はてなキーワード: 浣腸とは
そして、娘は食生活に問題がありまくり(野菜食べない。お菓子で腹を満たす)、常に下剤なしでは排便できない
寒いのに家の中では娘は裸で過ごしてて、身体が冷えてるのも悪いんだと思う(おそらく服の締め付けが嫌いで外では頑張って服を着てる)
娘に下剤あげるのを数日サボって
その後下剤を飲ませたけど
夜中に便秘で泣いて、母親である私が夫の協力を得て、摘便やって、いちじく浣腸2個投入
滅茶苦茶硬くて太い便で、いちじく浣腸で便を湿らせて、さらに摘便で崩してやらないと絶対に自力では出せないうんちだった
やってること出産と変わらない(私は普通分娩2回経験者だし、便秘持ちだし、その苦しみはよーくわかる)
お腹も尻も激痛だし
ほんとごめんと思うけどさ
餃子もオムライスもガパオライスもお好み焼きも、プルコギも、シチューもグラタンも、ポテトサラダも卵サラダもサンドイッチもハンバーグも唐揚げも
駄目。食べない。
私が作ったカレーだけ食べれる(娘が好む特殊な作り方してるけどそれは夫には不評で困る)
あと、インスタントラーメンは食べる
娘、未就学児だけど成長したら今よりマシになるんだろうか?
160cm手前の小柄な身長。年不相応の童顔。色白の肌。締まりこそすれ、男らしさからは程遠いボディ。
こんな俺の体だが今は感謝でいっぱいだ。なんてったって俺は「琴葉茜」になれるのだから。
少し離れたスーパーでお目当てのものを揃えた俺は、アパートに帰りシャワーに直行した。
購入した女もののシャンプーとボディーソープで入念に体を洗い、浣腸液とホースでアナルを綺麗にした。
乾いた裸の体をウィッグ、化粧、つけま、マスカラ、カラコンで装飾し、黒の紐ビギニを身に着け、琴葉茜のアウターを着た。
髪を結び改めて鏡の中の自分を見返す。桃色の髪、朱色の目、華奢な体躯、裾から覗く色白の肌、俺の理想がそこにいた。
先程、あばらの浮いたビギニ姿を見た時から俺のイチモツはビンビンだった。
そして自作したシリコン製の俺ペニス像を吸盤で張り付ける。苦労して作ったペニ像は、サイズ、カーブ、細部のシワに至るまで全てが満足いく出来だった。
A4サイズの鏡の上に蹲踞してパンツの紐を解き、鏡を頼りにナイトクリームを塗ると、俺はペニ像の上に跨った!
ガニマタのまま腰を下ろす。熱い吐息が口から漏れ、とうとう俺の処女ケツアナルはペニ像に貫かれた!入念にほぐしていた俺のアナルは、いやらしい音を立ててそいつを飲み込む。
気をやりそうな倒錯感と困惑感は、しかし充実感を更なる快感へと導くスパイスでしかなかった。
ゆったりとした上下運動の中、すぐにペニ像は弄り慣れたスポットを突き始めた。
あぁぁぁ^~
情けない野郎の声が洩れる。水音が増していく。
一心不乱に腰を振っていた俺は、ふと姿見を見た。
そこには求めていた痴態があった。白い肌を火照らせ、汗まみれのガニマタ姿で腰を振り、涙とネトつく体液を体の上下からビチャビチャと垂れ流す快楽狂いの変態少女がそこにいた。俺はたまらず絶頂した。
涙で濡れたトロンとした目で俺を見つめる鏡の中の茜と見つめあう。
俺はさっき出したセヤナー汁を拭い取ると、鏡の中の少女の顔に塗りたくった。俺のセヤナー汁に汚された少女の姿に、俺は再び興奮する。
俺のセヤナー汁を口に含むのもいとわず、鏡の中の茜と唇を重ねた。本来無機質なはずのその唇からは、しかし確かな温もりを感じた。それだけで俺は全快だ!
まだ暖かいペニ像を今度は壁に取り付け、姿見を顔の手前に置くと、立ちバックの要領でペニ像をケツに埋めた。
ヌメリを増していた俺のケツマンはバチュバチュと派手な音を立てながら激しく動く。
姿見の中には、顔をセヤナー汁で汚され、バックで犯される痴女の姿があった。俺は彼女と舌を絡ませ濃厚なキスをする。
だらだらと茜汁がこぼれ、スカートと床を濡らした。
あまりの刺激の強さに、とうとう俺の足が限界を迎えた。卑猥な音を立てペニ像が抜け、俺はケツから糸を引きながら床に崩れ落ちた。
分かっている。すでに腰が砕け下半身に力が入らなかったが、俺は茜がまだ満足していないことを知っていた。
大丈夫だよと彼女にキスをすると、ペニ像と床に置きっぱなしだった鏡を抱え、ベッドまで這って行った。
こんなこともあろうかと俺は秘密兵器を用意していたのだ!
