はてなキーワード: タイトルとは
タイトルに SNS上の声を書いてあるネットニュースは、読む気が失せる。
過激だったり否定的であっても 「SNSの声であって、ライターの意見じゃないですよ」っていう責任回避の意図が見えてしまうのです。
間違えていても偏っていても、あなたが考えて書いた記事が読みたいんだよ。
なんてね。
”タイトルで釣ってるけど中身を読むと終始ディスりの高度な増田。で、タイトルに戻るとタイトルも全然褒めてないのに気付く。完成度が高い。”
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779351300139555041/
自分の感想を、多くの人に読んでもらえたらイイナと下心はありましたけど(だから複数ブクマついている増田にトラバという形をとった)タイトル表現は釣りたかったというより、叩きに加勢したくなかったという方がメインかな…
あんだけ茶化しておいて何なんだと言われればそうなんですが。
映画にくわしい人ってすごいじゃないですか
だからイマジナリーラン跨ぎの件も、右向いてるときは〇〇に向けて、左向いてるときは△△に向けての言葉なんだよ、みたいなのがあるかもしれない。「イマジナリーライン跨いでやがる。素人か!」みたいに書こうと思えば書けたけど、そこは自制すべきだろう、と。
シンメトリーと2D格闘ゲームの件は、ほんとに「そう思った」ことを書いただけなんです。
シンメトリーもウェスアンダーソンは辛うじて知ってたけど、それだけ。ウェスアンダーソン以外のシンメトリー好き監督もいるだろうけど知らないし、ウェスアンダーソンのシンメトリーとスカーレットのシンメトリーの違いもわからん。違いが分かれば優劣をつけてちゃんと評価することも()できたかもしれないけれど、そこは半可通を自認の遠慮です。
anond:2025112323
「〇〇時代が舞台で◇◇が出て来て□□する小説」といくつか覚えてる固有名詞入れて尋ねたら、はいわかりましたと、その要素を含むGPTが考えた小説のあらすじを出力し始めた。
いや、それを頼んだわけじゃないのよ。
学生の卒業制作としては一定以上のクオリティがあるのは認めるけど、それ以上でも以下でもない(空集合)気がする。37点。
ちなみに「くぐつ」ではなく「かいらい」と読みますがたぶん意味はない。
大学生が監督脚本をやっているらしいが、それを感じさせないクオリティはある。あぁ音響だけは大問題だったな。妙にガビガビしてて大事なセリフが聞き取りづらいことが多くてもったいなかった。カメラの性能は素人の機材でもどんどん上がってるけどマイクの方はそうでもないんかもしれん。こういうところ大事よ。
話としては。
彼女が川に謎の転落死して数年後、村で記者になった主人公は事件の取材のために村に帰る。しかし彼女の遺族は容疑者と一緒に住んでいたばかりか、ベタベタに依存していた。主人公は怒るも受け入れられず、いろいろあって容疑者を殺害。したと思ったら復活。お前、タイムリープしてね→してません。最終的に彼女の死の真相を知った主人公はなんかよくわからん間にたぶん死んだのでした。おわり。
何書いてるかわからんと思うんだけど何やってるかよくわからん映画なのでしゃーない。
作品としては意図的にループ構造が構築されている。特に被害者遺族と飯を食うシーンでは遺族は4回全く同じセリフのやり取りが繰り返されるが食卓に着く人間の組み合わせが毎回変わる。遺族+容疑者+主人公→遺族+主人公→遺族→遺族+容疑者。しかもやたらと過去の回想が入るので、これはいったいいつの話なのかがよくわからなくなってくる。
2日目の遺族+主人公になるタイミングの前夜に主人公は容疑者を殺害し、3日目の前に容疑者の死を知った遺族から「お前は容疑者の代わりにはなれない」と拒絶され主人公は遺族の家を追い出される。しょんぼりしてると殺害したはずの容疑者が現れ主人公を連れて家に帰ると、遺族は何事もなかったかのように受け入れる。
