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はてなキーワード: 手袋とは

2025-11-09

anond:20251107123859

ちょっと前に海外ホットドッグやさんの店内カメラyoutube配信されてるのを見るのが好きという記事で見た時に思った

暇なときは外しててお客さん来たら手袋(←この辺はちょっとうろ覚え)、調理で色々素手手袋)かトングで掴む、お客のお金とお釣りを触る、次のお客が居たらそのまま調理

アルコール消毒もしてなかった(ように思えた)し、単に店員側が手が汚れるのが嫌、あるいは清潔アピールに思えた

なんか見逃してたら申し訳ないが

本来意図が忘れ去られてルールを守るためにやってる感じがした。そういうの多いけど

anond:20251107123859

しかしたら一般人は清潔・不潔を状態ではなく物の性質だと思ってるんじゃないかという気がしてきた。

手袋は清潔な物だから病原菌に触っても清潔。みたいな。

俺は不潔だから風呂に入っても不潔。みたいな。

2025-11-08

anond:20251107123859

管理する側も従業員の衛生管理とか意識の向上とかめんどくせえから

とりあえず手袋つけときゃ清潔に見えるから良いだろという思考停止

衛生に関するルールも複雑化すればするほど実際にはやってられなくなるので、

従業員は見てないところでサボってルールを守らなくなる

一度ルールを守らなくても良いと学習したら、本当に守らないとヤバいルール無視するようになる

運用無視してルールだけ作りまくると逆にルール無視して良いというシグナルなってしま

しか飲食とはアホが作ってアホが配ってアホが管理してアホが経営する業態なので、そういうアホな話がまかり通ってしまうのであった

anond:20251107123859

飲食、あまりに手を洗う回数が多いからその予防のためだと思うよ

客向けの手袋じゃなくて店員の手のための手袋

手を洗う回数が減れば水の使用量や手を拭くためのペーパータオル使用量も減るから店経費としてもうま味

妻が「手袋買いに行きたいんだよね」っていうから手を握って「こっちの手を人間の手に変えておいたよ」って言っておいた

anond:20251107123859

手袋付け替えたり、手を洗ってる間客が待ってくれるかと、店長がその運用を許容するかというと

人間どんなに注意してても死ぬとき死ぬんで

客が手付けて食べる物なのに手袋付けて え、そんなバッチイもん客に食わせてんの?みたいな視点はあるね。 anond:20251107123859

anond:20251107123859

もう大概のとこで手袋やってるの見かけるから

厨房では手袋商品衛生法で必須って勘違いする人も出てくるかも

anond:20251107123859

何を言っているんだ

素手は手を洗っている保証にはなりえない

人が見てどう思うか

客観的目線を持てば手袋必須であると分かるはず

そもそもこういうことを言う人は海外素手飲食店絶対に行かないのは容易に想像できる

手袋をつけている飲食店のものを買うだろう

言行不一致矛盾の塊になるのは想像に難くない

まあ人間ってそういうもんよな

anond:20251107123859

俺は家でも肉扱う時とか使い捨てのするで

手袋でなんでも掴んじゃうやつが手袋なしでどうなのか考えてみろ

少なくとも手袋トイレにいってそのまま戻ってくることはないだろ

anond:20251107123859

人の握ったおにぎりを食えない人、寿司が食えない人がいるのに手袋をしないなんて最悪の取り組み

スマホ職場キーボードを日に数回アルコール消毒するような人でも不潔感を与えたら終わりなんだよ

anond:20251107123859

わかる。パン屋レジで「バッグにお入れしますね」ってパンを袋詰めし手袋のままエコバッグに触られた時発狂するかと思った。まさかベタベタ手袋エコバッグを触られるとは思わなかったし、エコバッグってスーパー生肉とか入れるわりには洗ってない人がほとんどで不衛生だし、そのエコバッグを触った手袋でまた次の客のパンを掴むのかと思うと失神しそう。ありえない。

anond:20251107123859

手袋に直でアルコールシュッシュすればいいのにな

素手アルコールは手が荒れるけど手袋ならそういうことないし

2025-11-07

anond:20251107142940

あとは文化

黎明期2017年から手を出していたあにまーれ(現ななしいんく)は厚手の手袋着用必須、ハニーストラップ(現ななしいんく)はクロマキー透過必須だった

(どっちも今は手出しOKだけど)

VTuberとはそういうもの」の価値観によって出さないと決めてる人もいる

まあでも最近みんな平気で手どころか足もおっぱいも出すよね……

anond:20251107131443

そのVがどうかは知らんけど、一般手袋をする理由は、トラバに挙がっているもの以外だと…

とか。

人種ってのはなかなか日本人には思いつきにくいよね。

うわわーん

トラバした時点で元増田がすでに消えてたので、トラバトラバしとく

anond:20251107131751

anond:20251107131943

anond:20251107123859

作った物をすぐ食べる飲食店においてそこら辺にいる常在菌ってそれほど怖くないんだよね

時間が経たないと食中毒起こすほど増えないか

お金を触った手で~なんていうけどお金イメージほどは怖くない

ノロにかかったまま働いてるやべー奴とかじゃない限り素手もそこまで怖くない

圧倒的にリスクが高いのは火を通して食べる前提の生の食材についてる菌

素手であれば生肉触ったら汁も脂もつから洗わないといけないとすぐわかる

手袋だとそれがわからなくなるから危ないんだよね

anond:20251107131443

カードって素手で触ると結構汚れるから開封時に手袋するのは割と普通じゃない

適当に扱ってるとオタクがうるさいし

飲食店のビニ手、正直「素手のほうがマシ」だと思ってる

ずっと言えなかったけど、飲食店ビニール手袋が苦手だ。清潔アピールなのはわかる。でも現場で見ていると、あれ「手を洗わないための免罪符」になってない?

