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はてなキーワード: 神童とは

2025-11-21

anond:20251121112152

ワイ小学生の頃、算数先生の答えの間違いを指摘して神童みたいに扱われる。

中学生になって英語がついていけず挫折する。

anond:20251121105600

小さい頃に神童と呼ばれるくらい賢くないと東大入ってから苦労する

そういえば、赤い公園よく知らんのだけど、

自殺してしまった女性がいたじゃないですか…😟

その方のWikipediaを眺めてて、オケ楽譜を書きたいか吹奏楽部に入ったみたいなのあったと思うんだけど、

やっぱり、小中高ぐらいで、オーケストラ楽譜書いてみてぇ、とか思ってる人がプロとか上手い人になってる

直訳洋楽ロック王様も、昔の彼を知ってる人が、学校で既にギターがかなり上手かった、って言って気がするし、

みんな早熟ですよね、奥田民生とかもそうです、あの年齢で大迷惑とか作曲できるのか、スゲーな、

と思ったのは、自分アラフォーになって、ギター再開して、メタル以外の曲も耳コピしようと思ってからですよ、

ジョンカーマックも子供の頃からプログラム書いてるし、家のマシンじゃ遅いから、

じゃあ学校パソコンを盗もう、と思って、それで警察沙汰になって、今じゃ宇宙開発VRできる億万長者です

あれですよね、俺は楽器店のギターを盗んで練習したのが最初だった、みたいな感じですよね…😟

自分子供の頃にいたド田舎楽器自体がないですからギター盗もうにも盗めないし、

ヤンキーはみんな万引きとかやってたけど、俺は教室の後ろでずっと漫画描いてるとか、

美術室で変な絵描いてるとかやってるだけで、ヤンキーに後ろから蹴られたり殴られたりする側でしたからねえ…😟

そして、彼らはしまいには放火集団警察沙汰になるんですけどね…😟

なんの話だっけ、あー、天才はみんな早熟だ、という話でした、小室哲哉Wikipediaもそうだったし…

小中の時点で、大人みたいな演奏作曲ができて周囲を驚かせるわけで、

その頃の俺は、ずっと漫画描いてるだけでしたよ、

あと漫画に登場するドラゴンスレイヤーの剣とか作ってコスプレして、中学校横断したりですね…😟

でも、一応神童みたいに呼ばれてた時期もあった気はするんですけどね…

結果が駄目なら、何の意味もないというか…😟

2025-10-15

anond:20251015182159

神童なんじゃなくて、おまえが養護学級の知能障害だって学習しような

自分が平均より相当下だって認識、何回言えば理解できるんだろうな

頭が悪すぎて全然理解できてないんだろうな

dorawii@執筆依頼募集中

お前は学校に入る前は全部なんとなくで言葉使ってたのか?それとも入学から辞書引く習慣があった神童かなにかで?

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2025-08-26

anond:20250826151840

そういえば、神童と呼ばれていたのに将棋センターの個室でジジイに押し倒されて将棋やめた女ってどうなったんだっけ

将棋センタープロの対局室みたいな畳の個室なんかねーよ」って突っ込まれてたが

2025-08-21

anond:20250821102929

またフェミ松か

 

Xで何度も何度もこういう奴が現れては

事情詳しい奴に突っ込まれると「ミソジニー!」とか言って垢消して逃げるの見た

 

こないだ将棋神童だったけどおっさんに股触られるからやめたって主張した女も

状況や用語おかしからそもそも将棋打ったことない人間だ」って看破されたら垢消した

 

なのでもうデータ以外で論じるこういう目撃談系は全部ウソだと思うようなった

朝鮮人井戸に毒入れた」となんもかわらんやんけ

 

2025-08-18

世界は繋がった、かくして人々は分断された

90年代後半

インターネットなるものが普及すれば

世界中のあらゆる人とコミュニケーションを取ることができ、それにより多様な価値観を身に付けることができる

世界はよりよい方向に進んでいくのだ!!

