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はてなキーワード: 消費社会とは

2025-11-22

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

2025-11-06

anond:20251106225449

消費社会権化

それユニクロが一番言われてるやつや……

いうだけ恥ずかしくなってるからもうやめとき

anond:20251106225159

なにが?お前に助言の資格はありません

俺は楽しい人生を送るために安物無地を書い続けるだけです

どっかのバカ企業AmazonキャンペーンしてるダセェプリントTシャツなんて買いません

わかったか消費社会権化地獄に落ちてね👍

anond:20251106222621

この手の社不は文明を捨てて誰も干渉されないし比べられもしない山の中の自給自足生活でもさせた方が幸せだったんだよ

楽チンな消費社会漬けにされていまさらそんな環境で生きていけなくされたのが最大の不幸

2025-09-19

手取り20万でも『贅沢しなければ余裕』っていう人、どの時代日本から来たのか教えてほしい。

余裕でしょ。最低限の暮らし我慢できない奴は消費社会洗脳されてる証拠

2025-09-08

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20250907/1757247960

要約 

1. 消費とアイデンティティ関係

1980〜90年代日本では、商品選びや消費行動を通じて「何者か」である実感を得ることが一般化した。

2. 消費個人主義の広がり

1990年代には地方学生にもブランド品が普及し、消費によるアイデンティティ形成大衆化した。

3. 過去の拠り所

1950〜60年代政治活動や勤務先(所属)が自己認識の主要な拠り所だった。

4. 消費社会拡張反動

三種の神器からレジャーグルメまで対象が拡大。「モノより心」というスローガンも、次なる消費対象を探す動きとして機能した可能性がある。

5. 社会学分析

ボードリヤールは「消費は差異を示すシステム」、バウマンは「アイデンティティすら商品化され、金銭力が選択支配する」と指摘。

6. これから行方

金銭的余裕のない人は消費でアイデンティティを得にくく、政治運動などが拠り所になりうる。人を「消費ユニット」として扱う現状は本当に豊かな社会なのか、という問いで結ばれる。

2025-09-02

貯金1000万じゃ生活できないとか、

時給3000円以上じゃないと生活できないとか何なのお前ら。消費社会洗脳されたクズどもが

2025-08-20

anond:20250820142922

劣等感マッチポンプビジネス」という言葉が、人々の不安劣等感煽り、それを解消するための商品サービスを売りつけるビジネスモデルを指していると理解しました。

そうしたビジネスに感化される人を「負け組」と呼び、世間価値観に流されず、ミニマリズム実践して「消費社会はクソ」と言える人を「勝ち組」と表現している。

これは、社会の主流な価値観から距離を置き、自分なりの価値観を持って生きることの優位性を主張しているのだと読み取れます

しかに、多くの人が抱える劣等感不安につけ込んで、高額な商材を売りつけるような手法は、批判されるべき側面が多いかもしれません。

一方で、ミニマリズムのように、自分内面と向き合い、本当に必要ものだけを選び取る生き方は、物質的な豊かさとは違う形で、心の充足をもたらす可能性があります

自分価値観確立し、それに沿って生きることは、他者との比較世間評価から自由になる一つの方法であり、それが「勝ち組」の定義だと考える人もいるでしょう。

anond:20250820142557

劣等感マッチポンプビジネスって詐欺みたいなもんだし、それに感化される奴は負け組なのよ

バカにされても関係なく「俺はミニマリズムってのをやっててね、消費社会はクソと思ってますね」って言ってる奴が唯一の勝ち組

2025-08-05

anond:20250804231614

## 心の距離ビジネス

### はじめに

現代消費社会において、商品サービスはもはや物質的な価値を売るものではなくなった。とくに、接客業SNS上の推し活、キャバクラホストクラブライブ配信アイドル産業といった分野では、ユーザーの心に“近づいたと錯覚させる”ことそのもの価値になっている。これは、従来の経済学マーケティングでは捉えきれない、人間内面距離取引する新たな商慣習である

