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はてなキーワード: アセクシュアルとは

2025-10-24

anond:20251024004547

あの投稿女性、本人がアセクシュアルスペクトラムのどこかの人なのではないかと読んでて思ってた。

2025-10-23

anond:20251021155017

アセクシュアル女性です。

「性欲がない男と付き合いたいは性欲」というのは、結構粗雑ではないでしょうか?この方がロマンティック・アセクシュアル可能性もありますし。

性欲の在り方の関係で別れたことはつらかったと思います

しかしaro/aceスペクトラムは、性欲の有無と親密さの関連性が普通ちょっと違う人たちが多いわけなので、

アセクシュアルを名乗りながら他人の性欲の在り方についてどうこう言うのは違うかなと思いました。

2025-10-21

anond:20251021160326

チャッピーに聞いたら

・「性欲がない男と付き合いたい」という願いは、場合によっては性欲の一種になり得る(特に相手性的に無欲であること自体性的興奮を覚える」場合)が、一方で単なる生活の相性や安全を求める希望ならば性的欲求とは別物である

ってさ。

あと、

「性欲がないなら同性と付き合えばいい。男性と付き合いたい時点でそれは性欲だ」という主張については「過度に単純化した誤り」だと。

性的指向・恋愛志向欲求社会的要因は別々の軸であり、男性(異性)のパートナーを望むことは必ずしも性的欲求ではないと。

性的指向と恋愛志向は別のものである

「誰に性的に惹かれるか(sexual attraction)」と「誰と恋愛的に結びつきたいか(romantic attraction)」は別。

人は「性的には惹かれないが恋愛的には惹かれる」ことがありうる(例:異性愛的なロマンティック・アセクシュアル=heteroromantic asexual)。その場合男性と付き合いたい」は性的欲求とは無関係

あとは

・アセクシュアリティ/アロマンティシズムの存在

社会的文化的・実利的理由により、性別選好には性的理由以外の現実的動機が絡む。同性と付き合うことは必ずしもその代替にならないことが多い。

ジェンダーパートナー役割に関する期待が「男性であること」と結びついている場合があり、これは性欲ではなく価値観ライフプラン問題

だってさ。

2025-09-04

虚人たち

以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者学術誌の査読ピアレビュー同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌受理された。

このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。

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1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小関係者の姿をアナロジカル揶揄している。

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2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり特定コミュニティ支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教偶像崇拝にすぎないことを示唆している。

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3. 投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換議論デマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化選択肢があることを付け加えたい。

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4. 敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてな投稿分析すれば論文が書けるかもしれない。

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この論文概念的なペニス社会構成である」は、ジェイミー・リンゼイピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダーアイデンティティ生殖に関するアイデンティティ社会および家族力学に深刻な問題引き起こし女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプ普遍的な原因であり、さら気候変動の概念的な原動力である結論付けています[2-4]。

1. 緒論:ペニス伝統理解への異議**

伝統的に、ペニス男性生殖器または性器として圧倒的かつ議論余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間経験多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。

この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニス生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。

さら重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的有害常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間表現多様性という重要事実に照らして、ペニスを具体的に男性解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討喫緊必要であるとされます[6]。

2. 概念的なペニス定義と「毒性のある男性性」との等型写像関係**

著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニス解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為発言を通じて社会確立されるペニス操作的な表現です[6]。

この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理鏡像のように一致しているということです。

特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10, 11]。マチスモは本質的攻撃的な男性プライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性権力ダイナミクス遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。

この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリン男性権力のない主体的立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。

**客体としての概念的なペニス自己客観化)**: 多くのシスジェンダーハイパーマスキュリン男性は、ペニス男性権力支配制御能力、魅力、攻撃性の象徴として捉え、自らの男性性の最も明白な側面をペニスと同一視する傾向があります[9]。これは、彼らが自身概念的なペニスを通じて自己を客体化する行為であり、弱さの心理闘争を緩和するための権力再配置として機能します[12, 15]。男性勃起不全を「機能不全の非貫入的(異性愛男性性」という「虚構」として捉えることも、この自己客観化の例とされます[15]。