そんな甘やかな希望が巷間には満ち溢れていた

しか現在、振り返ってどうだろう

Xを見れば、たくさんの人たちがそれぞれ多様な生活を営む様子を知ることができる

名門の中高一貫からすんなり東大京大に行く人たちもいれば、境界知能で何をやっても上手くいかない人たちもいる

金持ち貧乏人、若くて美しい女性に醜い弱者中年男性都市部限界集落エスタブリッシュメント底辺負け組

結果的にどうしようもないほどの「隔たり」が可視化されることになり、

かくして分断は加速していった

そりゃあ、まあそうだろう

公立小中だってクラスの中にはいろんな奴がいて、どうしてもコイツにはこの分野で敵わないって悟る瞬間はある

それが日本中世界中と繋がって、自分立ち位置否が応でも明確になるのだ

田舎勉強(スポーツ)がちょっとくらいできたって、自分が井の中の神童だと思い込むことすら出来ない。

情報機器アクセスすれば、ネット大海いくらでも上の存在がいることを確認できてしまうのだ。

現世でどれだけ努力積んだって覆せないものがある

トラックに轢かれて異世界無双するしか勝ち筋はない

2025-07-02

小学校留年中学校留年もっとやるべきじゃないだろうか

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」というように、一見すごく賢いようにみえても、他の子と比べて成長が早かっただけの場合が多い。

実際のところ、それを見分けるすべはない。

しかし、現実日本社会での運用は、ある一定の年齢で高校受験大学受験偏差値で切り分けていく。

早熟な子ほど、いい高校いい大学への切符を手に入れ、発達が遅い子が中卒や高卒就職させられているように思う。

知的障碍児なんかは発達が遅く、年齢の7掛けや5掛けくらいのスピード学校勉強が進んでいく。

小6で掛け算をどうにかというスピードで、中学卒業すると、社会性も知識も不十分なまま、放り出される。

対価をもらうのに十分な能力が開発されないままに社会に出されても、作業所仕事を与えるほうも負担だ。

同僚だけでなく、家族にも負担だ。

障害児の例は極端だが、せっかく指導要領があるのに、理解しないまま進級させるというのはどうしたものだろうか。

そこらを放置したまま、指導要領を議論して何の意味があるのだろうか?

日本人として日本史は必要

いやこれからは国際人としての教養が要るから世界史だ!

いやいや、地理こそ重要

議論をしたところで、理系に進んだ高校生の多くは社会科を捨てるのだ。

理系に進むのに行列を教えないのはオカシイ

いや、時代データサイエンスから確率統計を強化すべき!

議論をしたところで、文系に進んだ高校生の多くは数学を捨てるのだ。

必要から教えるのに、なぜ捨てるということになるのだ?

それは、リソース配分のためで、なんのためかといえば受験のためで、同じ年齢で成績を競い合うからだ。

二次関数理解できるまで高校2年生になれない、微分積分ができるまで高校三年生になれない、そうするべきだろう?

特に小学校中学校はそれをしたほうがいい。

だって義務教育って、最低限知っておいたほうがいい知識なんだろう?

最低限の知識マスターせずに社会に出すなんて、仮免通らないまま公道を走らせるようなもんだろう?

負担は増えるが、親だって助かるし、長い目で見れば社会だって助かる。

2025-06-22

「絵を描き始めて1年の15才だそうです ここ3,4枚で異常進化してて理解が追いつきません」

以前なら神童扱いだったけど、今だとどうせAIで下書きしてんでしょ?で終わりだからなあ。神童やるのも大変よ

2025-06-17

成長の速い人

十で神童 十五で才子 二十過ぎれば只の人

2025-06-04

anond:20250604132039

危機感持った方がいいジョージ中学までサッカー神童と言われてユース入ったら何一つ通用せず友達もできずにユースで落ちこぼれ経験を糧にモテ商材買いまくって今の彼があるから

