はてなキーワード: 経営者とは
1925年、やや中華系の内大臣平田東助が没する。輸出組合が設立。内務大臣末次信正は軍拡工作員。弟の末次猛は、アメリカ防衛産業下請古河Gの経営者。1939年、各都道府県に1つの護国神社制度が発足。1942年、日本海軍がオレゴン空爆。
高市はやや中華系。中国企業は葬儀場を経営。兵器部品米国輸出は盛況。オレゴンから元対中投資銀行勤務のアメリカ大使グラスがやってきた。財務省が国交省に借金返済。
2年前に交際と結婚をチラつかされて1年間一途にやり取りしてたものの、何も進展がなかった苦い記憶から複数の男性をキープする手法に変えた(もちろん同時交際はしてない!不誠実なこと大嫌い!キープだけ)
1人目をAと置こう
Aは年上高卒ホワイトカラー、行政系?(しかし公務員というより非正規な感じ)
ちょいぽちゃ
難病で家から出れない友達を遠方から訪れたり、人格としてはいい人だと思う
2人目はB
この人もぽっちゃり
聞いてもないのに「俺は他の人に比べて高収入だよ」と言ってくる
本当でおじゃるか?
悪い人ではないが、話がつまらない
(言っておくが経営者だから選んだのではない、趣向が合うなーと思って話して後からプロフ見たら経営者だったのである)
「子供は欲しいが女性に負担がかかってしまうのが心配だ」と言った時に、そのセリフが嘘だとしても結婚したいと思ったね
ただ、早く結婚しようとする意欲が感じられないのがなぁ…
あと、正直詐欺を疑ってる
こんな増田を好いてくれるなんてマジなのか?
ケチだから金要求されても絶対送らないという確信があるが、困るのが時間の浪費
冒頭にあったようなことがもう一度起きるのは懲り懲り
実家が太いので、子育てにかかるお金は最悪実家に頼ればいいと思ったが、旦那さんの稼ぎが太くて困ることはないなと思い直すようになった
サラリーマンの人々が多いのかなっていうけど、働いてる人なんてだいたいはそうじゃね?
元増田見て思ったのは、経営環境に神経質になってしまう経営者・事業主こそ現状の急変が起こらないことを願い、経営の厳しさを肌身で感じないサラリーマンの方こそ自立自立と威勢のいいことを言うんじゃねえかな、という正反対の感想だったな
自立って中国と対立するんじゃなくて、立場は違えど利害関係をすり合わせながらなんとかやっていくものだと思うんだよね
経営者の話をするなら、気に入らない者を敵にするんじゃなくて、良い貿易相手として上辺だけでも仲良くやっていくことが経営者だと思うけどね
この件に関してだが。
https://anond.hatelabo.jp/20251118224853
割合的に見て、高市擁護派は少ない感じはするが、ブクマカはサラリーマン感覚、というよりサラリーマンの人々が多いのかな。日本自立できないから事なかれ主義の長い物には巻かれろ的な。会社の愚痴は言うけど安定を求めてる。
一方で、高市擁護はしないけど、自立を求めてる経営者的な考えの人達は、あまり文句を言わずに、日本もこれを機会に自立すれば良いのではと淡々と眺めている感じがする。
どちらが正しいと言う訳ではない。この部分は視点の違いであって、相容れない考え方なので交わる事はない。右も左も上も下もなく、こうして高市のせいにして気を紛らしているのだろう。
最近、Xやインスタの美容界隈を眺めていて、ふと背筋が寒くなることがある。 いわゆる「カリカリ整形」ってやつ。 極限まで脂肪を削ぎ落として、鼻は矢印みたいに尖らせて、目はこぼれ落ちそうなほどデカくする、あのアバターみたいな造形のアレだ。
これ、今の時点では本人は「至高の美」だと思ってるんだろうけど、個人的には今後5年〜10年で、彼女たちはかつてないほどの「美の基準の変化」に苦しむことになると予想している。 理由はいくつかあるんだけど、整理して書いておく。
まず、これ。 彼女たちが本来ターゲットにしていたはずの「経済力のあるまともな男性」層が、すでにこの手の顔を敬遠し始めている。 港区女子的な界隈でチヤホヤされているように見えるかもしれないが、それはあくまで「消費対象」としてであって、パートナーとしての「美」とは見なされていない。
経営者や医師、外資系みたいなハイスぺ層と話すと、彼らが今求めているのは「圧倒的な清潔感」と「生物としての健康美」だ。 作り込まれた不自然な造形よりも、髪のツヤ、肌のキメ、程よく筋肉がついた体型といった、「生命力の強さ」に価値がシフトしている。 カリカリの整形顔は、彼らにとって「不健康」「メンタルが不安定そう」「金がかかりそう」というネガティブなシグナルにしかなっていないのが現実だ。