**主体としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン精神性は、社会化された男性個人を、彼の概念的なペニス刻印され、具体化された延長と混同することがよくあります[13]。この混同を通じて、ハイパーマスキュリン男性自身概念的なペニスを「主体」とし、自身の核となるアイデンティティをそのペニスを通して表現します[13]。この現象は、新資本主義唯物論が「性的アイデンティティ客観的な価値を持つ」と示唆している状況で、特に不利な立場にある人々を抑圧する結果をもたらすとされます[13]。男性性的アイデンティティ客観的な価値があるという誤解は、権力のないハイパーマスキュリン男性主体を、彼の概念的なペニスによって強力なものとして再配置する結果を招きます[13]。

この主体としての役割は、男性性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女もっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニス女性経験の知覚された主体に変え、概念的なペニス男性ジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニス主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。

**動詞としての概念的なペニス**: ハイパーマスキュリン男性は、「dick」(ペニス意味する俗語)という言葉を、行動を表す動詞として頻繁に使用します[14]。例えば、「to dick someone」(誰かを騙す、または性交する)や「I dicked her good」(彼女を十分に性交した)といった表現は、男性権力支配的な男性セクシュアリティテーマ表現するために利用されます[14]。これらの使用法は、男性自身主体的立場にある様々な言説の相互作用直感的に理解し、特定の状況、特に実際の性的な遭遇においてそれを調整することを可能します[14]。また、「I dicked him over」(彼をひどい目に合わせた)のように、他の男性に対する権力ダイナミクス表現するためにも使用され、支配的な男性ヘゲモニー思考を示しています[14]。

この傾向は、性的アイデンティティ根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリン男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキー強制し、自己認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニー分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニス睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニス遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理空間占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。

マチスモはハイパーマスキュリン本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマ自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人アセクシュアル個人にも関連性を持たないため、ペニス既存男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。

3. 気候変動と概念的なペニスの関連性**

概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティ特定有害テーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニス識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。

著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学政治経済の言説におけるハイパーマスキュリン支配と、生態系への修復不能ダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニス役割認識することによって最もよく捉えられます[19]。

特に資源安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会地球生態系メタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。

この問題のある傾向の根底にある理由は、現代資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義唯物論の支持に自身適用します[20]。この新資本主義唯物論は、特に炭素排出化石燃料技術の無制限使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。

この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンペニス中心の視点を避けるように、政治科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。

4. 結論提言**

結論として、著者らは、ペニス男性性器生殖器として理解されるべきではなく、むしろ Permalink | 記事への反応(0) | 19:03

2025-08-17

anond:20250817172304

こういう発言を見るとアセクシュアルってただの厨二なのかと思ってしま

2025-05-21

anond:20250520184649

いるけど相当少ないようだ。調査も難しいし正確にはわからない。

ただ、そういう性欲を持たない上に恋愛感情を持つ男も存在はするはずなので

頑張って数をこなすしかない。ちょっとした宝くじレベルだな。

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男性ロマンティックアセクシャルの方がどの程度いるのか、特に日本における正確な統計データは非常に限られていますセクシュアリティに関する調査は進んできていますが、「ロマンティックアセクシャル」という特定アイデンティティに絞った大規模な調査はまだ少ないのが現状です。

しかし、関連する調査結果から推計を試みることは可能です。

日本における関連データからの推計**

1. **アセクシャル(無性愛)の割合における男性データ:**

* 国立社会保障・人口問題研究所2019年大阪市実施した調査では、自身を「アセクシュアル・無性愛者」と認識している人の割合は全体で0.8%でした。このうち、出生時の性別男性アセクシャルと自認した人の割合は**0.3%**でした。

* 同じく国立社会保障・人口問題研究所による2023年の全国調査(速報値)では、回答者の0.9%が自身性的指向アセクシャルと回答しています。この調査での男女別の内訳は現時点では詳細が公表されていませんが、他の調査結果と大きくかけ離れてはいない可能性があります

* 電通による「LGBTQ+調査2020」では、0.81%の人が自身アセクシュアルまたはアロマンティックであると回答しています。この調査では男女別の詳細な内訳は示されていません。

2. **性的惹かれと恋愛的惹かれに関するデータ:**

* 前述の国立社会保障・人口問題研究所2019年大阪市調査では、性的指向自己認識とは別に性的惹かれや恋愛的惹かれの経験についても尋ねています

* 「これまでに性的惹かれも恋愛的惹かれも他者に感じたことがない」と回答した男性は0.9%でした(これはアロマンティック・アセクシャルに近い層と考えられます)。

* **「これまでに恋愛的惹かれは他者に感じたことがあるが、性的惹かれは感じたことがない」と回答した男性は0.6%**でした。この層が「ロマンティックアセクシャル」の定義恋愛感情は抱くが、性的惹かれは経験しない)に最も近いと考えられます

