はてなキーワード: 株式会社はてなとは
東証グロースの上場維持基準は上場から10年後に時価総額40億円だが、現在の時価総額は約30億円。
つまり、このままだと来年の3月には上場維持基準をクリア出来なかったことになるため、上場廃止の可能性が出てくる。
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/continue/outline/03.html
一応、グロース市場から時価総額基準が無いスタンダード市場に移るという手も無くは無いが、代わりにより厳しい流通株式の基準等もあり、全く容易ではない。
しかも、追い打ちをかけるように先日東証より「グロース市場の上場維持基準の見直し等の概要」が公表された。
https://www.jpx.co.jp/news/1020/um3qrc0000026eka-att/um3qrc0000026enb.pdf
2030年以降は、上場維持基準が「上場5年経過後に時価総額100億円」以上と見直される予定だ。
なお、以前に上場している企業(はてなも含む)は、一応は「なんとか頑張って100億円目指すぞ」プランを開示すれば多少の延命は出来るが、それでも猶予期間中に「⾒直し前の上場維持基準(上場10年経過後40億円)にも適合しない状態となった場合には、改善のための期間を設けず速やかに上場廃⽌を決定」となる。
キタニタツヤ氏のツイートが物議を醸しているのを見て、「なぜこの発言がここまで賛否を呼ぶのか」について、自分なりの意見を少し書いてみる。思うままに書き連ねるので読み難かったら申し訳ない。
https://x.com/TatsuyaKitani/status/1944394267348303935
端的に言えば、この発言は“世の社会人”を無自覚に軽んじているように見える。少なくとも、そう受け取られても仕方のない内容だからだと思う。
SNSで“チョビ悪意”を込めてクリエイターにダメージを与えている人だって、もしかしたら作曲者が使っているDAWソフトを作っているかもしれないし、曲を配信するプラットフォームのコードを書いているかもしれない。あるいは、普段行くコンビニのレジに立っているかもしれない。
学生やニートを除けば、ほとんどの「消費者」は同時に「生産者」でもあるはずだ。
じゃあ、その「消費者であり生産者」である人たちは、“チョビ悪意”に晒されていないのか?そんなことあるわけがない。
コンビニの店員は横柄な客に傷つけられ、プログラマーはソフトのバグや挙動に文句を言われる。UIデザイナーは、自分がこだわったインターフェースをこき下ろされる。美しいとは思わないけど、それが社会ってものだし、みんなそれに耐えている。それこそが、このツイートで「消費者」として言及されている人たちであり、つまりは「社会人」なのだ。
でもこのツイートからは、そういった想像力が決定的に欠けているように感じる(少なくとも自分には、そう映る)。つまり、自分たち(コンテンツ産業の生産者)以外の生産者のことを一切考えられていない。
「お前らはアプリのUIに文句を言う前にFigmaを開いたことがあるか?」
「ラーメンの味に文句を言う前に、自分で麺を打ったことがあるか?」
「イーロン・マスクに文句を言う前に、SNSを買収したことがあるのか?」
「Steamでワイルズに低評価を付ける前にコードを一行でも書いてみたか?」
多くの人は、自分が作ったこともないものに文句を言う。そして、自分が作っているものについても、よく分かってない人から文句を言われる。それでも社会は回っているし、それで回ってるのが現実だ。
加えて言えば、誰だって作り方が良くわからないものに文句を付ける権利がある。例えば君たちがはてな匿名ダイアリーに文句を言ったら、株式会社はてなのエンジニアから「一行でもコードを書いてみればWebアプリの難しさが分かるのに……」なんて言われたら殴りたくなるだろう。
そんな中で「すべての人がクリエイターになれば悪意で物を言われなくなる」なんて、あまりにも傲慢な話じゃないか。
クリエイターは他の産業の生産者よりも、特別扱いされて然るべき存在なのか?
もちろん、自分も「すべての人が他者に対して優しくあれたらいい」と思ってる。
意見や文句も、できるだけ丁寧に伝えられたらいいし、リスペクトを持てたら理想的だ。
でもそれは、「相手がクリエイター様だから」ではない。人と人との間で当然取るべき態度だからだ。
言いたいことがシッチャカメッチャカになってしまったが、つまり言いたいのは、
「クリエイターにリスペクトを求めるなら、同じくらい他の生産者をリスペクトをするべきだ」
「元のツイートは消費者を「生産者でないもの」とみなしていて、コンテンツ産業以外の生産者にリスペクトがないように見えるから叩かれている」
という話だ。
※珍党はてなは架空の政党です。この公約が実現されることは絶対にありません。
「2 防衛予算の削減」
日本を滅茶苦茶にした「団塊世代~バブル入社世代」に対する徹底的な冷遇を実現します。
この世代は今の日本を形作った世代であると自負していますが、その実態は腐敗と絶望が吹き荒れる地獄のような国です。
彼らは自分たちのやったことの責任も取らずに「老後」というゴールを満喫しようとしています。
病気になったのは自己責任!お金がないのは自己責任!自分の人生は自己責任!