じゃあなんで彼女たちは止まらないのかというと、完全に「女同士の内輪ノリ」で美の基準が形成されているからだ。 SNSという閉鎖空間(タコツボ)の中で、「もっと鼻を高く」「もっと小顔に」と、互いに「いいね」を送り合うことで、基準がインフレを起こしている。 これは客観的な美しさではなく、もはや「課金額と痛みに耐えた量」を競うチキンレースだ。 一般社会や異性の視点から完全に乖離したまま、極端な方向へアクセルを踏み続けていることに気づいていない。
これが一番残酷かもしれない。 今のZ世代後半や、その下のα(アルファ)世代が大人になった時、今のカリカリ整形顔はどう見えるか。 かつてのバブル時代の太眉やソバージュ、あるいは一昔前の極細アーチ眉がそうであったように、「あ、これ昔流行った顔だ」という強烈な時代遅れ感(=おばさん臭さ)の象徴になる。
「不自然なほど尖った鼻と細い顎」は、将来的に「2020年代に青春を拗らせた層」の制服のように見なされるだろう。 若者がナチュラル回帰していく中で、あの造形はあまりにもノイズが大きすぎる。
そして彼女たちを待ち受ける未来は、以下の3つが同時に襲ってくる「詰み」の状況だ。
美のトレンドの変化: これまで信じてきた「正解の顔」が、ある日突然「ダサい顔」「古い顔」として扱われるようになる。
整形後遺症(メンテナンスの限界): 無理なプロテーゼや骨削りは、加齢とともにガタがくる。皮膚は薄くなり、軟骨は変形し、メンテナンス費用は指数関数的に跳ね上がる。
自然老化: どれだけいじっても、生物としての老化からは逃げられない。不自然に引っ張った皮膚と、老いていく肉体のバランスが崩れ、いわゆる「崩壊」が始まる。
このトリプルパンチを食らった時、心身ともに耐えられる人間がどれだけいるだろうか。 「あんなに痛い思いをして、大金を払って手に入れた顔」が、社会から「古臭くて不気味」と評価され、さらに物理的にも維持できなくなる。 その時のアイデンティティの崩壊とメンタルの疲弊は、想像するだけでキツイ。
今、承認欲求のドーパミンで麻痺している彼女たちが、この「はしご外し」に気づく頃には、もう手遅れなのかもしれない。 美しさの定義が「加工」から「素材の健康」へ揺り戻しが来ている今、過剰な整形の出口戦略を考えておかないと、本当に地獄を見ると思う。
「円安の何が悪いのかさっぱりわからない。」ほど知識がないなら、AIに聞くなり、新聞読むなり、経済の基本的な解説書を読むなりして。
でたらめな知識にもとづいてキレ散らかすくらいなら、黙ってたほうがいいだろうよ。
経済アナリストの視点から、ご提示いただいた文章の主な問題点を指摘します。
この文章は、経済現象の多面性を無視し、事実と異なる認識に基づき、特定の立場からのみ都合よく解釈している点で、客観的な分析とは到底言えません。
主な問題点は以下の通りです。
これが最も深刻な問題点です。現実には、円安によって多くの国民が苦しんでいます。
輸入インフレの直撃: 日本はエネルギー(原油、天然ガス)や食料品(小麦、飼料など)の多くを輸入に頼っています。円安はこれらの輸入価格を直接押し上げ、電気代、ガス代、ガソリン代、食料品価格の高騰につながっています。
実質賃金の低下: 円安による物価上昇(インフレ)に、名目賃金(給与の額面)の伸びが追いついていません。その結果、実質的に国民が使えるお金の価値は目減りしており(実質賃金の低下)、生活水準はむしろ圧迫されています。
中小企業の収益圧迫: 円安による原材料費や燃料費の高騰は、大企業(特に輸出企業)のように価格転嫁が容易でない中小企業の経営を直撃します。
「円安で苦しむ国民はいない」という認識は、こうした日常の経済実態を全く見ていないか、意図的に無視しています。
給料(賃金): 円安は輸出大企業の「名目上」の収益(円換算)を押し上げますが、それが国内の幅広い労働者の賃金上昇に直結するとは限りません。前述の通り、物価高のスピードに賃上げが追いつかなければ、国民は豊かになりません。**重要なのは「実質賃金」**であり、現在の円安局面ではマイナスが続いています。
株価: 円安が(輸出企業の業績期待などから)株価の押し上げ要因の一つになることはありますが、「上がり続ける」と断言するのは誤りです。株価は世界経済の動向、金融政策、地政学リスクなど、無数の要因で決まります。円安だけが要因ではありません。