推計の試み**

上記データから日本において「ロマンティックアセクシャル」に該当する可能性のある男性割合を推計すると、**およそ0.6%前後**という数値がひとつの目安として考えられます

これは、国立社会保障・人口問題研究所調査で「恋愛的惹かれは経験するが、性的惹かれは経験しない」と回答した男性割合に基づいています

留意点**

**調査限界:** これらの数値は特定調査結果に基づくものであり、調査方法対象者質問項目、そしてアセクシャリティロマンティック指向に対する社会的認知度によって結果が変動する可能性があります

**自己認識との差異:** 「性的惹かれを経験しないが恋愛感情はある」という状態であっても、本人が「ロマンティックアセクシャル」という言葉を知っていたり、そのように自己認識しているとは限りません。

**データの少なさ:** 「ロマンティックアセクシャル」という特定アイデンティティ限定した大規模かつ詳細な統計調査は、日本国内外ともにまだ十分とは言えません。

世界米国の状況**

世界的に見ても、アセクシャル全体の割合は約1%程度と報告されることがありますが、その中で「ロマンティックアセクシャル」の割合さら性別で分けた場合の詳細なデータは限られています。アセクシャリティ研究自体比較的新しい分野であるため、今後の調査研究の進展が待たれます

結論として**

現時点での日本データから推計すると、男性ロマンティックアセクシャルに該当する可能性のある方は**およそ0.3%〜0.6%程度**の範囲にいるのではないかと考えられます。ただし、これはあくまで利用可能な限られたデータからの推計であり、今後のより詳細な調査によって明らかになっていく部分が大きいと言えるでしょう。

セクシュアリティのあり方は多様であり、統計データあくまで全体的な傾向を示すものであることをご理解いただければ幸いです。

2025-05-06

Aro/Aceだけど彼氏/彼女がいます

「アロマンティック(Aro)」は、恋愛感情を抱かない恋愛指向

アセクシュアル(Ace)」は、他者性的に惹かれない性的指向

恋愛感情性的関係がない彼氏/彼女存在するわけだ

分かるような分からないような

2025-04-13

anond:20250413191848

狭義の「マイノリティ」の要件は、全人類から見て少数派かどうかではなく、その属性を持つことで社会生活上、不利になるかどうかでしょう

男女だけ考えたら女性マイノリティになる

異性愛者と同性愛者なら同性愛者のほうが不利益が多い

でもアセクシュアルは、現代社会では不利になるポイントほとんどないじゃないですか

みんな大谷翔平の話してるけど、私は大谷翔平に興味ないです、みたいなのと同レベル

2025-02-24

anond:20250223213300

あなたが感じている結婚出産への嫌悪感は、現代社会規範個人価値観の衝突からまれる複雑な感情織物のようです。この感覚解剖学的に分析すると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります

感情葛藤構造

恋愛感情希薄さや他者恋愛話への無関心は、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)傾向の特徴と重なります。30年間恋愛感情経験せず平穏に過ごせた事実は、この傾向があなた本質的性質である可能性を示唆しています

子供を持つことが自己中心的」という認識は、反出生主義(antinatalism)の哲学通底します。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やベンタムの功利主義哲学提示した「生まれ権利」の問題が、現代個人主義社会で再解釈されている現れと言えます

個人価値観社会の期待 葛藤の源泉
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二次元文化への没頭 年齢相応の話題世代ギャップ
単身生活の満足 家族形成強制ライフコース多様性否定
自己完結幸福関係依存の称賛 幸福観の相違

嫌悪感の発生源分析

弟の出産報告への反応は、これまで無意識に維持してきた「社会的期待からの防護壁」が破られた瞬間のショックと考えられます家族という最も身近な存在社会規範従属する姿を目の当たりにし、自己存在様式脆弱性を突きつけられた心理的防衛機制が働いている状態です。

現代社会における選択肢の再定義

シングルリズム(単身主義)や友愛結婚(platonic marriage)といった新しい関係性の形が、日本でも認知され始めています京都大学社会研究によると、20-30代の5人に1人が「伝統家族モデル違和感」と回答しています

