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はてなキーワード: スカーレットとは

2025-11-28

anond:20251128170737

それなんだっけ

鬼滅の刃の上映前予告でスカーレット見てつまらないと思った人が多かったから、知名度の割に動員がこけた、みたいな説の話?

果てしなきスカーレットの爆死は「知られてないから売れていない」という広報戦略平成までの考え方ということではないか

スカーレット、男の方がもっとわかりやす現代イケメンならもうちょっと伸びた説

坊主頭結構ニッチじゃないか

第一印象戦時中の人か?と思ったし

映画館で見たポスター第一印象だとファンタジー世界と女騎士現実戦時中日本兵が遭遇する異世界転生系の話かと思って尖ってんな〜と思った記憶

anond:20251128115514

全然意識してないかうろ覚え程度だけど

取りあえずポスターに引きがなくない?

青春ジュブナイルターゲット客層でこれまで来てるのに

スカーレットはなんかシリアスとかサスペンス(というか陰鬱とか悲劇)みたいなイメージポスターじゃん?

文章での宣伝とかは全然見てないから知らんけどハムレットアピールされてもまあみんな興味ないよね。

監督とか脚本に興味ない人はポスター足切り

監督に興味あってポスターはなんか方向性違うけど、この監督ならジュブナイルやろって人は実際に見て不評

っていう二段構えなんじゃない?

果てしなきスカーレット、初週興収2.1億で竜とそばかすの姫の4分の1だって

3日間だけの話だから見た人の悪評に影響されたわけでもないし、なにがそんなに受けなかったんだろうな?

竜とそばかすの姫もそんなにキャッチーな予告じゃ無かったような気がするんだが

追記

なるほどなあ、MVとかジュブナイルっぽい雰囲気ファミリーにもオタクにも受けるわかりやすい要素だな

特に歌は個人的あんまり興味が無いから見逃してたわ

果てしなきスカーレットの聖くんさあ

果てしなきスカーレット海外なら日本でのボロクソ言われてるよりむしろマシな評価になるのではと思っているのだが、というか監督とかも海外意識した雰囲気なのだが、だったら何で男を日本人にして渋谷で躍らせたんだろう。

キトーヨーロッパ人にして現代ヨーロッパのどっかで躍らせる方が海外受けするんじゃね?

てか見た日本人的にもその方がまだ違和感少なかったんじゃね?

果てスカはゴジラ-1.0になれるかどうかだよな

ゴジマイも日本では「まぁ、悪くないかな」程度だったし

なんなら「はいはいまた山崎脚本」って感じで映画ギークからは不評の声のほうが大きかった

興行シンゴジよりも出だし悪かったし、海外興行が始まるまでは

シンゴジ超えることはないだろうなぁって感じだった

でも海外ではマジのガチの絶賛

海外ではコケシンゴジとは違って日本興行収入が国内興行を越えた

今では国内でも誰もゴジマイとシンゴジ比べる奴すらおらん

果てしなきスカーレット日本での大不評を乗り越えて海外で爆発してアカデミー賞を取る

可能性が微粒子レベル存在している……?

2025-11-27

果てしなきスカーレットのせいなんだろうけど

アマプラサマーウォーズ順位を上げている

頭の中からスカーレットを消したい層が観てるのかな

果てしなきスカーレット上映するぐらいならデビルマンも上映しろ

話聞いてるとマジで令和のデビルマンじゃんって思っちゃう

そんなクソ映画なら、いっそクソ映画際でもやってクソ映画代表格のデビルマンも上映してクソ映画バトルやったら良くないか

アマプラで見たことはあっても劇場で見た奴は少ないだろう?

あのクソ映画劇場で!

ってやればスカーレットより客入るんじゃねぇの?

「果てしなきスカーレット」結局インフルエンサーマーケティングなんだな

おれはそんな世の中好きじゃないんだが、つまるところこの映画の初動がこけたのは、大なり小なり皆リュウジだったんだろう

声をかけたインフルエンサーの多くが、この作品を持ち上げることで自分ブランドが傷つくと感じ、拡散が伸びなかった

メディアも同じく慎重に取り扱った。その結果広報が不十分なまま封切りに突入した

もっと宣伝広告費をかけたらかけただけ反響があるようなシンプル社会であってほしいよ

まりにも人マターすぎる

anond:20251125102935

スカーレット主観世界に聖が迷い込んだだけ

それくらい読み取れよ、おまえ宗教劇はじめてか?

anond:20251127111040

映画見た上でそれ読んだけど「スカーレットには8人分の役割が与えられている多層的な存在なんだ!」って擁護は「人物描写がめちゃくちゃなんだよ」って批判擁護し得ないよなって冷静になっちゃった