しかし、その後主人公が1日目~2日目の痕跡を発見するシークエンスが挟まり、ループしているわけではないということが示される。
また河原で遺体が発見される全く同じシーンが3回挿入される。これは全く同じシーン、全く同じ映像である。1つは彼女が死んだとき、2つ目は主人公が容疑者を殺害したと思われるとき、3つ目は主人公が容疑者に殺害されたと思われるとき。思われるときというのは具体的な死亡シーンは彼女が死んだとき以外は一切映されないからだ。なので、本当は2つ目で主人公は死んでいてその後は死後の世界の可能性もある。だとしたら後の展開が意味不明すぎるんだけど。
あと、タイトルの傀儡にあわせて実はこの容疑者が人心掌握術にたけためっちゃ悪い奴で遺族を操っていたのだった!みたいな話か?と思って見てても別にそんな感じもない。単に彼女が死んだ後のマスコミ攻勢から献身的に遺族を守ったことで信頼されているということっぽいし、最終的に明らかになる真実では彼女を守ろうとしていたであろうことも明かされる。なんかボソボソボソボソ観念的な意味深トークばっかするから逆に薄っぺらそうだなぁとは思うけども。
遺族もそうだけどなんかもうアート映画らしくフワフワフワフワしたテーマはあるけど益体もないセリフばっかり喋りやがる。
こんな感じで観客は主人公が感じているものと同じと思われる混乱、混沌を一緒に味わうことになる。
そう考えるとやっぱよくない作りだと思う。
ペナルティループでも書いたけど、わからせたくないのかわからせたいのかがよくわかんねーのよ。
前述したけどめちゃくちゃ回想シーンが挟まる。
それもほとんどが主人公のものではなく容疑者のもの、もしくは彼女のものである。
容疑者が村に来て彼女と出会ったのはいつなのか、容疑者は遺族にどうやって取り入ったのか、容疑者の幼少期の歪んだ思い出、彼女の学校での思い出、彼女の死の真相。
でもこの映画自体がずーっとフワフワしてて、この容疑者自体も実態感がないし何なら死んだのに復活してるし、現実に何が起きてるかもわかってないのにそこに改装を挟まれても困っちゃうのよ。観客は主人公と一緒に永遠に混乱してるんだから。この提示されている過去回想は実際にあったことなの?それともなんかよくわからんファンタジーシーンなの?ってなっちゃうでしょ。
よしんば、主人公と容疑者のダブル主人公だとしても、だったらどっちも知りようのない彼女の幼少期の思い出や彼女の死の真相に至るまでのシーンが回想で入るのはわけわからん。ちなみにサラっと書いとくと彼女は主人公の子供を妊娠しててそのことを容疑者に相談、堕胎するためにいろいろあって父親に突き飛ばされて事故的に落下。容疑者はその場で父親を突き落として殺害したのだった。急に父親の死が生えてきて草だし、容疑者やっぱり犯人で草。
いやもろちん、彼女と父親が水死体(実際には落下死で頭パックリ割れてたら水死のわけなくてこれも草)で発見された事件を調べるために村に帰ったってのは冒頭のシークエンスで示されてるのので急に生えてきたわけじゃないんだけど、村では父親の話3秒くらいしかしてないからね。すっかり忘れてたから急に生えてきてびっくりしたわ。
何にせよ、父親がどうやって彼女を殺したかは二人とも知らないはずだからこの回想も本当かウソかは不明。
堕胎する話もよくわかんねぇし。前もって主人公が村を出て行きたがってたって話があるなら、こいつは外に行く人、私は残る人、だから産めないでわかるけど、中田氏ックスするくらいに好きな相手だったら普通に相談したらいいだろ。
現実感がないように観客が立つべき土台をあえてあやふやに作っているにもかかわらず、その上に回想で設定を積み重ねようというのは俺は手法としては間違っているは言い過ぎとしてもうまくいってはないと思う。土台がしっかりしているうえでその凸凹に回想をはめ込むから世界がより強固になるわけでさ。