ババの押し付けあいと我田引水を繰り返してきたツケ!その人生で払っていただきましょう!!!
防衛予算の国費に対する割合自体を増やそうというのが間違いなのです!
経済的発展を遂げ、それによって増大した国費に対して変わらぬ割合で防衛力を維持する形を目指すべきです。
予算を寄越せと政権与党に甘えれば勝手に降りてくる状況に自衛隊は慣れすぎています。
その結果が、しょーもない事故で機体や人名を次々に失う現状なのです!
維持費を削減するのです!
ただで捨てるのが勿体ないならNATOの適当な国にでも売ればいい!
空母なんて日本にいりますか?「あぶくま型」なんかじゃなくて最新の空母をマレーシアなりに売っぱらってやりましょう!そのお金でトイレットペーパーを買いましょう!
ブルーインパルスが国防において意味がありますか?隊員ごと適当な国に売っぱらってやりましょう!航空燃料で動く雑技団を抱える余裕は日本にはない!
水陸機動団なんて実験するだけ無駄じゃないですか?オスプレイはいい加減捨てませんか?管理しきれずに事故るだけなら航空機の数を減らしませんか?LCACなんていつ役に立つんですか?
売っぱらいましょう。売れないなら捨てましょう。
経済が発展して予算が増えたら、玩具なんかじゃなくてちゃんとした兵器を買いましょう。
連続当選や二世議員が多すぎることは確実に日本の政治を停滞させています。
なぜなら議員としての実績を積むということに絶対的に有利な地位にいるからです。
既得権益を守るために協力してくれる人も沢山いるでしょう。
その状況で新人と拮抗するような人を続投させる必要なんてあるでしょうか?
在籍期間中に結果をちゃんと出していたなら、その人に是非続投してほしいという票がこれでもかと集まるはずでは?
そこで私は在籍期間に応じた係数を得票数にかけることを提案します。
たとえば「0.9」の在籍期間乗をかけるとかです。
1回在籍してたら得票数は×0.9がけ 、2回連続していたら×0.81がけ 、 3回なら×0.729がけといった感じにです。
たとえば4回連続当選していた人が負けたら、次は2回連続当選と同じ0.81がけでの戦いになるということです。
でも考えてみてください。
現状における二世議員の当選のしやすさは本当に異常なレベルなのです!
私が言ったのは単なる例に過ぎません!
#GQuuuuuuX 第7話を見てアンチになったので宣戦布告 #ジークアクス - 玖足手帖-アニメブログ-
ヌ・リョウグ・ダの宣戦布告 :https://notebooklm.google.com/notebook/64bb91cb-674e-4366-ae64-b3cae49e5f68/audio
本ドキュメントは、ブロガー「ヌ・リョウグ・ダ」氏によるブログ記事「黒歴史襲来!ジークアクス、潰すべし」の分析に基づいています。
この記事は、主に機動戦士ガンダムシリーズの新作「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(以下、ジークアクス)」第7話に対する強い否定的な感想と、
記事全体に警告や危険を示す言葉が散りばめられており、筆者の極めて個人的で攻撃的なトーンが特徴です。
筆者はジークアクス第7話に対し「つまらなかった」「吐き気がする」と明確な敵意を表明しており、
作品の演出、脚本、キャラクター描写、戦争描写など多岐にわたって批判を展開しています。
特に過去のガンダム作品や庵野秀明監督作品の手法を安易に模倣した「パッチワーク」「コピー品」であると断じています。
記事の大部分は、筆者自身の個人的な経験、特に母親の自殺、祖父母の複雑な背景、過労死寸前の経験、
精神的な不安定さ、そしてそれをガンダムやその他の作品と結びつけた独特の自己認識について語られています。
これらの経験が、彼の作品評価や世界観に深く影響を与えていることが示唆されます。
筆者は富野由悠季監督のガンダム作品に命を救われた経験があると述べ、
その深い思い入れがあるからこそ、今回のジークアクスに対して強い失望と怒りを感じているようです。
筆者は、過去のガンダム作品において「戦後」が十分に描かれていないと感じており、
しかし、ジークアクスは戦争の混乱や残虐さを描かず、安全でポップなエンターテインメントに終始していると批判し、その欠如に失望しています。
自身の壮絶な家庭環境や祖父母の背景(戦争犯罪者、淫売、戸籍捏造など)が現在にも影響を及ぼしていることへの苦悩を吐露しています。