この論考では、それを「心の距離ビジネス」と定義し、その本質危険性、そして社会的位置づけについて考察する。

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### 心の距離とは何か

心の距離とは、物理距離でも時間的距離でもなく、「自分相手がどれだけ親密であると感じているか」という、主観的心理空間尺度である

重要なのは、これは**絶対的距離ではなく、常に非対称である**という点だ。客は「自分のことをわかってくれている」と感じていても、キャストは「客の一人」としか思っていない、というズレが生じる。

このズレが、“心の距離ビジネス”の土台であり、利益の源泉でもある。

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### なぜ「心の距離」が商売になるのか

人間は根源的に、誰かに理解されたい、承認されたいという欲望を持っている。

その欲望効率よく刺激し、

あなた特別です」「私だけはあなたをわかっています」と感じさせるのが、現代型の接客エンタメSNSビジネスの中核である

顧客は“疑似的な親密さ”にお金を払う。これは実体のない絆であり、**脳内報酬系ドーパミン)を活性化させる点で麻薬的でもある**。

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### 問題点:同じ距離が、お金暴力も生む

ここに決定的な問題がある。

心の距離を近づけることで、お金を落とす――これはビジネスとして歓迎される。

だが、**同じ心の距離が、裏切られたと感じた瞬間、暴力ストーキング殺害へと転じることがある**。

あなた特別です」と言われて金を出した人間は、

「やっぱり特別じゃなかった」と思ったとき絶望し、その痛みを攻撃性に変えることがある。

このときキャストの感じていた心の距離と、客の感じていた心の距離は、まったく違っていた。

そのズレは、教育注意喚起では修復できない。

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### 対策はあるのか?

現実的には「完全な対策不可能である

なぜなら、ビジネスとして成立させるためには、心の距離を近づける演出が不可欠だからだ。

距離を近づけなければ売上にならない

距離を近づけすぎると暴走する

この矛盾を内在したまま、多くの業界が成り立っている。

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### 認識の転換が必要

加害者100%悪い」という認識だけでは、問題本質は見えてこない。

心の距離武器にした商売をする以上、

“その距離の爆発”に対しても責任の一部を持つべきではないか**。

その覚悟がないなら、キャストには自前で警備を付ける。

店側は暴発を想定した上で運営マニュアル義務化する。

距離を売る”なら、“その反動も織り込んで売れ”ということだ。

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### 終わりに

「心の距離ビジネス」は、今後ますます拡大するだろう。

恋愛友情コミュニティも、消費として成立する時代に、

人と人の心の接点は、金銭と直結するようになった。

この構造無視して「ただの異常者が暴れた」として片付け続ける限り、

同じ悲劇は繰り返される。

私たちはいま、「心の距離」という見えない火薬を、

日常的に売り買いしている世界に生きているのだ。

2025-07-15

「適量」の感覚バグっている人たちっているよな

休み歯磨きしてたんだけどさ、

となりの洗面台にも人がいたんだけどそやつが歯ブラシ歯磨き粉をおもむろにブリブリっててんこ盛りにして歯磨きだしたからびっくりしたわ。

もうなんちゅうかブチチブリブリみたいなレベルで盛ってたんだわ。

ワイはいつも5ミリくらいしかさない(歯医者先生の教え)から余裕で数か月は持つけど隣の人はたぶん数週間で無くなるんじゃないかな。驚くほど歯磨き粉消費してそうだった。

そういえばウチの親も洗濯とき洗剤をMAXの2倍はブチ混んだりするし、ばあちゃん味の素デカスプーンでモリっと入れたりするのを思い出したわ。

こういう適量の感覚バグってる感じの人ってたまにいるよな。

人数的にはごく少数だけど使用ベースでみると無視できないのでは。

洗剤も歯磨き味の素もみんながみんな規定量を厳格に守って使用したらたぶん総使用量は驚くほど低くなるんじゃない?