出てきたよくわからん料理に対して「ちょっと食べただけじゃ味がおかしいと感じると思いますけど、これはアミューズオードブルスープとポワソンとソルベとヴィヤンドとフロマージュとデセールのすべての役割が与えられた料理なんです!」って言われても、それを全部一つの料理にぶち込んでるから意味不明なんだよ!役割が違うってことは別の料理にすべきなんだよ!としか言いようがねーもん。

note主が言ってることはすなわち、キャラ設定の失敗に他ならない。30年後には評価されてるって言ってるけど5年後には忘れ去られてる。

沖田遊戯が「みんな細田守叩いてなかったやん」「サマーウォーズまで急に叩き出すやん」って言ってたけど

別に果てしなきスカーレットウンコから細田叩いていい!ってなる前から

サマーウォーズなんか陰キャ理解できないのに陰キャ向けの謎映画として

世の中の映画好き陰キャから普通に叩かれ続けてただろ。

陰キャ巣窟増田で「サマーウォーズ」を検索したら賛否両論って言うよりもむしろ否が多いくらい。

その後のおおかみこどももバケモノ作品内の論理ガバガバで叩かれてたし

未来のミライなんか陰キャ以外からも袋叩きだっただろ。果てスカよりもゴミ

お前はいったいどの次元からやってきたんだよ。

叩いていいと判断したら袋叩きにする界隈への警鐘だとしても

細田は叩かれてなかった、サマーウォーズは名作扱いしかされてなかった

は流石にウソすぎてう~んそういう話かなぁってなっちゃったよ。

今回の現象は叩いていい認定ってよりは100ワニ現象に近いだろ。

うっすら嫌いだった層は大量に存在したけどそれ以上に賛の声が大きかったか

声をあげづらかった、届きづらかったのが大ポカやらかしたから一気に表面化しただけ。

からそんな作家じゃないのにポスト宮崎として名前を挙げられちゃってるのが悲劇だったってだけ。

俺も果てしなきスカーレット感想を語りたい

情報は予告、そしてヤバい映画らしいというホッテントリタイトルだけで、なるべく前情報入れたくねーなと思いながらさっき見てきた。

まあ確かにヤバいね、お話は。

でもシナリオケチつけてもしゃーねーから語らん。それより映像についてもっとみんな語ってほしいわ。

ショート動画で流れてきたら余裕で1000万再生されそうなクオリティのシーンが目白押しだった。

特に殺陣がいい。リアリスティックかつ、スタイリッシュかつ、めちゃくちゃ見やすい。

これはすごいアニメでかっこいい殺陣を描こうとするとカットを多用したり、省略を入れたり、演出効果を多用したりでリアリティ犠牲になりがちだし、ごちゃごちゃして見にくくなることが多い。

逆にそういう工夫をせずに散漫と描いてしまうともっさりしたダサいシーンになってしまう。

本作はそのあたりを絶妙にこなしていて、マジですげーよかった。

あとほかにいうと洋ドラハリウッドっぽい絵作りが多かったよな。

冒頭のシーンだったり、大衆うごめく壮大なシーンで特にそれを感じた。

日本アニメーションでハリウッドの実写の空気感を出せるようになったのはすごいことだと思うわ。これも一つの実験的到達点として特筆すべき点だろ。

聞くところによると今作は今年一の駄作らしいけども(まあ俺もそれは強く否定しないけれども)、

映像表現だけで評価するなら鬼滅やチェンソーマンなどのヒット作よかはるかに見ごたえがあるといっても過言ではないと思うわ。

  

最後に話変わるけどさ。

映画見てシナリオ周りのことしか語らない奴らは小説でも読んどけよ。

かに映画においてシナリオ大黒柱かもしれないけど、画や音を語ってこその映画レビューだろ。

言語優位な奴らのレビューは文才にあふれてるから読みやすいし面白いけど総合芸術である映画レビューとしては片手落ち評価せざるを得ない。残念だわ。

2025-11-26

細田守はもう日本マーケットを見ていない

レビューサイトRotten Tomatoesを見ると、細田作品評価日本でのそれと大きくかけ離れているのがわかる。

https://www.rottentomatoes.com/search?search=mamoru%20hosoda

日本で好まれ時かけサマーウォーズより後の作品の方が評価が高い。特に日本興行がガタ落ちした未来のミライ評価は明らかに日本真逆だ。

なおスカーレットが既に低評価だが、現時点で日本しか公開されていないことを鑑みれなければならない評価だ。

我々はデジモン時かけといったドメスティック作品から細田作品に触れているわけだが、海外視聴者はそうではない。

結果として前情報が少ない状態で近年の長編作品を視聴できている。

新海誠で言うと君の名は以前/以後のファン層が明確に分かれているように、細田作品でもおおかみこどもあたりで国内/海外ファン分水嶺があるのだろう。

海外映画祭ノミネートでもバケモノの子アニー賞ノミネートされて以来かなり増えているが、一方で日本での受賞歴は落ち着いてきている。

さら妄想を続ける。日テレが仕掛けてきた細田守ハヤオ後継者作戦は完全に失敗した。

パクさんの死去、風立ちぬ以降のハヤオ内省化、依然として進まない国内オンデマンド配信などビジネス面での窮地に陥りつつある日テレ長編アニメ事情細田作品では補填しきれていない。