どんだけ考えても2回目の水死体発見のシーンと容疑者が死んで取り乱しまくる遺族のシーンがある以上、それ以降の復活後の展開にはつながらないのでたぶんこの話はそこの整合性は元から取れてないんだなって考えざるを得ないし、そこがもう整合性取る気ないんだったら回想とかも「なんかいい感じに並べときました」みたいな感じかもな知らんけどどうでもいいしってなっちゃう。
体温と痛みが現実を構成していて未解決事件に巻き込まれマスコミに執拗に追い回された遺族のそばで体温と痛みを共有してきた容疑者は遺族の中で強い現実感を持ち、逆に外に出て記者になってしまった主人公には体温が伝わらないから遺族にとっては現実ではない。現実というのはそれくらいあやふやで寄る辺なきものなのですよという話なんだろうなとは思ったけど、だとしても作品まで寄る辺がなかったらどうしようもない。
単一の尺度で価値を測ろうとするのは、その人の視野の狭さを示してると思う。有体を言えば、頭が悪そうにみえる。
今日、東京大学理科三類に合格し、通ってらっしゃる栗林氏のYoutube動画を観た。タイトルは「学歴にこだわってる人へ(https://youtu.be/m0njQXdFK1I?si=bme7omYBap7MaVBH)」だ。
自分なりに要約すると彼の主張は以下だ。
「学歴にこだわんなよ、しょーもない」
「偏差値だけを基準にものごとを選ぶのって、価値を一つの基準でしか判断できてない」
「価値には色んな要素がある。その学校の教授とか、どういう講義を受けられるのとか、その学校の求めてる人材像と自分がマッチしてるのとか。偏差値はわかりやすく一つの要素を単純化して表示してるだけ」
頚椎が骨折しそうになるくらい首を縦に振ると同時に、これは東京大学理科三類という国内でもっとも難しいと思われる受験区分を通過してる彼だからこそ言えることだと思った。
何の肩書きも持たない俺が追従しても、説得力に欠けるかもしれない。何を言ったかは大事だけど、第三者に伝えるときは誰が言ったかも重要視されやすい。
けどまあ、言わせてほしい。
俺は他人によくムカつくんだ。他人を狭い視野で批評するやつに。
高学歴とか、何の資格を持ってるとか、家庭がどうとか、心底どうでもいい。俺やあんたが何が実現できるかのほうが遥かに重要だと思うんだよ。
(補足。東大とか旧帝大とかMARCHに受かってる人の努力はすごいし、尊敬してるよ。だって俺には到達できないもんな、そういうの)
俺も世間一般で見たら「頭がいいのかなあ」と思われる仕事に就いてたさ。
けど、中を見たらPCの前と喫煙所を反復横跳びするボンクラ、パワハラして僻地にぶっ飛ばされてるボンクラ、自分のミスを部下になすりつけるボンクラ、そういうのがわんさかいたよ。
けど、外から見たら「この人、頭がいいんだろうなあ」だ。中ではお荷物だのなんだと言われててもね、そんなもんだよ。
こんなやつらより外であくせく現場作業してる人たち、じいさんばあさんの介護をしてる人たちのほうがよほど社会のためになってると思ってたさ。
だからこそ、肩書きとか学歴とか一つの特徴をもって他人をつべこべ批評するやつが嫌いなんだ。何も見えてないくせに、わかったようなことを言ってるからだ。
名鉄パノラマカー、特に7000系の熱狂的なファンである私にとって、細田守監督の最新作とされる映画『果てしなきスカーレット』というタイトルは、ただの映画名では済みません。それは、我々の愛してやまない名車、パノラマカーそのものを象徴し、その「血脈」を感じさせる、運命的な響きを持っています。
パノラマカー7000系が纏う車体色「スカーレット」は、単なる色ではありません。それは、戦後の高度経済成長期に名鉄が打ち出した革新と情熱の象徴です。
日本初の前面展望席: 運転台を2階に上げ、乗客を最前列に配置するという、当時の鉄道常識を覆す大胆な設計。これこそが、名鉄の「果てしなき挑戦」の精神を体現しています。
赤一色というシンプルながらも圧倒的な存在感は、風景の中を駆け抜ける躍動感を生み出しました。