3. 「マスコミも経済界も円安を問題視していない」という事実誤認
これは現状認識として完全に誤りです。
マスコミ: 連日、新聞やテレビニュースでは「悪い円安」という言葉を使い、物価高騰による家計への負担増、実質賃金の低下、日銀の政策の難しさなどを大きく報じています。
経済界: 輸出企業からは歓迎の声がある一方で、輸入に頼る企業や内需型の中小企業からは悲鳴が上がっています。経済同友会などの経営者団体トップからも、行き過ぎた円安が日本経済の体力を削ぐことへの懸念が繰り返し表明されています。
「問題視する論調はない」という主張は、現実の報道や経済界の議論と著しく乖離しています。
「恐怖の円高時代」と表現し、円高を絶対悪のように扱う一方、円安を無条件に礼賛するのは、経済分析として稚拙です。
円高のメリット: 輸入品(エネルギー、食料、ブランド品)が安くなり、国民の購買力は上がります。海外旅行や留学も安価になります。
円安のデメリット: 上記で詳述した通り、輸入物価の高騰と実質賃金の低下を招きます。
経済は常にトレードオフであり、為替水準によって恩恵を受ける人と不利益を被る人が必ず存在します。どちらか一方を「絶対悪」や「絶対善」と断じるのは、特定の(この場合は輸出大企業的な)視点に偏りすぎです。
「経済オンチのオールドサヨクだけ」といった表現は、客観的な経済分析ではなく、レッテル貼りと人格攻撃に過ぎません。
物価高に苦しんでいる一般消費者や中小企業経営者を「知識がないなら黙ってろ」と切り捨てる態度は、経済を語る以前の問題であり、建設的な議論を著しく妨げるものです。
給料が上がり、株が上がり続けるんだぞ。
デフレ時代にだけは絶対戻してはならないという高市の決意は頼もしい。
ひるがえって、円安で苦しむ国民などいない。だからマスコミも経済界も円安を問題視してる論調はない。
システム開発で生成AIを有効に使おうとしたら、生成AIが生成するコードを鼻歌混じりで完璧に仕上げられるだけのプログラミング力と、システム全体の最適な設計ができる技術力が必須の最低ラインとなる。
プログラミング力がなければ、生成AIが仕込む地雷に気付けないからシステムを地雷原にしてしまう。
そのレベルのエンジニアでは地雷除去は100%不可能なので、ぶっ壊れたまま走る暴走列車になるだろう。
経営者の手の中に残るのは、ぶっ壊れて部品を撒き散らすサービスと、逃げ出さなきゃいけない状況なのにそれを認識できないほど低レベルの「バナナ」エンジニアの集団だ ( 大枚叩いて「世界をひっくり返す画期的なサービスを作ってる!」って思ってたらこれとか、まじウケる w )。
システム全体の最適な設計ができなければ、適切なプロンプトを捻り出せないので、整合性を保ったままサービスを成長させることは不可能だ。
現状、どこかで誰かが作ったような小さなツールなら、なんとかなりそうだと思う。
けど、成長させる前提のプロダクトに使うとか、正気の沙汰とは思えない。
小さなツールは AI のフレームの中でこなせるとしても、自社サービス、特に今までなかった類のサービスとなったら、フレームの外、現実に開いたものだからAI が扱える対象ではない。
具体的な指示を出してくれるように見えてるだろうが、過不足なく正しいかと聞かれたら、AI推しエンジニアにホルホルされたものを見た限りでは、ないわー、としか言いようがない。
AIの絵とかと似ていて、ぱっと見イケてそうで、よく見たら変。
絵のように、縦横の制限があって、各ドットの色の幅の制限もあって、多少色ずれがあっても大勢に影響がないものじゃなく、プログラムは一箇所+と-間違えただけでも致命的なものだから。
って、やたら本プログラムに迎合的なテストが生成されていたりするんだが、実装ベッタリの境界値テストとかより大事なテストが丸っと抜け落ちてたりするんだよね。
で、その重要性というか危険性を、エンジニアは理解も認識もできないままになったりする。
意味のないテストを延々と繰り返して、実環境で不具合障害が発生するたびに、場当たり的な対策をフジツボのように追加しまくってやった気になるのを運用だとか勘違いしたまま炎上地獄への坂道を転げ落ちていくんだよな。
大規模なサービスの設計は抽象度の高い部分を先に詰めないと、辻褄が合わなくなって破綻する。
初期リリースにはブーストが必要なのは確かだが、使いこなせない生成AIを使うと、書き初めで最初に筆を置く場所を適当にするのと同じくらい、取り返しのつかない事態に陥るだろう。
