そういう情報を共有するために医療情報技師っていうのがあるんだけど、ものすごーーーーーーく医療業界が保守的なので進まないのです合掌
そんな奴がいるのか。知らなかった。
ほんとこれだけ。
これだけで同じ薬を複数の病院で出すということがなくなるので医療費は減ります。
そう。ほんとは当たり前。でも当たり前じゃない人もかなりいる。
実例その1。
とあるおばあちゃん。家族が薬の袋がたくさんあって管理できていないみたいと病院に相談に来た。そして発覚。なんと2つの病院から同じ薬をもらっていて、気分で飲む量を加減していたと。その薬、1ヶ月でざっと1800点×病院2つ。少なくとも3年はそうしてたみたいでざっと50万円くらいは無駄に?
実例その2。
とあるおばさま。眠れないので眠剤もらってるんだけどいつもの病院(中心部の大きい病院だ)にいけないのでこちらで出してもらえませんかと来院。薬の袋を持ってきていたのでああこの薬ねしょうがないねと確認して処方。その後同じ事を市内の複数の病院でやっていたことが発覚。保険で認められる量の3倍飲んですやすやと。もう耐性ついて効かなくなってるから別の薬にすればよかったのにという。
他βブロッカーの副作用を別な医師に薬のことは黙って診てもらったじいちゃん、「あそこの医者もあそこの医者も効かない薬を出しやがる」と確認してみればお薬手帳を持っていかなかったばかりに2ヶ所でだいたい同じ風邪薬をだされていた若者などなど。
殺すなら早く殺してくれという気持ちでこの時を待っていた。
元カレが別の女と結婚するという話を聞いてから半年が経っている。
話を聞いてから2ヶ月くらいは仕事中も気づくと涙が出てきたり、食欲がなかったり、
一人になるといつもそのことについて考えてしまう状態だった。
諦めきれなくて元カレに会ってくれと要求したり、過去のメールを読み返したり、
過去の紙の手紙を実家から掘り返してきたり、失恋系の映画のDVDをひたすら見続けたり、
別れさせ屋を使おうかと思案したりしていた。
3ヶ月目くらいからはなんとか、普通の生活ができるようになってきた。
もう諦めよう、元カレは死んだと思って別の人生を歩もうと言い聞かせて今に至る。
結婚式の写真がFBにアップされてどんな女と結婚したのかが見れたら、
本当にさよならできると思った。
早く楽にさせてくれ、そんな気持ちでこの1ヶ月くらい待っていた。
失恋をしたのは初めてで、自分がこんな状態になるとはよもや思いもしなかった。
大学に入って数は減ったけれど、それでも年に1回ペースで告られたりしていた。
自分の身の回りにいて結構話す人で彼女がいない人には大抵告られていたと思う。
正直、自分が好きになった人を本気出して捕まえられないことがあるとは思っていなかった。
本気出せば振り向いてくれると思ってた。
今考えると勘違い甚だしくて恥ずかしいけれど、無邪気にそういうものだと思っていた。
それが誤りだと気づいた今回の失恋は、なくした物は大きいが得るものも大きかったとも言える。
人生は思うようにならないということ、
何もいらないからこの人のそばにいたいという気持ちが生まれること、
そして
一緒にいたい人といれないなら人生って味気ないということ、
こういうことに27歳にしてようやく気づいた。
気づいたのが遅すぎてこの先どうしたらいいのかと途方にくれている。
人生おわってない?
今まで頑張ってきたのは自分に自信をもてるようになって、元カレと比べて自分を卑下しないためにしていたようなものだった。
一緒にいると自分のダメなところばかり見えて苦しくて耐えられなくて大学生のとき別れた。
大学では研究で賞をもらったり、成績優秀者として表彰されて学費免除になったり、奨学金返還免除も勝ち取ったり、大手企業に就職したりして、
自分の努力の結果が人から褒められるような結果につながって、少しずつ自信を持ち始めていた矢先に今回の失恋があった。
何かをしたいわけではなく、楽しく過ごせればそれでいい。
そのために必要な人がもう手に入らない。
もうこれ以上やることないよ。
頑張ってお金稼いでも一人じゃなんも楽しくないよ。
女はお世辞にも大してきれいな人ではなく、元カレにも懐かしさは感じてもピンとくるものはなかった。
あんなに好きだったのになんでだろう。
全然羨ましくない。
幸せになってくれとも思えないし、
私と一緒にいないならむしろ不幸になってくれと思う。
この先何を目指して生きていけばいいんだ。
まだ行き先が見えない。
ふーんへー何と何と何と何の指標でどれとどれとどれとどれが何番くらいで最高クラスなんすかー
意外とくだらないようでくだらなくないけどな。あの時、できないかも、と思わなかったら、そこから行動をかえなかったら、今の良い彼女に巡り会えなかったんじゃないかと思うことはある。
Global Rich List(http://www.globalrichlist.com/)で見れば日本人のほとんどが世界トップクラスの暮らしをしていることがわかる
なんで想像だけでこんなこといえるのかな?現場感覚がなさすぎて、恥ずかしいと思わないのだろうか...。低学歴ってそういうもんなのかな、バカは死ぬまでなおらない
お前が低学歴だということが良くわかった。
ニート予備軍だとおもうが、今後もがんばってくれい。そういうヤツも含めて応援してるぞ。障碍者も生きれる世の中づくり、お前みたいなバカでもコレからいきていけるさ
もてあそばれてるのに気づけよ。かわいそうなやつだな。
それならきっと営業が良いよ。凄くおくが深くて面白い。
それは思うな。データ示しただけでドヤ顔してるクズがいる。元データが参照できない、データと論理のつながりが無茶苦茶、論理が無茶苦茶、で間違いを指摘されると価値観は人それぞれ!などと意味不明なことを言う奴は頼むから二度と口を開くな!って思うわ。嘘と精査のコストを理解しろと。
といっても、昔の話だ
鬱病の友人だった
また、彼は大学の先輩でもあった。
大学院に進学したが休学したりしていた
私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした
虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった
いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う
サーバのidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解し
そのサーバ上で運営されているサイトの共同管理者とskypeで挨拶した
私もそれを手伝った。
たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく
私もいろいろ物をもらった
片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった
彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない
彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケで最後だ
私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、
自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない
もはや、しるよしもないのだけれども
あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。
自分は助けられなかったのに
決行する前の日、思い残すことは何かときいたら
死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが
決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、
彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある
心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。
後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと
彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。
彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。
ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思とidとpassが書いてあった
彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような
彼の終活として、権限委譲されたサーバのサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、
それを共同管理人とともに行った。
大学の先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。
その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、
風の噂で広まってしまったらしい。
彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、
悲しみ、残念だった。という人もいた。
いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、
それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う
死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが
安楽死が合法化されるとしたら、もしかしたらこんな感覚なのではないだろうかと思う
これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、
死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。
私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある
私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように
横だが、自演までして恥ずかしくないのか?お前の知識もたいしたことでもないのに。