あの独特なメロディは、パノラマカーのスペクタクル性をさらに高め、人々の記憶に深く刻み込まれています。
パノラマカーが鉄道史に残した功績は、「鉄道は移動手段である」という概念を打ち破り、「鉄道は夢と感動を提供するメディアである」ことを証明した点にあります。この「スカーレット」という色が、その挑戦と夢を焼き付けたのです。
映画のタイトルにある「果てしなき」という言葉は、パノラマカーファンにとって、その永遠への憧憬を呼び起こします。
7000系は2009年に完全に引退しましたが、その雄姿は今なお多くのファンによって語り継がれ、グッズ化され、模型として再現されています。これは、パノラマカーが単なる古い車両ではなく、文化的なアイコンとして生き続けている証拠です。
後継の特急車に「パノラマSuper」の名が冠され、その展望席のDNAは今も名鉄特急に受け継がれています。これは、その革新性が「果てしなく」未来へと影響を与え続けていることを意味します。
ファンにとって、パノラマカーの引退は大きな悲しみでしたが、その思い出と精神は決して終わることのない物語として心の中に走り続けています。映画のタイトルは、この尽きることのない愛と伝説の継続を象徴しているように感じられます。
細田守監督の作品は、しばしば「新しさ」と「郷愁」が共存する映像美が特徴です。これは、パノラマカーが体現した革新性と、その引退によって生まれた郷愁の念と見事に交差します。
パノラマカーは、その流線型でダイナミックなデザイン、そして前面窓から広がる雄大な景色が、まるで動く映画館のようでした。映画という「映像体験」を追求する細田監督が「スカーレット」という色に注目した時、そこにはきっと、かつて日本の風景を鮮やかに彩った名鉄パノラマカーの持つ、圧倒的な存在感と物語性が重ね合わされているのではないかと、ファンは想像を掻き立てられます。
「果てしなきスカーレット」が描くものが何であれ、パノラマカーファンは、そのタイトルに込められた情熱の色、そして永続する伝説の響きに、無上の喜びを感じずにはいられません。パノラマカーの残した「日本の鉄道の常識を変えた革命」という遺産は、「果てしなく」語り継がれるべき、我々の誇りなのです。
文章が上手いか下手かとういことではなく、インターネットに住み着いてるアホ共でも読みやすい文章かどうかでの意味です。
インターネットのアホ共はIQ85ぐらいしかないのにIQ120あると思い込んでいるのですぐ飛ばし読みします。
この一節も本文をアホが飛ばし読みしても小見出しだけ読めば意味が通るので「アホでも読みやすい文章です」
たとえばはてなーレベルのカスになるとタイトルしか読まないでしょう?
まず、小見出しを増やしまくることが出来るのでバカでも読みやすくなります。
次に、3行かそれよりちょっと多い程度の文章が増えることでバカでも読みやすくなります。
バカは5行以上読めません。
そうしないとアクセス下人の半分ぐらいは「この文章は読みにくい!駄文だ!もう読まない!」と責任転嫁します。
AIの書く文章はインターネットのアクセス最適化の叡智が詰まっています。
それはつまり「バカを切り捨てず、金蔓にするために、バカでも読めるようにしてきた歴史」の集大成なのです。
バカでも読みやすい文章にすること、これにまさる「AIらしい文章らしさ」はないでしょう。
ただしインターネットで流行ってるような活字を読んでも駄目です。
インターネットで流行ってないような活字ってのはつまりは昔の本ですね。
貴方がインターネットからのインプットをそのままインターネットにアウトプットしてるせいです。
貴方が自分の人生について書いているつもりでも、表現の様式がインターネットをそのままアウトプットしているのです。
インターネットに最適化された文章を書こうとすると、AIの書いた文章っぽさが増します。
まず、この章タイトルのような「同じ話を2回していることに自分で気づいてない」みたいなのは最悪です。
それを防ぐにはどうすればいいでしょうか?