筆者は自身を「精神障害者(2級)」「無敵の人」「異端者」「転生者」などと自称し、
このブログ空間内での「万能の発言力」を持ち、外部の常識や倫理とは異なる独自の論理で語っています。
SNSアカウントを持つ著名人(安田朗氏など)に対しても攻撃的な言動が見られます。
また、自身の思想をグノーシス主義と主張するなど、独特の思想体系を持っています。
・ジークアクス第7話は筆者にとって極めて「つまらない」ものであり、強い敵意の対象である。「今回のGQuuuuuuX第7話は、つまらないアニメを見た時の状態でした。」 「つまらないアニメを見ると、鬱になる。最悪の気分になって、途中で再生を止めて「クソッ!」と吐き捨て、見るのをやめるか…」 「ジークアクス君に期待していたのは「戦後の描写」だったのだ…やっぱりいつもの株式会社BANDAI SPIRITS ホビー事業部のプラモデル販売CMフィルムでしたね。」
・筆者の作品評価は、彼自身の壮絶な人生経験と精神状態に深く根ざしている。「僕はアニメを目ではなく心で見ている。アニメは視聴覚芸術文化なのに心で見ているというのは出崎統版ベルサイユのばらのオリジナルキャラクターみたいで変な言い方だが、とにかく精神で見ているのだ。」 「個人的な話なんだが、僕は前述のように母親を自殺で亡くしている。」 「というわけで、それ以来、僕にはメインのスタンドの脳内妹だけでなく、背後霊というか岸辺露伴に取りついたチープトリックみたいなものが「お母さんが亡くなってしまった」と常に言い続けている。」 「僕の人生の皮膚感覚としては、人は偶然ランダムに死ぬものであってドラマ性も特になく、ただ単に殺されたり事故にあったら死ぬって感じなのでドラマチックに整理された戦闘や死よりガンダムとかイデオンとかジョジョの奇妙な冒険とかクトゥルフ神話TRPGみたいにサイコロの目でランダムにすぐ死ぬアニメの方が僕の感覚に近くて馴染む、馴染むぞ!」
・筆者は富野由悠季監督に深い敬意と複雑な感情を抱いているが、同時に「裏切られた」経験や喧嘩も公言している。「ある意味、ガンダムのおかげで命拾いをしたという経験がある。一種の強化人間かもしれん。」 「僕も富野監督から「貴兄」と呼ばれて、「やっぱり僕は脳内妹のお兄ちゃんだと富野監督にも認められたんだ」と喜んだ。」 「監督に書かれた文は「推し活はいったん区切りにしませう」というわけで、離縁状なんだけどな。」 「僕のようにオタク活動を長くやっていると普通に富野監督に裏切られた人のことも知っているし、それはまだ表に出さずに交渉カードとして温存しているよ。富野監督レベルの人の人格がまともなわけないやん。普通に喧嘩もしているよ。」
・筆者のブログは、彼にとって外界から隔絶された独自の「固有結界」であり、そこで彼は「王」として振る舞う。「このブログは固有結界。22年の歳月と数千万文字の言葉と記事によって紡がれし王国であり城。」 「このブログの王国の中での彼は管理者権限を持つ王として、株式会社はてなの倫理的規定に抵触しない限り、万能の発言力を持つ。」
・筆者は、自身を「クズの孫」と称し、祖父母や両親の背景にある「戦中戦後のクソ倫理観」や「戦争」が自身の存在や現在にも影響を与えていると強く認識している。「祖父が陸軍中野学校卒の従軍憲兵として成り上がり、戦後は戦争犯罪を揉み消すために名前を変えて戸籍を捏造し戦後は公安幹部として叙勲されたこと、祖母が淫売で母親は私生児だったことを公言してはばからないほど、戦争に対する非常に深い憎しみとそれを超える狂気の持ち主です。」 「そういう男と女の間に生まれた淫売と戦争犯罪者の孫なんだ!」
「俺の戦争は終わってない!戦争で狂ったクソどもの生殖本能が俺を生み出した!」
この記事は、ジークアクス第7話に対する個人的で激しい批判を軸としつつも、筆者自身の壮絶な人生経験、精神状態、そして血縁と歴史(特に戦中戦後)からの影響について深く掘り下げた内容となっています。
作品批評というよりは、筆者の内面の吐露、あるいは一種のパフォーマンスアートとして解釈するのが適切かもしれません。
記事全体に漂う強い攻撃性や自己開示は、筆者の精神的な不安定さと、過去や血縁から逃れられない苦悩の表れと考えられます。
記事の末尾は、妹を名乗る人物による筆者の状態の説明と代筆という形で締めくくられており、記事の特異性を際立たせています。