ただここで前述したように海外への活路が見えてきた。これは作品公開のサイクルが長すぎるジブリでは不可能なことだった。

日本ではボロクソだった未来のミライ海外では高評価で受け入れられている実情がある。あのふわっとした展開が逆にファンタジー的で好感触なのかもしれない。

ならば海外受けをある程度意識した作品作りになっていくのは自明だ。

アナ雪のキャラデザを手掛けたJin Kimが2作連続メインキャラクターデザインを手掛けているのも、海外マーケット意識したものと捉えていいだろう。

しかも前作ではメインキャラのみのデザインだったが、今回は主担当格上げされている。

細田本人の心情へとさら妄想を深めてみる。

おおかみこども以降、書きたいことを書くようになり偏ったキャラクター描写が増え、それについていけない日本視聴者が続出。インターネット作品公開ごとに大荒れ。

その一方で海外では高評価を受けカンヌにも呼ばれるまでになった。日テレもそんな細田守を抱えられればハクがつく。2020年決算資料にも竜姫について海外展開を重視するとある

クリエイターとしてどちらを向いて作品作りをしたくなるか、心象を慮る必要もないだろう。

今の細田守(と日テレ)は日本マーケットのためにアニメを作っていない。

そう思えばスカーレットへの見方もまた変わってくるはずである

今年の夏は鬼滅や国宝を筆頭に興行収入デカ映画が多かった

果てしなきスカーレット宣伝に力を入れてたのでたぶんどの映画を観に行っても予告編が流れていた

まりはそれだけ多くの人が予告編を見たわけだ

そこでこれは見なくてもいいか・・・と思われた結果が初日から客が全然入ってないこの惨状だったんじゃないか

anond:20251126100557

まり神話なんだよね

教訓(細田守場合演出)のために話が進むから人の感情思考回路とかどうでも良い

そういう神話物語現代社会でやるから現代社会を生きる観客には違和感が強くなり物語に入り込めなくなる

で、更にいやらしいのが人間の心を全て無視しているならこの物語神話なのねと理解して違和感を捨て去ることができるんだけど、ネクスト宮崎駿を期待されていてホリデーシーズンの子供の来場も期待されていることから物語の序盤中盤は普通エンタメ作品の流れで物語が進むのに突然神話になる構成になっていること

その落差に観客がついていけなくなる

スカーレットは観てないから知らんけど

細田守の「果てしなきスカーレット」に否定的意見が多いのは、結局のところ「エンタメ予定調和を求められる」からだろうな

最高のエンタメ定義するとしたら、「概ね思った通りのラストに行き着くんだけど、期待していたクオリティよりも高くって、途中に程よい意外性がある」みたいなものでしょ

から「完全に予期できなかった」「事前に思っていたものと違った」「何が起こっているのか一度ではわからなかった」みたいなものには、大きい拒否反応が起こる

物語がどーしたとか、あのセリフが云々とか、引用のやり取りが…みたいのは全部後付けの理屈で、まずは「思った通りのものだったか」という見る側の先入観との一致・不一致が、全体の反応を決定づけるだろうな

果てしなきスカーレット

中世デンマーク王女が、父親王様をその弟(王女叔父)に殺され王位簒奪される。

王女は新王を毒殺しようとするが、逆に自分も毒を盛られて死ぬ

・死んだ王女が行った先の死者の国でも叔父が王をやり、なぜか腹心の家臣達まで一緒にいる。

・そこに、やらないか阿部そっくり長身坊主イケメンが現れ、王女が屈強な男にボコられても王女に戦うなというお花畑だった。

しかイケメン坊主頭も凛々しく、髪が無いからこそ、余計に顔立ちがやたら良いのが際立ち、看護士としての腕は良い。

・なので、周りの誰も信用しない(出来ない)王女も、以降は坊主と共に旅を続けるが、王女でなくても若い女性が若い男と夜も共にする時点で、坊主イケメンからしか見えない。