自分の書いた文章がAIらしいかどうかを判断したいなら、自分で読み返すことがベストです。
読み返して「ここAIっぽいから直そう」と思ったところを直していけばいいのです。
自分の書いた文章を読み返さないのはAIの得意中の得意なので、これをやるだけで断然AIっぽくなくなります。
書いた文章を読み返してから投稿することも出来ないアホはいますぐインターネットを解約することをおすすめします。そのレベルの書き手はそのうち致命的失言をして訴えられる可能性が高いので……
わーくにとは、「我が国」を訛らせた日本語のネットスラングである
日本語話者はほとんどが日本人。よってこの場合の「我が国」とは日本国を指しており、要するに「わーくに」とは日本のことである。おふざけや自嘲などのニュアンスを込めて使用されることが多いようだ。
後述する初期の使用例を見ると、政治家であり日本の総理大臣でもあった「安倍晋三」氏の話題において用いられていることが多い。安倍氏が総理大臣をしていた当時「我が国」(わがくに)の発音が「わーくに」っぽいと感じる人が一定数いたようで、それが語源となったものと思われる。
つまり当初は特定の人物の特徴的な発音を強調して茶化すような言葉であり、発想としては「こんとんじょのいこ」(簡単じゃないか)や「てめれめせけぜです」(田村正和です)に近い。
ただし安倍晋三氏が総理大臣ではなくなった後には、同氏と関連が無い場面でも使われるようになっていった。年月が経つにつれて語源について知らない人も増えたようで、「現時点の日本の総理大臣の言葉が元ネタだ」と勘違いする人もいるようだ。
日本で人気のある短文コミュニケーションサイト『X』(旧:Twitter)で「わーくに 安倍」「わーくに 総理」などで検索して動向を探ってみると、2013年9月には既に「安倍総理の我が国のーって言うときってわーくにのーってなるよね」と投稿している人物がいる。この後にも散発的に様々な人々から類似の投稿がなされているが、数年間はいずれも「個人の感想」レベルのものであって、特に流行したりネットスラングとして定着したりはしていなかった。
だが徐々にX上での投稿数も増えてきて、また2020年にはインターネット掲示板『5ちゃんねる』で「わーくに」がタイトルに付いたスレッド(掲示板)も多く立つようになったようである。そのほとんどがニュース速報VIP、なんでも実況J、ニュース速報(嫌儲)の3つの板で立てられていたようだ。
安倍さん「嫌ァァァァァ北朝鮮がミサイル打ってきた助けてエエエエエわーくにの脅威がぁぁぁぁぁぁ」exitニュース速報VIP、2020年1月31日
最近またチョンモメンが「わーくに」とか言うわけわからん造語作ったな どんな意味なんだい?exit ニュース速報(嫌儲)、2020年3月28日
左翼「わーくにwわーくにw」人の滑舌を笑うのって、人として、どうなんだ?exit ニュース速報(嫌儲)、2020年3月28日
この2020年頃に「広まるきっかけとなるわかりやすい特定の何か」は見つけられなかった。ただ、ちょうどCOVID-19の流行に対する警戒が高まっていた時期であり、当時総理大臣であった安倍晋三氏の発言や声明に注目が集まりやすかったということが背景となった可能性はありそうだ。
タイトルでほぼ自己紹介をしたようなものだが、私はADHDで、うつ病で、オタクだ。
この文章だけで、私の生活がどうなることか、手に取るようにわかることだろう。
メンヘラなので些細なことですぐに落ち込むくせに、そうしてストレスが溜まると衝動で買い物に走るのである。
そして、どうでもいい失敗は情景がありありと浮かぶほど思い出せるのに、銀行の預金残高と買ったもののことは寝れば忘却する。
しかも結構有名な版権のオタクをしている。200人ほどいるキャラクターが全員箱推しである。『詰み』である。
ポストの中身と同様の理論で、見なければないと同じなのに、SNS中毒なので暇があれば新グッズが出ていないか検索してしまう。
度々の炎上を重ねて学習した運営はほとんどのグッズを受注生産か予約にし、アニメイトだのとらのあなだので特典を変えて売りつけてくるのである。
加えて、ひとたび誰かと話してしまえば、エンジンが120%稼働し、1日のエネルギーをほとんど消費してしまう。
よって、ランダムグッズは1個だけ買って誰かと交換すればいいやとも思えず、自引きするために購入制限めいっぱい買い込むのだ。
結果、私の家には、買ったような買っていないような記憶の定かではない、版権のグッズが散乱することとなった。
掃除機はかけられても、目先のToDoから逃れる時に急にやりたくなる現象を除いて断捨離もできない。
度々親族に「誰かが欲しいなら、まあ持っていなくてもいいかな……」と思えるグッズを手渡して、メルカリに出してもらう日々を繰り返していた。
ガチで申し訳ない、本当に申し訳ない、私がやるべきだよな。4年目にして、メルカリのアプリをインストールした。
とりあえず、ガチャガチャで推しが出るまで引き続けてダブった3cmほどのフィギュアや、一番くじで上位賞が出るまで「ここからここまで全部」したようなものなどを出した。
急にメルカリをしたくなったのは深夜の3時のことだったが、寝て起きたら買い手がついていたので、親族に教えてもらいながらゆうパケットポストminiに詰める。
ちょっと散歩するのもいいかと思って、最寄りのポストまでパジャマのまま出かけた。ポストに投函すると、カコンと小気味良い音が鳴った。
たかだかポストに入るサイズ、厚さ3cm以下のものを1つ手放しただけなのに、なんだかすごくいいことをした気がして、スキップして帰った。