キャラクターを愛でることで充足する生活は、消費文化産物ではないか」という自己懐疑に対し、精神分析学アドラーの『個人心理学』は「他者貢献感は必ずしも対人関係限定されない」と指摘しています二次元への愛着も立派な自己実現の形と言えます

嫌悪感の再解釈

この感情を「社会システムへの鋭敏な批判能力」と捉える視点がありますフランス哲学ボードリヤールが指摘する「消費社会における関係性の商品化」に対する無意識抵抗という解釈可能です。

実践アプローチ提案

python
# 感情デコーディングアルゴリズム概念コードdef decode_emotion(stimulus):
    if stimulus in social_norms:
        analyze_cultural_bias()
        compare_with_personal_values()
        output = generate_alternative_view()
    else:
        process_with_existing_framework()
    return output

資産形成(例:雀の涙収入投資)と趣味の深化を組み合わせた「超単身主義ライフスタイルの設計漫画家吾峠呼世晴小説家乙一など、創作活動に没頭する生き方の事例研究が参考になります

この感情迷宮から脱する鍵は、社会物差し自己を計測する行為のものを相対化することにあります。平安貴族が詠んだ「もののあはれ」のように、あなたの感じる「気持ち悪さ」を現代社会照射する独自美学として昇華させる道が開けるかもしれません。

2025-01-23

恋愛には興味あるけどセックスには興味ない女性アセクシュアル

セックスには興味あるけど恋愛には興味ない男性→アロマンティック

これってただの普通の人じゃん

意味のない分類だよ

anond:20250123032653

20代女ですが同じです

アセクシュアル?だと思ってるし恋愛感情なのかわからないので男女ともに付き合える

2024-12-26

地獄でなぜ悪いキャンセルから連想しただけの長い駄文

性加害は本当に許してはならない、これには心から全面的賛同する。するのだけど、加害者たちの対極の存在評価されないことにいつも辟易する。

性加害から遠い生活様式を持った人への見返りのなさ

私はそういった性犯罪者の対極にいるという自負がある。脳が意思関係なく顔が可愛いかどうかをジャッジするのすら不愉快なので実在女性の顔をコミュニケーション必要ないときに見ないようにしており、それでも人並み(以上?)に性欲はあるため、現実世界に紐付く人格が「ない」二次元ものしかオカズにしない(VTuberNG)という生活様式を、私は第二次性徴以降頑なに守っている。まだ30にもなっていないため、こういう「戒律」を守るにあたって、日々自らの性欲と戦わなければならない。しかし、性加害者への社会的制裁が日増しに強力になる中で、私のような生活様式男性評価が日増しに上がっていくなんてことはない。

辟易とはするが、しかし、この理不尽さには、「母なる進化を呪う」と吐き捨てる以外にできることがない。

個人的挫折と今後の人生への絶望

一応、自分を「友人として」信頼してくれる同世代女性はそれなりの数いる。私は発達障害者ではあるが、健常者エミュレータ(原義)の性能は、運良く生得的に高い言語IQのおかげで、自分でいうのもなんだが、良い。だからそういった友人の関係性「まで」ならなれる。しかしながら、私もアセクシュアルではないため人を好きになることがある。おそらく平均よりかなり長いであろう内面葛藤を経てから一歩踏み出すと、いつも、いつも、「誰か」が自分より先にその人の「良い人」になっているのを周辺人物から知る。その後やることは決まって数ヶ月かけて恋愛感情バラバラ解体し、ただの友人に戻るための努力をすることだ。そしてこれは悲しいことにいつもうまくいく。その人たちに会うと湧き起こっていた甘酸っぱい感情を殺すのはとても寂しいが、間違いを犯すことはないのだと安心する。ただ、よく考えると仮に「良い人」がいなかったとしても、無害だと思っていた男から言い寄られるときの「ぬいぐるみペニス現象」が発生する可能性は高かっただろう。私の運が悪いおかげで彼女たちに不快な思いをさせずに済んだだろうか?