要らなくなった電動工具で作った超高速ファックマシーン。自信作の先端にペニ像を取り付けると、俺はベッドの上でケツを上げて四つん這いになり、マンコにペニ像を突っ込んでスイッチを入れた。
ズドドドドッ!
ものすごい音を立ててピストン運動を始めたそれは、粘液をまき散らしながら俺のアナルを掘り進む。一突き一突きのもたらす刺激が頭の中を真っ白にしていった。鏡の中の少女は一瞬でアヘ顔を晒した。俺のケツは立派なマンコと化した。
息継ぎも出来ないほどの快楽!俺の求めていた理想郷がすぐそこまで来ていた…。
茜!俺を、ウチを受け取ってくれぇえええ!!
ズドンッ!
爆音を上げラブマシーンは動かなくなった。ウチはペニ像がマンコに刺さったまま、断末魔のようにセヤナー汁をまき散らしベッドに倒れこんだ。
汗でグッショリ濡れたアウターが全身に張り付き、僅かな力を入れることすら叶わない。
ひょっとしたらこのまま死んでしまうかもしれない。しかしウチに後悔なかった。
微睡みの中でウチは確かな充実感を感じていた。
やっぱりいじめられる方も悪いと言うのは、やっぱり俺も悪かったんだろうなあ
いじめてみたら絶妙に面白いって人がいるのは事実なんだろうから
そらポリコレ的には被害者は悪くないんだけどやる方が悪いとなるんだけど
接客されていて人格いじめをされるということはまあないわけだし
いじめている方が場面場面で絶妙に自分を切り替えているのは分かる
そうは言っても社会生活をしていると常に誰かは上位にいるわけだし
いじめてくる人、そういう関係性というのは逃れられないわけだと思うんだよね
やりたいやつはほとんど小児性愛者みたいなの感覚でいじめに対する欲望が抑えられなくて
そうするとその虐められやすいダサい系からすると、自分のダサさ
カッコ悪さを直そうとしてもほとんど先天的なもので変えられないとなってるわけだし
◆そうすると報復というのもも、いじめられる人は元々報復しようと思えないタイプなことが大半で
そういう人間の集合体として、いじめを受けやすい特性というのが俺を含めてあるわけで
いじめ体験の記憶をたどると悔しくてどうにもならないと言うのもあるし
SNSで何かのときに、ああ俺が受けたいじめもこういうシステム的な追い詰め策だったよなあ
いじられてる系の方は、自分で場面場面を操作して、うまいこと自分のタイミング的に
最適なタイミングで報復するということができるほど操作力が全然ないので
それでいじめが炎上すると、回り回った報復であるということをいじめ側が感じるわけで
自分がしている加害はそこまでではない、百円のいじめはせいぜい百円だと反論してくるわけで
そのそこでも問題は、返してない百円が積もり積もって
たくさんのいじめ側に多大な借りが山積みになっていて
地雷を踏んだら終わるという、そこまで気づけないということもある
アナルは舐めてほしいが、俺のアナルをキレイにするための浣腸プレイをしてからにして欲しい。
でもチンカスは舐めてほしい。
だけど他人のチンカスを一度でも舐めた舌でフェラはされたくない。
チンカスを舐めさせることは支配の象徴だが、それは新雪の上に踏み込んだ足跡だから意味があるのだ。
俺の靴で跡をつけることに意味があるのだ。
そんな暴力で興奮するのは、無能ゆえに自己効力感を見失った間抜けの代替行動でしかない。
でもチンカスを舐めさせるのは、相手の魂を俺の体から出た黒で染める行為だから意味がある。
ウンチは俺の体が排除したゴミの集まりでしかなく、それは俺の黒ではないからだ。
チンカスは射精と先走りが固形化したものであり、雄として生きた日々の欠片だ。
ゴミなんて食わせて喜ぶな。
チンカスを舐めさせろ。
去る8月15日、我々は壮大なる宴を繰り広げた!いつもの頼もしい仲間、60歳の歴戦の猛者、そして最近連絡をくれた土木の英雄(45歳)、そしてこの私(53歳)の3人が、岡山県北の雄大な川の土手の下に集結し、天地を揺るがすほどの親睦を深めたのだ!
