。結果的に、コンテンツ自体も長続きするんじゃないか?
それから、コミュニティの雰囲気が変わるってのも、別に悪いことじゃないだろ。むしろ、多様な人々が集まることで、もっと豊かなコミュニティが作れるはずだ。ちょっとした冗談でも気をつける必要がある?それは別に女性が増えたからってわけじゃない。社会全体が進化して、もっと思いやりのあるコミュニケーションを求められるようになってるんだよ。それを「ストレス」だとか言ってるのは、自分の狭い世界に閉じこもってるだけだ。
結局のところ、男性向けコンテンツに女性ユーザーが増えることは、コンテンツの寿命が伸びて、コミュニティを豊かにするための一歩だ。男も女も関係なく、好きなものを楽しむ権利がある。古い価値観にしがみついてる奴らには悪いけど、時代は変わってるんだよ。これからのコンテンツは、もっと広い視野で楽しむべきだろ。
イクメンムーヴメントも来て、最近は男性の育児への参加率が増加してきているが、まだ「しなければならない」という義務感が先行している人、企業の成果主義のような感覚で「親としての評価」だけを求めてしまう人が多く、育児を楽しむところまではなかなかいけていないようだ。
父親が積極的に子育てすれば、これまで見えなかったことが見えてくる。子どもの成長はもちろん、家族や夫婦の絆が強まったり、男性が家事に勤しむことで生活力が磨かれるので、将来もし妻や親が介護になったり、一人で暮らすことになっても安心だ。また家庭という枠を越えて学校PTAや地域活動へ参画すれば、会社では味わえない仕事の達成感を得たり、一生付き合える隣人ネットワークも持てる。それによって父親自身の世界も広がり、人間の幅が出来てそれが本業の仕事や老後の人生にも活かされてくるのではないだろうか。
子育てに主体的に関わることがこんなに「いいことづくめ」なのに、残念なことにまったく興味がない男性はまだ多い。そもそも「父親を楽しもう」「地域で父性を発揮しよう」なんて発想すらない。「育児は母親の仕事。男は外で働き稼いで家族を養うのが父親の役割だ」と、思いこんでいる男性はまだ少なからずいるのだ。
そういう僕も20代の頃は仕事に没頭し子どもは特に好きでもなく、そんな考え方だったと思う。でも35歳で娘が生まれたとき、直感的に「育児は義務ではなく楽しい権利なのではないか」と思った。子どものいる暮らしを自分なりに目いっぱい楽しみたい。「手伝い」ではなく主体的に子育てに関わることで、ひょっとしたら親として、大人として、地域社会の一員として自分が成長していけるのではという予感があったのだ。
そのためには、独身の頃と同じことをしていてはダメだ。まずは「男は仕事。女は家事・育児」といった古い価値観をアンインストールする。つまり自分の中のOS(オペレーション・システム)を入れ替えねばと悟った。実際に始めてみると子育てではいろいろなソフト(寝かしつけアプリ、お風呂入れアプリ、絵本読みアプリなど)が必要でそれを円滑に稼働させ育児を楽しむためには、古くて堅い父親像を追い出し、新しい時代に必要な父親OSのインストール(意識改革)が必要だったのだ。
またOSが古いと「ワーク・ライフバランス」という言葉も捉え方を間違える。子育てをしてみて僕も分かったのだが、「仕事か生活か」のどちらかを取る二者択一ではなく、自分なりのハッピーバランスを考えそれらが融合して人生を形作ると考えることが大事なのだ。仕事も子育ても自分の人生と捉えるならば、毎日双方がスムースに運ぶようマネジメントすることが大事で、そうすれば段々と楽しめるようになってくる。ただし大概にして子どもの幼少期と仕事の責任が増す時期は重なるもの。僕だってそうだった。子どもが生まれたって仕事は面白いし、熱血マンガを読んできた世代なので「男のロマン」的なものあるのだが、そればかりを追いかけて家庭を放ったらかしにして仕事一筋では家族は幸せになれず、結局自分の人生も楽しくないのだということに何回かの失敗で思い至った。幸い、大事にならずに修正できてよかったのだが、危ないところだったと過去を述懐して思う。
セミナーや講演で全国を歩いていると「子育てが始まって妻と不和に陥った」という男性が多いのだけれど、そういう笑顔のない男性には「それはあなたの能力や向き不向きの問題ではない。OSの問題なのだ」と伝えている。
これからは父親になったらOSを入れ替えて、自身の働き方や子育ての仕方を見直し、子どものいる暮らしを楽しむことで男性だって楽しい人生を送ることができるのだと考えよう。そして自分の人生を肯定する父親の笑顔こそが、夫婦間パートナーシップや子どもの自尊心を育むのだということ認識して、父親であることを明日からもっと楽しんでいこう。