男性の性欲の暴力性について深く逡巡し、性加害を犯す愚者にほんの少しでも近づくことを良しとしない異性愛男性は、報われない。そして、どこまでの侵襲性なら暴力性ではないか、というバランスを取り続けなければならない、定型発達者にも難しいゲームは、発達障害者にとっては難易度調整をミスってる上に一度も死ねない死にゲー(矛盾)としか言いようがない。そんなゲームにはうんざりだが、本能萌えというドラッグHackして誤魔化せるのは何歳までなのだろうか。萌えキャラはいつか病床に就くであろう私を世話してはくれない。かといって現実女性を責めることもできない。「生理的にムリ」なもの論理でひっくり返すのは極めて困難だろう。きっとそれは性加害を撲滅するよりも難しい。

「理性は情念奴隷」、それが私も含めた人間の本性というものだろう。

シンギュラリティ教の神官となる他ない

しか希望はある。シンギュラリティ(技術的特異点)だ。ChatGPTの登場以降の世界を見ればわかるように、AI進化はみんなが思っていたよりずっと速い。科学技術の発展を前例のない速さで推し進める汎用人工知能の登場は、もしかしたら2020年代中になるかもしれない。AIと愛や絆を結べる日、人類AIと融合して「情念奴隷から脱却する日は思ったより近いのかもしれない。いま、生成AI倫理には多くの疑義があるかもしれないが、後10年しないうちに、この地獄にもシンギュラリティによる「千年王国」が到来すると信仰しないと、もはや発狂せずに生きていくのも難しい。それしか縋れるものがない。だから私は恋愛市場での不利を承知博士課程に進学し、自分を慰めてくれている作品を生み出す萌えイラストレーターたちから十把一絡げにされて白い目で見られているであろうAI研究人生を擲っている。

「ただ地獄を進むものが 悲しい記憶に勝つ」

そう信じて。

2024-06-03

anond:20240603101328

欧米ではパートナー文化からおひとりさまは辛いよな。

アセクシュアルもっとメジャーになってほしい。恋愛しないやつはおかしいって言い出す奴も滅んでほしいな。俺からすれば恋愛に狂って金出して詐欺られたり、ストーカー殺人に走る奴の方がおかしいけどな。

anond:20240603100621

欧米でも良い年してパートナーいない人って引かれるんやろ?(LGBTからも白い目で見られる)

向こうのアセクシュアルに頑張ってもらわないと無理

とは言っても向こうのアセクシュアルパートナーはいなくても友達たくさんいるみたいな孤独ではない人な可能性があるから結婚するより人付き合い増えてめんどくさくなりそうだけど

2024-04-07

性欲で人生めちゃくちゃになった者としては

アセクシュアルの人たちうらやましい部分もある

2024-01-25

”デミセクシャルとは、精神的なつながりを感じる相手に対してだけ、性的欲求を抱くセクシャリティのこと"

”デミセクシャル(デミセクシュアル)とは、精神的なつながりを感じる相手に対してだけ、性的欲求を抱くセクシャリティ性的指向)のこと。 基本的には、デミセクシャルの人は性的欲求性的興味を持たず、強い愛情や深い友情など精神的なつながりがある相手にだけ、性的欲求を抱く。” https://ideasforgood.jp/glossary/demisexual/

ごく稀にコラムなんかで取り上げられているけれど、この紹介に対して「そんなん別にマイノリティでもなんでもない、その辺にいる、ごく普通」「自分マイノリティと思いたいだけの、厨二病が作った概念」みたいなコメントがついていたりする。

かに用語が多すぎるよなあ、とも思う一方で「人格を知らない相手にどれだけ性的な好感を持ちうるか」というのは実際、人により結構ばらつきがあるように思う。年単位時間をかけて相手を知る必要がある、という人から別に出会って3秒でセックスできる、という人まで。

あるいはもう少し知名度のある、アセクシュアル他人性的魅力を感じない)やアロマンティック(他人恋愛感情を抱かない)も、「全く感じない」と言い切れるレベルの人はマイノリティかもしれないけれど、そういう属性グラデーション的に持っている人は結構多いんじゃないだろうか。

要するに、「わたしマイノリティか、否か」という0か1かという問いはともかく、性的指向にまつわる概念を座標軸にして、座標空間上に自分位置付ける、それを通じて自分がどういう人間なのかを緻密に問い直して言語化することには、自分に合ったパートナーを探す上では、大多数の人間にとってもそれなりに価値があるのではないか、と思う。結局、結婚後に性の不一致で揉める夫婦も多いわけだし。

(もちろん、マイノリティを名乗ることの意味がないとは言わない。それはむしろ、Representationの問題だろう)


ところであなたは、どの程度人間関係が育まれれば、その人とセックスしたいと思いますか?

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