8:2の法則じゃないけど、ある意味消費社会をけん引してそう。

2025-06-16

ジークアクスはむちゃちゃお行儀が悪いアニメ

でも刺激はやたらと強いかエンタメとしてはそれでありなんだろうと思う

エンタメ大量消費社会の令和においてはあれが多分正解か

2025-06-09

anond:20250609003637

資本主義権化か?消費社会に騙されすぎだろ

知りたいことがあるならググればいいだけだしな

2025-06-03

anond:20250603094514

資本主義搾取について考えるときは、だいたい同じ問題につきあたる。

 

商業の話してるんだから、まあ正当な契約関係があるんだよ。

契約したんだから、したやつの責任だよ。

別に暴力で殴ってハンコ押させたわけじゃないし。

 

しかし、事後的に観察すると、やっぱりその契約搾取関係になってはいる。

からそもそも契約をしたほうが良いことになってる社会状況とか

自分が有利な契約をしたほうが良いことになってる社会倫理とか

そういうのを「資本主義」だの「消費社会」だの読んで、思想やってるやつは問題視するんだが

まあ響かないよね。

責任とかあるわけない。搾取してる側だって相手がやだって言ったら契約してねぇのよ。

 

結局のところ、搾取禁止しようとするのなんか無理で、

貧乏人がそんな契約蹴れるぐらい豊かになるようにするほうが先。

正義ヅラで、どっちが悪いとか責任があるとか善ではないとか、言えないよね。

2025-05-30

anond:20250530173827

ホンマにそれはマジレスなんだよな。

 

結局のところ現代社会国民に求められていることは、消費者になること。

労働して稼ぐことすら、消費者になるのに必要からしかない。

消費社会だ。元増田には兎に角それに貢献してほしい。

2025-05-25

現代情報消費社会の一番悪いところは、「30年待て、そうすればその情報が本当かどうかはっきりする!」ということを断言しないことだと思う。

正確に言えば、「30年次の渡し手を探せ、そうすればその情報言葉)が本当に人を救うかどうかはっきりする!」ということ。

ある意味ではこれにつきる。フェイクニュース時代に、これは第一に考えるべきことだ。

逆に言えば、「情報なんてウソでもかまうもんか!」ということは、「ウソ情報言葉)で他人をとことん食い物にしてかまうもんか!」ということだ。

わたし兵庫県知事事件東横界隈をめぐる事件などをみると、大筋で正しく、かつ、悪人たちはもっとえぐいことを考えていると推測している。そういうことは、最近では5年もしないうちにウソがばれているのだが。

逆に、中村哲氏の水路は、2002年から数えて16年たった2018年に、土木専門家たちすらその丈夫さをみとめ、賞ををあたえた。このことがあの事業が本物だということの最高の証拠になっている。

わたしが10年以上前からインターネット文化に対して感じていた不安は、「必要とされている情報」を、30年後に安心して次の本当に必要な人に渡せる条件がそろっていない、ということだった。ほかの人は、その前でとっくに情報簡単に粗末にする人間社会絶望して問題を投げ出していたらしいのだが、まあそれはあとまわしだ。

ともかく、「30年待て」というのは一つの真理だと思う。大学卒もそうでないものも、ちゃんとこのことを言葉と行動で示すべきだとこれ以上なく強く思う。結局、人間社会というのは、他人に対して楽をすればそれだけ早くどうにもならなくなり、他人に対して頭を使って苦労をすれば、それだけ長くなんとかなるようにできているらしい。

2025-05-24

流行ってるからLINEを使う、流行ってるからiphoneを使う

もうお前ら、消費社会奴隷だろw

追記: ちなみに俺はメール派だし、Android

2025-04-20

2025年ファイト・クラブ

もし今、『ファイト・クラブ』を作り直すなら、物語はこうなると思う。

 

1999年オリジナル版は、「消費社会への反抗」だった。

IKEA家具を買い揃え、分譲マンションに一人で暮らして、

「満たされたはずなのに空虚」という中流サラリーマンの虚しさがテーマだった。

 

でも、2025年の俺たちは、スタートラインから違う。

 

俺たちは、最初から持ってない。

 

本業年収は470万

 

副業で60万を補填して、ようやく530万

 

可処分所得20万弱

 

都内ワンルーム暮らし、家を買う計画など最初からない

 