レジスマホ→ドア→お釣り→同じ手袋ネギ刻む——みたいな流れ、何回も見た。素手ならぬめりや汚れで「やば、洗おう」ってスイッチが入るけど、手袋はその通知をオフにしてしまう。

手袋が危うい理由私見

・汚れのフィードバックがない→手洗いのトリガーが消える

・長時間で内側が汗ばむ→見えない不潔感が蓄積

・交換サイクルが客から見えない→「清潔」の根拠ブラックボックス

・「手袋=清潔」の思考停止運用設計がサボられがち

逆に素手の強み(これも私見

自分の手の状態ダイレクト→こまめに洗う誘因が働く

・「洗った/拭いた」が客から見える→信頼になる

ルールが単純(作業切り替え=洗う)で継続やす

結局、清潔って「儀式」じゃなくて「頻度×動線×見える化」なんだと思う。

手袋をやめろと言いたいわけじゃない。問題は「交換しない手袋」「どこでも同じ手袋」「客にわからない手袋」だ。

こうしてくれたら一気に好感度が上がるやつ

作業切り替えごとに交換(レジ調理で必ず新しい手袋

時間で交換アラーム(例:15分)をスタッフ全員で共有

・片手ルールお金触る手は手袋しない/調理手だけ清潔維持

・客の前で手洗いを見せる(30秒カウント、紙タオル使用

・交換回数カウンタや「交換したらポイ」の見える箱を置く

・「手袋は清潔のコスプレではありません」って小さく掲示本音

反論先回りコーナー

Q. うちは頻繁に交換してるけど?

A. それは最高。そういう店は本当に好き。問題は「交換しない/見えない」運用。客の不安はそこに宿る。

Q. 素手のほうが危なくない?

A. 鍵は「洗う頻度」。洗える導線が設計されているなら素手は強い。洗えない導線なら手袋が強い。要は設計勝負

Q. 法的に手袋必要な場面もあるよ?

A. もちろん否定してない。必要な場面で適切に「使い分け」してくれればOK手袋は万能でも免罪符でもない。

まとめ:

ビニ手は安心コスプレになりやすい。清潔はコスチュームじゃなくオペレーション

「洗う・替える・見せる」をちゃん設計してる店、もっと増えてほしい。そういう店は味も信用も強い。私はそういう店でお金を落としたい。

2025-11-01

anond:20251101110936

配信後にXで熱心なファン(絵文字赤井のみだが投稿を見ると箱推し傾向)が

最近かなり様子がおかしくなっていた

自分は前回の配信コメントブロックを食らった

配信最初から手袋無しの素手(事務所NG)で何か覚悟が決まっていたのでは

投稿していたのでまぁ精神疾患ですよね

ちょっと例えが悪いんですが

山口連続放火殺人事件(『つけびの村』事件)のように

悪く言われがちな環境(田舎/女社会)と被害者妄想が強くなる精神疾患が結びつくと

延々と環境の方が悪く言われがちなので心配になります

つけびの村事件精神疾患に対する理解医療への接続が最適解の対処なのに

村社会叩きたい奴が未だに犯人村社会被害者だと擁護してますから

2025-10-30

安倍晋三のパター

マイケルジャクソン手袋とかキング牧師原稿みたいな扱いだね

あと10年、20年もすれば安倍晋三は本当に偉大な政治家だったと考える世代が出てきて

安倍バカにしてるのはジジババだけという状況になるだろう

おまえら意識アップデートできるかな

安倍晋三を心の底から尊敬できるか?

嫌韓老人と同類扱いされる時代差し迫ってる

猟師の孫

「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」

孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。

後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。

老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。

老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である

この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマ樹木へ爪で傷を付け自身縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。

「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父マーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。

いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。

馬ほどの体格を持つとは言え、素人からするとたか草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。

実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカヒグマキタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆ヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。

その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である

「奥義は下段」

孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。

祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。

「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。

「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。

後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。

特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。

これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ

「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである

孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。

遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。

奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマ祖父体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音であるパンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマ体当たり回避たかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。

ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父ヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。

体当たりは分が悪いと悟ったヒグマ祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである

三足となったヒグマは再び必死体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たり回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマ祖父の動きを視線しか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。

短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。

ヒグマメートル100キロ、2m超のヒグマ200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。

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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。

私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。

では、行ってきます

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