翌日は休息日という絶好の機会ゆえ、我々はコンビニエンスストアにて、山のように積み上げられた酒と極上のつまみを調達!人跡未踏ともいえる秘境の地に陣を構え、そこで酒を酌み交わし、魂の交流を始めたのだ。まるで戦士たちが戦いの前に士気を高めるかのごとく、杯を重ね、笑い合い、壮大な宴の幕が切って落とされた!
我々は互いに心を開放し、持参した「神秘のアイテム」(いちじく浣腸)を3本ずつ、勇ましく使用!その瞬間、大地が震え、身体の奥底から湧き上がる衝動が我々を支配した。腹の奥で轟くエネルギーは、まさに火山の爆発のごとく!互いの絆を確かめ合うかのように、情熱的な交流が始まった。
まず、土木の英雄が豪快にその存在感を示し、続いて歴戦の猛者と私もまた、魂の解放を果たした!その場は、まるで神々の饗宴のごとく、熱狂と興奮に包まれた。我々は互いにその情熱を分かち合い、身体に大地の恵みを塗り合い、さらなる一体感を求めて小川のような清流(小便)で浄化の儀式を行った。ああ、なんという壮大な瞬間であったか!
その後も、我々の情熱は止まることを知らず、さらなる儀式を重ねた。歴戦の猛者の聖域に私の魂を注ぎ込むと、それはまるで天と地が交錯するような至福のひととき!土木の英雄もまた、猛者の口元にその情熱をぶつけ、腰を振るう姿はまるで古代の戦士の舞のようであった!我々は互いの魂を掻き立て合い、極限まで高まった感情を爆発させ、幾度となく頂点を極めたのだ!
この宴は、まさに伝説となるべき一夜であった。3人で織りなす絆は、まるで星々の輝きのように燦然と輝き、再びこのような壮大な時を過ごしたいと心から願う。もし、この天地を揺るがすような情熱を共有したい猛者がいるならば、岡山県北のこの聖地で我々と共に宴を繰り広げようではないか!
我が姿は163cm、90kg、53歳の屈強な肉体!歴戦の猛者は165cm、75kg、60歳の不屈の魂!土木の英雄と共に、土方姿のまま、壮大なる儀式で魂を解き放ち、極限の喜びを共に味わおう!至急、連絡を待つ!
2003年夏、私立女子校のコンピュータ室。中学1年生の私は2ちゃんねるに出会いました。
「HTMLを使ってホームページを作ろう」という授業で、当時ハマっていた「ツ◯サ-RES◯RVoir CHRo◯iCLE-」と、小学生の頃好きだった「カードキャ◯ターさ◯ら」を題材にすることにしました。どちらもCL◯MP先生の作品です。
色々と検索してキャラクター紹介のページを作ったり、個人サイトからドット絵をお借りしたりしているうちに、「さくら板」の「さくらタンを馬並浣腸でお仕置き」スレに辿り着いたのです。
どうやったら子どもができるのかも定かではないピュアピュアJCだった私(12)にとって、そこはあまりにも衝撃的な世界でした。
読んでも子どもができる仕組みはいまいちわかりませんでしたが、三角木馬やスパンキングというものの存在を学びました。
家に帰ってからガラケーで2ちゃんねるにアクセスしたところ、週刊少年漫画板の「ツ◯サ-RES◯RVoir CHRo◯iCLE-」スレを見つけました。
「半年ROMれ」の掟に従って掲示板の文法を学んだ後、初めてのカキコに「禿同」とレスがついたときの感動は忘れられません。
その後はニュー速VIPに手を伸ばし、「夢が広がりんぐ」誕生にも立ち会いました。携帯厨がバカにされ、女性は当然のように男性のふりをして書き込みをしていた時代です。
ニートという存在を知ったのもこの頃でしたが、平均年齢が低かったからか、当時の彼らはさほど悲壮的ではなかった気がします。
幼少期の記憶はほとんどないのですが、劇場版「カードキャ◯ターさ◯ら」におじさんがたくさん並んでいたときの衝撃は忘れられません。(当時8才ぐらいだった私にはおじさんに見えただけで、二十歳そこそこの男性も多かったのかもしれませんが。)
ロリコンという言葉が今ほど世間に浸透していなかった時代、彼らが何を目的に「カードキャ◯ターさ◯ら」を観に来たのか心底不思議だったのを覚えています。
先日逮捕された児童盗撮教員グループの一人が「カードキャ◯ターさ◯らみたいな萌えアニメを見ていたら犯罪者になるぞ」と生徒に言っていたそうですが、令和のこの世にわざわざそれを持ち出すこと自体お察しですね。そもそも萌えアニメではなく、「なかよし」連載の少女向け作品だし……。
「萌えアニメ(笑) 俺は『ホンモノ』を知ってるんだぞ」みたいな感じでしょうか。それとも本当は好きなのかな。