2025-05-23

anond:20250523164145

良いと思うけど、何の能力をどうやって数値化するのかが難しそう

成長に従ってコロコロ変わりそうだし

自分なんて子どもの頃に神童って呼ばれたんだよ

なんでこんなとこで働いて合間に増田やるみたいに落ちぶれちゃったんだよ

どうしてくれんだよ

2025-05-09

生き急ぐのに限界が来ているが、生き急がないと自分を保てない

この春から社会人になったんだが、既に気が滅入ってしまった。

俺は自分のことを最強の天才だと思っているが、その割に自己肯定感がかなり低い。

言い換えるなら、「成功している自分のことは好きだが、失敗している自分は大嫌い」ということだ。

勉強を続けて医者になった自分の事は大好きだし、周囲に褒められるほど仕事ができる自分は誇らしく思うが、ごく些細な失敗に対して過剰に落ち込むせいで、感情がブレにブレる。

「こんなことすらできないとか俺ってカスだわ。周りに失望されるな」といった感じに。

どうにかこうにか休息しながら仕事するべきだと都度自分に言い聞かせてコントロールを図っているものの、結局勉強だの仕事だのをこなしてしまう。

何なら、気を利かせて自分領分でない仕事まで行い、上司に叱られるほどであった。

その結果、1か月半にして満身創痍になってしまった。

完璧人間なんてこの世には存在しないし、失敗するのが世の常であることは理解しているんだが。

どうしても俺は失敗している自分、できない自分を恥だと思ってしまう。

今日も、1年目の医師ならできなくて当たり前の手技を失敗した際、「こんなことさえできないゴミカス」だの「恥さらし」だの「無能」だの自分を責めまくり案の定自己肯定感が急落してしまった。

普通の人なら平気と思えるんだろう。しかし俺の思考回路場合いくら社会的地位が上だろうが、年収が高かろうが、他人ミス晒した時点で雑魚しかないのだ。

そのせいで、失敗分のリカバリーをしようと無理して仕事を抱え込み、上司や同僚に失望されないようにやる気を出しまくり。

結果的に周囲の評価が上がる一方で、肝心の自分疲弊してしまうと。

明らかに認知に異常があるのは、俺自身自覚している。

たぶん教育熱心な親に応えたいと思い続けた影響だろうとか、これまでの友人関係で除け者にされたり裏切られた経験ばかりだから歪んだんだろうとか、天才だの神童だのと言われてプレッシャーを掛けられ続けたせいなんだろうとか、客観的あるいは論理的に考えることもしている。この投稿をするのだって言語化のためだ。

しかし、この繰り返しで医者になるまで努力をし続けた訳だし、この努力量の結果なんでもこなせる有能な人間になれた、というのは紛れもない事実である

まり血の滲む様な努力をやめた瞬間、俺は俺ではなくなるのではないか

必死に考えることをやめた瞬間、俺は他人失望されるのではないか

そう思って、最悪限界来て自殺するならそれでもいいと思いながら、日々生き急いでいる。

絶対間違いだと思うんだけどやめられない。麻薬みたいなもんである

2025-03-22

わずか予選2回、決勝1回、スプリント予選・スプリント各1回を終えただけの新人ドライバーが「僕には残された時間が少ない」と発言するような状況は果たして正しいのだろうか?

リアム・ローソンレッドブルで苦戦している。

一方でレッドブル昇格ではローソンに敗れた角田裕毅は好調を維持している。

早くも二人を交代させるべきだ、との意見パドックは染まりつつある。

ローソン自身は、今の問題解決してくれるのは、

時間(今の状況へ慣れること)だろうと答えている

が同時に

自分にはその時間が残されていない、

とも答えている。

これはいったいどういうことなのか?