初期リリースこそ、全体設計と、サービスを支える基本モジュールを抽象的に、丁寧に作る必要がある。
「一旦リリースしてシェアを獲得してから作り直す」という選択肢も、一昔前ならあったけど、AI で嵩増ししたサービスの作り直しは、多分すでに合理的ではない。
再設計再実装の手間もそうだが、補助輪(AI)エンジニアに、移行作業の戦略策定設計実施ができるわけがないから。
最低限のプログラミング力とシステム設計能力があって使いこなせるエンジニアと、ないけど称賛していれば自分もすごいエンジニアと思ってもらえると思ってる意識高い系(笑)エンジニアだ。
おいら自身、たまーに使うけど、チームメンバー全員に積極的に活用しろとは死んでも指示できない。
というか言い渡した。
どのレベルのエンジニアが書いたプログラムかという情報なしに、レビューとかしてたら時間がいくらあっても足りん。
特にプログラムを書けないことを誤魔化すためにAIを駆使する奴は、発覚したら即銃殺でも構わないと思ってる。
でも、ドキュメントをAIに食わせてナレッジ共有させるのは構わないですよねって?
ゴミドキュメントを大量生成させてAIに食わせても、結果はゴミ。
"Garbage in, garbage out"くらい知らんか? w
まずちゃんとしたドキュメントを書いて、ちゃんと整理して、ちゃんと更新しろ。
それ以上のナレッジ共有はない。
そういうことができない人間が書くドキュメントが、有用なドキュメントなわけがないだろ w
で、表題の件。
自社サービスをボロボロにした張本人たちに建て直せるわけがない。
以上 w
SIer上がりというかSIer落ちというか、自社サービス業界でスモールスタート=「今は考えない」って勘違いしてるのが多いというか、そんなんばっかなんだが、そんなことするからNHKの営業基幹システムのリプレースみたいな地獄を招くんだよ。
IBMが悪いんじゃない。
その時その時、場当たり的に考えたから、手に負えない化け物に育っちゃって、二進も三進も行かなくなって前の担当会社が投げ出したんだろ?
SIerは期日までに検修してもらいさえすればお金がもらえる。
初回リリースまでにがっつり考え、設計して時間がかかるより、とにかく短期間で納品できればいい。
むしろ運用困難で、SIerから出すエンジニアを張り付けさせられれば売り上げが増える。
次のフェーズで困難があったとしても、その困難が売り上げに変わる。
って世界だから、むしろ「後で手間が増えたほうが太く長く美味しい」って考えてる。
けど、自社サービスは、開発者と発注会社は同一存在なので、「後で困ったら大変」だし、「運用困難だったら大変」だし、「次フェーズ、次の次フェーズで困難があったら大変」だから、この方針は「百害あって一利なし」なんだ。
にも関わらず、「SIerのPMがいたらプロジェクトは成功するだろう」って浅はかな考えを持った経営者が、自ら肥溜めにダイブするようなことしてる。
この差は、「業務ドメインごとに分けて」「画面帳票から仕様を確定する」か、「システムドメインを設計して、各業務ドメイン、画面帳票を切り出す」か、の違いになる。
「今は考えない」ではない。
この話、20年以上前、小さいSIerにいた頃、クライアントのシステム部の偉い人複数から教えてもらった話なんだよ。
N3CとかFuj12とか1BMとかユ2シスとかSIerはどこもクソだ。高い請求書持ってくることしかしねぇ、ってその人たちが異口同音にがブチギレてた。
ずっと誤魔化して仕事して来たから今の業種でのスキルなんて皆無
何となくやってるフリをしてサボりながら過ごしてたらもうこの年齢
そろそろ中堅の自覚持たないとと責任のある仕事任されるようになった
死亡😇
年齢の数だけの給料をこんな無能に払い続けてるんだから当然だよね
仕事変えてみようと思って求人見てもどれも求めるスキル高過ぎて無理だろ……
どれも難しそうな言葉並んでて出来る気がしない
単純労働、接客業、工場……色んな所で休みの日にバイトで働いてみたいけどどれも向いてなかった
そう言えば、社会人なりたての頃、ADHDとかアスベじゃないって上司に言われて強制的に産業医の所に連れて行かれたっけ
今でも思い出すだけでムカつくけど、もしかしたらそうなんだろうな
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。