節約のため、ディスカウントストアファストファッション100円ショップを駆使している

 

だが、その「20万」も、自由に使えるわけではない。

 

奨学金の返済

 

副業を続けるためのコンピューターのローン

 

これらが、毎月確実に引かれていく。

何かを手に入れるためではない。

生き延びるために、必死で支払い続ける。

 

副業で埋めた60万も、

 

平日の夜のいくつか

 

土日の大部分

 

それらを犠牲にして、ただ穴を塞いでいるだけだ。

 

他のことは、もう何もできない。

 

一応、年間200万円の貯金目標にしている。

だが、現実には130万程度貯まれば上出来だ。

 

このペースで50歳まで続けたとしても、

老後必要だと言われる2000万には、とうてい届かない。

 

しかも、その間リストラされずに生き残れる保証もない。

 

職場ではどうか。

 

「いつでも解雇できる」ほど雑には扱われない。

しかし「昇給出世もないまま、ずっと都合よく働き続けてほしい」。

そんな便利な穴埋め要員として扱われている。

 

しかも、主人公は「別会社正社員」という立場で客先に出向しており、

法律的には守られているようでいて、

実質は派遣社員のように扱われている。

 

産休に入った社員の穴を埋め

 

時短勤務の社員サポートもさせられ

 

それでも正社員たちと同じ土俵には立てない

 

休憩時間、客先の社員たちの家族自慢を聞かされる。

子どもの進学、マイホームの購入、家族旅行の話。

主人公には、結婚も家庭も最初から不可能だ。

 

SNSではさらに追い打ちをかけてくる。

 

成功者の自慢

 

承認欲求を満たすためのきらびやか投稿

 

自己啓発の「努力しろ」という説教

 

そして、たまに流れてくる狂ったニュース

人気ライバー年収何億稼いだ話

推しに数千万円投げ銭して、ファン自作PVを作った話

 

桁違いの金が、桁違いの速度で流れていく

 

バズを狙う記事も溢れている。

 

AI仕事を奪われる未来

 

リストラされるスキル」「使い捨て社員の末路」

 

不安煽り、怒りを煽り

その流れの中で、いがみ合った人間たちが、

「お前なんかAIに取って代わられるだけだ」と罵倒し合っている。

 

努力しても、未来は狭くなるばかりだ。

 

俺たちは、

「モノを買っても満たされない」んじゃない。

モノすら買えない。

 

持たないことを選んだんじゃない。

持てないことが、スタート地点なんだ。

 

しかも、

本来なら「勝ち組」寄りだったはずの人間でさえ、

負け組だと思わされる。

 

昇給は見込めない。

年金制度破綻することも、もはや誰の目にも明らかだ。

 

それでもこの暮らしを「まだ余裕がある」と見る人間がいる。

だが、それは誤解だ。

 

ここにあるのは、

ただ静かに侵食していく絶望だけだ。

 

狂っているのは、俺たちじゃない。

狂っているのは、世界の方だ。

 

もし今、ファイト・クラブを作るなら。

ナレーターは、静かに、深く壊れていく。

 

タイラー・ダーデンは、もはや肉体派ではない。

たぶん、匿名掲示板の裏側か、ダークウェブの奥に潜んでいる。

 

資本主義データベースノイズを撒き

 

SNS承認欲求ゲームをハックし

 

努力すれば報われる」という嘘を暴き

 

自己責任論」を冷笑する

 

暴力ではない。

だが確かに、静かに世界を腐らせる方法で。

 

革命は起きない。

社会は変わらない。

成功者けが笑い、その他大勢は静かに疲弊していく。

 

それでも、小さな抵抗を続けるしかない。

生き延びるために、誰にも見えない場所で、

そっと、粘り強く、自分を守るために。

 

これが、

2025年ファイト・クラブだ。

2025-04-16

第三次世界大戦が必ず発生すると仮定した場合にはトランプがやってることもあながち間違いでもないのかな

その第三次世界大戦核戦争へと発展しないと仮定してのことだ。

というか核戦争に発展したら世界は終わりなので、そこは考えても仕方がない。

核戦争にはならない形で、世界戦争が勃発したとき自国戦争物資生産できなければ詰みである

第二次大戦時のようにならなければならない。

再び製造業大国へとならねばならないのだ。

ただそう考えるとひとつ疑問が生まれる。

そもそも米国はなぜ自国製造業を守らなかったのか?