開幕してまだ2戦も消化していない新人ドライバーがおおよそ言うことではない。

どんな新人でも開幕2戦では五里霧中状態であるのは当たり前だ。

これは神童との呼び名も高いアントネッリすら、そう変わらない状況のはずだ。

チームとってはそういう新人サポートし自信をつけさせるのも仕事の一つだ。

しかし、その新人ドライバーに対してすでに最後通告のようなものが発せられているんだとしたら、いささか異常が過ぎる。

そもそもキャリアの浅いドライバーレッドブルに昇格させるという判断自体が間違っているのだ。

角田というオプションがあるのに、(おそらくは)政治的理由角田の起用を避け、ローソンという未知に賭けたのはレッドブル首脳の判断ではないか

それをまるでドライバー使い捨て雑巾でもあるかのようにわずか2戦も立たぬ間に追い詰めるとはどういうことなのか。

角田びいきの日本人の目から見ても腹立たしい。

一方で角田にとってはこれはラッキーな状況である、とは言わざるを得ない。

おそらくは今年レッドブル角田が起用されていたとしても、ローソン同様にかなりの苦労をさせられていたことだろう。

ひょっとしたら「僕には時間がない」と言っていたのは角田の方だったかも知れない。

その状況を回避したうえで、序盤では成長した姿を見せつけてアピールしているのは来シーズンへのシートが不確定な角田にとってはプラスに働いたといえる。

また今後今年中のレッドブルへの昇格が果たされたとして、その際にマシンへの適応に苦労したとしても現在ローソンほどに批判的な状況とはならないだろう。

それにしてもチームメイトにこれほど苦労させるフェルスタッペン専用のマシンを開発するというのは、その方向性としてチームにとってプラスと言えるのだろうか?

もっと誰が乗っても速いマシンを作ることに注力するべきだと思うのだが。

2025-03-21

ブラームス世界に戻ってきた

俺は若いからブラームスが好きだった。

あの陰鬱ブツブツ小言を呟いているような音楽

長調の明るい音楽でも根底には憂いと哀愁がある。

例えば有名な第一交響曲のフィナーレだってベートヴェンやワーグナーのような大爆発はしない。

「俺がこんなに幸せでいいのかな?」みたいな後ろめたい幸せを感じているような雰囲気がある。

内向きのウジウジとした精神。そういうところが大好きだった。

でも中年差し掛かった頃、俺はこのままではダメだと思った。

ブラームスのような陰キャのウジウジした音楽にばかり浸っていたら、陰キャのウジウジした駄目オヤジになってしまう。

もっと人生を力強く生きて未来を切り開くような人間になるべきだ!

から俺は無理してそれほど好きではないベートーヴェンモーツァルトを頑張って聴いた。

よく「ドイツ三大B」(バッハベートーヴェンブラームス)とか言われているけれど、実際にはクラシック音楽世界で至高の存在とされているのはバッハベートーヴェンモーツァルトであるブラームスは1.5流扱いのシューベルトワーグナーより更に下の2流とされている雰囲気がある。

若い頃好きではなかったモーツァルトについては、じっくり聴いてみれば実に素晴らしい美の結晶であることが分かった。

特に素晴らしいのはウィーン時代12から最後の27番までのピアノ協奏曲だ。まさに音楽美の最高峰であり、その至高の美しさには思わず涙が流れ出たこともあった。交響曲33番あたりから最後の41番「ユピテル」は実に素晴らしい。

しかし、50代に入り数年して、その素晴らしいはずのモーツァルトを聴こうという気があまり起きなくなった。単純に言えばやはり主観的にどこか俺の好みではない。フェイバリットではないのだ。

モーツァルトは結局恵まれ世界に生まれ上流階級の人々が絶賛する音楽であって、上流社会の人たちがキャッキャウフフしているサロンような音楽である

モーツァルト自身貧困の中で若死にしたけれど、あれは浪費癖によるものだ。モーツァルトザルツブルク宮廷音楽レオポルト・モーツァルトの息子として生まれ神童として貴族たちの中で持て囃され成長した。この時点で恵まれた上流社会人間だった。

モーツァルト音楽にも短調作品において悲痛な悲しみが表現され、それは音楽芸術的に極めて美しいが、それはあくまで上流社会人間ちょっとしたことで傷ついてクヨクヨしているようなエレガントな悲しみであって、生存危機を予感するような本当の絶望とは違うように感じる。