「こんな歳で子どもじみたキャラクターが好きなんて、変かもしれませんけど、欲しくて買ったんです。ありがとうございました。」みたいな内容。
「全然そんなことないです!私もその版権のキャラクターが好きで、絵柄を間違えて買ってしまったんです。気に入ってくれる人がいてよかったです。ありがとうございました。」と送った。かわいい購入者だった。嬉しい。
この成功体験を経て、私は次々とメルカリに出品して、次々と買われ、次々と袋に詰めるようになった。楽しい!楽しい!楽しい!
友達のLINEに既読をつけたまま返信し忘れて1年が経過した女の行動とは思えなかった。購入直後にすぐ返事をして、1日以内に発送できた。
私は意外とまともだったのかもしれないな。真人間にようやくなれたんだ。と思いながら、おさいふボタンを押してみる。
ほとんど原価+送料+梱包代のような設定だったが、周りの人たちの価格を真似していたせいか、数千円の利益が出ていた。
もしかして、これ、受注期間を忘れてて買えなかったあのグッズとか、駆けずり回ってもなかった一番くじとか、あるんじゃないのか。
ほとんど仕事してない自営業でぐーたら毎日を過ごしていたんだが、
所属しているコミュニティで時々会話する知人からSteamのギフト(ようはゲーム)が送られてきた
Company of Heroes1っていう超マイナーゲームだ……RTSというジャンルで、ようはユニットを生産して旗を集めたり敵陣へ突っ込んで勝利を目指すゲーム
で、俺はチュートリアルを終えて早々にその知人とタイマンで勝負し、ボコボコにされた
もうめちゃくちゃ悔しくって研究しまくった、CPU戦もやりまくった
で、再戦。俺は奇襲的な戦法で1勝をもぎとる
俺の戦法を研究して知人が勝ち、その戦いを研究して今度は俺が勝つ……
その繰り返し
その間、ボイスチャットで色んな話をした
ここには書けない複雑な話も
楽しくってしょうがない、つーかCompany of Heroes1が面白すぎ神過ぎ
金貯めてCompany of Heroes3をいつかやろーぜ、と話し合っている
あと老後もCoHやろうず、と話し合った
ここからはCompany of Heroes1略してCoH1がなぜ面白いか語るコーナーです
1.ローポリが逆に視認性を高めている(綺麗なグラフィックなんだけどどこに何があるのかぱっと見分かりづらいRTSをプレイしてて辛かった思い出
2.ローポリだから?昔のゲームだから?ローディングがクソ短い。起動して10秒~15秒くらいでCPU戦出来る(あらかじめ起動オプションにムービースキップを指定する必要はある。タイトル画面にはクイックマッチボタンがあるので、もしかしたら対人はそれより早い時間で戦えるかもしれん
3.やることが単純。基本は移動と確保、それだけ。移動してて敵に遭遇すれば自動的に射撃してくれる。いつ離れるか、このまま戦い続けるか、援軍を出すかを判断するのがメインかもしれん
4.オンラインは魔境(なにしろ20年くらい前のゲームに今でもやり続けている人たちだらけ)だが、それでも研究していればたまには1戦出来るくらいに、テクがいらん、必要なのは戦略くらい
5.音が良い。ボイスもかっこいいし。リトリート!
(念のためだけど、一緒にやりたい人いる?)
「鼻ドス」とは、主にゲイ(男性同性愛)カルチャーや成人向けのスラングで使われる言葉で、「鼻をドス(=陰茎の俗称)で突く」つまり、フェラチオの最中に陰茎を喉奥まで深く挿入し、鼻先まで亀頭や竿が届く状態(ディープスロート)のことを指します。
特に、受け手(フェラする側)の鼻に、攻め手(挿入する側)の陰茎が「ドスッ」と突き刺さるように見えるほどの深い挿入を強調した表現です。
成人動画(特にゲイビデオ)では、タイトルやタグに「鼻ドス」「鼻ドス黒人」「鼻ドスまで咥える」などと使われ、極端なディープスロートを売りにした作品でよく見られます。
簡単に言うと
「鼻までチンポが届くほどの鬼ディープスロート」
のことです(笑)
『果てしなきスカーレット』を観た。
細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品(指輪とゲースロとマッドマックスとアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐極まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品を擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。
「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。
はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????????????
おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????
もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。
『果てしなきスカーレット』を『ハムレット』ベースの物語として観た場合、基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間がイメージで作った」という結論に至るのが自然だ。
前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合、原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。
それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。
たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。
スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在に祈りを捧げる。
始めは俺も「おや」と思った。
というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害を懺悔する(しているように見える)場面。
それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないか。もしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守?
だが、その期待は十秒後に裏切られる。クローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。
この調子で、一事が万事、原典のキャラクターたちが改悪されていく。
ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ、母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語や動機がほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親にしか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。
しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレットの恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまったことから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットでもっとも激アツなキャラのひとりだ。
このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。
『ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。
とはいえ、細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトルは釣りだ。
読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。
『ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそもの悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対の優しい言葉をかけてスカーレットを復讐の呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。
巧い反転だとは思う。そもそもの物語と話運びがカスでなかったならば。
『ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位を簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。
『スカーレット』で描かれる現代の世界の鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって、細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品が証明している。
ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したことを評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。
『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。
おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマを見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットがオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフのオマージュだ。
なるほど。だから?
わからない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味も脈絡もない。
『スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。
俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSでマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。
だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?