これを考えるには東西冷戦構造を思い出さなければならない。

東西冷戦自由主義資本主義陣営と、共産主義体制との闘いだった。

当時世界は両陣営に分かれていた。

米国目的として自陣営繁栄させねばならない、という使命があった。

歴史の結果から西側勝利したと知っているか現代人にはピンとこないが、当時の米国人にとってソ連冷戦勝利することが出来るかどうかなど到底わからないことだった。

とにかく共産主義陣営よりも繁栄をしなければならない。

そのためには戦争ジリ貧となったヨーロッパや、新たな同盟日本などを経済的に反映させねばならない。

そのためにはどうするか?

とにかく物を作れ。

産業を起こせ。

ものをつくれ、とにかくつくれ。

なに?ものを作っても売れなかったらどうするんだ?

馬鹿野郎。俺達が全部買い取ってやるよ。

ものを作ったら、じゃんじゃんアメリカに輸出しろ

俺達は西側繁栄の見本として、大消費社会形成する。

そして、お前たちが作ったものをじゃんじゃか消費(=購入)する。

からものをつくれ!そして繁栄しろ

、、、と。

そこで必要になるのが、強いドルなわけです。

ドルが強くないと外国からものをたくさん買えないでしょ?

いま、日本円って1ドル143円とかそのくらいでしたっけ?

日本円って高いときは1ドル80円台までいったんでしたっけ?

その頃の換算にしたら、高い高いと言われてるiPhoneだって今の半額くらいになるわけでしょ?

20万のiPhone10万で変えたらずいぶんお買い得感ありますよね?

あなたたちだってわず買っちゃうでしょ?

ね?

から強いドル必要になる。

米国から見て、これはお買い得だ!思わせるプライスになる必要があるから

そのための強いドル基軸通貨なわけです。

とはいえちょっとドルが強すぎるだろ、、、

アメリカ文句言い始めてニクソンがいろいろやったりプラザ合意とかでドルを安くしたんですけどね。

それでも相変わらずドルは強い。

そこらへんも是正しようとしてるんですねトランプは。

もう外国からじゃんじゃかものを買うのは止めだ。

これから自国生産したものアメリカ人は買う。

外国繁栄なんか知らん。

そんなことよりも第三次世界大戦へ備えなければならないのだ。

今のまま、もしも世界大戦が始まったら、アメリカは確実に世界最強の座から滑り落ちる。

なぜ?

戦争に勝てないからだ。

そんなことはあってはならないのだ。

そのための備えをするのはいつだ?

今でしょ!

今ならまだ間に合うかも知れない。

再びアメリカを偉大な国へと、その一歩を踏み出させるのだ。

2025-03-28

anond:20250327153337

プリンセスになりたいって苦労せず顔面強者かつ親ガチャ成功したいってことだから薄汚い願望だと思う

 