モーツァルトオペラは胸糞悪い話が多い。「フィガロの結婚」のアントニオや「魔笛」のモノスタトスとか、結局老人や貧困層や異人種を見下している。

ブラームス音楽家の家系に生まれたが、父親底辺貧困音楽家で、ブラームスが生まれた家の写真を見ると当時のドイツのボロアパートのものだ。ブラームス生活に困窮する庶民世界をよく知っている。そして生涯独身であり、おそらく生涯童貞だったろう。

俺はここ数年、陰鬱精神改善して肯定的明るい人生を送ろうとしてブラームスを避け、無理にモーツァルトを聴いてきた。だけどもうやめよう。素直に聴きたい音楽聴くブラームス聴くのだ。

2025-02-15

anond:20250215001642

死んだら墓へぃ「神童が死んどぉ」

anond:20250215001342

そんな神童も今や深夜に増田に居座るようになるまで堕ちてしま

2025-02-04

高学歴社会不適合者になる主な理由

高機能自閉症→興味の偏りと常同行動勉強だけはできる→社会に出て他者との関係が築けない&マルチタスクに耐えられず詰む

高機能自閉症勉強だけはできる→社会に出た後はただの指示待ち人

博士課程修了→ポスドク雇い止め

地元では神童扱い→大学進学で都会の文化資本に触れて絶望

自尊心肥大化店員や女に暴力を振るう

母親に溺愛され上げ膳据え膳→勉強だけしていればいい環境で育つ→生活能力の欠如とセルフネグレクトで詰む

母親から教育虐待を受ける→母親が憎い→女が憎い→女叩きに心血を費やす

これまでの青春を取り戻そうとする→主に酒や女絡みでトラブル中退

名大卒→面接挙動おかしくて落とされる

まあ大体こんな感じ

2025-01-21

anond:20250121004431

優秀な人でも女だから低学歴普通にある。

うちの父は叔母が学校始まって以来の神童と言われていたのに男の子に全ての教育費をつぎ込む祖父母方針で中卒にされて、「本当にあの姉の弟か?」と言われまくった程のバカだった父は高卒になったのが凄いトラウマ

それなのに私に「女の四大卒が一番使えないんだ!!」と合格したのに期限前に急に金出さないと騒いで大学進学をさせてくれなかった。

2025-01-20

神童ゴーってので思ったけどFTMってなんで適合手術受けたがるんだろうな

これって平たく捉えればエロ漫画の男の自分が女の肉体に憑依してるシチュと同じでしょ。

しろその女体を合法で好きなだけ楽しめて幸せじゃない?適合手術とかわざわその状況を手放すアホかと思うわ。

こう思うのは俺がオートガイネフェリア?なだけかな?あと離人症的な傾向もないと生まれもった体を他人に憑依したような体として楽しむのも無理か?

2025-01-03

よい家族だ それだけに苦しい

年をまたいで帰省していた。

久しぶりに会っても家族はやっぱりよい人たちだった。

私は病気でおよそまともな精神をしていないが、薬を飲んで生活を整えていれば短時間であれば対外的にまずいところはひた隠しにすることができる。

親にも気を違えそうなことや自分処置可能範囲自殺未遂を繰り返していることは隠している。

家族からはよく愛されて育った自覚がある。

金も手間もかけてもらった。都会に産んでもらって、展覧会ミュージカルコンサートだってよく連れていかれたし、家庭教師をつけてもらったりもした。

神童20過ぎればただの人とは言うし私が神童だったとは言わないが、中学生までは真面目に勉強しなくとも定期テストでは満点付近が取れた。きっと頭もわりと良いほうに産んでもらったのだと思う。今はとても自分の頭を冴えているとは思えないが。

まれていると思う。それでも精神は腐っていく。こうなってしまう原因をどうにかなすりつけたくて、両親に対して不満に感じていた部分を並べ立ててみたこともある。無意味だった。家を出てから顔を合わせて、やっぱり彼らは基本的に善人で、私に対しても間違いなくよくしてくれた。