職場でオナニーすると、なんやかんやあって沢山死人が出るのでやめた方が良いと思います。
オナニーは家でしようと思いました。
https://www.brush.bio/fivenightsatfreddys2
https://www.brush.bio/fivenightsatfreddys2th
https://www.brush.bio/avatarfireandash
と、タイトル通りの失敗をした。
見たいと思っていたのは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だった。だけど、佐藤二朗『爆弾』がすごい興行成績を上げているというニュースを見て、ネット予約だけど、迷った末に後者の方を選んだ。
結果、「金返せ!」と鑑賞後に入ったトイレの中でおしっこしながら叫んだ、心の中で。
時々駄作にぶち当たるのはしょうがない。見るまでわからないからだけど、私は貧乏人なのでそんなしょっちゅう今時の鑑賞料金の高くなった映画館には通えない。だから駄作だと、ほんとにクソ腹立つ。
今回の『爆弾』はまさにそうだった。
佐藤二朗や、山田裕貴などの俳優の演技が絶賛されていたが、それはそうなるわ。だって、映画は俳優の演技に完全に依存しており、監督を含めた制作側は俳優に任せときゃ大丈夫だろう、程度にしか考えていなかったのではないかと邪推せざるを得ないほど酷かった。
まー酷い。話の辻褄はとんでもなく合ってないし、「あれ何だったの?」と思う伏線ぽいのが山のようにあって、何も回収されない。
どうやら評判をつまみ食いして読んでると、小説の方も大概酷いらしい。
ともかく、何度も何度もしつこく佐藤二郎の顔のドアップばかり見せつけられると、飽きてくるわけ。で、ほんとは違う(何が違うのかは言わないが)ってラストの方で明かされるんだけど、それはないだろ!と、謎が明かされてもカタルシスどころかがっかりするというエンターテインメントとしては全然納得のいかない展開。
そんなの現実的にあり得ない、っていうのは映画なら全然いいと思う方なんだけど、いくらなんでも「そんな馬鹿な」としか思えない展開は流石に呆れてしまう。
これは一つだけネタバレすると、爆弾事件が起きまくってて死傷者多数の状況で、爆弾が爆発するかもしれない電車の即時運行再開を客が求めるか? あるわけないだろ!w
それでもまだ、肝心の爆弾爆発シーンは、タイトルがそれの映画なんだから見せ場になってるはずだと思っていたら……とんでもなくしょぼい、しょぼい、しょぼすぎる!
今時、ハリウッド映画クラスの爆発シーン程度、CGで安く作れるだろ。なんなら今時は生成AIですら分で作れるぞ。
俺なら観客が予想もつかないタイミングでとんでもない豪勢な爆発シーンを仕込んだだろう。だが、警察を騙すのに観客を騙さないという、作り手はほんとに何も分かってないとしか思えなかった。
ほんとにこの『爆弾』って映画はクソ映画、駄作としか言いようがないほど酷かった。
でも、これがどうして絶賛されているのか、訳がわからないというのがいちばんの謎。ある映画レビューサイトでは五つ星評価で平均で4つも取っていた。考えられない。何故?
追記:
tomiyai 小説は普通に面白かったけどね。想像で補ってるところはあるだろうが。素人が個人で作ってる爆弾って設定でド派手な爆発シーンを期待する方がおかしいでしょ。
いや、そんなのいくらでも出来るでしょ。ガソリンスタンドに爆弾仕掛けるとか、色々。実際、あの新聞配達用のカブ一台の爆発シーンは最も良かった。だから飛び込んだ先がガソリンスタンドとかの設定にしたら大爆発は全然可能。ていうかね、『爆弾』てタイトルなんだから、そこを見せ場にしなきゃダメだと思う。
それにね、名前忘れたけどほんとの犯人だったやつが爆発で死体が木っ端微塵になるシーンは、多くの人が言っているように傑作映画の『スピード』の真似だけど、真似ならもっとド派手にできたろう。『スピード』の場合、家の外からも撮ってあって大爆発がよくわかるようになっていた。だけど『爆弾』のはショボすぎるよ。
ここではないあるところで似たようなレビューを書いてアップした(あんまりにもつまらなくてムカついたからw)けど、少しとは言えそれなりに共感してくれる人はいたよ。