それはそれでいいけど

ピュア子供の願いとするのはおかしいよな

ガッツリ消費社会に染まった可愛くない思考だよ

2025-03-27

コスパと結果主義似て非なるもの

結果主義を極めた先には、死がある

人生の最終結果は死だからである

それに対し「コスパ」には、プロセスを楽しむ余裕がある

コスパとは、いかに少ないコストで楽しむか、である

オンラインゲーム趣味にすれば課金コストを費やすが、オンラインチェス趣味なら無料である

コスパとは、少ないもので満足しそれを楽しむ、というミニマリズムに通ずる考え方が存在する

消費社会抗うのがコスパであり、結果など求めていない

2025-03-21

ミニマリズムギャンブル類似性

ギャンブルにおける秘匿戦略の優位性は、情報非対称性を利用した収益獲得の理論帰結する。

しかし、戦略の露呈は模倣を誘発し、収益性を著しく低下させる。

この現象ミニマリズムにも当てはまる。

資本主義社会において、ミニマリズムを徹底することは、労働負荷を極限まで削減し、充足感を最大化する戦略となり得る。

だが、ミニマリズムの過度な普及は、消費低迷を招き、経済成長を停滞させ、収入減少を招く恐れがある。

故に、ミニマリズム個人的実践におけるフリーライド戦略なのである模倣されないからこそ、最大の利益がある。

ソローはウォールデンにおいて、生活費の厳密な算出と、必要労働量の逆算、そして必要最低限の労働を推奨している。

私の例を挙げれば、社内ニートとしてフルリモートで1日6時間労働により月収20万円を確保し、田舎生活で月10万円の生活費を賄っている。労働時間を4時間に短縮しても十分な余裕がある。

年収800万円以上を目指す場合労働時間必然的に増加し、1日8時間労働は避けられない。

金銭に対する認識を改めれば、過度な労働から解放される。

幸い、私の趣味数学散歩座禅であり、消費を必要としない。消費社会に惑わされる必要はない。

パーカーおじさん」と揶揄されようとも、そのスタイルを貫けば、衣服購入の必要性は皆無である食事も、家庭菜園野菜質素食材で十分満足できる。

まり諸君らは消費と労働に明け暮れ、汗水垂らしていれば良い。私は選ばれし存在として、ミニマリズム実践する。

2025-03-20

正しい人間迫害されるクソ社会うんざりなんすよ

欲望を持てば労苦が増える」と古の賢人も言ってたろ?

内面的充足を得るには社会価値観を間違ったものと断定する必要あん

ミニマリスト成功者たる所以は、消費社会をクソと決めつけるからだよ

2025-02-27

【DeepSeek R1】『訂正可能性の哲学東浩紀 VS 『万物黎明』グレーバー

プロンプト:

『訂正可能性の哲学東浩紀と、『万物黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点分析してください。

DeepSeek R1:

東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバーDavid Graeber)の『万物黎明』におけるルソー解釈比較分析は、両者の思想立場学問アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。

類似点ルソー批判の出発点

1. 近代社会起源への懐疑

両者ともルソー提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会起源説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想進歩史観依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソー社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。

2. 脱構築姿勢

東もグレーバーも、ルソー思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます

相違点:ルソー評価の軸

1. 自然状態人間可能

人類学実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話フィクション」と断じます。『万物黎明』では、先史時代社会が既に複雑な自由平等システムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人概念は、実際の先住民社会多様性矮小化する「ヨーロッパ中心主義幻想」だと批判します。

ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的評価します。ルソーが示した「社会人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来設計図」としての側面が強調されます

2. 個人共同体関係

ルソーの「一般意志概念を、中央集権的な権力正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治実践した先史社会の事例を提示し、「個人自由集団的合意対立しない」という反ルソー的なモデル提案します。

ルソー社会契約論を、個人欲望社会規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成投影します。

3. 歴史観の違い

ルソーの直線的進歩史観自然状態社会堕落契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史復元します。ルソーが想定した「起源」そのもの虚構とみなす点で、根本的な批判を行います

ルソー歴史観を「修正可能性の物語」として部分的継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます

結論ルソーをめぐる思想対話

両者の対照は、ルソーというテクストを「過去遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されますしか共通しているのは、ルソー現代問題を考えるための「思考実験場」として活用する姿勢です。

プロンプト:

これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。

DeepSeek R1:

(以下、東浩紀文体意識した一人称再構成です)

>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀情報社会18世紀社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチック概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会OSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<

>> グレーバーが『万物黎明』でルソー批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場ちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSアルゴリズムだってルソー流に言えば「人為的プロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソー面白さだよ。<<

>> グレーバーさんが先史時代自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人バラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論AIと組み合わせて探る必要がある。そのとき自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<

>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望バラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソー理論を逆手に取れば、そのバラバラ自体社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダン思想家だったんじゃないかって話だ。<<

>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来触媒」として使おうとしてる。人類学大事だけど、哲学役割過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<

(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワード意識した再構成です)

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