現状、金にもそこまで困っていない。余剰はないが、趣味にも多少の金が回せる。パワハラされたりいじめられたりしているわけでもなく、激務でもない。付き合いの長い彼女とも上手くいっていて目立った不満もない。病気も、運良く合う医者を見つけてだいぶマシになった。書き連ねると改めて恵まれていることがわかる。自虐風の自慢のようにも見える。しかし違う。こんなにも満ち足りているのに、毎日死にたくてたまらない。眠れない。じっとしていたら気が狂いそうになる。そうでない日も死にたい。人と別れてからは何をする気も起きない。私自身にもどうして死にたいのかわからないのに死にたい

物心がついてから絶えず死にたがり続けている。それを隠すために家族にも数え切れない嘘をついてきた。嘘の食事習慣、嘘の睡眠サイクル、嘘の読書内容、捏造した検索履歴を見せながら取り繕った表情で話をした。

正月からもう何度偽ってしまたかからなくなった。家族を良い人たちだと再確認して、罪悪感に苛まれながら自宅に戻った。

私はまた1年見苦しく生き残るのだろうか。あといくつ嘘を重ねるのだろうか。

2024-11-29

地方公立に行って後悔している - 子供はできるだけ学費の高い学校に行かせたい

炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。

(前編)

私は小中高と地方公立を出て、浪人して都内医学部卒業している。

東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータ話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。

まず医学部では「親が医者なのは当たり前で、教授講師と話す時も、世間話最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。

ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化である。「マグル」は家系医者がいない学生が、自虐的苦笑いしながら使う単語だ。

しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。

出身高校ほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。

蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったかSAPIX鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。

私のように地方公立から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。

大学生お金がかかる。私も美容や服飾、外食旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死時間お金に変えた。

学費家賃生活費などは親持ちだったが、その他は自分バイト代で賄うように言われていた。

けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ禁止」される方が普通だ。特に家庭教師OKでも、高卒フリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。

そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。

この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。

こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。

限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。

当然、金額理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。

ここまでの話だけ聞くと、「地方出身庶民階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。

実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間ほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである普通暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。

尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日面白かった。

地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。

まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。

要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである

(中編)

私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。

先祖代々続く大病院家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親医者ではないので「半純血」だ。

金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味生活に困ったことはないと思う。

「全身脱毛費用自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。

そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。

よって親の学歴自分大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。

わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノヴァイオリン新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。

しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。

校内のヒエラルキートップにいたのは、我が家クローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカ卑猥言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。

一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。

外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。

まれからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。

ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。

何か作業をする時、見るから効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやす説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。

何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。

クラスナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。

その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。

「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう

たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言拡散された。

子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。

自分性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。

たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか

別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。

万事がそういった雰囲気だった。

まり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校テストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。

何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。

お金学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。

そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。

そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗差別的感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。

よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。

やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。

体力面の自信のなさからほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。

(後編)

立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員民度も低かった。

病院があるのは中途半端田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルゴシップしかない。

都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。

数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝他人悪口や噂話、そして「女性職員容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。

百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。

「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情ストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。

彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。

立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。

気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。

救急車がタダだから生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシー無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。

特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババアジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。

バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。

一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。

特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。

これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみませんちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばいからだ。

根本的な問題は、学歴収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。

きっとこれは、一生分かり合えない感覚なのだろう。

病院の同僚医師たちも、私立医学部卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。

地方にいた頃の私のように——。

医者政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。

しかし、ことの本質はそう単純なものではないように思える。

実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。

それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。

同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。

公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別偏見選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。

免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層人間存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか

からこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供絶対私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。

「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生もの財産だ。

社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。

しかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。

もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。

一生温室で、綺麗な世界だけ見ていられるように、可能な限り守ってあげたいと思う。

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