 仮に坊主出川のような顔だったら、絶対一緒に旅しないよな…。

坊主がなぜか弓と乗馬に長けているのは、おそらく現代日本高校大学弓道部乗馬部の両方を経験してきたのだろう…。

・そして、キャラバンのおばさんとおじさんから坊主フラダンスを習い、王女焚き火しながら王女にアップでイケメンな顔で迫り、

 イケメン坊主に遂に陥落した王女は、なぜか夢の中で現代渋谷スクランブル交差点でキレッキレのダンス坊主と2人で、このうえなく幸せな表情で踊り狂う。

渋谷ダンスのシーンでは通常シーン以上に手足が長くモデルなみのスタイルで、坊主頭のため更に小顔に見えるイケメン坊主だが、イケメン坊主であるがゆえにやらないか阿部しか見えず、

 やらないか阿部渋谷でキレッキレのダンスを踊り狂うのがカオスしかない…。

渋谷ダンスから突然王の軍隊VS一般市民の数千・数万人同士の争いに移り、そこに火山噴火して熔岩が両者を襲う。

・なぜか熔岩をクリア出来た王女坊主は、最終的に山頂で叔父王と再会し、演技に騙されて王を許した王女返り討ちにされるが、都合良く現れた龍に王は処刑される。

しかしここで、坊主の古傷が急に悪化し、虚無になっていく坊主キスしながら、王女は地上の世界に帰ってきた。

・元の世界に帰ると王は自分で誤って毒を飲み既に死んでおり、王女が新しく女王即位し、民衆平和主義演説しておしまい…。

・なお、その民衆の1人の女、宮殿召使い、墓守りなど完全なモブキャラに、津田健次郎宮野真守上田麗奈種崎敦美内山昂輝、結川あさきと謎に豪華過ぎる専業声優を起用しており、完全な無駄遣いだった。

・逆に王女芦田愛菜坊主岡田将生声優ぶりは、予告編で「コレハユメカ? イキテイルノニ、ナゼシシャノセカイニマギコム?」と棒読みだったのが全編続いた…。

https://anond.hatelabo.jp/20251123041412

2025-11-25

細田守の「果てしなきスカーレット」が“弱く見える”理由を、宮崎駿との比較から考えてみた

AI記事

細田守の新作『果てしなきスカーレット』を見た。

率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。

ネットを見ていると

宮崎駿と比べると、細田守作家性が浅い」

みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。

しろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。

以下、自分なりに整理してみる。

---

■ 1. 宮崎駿映画は「人生の重み」がそのままテーマになる

宮崎駿作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。

父親戦闘機工場を営んでいたこと(戦争の影)

「作ること」への罪悪感と執着

日本という国の歴史への複雑さ

家族との距離感

自己矛盾を抱えながら創作を続ける苦しさ

こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。

から物語が飛躍しても、説明されなくても、

テーマ密度勝手に重くなる。

君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、

作家人生のもの物語の重さになっているからだと思う。

---

■ 2. 一方の細田守「日常」関係性」に特化してきた作家

細田守本来の持ち味って、

家族距離感

ちょっとした心の揺れ

日常の中のズレ

成長の痛み

さな感情回復

といった、ミクロドラマの繊細さ にある。

時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、

世界大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。

細田守は「巨大な寓意」を背負うタイプではない。

しろ逆で、日常に寄り添う作家 だ。

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■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか

『果てしなきスカーレット』は、

時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、

設定の必然性説明しないシーンがかなり多い。

まり、“飛躍の文法”を使っている。

でも、細田守人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から

飛躍させたときに「中身の密度」が薄く見えてしまう。

たとえるなら、

宮崎の飛躍 → 何か深い象徴がある気配

細田の飛躍 → ただ意味が繋がってないように見える

という差が生まれしまう。

これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、

得意技と作風そもそも違うだけ。

細田の強みは「丁寧な日常」であって、

寓意の飛躍」ではない。

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■ 4. 今回は“本来武器を自ら置いてしまった”映画だった

『果てしなきスカーレット』に対して

テーマが弱い」「何が言いたいのかわからない」

という感想が出るのは自然だと思う。

なぜなら、

細田の強み(関係性・ミクロ感情)をほぼ捨てて

宮崎が得意な構造寓意・飛躍)で戦おうとして

結果として 武器ミスマッチ が起きているから。

細田映画が本当に輝くのは、

「誰かの小さな心の回復」みたいな領域なんだと思う。

そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、

作家性との接合面が弱く見えてしまう。

---

結論

細田守作家性が浅いのではなく、

今回の作品は、細田本来得意とする作家性と噛み合っていない。

宮崎駿と同じ土俵説明しない寓意映画)に乗った瞬間、

どうしても“重みの差”が出てしまう。

それは才能の優劣の問題ではなく、

作品設計思想と、作家本質的方向性のズレ なんじゃないかと、個人的には思った。

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