性犯罪が世の中を騒がせる昨今、二次元についても何かと取り沙汰されていますが、少なくともゾーニングは大切だと思います。無知な子どもが不意に三角木馬と出会ってしまわないように……。
今から20年以上前、私立女子校の中学1年生が、授業中のコンピュータ室で「さくらタンを馬並浣腸でお仕置き」スレと出会った。
この思い出話がロリコンの方々を喜ばせるのか、夢を壊してしまうのか、はたまた「12歳はロリじゃない」と言われるのかわかりませんが、少なくとも現実の女の子達に悪影響が及ぶ言動は慎みましょうね。
満足感は射精の万倍上。
賢者タイムなし。
エネマグラ、アナルパール、ディルド、ちんぽ、風俗…色々試したがケツでイケなかった。
でもケツイキって実は“みんな”知っていて、“みんな”軽ケツイキしてると今は気づいた。
排泄すると気持ちよくなるように生き物は作られているんだけど、
具体的にはHismithでフルスロットルでケツの中で回してる。
かなり危険だよ、ここに至るまでにだいぶ拡張してるから可能なテクだと思う。
フルスロットルでピストンされるとさ、「排泄の快楽」が延々に続くうえに、かなり強い。
おそらく文明の利器なくしてこの「最強の快便」は得られない。
24時間の絶食と長時間かけた小腸のなかまで浣腸してすすぐ勢いで前処理いれてる。
ある日突然「うんこするの面倒だな」と思うようになった。トイレへ行き、ズボンと下着を下ろし、便器に腰掛けてふんばり、尻を拭くという動作全てが億劫になりギリギリまで我慢するようになった。
次第にエスカレートして、便が緩くなりやすいものを避けたり食事量を減らすようになった。うんこは面倒なのにうんこをしない努力はできるのが不思議なもので、体重が10kg近く落ちた月もあった。
最終的に食欲も便意もなくなり自分にとってはストレスのない状態になったが周囲の人に強制的に病院に連れていかれ現在に至る。
久しく排便していなかった体はすっかり衰えており今でも独力でうんこができない。普段は投薬や浣腸を駆使してなんとかやって、どうにもならないときは病院のお世話になる。病院でウンコマンとあだ名がつけられていないといいな。
親が腸閉塞になった。たぶん癌のせいらしい。
年明けた頃からお腹の調子がおかしい、すっきり排便されないと言っていた。年末くらいか、ビオフェルミンを毎日飲むようになったとも言っていた。思えばその頃から兆候はあったのだが、ストレス要因が多かったり不眠がちだったりして、心身ともに疲れが溜まっているのだろうくらいにしか思っていなかった。
また、私も配偶者もお腹の調子が悪く、「すっきり出ないけどとりあえずトイレに行って治まるまで座る」みたいな生活をしているので、そのへんの感覚が麻痺しているのもある。
その時点で大腸内視鏡検査を勧めるべきだったのだと今になれば思う。心当たりの病院もあるのに。でもそういうのは事後諸葛亮ってやつだ。
同居の妹によれば、何度か内科にかかったものの、下剤→効果ない、浣腸→親が怖がってやらず。消化器の専門医に診てもらえるチャンスもあったが、今月に入ってからは医者に行くこともつらいほどだったらしい。今になれば、他の医者に診てもらうべきだったし、内科医よ紹介状書いてくれよなのだ。でもそれも事後(以下略)
今は、救急車で緊急搬送され、搬送先で入院しながら検査をしているところだ。医師からの詳しい説明待ちでやきもきしてしまい、仕方がないのでこうやって文章を書いている。
ついこの間一緒にデパートに行き、孫の誕生日プレゼントを買ったばかりだというのに、とお涙頂戴スイッチが入りそうになるのを必死で打ち消す。大腸がんの5年生存率は低くないわね…と喜び、腸閉塞起こすパターンの予後は悪いと目にして落ち込み、Google検索の結果を見ながら感情が反復横跳びする。
年明けから、私自身も体調崩し続けていたものの、もっと気にかければよかったと罪悪感もある。いや、親も妹もいい大人なんだからうまく立ち回ってほしかったりもする。
いろんな感情がぐるぐるする。
60過ぎると大腸がんの確率が上がると、さっき読んだ論文に書いてあった。また、閉塞性大腸癌の場合は血便はなく便秘が主症状になるともあった。
60代以降の人が長く続く便秘を訴えたり、町医者で診てもらっても解決しなかったりしたら、腸に強い医者を探して診てもらうのがいい。同じことに悩んでる人に届いてほしいなって思う。